中山 義秀(なかやま ぎしゅう、1900年10月5日 - 1… 中山 義秀(なかやま ぎしゅう、1900年10月5日 - 1969年8月19日)は、日本の小説家。本名は中山 議秀(なかやま よしひで)。横光利一に兄事し、無名時代の長い苦節を経て『厚物咲』『碑』で文壇に登場。以後作家として幅広く活躍した。後年は、戦国武将物や剣豪物を多く書いた。日本芸術院会員。 福島県西白河郡大屋村(後の大信村、現在の白河市)生まれ。 1918年に旧制福島県立安積中学校(現在の福島県立安積高等学校)を卒業、1923年に早稲田大学文学部英文科卒業。 早稲田大学在学中に、横光利一、富ノ澤麟太郎、小島勗らと同人誌『塔』を創刊。小説『穴』を発表。また、帆足図南次と『農民リーフレット』を発刊。
関根 正二(せきね しょうじ、本名読み:まさじ、1899年4… 関根 正二(せきね しょうじ、本名読み:まさじ、1899年4月3日 - 1919年6月16日)は、日本の洋画家。 1899年、福島県西白河郡大沼村(現白河市)に屋根葺き職人の父のもとに生まれた。1908年、前年に発った父を追い上京、深川区東町に移る。江東区立東川小学校の同級生に伊東深水がおり、伊東の紹介で1914年に東京印刷株式会社に就職。そこでオスカー・ワイルドの作品を読み、ワイルドの思想に触れた。 1913年頃から絵画の勉強をはじめ、数ヶ月だけ太平洋画研究所に通ったものの、ほぼ独学で絵画を習得する。1915年、会社を辞めた関根は長野県へ放浪し、洋画家の河野通勢と出会う。同年10月、「死を思ふ日」が第2回二科展に入選。
松島 瀧三(まつしま たきぞう、1893年〈明治26年〉8月… 松島 瀧三(まつしま たきぞう、1893年〈明治26年〉8月 - 没年不明)は、日本の実業家。日本毛皮革代表。 福島県西白河郡白河町(現白河市)出身。製革業・肥料毛皮貿易商などを営む松島瀧右衛門の六男。白河商業卒業。分家した。 1917年、上京し上原松島合名会社を設立し、その後上原商事株式会社に改組する。日本毛皮組合理事、日本毛皮輸入組合理事をつとめる。日本毛皮代表、上原商事常務を経て日本毛皮革代表。 宗教は禅宗。住所は東京世田谷区代田、本郷区本郷。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大谷 五花村(おおや ごかそん、明治24年(1891年)7月… 大谷 五花村(おおや ごかそん、明治24年(1891年)7月27日 - 昭和33年(1958年)4月26日)は、政治家、作家。本名・五平(ごへい)。 1891年(明治24年)、福島県五箇村(現白河市借宿)に生まれる。幼名を五一郎といった。 五箇尋常高等小学校(現五箇小学校)、福島県立安積中学校(現福島県立安積高等学校)に学び、久米正雄とクラスメートになり、深い親交を結んだ。この頃より短詩型文芸に興味を持ち、川柳や里謡等を作り始め新聞や雑誌に投稿するようになった。 1912年(明治45年)4月、明治大学に進学。在学中に川柳復興運動の先頭に立って活躍した井上剣花坊について川柳を学ぶ。「大正川柳」発行の際には会員になり、後に同人となり活躍した。
円谷 光衛(圓谷 光衞、つむらや みつえ、1889年(明治2… 円谷 光衛(圓谷 光衞、つむらや みつえ、1889年(明治22年)2月5日 - 1962年(昭和37年)3月6日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員。 福島県西白河郡、のちの大信村(現白河市)出身。1909年、福島県師範学校を卒業。小学校訓導、同校長、郡視学、福島県視学、国民学校長などを務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に福島県選挙区から日本自由党所属で出馬し当選。その後、第24回総選挙まで連続3回当選した。この間、経済安定本部嘱託、衆議院文部委員長、日本自由党政調会文教委員長などを歴任した。 その他、西白河郡連合青年団長、日本教育会福島県支部長、福島県教育会理事長を務めた。
上原 政兵衛(うえはら まさべえ、旧姓・松島、1888年〈明… 上原 政兵衛(うえはら まさべえ、旧姓・松島、1888年〈明治21年〉4月25日 - 没年不明)は、日本の商人(原皮毛皮貿易商)、実業家。 福島県西白河郡白河町(現白河市)生まれ。製革業・肥料毛皮貿易商などを営む松島瀧右衛門の四男。1910年、先代上原ゆきの入夫となる。家督を相続する。原皮毛皮貿易商を営む。 1938年、紺綬褒章を賜る。上原商事会長、日本毛皮革、富士製革工業、天津大興物産各社長、日本原皮常務を歴任し、1946年に大興物産社長に就任する。 趣味は骨董。宗教は真宗。墓所は同宗の浅草今戸の本龍寺。住所は東京市本郷区向ヶ丘弥生町、文京区駒込林町、浅草区今戸町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
10代 吉野 周太郎(よしの しゅうたろう、1871年5月3… 10代 吉野 周太郎(よしの しゅうたろう、1871年5月30日〈明治4年4月12日〉 - 1937年〈昭和12年〉5月22日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓は伊藤、幼名は要三。福島経済界の「巨人」と称された。 陸奥国白河郡、後の福島県西白河郡白河町(現白河市)で素封家・伊藤善右衛門の三男として生まれ、1888年(明治21年)7月、信夫郡八島田村(信夫郡野田村、吾妻町を経て現:福島市八島田)の9代吉野周太郎の婿養子となる。1911年(明治44年)8月、養父の死去に伴い家督を継承し、同年11月、10代周太郎を襲名した。 養父の築いた多額の財産により、福島第六銀行頭取、第百七銀行頭取、福島銀行頭取、武蔵野銀行頭取、岩代銀行頭取、福島電灯社長、夏井川水電取締役会長、福島羽二重取締役会長、福島県購買組合連合会理事長、同県信用組合連合会理事長などを務めた。
加藤 千浪(かとう ちなみ、1810年12月15日(文化7年… 加藤 千浪(かとう ちなみ、1810年12月15日(文化7年11月19日) - 1877年(明治10年)11月18日)は、幕末から明治時代の国学者・歌人。通称は弥三郎または弥助。号は萩園。 陸奥国白河(現在の福島県白河市)にて加藤美方と母緑川氏の子として生まれる。幼少より勉学を好み、後に江戸に出て、岸本由豆流に国学を学ぶ。歌道や書に長けていたという。 明治維新後、歌人としての名声が高く、多くの門人を抱えた。この中には伊東祐命や中島歌子などがいる。1877年(明治10年)11月18日逝去。享年68歳。墓所は深川の臨川寺。妻は三宅氏で、子供はなく養子を関氏よりとった。 顕彰碑が向島区の牛嶋神社に建立された。