中村 尚道(なかむら なおみち、1978年11月2日 - )… 中村 尚道(なかむら なおみち、1978年11月2日 - )は、日本の政治家、岩手県宮古市長(1期)。 岩手県宮古市出身。岩手県立宮古高等学校、大東文化大学法学部卒業。2001年(平成13年)宮古市役所に入庁、2019年(令和元年)産業振興部産業支援センター産業支援係長、2022年(令和4年)企画部企画課企画調整係長、2023年(令和5年)企画部企画課副主幹兼企画調整係長、2024年(令和6年)企画部秘書課長に就任する。 2025年(令和7年)2月、宮古市長山本正徳はこの年の市長選挙に不出馬を表明。4月に企画部秘書課長の中村は宮古市長選挙に立候補を表明した。 2025年6月15日、宮古市長選挙に無投票で初当選。
山本 正德(やまもと まさのり、1955年8月3日 - )は… 山本 正德(やまもと まさのり、1955年8月3日 - )は、日本の政治家、歯科医師。元岩手県宮古市長(4期)。 岩手県田老町(現宮古市)出身。町立田老第一小学校(現・市立田老第一小学校)、町立田老第一中学校(現・市立田老第一中学校)、岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1981年(昭和56年)3月、岩手医科大学歯学部卒業。勤務医を経たのち、1984年(昭和59年)4月12日、歯科医院を開業する。 2009年(平成21年)6月28日執行の宮古市長選挙に無所属で出馬し、初当選。同年7月3日、市長に就任。2013年(平成25年)6月9日告示、6月16日投票の市長選において無投票で2期目の当選。2017年(平成29年)6月18日告示、6月25日投票の市長選挙において8年ぶりの選挙戦となり、元市議の内舘勝則を破り3期目の当選。
熊坂 伸子(くまさか のぶこ、1952年8月30日 - )は… 熊坂 伸子(くまさか のぶこ、1952年8月30日 - )は、日本の政治家。元岩手県宮古市議会議員、元滝沢村(現滝沢市)助役、元普代村教育委員会教育長。博士(経営学)。 岩手県宮古市生まれ。岩手県立宮古高等学校を経て弘前大学理学部生物学科を卒業。卒業後、青森地方裁判所弘前支部に勤務(事務官)。 退職後3人の子育ての傍ら、慶應義塾大学文学部人間関係学科(学士入学・通信制)を卒業。東北大学大学院経済学研究科現代応用経済学専攻博士課程前期修了。修士論文は「地方自治体の福祉支出が地域に及ぼす経済効果ー秋田県鷹巣町の事例ー」。同博士課程後期を修了して博士号(経営学)を取得した。博士論文は「わが国市町村の政策評価ーNPM型政策評価の理論と展開ー」。
玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937… 玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937年〈昭和12年〉12月16日 - )は、日本の政治家。 農林水産大臣(第28・29代)、防衛庁長官(第56代)、衆議院議員(9期)などを歴任。 選挙などの際には旧字体の「澤」でなく、画数の少ない「沢」を用い「玉沢徳一郎」と表記されることが多い。 岩手県下閉伊郡田老町(現在の宮古市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業後、早稲田大学第二政治経済学部政治学科に入学。大学では早稲田大学雄弁会に所属。雄弁会の一期上に森喜朗、一期下に小渕恵三がいた。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士。学生時代から左翼が大嫌い(当時は学生運動の嵐の真っ只中)であることを公言していた。
菊池 長右ェ門(きくち ちょううえもん、1934年4月7日 … 菊池 長右ェ門(きくち ちょううえもん、1934年4月7日 - 2020年7月26日)は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、岩手県議会議員、宮古市長を務めた。祖父は立憲政友会に所属した元衆議院議員の菊池長右衛門、父は初代宮古市長で日本自由党に所属した元衆議院議員の菊池長右衛門。叔父は元宮古市長の菊池良三。親子3代揃って同名な為、代々「菊長」と呼ばれる。 岩手県宮古市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1965年、株式会社菊長商店(燃料販売会社)社長に就任する。1983年に自由民主党公認で岩手県議会議員選挙に立候補し、初当選。以後2回当選するが、3期目の途中に県議を辞職。宮古市長選挙に立候補して当選する。
中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月… 中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月27日 - 2007年(平成19年)1月2日)は、政治家。元日本社会党衆議院議員。岩手県宮古市出身。 1935年、岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒。早稲田大学に入るが中退する。中退後は帰郷し、家業の(株)中居製材所を継ぎ、社長となる。戦後、日本社会党に入党し、1947年、岩手県議会議員に当選し、2期務める。その後、石川金次郎の後継として1953年の衆議院議員選挙に当時の岩手1区から右派社会党公認で出馬し初当選。2期務めた後に民主社会党に参加し、1970年から1974年、1989年から1993年まで通算2期、地元の宮古市長を務めた。
菊池 長右衛門(きくち ちょううえもん、1901年(明治34… 菊池 長右衛門(きくち ちょううえもん、1901年(明治34年)1月16日 - 1974年(昭和49年)8月19日)は、日本の政治家。元立憲政友会→日本自由党衆議院議員(2期)。 岩手県出身。1920年(大正9年)盛岡中学校卒業。宮古町会議員、同町長、下閉伊郡町村会長、宮古市会議員、同議長、初代宮古市長、岩手県会議員などを務めた。 1936年の第19回衆議院議員総選挙で立憲政友会から立候補して当選。その後、1946年の第22回衆議院議員総選挙で日本自由党から立候補して再選。2期務めた。翌1947年、公職追放となる。 岩手県漁業組合連合会会長、同水産協会会長、東京都水産物卸売人協会理事、六大都市水産物卸売人協会常任理事を務めるなど水産関係の要職を歴任し、中央魚類㈱取締役社長、中央冷凍㈱取締役、東京豊海冷蔵㈱取締役、㈱宮古製氷冷凍工場取締役社長を務めるなど水産流通業界において重きをなした。
菊池 長右衛門(きくち ちょううえもん、1873年(明治6年… 菊池 長右衛門(きくち ちょううえもん、1873年(明治6年)11月3日 - 1922年(大正11年)5月16日)は、日本の政治家。立憲政友会衆議院議員(1期)。 岩手県出身。菊池家は盛岡藩の豪商であった東屋の一族である。宮古町会議員、下閉伊郡会議員、同参事会員、同議長、宮古町漁業組合長などを勤め、1920年の第14回衆議院議員総選挙で立憲政友会から立候補して当選。1期務めた。明治期に閉伊川河口の埋め立て工事が行われた際は私財を投じてこれにあたった。また自らが中心となり盛宮自動車を設立。さらに原敬と共に山田線の地元誘致へ働きかけるなど、劣悪だった地域の交通事情改善のため尽力した。
関口 松太郎(せきぐち まつたろう、1862年11月23日(… 関口 松太郎(せきぐち まつたろう、1862年11月23日(文久2年10月2日) - 1937年(昭和12年)12月29日)は日本の政治家。岩手県宮古町(現・宮古市)長、田老村(現・宮古市)長、岩手県会議員。 陸奥国閉伊郡花輪村(のち陸中国閉伊郡花輪村→岩手県東閉伊郡花輪村→下閉伊郡花輪村、現・宮古市)に生まれる。1883年東閉伊郡長沢村(のち花輪村)戸長役場書記となり、兵役を経て、東閉伊郡田鎖村外四ヶ村役場、東閉伊郡・北閉伊郡・中閉伊郡役所、下閉伊郡役所、重茂村長、下閉伊郡役所庶務兼財政課長などを経て、1908年宮古町長に当選する。その後、下閉伊郡会議員となり、1925年田老村長に就任する。1927年岩手県会議員に当選。
山崎 庸哉(やまざき ようや / ようさい、1861年〈文久… 山崎 庸哉(やまざき ようや / ようさい、1861年〈文久元年1月〉- 1916年〈大正5年〉2月11日)は、明治期の陸軍軍医、政治家。衆議院議員。最終階級は陸軍三等軍医正(少佐相当官)。 陸奥国閉伊郡津軽石村(岩手県閉伊郡津軽石村、東閉伊郡津軽石村、津軽石村を経て現宮古市津軽石)で生まれた。済生学舎で学び、陸軍軍医講習生を経て、1884年(明治17年)陸軍軍医学校を卒業した。 陸軍三等軍医(少尉相当官)に任官。日清戦争に従軍。1901年(明治34年)5月8日、陸軍一等軍医(大尉相当官)で予備役に編入された。 郷里で医院を開業した。篠民三の当選無効に伴い、1902年(明治35年)1月に実施された第6回衆議院議員総選挙岩手県第2区補欠選挙で当選し、憲政本党に所属し衆議院議員に1期在任した。
篠 民三(しの たみぞう、1843年5月(天保14年4月)-… 篠 民三(しの たみぞう、1843年5月(天保14年4月)- 1910年(明治43年)8月28日)は、明治期の漁業家、実業家、政治家。衆議院議員。 陸奥国閉伊郡浦鍬ヶ崎村(岩手県閉伊郡浦鍬ヶ崎村、東閉伊郡浦鍬ヶ崎村、鍬ヶ崎町、下閉伊郡鍬ヶ崎町、宮古町を経て現宮古市鍬ヶ崎)で、徳三郎の長男として生まれた。独学で学問を修めた。 1878年(明治11年)汽船を用いて天然氷40トンを初めて東北から東京へ輸送することに成功。1880年(明治13年)閉伊川沿岸埋立工事を計画し、3年間の工期で切通しを開削して交通の利便性を向上させた。1882年(明治15年)宮古湾漁業会社を設立して、鮭建網、鮭留網の新漁場を開いた。