佐藤 嘉恭(さとう よしやす、1934年9月27日 - 20… 佐藤 嘉恭(さとう よしやす、1934年9月27日 - 2022年9月6日)は、日本の外交官。外務省大臣官房長、駐中華人民共和国特命全権大使などを務めた。 1984年多忙で体調不良のため医師の進言で在アメリカ合衆国日本国大使館公使に異動。帰国後、外務省経済局長、大臣官房長を経て、1992年には外務審議官に起用されるはずだったが、大学の先輩にあたる当時の渡辺美智雄外務大臣兼副総理が大臣官房長留任を希望し、松浦晃一郎が代わりに外務審議官に就いた。クリスチャン。
足木 敏郎(あしき としろう、1934年9月27日 - )は… 足木 敏郎(あしき としろう、1934年9月27日 - )は、愛知県宝飯郡一宮村(現:豊川市)出身の元プロ野球選手。
守屋 克彦(もりや かつひこ、1934年9月26日 - 20… 守屋 克彦(もりや かつひこ、1934年9月26日 - 2018年11月1日)は、日本の元裁判官・弁護士・法学者。専攻は、刑事訴訟法・少年法。東北学院大学教授。元仙台高等裁判所秋田支部長。東北大学で鴨良弼に師事。菊田クリミノロジー賞受賞。
牧 伸二(まき しんじ、本名:大井 守常〈おおい もりつね〉… 牧 伸二(まき しんじ、本名:大井 守常〈おおい もりつね〉、1934年9月26日 - 2013年4月29日)は、日本のウクレレ漫談家、司会者。牧プロダクション所属。東京演芸協会第6代会長。 ハワイアンをアレンジした曲に、「やんなっちゃった」などのフレーズで社会批評を乗せて歌う、ウクレレ漫談の創始者。ギターに持ち替えたこともある。ベテランになってからもレゲエやロックンロールに挑戦した。弟子に泉ピン子、牧ひろし(現・所属事務所社長)、牧田博(牧野周一一門。弟弟子)、牧タカシ、牧のぼる、牧正、藤井康一(牧伸三)らがいる。 東京都目黒区で板金屋の5人兄姉の末っ子として出生し、間もなく向島に転居。戦時中は岩手県の寺に疎開、中学の1年後輩に立川談志がいる。
林 秀彦(はやし ひでひこ、1934年〈昭和9年〉9月26日… 林 秀彦(はやし ひでひこ、1934年〈昭和9年〉9月26日 - 2010年〈平成22年〉11月19日)は、日本の脚本家。 東京府に生まれる。父は随筆家の林謙一。学習院高等科を卒業後、インド洋経由で渡欧する途中、イエメンで悪漢の集団に拉致され、砂漠で殺されそうになったが「俺は空手の達人だ。俺を殺すならお前らのうちの一人を殺してやる」とブラフをかけて解放され、危うく一命を取り留めた体験談を、伊丹十三が『小説より奇なり』の中で文章化している。ドイツのザール大学、フランスのモンペリエ大学に留学し、哲学を専攻する。松山善三に師事し、映画やテレビの脚本を執筆。 3度結婚しており、最初の妻との間の子は作曲家の林魏堂、1974年には女優の冨士真奈美と結婚し、一児(岩崎リズ)を儲けるも1984年に離婚。
鈴木 良(すずき りょう、1934年9月25日 - 2015… 鈴木 良(すずき りょう、1934年9月25日 - 2015年2月16日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史・部落問題など。立命館大学教授、部落問題研究所理事、国民融合をめざす部落問題全国会議代表などを務めた。主な著書に『近代日本部落問題研究序説』、『水平社創立の研究』がある。 1934年、神奈川県川崎市に生まれる。1945年の敗戦時に国民学校5年生、1947年の新制中学校の発足の時に中学校1年生であった。明治学院中学校、神奈川県立川崎高等学校を経て、1953年に京都大学文学部に入学する。同級生には、石躍胤央(のち徳島大学教授)、大山喬平(のち京都大学教授)、河音能平(のち大阪市立大学教授)、芝原拓自(のち大阪大学教授)、中野玄三(のち嵯峨美術短期大学教授)、ひろたまさき(のち大阪大学教授)、安丸良夫(のち一橋大学教授)らがいた。
海渡 英祐(かいと えいすけ、1934年9月24日 -)は、… 海渡 英祐(かいと えいすけ、1934年9月24日 -)は、日本の小説家・推理作家。日本推理作家協会現会員。本名広江純一。筆名は「成吉思汗=源義経」(海を渡った英雄)にちなむ。 1934年、東京市(現東京都)目黒区に生まれる。少年時代を満洲で過ごし、1946年に引き揚げて青森市に居住。青森県立青森高等学校では寺山修司、沢田教一と同級生。東京大学法学部卒業後、推理小説家の高木彬光の『成吉思汗の秘密』執筆を手伝い、アルバイトで資料収集や原稿整理を助けたことから推理作家志望となる。 その後、初の自作小説『極東特派員』を1961年に刊行した。1967年には森鷗外やビスマルクなどを交え展開する殺人事件を描いた本格推理小説『伯林―一八八八年』で第13回江戸川乱歩賞を受賞する。
清水 湛(しみず あつし、1934年(昭和9年)9月24日 … 清水 湛(しみず あつし、1934年(昭和9年)9月24日 - 2024年11月13日)は、日本の裁判官。弁護士(笠井総合法律事務所)。位階は正三位。元広島高等裁判所長官。山梨県出身。
筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24… 筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24日 - )は、日本の小説家、劇作家、俳優。ホリプロ所属。身長166cm。大阪府大阪市出身。日本芸術院会員。 大阪市に生まれた。天王寺動物園長だった父の影響を受け、幼い頃から博物的な世界に憧れを持つ。同志社大学に入学し、美学・美術史を専攻。 1965年に東京に転居し、本格的な作家活動を展開、第一短編集『東海道戦争』(1965年)を刊行した。同年、『時をかける少女』『48億の妄想』では、現実と非現実をつなぐ幻想のリアリズムによる、無気味なナンセンスSFのジャンルを開拓。『ベトナム観光会社』(1967年)と『アフリカの爆弾』(1968年)で直木賞候補となる。
木村 保(きむら たもつ、1934年9月24日 - 2005… 木村 保(きむら たもつ、1934年9月24日 - 2005年3月1日)は、大阪府出身のプロ野球選手(投手・外野手)・コーチ。
中川 剛(なかがわ ごう、1934年9月24日 - 1995… 中川 剛(なかがわ ごう、1934年9月24日 - 1995年2月12日)は日本の憲法学者、行政法学者、行政学者、小説家。 大連生まれ。1957年に京都大学法学部を卒業。同大学院公法科修了、68年「権力分立制の変貌」で法学博士。大阪府立大学講師、1967年広島大学法学部助教授、教授。行政法学者の中川丈久は息子。 表現の自由は、他の諸権利・自由に優越する価値を有さないとする説を唱えた(「表現の自由の経済的価値(上)(下)」『書斎の窓』1985年11月号・12月号)。これに反対する代表的な論者として奥平康弘がいる(「なぜ「表現の自由」か」東京大学出版会1988)。 中川 裕朗(なかがわ ゆうろう)名義で小説を執筆した。
熊切 圭介(くまきり けいすけ、1934年9月24日 - 2… 熊切 圭介(くまきり けいすけ、1934年9月24日 - 2020年11月27日)は、日本の写真家。本名は奎介。 2015年〜2019年日本写真家協会会長。長男は同じく写真家の熊切大輔。 東京都下谷西町出身。1958年日本大学芸術学部写真学科卒業。丹野章に師事。報道写真を中心に、美術全集収録の写真撮影などにもたずさわる。 三重県名張市でおきた名張毒ぶどう酒事件の遺児を記録した「母なき新入生」で、1961年講談社三賞の写真賞。 のちにフリーランスの写真家として週刊誌を中心に月刊誌、グラフ誌など主にジャーナリズムの分野で活動する。同時に単行本、美術全集等の撮影を行う。写真集に「東南アジア鉄の旅」など。
保利 耕輔(ほり こうすけ、1934年9月23日 - )は、… 保利 耕輔(ほり こうすけ、1934年9月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。
森谷 尅久(もりや かつひさ、1934年9月23日- 201… 森谷 尅久(もりや かつひさ、1934年9月23日- 2019年10月2日)は、日本史学者、武庫川女子大学名誉教授。 京都市出身。1957年立命館大学文学部卒、64年同大学院文学研究科修士課程修了。大津市史編纂委員、京都市史編纂所員、京都大学人文科学研究所講師、1982年京都市歴史資料館初代館長。武庫川女子大学教授、2005年定年、名誉教授。京都文化に関する著作多数。
金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 19… 金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 1999年7月2日)は日本の映画作家、評論家、写真家。 東京都生まれ。祖父はうなぎ屋だが、父親は家業を継がず家を貸して不動産収入で遊食していた。足立区立千住小学校から旧制東京都立江北中学校に入学、学制改革を経て、1952年、東京都立江北高等学校卒業。同校在学中は美術部に籍を置き、英語が得意で、成績は学年400人中1番から2番で通していた。東京大学に落ちて1浪で早稲田大学と慶應義塾大学文学部に合格し、後者に入学、1957年、同英米文学科卒業。松竹映画国際部に社長(城戸四郎)付きの通訳として籍を置き、ハーヴァード大学の国際セミナーに参加するうちに米国のアングラ映画作家と知り合い、松竹を休職中にフルブライト基金を受けて渡米、ノースウェスタン大学に1年間留学。
阿部 昭(あべ あきら、1934年9月22日 - 1989年… 阿部 昭(あべ あきら、1934年9月22日 - 1989年5月19日)は、日本の小説家・元テレビディレクター。 父は海軍職業軍人。東京大学文学部仏文科卒。ラジオ東京(現・TBS)で番組制作に従事しながら創作をはじめた。 『子供部屋』により『文学界』新人賞受賞。私小説的な短編を得意とし、「内向の世代」の代表作家として活躍した。 大日本帝国海軍の将校、阿部信夫(本籍は愛知県)の息子として広島県広島市白島(現中区白島)に生まれ、父の転勤に伴い、1935年春から神奈川県藤沢市鵠沼に育つ。 1935年12月に、市内の鵠沼海岸下鰯に転居。1939年、片瀬乃木幼稚園(現在の湘南白百合学園幼稚園)に入園。1941年、藤沢第一国民学校(現在の藤沢市立藤沢小学校)に入学。
後藤 舜吉(ごとう しゅんきち、1934年9月21日 - 2… 後藤 舜吉(ごとう しゅんきち、1934年9月21日 - 2022年8月16日)は、日本の実業家。チッソ代表取締役社長、同取締役会長、JNC代表取締役会長などを歴任した。 岐阜県出身。東京大学法学部卒業。1957年(昭和32年)4月、チッソに就職。1979年(昭和54年)6月、取締役に就任。 1993年(平成5年)6月、代表取締役社長に就任。2003年(平成15年)6月、取締役会長に就任。 2011年(平成23年)1月12日、チッソは、水俣病補償業務以外の事業を行う子会社、JNC株式会社を設立。後藤は同社の代表取締役会長に就任した。同年6月、同社の取締役最高顧問に就任。 2013年(平成25年)7月13日放映の『戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第2回 水俣 戦後復興から公害へ』(Eテレ)に出演。
末吉 興一(すえよし こういち、1934年(昭和9年)9月2… 末吉 興一(すえよし こういち、1934年(昭和9年)9月20日 - 2025年(令和7年)12月14日)は、日本の元政治家・官僚。国土庁土地局長を経て、北九州市長を1987年から2007年まで5期20年の長期にわたり務める。同市長を引退後は、外務省参与、内閣官房参与、財務省参与を歴任した。 2009年6月から2018年6月まで、アジア成長研究所(本部:北九州市小倉北区)理事長を務める。後に同研究所名誉理事長。 1934年(昭和9年)、兵庫県西宮市生まれ。本籍は小倉市(現:北九州市)。小学校時代の1945年(昭和20年)8月に第二次世界大戦の終結を経験したとき「世の中に絶対というものはない」と感じたという。
坂口 允彦(さかぐち のぶひこ、昭和9年(1934年)9月2… 坂口 允彦(さかぐち のぶひこ、昭和9年(1934年)9月20日 - )は日本の実業家。元山陰石油代表取締役社長。 坂口合名会社・代表社員会長坂口平兵衛 (2代)の次男。山陰石油代表取締役社長坂口元昭の父。 昭和27年(1952年)米子西高校卒業。昭和31年(1956年)慶應義塾大学経済学部卒業、同年丸善石油勤務。 昭和35年(1960年)山陰石油勤務。昭和44年(1969年)同社代表取締役。 昭和48年(1973年)山陰ユアサ電池を設立、代表取締役社長。 趣味はゴルフ。住所は米子市角盤町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大家 重夫(おおいえ しげお、1934年9月19日 - 20… 大家 重夫(おおいえ しげお、1934年9月19日 - 2025年1月21日)は、日本の文部官僚・法学者。久留米大学名誉教授。 北九州市小倉北区出身。1953年福岡県立小倉高等学校卒業。1958年京都大学法学部卒業。 1960年11月16日文部省管理局振興課へ入り、1963年体育局学校給食課。1965年から2年間、総理府審議室・内閣審議室に出向し、「建国記念の日」制定、明治100年記念事業等に従事した。ユネスコ国内委員会教育課、名古屋大学庶務課長を経て、1970年文化庁著作権課長補佐。1974年文化庁庶務課課長補佐、1977年文化庁著作権課著作権調査官。1979年から3年間、内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議事務局員を命ぜられ、難民への日本語教育を担当した。
麻生 俊介(あそう しゅんすけ、1934年 <昭和9年> 9… 麻生 俊介(あそう しゅんすけ、1934年 <昭和9年> 9月19日 - 2018年 <平成30年> 2月20日)は、日本の経営者。伊予銀行頭取を務めた。位階は正五位。 愛媛県出身。1958年に松山商科大学商経学部を卒業し、同年に伊予銀行に入行した。1987年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1998年6月には頭取に就任。2005年6月に会長に就任。 2005年11月に旭日中綬章を受章。 2018年2月20日、心不全のために死去。83歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山元 護久(やまもと もりひさ、1934年〈昭和9年〉9月1… 山元 護久(やまもと もりひさ、1934年〈昭和9年〉9月19日 - 1978年〈昭和53年〉4月22日)は、京都府出身の放送作家、児童文学者。 日本画家の山元桜月の私生児として京都に生まれる。早稲田大学第一文学部独文科在学中から、早大童話会より改名した少年文学会に所属。同会からの派生団体では『小さい仲間』のほか、小沢正と創刊した童話研究誌『ぷう』に参加。 早稲田大学卒業後放送作家となり、童話や絵本、子供向けテレビ番組で活躍。特に井上ひさしとの共作『ひょっこりひょうたん島』が人気を呼んだ。 1976年4月から『おかあさんといっしょ』の人形劇『ゴロンタ劇場』の原作・脚本を担当していた。しかし、放送期間中の1978年4月22日、仕事の打ち合わせ中に脳出血で43歳で急逝。
加戸 守行(かと もりゆき、1934年(昭和9年)9月18日… 加戸 守行(かと もりゆき、1934年(昭和9年)9月18日 - 2020年(令和2年)3月21日)は、日本の政治家。元愛媛県知事(第14 - 16代)、元文部官僚、「美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会」実行委員長、日本会議愛媛県本部相談役。 関東州大連市に生まれる。愛媛県立八幡浜高等学校、東京大学法学部を1957年に卒業し、文部省(現:文部科学省)に入省[要出典]。 その後、1970年7月から1974年6月まで文化庁著作権課長として著作権法施行令及び同法施行規則を立案、ベルヌ・万国両条約パリ改正会議など著作権関係国際会議に8回出席している。1983年6月、文化庁文化部長。1983年10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させた。
大山 綱明(おおやま つなあき、1934年9月17日 - 2… 大山 綱明(おおやま つなあき、1934年9月17日 - 2024年6月9日)は、日本の大蔵官僚。大臣官房審議官(主税局担当)、関税局長、農用地整備公団副理事長、サントリー副社長、全国清涼飲料連合会会長、公益財団法人日本関税協会理事長などを務めた。 鹿児島県出身。都立戸山高校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1957年 大蔵省入省(主計局法規課)。1964年7月 藤沢税務署長。外務省在ニューヨーク日本総領事館領事の後、1971年7月 銀行局銀行課長補佐(総括・都市銀行等)。1973年7月 国際金融局総務課長補佐(総括)。1974年7月 国税庁長官官房参事官。1975年7月 主税局主税企画官。
梶野 啓(かじの ひろむ、1934年9月17日 - )は、ド… 梶野 啓(かじの ひろむ、1934年9月17日 - )は、ドイツ文学者、奈良女子大学名誉教授。筆名・梶野 玲王。京都市生まれ。 1958年京都大学文学部独文科卒、1960年同大学院修士課程修了、大阪工業大学教養部助手、1963年奈良女子大学文学部講師、69年助教授、85年教授。97年定年退官、名誉教授、四国学院大学教授。1962年日本ゲーテ協会会長賞受賞。1975-76年西ドイツ・ボン大学に学ぶ。
大久保 利泰(おおくぼ としひろ、1934年(昭和9年)9月… 大久保 利泰(おおくぼ としひろ、1934年(昭和9年)9月17日 - )は、日本の歴史学者。 大久保利謙の長男。大久保利通、近藤廉平の曾孫。医師・大久保利晃は従弟。 東京府生まれ。利通以降の大久保家5代当主(曾祖父・利通→大伯父・利和→祖父・利武→父・利謙→利泰)。慶應義塾大学文学部・経済学部卒業。1960年(昭和35年)から1994年(平成6年)まで横浜ゴム株式会社勤務。定年退職後、1997年(平成9年)から社団法人霞会館理事、常務理事。2013年(平成25年)から霞会館顧問。
中沢 健次(なかざわ けんじ、中澤 健次、1934年(昭和9… 中沢 健次(なかざわ けんじ、中澤 健次、1934年(昭和9年)9月15日 - 2019年(令和元年)12月11日)は、日本の政治家。位階は従四位。衆議院議員を4期務めた。 北海道夕張市に生まれる。夕張市立若葉小学校、夕張市立千代田中学校を経て、1953年、北海道夕張北高等学校卒業。夕張市職員労働組合書記長より全日本自治団体労働組合道本部書記長、同副委員長を経て、1986年の第38回衆議院議員総選挙に岡田春夫の後継として日本社会党公認で旧北海道第4区から立候補し初当選(同じ区の社会党現職池端清一や田中派新人鳩山由紀夫も当選)。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で再選(同じ区の民社党新人小平忠正も当選)。
大木 護(おおき まもる、1934年9月15日 - )は、静… 大木 護(おおき まもる、1934年9月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。 富士高校から1954年に高橋ユニオンズへ入団。 1957年に球団吸収合併のため大映ユニオンズへ移籍し、同年引退。 長打力に期待されながら公式戦では1本も本塁打を打てなかったが、ユニオンズが解散する直前の東映フライヤーズとのオープン戦では本塁打を打っている。と同時にこれが非公式ではあるが「ユニオンズ最後の本塁打」であった。
的場 順三(まとば じゅんぞう、1934年9月15日 - )… 的場 順三(まとば じゅんぞう、1934年9月15日 - )は、日本の大蔵・国土官僚。滋賀県出身。血液型はB型。第1次安倍内閣の内閣官房副長官(事務担当)を務めた。 大津市立皇子山中学校、滋賀県立大津東高等学校(現滋賀県立膳所高等学校)を経て、1957年 京都大学経済学部卒業後、大蔵省に入省(主計局総務課に配属)。同期に保田博(初代国際協力銀行総裁、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長)、内海孚(財務官、国際金融局長、在米国大使館公使)、森田一、藤田恒郎ら。 1962年7月 大臣官房調査課調査第二係長。1964年7月 伊勢崎税務署長。1973年7月 熊本県企画開発部長。主計局主計企画官(調整担当)、主計局調査課長、主計局主計官(文部、科学技術、文化担当)、主計局主計官(農林水産担当)、主計局総務課長などを経て、1982年6月 東京税関長。
青木 行義(あおき ゆきよし 1934年9月15日 - 19… 青木 行義(あおき ゆきよし 1934年9月15日 - 1996年4月19日)は、日本の競泳選手。種目は自由形。熊本県出身。 熊本県立鹿本高等学校在学中の1952年のヘルシンキオリンピックの1500m自由形では19分27秒0で予選敗退、日本大学に在学中の1956年のメルボルンオリンピック1500m自由形では18分38秒3で7位となった。 また1954年アジア競技大会1500m自由形では金メダルを獲得した。 菊鹿町の名誉町民となっている。1996年、61歳で死去した。 1972年ミュンヘンオリンピックの女子100mバタフライで金メダルを獲得した青木まゆみはいとこにあたる。
新井 彬之(あらい よしゆき、1934年9月15日 - 20… 新井 彬之(あらい よしゆき、1934年9月15日 - 2017年3月7日)は、日本の政治家。公明党所属の衆議院議員(6期)。 静岡県榛原郡川崎町(現在の牧之原市)出身。1957年関西大学法学部卒。神戸市議を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙に兵庫4区から公明党公認で立候補して当選、6期務めた。党内では建設部会長、兵庫県本部副本部長、中央委員を務める。1990年の第39回衆議院議員総選挙に立候補せず、政界から引退した。 2017年3月7日、肺がんのため、死去した。82歳没。
冨長 覚梁(とみなが かくりょう、1934年9月15日 -2… 冨長 覚梁(とみなが かくりょう、1934年9月15日 -2024年4月1日 )は、日本の詩人、浄土真宗僧侶。長願寺住職。 岐阜県養老町生まれ。岐阜大学卒。2002年「そして秘儀そして」で第35回日本詩人クラブ賞受賞。2009年度岐阜県芸術文化顕彰受賞。2023年地域文化功労者。愛情に満ちた心温まる「愛の詩」審査委員長。代々養老町の文人で、曾祖父は冨長覚民、祖父は冨長静丸(覚静、1865-1930)で広瀬淡窓の門に学び県議会議員も務めた。父は冨長蝶如、真宗大谷派長願寺の御住職であり、1956年から3年かけて完結に導いた『梁川星巌全集』編集の功労者にして、岐阜に限らぬ広く東海地方全域の旧世代知識人の師表として仰がれた漢詩人であってみれば。
原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 20… 原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 2012年6月11日) は、日本の医師。学位は医学博士。 鹿児島県さつま町出身。ラ・サール高等学校、熊本大学医学部卒業。 熊本大学医学部で水俣病を研究し、胎児性水俣病も見いだす。水俣病と有機水銀中毒に関して数多くある研究の中でも、患者の立場からの徹底した診断と研究を行い、水俣病研究に関して詳細な知識を持った医師でもあった。熊本大学退職後は熊本学園大学社会福祉学部教授として環境公害を世界に訴える。 1972年6月、スウェーデンのストックホルムで開催された「国際連合人間環境会議」に環境学者の宇井純、水俣病患者の濱元二徳、坂本フジエ、坂本しのぶらと出席。
国松 彰(くにまつ あきら、1934年9月14日 - )は、… 国松 彰(くにまつ あきら、1934年9月14日 - )は、元プロ野球選手(外野手)。現在は亀屋万年堂の代表取締役会長。
武田 弘(たけだ ひろし、1934年(昭和9年)9月12日 … 武田 弘(たけだ ひろし、1934年(昭和9年)9月12日 - 2023年(令和5年)9月11日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学や結晶学を基礎とした、固体地球惑星物質科学。東京大学名誉教授。 太陽系の始原的物質が部分溶融と分化を繰り返し,分化した小惑星や月のような小天体を経て地球に至る「固体惑星物質進化」という新概念を提唱し,それを発展させてきた。なお,鉱物学への寄与により,岡山県高梁市の布賀鉱山から発見された新鉱物が,武田石(Takedaite, Ca3B2O6)と命名されている。また2001年には、小惑星(4965)Takedaにも名前が付けられている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
木村 直司(きむら なおじ、1934年9月11日 - )は、… 木村 直司(きむら なおじ、1934年9月11日 - )は、日本のドイツ文学者、上智大学名誉教授。専攻はゲーテ研究。 札幌市出身。北海道札幌北高等学校卒、1959年上智大学文学部ドイツ文学科卒業、西ドイツに学び、1963年ミュンヘン大学で博士号。 1963年上智大学文学部専任講師、68年助教授、75年教授、2000年定年退職、名誉教授、レーゲンスブルク大学客員教授。1982年ジーボルト賞を受賞した。 ドイツ文芸アカデミー通信会員、日本ゲーテ協会副会長、ウィーン文化科学研究所 (INST) 副会長、元レーゲンスブルク独日協会副会長。
田村 紀雄(たむら のりお、1934年〈昭和9年〉9月11日… 田村 紀雄(たむら のりお、1934年〈昭和9年〉9月11日 - )は、日本の社会学者、ノンフィクション作家、東京経済大学名誉教授。 1934年群馬県前橋市曲輪町(現・大手町)に生まれる。栃木県立栃木高等学校を経て群馬県立太田高等学校卒業後、編集プロダクションでライターの仕事をし、蔵内数太、鶴見俊輔ら多くの社会学者と知り合い、権田保之助の仕事に学ぶ。1961年法政大学社会学部卒。1965年、日高六郎の招きで東京大学新聞研究所助手となり、その後桃山学院大学助教授を経て、1974年東京経済大学経営学部助教授、83年教授。1995年東京経済大学コミュニケーション学部創設と同時に、同学部学部長に就任。 2004年「エスニック・ジャーナリズム 日系カナダ人、その言論の勝利」で武蔵大学社会学博士(主査・白水繁彦)。
古川 貞二郎(ふるかわ ていじろう、1934年〈昭和9年〉9… 古川 貞二郎(ふるかわ ていじろう、1934年〈昭和9年〉9月11日 - 2022年〈令和4年〉9月5日)は、日本の厚生官僚。 厚生事務次官、内閣官房副長官、株式会社麻生監査役、社会福祉法人恩賜財団母子愛育会会長・理事長を歴任。 村山内閣から小泉内閣にかけて内閣官房副長官を務め(在職日数3133日)、2021年7月25日に杉田和博に更新されるまで歴代最長の内閣官房副長官だった。 九州大学在学中にも国家公務員採用上級甲種試験を受験するが、失敗。郷里でもある佐賀県庁への入庁を希望していたが、当時佐賀県職員の募集が行われていなかったため、長崎県庁へ入庁。また、九州大学入学以前に一年間のみ佐賀大学文理学部に在籍していた。
睦 五朗(むつみ ごろう、1934年9月11日 - )は、日… 睦 五朗(むつみ ごろう、1934年9月11日 - )は、日本の俳優・声優。本名:中西 清二(なかにし せいじ)、旧表記:睦 五郎。昭和九年会のメンバー。北斗七星プロジェクト所属。趣味はガーデニング、ゴルフ、麻雀。
樋口 陽一(ひぐち よういち、1934年9月10日 - )は… 樋口 陽一(ひぐち よういち、1934年9月10日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。学位は法学博士(東北大学・1964年)。東北大学名誉教授、東京大学名誉教授、日本学士院会員、日仏会館名誉理事長。 東北大学法学部教授、東京大学法学部教授、上智大学法学部教授、上智大学社会正義研究所所長、早稲田大学法学部特任教授などを歴任した。清宮四郎門下。弟子に渡邊康行、山元一、石川健治、蟻川恒正、毛利透など。 宮城県仙台市出身。仙台第一高等学校卒業後、東北大学法学部法学科入学。英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語等の語学に堪能で、それを生かして比較憲法学に取り組んだ。東北大学より法学博士、パリ第2大学(パンテオン・アサス)より名誉博士を授与される。
首藤 伸夫(しゅとう のぶお、1934年(昭和9年)9月10… 首藤 伸夫(しゅとう のぶお、1934年(昭和9年)9月10日 - )は、日本の土木工学者。東北大学名誉教授。 大分県大分市出身。東京大学工学部土木工学科卒業後、建設省土木研究所の研究員を経て、1961年(昭和41年)、中央大学助教授、1966年(昭和46年)に中央大学教授に就任。1977年(昭和52年)から東北大学教授となる。後、岩手県立大学教授を経て日本大学教授に転籍。津波の挙動を数値解析手法で確定し、国内外の津波災害を数量的に明らかにするなど「津波工学」の確立に努める。2014年(平成26年)日本学士院賞を受賞。
梅沢 薫(うめざわ かおる、1934年9月10日 - 199… 梅沢 薫(うめざわ かおる、1934年9月10日 - 1998年12月26日)は、日本の映画監督、脚本家である。元俳優。1966年(昭和41年) - 1979年(昭和54年)の一時期、東元 薫(とうもと かおる)と名のったことがある。その初期には東本 薫とクレジットされた作品もあり、1972年(昭和47年) - 1974年(昭和49年)の一時期黒木 剛(くろき ごう)の名で監督、小泉 大介(こいずみ だいすけ)の名で脚本を書いたこともある。 1934年(昭和9年)9月10日、新潟県高田市(現在の同県上越市)に生まれる。 長じて東京に移り早稲田大学に進学したが、中途退学する。当初は俳優を志しており、日本文化協会(NBK)という劇団に所属、同劇団には野上正義(1940年 - 2010年)らがいた。
小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月… 小中 陽太郎(こなか ようたろう、1934年〈昭和9年〉9月9日 - 2024年〈令和6年〉12月3日)は、日本の小説家、社会評論家、翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ。 幼時を上海で過ごす。東京都立大学附属高等学校を経て、東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事。1958年に同大学を卒業してNHKに入り、ディレクターとして『夢であいましょう』などを手がける。 1964年に退職してフリーとなり、野坂昭如の薫陶を受けてルポルタージュやコラムを執筆。 1965年、小田実たちと共にベ平連を結成。世話人としてパリやハノイやストックホルムに赴き、国際連帯に貢献する。特に脱走兵援助では、ハノイやモスクワを巡った。 1970年から法政大学講師を務める。
ムロタニ ツネ象(むろたに つねぞう、本名:室谷 常蔵、19… ムロタニ ツネ象(むろたに つねぞう、本名:室谷 常蔵、1934年9月9日 - 2021年11月22日)は、日本の漫画家。ギャグ漫画を主として発表してきたが、歴史漫画、学習漫画、SF漫画、恐怖漫画も執筆している。特に子供向け学習漫画制作の草分け的存在ともいわれた。 1934年9月9日、大阪府に生まれる。中学生の頃から、毎日新聞系列の夕刊紙新九州新聞社発行の『まんが新九州』(1948年創刊)の常連投稿者だった。佐賀県立唐津高等学校卒業。在学中、『毎日中学生新聞』懸賞漫画で金賞を連続3年受賞。 1953年、『毎日中学生新聞』西部版に『日本歴史漫歩』を発表してデビュー。毎日新聞社西部本社に勤務し、その後上京して阿佐ヶ谷美術学園に学ぶ。
二宮 政昭(にのみや まさあき、1934年9月8日 - )は… 二宮 政昭(にのみや まさあき、1934年9月8日 - )は、愛媛県西宇和郡三瓶町(現:西予市)出身の元プロ野球選手(外野手)。 愛媛県立八幡浜高等学校から1953年に大映スターズへ入団。 1956年オフに大洋ホエールズへ移籍し、1958年に引退した。
後藤 重巳(ごとう しげみ、1934年(昭和9年)9月7日 … 後藤 重巳(ごとう しげみ、1934年(昭和9年)9月7日 - 2014年(平成26年)4月23日)は、大分県直入郡入田村(現・竹田市)出身の歴史学者(日本近世史)。別府大学名誉教授。位階は正五位。大分県の近世史研究における第一人者とされる。 1934年(昭和9年)9月7日、大分県直入郡入田村(現・竹田市)に生まれた。父は入田村長を務めた後藤千代巳、母はハツ子。 1953年(昭和28年)3月に大分県立竹田高等学校を卒業し、1957年(昭和32年)3月に國學院大學史学科を卒業した。1961年(昭和36年)には別府大学助手と別府大学附属高等学校(現・明豊中学校・高等学校)教諭に就任した。その後別府大学文学部教授に就任し、史学科と文化財学科で教鞭を取った。
三隅 佳子(みすみ よしこ、1934年〈昭和9年〉9月7日 … 三隅 佳子(みすみ よしこ、1934年〈昭和9年〉9月7日 - 2018年〈平成30年〉9月7日)は、日本の地方公務員、教育者である。専門は家政学、ジェンダー問題。 福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高校、共立女子大学を卒業後、5年間小学校の教員を務めた。退職後は子育てに専念する中でPTAや母の会の活動を始め、1978年(昭和53年)、北九州市社会教育指導員となる。 その後短大講師を経て1982年(昭和57年)、北九州市役所で初めて民間出身の女性管理職となり、翌1983年(昭和58年)には初代の婦人対策室室長に就任。1990年(平成2年)には市民局女性行政推進部長、併せて財団法人アジア女性交流・研究フォーラムの専務理事にも就任した。
吉田 安伸(よしだ やすのぶ、1934年9月6日 - 201… 吉田 安伸(よしだ やすのぶ、1934年9月6日 - 2018年4月22日)は、日本の経営者。ティー・エックス・エヌ九州(現在のTVQ九州放送)社長、会長を務めた。 福岡県福岡市生まれ、鹿児島県出水市出身。1957年に横浜国立大学経済学部を卒業し、日本経済新聞社に入社。日経では日経流通新聞編集長、東京編集局次長、日経マグロウヒル取締役を歴任した。1990年からティー・エックス・エヌ九州常務に就任し、専務を経て、1995年から1999年までに社長を務め、1999年から2001年までに会長を務めた。 2018年4月22日、小腸せん孔のために死去。83歳没。
水口 義朗(みずぐち よしろう、1934年9月6日 - )は… 水口 義朗(みずぐち よしろう、1934年9月6日 - )は、編集者、ジャーナリスト、テレビ司会者である。 東京出身。早稲田大学第一文学部、大学院文学研究科ドイツ文学専攻科修士課程修了。 1959年に中央公論社入社。『中央公論』副編集長、『婦人公論』編集長などを務めた。 1986年4月~1994年3月、テレビ朝日系ワイドショー『こんにちは2時』(朝日放送など一部地域を除く)の司会者。 1994年、「婦人公論」編集長・主幹に再任。 大正大学「ジャーナリズム論」講師。サイバー大学客員教授(言論・表現の不自由-文学作品を中心に-)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鈴木 健次(すずき けんじ、1934年9月5日 - )は、日… 鈴木 健次(すずき けんじ、1934年9月5日 - )は、日本のジャーナリスト・アメリカ学者。大正大学名誉教授。 東京生まれ。父は音楽家の鈴木次男。湘南学園中学校、神奈川県立湘南高等学校、東京大学教養学部卒業。日本放送協会入局、教養番組部副部長、NHKスペシャル番組部主管、家庭番組部担当部長。1990年依願退職、大正大学文学部教授。2005年退任、名誉教授。 ノーベル化学賞受賞者の根岸英一は湘南高校の同級で、義弟にあたる。 森ビル代表取締役社長・会長などを歴任した実業家の森稔は中学・高校・大学の同級生。