牛島 廣治(うしじま ひろし、1946年 - )は、日本の医… 牛島 廣治(うしじま ひろし、1946年 - )は、日本の医師・医学者。東京大学名誉教授。学位は医学博士(東京大学)。日本大学医学部 病態病理学系微生物学分野 上席研究員。専門は小児科学、ウイルス学、感染症学など。 佐賀県生まれ。1972年東京大学医学部医学科卒業、同年東京大学医学部附属病院 小児科 研修医、1973年都立築地産院 小児科、東京逓信病院 小児科 医員、1975年帝京大学医学部 小児科 助手、1979年アラバマ大学 微生物部 リサーチフェロー、1981年帝京大学医学部 小児科 助手、東京厚生年金病院 小児科 部長、1987年国立予防衛生研究所 外来性ウイルス室・エイズウイルス室・腸内ウイルス室 室長、1991年国立公衆衛生院 衛生微生物学部 部長。
大窪 一志(おおくぼ かずし、1946年 - )は、日本のフ… 大窪 一志(おおくぼ かずし、1946年 - )は、日本のフリー編集者、著述家、翻訳家、左翼活動家。 神奈川県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。実存哲学を専攻。 筑摩書房、日本生協連広報室などの編集者を経てフリーの編集者・著述家として活動する。
片木 淳(かたぎ じゅん、1946年または1947年 - )… 片木 淳(かたぎ じゅん、1946年または1947年 - )は日本の自治官僚、地方公務員。消防庁次長等を経て、早稲田大学大学院公共経営研究科教授を務めた。 大阪府泉南市出身。灘高等学校を経て、東京大学法学部II類(公法)卒業。消防庁次長等を経て、早稲田大学大学院公共経営研究科教授を務めた。
加藤 泰建(かとう やすたけ、1946年 - )は、日本の文… 加藤 泰建(かとう やすたけ、1946年 - )は、日本の文化人類学者。埼玉大学名誉教授。専門は、ラテンアメリカ研究・アンデス考古学。
川崎 一朗(かわさき いちろう、1946年 - )は、日本の… 川崎 一朗(かわさき いちろう、1946年 - )は、日本の地震学者。京都大学名誉教授。大阪府大阪市城東区出身。
小泉 英明(こいずみ ひであき、1946年 - )は、日本の… 小泉 英明(こいずみ ひであき、1946年 - )は、日本の物理学者、脳科学者。東京都出身。 弟は文化人類学者で大阪大学名誉教授の小泉潤二。妻はソプラノ歌手で国立音楽大学教授の小泉惠子。十二代市川團十郎は幼稚園の同期生。 1962年東京学芸大学附属世田谷中学校卒業。1965年東京都立日比谷高等学校卒業。1971年東京大学教養学部基礎科学科卒業、日立製作所入社。偏光ゼーマン原子吸光法の創出と実用化により、1976年東京大学理学博士。日立基礎研究所所長、日立製作所役員待遇フェロー。東京大学先端科学技術研究センター客員教授、日本工学アカデミー副会長。内閣府日本学術会議連携会員。欧米・豪州の研究機関のアドバイザーを兼務。
小谷 眞一(こたに しんいち、1946年-)は、日本の数学者… 小谷 眞一(こたに しんいち、1946年-)は、日本の数学者。大阪大学名誉教授。専門は確率論。特にランダム・シュレディンガー作用素の研究。 1946年生まれ。1970年 東京大学理学部数学科卒業。1976年 理学博士(論文主査は、渡辺信三)。京都大学理学部助教授を経て、1988年 東京大学理学部教授、1992年 同 大学院理学研究科(数理科学研究科)教授、1994年 大阪大学大学院理学研究科教授。2008年 退官、名誉教授、関西学院大学理工学部教授、2015年 同 客員研究員。ランダムSchrodinger作用素に関する小谷理論で知られている。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
薦田 隆成(こもだ たかしげ、1946年 - )は、日本の経… 薦田 隆成(こもだ たかしげ、1946年 - )は、日本の経済企画・内閣府官僚。 1972年、東京大学卒業。同年、経済企画庁入庁。広報室長、国民生活政策課長、大蔵省東北財務局理財部長、内閣府大臣官房審議官、国土交通省国土計画局長、労働政策研究・研修機構労働政策研究所副所長などを経て、連合総合生活開発研究所所長。
酒井 善則(さかい よしのり、1946年 - )は、日本の情… 酒井 善則(さかい よしのり、1946年 - )は、日本の情報工学者。東京工業大学名誉教授。日本データ通信協会理事長。元電子情報通信学会会長。 東京生まれ。1969年東京大学工学部電気工学科卒業。1974年東京大学大学院博士課程修了、工学博士、日本電信電話公社入社、電気通信研究所。1987年東京工業大学工学部助教授。1990年東京工業大学工学部教授。1994年学術情報センター客員教授。2000年東京工業大学大学院理工学研究科教授。2003年東京工業大学学術国際情報センターセンター長、電子情報通信学会通信ソサイエティ会長。2008年電子情報通信学会編集長。2009年東京工業大学保健管理センター所長。
高橋憲一(たかはし けんいち、1946年- )は、日本の科学… 高橋憲一(たかはし けんいち、1946年- )は、日本の科学史家、九州大学名誉教授。 茨城県日立市生まれ。1970年早稲田大学理工学部電気工学科卒業。1979年東京大学大学院理学研究科退学(科学史・科学基礎論専攻)。1990年「中世西欧世界におけるユークリッド『反射光学』の諸伝承」で理学博士(東京大学)。九州大学教養部助教授をへて、同比較社会文化研究院教授を務め、2010年定年退任、名誉教授となる。2006年『ガリレオの迷宮』で毎日出版文化賞受賞。 イムレ・ラカトシュの論を批判した。
高見 茂人(たかみ しげひと、1946年 - )は、日本の医… 高見 茂人(たかみ しげひと、1946年 - )は、日本の医師、内科学者。 臨床医の立場から現代の日本の医療の問題について発言をおこなっている。
西田 穣(にしだ ゆたか、1946年 - )は、日本の都市プ… 西田 穣(にしだ ゆたか、1946年 - )は、日本の都市プランナー、街づくりプランナー、地域計画研究所代表取締役/ふるさと回帰総合政策研究所 まちづくりに夢をつなぐ市民の会共同代表で専攻は都市計画(既成市街地整備・地区計画)・地域計画・市民参加のまちづくり。 1946年生まれ。1969年東京大学工学部都市工学科卒業。 著書に『災害に強いまちづくりと災害救助のあり方』(共著、全日本自治団体労働組合)、『チャレンジ! 市民の手でまちづくり』(共著、東京ランポ)、『わいわい実践本 こんな杉並に住みたいな』(共著、まちづくりに夢をつなぐ市民の会)、『安全と再生の都市づくり』(共著、学芸出版社)、『新時代の都市計画(第1巻)分権社会と都市計画』(共著、ぎょうせい)など。
根岸 一美(ねぎし かずみ、男性、1946年 - )は、日本… 根岸 一美(ねぎし かずみ、男性、1946年 - )は、日本の音楽学者、大阪大学名誉教授、元同志社大学任期付教授。 アントン・ブルックナーの研究を中心に、19世紀のドイツ・オーストリア音楽の歴史と美学研究を専門とする。また、関西(特に兵庫県宝塚市)における西洋音楽受容の研究の一環として、ブルックナーの作品を日本に紹介したオーストリアの指揮者、ヨーゼフ・ラスカについての調査・研究を行っている。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
花岡 文雄(はなおか ふみお、1946年 - )は、日本の生… 花岡 文雄(はなおか ふみお、1946年 - )は、日本の生物学者。 理化学研究所主任研究員・大阪大学細胞生体工学センター教授・大阪大学大学院生命機能研究科教授・学習院大学理学部教授・筑波大学生存ダイナミクス研究センターセンター長・国立遺伝学研究所所長を歴任。東京都豊島区出身。 (この間、1976年4月 ~ 1978年9月、米国ウィスコンシン大学マッカードル癌研究所博士研究員)
春山 明哲(はるやま めいてつ、1946年 - )は、日本の… 春山 明哲(はるやま めいてつ、1946年 - )は、日本の台湾学者。専門は、日本台湾関係史、植民地史。戴国煇の門下生。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学大学院工学研究科修士課程修了。国立国会図書館勤務を経て、早稲田大学地域・地域間研究機構台湾研究所客員上級研究員。日本台湾学会理事長。
伏見 諭(ふしみ さとし、1946年生まれ)は、日本の経営者… 伏見 諭(ふしみ さとし、1946年生まれ)は、日本の経営者・技術者。 1946年兵庫県生まれ。 東京大学理学部および東京大学経済学部を卒業し、東京大学大学院理学系研究科修了、理学修士の学位を取得。 父は物理学者で名古屋大学名誉教授・大阪大学名誉教授の伏見康治、兄は埼玉大学名誉教授の伏見譲。父・伏見康治、母・伏見満江 著作の「折り紙の幾何学」があり、姉と譲・諭兄弟が登場している。化学者の槌田龍太郎の子供、槌田敦・槌田劭兄弟の話も出てくる。 株式会社情報数理研究所取締役、株式会社 情報数理バイオ技術顧問のかたわら、ISO/IEC 15504 part1 editorを務めた。 国際規格、日本産業規格の制定に、情報処理学会情報規格調査会SC7/WG24主査, JISA技術委員会標準化委員会委員長,などとして貢献した。
船木 裕(ふなき ひろし、1946年 - )は、日本の、英語… 船木 裕(ふなき ひろし、1946年 - )は、日本の、英語文学およびロシア語文学の翻訳家である。東京都出まれ。東京大学卒業。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
星埜 由尚(ほしの よしひさ、1946年)は、日本の国土交通… 星埜 由尚(ほしの よしひさ、1946年)は、日本の国土交通技官。国土地理院長を務めた。 1973年東京大学大学院理学系研究科修了、建設省入省。2002年国土地理院長。2004年国土交通省退官。2009年度から2012年度まで日本地図学会会長を務めた。
茂木 和行(もぎ かずゆき、1946年 - )は、日本の作家… 茂木 和行(もぎ かずゆき、1946年 - )は、日本の作家。聖徳大学人文学部現代ビジネス学科教授。 東京大学理学部卒業。毎日新聞記者、サンデー毎日記者、ニューズウィーク日本版副編集長、フィガロジャポン編集長、生命誌研究館のサイエンスキュレーターを勤めた。 人類は「神の場」(X場)、を感じるようになった時に「ヒト」になるという考えを、宇宙と心と神を統合した理論として、第一部『無から生まれた宇宙』、第二部『心の量子力学』(未完)、第三部『幽霊と科学(書名:木から落ちた神さま)』の三部作で発表した。
山根 裕子(やまね ひろこ、1946年 - )は、日本の法学… 山根 裕子(やまね ひろこ、1946年 - )は、日本の法学者。彦根市元副市長。帝京大学法学部元教授。政策研究大学院大学(政策研究院)名誉教授。 国際経済法、競争法、EC法などを専門とし、知的財産権と医薬品アクセスの問題などの研究を行っている。 父は元衆議院議員の塩崎潤。妹に外交官の角崎利夫夫人でアジア防災センター主任研究員の角崎悦子、弟に衆議院議員・厚生労働大臣の塩崎恭久がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
吉田 光男(よしだ みつお、1946年 - )は、朝鮮史学者… 吉田 光男(よしだ みつお、1946年 - )は、朝鮮史学者、東京大学名誉教授、放送大学名誉教授・元副学長。 1946年、愛知県で生まれた。東京大学文学部東洋史学科で学び、1976年に卒業。同大学大学院人文科学研究科に進み、1982年に博士課程を単位修得退学。 その後は東京外国語大学助手に採用された。1985年に講師、1987年に助教授昇格。1993年、東京大学文学部助教授に転じた。1994年に教授昇格。2010年に東京大学を定年退任し、名誉教授となった。その後は放送大学教養学部教授として教鞭を執った。2011年、学位論文『近世ソウル都市社会研究:漢城の街と住民』を東京大学に提出して文学博士号を取得。
渡辺 浩(わたなべ ひろし、1946年〈昭和21年〉- )は… 渡辺 浩(わたなべ ひろし、1946年〈昭和21年〉- )は、日本の政治学者。法政大学名誉教授、東京大学名誉教授、日本学士院会員。専門は日本政治思想史、アジア政治思想史。丸山眞男に師事。 神奈川県横浜市生まれ。1969年、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。東京大学法学部助手、同助教授を経て、1983年より東京大学教授。同じ丸山眞男門下の松本三之介の後任として日本政治思想史講座を担当する。東京大学理事副学長、日本政治学会理事長などを経て、2010年、法政大学法学部教授。2017年定年、法政大学名誉教授。同年、日本学士院会員に選ばれる。2025年文化功労者選出 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
田中 賢(たなか まさる、1946年 - )は、日本の作曲家… 田中 賢(たなか まさる、1946年 - )は、日本の作曲家。 新潟県長岡市出身。東京音楽大学とベルリン国立芸術大学を卒業。作曲を南弘明、保科洋、尹伊桑に師事。ベルリン市立音楽学校講師を務める。その後東京家政大学・東京家政大学短期大学部講師となる。さらにフェリス女学院大学でソルフェージュを教えている。2001年より、出身県の一般バンド(市民楽団)の一つ、三条市吹奏楽団の常任指揮者を務める。 元札幌大谷大学芸術学部音楽学科教授。 作品は海外でも評価が高く、ガウデアムス国際作曲コンクールやシュトゥットガルト作曲コンクールで入賞している。なお、「メトセラ」の打楽器群をはじめとして、比較的高度な技術・アンサンブル力を要求される楽曲が多いのが特徴の一つである。
木崎 賢治(きさき けんじ、1946年 - )は、日本の音楽… 木崎 賢治(きさき けんじ、1946年 - )は、日本の音楽プロデューサー。(株)ブリッジ代表取締役。 東京都出身。東京外国語大学フランス語学科卒業。渡辺音楽出版出身で沢田研二や吉川晃司のプロデュースを手がけた。1986年よりフリー。1988年に個人事務所キーカンパニー、1994年に音楽出版社ブリッジを設立。今ではウソツキ、アイラブミーなどを手がげている。
中野 康司(なかの こうじ、1946年 - )は、日本のイギ… 中野 康司(なかの こうじ、1946年 - )は、日本のイギリス文学者・翻訳家。19世紀から20世紀のイギリス小説が専門。元青山学院大学教授。 小池滋の門下生、小池監修のちくま文庫版『シャーロック・ホームズ全集』の訳者の一員。ジェイン・オースティンの長編を全訳、E・M・フォースター作品も多く訳した。 神奈川県に生まれる。東京外国語大学卒業、旧・東京都立大学大学院博士課程中退。國學院大學文学部助教授、東京都立大学助教授、教授を経て青山学院大学教授。2012年退職。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長野 泰彦(ながの やすひこ 1946年 - )は、日本の言… 長野 泰彦(ながの やすひこ 1946年 - )は、日本の言語学者。専攻はチベット・ビルマ語派(特にチベット語とギャロン語)の歴史研究。国立民族学博物館名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。 埼玉県生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業後、東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。1980年にカリフォルニア大学バークレー校大学院(言語学)修了、1983年にPh.D.取得。東洋文庫研究員、カリフォルニア大学バークレー校講師、国立民族学博物館助教授を経て、1995年より同教授・副館長、2005-2008年人間文化研究機構理事、2008年より同民族文化研究部教授。2011年3月末をもって定年退職となり、同名誉教授。
山西 龍郎(やまにし たつお、1946年 - 2019年)は… 山西 龍郎(やまにし たつお、1946年 - 2019年)は、日本の思想史家。元東京都市大学教授。元日本ホルン協会副会長。元日本コルネット協会会長。芸術選奨新人賞受賞。 1969年東京外国語大学外国語学部ドイツ語科卒業。1975年一橋大学大学院社会学研究科修了、社会学修士。東京都市大学教授としてホルン研究を行い、著書『音のアルカディア 角笛の鳴り響くところ』で芸術選奨新人賞を受賞した。2015年定年退職。日本ホルン協会副会長、日本コルネット協会会長なども務めた。
李 復興(り ふっこう、リー・フーシン、1946年 - )は… 李 復興(り ふっこう、リー・フーシン、1946年 - )は、中華民国の政治家。立法院立法委員を経て、引退後台湾肥料公司(英語版)董事長を務めた。 高雄県生まれ。国立台中技術学院を経て、東京外国語大学卒業、文学士。東京学芸大学大学院修了、教育学修士。九州大学大学院中退。 高雄市議会議員を経て、2005年から立法院立法委員を務めたが、2012年に辞職し、同年から2016年まで台湾肥料公司(英語版)董事長を務めた。 中国国民党中央委員会委員、国立高雄師範大学講師、李氏協会理事長、中華民国水泳協会理事長、中華オリンピック委員会執行長なども歴任した。 この項目は、中国に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/PJ:中国)。
伊藤 滋(いとう しげる、1946年 - )は、日本の中国書… 伊藤 滋(いとう しげる、1946年 - )は、日本の中国書道学者・考古学者。 福井県に生まれる。東京学芸大学書道科卒業。同大学大学院社会科(東洋史)修了。中国書道史・碑法帖研究、碑法帖拓本の収集・鑑蔵を行う。1992年、陝西省博物館にて「木鶏室蔵歴代金石名拓展覧」、2002年、成田山書道美術館にて「黒白曼荼羅-木鶏室コレクションの金石碑法帖書画展-」を開く。東京学芸大学非常勤講師、岐阜女子大学特任教授を務めた。
荒木 正純(あらき まさずみ、1946年 - )は、日本の英… 荒木 正純(あらき まさずみ、1946年 - )は、日本の英文学・比較文学者、翻訳家。筑波大学名誉教授。 東京教育大学大学院博士課程中退。東京教育大学文学部助手、静岡大学講師を経て) 1973年に筑波大学助教授、のち教授。1995年、「ホモ・テキステュアリス」で筑波大学文学博士。2009年、定年退官、名誉教授、白百合女子大学教授。
魚住 和晃(うおずみ かずあき、1946年 - )は、日本の… 魚住 和晃(うおずみ かずあき、1946年 - )は、日本の書研究者。専門は書論、書跡学。神戸大学名誉教授。日中の書道史を研究した。筆跡鑑定学の第一人者であり、神戸連続児童殺傷事件の犯行声明文や一澤帆布工業の遺言書などの鑑定を手がけた。 三重県生まれ。東京教育大学芸術学科卒業。同大学院教育学研究科修士課程修了。1997年、大英博物館に10作品が収蔵された。2000年「張裕釗書法における理念形成と形象の研究」で神戸大学文学博士。神戸大学教育学部助教授、国際文化学研究科教授。2010年定年退任、名誉教授、天津大学客員教授。
松倉 公憲(まつくら ゆきのり、1946年 - )は、日本の… 松倉 公憲(まつくら ゆきのり、1946年 - )は、日本の地理学者。専門は地形学。筑波大学名誉教授。元日本地形学連合会長。理学博士。 青森県八戸市出身。1969年東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒業。1971年東京教育大学大学院理学研究科地理学修士課程修了。1972年東京教育大学理学部地学科専攻生修了。1976年東京教育大学大学院理学研究科地理学専攻博士課程修了、理学博士、東京教育理学部大学助手、筑波大学地球科学助手併任。1977年筑波大学地球科学系助手。1981年筑波大学地球科学系講師。1988年筑波大学地球科学系助教授。1997年筑波大学地球科学系教授。2004年日本地理学会理事。2009年日本地形学連合会長。
一ノ関 佑子(いちのせき ゆうこ、1946年 - )は、日本… 一ノ関 佑子(いちのせき ゆうこ、1946年 - )は、日本のソプラノ声楽家。指揮者小林研一郎の妹で、演奏会で共演をすることがある。ピアニスト小林亜矢乃は姪。義妹(夫の妹)は漫画家の大和和紀である。
奥山 民枝(おくやま たみえ、1946年 - )は、日本の画… 奥山 民枝(おくやま たみえ、1946年 - )は、日本の画家、芸術家である。 大学卒業後、独学で油絵や日本画などの絵画制作を始めた。 20代から欧州、北南米、インドネシアなど世界各地を旅した。初期作品から一貫して自然のなかに潜む生命力やエロティシズムに着目し、山、雲、太陽などのモティーフを描き続けている。 1992年、「山夢」で第35回安井賞を受賞した。 戦時疎開先の新潟県高田市寺町(現・上越市寺町)で生まれ、その後東京に転居した。 1965年、東京芸術大学美術学部工芸デザイン科に入学。在学中の1966年、現代演劇協会ホール「令嬢ジュリー」舞台壁画制作、草月会館「ジョン・シルバー」舞台装置制作を手掛けた。
黒川晃彦(くろかわ あきひこ、1946年 - )は、日本の彫… 黒川晃彦(くろかわ あきひこ、1946年 - )は、日本の彫刻家。1980年頃より写真を始めている。 彫刻の大半は楽器を手にした野外彫刻(ブロンズ)で、人との関係を大切にして、人々の生活の場に置かれている。1989年には初めて”人物とベンチを組み合わせた”「プリーズ・リクエスト」を発表し、具象彫刻の可能性を開いたとして「横浜美術館長賞」を受賞した。その後、トランペット、アルトサックス、フルートの三人の奏者が三重奏を川岸いっぱいに響かせている「リバーサイド・トリオ」などミュージシャンとペンチを組み合わせた野外彫刻(ブロンズ)を次々と発表。「彫刻は人が参加することで完成する」との信条の元に創られた”風景の中に溶け込み、行き交う人とコミュニケーションし、自然そのもののように存在してする”ちゃめっけのあるユニークな人物”や”猫”の彫刻が人々の心に安らぎを与えている。
石井 勢津子(いしい せつこ、1946年 - )は、日本のホ… 石井 勢津子(いしい せつこ、1946年 - )は、日本のホログラフィーアーティスト。日本のみならず、世界においてもホログラフィーの第一人者とされる。 1970年東京工業大学理学部応用物理学科卒業。1974年創形美術学校造形科卒後、1975年までパリ国立美術学校へ留学。1977年ホログラムに出会い、1981年にかけて東京工業大学の辻内順平教授の研究室で研究生として学ぶ。 平行して1980・1982・1985年ニューヨークのホログラフィー美術館にてアーティスト・イン・レジデンス、1981年に文化庁芸術家在外研修員、マサチューセッツ工科大学高等視覚研究所客員研究員。1987年に創形美術学校]パリ国際芸術家会館派遣員。
西郷 和彦(さいごう かずひこ、1946年 - ) は、日本… 西郷 和彦(さいごう かずひこ、1946年 - ) は、日本の化学者。東京大学名誉教授。東京大学附属図書館長、国立大学図書館協会会長、高知工科大学副学長などを歴任した。 愛知県生まれ。1969年東京工業大学理工学部化学科卒業、大日本インキ化学工業入社。1972年東京工業大学理学部助手。1973年東京大学理学部助手。1976年東京工業大学理学博士。 1976年埼玉大学工学部講師。同年埼玉大学工学部助教授。1979年から80年までフランス国立科学研究センター客員研究員(ジャン=マリー・レーン研究室)。 1982年東京大学工学部助教授。1993年東京大学工学部教授。1995年東京大学大学院工学系研究科教授。
酒井 英行(さかい ひでゆき、1946年 - ) は、日本の… 酒井 英行(さかい ひでゆき、1946年 - ) は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。元東京大学大学院理学系研究科副研究科長。 1969年東北大学工学部原子核工学科卒業。1971年東京工業大学大学院理工学研究科物理学専攻修士課程修了。1972年東京工業大学大学院理工学研究科物理学専攻博士課程退学、大阪大学核物理研究センター助手。 1986年大阪大学核物理研究センター助教授。1989年東京大学理学部助教授。1995年東京大学大学院理学系研究科教授。2003年日本物理学会理事。2006年東京大学大学院理学系研究科副研究科長。2010年理化学研究所仁科加速器センター共用促進・産業連携部部長、東京大学名誉教授。
永田 和宏(ながた かずひろ、1946年 - )は、日本の冶… 永田 和宏(ながた かずひろ、1946年 - )は、日本の冶金学者。工学博士、東京工業大学名誉教授。専門分野は、鉄冶金学、熱力学など。 たたら製鉄や古代製鉄技術の研究で知られ、たたら製鉄を簡易的に再現できる「永田式たたら」を考案した。 1946年、岐阜県益田郡金山町(現在は下呂市)生まれ。 1969年、東京工業大学工学部金属工学科卒業、1975年同大学院理工学研究科博士課程修了、工学博士。 1976年、ベネズエラ国立科学研究所(英語版) (IVIC) 主任研究員。1978年より東京工業大学技官、助手・助教授を経て、1992年より東京工業大学教授。この間、1982年にマサチューセッツ工科大学(MIT)客員助教授も務めた。
岡部 信彦(おかべ のぶひこ、1946年- )は、日本の医師… 岡部 信彦(おかべ のぶひこ、1946年- )は、日本の医師・医学者(小児科学)・国際公務員。学位は医学士(東京慈恵会医科大学医学部・1971年)。 川崎市健康安全研究所・所長。厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード・構成員。新型インフルエンザ等対策閣僚会議新型インフルエンザ等対策有識者会議・会長代理 兼 新型コロナウイルス感染症対策分科会・委員。内閣官房参与(感染症対策担当)。WHO Pandemic Influenza Preparedness Advisory Group 委員、WHO 西太平洋地域事務局ポリオ根絶監視委員会(副議長)を歴任。 東京慈恵会医科大学附属病院研修医、帝京大学医学部助手、神奈川県立厚木病院小児科医師、東京都立北療育園小児科医師、ヴァンダービルト大学医学部研究員、国立小児病院感染科医員、神奈川県立衛生看護専門学校附属病院小児科部長、世界保健機関西太平洋地域事務局伝染性疾患予防対策課課長、東京慈恵会医科大学医学部助教授、国立感染症研究所感染症情報センターセンター長、日本ワクチン学会理事長などを歴任した。
岩本 絹子(いわもと きぬこ、1946年〈昭和21年〉ないし… 岩本 絹子(いわもと きぬこ、1946年〈昭和21年〉ないし1947年〈昭和22年〉 - )は、日本の医学者(医学博士)、産婦人科医。学校法人東京女子医科大学理事長を務めた。 佐賀県唐津市出身。1973年(昭和48年)に東京女子医科大学を卒業し、産婦人科に入局。1977年(昭和52年)に東京女子医科大学大学院を修了し、学位論文『母児感染における新生児大腸菌感染症の発現機序に関する細菌学的研究』により医学博士を取得した。 1979年(昭和54年)に葛西中央病院産婦人科部長となった後、1981年(昭和56年)に葛西産婦人科を開業して院長となり、2024年(令和6年)3月までその任にあった。 東京女子医科大学の同窓会組織である「至誠会」の活動に関わり、1992年(平成4年)に社団法人至誠会理事、2004年(平成16年)に副会長を経て、2013年(平成25年)に一般社団法人至誠会会長に就任した。
齊藤 博(さいとう ひろし、1946年 - )は、東京都出身… 齊藤 博(さいとう ひろし、1946年 - )は、東京都出身の建築家・都市プランナー・都市計画コンサルタント・まちづくりコンサルタント。
西田 勝彦(にしだ かつひこ、1946年 - 2018年)は… 西田 勝彦(にしだ かつひこ、1946年 - 2018年)は日本の建築家。槇総合計画事務所出身。神奈川県出身。武蔵工業大学(現東京都市大学)建築学科卒業。1990年株式会社ヘルム設立。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
井上 剛宏(いのうえ たかひろ、1946年 - )は、日本の… 井上 剛宏(いのうえ たかひろ、1946年 - )は、日本の造園家。作庭家。これまで数多くの日本庭園を手がけてきた。日本各地および海外にて作庭活動を展開する傍ら、講演や作庭解説、指導、評論等も精力的に展開。 株式会社植芳造園代表取締役。東京農業大学客員教授、京都府立林業大学校特別教授。(社)日本造園学会・評議員。京都造形芸術大学、淡路景観園芸学校、札幌市立大学非常勤講師、京都府造園協同組合・理事長、京都府造園建設業協会長を歴任。 1984年、建設大臣最優秀賞受賞。1995年、東京農大造園大賞、第11回都市公園コンクール建設大臣賞受賞。2004年、黄綬褒章受賞。2002年、国土交通大臣賞受賞。[要説明] 商号を「植芳」とする京都の老舗造園師井上家の20代目の長男として、京都市太秦に生まれる。
佐藤 修一(さとう しゅういち、1946年(昭和21年) -… 佐藤 修一(さとう しゅういち、1946年(昭和21年) - )は日本の数学者、数学教師。国立鶴岡工業高等専門学校教授。 1946年(昭和21年):山形県に生まれる。1970年(昭和45年):東京理科大学大学院修士課程(数学専攻)修了。国立鶴岡工業高等専門学校教授。担当は数学、応用数学。コンピュータにも詳しい。フィボナッチ数、符号理論などの研究もおこなっている。
中西 繁(なかにし しげる、1946年(昭和21年) - )… 中西 繁(なかにし しげる、1946年(昭和21年) - )は、洋画家。東京都生まれ。 大学卒業後は建築家になり、数々の設計を手掛ける一方、1990年現代洋画精鋭選抜展で金賞受賞後、「一枚の絵銀座美術館」で開いた個展「哀愁のパリ」で画壇にデビュー。日本の詩情を描いた「古都の旅」、マンハッタンの街角を描く「ニューヨーク・ニューヨーク」、「巴里の空の下で」「北欧・冬の旅」「逸楽と憂愁のプラハ」「光の廻廊」「懐かしのリスボア」「イベリア半島の旅」「エーゲ海の旅」「地中海の旅」「哀愁の巴里」など、ヨーロッパ各地を旅しながら毎年個展で発表。 2000年5月に建築設計の職を辞し、画家一本になる。 2004年9月から2年間パリ留学し、フランス国立美術学校(エコール・デ・ボザール)で学んだ。
林 信夫(はやし のぶお、1946年- )は大阪府生まれの編… 林 信夫(はやし のぶお、1946年- )は大阪府生まれの編集者、イベント・プロデューサー。 「21世紀ディレクターズユニオン」代表。「日本コナモン協会」理事。 大学在学中の1971年、「プレイガイドジャーナル」に参加。1972年に同志社大学文学部国文学科卒業。同年に二代目編集長となり、1976年までつとめる。 主に演芸欄を担当。香川登志緒に目をかけられて「同時代芸人」という連載を行い、まだ無名の笑福亭鶴瓶にインタビューするなどした。 また、劇団黒テント、つかこうへい劇団、東京ヴォードヴィルショーなどの演劇公演、映画『ガキ帝国』(井筒和幸監督)『唐獅子株式会社』(監督曽根中生)のプロデューサーとしても活動。
森下 次郎(もりした じろう、1946年ないし1947年 -… 森下 次郎(もりした じろう、1946年ないし1947年 - )は、日本のラジオ番組プロデューサー、フォークシンガー(第2次ジローズのメンバー)。ラジオ関西の専務取締役を務める。本名は森下 悦伸(もりした よしのぶ)。愛称はジンタン(森下仁丹より)。同志社大学卒業。 杉田二郎に誘われ、1970年に第2次「ジローズ」を結成。3人が名前に「ジロー」がついている初代「ジローズ」とは違い、「森下次郎」の芸名は半ば強引につけられた。また当初から、半年間の活動後は大学に戻るという条件付きだった。その後翌年発売した「戦争を知らない子供たち」がヒットし、半年の予定が2年間に延びて1972年ジローズは解散した。杉田二郎はソロとなり、森下は芸能活動を引退し大学卒業後ラジオ関西に入社。
矢谷 暢一郎(やたに ちょういちろう、1946年 - )は、… 矢谷 暢一郎(やたに ちょういちろう、1946年 - )は、心理学者、。島根県隠岐の島出身。 同志社大学・ユタ州立大学・オレゴン州立大学(修士)・ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校(博士:心理学)などに在学。同志社大学在学中の1960年代後半、学友会中央執行委員長としてベトナム反戦デモの指揮をとった。 ニューヨーク州立大学教授を経て、ニューヨーク州立アルフレッド工科大学教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山本 泰夫(やまもと やすお、1946年 - )は、日本のジ… 山本 泰夫(やまもと やすお、1946年 - )は、日本のジャーナリスト。産経新聞出版代表取締役社長。東京都生まれ。 1971年同志社大学卒業、産経新聞社に入社。1994年編集局整理部長。1999年編集局局次長。2002年大阪本社写真報道局局長。2004年から現職。 1988年のリクルート事件報道の際、新聞に用いた“見出し”「ふつうは“汚職”と申します」が大きな話題を呼び、同年の新語・流行語大賞(特別賞部門・報道傑作賞)を受賞している。 ほか共編著、発行本多数