茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 201… 茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 2013年5月31日)は、日本の工学博士(航海計器学)、作家、水中考古学(海洋考古学)研究者。 茨城県筑波郡筑波町大字北条(現・つくば市北条)出身、千葉県市川市に在住していた。勲三等旭日中綬章、東京商船大学(現・東京海洋大学)名誉教授、英国王立航海研究所名誉会員、日本水中考古学会副会長。ペンネームは、油棚憲一(あぶらだな けんいち)、茂在公望(もざい こうぼう)、鬼怒川公望(きぬがわ こうぼう)、他。 日本で初めてヨットを製作する。土浦中学校(現・茨城県立土浦第一高等学校)、東京高等商船学校(現・東京海洋大学)航海科卒業後、日本郵船を経て、鳥羽商船学校、東京高等商船学校(東京商船大学を含む)、横浜国立大学、東京大学、東海大学で教鞭をとりながら、先端研究分野である船舶のオートパイロットを視野にいれた航海計器の近代航海術の技術開発研究を行う。
池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 199… 池田 峯雄(いけだ みねお、1911年8月30日 - 1998年12月3日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、1期)を務めた。日本農民組合 (統一派)中央常任委員及び同常総同盟委員長などを歴任。 茨城県筑波郡作岡村安食(現在のつくば市安食)の小地主の家に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)3年の時に、父の経営する会社が倒産し、新治郡土浦町(現在の土浦市)へ移住。同地の茨城県立土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を卒業後、結城郡宗道村(現在の下妻市)で代用教員に就く。この間、土浦中学校同級生の小林孝祐を介して文化サークルに参加、加藤四海ら全日本農民組合連合会(全農)関係者と親交を深めた。
上野 壮夫(上野 壯夫、うえの たけお / そうふ、1905… 上野 壮夫(上野 壯夫、うえの たけお / そうふ、1905年6月2日 - 1979年6月5日)は、日本の詩人、小説家、コピーライター。妻の小坂たき子も小説家。戦後はコピーライターとしてヒットを飛ばし、広告業界で活躍した。 茨城県筑波郡作岡村(筑波町を経て現つくば市)で、上野清二郎(地主、警察官)、とく の三男として生まれた。早稲田高等学院露文学科を中退し、アナキズム系の「黒嵐時代」の一員となり、1929年「文芸戦線」に携わり、1927年に労農芸術家連盟の書記長及び前衛芸術家同盟の結成や、日本プロレタリア作家同盟に加入した。 後に人物評論社に就職し、『人物評論』編集部に勤務し、尾崎一雄の「暢気眼鏡」を掲載した。
男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう、1903年9月17日 … 男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう、1903年9月17日 - 1971年1月20日)は、茨城県筑波郡菅間村(現在のつくば市磯部)出身で佐渡ヶ嶽部屋(入門時は高砂部屋)に所属した大相撲力士。第34代横綱。本名は坂田 供次郎(さかた ともじろう(きょうじろう))。 1903年9月17日に茨城県筑波郡菅間村(現在のつくば市磯部)で農家を営む一家に三男として生まれる。元々は屋根の修理屋で働いていたが、ある時修理中の屋根を踏み抜いてしまい、その力の強さに驚いた周囲の勧めで地元の相撲大会に出場するといきなり優勝してしまった。そのまま筑波郡大会・茨城県大会でも優勝し、自信を持って力士を志すようになった。そんなある日、偶然茨城県へ巡業に来ていた阿久津川高一郎を訪ねて入門を志願するものの、最初は厳しい稽古の話に終始したため諦めて戻るが、力士を目指す気持ちが全く揺るがなかったために4度訪問して、ようやく入門を許可された。
江戸 英雄(えど ひでお、1903年7月17日 - 1997… 江戸 英雄(えど ひでお、1903年7月17日 - 1997年11月13日)は、日本の実業家。三井不動産社長を務めた。終生、三井グループに影響力を持ち続け、グループ内で地位の低かった三井不動産を「三井御三家」の一角に押し上げた。また東京ディズニーランドのオープンに尽力したほか、妻と娘が関わった桐朋学園の発展にも一役買った。 茨城県筑波郡作岡村大字作谷(現:つくば市)の農家に生まれる。兄1人、姉3人の末っ子だったが、2人の姉は子供の頃早世した。 村の小学校を卒業後、茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)に入学した。自宅から中学まで10キロあったが毎日自転車で通い、隣村の一級下の赤城宗徳(衆議院議員)は同じ自転車通学の仲間だった。
北沢 直吉 (きたざわ なおきち、1901年9月25日 - … 北沢 直吉 (きたざわ なおきち、1901年9月25日 - 1981年7月19日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員、外務省参与、内閣官房副長官を務めた。 茨城県筑波郡大穂村大字長高野(現在のつくば市長高野)生まれ。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)から東京商科大学(現在の一橋大学)に進学し、1925年に卒業すると外務省に入る。入省して直ぐアメリカに赴任しプリンストン大学でM.A.の学位を取得(1927年)、斎藤博大使の下で対米交渉の一員として加わるが斎藤大使の死去に伴い帰国する。その後は香港で中華民国との和平工作に従事するが、1941年に在中華民国(汪兆銘政権)大使館一等書記官兼北京総領事となり、1943年にはビルマ大使館に参事官として赴任し、ビルマ首相のバー・モウが日本軍の敗走と共に亡命する際に案内役となった。
飯村 穣(いいむら じょう、1888年(明治21年)5月20… 飯村 穣(いいむら じょう、1888年(明治21年)5月20日 - 1976年(昭和51年)2月21日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将、栄典は従三位勲一等。茨城県出身。陸士21期次席。 総力戦研究所所長として研究生とともに「総力戦机上演習」という日米開戦となった場合のシミュレーションをおこない、日本の敗北という結論を出した。 この演習では船舶の喪失が生産量を上回り、戦争遂行が困難になること、ソ連とアメリカが軍事的に協力する(演習ではソ連極東地方の米軍の軍事利用という設定)ことなど実際の太平洋戦争をかなり正確に予測した。 自著「続兵術随想」によると、当時陸軍大臣であった東条英機は、殆ど毎日机上演習を見学した一方で、主戦派の塚田攻参謀次長は一度も見学せず、主戦派が大勢を占める参謀本部からは数人の部員だけ見学に来たとのことである。
飯村 五郎(いいむら ごろう、1888年(明治21年)4月1… 飯村 五郎(いいむら ごろう、1888年(明治21年)4月13日 - 1946年(昭和21年)5月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→昭和会)、弁護士。 茨城県筑波郡真瀬村(現在のつくば市)出身。飯野茂吉の二男として生まれ、1910年(明治43年)に茨城県会議長飯村忠七の婿養子となった。1913年(大正2年)、東京帝国大学法科大学を卒業後、一年志願兵制度によって陸軍三等主計に任じられた。退役後は弁護士を開業した。 1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は6回を数えた。その間、米内内閣で厚生参与官を務めた。1935年(昭和10年)には昭和会を結党にも参加している。
市村 瓚次郎(いちむら さんじろう、1864年9月9日(元治… 市村 瓚次郎(いちむら さんじろう、1864年9月9日(元治元年8月9日) - 1947年(昭和22年)2月23日)は、日本の歴史学者。文学博士。東京帝国大学名誉教授、國學院大學学長。専門は東洋史、中国史。字は圭卿。号は器堂・筑波山人・月波散人。日本の東洋史学の開拓者。 元治元年(1864年)、常陸国筑波郡北条町(現茨城県つくば市北条)出身。1878年に上京し、明治法律学校を経て、1887年に帝国大学古典漢書科を卒業。 翌1888年に学習院傭教師に就いた。1890年に同助教授、1892年に同教授昇格。学習院傭教師時代の1889年には、森鷗外らとともに同人組織の新声社を結成し、8月に日本近代詩の形成などに大きな影響を与えた共訳の詩集『於母影』(雑誌『国民之友』夏期付録)を刊行した。
飯田 新右衛門(新右衞門、いいだ しんうえもん、1861年1… 飯田 新右衛門(新右衞門、いいだ しんうえもん、1861年1月20日(万延元年12月10日)- 1915年(大正4年)7月31日)は、明治から大正初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 常陸国筑波郡真瀬村(若森県筑波郡真瀬村、新治県筑波郡真瀬村、茨城県筑波郡真瀬村、真瀬村真瀬、谷田部町真瀬を経て現つくば市真瀬)の旧家に生まれた。秋場桂園、村田雷蔵らから漢学、法律学を学んだ。農業を営む。 筑波郡福岡村外二カ村連合戸長、筑波郡書記、登記所書記、学務委員などを務めた。1892年(明治25年)茨城県会議員に選出され1896年(明治29年)まで在任し、同常置委員も務めた。 1908年(明治41年)5月、第10回衆議院議員総選挙(茨城県郡部、立憲政友会)で初当選し、1912年(明治45年)5月の第11回総選挙(茨城県郡部、立憲政友会)でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
木村 格之輔(きむら かくのすけ、嘉永4年9月23日(185… 木村 格之輔(きむら かくのすけ、嘉永4年9月23日(1851年10月17日) - 大正5年(1916年)7月18日)は、日本の衆議院議員(立憲改進党→憲政党→憲政本党→立憲国民党)、弁護士。 常陸国河内郡手代木村(現在の茨城県つくば市)に中島幸右衛門の二男として生まれ、木村久治の養子となった。漢学・法律学を学び、1881年(明治14年)、代言人試験に合格し、新治郡土浦町(現在の土浦市)に事務所を開いた。また破産管財人も務めた。 1892年(明治25年)からは県議を務め、1894年(明治27年)、新治郡から第4回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第10回衆議院議員総選挙まで7期連続当選を果たした。
松枝 祐香 は、日本の女優、声優。茨城県つくば市。プロダクシ… 松枝 祐香 は、日本の女優、声優。茨城県つくば市。プロダクション・タンク所属。
杉本 亜紀子(すぎもと あきこ、11月19日 - )は、シャ… 杉本 亜紀子(すぎもと あきこ、11月19日 - )は、シャベール所属のフリーアナウンサー。元秋田朝日放送アナウンサー・ディレクター(報道製作局所属、契約)。元TBSラジオキャスター。茨城県つくば市出身。川村学園女子大学教育学部情報教育学科を卒業した。 平成13年度(2001年)の宝くじ第22代「幸運の女神」を務めた。アナウンサーを志すきっかけは、学生のときに地元のJAのキャンペーンで各地を廻ったことから。その後、東京でエフエム局などでアナウンス活動をし、2006年に秋田朝日放送に入社した。同期は塩地美澄。2007年3月31日をもって秋田朝日放送を退社した。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
政治家。守谷市議会議員。