遠藤 寛明(えんどう ひろあき、1986年〈昭和61年〉11… 遠藤 寛明(えんどう ひろあき、1986年〈昭和61年〉11月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 山形県議会議員(2期)などを歴任した。父は、東京オリンピック・パラリンピック担当大臣、自由民主党総務会長、衆議院議員(10期)などを務めた遠藤利明。 山形県上山市出身。上山市立南小学校、日本大学山形中学校、日本大学山形高等学校を経て、日本大学経済学部を卒業。慶應義塾大学大学院修士課程修了。その後、戦略国際問題研究所(CSIS)やパナソニック株式会社での勤務、遠藤利明衆議院議員秘書を経て、2019年(平成31年)、山形県議会議員選挙に出馬し初当選。山形県議会議員を2期務め、農林水産常任委員会委員長、厚生環境常任委員会委員長、建設常任委員会委員長、産業人材確保・生産性向上対策特別委員会委員長、広報広聴委員会委員長などを歴任。
斎藤 真朗(齋藤 真朗、さいとう まさあき、1966年11月… 斎藤 真朗(齋藤 真朗、さいとう まさあき、1966年11月30日 - )は、日本の政治家。山形県寒河江市長(1期)。 上山市生まれ。1985年、山形県立山形南高等学校卒業。1989年、新潟大学法学部卒業。同年、山形県職員となる。2018年、病院事業局県立病院課副主幹、2020年、庄内総合支庁総務課連携支援室長、2022年、環境エネルギー部みどり自然課長を歴任し、2023年4月、寒河江市副市長となった。2024年11月1日、副市長を退任。 同年の寒河江市長選挙に無所属で立候補して、いずれも新人の元市議会議長と元農水省職員の2人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:32,952人 最終投票率:55.55%(前回比:-pts) 2025年1月20日に市長に就任した。
遠藤 利明(えんどう としあき、1950年〈昭和25年〉1月… 遠藤 利明(えんどう としあき、1950年〈昭和25年〉1月17日 - )は、日本の政治家。日本スポーツ協会会長(第16代)。 東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣(第3次安倍内閣・第3次安倍第1次改造内閣)、文部科学副大臣(第1次安倍内閣)、建設政務次官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、衆議院青少年問題に関する特別委員長、同農林水産委員長、衆議院議員(10期)、自由民主党総務会長(第60代)、同選挙対策委員長(第9代)、同2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部長、同政務調査会長代理、同教育再生実行本部長、同国際局長、同幹事長代理、同スポーツ立国調査会長、同財務委員長、同中央政治大学院学院長、山形県議会議員(2期)を歴任した。
横戸 長兵衛(よこと ちょうべえ、1947年(昭和22年)1… 横戸 長兵衛(よこと ちょうべえ、1947年(昭和22年)1月23日 - )は、日本の政治家。元山形県上山市長(4期)、元上山市議会議員(4期)。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山形県立上山農業高校(現上山明新館高校)卒業。1991年(平成3年)5月、上山市議会議員に初当選。2001年(平成13年)5月、議長に就任。議長を2期4年務めた。2006年(平成18年)12月、市議を辞職。 2007年(平成19年)2月4日に行われた上山市長選挙に自民党・公明党の推薦を得て出馬。元市議の枝松直樹ら3人の候補者との戦いを制し初当選した(横戸長兵衛9,144票、枝松直樹6,117票、奥村博3,785票、門間徹2,274票)。
永田 亀昭(ながた かめあき、1922年〈大正11年〉9月1… 永田 亀昭(ながた かめあき、1922年〈大正11年〉9月17日 - 1998年〈平成10年〉12月29日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(4期)、元自由民主党山形県議会議員(2期)。位階は従五位。 山形県南村山郡上山町(現上山市)出身。山形県立山形中学校(現山形東高校)卒、1944年に日本歯科医学専門学校(現日本歯科大学)卒業。なお、1944年に軍隊入隊、陸軍軍医学校に入学し、1945年修了。復員後、永田歯科医院で歯科医師に従事。1964年に上山市歯科医師会長に就任。1966年山形県歯科医師会理事。 1955年から1983年まで自由民主党に所属。上山支部長や山形県支部連合会の総務会や政務調査会の各副会長などを務めた。
菅沼 儀平(すがぬま ぎへい、1896年(明治29年)9月1… 菅沼 儀平(すがぬま ぎへい、1896年(明治29年)9月1日 - 1972年(昭和47年)8月2日)は、日本の政治家。元山形県議会議員。 性格は、堂々たる体格で一見怖い感じだが、話せば飾り気なく、人懐っこしさを丸出しにする。政治一本気で真面目、統率力抜群。おべんちゃら嫌いで自分の意志を押し通したので敵もあった。農林行政については、「菅沼理論」を持っていたとされている。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。 この項目は、山形県に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/山形県)。
永田 亀之助(ながた かめのすけ、1890年(明治23年)7… 永田 亀之助(ながた かめのすけ、1890年(明治23年)7月30日 - 1967年(昭和42年)12月22日)は、日本の政治家。元山形県議会議員、元上山市議会議長。
酒井 久三郎 (さかい きゅうさぶろう、1888年〈明治21… 酒井 久三郎 (さかい きゅうさぶろう、1888年〈明治21年〉8月15日 - 1958年〈昭和33年〉8月13日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(1期)、元山形県議会議員、元宮生村村長。位階は従六位。勲六等瑞宝章。 山形県宮生村金生(現上山市)出身。1903年に上山尋常高等小学校高等科卒業、1909年に東京神田森田簿記専修学校の商業銀行社会一般全科卒業。 1923年に宮生村消防組頭に就任、1929年宮生村村会議員に選出、1931年宮生村助役就任。 1932年に宮生村村長となった。 1934年に上山タクシー社長に就任。 1939年9月25日に山形県会議員に初当選。同年10月に参事会員。 戦後、公職追放となり、1946年12月1日に県会議員を辞職。
川合 為吉(かわい ためきち、1872年6月10日〈明治5年… 川合 為吉(かわい ためきち、1872年6月10日〈明治5年5月5日〉 - 1933年〈昭和8年〉10月18日)は、明治の政治家。警察官。山形県山形市長(第8代)。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山形県警部、寒河江警察署長、米沢警察署長、山形警察署長などを歴任。1923年(大正12年)7月、山形市長に就任した。在任中は仙山線の実現、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の第一小学校の改築などに尽力した。1927年(昭和2年)7月、退任した。
斎藤 紀一(さいとう きいち、1861年9月5日(文久元年8… 斎藤 紀一(さいとう きいち、1861年9月5日(文久元年8月1日) - 1928年(昭和3年)11月17日)は、日本の医師(脳神経及び精神病専門医、青山脳病院長)、政治家。 同じく精神科医で歌人である斎藤茂吉の養父としても知られる。族籍は東京府平民。 東京の開業医として成功、ドイツ留学では医学博士号を取得した。また、一代で大規模な精神病院、「青山脳病院」を築き、帝国議会議員としても華麗な生活を送った。性格的には大言壮語が目立ち、孫である斎藤宗吉(北杜夫)からは後に、「口先がうまく、成り上がり者で貴族趣味の俗物」と評されている。北の長編小説『楡家の人びと』の主人公楡基一郎のモデルでもある。住所は東京市赤坂区青山南町。
森 犀助(もり さいすけ、1846年8月7日〈弘化3年6月1… 森 犀助(もり さいすけ、1846年8月7日〈弘化3年6月16日〉 - 1908年〈明治41年〉12月31日)は、日本の政治家。山形県南村山郡東村長。山形県会議員。 現在の上山市菖蒲出身。森作右衛門の長男として出生。1891年(明治24年)5月18日に南村山郡会議員選挙に東村選挙区から立候補して、当選。その後、1893年(明治26年)、1897年(明治30年)、1899年(明治32年)、1903年(明治36年)、1907年(明治40年)の選挙でも当選した。 1899年(明治32年)9月25日に山形県会議員総選挙に南村山郡選挙区から憲政党公認で立候補して、当選を果たした。1903年(明治36年)は立憲政友会公認で立候補して、再選を果たした。