坪川 拓史(つぼかわ たくし、1972年2月25日 - )は… 坪川 拓史(つぼかわ たくし、1972年2月25日 - )は、日本の映画監督、俳優、アコーディオン奏者。北海道長万部町出身で室蘭市に在住する。 1990年に上京して日本工学院専門学校に入学するが中退し、大田区洗足池公園でホームレス生活を送る。 1993年に串田和美主宰の劇団「オンシアター自由劇場」に入団し研究生となる。オーディションで劇団員の小日向文世から楽器が出来るか問われ、咄嗟に「アコーディオンが出来ます」とウソを言うが合格し、慌ててアコーディオンを始める。舞台俳優を経て自ら映画制作も始め、1995年に無声映画『十二月の三輪車』で初監督する。2011年に室蘭市へ移住する。 ・「函館港イルミナシオン映画祭(最優秀観客賞)」 ・「第17回ロサンゼルス日本映画祭(最優秀作品賞)」 ・公益社団法人日本広報協会主催「平成29年全国広報コンクール」映像部門(総務大臣賞) ・「第63回北海道広報コンクール」映像部門(特選受賞) ・全国地域映像団体協議会主催「全映協グランプリ2016」番組部門(最優秀賞) ・「北海道映像コンテスト2016」短編・VP文化部門(最優秀賞) この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
武田 晋(たけだ すすむ、1966年5月16日 - )は、日… 武田 晋(たけだ すすむ、1966年5月16日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家、ナレーター、演技講師。北海道出身。アットプロダクション及びオフィスティンブル所属。 他、現在札幌の情報誌『O.tone』にてエッセー『野茂英雄の如く』を連載中。 昭和41年札幌市北区にて、長万部町出身の父親と札幌出身の母親の元に生れる。 新聞記者であった父の転勤で五つの小学校を渡り歩いた。東京西新宿近辺に住んでいた頃、黒柳徹子やあのねのねを生で観覧し、芸能人に会えたことに感動した。野球が大好きでありながら、転校が多かったために少年団等に入れず、高校で野球部に入るまでは野球初心者だった。 北海道札幌白石高等学校に入学し、念願の野球部に入部したが初心者のため万年補欠であった。
西部 邁(にしべ すすむ、1939年〈昭和14年〉3月15日… 西部 邁(にしべ すすむ、1939年〈昭和14年〉3月15日 - 2018年〈平成30年〉1月21日)は、日本の思想家、評論家、経済学者。東京大学大学院修了。秀明大学教授・学頭、東京大学教養学部教授、隔月刊誌『表現者』顧問を歴任。 北海道出身。東大入学後にブントのメンバーとなり、東大自治会委員長として安保闘争に参加した。安保闘争から離脱後は東大大学院で近代経済学を専攻し、横浜国立大学助教授、東大助教授、英米への留学を経て東大教授となる。1980年代から保守の論客として活躍し、東大駒場騒動の際に東大教授を辞職。それ以後は在野の評論家として評論活動を行った。2018年に多摩川にて入水自殺。 1939年(昭和14年)、北海道の南部に位置する山越郡長万部町に生まれる。
大心 昇(だいしん のぼる、1937年8月2日 - 2012… 大心 昇(だいしん のぼる、1937年8月2日 - 2012年3月20日)は、北海道山越郡長万部町出身で宮城野部屋(入門時は高嶋部屋)に所属した大相撲力士。本名は長田 留雄(ながた とめお)→長田 留男( - とめお)。最高位は東前頭8枚目(1966年9月場所)。得意手は右四つ、寄り、蹴手繰りなど。現役時代の体格は179cm、115kg。 18歳の時上京し、高嶋部屋に入門。1956年9月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の横綱・大鵬(当初、納谷)や小結・沢光(同、沢向)などがいる。翌年1月場所にて、「長葉山」の四股名で序ノ口に付いた。同場所では5勝3敗と勝ち越し、上々の「大相撲デビュー」となったが、2勝目は納谷から挙げている(因みに納谷(大鵬)との対戦は、同場所以降、2度と叶わなかった)。
岩下 光男(いわした みつお、1917年(大正6年)8月19… 岩下 光男(いわした みつお、1917年(大正6年)8月19日 - 2002年(平成14年)4月13日)は、日本の工学者(海洋工学)。魚群探知機の改良型の開発者。元北海道東海大学学長補佐。北海道山越郡長万部町出身。 1936年(昭和11年)東京電機学校電気科卒業。同年、東北帝国大学電気通信研究所助手。1946年(昭和21年)電波科学専門学校助教授。1950年(昭和25年)4月東海大学工学部助教授。1959年(昭和34年)同工学部教授。1962年同海洋学部教授。1974年(昭和49年)同海洋学部長。1976年(昭和51年)同海洋研究所長。後に同海洋科学博物館長。1985年(昭和60年)北海道東海大学工学部教授。
斎藤 一郎(さいとう いちろう、1911年(明治44年)3月… 斎藤 一郎(さいとう いちろう、1911年(明治44年)3月15日 - 1968年(昭和43年)8月30日)は、昭和時代の労働運動家、労働評論家。 北海道長万部町生まれ。1930年山形県立新庄中学校(現山形県立新庄北高等学校)卒業。 1931年秋田で農民運動に参加。1932年全農全国会議秋田地方委員会を組織、日本共産党に入党。同年11月に治安維持法違反で検挙されて懲役5年の判決を受け、1939年に出獄。 敗戦後の1945年、共産党に再入党。1946年の結成時から産別会議の書記となり、党フラクションの責任者として労働運動を指導。1947年の二・一スト挫折の渦中に立つ。 1949年に労働組合政策をめぐって党中央と対立し、産別会議を離れ、共産党東京都委員に就任。
和田 芳恵(わだ よしえ、1906年4月6日 - 1977年… 和田 芳恵(わだ よしえ、1906年4月6日 - 1977年10月5日 男性)は、日本の小説家・文芸評論家。編集者の傍ら樋口一葉研究に没頭。多くの伝記・研究をまとめた。私小説作家としても知られ、晩年には老人の性愛を描いた短編で注目された。 北海道山越郡長万部町出身。北海中学(現北海高等学校)、中央大学法学部独法学科卒業。新潮社勤務のかたわら同人誌に小説を執筆。樋口一葉研究を行い、第二次世界大戦中に『樋口一葉研究』(1942年)などを刊行した。 1935年から1949年にかけて市川市八幡・市川地区在住であった。1952年に発表された「塵の中」には戦争前後の市川から八幡の様子が随所に描かれている。 戦後は大地書房に勤務、小説雑誌『日本小説』を創刊(「中間小説」を創始したと評される)。