朝里 樹(あさざと いつき、1990年4月18日 - )は、… 朝里 樹(あさざと いつき、1990年4月18日 - )は、日本の作家・怪異妖怪愛好家。北海道小樽市出身。男性。「スーパー在野人」と称している。 法政大学文学部卒業。大学時代の専攻は日本文学であった。公務員として勤務する傍ら、在野で怪異・妖怪に関する情報の収集・研究を行う。 同人出版していた『日本現代怪異事典』が人気を博し、笠間書院編集者より出版を打診され商業出版された。
沼田 真佑(ぬまた しんすけ、1978年10月30日 - )… 沼田 真佑(ぬまた しんすけ、1978年10月30日 - )は、日本の小説家。 北海道小樽市生まれ。親の転勤により神奈川県、千葉県、埼玉県と転じ、中学校から福岡県福岡市で育つ。福岡大学附属大濠高等学校、西南学院大学商学部卒業。その後、岩手県盛岡市に在住。 2017年、「影裏」で第122回文學界新人賞受賞してデビュー。同作で第157回(2017年上半期)芥川龍之介賞受賞。「影裏」に対して芥川賞選考委員の髙樹のぶ子は、「(東日本大震災を題材としているが、)震災を前面に押し出した小説ではない。人間関係を書くことで、それを取り囲む自然の怖さに言及した」と評価している。 2017年、「影裏」で第122回文學界新人賞および第157回芥川龍之介賞受賞。
千石 涼太郎(せんごく りょうたろう、1964年2月22日 … 千石 涼太郎(せんごく りょうたろう、1964年2月22日 - )は、日本のノンフィクション作家・エッセイスト。北海道小樽市出身。小樽ふれあい観光大使。 聖学院高校卒業。大学卒業後、勁文社の編集者として、萬画家・石ノ森章太郎、噴火予知連会長の井田喜明東大地震研究所教授、元関脇・蔵間、宜保愛子、黒田みのる、大槻義彦早大教授、田宮模型、バンダイ、東映、サンライズ、ジャイアンツ、任天堂等の書籍を編集。元サントリーSP誌ライター。 フリーランスとして、アウトドア、4WD、洋酒などの分野の雑誌、および精神科医、心療内科医、心理学者等の書籍を手がける。またその一方で、故郷である北海道をテーマとした執筆活動を進め、1996年刊行の『やっぱり北海道だべさ!!』がヒットし、それ以降は県民性研究家としてテレビや雑誌のコメンテーターを務める。
伊藤 芳則(いとう よしのり、1963年8月3日 - )は、… 伊藤 芳則(いとう よしのり、1963年8月3日 - )は、モデル、俳優、作家。北海道小樽市出身。 トップの法則 出版社 秀和システム
京極 夏彦(きょうごく なつひこ、1963年〈昭和38年〉3… 京極 夏彦(きょうごく なつひこ、1963年〈昭和38年〉3月26日 - )は、日本の小説家・グラフィックデザイナー・アートディレクター。 北海道小樽市出身。北海道倶知安高等学校卒業、専修学校桑沢デザイン研究所中退。株式会社ラクーンエージェンシー所属。公式サイト「大極宮」も参照。 世界妖怪協会・世界妖怪会議評議員(肝煎)、関東水木会会員、東アジア恠異学会会員。「怪談之怪」発起人の一人。 北海道小樽市生まれ。グラフィックデザイナー・アートディレクターとして桑沢デザイン研究所を経て広告代理店に勤務し、制作部副部長となる。体調不良によりやむなく退職し、その関連で知り合った関係者と共に独立して小さなデザイン会社を設立。
蜂谷 涼(はちや りょう、1961年 - 、女性)は北海道小… 蜂谷 涼(はちや りょう、1961年 - 、女性)は北海道小樽市出身・在住の小説家である。 北海道小樽潮陵高等学校、小樽商科大学短期大学部を卒業。当初は脚本家を志し、シナリオ作家協会主催シナリオ講座研修科を修了。上京してコピーライターを経験する。1990年、「銀の針」で第11回読売ヒューマン・ドキュメンタリー大賞カネボウスペシャル佳作となり、作家デビュー。 1994年に「分別回収」で第79回文學界新人賞、1997年に「煌浪の岸」で第3回小説新潮長編小説新人賞共に最終候補となった。1997年小樽に帰郷。2006年に出版された「てけれっつのぱ」(柏艪舎)は2008年に劇団文化座で舞台化され、同年文化庁芸術祭大賞を受賞した。
朝倉 かすみ(あさくら かすみ、1960年8月10日 - )… 朝倉 かすみ(あさくら かすみ、1960年8月10日 - )は、日本の小説家。本名は朝倉香純。 北海道小樽市出身。北海道札幌手稲高等学校、北海道武蔵女子短期大学教養学科卒業。高校・短大時代は石狩市で過ごす。短大卒業後はさまざまな職を経験し、30歳のとき小説を書き始め、31歳から創作教室に通う。39歳で結婚し40歳でデビュー。 2003年(平成15年)、小説「コマドリさんのこと」で第37回北海道新聞文学賞受賞。2004年(平成16年)、「肝、焼ける」で第72回小説現代新人賞受賞。2009年(平成21年)、「田村はまだか」で第30回吉川英治文学新人賞受賞。2017年(平成29年)、『満潮』で第30回山本周五郎賞候補。
川又 千秋(かわまた ちあき、1948年12月4日 -)は、… 川又 千秋(かわまた ちあき、1948年12月4日 -)は、日本の小説家、SF作家、評論家。日本SF作家クラブ、日本推理作家協会、各会員。 北海道小樽市出身。慶應義塾大学文学部卒業。大学時代より、伝説的なSFファンの集まり「一の日会」に参加。 博報堂に入社しコピーライターとなる。1971年、評論「バラードはどこへ行くか?」(『季刊NW-SF』誌)で評論家デビュー。1972年「舌」(『季刊NW-SF』誌)で作家デビュー。また、同年、評論「明日はどっちだ!」を『S-Fマガジン』に発表。1973年から1975年にかけて『S-Fマガジン』に長編評論『夢の言葉・言葉の夢』を連載する。 1980年より専業作家となる。
荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、… 荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、評論家、詩人。本名、荒巻邦夫、後に荒巻義雅と改名。『紺碧の艦隊』の大ヒットで、いわゆる架空戦記小説の世界を代表する小説家として広く知られている。静修女子大学(現・札幌国際大学)教授も務めた。 日本文芸家協会会員。日本SF作家クラブ会員。現代俳句協会会員(旭太郎名義)。 北海道小樽市で、荒巻山の名前の元になった、採石業を営む荒巻家に生まれる。荒巻によると荒巻家は平将門一門の末裔であり、両親は母方の祖父が小樽市色内町(現在の稲穂)で開いていた一万坪の採石場を継ぐため水戸市から移住してきたという。幼少期にはロース幼稚園というミッション系の幼稚園に通っており、その時に触れた聖書の世界観に影響を受ける。
山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 202… 山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 2026年3月13日)は、日本の児童文学作家、ノンフィクション作家。 『間違いだらけの少年H』などの共著者である山中典子は二番目の妻である。 北海道小樽市で8歳まで育った。父親の仕事の関係で神奈川県平塚市に転居するが、戦争中縁故疎開で再び小樽に戻った。1944年に旧制小樽中学校(現、北海道小樽潮陵高等学校)の面接試験を受けたとき、戦争の現状を問われて「負け戦です」と答え、付き添いの教師をうろたえさせる。彼としては苦戦しているという率直な気持ちを述べたつもりだった。付き添った教師は不合格をおそれたが、結局は合格した。 日本の敗戦が決まった際、当時まだ14歳ながら敗戦を天皇に詫びるため、真剣に自決しようと考え辞世の句まで練っていたが、友人から「連合艦隊司令長官や軍司令官でもないお前が、どうして自決など考えるのか」と呆れられ「それもそうだ」と我に返ったという。
青山ゆき路(あおやま ゆきじ 1907年8月11日 - 19… 青山ゆき路(あおやま ゆきじ 1907年8月11日 - 1993年2月27日)は、日本の小説家、歌人。石川県鵜川村(石川県鳳至郡に所在。町制施行し鵜川町となる。現:能登町。)に生まれ、1914(大正3)年に北海道小樽市に来る。父母の生業である理美容業を継ぐ。大正末期に並木凡平を知り、以来口語短歌一筋に70年の歌歴を積む。1927(昭和2)年並木凡平が「新短歌時代」を創刊するや編集同人として参画。主著に歌集「せせらぎ」「青空に描く」「海峡」など。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(… 入江 好之(いりえ よしゆき、本名:入江 好行、1907年(明治40年) - 1989年(平成元年))は、日本の詩人・児童文学作家・教育者・経営者。 北海道小樽市生まれ。1928年(昭和3年)旭川師範学校(現・北海道教育大学旭川校)卒業。 在学中に詩誌「北斗星」を創刊。旧制中学校教諭]しながら、作詩活動を続け、詩誌「青光」を創刊。1936年(昭和11年)に第一詩集「あしかび」を刊行。その後官憲の弾圧を受け、教職を辞職し、1943年(昭和18年)に満州国に渡る。満州国日本人中学校の教員をしていたが、終戦。シベリア抑留を経て、1949年(昭和24年)に帰国。 1956年(昭和31年)北海道詩人協会の設立に参画し、同協会事務局長に就任( - 1976年(昭和51年))。
伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 … 伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 - 1969年(昭和44年)11月15日)は、日本の小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。位階は正五位。勲等は勲三等。 本名は伊藤整(いとう ひとし)。社団法人日本文藝家協会理事、東京工業大学教授、社団法人日本ペンクラブ副会長、財団法人日本近代文学館理事長などを歴任した。日本芸術院会員。 抒情派詩人として出発したが、その後詩作を離れて小説・評論に重心を移し、ジェイムズ・ジョイスらの影響を受けて「新心理主義」を提言。戦後は旺盛な著作活動に加え、ベストセラーや裁判の影響もあり、もっとも著名な評論家の一人となった。私小説的文学の理論化をめざすとともに自身も創作を行い、評論では『小説の方法』「近代日本人の発想の諸形式」「近代日本における『愛』の虚偽」『日本文壇史』などがあり、『氾濫』『変容』『発掘』は、夏目漱石の衣鉢を継ぐ近代小説三部作である。
石塚 喜久三(いしづか きくぞう、1904年9月5日 - 1… 石塚 喜久三(いしづか きくぞう、1904年9月5日 - 1987年10月1日)は、日本の昭和期の小説家。 北海道小樽市花園出身。函館師範学校(現・北海道教育大学函館校)卒業。小樽市の国民学校の教員を務めた後中国大陸に渡り、華北交通張家口鉄路局に勤務した。蒙疆文芸懇話会幹事にも就任。 1943年、『蒙疆文學』1月号に寄せた「纏足の頃」で第17回芥川賞受賞。 1949年、後藤杜三らと「北海道文学者の会」結成。戦後は官能小説を書いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小熊 秀雄(おぐま ひでお、1901年9月9日 - 1940… 小熊 秀雄(おぐま ひでお、1901年9月9日 - 1940年11月20日)は、日本の詩人、小説家、漫画原作者、画家である。筆名に、小熊 愁吉(おぐま しゅうきち)、黒珊瑚(くろさんご)、旭 太郎(あさひ たろう)などがある。 1901年(明治34年)9月9日、北海道小樽市稲穂町に生まれる。幼少期を稚内市・秋田・樺太で過ごし、泊居高等小学校を卒業。養鶏場の番人など様々な雑務作業に従事した後、1922年より旭川新聞社で新聞記者となる。この頃から詩作を始め、1923年、旭川新聞に最初の詩作『奪われた魂』などが掲載される。この頃よりペンネームを小熊愁吉(おぐま しゅうきち)や黒珊瑚(くろ さんご)の筆名を使用し、作品や取材記事を書いた。
福林 正之(ふくばやし まさゆき、1901年3月21日 - … 福林 正之(ふくばやし まさゆき、1901年3月21日 - 1977年6月13日)は、日本の出版実業家、作家。 北海道小樽市生まれ。松本高等学校文科甲類を経て東京帝国大学社会学科卒。 報知新聞記者などを経て、1943年3月に『日本読書新聞』の発行元であった日本出版文化協会から改組された出版統制組織「日本出版会」の総務部次長兼編集室長となる。同紙は敗戦を待つまでもなく物資の不足と編集部員の応召などにより、1945年5月に休刊した。同年3月には出版用紙の確保のために一括して用紙を荷受する機関として「日本出版助成株式会社」が設立され、同社専務に就任。1946年、同社を日本出版協同株式会社に改組した後に社長に就任した。
早川 三代治(はやかわ みよじ、1895年(明治28年)6月… 早川 三代治(はやかわ みよじ、1895年(明治28年)6月22日 - 1962年(昭和37年)8月28日)は、日本の経済学者、小説家。位階は正五位。 北海道小樽市生まれ。北海道帝国大学卒業後、経済学を学ぶためにドイツに留学し、ウィーンでヨーゼフ・シュンペーターに面会し、指導を受ける。帰国後、レオン・ワルラスやヴィルフレド・パレートを日本に紹介し、北海道を中心に所得調査を行い、日本の所得分布でパレートの法則を検証した論文を発表した。また、北海道帝国大学、小樽経済専門学校・小樽商科大学、早稲田大学で教鞭を取り、早稲田大学で経済学博士の学位を取得している。 一方で、東北帝国大学農科大学予科在学時に有島武郎の教えを受け、文学に傾倒し、その後島崎藤村に師事し、多くの小説・戯曲・随筆を創作した。