佐藤 毅(さとう たけし、1932年3月5日 - 1997年… 佐藤 毅(さとう たけし、1932年3月5日 - 1997年10月8日)は、日本の社会学者、一橋大学名誉教授。 愛知県一宮市出身。1954年一橋大学社会学部卒、1959年同大学院社会学研究科博士課程満期退学。南博ゼミ出身。1960年法政大学社会学部専任講師、1961年助教授、1969年教授、1978年一橋大学社会学部教授。1991年「マスコミの受容理論 言説の異化媒介的変換」で一橋大学社会学博士。1995年定年退官、名誉教授、大東文化大学法学部教授。 1997年10月8日、急性白血病のため死去。 指導学生に安川一、伊奈正人、三浦展,出口剛司など。
菅野 雅雄(すがの まさお、1932年3月4日 - )は、日… 菅野 雅雄(すがの まさお、1932年3月4日 - )は、日本の国文学者。 1932年、岡山県岡山市で生まれた。國學院大學文学部国文科で学び、卒業。同大学大学院に進み、1963年に博士課程を満期退学。 名城大学法学部助教授に就き、後に東京理科大学教授、武蔵野女子大学教授に転じた。1973年、学位論文『古事記説話の研究』を國學院大學で文学博士の学位を取得。1989年に中京大学教授となり、2002年に定年退任。 学界では古事記学会理事を務めた。
桑山 忠明(くわやま ただあき、1932年3月4日 - 20… 桑山 忠明(くわやま ただあき、1932年3月4日 - 2023年8月20日)は、日本の美術家。ミニマル・アートの先駆者として知られる。 愛知県名古屋市生まれ。東京芸術大学日本画科卒業。1958年に渡米して以降、ニューヨークを拠点に活動した。2023年8月20日、脳出血のため米国で死去、91歳没。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
前田 正明(まえだ まさあき、1932年3月3日 - 201… 前田 正明(まえだ まさあき、1932年3月3日 - 2015年10月17日)は、西洋美術史学者。武蔵野美術大学名誉教授。専攻はギリシャ美術、西洋陶芸史。 大阪府出身。1961年学習院大学大学院西洋美術史修士課程修了、ギリシアのアテネ大学、1963年米国ミシガン大学に学ぶ。1977年から1979年まで東京大学医学部解剖学科研究生。1974年、武蔵野美術大学助教授。1980年、教授。1999年7月退任、同年10月名誉教授。2015年10月17日、肺炎のため死去。83歳没。
相磯 秀夫(あいそ ひでお、1932年3月3日 - 2025… 相磯 秀夫(あいそ ひでお、1932年3月3日 - 2025年9月7日)は、日本の工学者。東京工科大学理事、慶應義塾大学名誉教授。 神奈川県生まれ。神奈川県立神奈川工業高等学校(電気科)卒業。慶應義塾大学工学部電気工学科卒業。慶應義塾大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程修了。通商産業省工業技術院電子技術総合研究所を経て、慶應義塾大学工学部教授。 1990年、環境情報学部設置に際して同学部に移り初代学部長に就任。その後大学院政策・メディア研究科委員長などを務めた。 1999年、東京工科大学に移り、日本最初の「メディア学部」の設立に参加して、初代メディア学部長に就任。同年6月、同大学学長に就任した。
小坂 哲瑯(こさか てつろう、1932年3月2日 - 201… 小坂 哲瑯(こさか てつろう、1932年3月2日 - 2018年5月23日)は、日本の実業家。日比谷松本楼元代表取締役会長・社長、関東外食産業協議会初代会長、日本フードサービス協会元東京支部長。 本名、小坂 明(こさか あきら)。 日比谷松本楼創業者、小坂梅吉の孫。小坂光雄の息子として日比谷松本楼の家に生まれる。日比谷公園生まれの日比谷公園育ち。銀在の泰明小学校に通う。 埼玉県立熊谷高等学校をへて、1954年、立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。 家業である日比谷松本楼に入社。日比谷松本楼代表取締役社長(3代目)、会長を歴任した。 経営者として、松本楼の歴史を信用を第一に考え、流行は追わず「とにかく良質なものをサービスで満足してもらう」ことを日々繰り返し、歴史を延長していくことを使命として事業運営を進めた。
高橋 たか子(たかはし たかこ、1932年(昭和7年)3月2… 高橋 たか子(たかはし たかこ、1932年(昭和7年)3月2日 - 2013年(平成25年)7月12日)は、日本の小説家。旧姓岡本、本名和子(たかこ)。夫の高橋和巳の死後本格的に作家活動に入り、『空の果てまで』『誘惑者』などを発表。愛憎を超えた不可解な心理の深層を描き続けた。カトリックに入信、渡仏して観想修道生活を送った(のち還俗して帰国)。 京都府京都市下京区醒ヶ井通仏光寺下ル荒神町で、父・岡本正次郎、母・達子の長女として生まれる。父親は旧制名古屋高等工業学校建築科を卒業し、京都府警察部建築課に勤めていた。尋常小学校時代に等持院北町に転居し、京都府立嵯峨野高等女学校から京都府立山城高等学校を経て、1954年(昭和29年)、京都大学文学部フランス文学科卒。
岩崎 俊男(いわさき としお、1932年〈昭和7年〉3月2日… 岩崎 俊男(いわさき としお、1932年〈昭和7年〉3月2日 - 1990年〈平成2年〉12月18日)は、昭和から平成時代初期の政治家。兵庫県赤穂市長。 赤穂市出身。兵庫県立赤穂高等学校卒業。 赤穂市職員となり、市職労書記長、固定資産税係長、社会教育課長、市教育次長などを歴任。地方新聞社社長に転じたのち、1989年(平成元年)5月、赤穂市長選挙に初当選した。 ほか、財団法人赤穂市文化振興財団理事長を務めた。
渡部 恵一郎(わたなべ けいいちろう、1932年3月2日 -… 渡部 恵一郎(わたなべ けいいちろう、1932年3月2日 - 2001年12月11日)は日本の音楽学者。鳥取県出身。特にヘンデルを研究。 母校・鳥取県立米子東高等学校の校歌作曲者の一人。東京藝術大学音楽学部楽理科にて、音楽学を服部幸三に学んだ。1967年から1969年まで、および1987年にはアレクサンダー・フォン・フンボルト財団の招聘によりドイツおよびイギリスでヘンデル研究に携わる。1972年から桐朋学園大学助教授、教授。 1994年以来様々な団体とともにヘンデルの劇作品の企画構成演出に携わり、1998年に日本ヘンデル協会(The Handel Institute Japan)を創設、同協会代表を務めた。
中地 宏(なかち ひろし、1932年3月2日 - 2022年… 中地 宏(なかち ひろし、1932年3月2日 - 2022年10月25日)は、日本の公認会計士。 日本人の公認会計士として初の米国公認会計士となる。等松・青木監査法人ニューヨーク事務所設立に参画。日本公認会計士協会会長、金融再生委員会委員、東京都参与などを歴任した。 沖縄県生まれ。1954年東京大学経済学部卒業。1957年ペンシルバニア大学ウォートン校卒業(MBA)。1969年より1995年まで等松・青木監査法人(現 監査法人トーマツ)に勤務。等松・青木監査法人ニューヨーク事務所設立に参画。その間、日本公認会計士協会の国際委員会担当常務理事、世界会計士会議・東京大会の組織委員会副委員長、国際会計士連盟理事会の日本代表などを歴任。
永井 隆(ながい たかし、1932年3月2日 - 2022年… 永井 隆(ながい たかし、1932年3月2日 - 2022年6月17日)は、日本の実業家。元富士電機冷機社長、元富士電機代表取締役副社長・特別顧問、元富士電機総設代表取締役会長。 愛知県出身。1955年に横浜国立大学経済学部を卒業、翌年に横浜国立大学経済学部専攻科を修了後、富士電機製造(現富士電機)に入社。 1982年に富士電機冷機社長、1986年に富士電機の取締役と自販機・特機事業本部長を兼務するなど富士電機の自動販売機事業進出当初から、長年自動販売機部門で仕事をした。 1989年、富士電機専務取締役。そして1992年に富士電機代表取締役副社長に就任した。1995年、富士電機特別顧問、富士電機総設代表取締役会長に就任。
井村 君江(いむら きみえ、1932年3月1日 - )は、日… 井村 君江(いむら きみえ、1932年3月1日 - )は、日本の英文学者・比較文学者。ケルト・ファンタジー文学研究家。明星大学名誉教授。フェアリー協会会長。イギリス・フォークロア学会(英語版)終身会員。妖精美術館(福島県大沼郡金山町)館長。うつのみや妖精ミュージアム名誉館長。 2003年に生まれ故郷の栃木県宇都宮市にケルト・妖精関係資料(文豪の自筆原稿や貴重な美術品を含む)を寄贈した。寄贈された資料を展示するため、2007年7月31日、世界的にも珍しい妖精をテーマにした美術館うつのみや妖精ミュージアムがオープン、名誉館長に任命される。 宇都宮市の旧家に福田 君江として生まれ、祖母に養育されて成長する。
川本 源司郎(かわもと げんしろう、1932年〈昭和7年〉3… 川本 源司郎(かわもと げんしろう、1932年〈昭和7年〉3月1日 - 2024年〈令和6年〉2月12日)は、日本の実業家。銀座や中洲、小倉などに「丸源ビル」の名称で多くの雑居ビルを所有していた。日本の億万長者の1人であった。 1932年、福岡県小倉市(現・北九州市)の呉服屋「丸源」に生まれた。子供のころの夢は「金閣寺に住みたい」であった。 地元小倉の私立常磐高等学校を卒業。1953年、慶應義塾大学経済学部を中退し家業の呉服店を継ぐ。このもうけの大半を不動産に投資し、木造アパートやマーケットの建築からはじめて高度経済成長による不動産価格の高騰で莫大な利益を上げた。 1960年には呉服屋を廃業し、本格的に貸しビル業へ転じる。
百瀬 宏 (ももせ ひろし、1932年3月1日 - )は、日… 百瀬 宏 (ももせ ひろし、1932年3月1日 - )は、日本の政治学者で、津田塾大学名誉教授、広島市立大学名誉教授。専攻は、国際関係学、国際関係史、フィンランド近現代史。
岡田 一(おかだ はじめ、1932年3月1日 - 2019年… 岡田 一(おかだ はじめ、1932年3月1日 - 2019年8月26日)は、日本の実業家。元トーエネック会長、元中部電力副社長、元涼仙ゴルフ倶楽部理事長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
板倉 由明(いたくら よしあき、1932年3月 - 1999… 板倉 由明(いたくら よしあき、1932年3月 - 1999年2月4日)は、日本の経営者、南京事件研究家、戦史研究家。元南京戦史編集委員。 神奈川県横浜市南区出身。1958年横浜国立大学工学部を卒業後、製菓機械製造業の板倉製作所を経営し、1981年頃からその傍ら、戦史研究、特に南京事件や慰安婦問題、歴史教科書問題などに取り組んだ。南京事件論争では、中国側の被虐殺者を1~2万人と推定し、30万人説などの大虐殺を主張する論者を一貫して批判した。『南京戦史』(偕行社)編集委員。 南京事件については同じくある程度の虐殺を認める現代史家の秦郁彦とは論戦をしながらも親しい間柄であった。また、南京虐殺の完全否定派とも言うべき田中正明とも親交があった。
鈴木 武(すずき たけし、1932年2月28日 - 2004… 鈴木 武(すずき たけし、1932年2月28日 - 2004年6月27日)は、兵庫県西宮市出身で、近鉄パールス(バファロー)と大洋ホエールズに在籍したプロ野球選手(内野手)である。 鳴尾高校では、1951年春の選抜に出場。同期の野武貞次(法大-リッカー)、1年下の中田昌宏の投の二本柱を擁し勝ち進む。決勝では鳴門高と対戦するが、9回サヨナラ負けを喫し準優勝にとどまる。この大会では打率.611を記録し、攻守両面で活躍、優秀選手に選出された。他のチ-ムメートでは、藤尾茂、山田清三郎がプロ入りしている。 高校卒業後、社会人野球の東洋レーヨンを経て、1953年に近鉄パールスに入団。1年目の開幕から遊撃手、二番打者に抜擢され、鳴尾高校の先輩に当たる日下隆と一、二番コンビを組んで多くの盗塁を成功させた。
赤井 慧爾(あかい けいじ、1932年 <昭和7年> 2月2… 赤井 慧爾(あかい けいじ、1932年 <昭和7年> 2月28日 - 2024年 <令和6年> 4月28日)は、日本のドイツ文学者、大阪大学名誉教授。位階は従四位。 大阪府生まれ。1954年大阪外国語大学ドイツ語科卒、1956年大阪大学大学院独文学修士課程修了、1981年「ハルトマン研究 『イーヴァイン』の文体を中心に」で阪大文学博士。1961年阪大教養部講師。1961年から1963年までミュンヘン大学に留学。1968年助教授、1976年言語文化部助教授、1982年教授。1995年定年退官、名誉教授、1995年関西外国語大学教授(国際言語学部 国際コミュニケーション学科)。2005年関西外国語大学退職。
角地 正純(かくち まさずみ、1932年〈昭和7年〉2月28… 角地 正純(かくち まさずみ、1932年〈昭和7年〉2月28日 - 2013年〈平成25年〉7月11日)は、大阪府出身の日本の声楽家。大阪信愛女学院短期大学名誉教授。1981年〈昭和56年〉芸術文化勲章シュヴァリエ。関西二期会創立メンバーでもある。 台湾総督府に勤める父健次と、母照子の第一子として生まれる。13歳で終戦、大阪へ戻る。 大阪府立北野高等学校卒業後、大阪学芸大学(現・大阪教育大学)に入学、同学専攻科を卒業する。在学中から推薦を受け、NHK大阪放送合唱団へオーディションにより入団。公私共に宗教曲を多く演奏する活動のなかでキリスト教にその源泉を求め、ロベルト・ブリーゲン神父(大阪芸術大学名誉教授、ベルギーフランドル交流センター元館長)の元でグレゴリオ聖歌を中心に典礼音楽を学ぶ。
細谷 洋一(ほそや よういち、1932年2月28日 - 19… 細谷 洋一(ほそや よういち、1932年2月28日 - 1996年2月14日)は、日本のジャーナリスト。 宮城県仙台市出身。父は生理学者の細谷雄二。慶應義塾大学文学部卒。産経新聞社会部記者を経て、夕刊フジ報道部長、同編集長、産経新聞編集局長、日本工業新聞社長を務める。1966年、産経新聞東京本社社会部記者時代に、先天性心臓病などに苦しむ子供たちを救うための基金である『あけみちゃん基金』の創設に尽力。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
井植 敏(いうえ さとし、1932年(昭和7年)2月28日 … 井植 敏(いうえ さとし、1932年(昭和7年)2月28日 - )は、日本の実業家。 三洋電機元社長。三洋電機創業者の井植歳男の長男。 兵庫県出身(東京芝生まれ)。 1956年同志社大学工学部電気学科卒業後、三洋電機入社。1959年に東京三洋電機の設立とともに転籍し、27歳で取締役に就任する。1961年に三洋電機の取締役となり、常務、専務を経て1985年に副社長となる。 1986年、三洋電機の石油ファンヒーターにより、一酸化炭素中毒で4人が死亡するという事件が起きた。叔父で社長の井植薫は、自身を責め立て、遂にはノイローゼになり、株主総会の議事進行中に昏倒してしまう。急遽、副社長の敏が議事を務め、どうにか乗り切った。
上原 行雄(うえはら ゆきお、1932年2月27日 -201… 上原 行雄(うえはら ゆきお、1932年2月27日 -2017年7月1日)は、日本の法学者。一橋大学名誉教授。専門は法哲学。第15期・第16期日本学術会議会員。 1950年東京都立北園高等学校卒業、1955年東京大学法学部第2類卒業、1956年同大法学部第1類卒業。三菱商事勤務を経て、1960年東京大学文学部哲学科卒業、1966年同大大学院法学政治学研究科博士課程修了、法学博士(学位論文「モンテスキュウ法理論の方法論的基礎 -近代法思想の批判的研究への序説-」)。 1966年明治大学法学部講師、1968年同助教授、1972年一橋大学法学部助教授、1978年同教授、1988年から1990年まで同大法学部長、1995年同大を定年退官し同大名誉教授。
中村 靖(なかむら やすし、1932年2月27日 - )は、… 中村 靖(なかむら やすし、1932年2月27日 - )は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。
久手堅 憲次(くでけん けんじ、1932年2月27日 - )… 久手堅 憲次(くでけん けんじ、1932年2月27日 - )は、日本の経営者。沖縄電力社長、会長を務めた。沖縄県那覇市首里出身。 1954年に東京大学法学部公法学科を卒業。琉球政府での勤務を経て、1968年12月に琉球電力副総裁、1970年に沖縄北方対策庁調整部参事官を歴任し、1972年6月に沖縄電力取締役に就任し、同年8月に常務を経て、1980年6月には沖縄電力社長に就任。1983年6月には沖縄銀行頭取に就任1993年3月に取締役相談役を経て、1998年6月に相談役に就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
服部 一郎(はっとり いちろう、1932年2月27日 - 1… 服部 一郎(はっとり いちろう、1932年2月27日 - 1987年5月26日)は、日本の実業家。セイコーインスツルの元代表取締役社長、セイコーエプソンの初代代表取締役社長、日本国際フォーラムの初代理事長。 東京都出身。セイコーホールディングス創業者服部金太郎の孫。第3代社長服部正次の長男として生まれる。長野県諏訪清陵高等学校、学習院高等科を経て、東京大学法学部卒業。1954年第二精工舎(現在のセイコーインスツル)入社。その後、チューリッヒ大学、イェール大学へ留学した。 1961年第二精工舎取締役、1965年同社常務取締役、1967年同社専務取締役を経て1979年同社代表取締役社長。1980年兼務で諏訪精工舎の代表取締役社長に着任する。
山本 孫春(やまもと まごはる、1932年〈昭和7年〉2月2… 山本 孫春(やまもと まごはる、1932年〈昭和7年〉2月27日 - 2026年〈令和8年〉2月3日)は、日本の政治家。宮崎県日向市長(1期)等を歴任した。 現在の宮崎県日向市に生まれる。東京農業大学農学部卒業。 日向市議会議員、宮崎県議会議員を務めた。 2000年(平成12年)の日向市長選挙に無所属、社民党支持で立候補し、赤木欣康を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:45,531人 最終投票率:69.93%(前回比:-pts) 同年3月31日に日向市長に就任した。 2002年(平成14年)7月1日にオープンした日向市の第三セクターの温泉施設「日向サンパーク温泉」からレジオネラ菌が検出され、死者7人を含む多くの感染者を出した問題が発生した。
大川 とみ(おおかわ とみ、1932年2月26日 - )は、… 大川 とみ(おおかわ とみ、1932年2月26日 - )は、日本の元卓球選手、卓球指導者。 茨城県結城郡三妻村大字三坂(現:常総市三坂町)出身。 1956年に東京で行われた世界卓球選手権大会の女子シングルスで日本人女子として初の優勝をかざった。この優勝を記念して地元の茨城県では大川杯卓球大会が翌1957年から開催されていたが2008年3月に行われた第51回大会で幕を閉じた。 1956年から1960年頃、会計検査院に所属した。1960年頃結婚し岡田とみとなっている。 現在は東京都調布市の「メイジ・コミュニティ・スポーツクラブ」卓球教室にて、平岡義博(明治大学卓球部元監督)や夫と共に後進の指導を行っている。
神宮 輝夫(じんぐう てるお、1932年2月26日 - 20… 神宮 輝夫(じんぐう てるお、1932年2月26日 - 2021年8月4日)は、日本の児童文学者・翻訳家・研究家。青山学院大学名誉教授。 群馬県高崎市生まれ。旧制・群馬県立高崎中学校、旧制・第一早稲田高等学院を経て、早稲田大学第一文学部英文科卒業、早稲田大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了。在学中から早大童話会に参加し、鳥越信、古田足日、山中恒らと活躍。「小さい仲間」の同人となる。 英国児童文学の翻訳を精力的に続け、アーサー・ランサム全集のほか、リチャード・アダムズ『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』、モーリス・センダック『かいじゅうたちのいるところ』、ジョン・ロウ・タウンゼンド『アーノルドのはげしい夏』、ウィリアム・メイン、ロイド・アリグザンダー、アラン・ガーナーなど、戦後の代表的な作品の多くを手がけた。
浅野 三平(あさの さんぺい、1932年〈昭和7年〉2月26… 浅野 三平(あさの さんぺい、1932年〈昭和7年〉2月26日 - 2023年〈令和5年〉2月5日)は、日本の国文学者。専門は近世文学、上田秋成研究の先駆者。学位は、文学博士(東京大学・1985年)。芝高等学校教諭・京都女子大学教授・日本女子大学教授を経て、日本女子大学名誉教授。 1932年(昭和7年)2月、愛知県名古屋市に生まれる。愛知県の旧制中学校 東海中学校に入学した。1950年3月、学制改革により旧制中学から新制高等学校へ移行した東海高等学校を卒業。同年4月 東京大学教養学部入学。1954年3月、東京大学文学部国文学科を卒業し、同年5月、芝高等学校に国語科教諭として赴任した。 1957年3月、東京大学大学院人文科学研究科修了(文学修士)。
岩部 金吾(いわべ きんご、1932年(昭和7年)2月26日… 岩部 金吾(いわべ きんご、1932年(昭和7年)2月26日 - 2021年(令和3年)3月7日)は日本の実業家。元文化シヤッター代表取締役社長。 1932年(昭和7年)2月26日、広島県に生まれる。旧制崇徳中学(現崇徳高等学校)を経て、1956年(昭和31年)に法政大学経済学部を卒業し、ハリウッド化粧品に入社する。1959年(昭和34年)に文化シヤッター入社し、1964年(昭和39年)同社取締役社長室長、1969年(昭和44年)に同社常務取締役、1972年(昭和47年)に同社専務取締役を経て、1989年(平成元年)に同社代表取締役社長に就任する。1995年(平成7年)に同社取締役相談役を経て、1997年(平成9年)に同社代表取締役会長就任。
金子 晴勇(かねこ はるお、1932年2月26日 - 202… 金子 晴勇(かねこ はるお、1932年2月26日 - 2026年4月5日)は、日本の倫理学者。岡山大学・聖学院大学名誉教授。専門はキリスト教思想史。 静岡県出身。京都大学文学部卒。1962年同大学院博士課程修了。1975年「ルターの人間学」で京都大学より文学博士の学位を取得、1976年同書で日本学士院賞受賞。 立教大学助教授、国立音楽大学音楽部、岡山大学文学部教授、1990年静岡大学教授。1996年定年退官、聖学院大学教授。 2026年4月5日死去。94歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木 継美(すずき つぐよし、1932年2月26日 - 20… 鈴木 継美(すずき つぐよし、1932年2月26日 - 2008年5月25日)は、日本の人類生態学者。東京大学名誉教授、元国立環境研究所長。 東京生まれ。1955年東京大学医学部医学科卒。1960年同公衆衛生学研究室助手、同年医学博士。論文の題は「無機水銀曝露時の医学的諸元と環境水銀濃度の衛生学的考察」。1968年同保健学科人類生態学研究室助教授、1971年東北大学医学部公衆衛生学科教授、1979年東京大学教授、1993年定年退官、国立環境研究所所長。1999年環境科学会会長。2001年環境省中央環境審議会会長代理。 2002年、勲二等瑞宝章を受章。2008年5月25日、肺炎のため死去。
西山 徳幸(にしやま のりゆき、1932年 <昭和7年> 2… 西山 徳幸(にしやま のりゆき、1932年 <昭和7年> 2月26日 - 2017年 <平成29年> 2月9日)は、日本の経営工学者・生産システム工学者。工学博士(東京工業大学)。大阪府立大学名誉教授。大阪工業大学工学部経営工学科元教授。瑞宝小綬章受章。位階は従四位。 専門は、経営工学・生産システム工学 (生産管理・FMS・QC等)。 東京工業大学大学院経営工学専攻にて工学博士(東京工業大学)。1974年大阪府立大学(現:大阪公立大学)工学部経営工学科講師。1983年同学科助教授などを経て、同学科教授。1995年大阪府立大学名誉教授。同年、大阪工業大学工学部経営工学科(現:情報科学部データサイエンス学科)教授。
田村 俶(たむら はじめ、1932年2月25日 - 2023… 田村 俶(たむら はじめ、1932年2月25日 - 2023年5月15日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 ミシェル・フーコーなどの翻訳で知られる。 島根県益田市に生まれる。 京都大学文学部仏文科を卒業した。奈良女子大学助教授を経て、教授に就任し、1993年からは学長を務めた(1997年まで)。退官後、名誉教授となる。[要出典] この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
水野 るり子(みずの るりこ、1932年2月25日 - 20… 水野 るり子(みずの るりこ、1932年2月25日 - 2022年1月10日)は日本の詩人。東京都生まれ。本名、水野瑠璃子。東京大学文学部卒業。1984年『ヘンゼルとグレーテルの島』で第34回H氏賞受賞。2011年『ユニコーンの夜に』で第3回小野市詩歌文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
田中 寧夫(たなか やすお、1932年〈昭和7年〉2月24日… 田中 寧夫(たなか やすお、1932年〈昭和7年〉2月24日 - )は、日本の元競泳選手。 福岡県久留米市のあけぼの商店街の森恒呉服店の子として生まれる。福岡県立明善高等学校を経て、早稲田大学に入学する。 大学在学中、1952年ヘルシンキオリンピックに競泳日本代表として男子400m自由形に出場。準決勝で9位となり、決勝進出はならなかった。
今給黎 久(いまきいれ ひさし、1932年(昭和7年)2月2… 今給黎 久(いまきいれ ひさし、1932年(昭和7年)2月24日 - 2013年(平成25年)7月19日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。新聞記者。鹿児島県枕崎市長。 枕崎市出身。鹿児島県立枕崎高等学校を経て、1956年(昭和31年)鹿児島大学文理学部を卒業し、サンケイ新聞大阪本社に入社。東京本社経済部次長、サンケイ商業新聞社報道部長、サンケイリビング新聞社編成局長などを歴任した。 1990年(平成2年)1月、枕崎市長に当選し、2002年(平成14年)1月まで3期務めた。
三神 真彦(みかみ まさひこ、1932年2月24日 - 20… 三神 真彦(みかみ まさひこ、1932年2月24日 - 2008年10月18日)は日本の作家、映像作家。東京都生まれ。本名・藤久真彦。放送評論家の藤久ミネは妻。
宇田 正(うだ ただし、1932年2月24日 - )は、日本… 宇田 正(うだ ただし、1932年2月24日 - )は、日本の経営史学者、追手門学院大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪大学文学部・法学部卒。大同生命保険相互会社本社勤務のあと大阪大学文学部事務官を経て同経済学部助手。1966年追手門学院大学経済学部専任講師。助教授、教授、同大学付属図書館長・評議員・経済学研究科長。2006年定年退職、名誉教授。1996年「近代日本と鉄道史の展開」で経済学博士(大阪大学)。宮本又次に師事した。
岡本 浜江(おかもと はまえ、1932年2月24日 - 20… 岡本 浜江(おかもと はまえ、1932年2月24日 - 2025年12月30日)は、日本の翻訳家。岡本 濱江とも表記される。旧姓は花見 濱江(はなみ はまえ)。 東京都生まれ。東京女子大学文学部英米文学科を卒業後、共同通信社に入社し記者として働く。子育てのために退職した後、中村能三に師事して翻訳を学び、英米の推理小説や児童文学を中心に翻訳を手掛ける。修道士カドフェルシリーズなど大人向け作品のほか、キャサリン・パターソンの作品、アン・ファインの『ミセス・ダウト』など百数十冊の訳書がある。1986年からはアサヒカルチャーセンタ-の講師として15年以上にわたり翻訳などの指導に当たった。1996年、日本児童文芸家協会賞特別賞。
西田 洽司(にしだ こうじ、1932年〈昭和7年〉2月23日… 西田 洽司(にしだ こうじ、1932年〈昭和7年〉2月23日 - 2019年〈令和元年〉12月31日)は、日本の政治家。元群馬県沼田市長(4期)。位階は正五位。 群馬県渋川市に生まれる。1935年に父の事業の関係により沼田に転居。1950年に群馬県立沼田高等学校を卒業。 1961年、西田建材代表取締役となる。1974年、株式会社に組織変更し、代表取締役となる。1984年、社名を西田に変更し、引き続き代表取締役となる。 1982年に周囲から沼田市長に推す声が挙がり、立候補するも惜敗。1986年の沼田市長選挙で初当選を果たす。沼田市長を4期務め、2002年に退任する。 沼田市長として1990年に森林文化都市宣言を行い、玉原高原の第三セクター方式による開発や全国植樹祭の開催を行った。
永井 康雄(ながい やすお、1932年2月23日 - )は、… 永井 康雄(ながい やすお、1932年2月23日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
富永 明夫(とみなが あきお、1932年2月23日 - )は… 富永 明夫(とみなが あきお、1932年2月23日 - )は、フランス文学者、東京大学名誉教授。
福地 崇生(ふくち たかお、1932年2月23日 - )は、… 福地 崇生(ふくち たかお、1932年2月23日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授、筑波大学名誉教授。専門は応用計量経済学、経済計画・開発論。経済学博士(東京大学、1960年)。愛知県出身。
小林 規威(こばやし のりたけ、1932年2月23日 - )… 小林 規威(こばやし のりたけ、1932年2月23日 - )は、日本の経営学者。商学博士(論文博士・1973年)。慶應義塾大学名誉教授。 東京府東京市(現東京都千代田区)出身。1953年ハーバード大学国際政治学科卒業。1954年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1961年ハーバード・ビジネス・スクール卒。 1973年慶應義塾大学ビジネス・スクール教授、同年「国際経営戦略の研究 多国籍企業研究への発展過程」で商学博士の学位を取得。慶應義塾大学ビジネス・スクール校長。1987-1991年慶應義塾大学大学院経営管理研究科委員長。1996年定年、慶大名誉教授、淑徳大学教授。2002年退任。 従兄にライオン歯磨会長の小林敦、妻の祖父に小坂梅吉、西野恵之助(帝国劇場社長)がいる。
小林 良彰(こばやし よしあき、1932年2月23日 - )… 小林 良彰(こばやし よしあき、1932年2月23日 - )は、日本の経済学者・経済史学者。専門は西洋経済史。 兵庫県神戸市出身。1956年、東京大学文学部西洋史学科卒業後、高等学校の教師となるが、後に並行して大阪大学大学院経済学研究科で経済政策を学んだ。同研究科で1968年修士号取得後、同志社大学講師となり、後に同志社大学商学部助教授・教授を経て、日本大学経済学部教授を務めた。 経済史の視点からフランス革命を研究した。フランス革命と明治維新の比較史や経済史関連の著作も多い。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
新藤 孝衛(しんどう こうえ、1932年2月22日 - 20… 新藤 孝衛(しんどう こうえ、1932年2月22日 - 2020年8月10日)は、日本の実業家、映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。映画プロデューサーとしての名を新船 澄孝(あらふね すみたか)とし、1972年(昭和47年)、映画監督としての名を南雲 孝(なぐも たかし)と改名した。1969年(昭和44年)、学校法人川口ふたば幼稚園理事長。 1932年(昭和7年)2月22日、埼玉県北足立郡芝村大字柳崎(現在の同県川口市柳根町)に生まれる。祖父は芝村の村議を歴任、父はのちの川口市議会議長となる新藤勝衛である。新制の埼玉県川口市立川口高等学校(現在の埼玉県立川口高等学校)に入学、水泳部で活躍する。
谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、19… 谷 啓(たに けい、本名:渡部 泰雄(わたべ やすお)、1932年〈昭和7年〉2月22日 - 2010年〈平成22年〉9月11日)は、日本の俳優、コメディアン、トロンボーン奏者。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。 東京府荏原郡東調布町(現・東京都大田区田園調布)出身・三鷹市大沢に居住していた。渡辺プロダクション所属。中央大学経済学部中退、中央大学学員会三鷹支部会員。日本トロンボーン協会名誉会員。 写真家の吉田ルイ子は従妹にあたる。長男の渡部泰裕は映像ディレクター。 会社員の渡部四郎の長男として生まれる。祖父の渡部競一は福島県会津若松市出身で、現在の東京工業大学の前身の東京職工学校を卒業後、技師となり横須賀海軍工廠製造所や日本製鋼などに勤めたのち芝区(現在の東京都港区)三田四国町で鋼材を扱う成工商会を経営した。
星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日… 星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日 - 2014年(平成26年)4月10日)とは、日本の弁護士(登録番号:21388、新潟県弁護士会)、政治家。衆議院議員(3期)、新潟県小千谷市市長(4期)を歴任した。元秘書に、金融担当大臣を歴任した民主党元衆議院議員中塚一宏。 新潟県立小千谷高等学校を経て、1960年、中央大学法学部卒業。 1962年、司法試験に30歳で合格。 1965年、司法修習17期を修了(同期に松本啓二弁護士)し、東京弁護士会に入会。 1975年、小千谷市長に就任(以後4期務める)。同年、東京弁護士会を退会。 1989年5月31日、小千谷市長を辞職。同年10月、保守系無所属新人候補の政策集団自由連合の旗揚げに参加。
粂川 光樹(くめかわ みつき、1932年2月22日 - 20… 粂川 光樹(くめかわ みつき、1932年2月22日 - 2018年12月20日)は、日本の作家、国文学者。明治学院大学名誉教授。 京都市生まれ。東京大学国文科卒、同大学院修士課程修了、五味智英に師事して上代文学を専攻、かたわら同人誌『半世界』に小説を発表、長谷川泉の経営する医学書院に秦恒平と同期入社。1965年「極東語学校夜話」で直木賞候補となる。同年プリンストン大学専任講師として渡米、1969年帰国し、関東学院女子短期大学、フェリス女学院大学に勤め、1981年シンガポール大学講師、1986年帰国し、東京大学留学生教育センター講師、明治学院大学国際学部教授。 2002年定年退職し、2007年『上代日本の文学と時間』(笠間書院)を上梓。