黒須 貫(くろす とおる、1964年(昭和39年)7月22日… 黒須 貫(くろす とおる、1964年(昭和39年)7月22日 - )は、日本の政治家、神職。宮城県角田市長(2期)。元角田市議会議員(2期)。 宮城県角田市出身。宮城県角田高等学校、國學院大學法学部卒業。 鶴岡八幡宮で修行の後、熱日高彦神社の神主に就任。同神社含む4神社の宮司を務めている。 2015年(平成27年)9月13日に行われた角田市議会議員選挙に立候補し初当選。2019年(令和元年)再選。 2020年(令和2年)5月下旬、市議を辞職。6月12日、任期満了に伴う角田市長選挙に立候補する意向を表明。7月12日に行われた市長選に自由民主党・公明党の推薦を受けて立候補し、元市議の武田暁、元市職員の木村伸一を破り初当選した。
大友 喜助(おおとも きすけ、1950年(昭和25年)10月… 大友 喜助(おおとも きすけ、1950年(昭和25年)10月21日 - )は、日本の政治家。宮城県角田市長(3期)。 宮城県角田市出身。1975年(昭和50年)3月、東北福祉大学社会福祉学部卒業。同年4月、角田市役所に入庁。1995年(平成7年)3月、福島大学大学院地域政策科学研究科修士課程修了。角田市職員。 2008年(平成20年)7月27日に行われた角田市長選挙に無所属で出馬。3名の候補者との争いを制し初当選。8月10日、市長就任。 2012年(平成24年)、無投票で再選。 2016年(平成28年)、元市職員の新人を破り3選。 2021年、旭日小綬章受章。
佐藤 儀一郎(さとう ぎいちろう、1912年11月5日 - … 佐藤 儀一郎(さとう ぎいちろう、1912年11月5日 - 1997年6月13日)は日本の柔道家(講道館9段)、政治家。 宮城県角田市坂津田出身。1928年に旧制東北中学校(現・東北高等学校)を卒業。病弱な体を克服するために柔道を始めて恩師・佐久間弥太郎より厳しい指導を受け、後には高橋喜三郎、高橋勇蔵らにも師事した。記録上の講道館入門は1930年12月8日付だが、関東・東北・北海道柔道大会では同年と翌31年に個人戦・団体戦とも連覇を達成。身長180cm・体重95kgの恵まれた体躯と、得意技である固技や横捨身技が武器であった。 1934年より5年間は仙台鉄道局に籍を置き、1940年より6年間は旧制第二高校(現・東北大学)の柔道師範を務めた。
浅川 純直(あさかわ すみなお、1909年(明治42年)11… 浅川 純直(あさかわ すみなお、1909年(明治42年)11月29日 - 1991年(平成3年)3月9日)は、昭和時代の政治家。宮城県角田市長。奥州浅川氏の末裔。位階は正五位。 宮城県角田市生まれ。1942年(昭和7年)中央大学法学部卒。東京都職員を経て帰郷、角田市議会議長(4・5・6・7代)、角田市長(8・9代)を歴任。1990年(平成2年)市長を引退した。 角田市幡守会(角田石川藩家中の子孫の会)の会長を務めた。1991年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
竹谷 源太郎(たけや げんたろう、1901年(明治34年)2… 竹谷 源太郎(たけや げんたろう、1901年(明治34年)2月14日 - 1978年(昭和53年)9月12日)は、日本の政治家、内務官僚、弁護士。衆議院議員。 宮城県伊具郡角田町(現角田市)で呉服商・竹谷源平、いち夫妻の長男として生まれる。1918年、宮城県立角田中学校を卒業し、東京高等商業学校に入学したが、体操教官(陸軍中佐)の態度に反発し退学。同年、第一高等学校に編入し、1924年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。卒業後はアメリカ合衆国でデパートメント・ストアの研究を希望していたが、友人が相談もなく手続きをした高等試験行政科試験を受けて1924年11月に合格。同年、内務省に入省し静岡県属となる。
加藤 正義(かとう まさき、1900年6月1日 - 1996… 加藤 正義(かとう まさき、1900年6月1日 - 1996年1月1日)は、日本の政治家、教育者。宮城県角田市長(初代・2代・3代)。元宮城県議会議員(1期)。元角田町長。角田市名誉市民。位階は正六位。 1900年(明治33年)に現在の角田市内で生まれ、1918年(大正7年)3月、角田中学校を卒業し、1919年(大正8年)宮城師範学校本科第2部を卒業。角田小学校などの校長を務めた。 戦後1947年(昭和22年)の宮城県議会議員選挙に当選し、県議会議員となった。 1954年(昭和29年)10月の新設合併により拡大した角田町の町長選挙が11月に行われ出馬し、当選。初代町長に町長に就任した。1958年(昭和33年)10月1日、市制施行により角田市が誕生。
庄司 一郎(しょうじ いちろう、1892年(明治25年)1月… 庄司 一郎(しょうじ いちろう、1892年(明治25年)1月1日 - 1964年(昭和39年)8月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(立憲政友会→日本自由党→民主自由党→自由党)。厚生政務次官。宮城県柴田郡大河原町長。 宮城県伊具郡角田町(現角田市)出身。庄司房治の次男。東北学院で学び、中退した。『仙台日日新聞』『東北新聞』記者、『仙南新聞』主幹を務めた。後に仙南日日新聞社、雑誌『新東北』を創刊し、社長に就任した。また大河原町会議員、宮城県会議員、大河原町長などを歴任した。 1937年(昭和12年)の第20回衆議院議員総選挙で立憲政友会公認で立候補して当選した。以来当選6回。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)では非推薦で立候補して当選した。
保科 善四郎(ほしな ぜんしろう、1891年(明治24年)3… 保科 善四郎(ほしな ぜんしろう、1891年(明治24年)3月8日 - 1991年(平成3年)12月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将。衆議院議員を4期務めた後、財団法人日本国防協会会長。 宮城県伊具郡北郷村(現・角田市)出身。旧制宮城県角田中学校より、海軍兵学校および陸軍士官学校(第25期)を受験し、双方に合格している。海軍兵学校第41期入校。席次は入校時120名中40番、卒業時118名中28番。海軍大学校卒業。 1930年(昭和5年)5月から1932年(昭和7年)11月までアメリカ駐在であったが、海軍きってのアメリカ通として鳴らしアメリカ海軍の人物を調査するのが先決という持論を持っていた。