高橋 幸佑(たかはし こうすけ、2006年12月31日 - … 高橋 幸佑(たかはし こうすけ、2006年12月31日 - )は、北海道札幌市生まれ、神奈川県横浜市都筑区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 横浜市立茅ケ崎台小学校1年時に、近所の友人の誘いで野球を始めた。横浜市立茅ケ崎中学校時代は軟式野球をプレーし、3年時には横浜市選抜入りを果たし県大会優勝を経験した。 2018年および2019年の夏の甲子園観戦をきっかけに、北照高等学校へ一般入試で進学し、2年春よりベンチ入りをした。また、ウエイトトレーニングに励んだ結果、入学時120km/h台だった球速は3年時には149km/hを計測し、U-18代表候補に選ばれるまでに成長した。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、中日ドラゴンズから5位指名を受けた。
澤田 遥斗(さわだ はると、2006年7月30日 - )は、… 澤田 遥斗(さわだ はると、2006年7月30日 - )は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投両打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校3年生の時に「真栄ビクトリー」で野球を始める。始めた理由として、友だちが公園で父親とキャッチボールをしているのを見て、してみたら楽しくて始めたと語っている。札幌市立真栄中学校在学時には「北広島リトルシニア」に所属し、野球を続けた。 中学卒業後は、京都府の京都国際高等学校に進学。1年時の夏の甲子園はベンチ外。ベンチ入りを果たしたのは1年秋の府大会からで、その後の近畿大会からセンターのレギュラーとなった。2年夏の府大会では立命館に1対4で敗れ、ベスト8で敗退。
茨木 佑太(いばらぎ ゆうた、2006年5月9日 - )は、… 茨木 佑太(いばらぎ ゆうた、2006年5月9日 - )は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 実兄は阪神タイガース所属の茨木秀俊。 札幌市立手稲中央小学校1年生のときに『手稲ヤングスターズ』で野球を始め、札幌市立手稲中学校時代は硬式野球の『札幌東シニア』に所属。3年時には東日本選抜大会に出場した。 帝京長岡高校へ進学すると、1年夏からベンチ入り(背番号11)を果たし、新潟大会では佐渡との3回戦で公式戦初登板。先発の兄・秀俊の後を受け、小学校時代以来となる兄弟継投となり、3回無失点に抑えた。1年秋から背番号1を付け、県大会では長岡商業との3回戦で敗退。
茨木 秀俊(いばらぎ ひでとし、2004年6月8日- )は、… 茨木 秀俊(いばらぎ ひでとし、2004年6月8日- )は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。阪神タイガース所属。 実弟は千葉ロッテマリーンズ所属の茨木佑太。 小学校2年生の時に手稲ヤングスターズで野球を始め、札幌市立手稲中学校在学時は硬式野球のクラブチームである札幌東シニアでプレーしていた。 地元の北海道を離れ、新潟の帝京長岡高等学校に進学した。自身の入学と同時に元プロ野球選手(投手)の芝草宇宙が監督に就任し、マンツーマンで指導を受けた結果、入学時は130km/hだった最速を147km/hまで伸ばした。3年夏はエースとして新潟県大会決勝まで勝ち上がり、日本文理と対戦。相手エース田中晴也との延長11回に及ぶ投手戦の末、サヨナラ負けを喫した。
江口 聡一郎(えぐち そういちろう、2003年11月22日 … 江口 聡一郎(えぐち そういちろう、2003年11月22日 - )は、北海道札幌市のプロ野球選手(外野手)。右投右打。 札幌市立真栄小学校1年次に真栄ビクトリーで野球を始めた。 札幌大谷中学校では札幌大谷リトルシニアでプレーした。 北海高等学校では高校2年の6月に右胸郭出口症候群になり7月に手術をし50kgあった握力は8kgまで下がり右手で箸を持てないほどになった。7月に手術をしてから県秋季大会よりスタメンを勝ち取った。秋季大会では万全ではなかったが人生初アーチを含む打率.364を記録し第93回選抜高等学校野球大会への出場に貢献した。特に決勝の旭川実業高等学校戦では田中楓基から本塁打を放ちそれが決勝点となった。
髙谷 舟(たかや しゅう、2003年7月27日 - )は、北… 髙谷 舟(たかや しゅう、2003年7月27日 - )は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 札幌市立円山小学校在学中の小学3年で学童野球チーム「円山スターズ」に加入し、野球を始めた。円山スターズは円山小の児童を中心に構成される少年野球チームで、平日には同校グラウンドまたは体育館で練習が行われている。 札幌市立向陵中学校に進学後、クラブチーム「T・TBC」(軟式)に所属し、外野手としてプレーした。2017年に開催された「スーパースポーツゼビオ杯 秋季空知中学校野球選手権」では最優秀選手賞(MVP)を受賞している。 札幌日本大学高等学校では控え投手としてベンチ入りした。
竹内 龍臣(たけうち りゅうしん、2001年12月11日 -… 竹内 龍臣(たけうち りゅうしん、2001年12月11日 - )は、北海道札幌市北区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学2年生の時に野球を始める。 札幌創成高等学校3年夏の南北海道大会ではベスト8。高校時代の監督は元中日ドラゴンズの遠田誠治。 2019年10月17日に行われたプロ野球ドラフト会議 で、中日ドラゴンズより6巡目で指名を受けた。また、札幌創成高等学校からドラフト指名された初の選手である。11月5日に契約金2500万円、年俸550万円で仮契約を結んだ。背番号は62。 2020年は夏場に右肘を疲労骨折するなど故障が重なり、一軍、二軍共に登板がなかった。11月26日に球団から翌年の契約を結ばず、育成選手として再契約する予定であることが発表された。
村上 航(むらかみ わたる、2000年11月1日 - )は、… 村上 航(むらかみ わたる、2000年11月1日 - )は、北海道札幌市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 札幌市立本通小学校3年時に軟式野球を始めた。札幌市立柏丘中学校時代には軟式野球部に所属し2年時には全国大会に出場した。 北海道札幌白石高等学校では1年夏よりベンチ入りした。3年夏の県大会地区予選をキャプテン兼エースとして全4試合完投(完封2試合)の好投を見せ南北海道大会では1回戦で駒澤大学附属苫小牧高等学校と当たり3失点完投とゲームを作るが敗北した。 北海学園大学では北海道地区大学準硬式野球連盟2部に所属していた準硬式野球部に入部した。1年時の全国大会で親交を深めた福岡大学・準硬式野球部の大曲錬が、のちに2020年度のNPBドラフト会議で埼玉西武ライオンズに5位指名を受け、「準硬式出身では、自分が次に続く」と強い決意を持って練習に取り組み、3年生春より社会人チームであるウイン北広島で大学に在学しながら硬式に再挑戦した。
若松 尚輝(わかまつ なおき、2000年5月10日 - )は… 若松 尚輝(わかまつ なおき、2000年5月10日 - )は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 少年野球のころは捕手。札幌市立中央中学校時代は札幌東ベースボールクラブに所属し、ジャイアンツカップにも出場した。札幌第一高等学校時代は外野手だった。札幌第一高校は2017年の第89回選抜高等学校野球大会に出場したが、若松はベンチ入りメンバー外の「ボールボーイ」だった。その後レギュラーとなる。札幌学院大学進学後も野手のままだったが、3年生秋にたまたま投手がいなかった機会に1イニングだけ登板したところ、監督の意向で投手に転向した。この背景には3日で7試合という過密スケジュールで練習試合が組まれた事情があった。
本前 郁也(もとまえ ふみや、1997年10月2日 - )は… 本前 郁也(もとまえ ふみや、1997年10月2日 - )は、北海道札幌市東区出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 札幌市立札苗小学校3年から東ハリケーンで野球を始め、札苗中時代は札幌白石シニアでプレー。 札幌光星高等学校では3年夏の南北海道大会でエースを務めるも、1回戦で駒大苫小牧に3対10で敗れた。齊藤誠人は小中高の2学年上の先輩にあたる。 北翔大学への進学後は1年春からベンチ入りし、札幌6大学リーグでは2年春~3年秋に3季連続で最優秀投手に輝いた。しかし、全国大会である全日本選手権や明治神宮大会への出場は叶わず、2019年9月2日の日本製鉄室蘭シャークスとのオープン戦では打球が頭部に直撃し、入院。
佐々木 斗夢(ささき とむ、1997年5月20日 - )は、… 佐々木 斗夢(ささき とむ、1997年5月20日 - )は、日本のプロ野球選手(内野手・外野手)、野球指導者。右投右打。四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグス所属で、2026年シーズンより選手兼任監督を務める。 北海道札幌市出身。父親の指導により6歳の時に野球を始める。 北照高等学校では3年生時に全国高等学校野球選手権南北海道大会決勝に進出したが、北海高等学校に敗退した(佐々木は三塁手で出場)。 立正大学に進学し、野球部では、3年生の2018年に東都大学野球秋季リーグの対東洋大学戦で藤井聖から本塁打を放つなどの活躍を見せ、リーグ戦や第49回明治神宮野球大会の優勝メンバーとなる。
齋藤 綱記(さいとう こうき、1996年12月18日 - )… 齋藤 綱記(さいとう こうき、1996年12月18日 - )は、北海道札幌市北区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 札幌市立新光小学校3年生のときに新光スワローズで野球を始め、当初から投手を務めていた。札幌市立光陽中学校では軟式野球部に所属。 北照高校へ進学すると、1年秋からベンチ入り。1年秋の明治神宮大会準決勝(対仙台育英)、2年夏の甲子園1回戦(対常総学院)にリリーフで登板した。2年秋の北海道大会・小樽地区予選では、5回参考記録(コールドゲーム)ながら完全試合を達成。3年時には、コーチに就任した松岡弘から呼吸法・体重移動・精神面に関する指導を受け、3年春の北海道大会では優勝を果たした。
山本 大貴(やまもと だいき、1995年11月10日 - )… 山本 大貴(やまもと だいき、1995年11月10日 - )は、北海道札幌市厚別区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 札幌市立信濃小学校3年の時に「信濃スターズ」で野球を始め、札幌市立信濃中学校時代は江別リトルシニアに所属。3年時には全国大会にも出場した。 高校は公立高校に進学することを考えていたが、偶然北星学園大学附属高等学校の監督の目に留まったことで、同高に進学。1年夏からベンチ入りし、2年秋からはエースを務めたが、3年夏は全国高等学校野球選手権南北海道大会札幌地区予選3回戦で札幌琴似工業に敗退するなど、3年間で全道大会への出場は果たせなかった。スカウトからの注目も集めていたためプロ志望届を提出したが指名されず、北海道内の大学に進学を予定していた。
齊藤 誠人(さいとう まさと、1995年8月7日 - )は、… 齊藤 誠人(さいとう まさと、1995年8月7日 - )は、北海道札幌市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。妻は女優の楠木杏。 札幌市立札苗中時代に所属していた札幌北シニアでは、選手が10人しかいない中で補欠であった。 札幌光星高時代は、3年次夏の南北海道予選で8強に進出したのが最高成績。 高校卒業後は、体育教師を目指すために北海道教育大学岩見沢校に進学する。当初は野球を続けるつもりはなかったが、練習を見学した際の部員たちからの強引な勧誘によって札幌学生野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部しプレーを継続することとなる。指導者がいない中、選手たちで意見を出し合い練習メニューを決め、3年次からは齊藤が事実上の采配をふるっていた。
砂田 毅樹(すなだ よしき、1995年7月20日 - )は、… 砂田 毅樹(すなだ よしき、1995年7月20日 - )は、北海道札幌市中央区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 高校野球の経験者であった義父の影響で、小学校2年時に野球を始める。札幌市立伏見中学校時代は札幌南シニアに所属した。 秋田市にある明桜高等学校への進学後は、1年生の春からベンチ入りを果たした。しかし、利き腕に死球を受けるアクシデントなどの影響で、在学中には春夏とも甲子園球場での全国大会に出場できなかった。3年生の夏には、選手権秋田大会準々決勝で敗退したが、大会通算投球回数25イニングで自責点1、40奪三振という好成績を残し、NPB球団のスカウトから一躍注目されるようになった。 2013年のNPB育成ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから1巡目で指名。
川越 誠司(かわごえ せいじ、1993年6月30日 - )は… 川越 誠司(かわごえ せいじ、1993年6月30日 - )は、北海道札幌市豊平区出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。 札幌市立豊平小学校2年生の時に野球を始め、札幌市立八条中学校では札幌豊平東シニアで投手としてプレーした。当時のチームメイトには1歳下に水野滉也がいる。 北海高等学校では、3年生の第83回選抜高等学校野球大会で3試合に「4番・右翼手」として先発出場し、1回戦・対創志学園高等学校戦では同点の8回に決勝本塁打を放つなど、計12打数6安打、1本塁打、2打点、打率.500の成績だった。第93回全国高等学校野球選手権大会・1回戦の対明徳義塾高等学校戦では「4番・右翼手」として先発出場し、4打数1安打1打点、打率.250の成績でチームはサヨナラ負けした。
大累 進(おおるい すすむ、1990年8月31日 - )は、… 大累 進(おおるい すすむ、1990年8月31日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。改姓したため、現在の本名は北山進。 小学校3年で野球を始め、中学時代は札幌新琴似シニアで三塁手としてプレー。駒澤大学附属苫小牧高校入学後に遊撃手に転向。2学年上に田中将大がいたが、自身は甲子園出場経験無し。1年夏(第88回選手権大会、引き分け再試合の末に準優勝)、2年夏(第89回選手権大会、1回戦敗退)はベンチ外。2年秋からベンチ入りするも、3年夏は南北海道大会の準々決勝で鍵谷陽平擁する北海高校に0-9で敗れた。 道都大学(札幌学生野球連盟所属)では1年時の春から公式戦に出場。3年時には、春・秋連続で遊撃手でベストナインに選出された。
山本 優(やまもと ゆう、1988年8月20日 - )は、北… 山本 優(やまもと ゆう、1988年8月20日 - )は、北海道札幌市出身の女子ソフトボール選手(内野手)・指導者。元ソフトボール日本代表。2021年開催の東京オリンピック金メダリスト。 北海道札幌市出身。兄の影響で小学校2年で野球を始め、地元の野球チームで中学まで続けた。北海道当別高等学校1年時にソフトボールに転向すると、2年・3年時に北海道選抜チームのメンバーに選出され国体出場を果たした。 2007年にルネサス高崎に入団。同年、日本ジュニア代表に選ばれ、世界ジュニア女子ソフトボール選手権で準優勝。その後日本代表となり、2014年の世界選手権で優勝し、2016年と2018年の同大会では準優勝。
武藤 好貴(むとう よしたか、1987年7月22日 - )は… 武藤 好貴(むとう よしたか、1987年7月22日 - )は、北海道札幌市南区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 JR北海道硬式野球部を経て、2012年から2017年まではNPBの東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。2018年シーズンからは、クラブチームに鞍替えした古巣のJR北海道硬式野球クラブでプレーを続けていた。 小学4年生の頃から野球を始める。中学時代は、軟式野球部に所属し内野手としてプレー。 札幌藻岩高校に進学し、投手に転向。2年生の時からエースとなり、秋には北海道大会決勝に進出し、田中将大擁する駒大苫小牧高校に敗れ準優勝。3年生の夏は南北海道予選の札幌支部予選2回戦で敗退し、甲子園出場は果たせなかった。
瀬川 隼郎(せがわ はやお、1986年10月21日 - )は… 瀬川 隼郎(せがわ はやお、1986年10月21日 - )は、北海道札幌市厚別区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校4年生の時に野球を始め、もみじ台中学校時代は「札幌白石シニア」でプレーした。北海高校では1年秋からエースとなる。1試合27奪三振なども記録したが甲子園出場経験はない。 高校卒業後は、社会人野球・クラブチームの室蘭シャークスに入団し、働く傍らプレーした(ドラフト指名時は日鉄住金テクノロジーで勤務)。入団当初は制球難に苦しみ、伸び悩む時期が続いたが、投球フォームの改善や、監督の庫田雄平のアドバイスなどもあり、徐々に才能が開花。第39回社会人野球日本選手権大会道地区予選の対航空自衛隊千歳戦では、7回を1失点に抑え、さらに翌日の対JR北海道戦では8回から救援し、延長10回までの3イニングを7奪三振・無失点と好投し、本大会進出に貢献した。
米野 智人(よねの ともひと、1982年1月21日 - )は… 米野 智人(よねの ともひと、1982年1月21日 - )は、北海道札幌市北区出身の元プロ野球選手(捕手、外野手、内野手)、コーチ。右投右打。Westside合同会社代表。 札幌新琴似シニアリーグ、小樽市の北照高等学校では2年春の選抜に出場、1999年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから3位指名を受け、入団。背番号は51。 2000年は一軍出場なしに終わる。 2001年に一軍に初昇格する。9月7日の対巨人戦で途中起用され、プロ入り初出場を記録した。 2002年は初安打を放ち、8月11日の対横浜ベイスターズ戦で初の先発出場。その試合で吉見祐治からプロ初本塁打を放ち、初打点を記録する。8月19日の阪神戦では11回裏二死満塁からプロ初サヨナラ打を放った。
松井 光介(まつい こうすけ、1978年8月24日 - )は… 松井 光介(まつい こうすけ、1978年8月24日 - )は、北海道札幌市豊平区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現在は、東京ヤクルトスワローズのスコアラーを務めている。 中学2年時に父の転勤で東京都江戸川区に転居。江戸川南シニアを経て、1994年に横浜高校に入学。シニアリーグ、高校を通じて松坂大輔の2年先輩にあたる。 シニア時代は投手だったが、同期に丹波慎也がいたため投手としては同学年内では2番手という存在だったが2年次より外野手としてプレーしている。同年の第76回全国高等学校野球選手権大会に横浜高は5年振りの出場を果たすが、那覇商に初戦で敗れている。翌1995年春夏も甲子園出場を目指したが、叶わなかった。
尾形 佳紀(おがた よしのり、1978年8月5日 - )は、… 尾形 佳紀(おがた よしのり、1978年8月5日 - )は、元プロ野球選手(内野手、外野手)。現在、広島東洋カープのスカウト。
嶋 重宣(しま しげのぶ、1976年6月16日 - )は、北… 嶋 重宣(しま しげのぶ、1976年6月16日 - )は、北海道札幌市生まれ、埼玉県上福岡市(現:ふじみ野市)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手、投手)。愛称は「赤ゴジラ」。ポジションは投手(1995 - 1998)→内野手(1999 - 2004)→外野手(2005 - 2013)。 小学1年生の時に野球を始める。中学では上福岡シニアに所属し、三沢興一の2年後輩、高橋和幸の1年先輩。1年次から投手として注目を集め、3年次に関東大会に出場。また、当時埼玉栄高野球部監督だった若生正廣を慕っており、中学卒業後は若生が転職した東北高校に入学。 東北高校では2年春の第65回選抜高等学校野球大会と夏の第75回全国高等学校野球選手権大会、3年春の第66回選抜高等学校野球大会と、3度甲子園に出場した。
佐竹 学(さたけ まなぶ、1974年10月27日 - )は、… 佐竹 学(さたけ まなぶ、1974年10月27日 - )は、北海道札幌市手稲区出身の元プロ野球選手(外野手・内野手)、コーチ。右投右打。 小学生時代、札幌市手稲区にある富丘ベアーズで頭角を現す。札幌市立富丘小学校、東海大学第四高校中等部、東海大学付属第四高校と進む。東海大四高校では遊撃手としてプレーしたが3年夏は南北海道大会準決勝で敗退し甲子園には届かなかった。 東海大学へ進学し3季連続ベストナインに選ばれるなど活躍し、1996年の日米大学野球のメンバーにも選ばれた。首都大学リーグ通算61試合出場、233打数86安打、打率.369、40打点。ベストナイン3回(二塁手2、三塁手1)。 1997年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブに4位指名され入団。
渡部 高史(わたべ たかし、1972年8月27日 - )は、… 渡部 高史(わたべ たかし、1972年8月27日 - )は、北海道札幌市東区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 札幌市立陵北中学校から札幌琴似工業高等学校に進学。1990年のプロ野球ドラフト会議にて横浜大洋ホエールズから6巡目指名を受けて入団。 プロ1年目の1991年10月8日の阪神タイガース戦で一軍初登板を果たした。ストレートに威力はなかったが、プロ入り前から独自に編み出したという落差が小さく大きく曲がる独特のカーブを武器に、球団名が「横浜ベイスターズ」に変更された1993年には中継ぎとして35試合に登板するなど大きく成長を遂げたが、翌1994年に低迷すると同年オフには飯塚富司・伊藤敦規との3対2の交換トレードで水尾嘉孝・堀江賢治とともにオリックス・ブルーウェーブへ移籍した。
佐藤 真一(さとう しんいち、1965年8月7日 - )は北… 佐藤 真一(さとう しんいち、1965年8月7日 - )は北海道札幌市南区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 東海大学、たくぎんを経て27歳でプロ入りし、40歳まで現役選手としてプレーした。バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。現役引退後は東京ヤクルトスワローズ、オリックス・バファローズでコーチを務めた。 長男の佐藤竜彦はHonda硬式野球部に所属していた社会人野球選手。 小学2年の時に野球を始める。学生時代、勉学は常にトップクラスの成績だった。甲子園などの大舞台への出場はなかったが、野球部の中心選手として「文武両道」を地でいく活躍を見せ、東海大学付属第四高等学校時代には「松前賞」を受賞している。
佐藤 兼伊知(さとう けんいち、本名:佐藤 健一(読み同じ)… 佐藤 兼伊知(さとう けんいち、本名:佐藤 健一(読み同じ)、1959年9月13日 - )は、北海道札幌市白石区出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。 北海高では、エースとして1977年夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、札幌商に完封を喫し甲子園出場を逸する。 同年のドラフト5位でロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に入団。 1979年に内野手に転向する。 1986年には、水上善雄の欠場もあって遊撃手、三塁手、二塁手を兼ねて活躍、同年は初の規定打席(22位、打率.283)に達する。翌年以降もユーティリティプレイヤーとして起用され、堅実な守備と勝負強いバッティングを見せた。 1989年には、開幕直後に故障欠場を余儀なくされるが、その後は遊撃手に定着し打率.297の好成績をマーク。
村井 英司(むらい ひでし、1950年1月9日 - )は、北… 村井 英司(むらい ひでし、1950年1月9日 - )は、北海道札幌市出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ。 札幌市立南小学校および札幌市立柏中学校を経て、1965年に進学した北海高校では主将兼外野手を務める。3年次の1967年には夏の甲子園南北海道予選決勝で苫小牧東高を降して甲子園に進むが、村井は予選で骨折したため本大会出場はならなかった。同年のドラフトで南海ホークスから15位指名を受けるも拒否し、卒業後の1968年には電電北海道へ入社。捕手として1971年から1973年まで3年連続で都市対抗に出場。ヤクルトの若松勉は2歳年上で、北海高校、電電北海道で一緒にプレーした。 1973年のドラフト4位で日本ハムファイターズに入団。
谷木 恭平(たにき きょうへい、1945年11月12日 - … 谷木 恭平(たにき きょうへい、1945年11月12日 - )は、北海道札幌市中央区出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。 北海高では2年次の1962年、中堅手として甲子園に春夏連続で出場。春の選抜では1回戦で御所工に敗退するが、夏の選手権では準々決勝に進み、伊藤久敏投手を擁する久留米商と対戦。先発した3年生エース松谷栄司が5回に負傷退場し、同期の吉沢秀和が急遽リリーフするが、9回に3点を取られ逆転負け。他のチームメートに1年上の中村之保遊撃手がいた。 3年次の1963年には春の選抜で吉沢の好投もあって準決勝に進み、優勝候補の早実にサヨナラ勝ち。決勝では下関商の池永正明に抑えられ0-10で大敗するが、初めて準優勝旗が津軽海峡を越えることとなった。
佐藤 進(さとう すすむ、1942年11月26日 - )は、… 佐藤 進(さとう すすむ、1942年11月26日 - )は、北海道札幌郡豊平町豊羽鉱山(現札幌市南区)出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代は卓球の選手。北海高校ではエース、四番打者として1960年に春夏連続で甲子園に出場。春の選抜では準決勝まで勝ち上がるが、高松商の左腕エース松下利夫(明大-四国電力)に抑えられ0-2で完封負け。高松商には山口富士雄がおり、この大会で優勝している。夏の選手権は準々決勝で静岡高に惜敗。しかし秋の熊本国体では、決勝で米子東高の宮本洋二郎に3-0で投げ勝ち初優勝を飾る。高校の1年上には荻野一雄、茅野智行がいた。 高校卒業後は、社会人野球の富士製鐵室蘭に入団。1963年の都市対抗に出場。
田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - … 田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - 2018年12月30日)は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手)。兄は、元プロ野球選手の田原基稔。 兄の影響で野球を始め、北海高では、1年夏の甲子園に控え投手としてベンチ入りするなど将来を嘱望された。2年次からエースとなるが、1952年夏の北海道大会では、1回戦で太田侃(元近鉄)・橋本力(元毎日)・渡部久仁男(元巨人)らを擁する函館西高に0対10と7回コールド負けを喫する。以後は当時の監督であった筧智の指示で、1日800球の投げ込みや走り込み、100本ノックなどの猛練習でスタミナをつける。同年の秋季大会では、決勝で再び函館西高と顔を合わせるが、8対1で快勝して雪辱を果たし、翌1953年の選抜出場を果たす。
青山 裕治(あおやま ひろはる、1933年4月28日 - 2… 青山 裕治(あおやま ひろはる、1933年4月28日 - 2015年12月10日)は、北海道札幌市出身 のプロ野球選手(投手)。 札幌光星高から社会人野球の札幌鉄道管理局に入団。社会人時代は、1955年にノンプロ全国大会で優勝。 1956年に大映スターズに入団。1958年にチームが大毎オリオンズへ吸収合併となり、同年は大毎でプレーし、シーズン終了後に退団。 1960年から1962年まで、社会人野球の東洋高圧砂川でプレーした。 引退後は岩手県北上市の会社に勤務していた。2015年12月10日、北上市で死去。82歳没。