小池 隆英(こいけ たかひで、1960年〈昭和35年〉-)は… 小池 隆英(こいけ たかひで、1960年〈昭和35年〉-)は、日本の美術家、抽象画家。 山形県米沢市生まれ。1988年、東京藝術大学 美術学部絵画科油画卒業。1990年、東京藝術大学大学院 美術研究科油画修了。 小池隆英は絵画における色彩の関係性をコンセプトにして、具象イメージに頼らない色彩による抽象絵画を制作している。 彼の作品は、薄く溶かれたアクリル絵具が何層にも重なり連なり、具体的なモチーフも記号も用いられず、色の存在によって画面が構築されている。しかし決して平面的ではなく、色彩と色彩、色彩と形態、色彩とテクスチュアの関係により、独自の空間表現が展開されている。ステインニングと呼ばれるアクリル絵の具を綿布に染み込ませる技法が多用される。
福王寺 法林(ふくおうじ ほうりん、1920年11月10日 … 福王寺 法林(ふくおうじ ほうりん、1920年11月10日 - 2012年2月21日)は、日本画家、日本芸術院会員、日本美術院理事。名誉三鷹市民。位階は従三位。山形県米沢市生まれ。本名は福王寺雄一。 代表作は、『島灯』『ヒマラヤの花』等。息子の福王寺一彦も日本画家。
椿 貞雄(つばき さだお、男性、1896年2月10日 - 1… 椿 貞雄(つばき さだお、男性、1896年2月10日 - 1957年12月29日)は、大正から昭和にかけて活動した洋画家。 1896年(明治29年)、山形県米沢市に生まれる。椿家の先祖は御館の乱にて上杉景虎方として戦った椿喜介。米沢藩では御扶持方(下士階級)の家柄であり、また分家は芸者組(下士階級)に組する芸能・芸術に明るい家系であった。医師を目指し早逝した長兄の影響で画家を志すようになった。1914年(大正3年)に山形県立米沢中学校を中退して上京し、岸田劉生の個展を見て衝撃を受け、彼に会いに行こうと決意した。自作の油絵を携えて劉生の自宅に向かい、ここで自画像を褒められたことから、劉生との交流が始まる。
本間 国生(ほんま くにお、本名:本間 国雄、明治24年(1… 本間 国生(ほんま くにお、本名:本間 国雄、明治24年(1891年)3月24日 - 昭和48年(1973年)12月30日)は、米沢市出身の日本画家。文学博士の本間久雄の実弟。号は逸老庵。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
吾妻 健三郎(あづま けんざぶろう、安政3年(1856年)‐… 吾妻 健三郎(あづま けんざぶろう、安政3年(1856年)‐ 大正元年(1912年)10月26日)は、明治時代の銅版画家、石版画家、印刷技術者、出版者、ジャーナリスト。 出羽国米沢(現山形県米沢市)に米沢藩医の吾妻寿庵の三男として生まれた。明治6年(1873年)、親戚などから受け取った餞別を元手にして東京へ出て大学南校で学び、ゴットフリード・ワグネルによって銅版画を知った。明治9年(1876年)に日本橋に出版社『東陽堂』を開店する。明治14年(1881年)頃から3色使用の銅版転写石版画を工夫しており、これを万筋と名づけた。明治20年(1887年)に雑誌『絵画叢誌』、明治22年(1889年)に日本初のグラフィック雑誌『風俗画報』を発行したほか、尾形月耕による絵本、画集などを出版している。
下条 正雄(下條、げじょう / しもじょう まさお、1842… 下条 正雄(下條、げじょう / しもじょう まさお、1842年8月29日(天保13年7月24日) - 1920年(大正9年)12月1日)は、幕末の米沢藩士、明治・大正期の海軍軍人、政治家、日本画家。最終階級は海軍主計大佐。貴族院勅選議員。雅号・桂谷(けいこく)。 出羽国置賜郡米沢(現山形県米沢市)で、米沢藩士・下条半兵衛の長男として生まれ、慶応2年6月(1866年)下条武兵衛の養子となり家督を相続。明治2年12月(1870年1月)権少属任官。1873年以降、海軍少秘書、同大秘書、同少書記官、同主計少監、同督買部理事官、横須賀鎮守府会計監督部長、佐世保鎮守府主計部長、海軍主計学校長、海軍部内の諸課長、海軍主計大監等を歴任し、1893年5月予備役に編入。