益子 京右(ましこ きょうすけ、2000年12月27日 - … 益子 京右(ましこ きょうすけ、2000年12月27日 - )は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 小学校1年生のときに野球を始め、4年生で明保学童野球部に入る。女手一つで育ててくれた母が幼いころからキャッチボール相手だった。宇都宮市立宝木中学校時代は軟式野球部に所属。 青藍泰斗高校では1年秋から正捕手。石川翔は1年先輩に当たる。3年時は4番、主将としてチームを引っ張り、春の県大会は2本塁打、7打点の活躍で準優勝し、優秀選手に選ばれた。夏の県大会は準決勝で敗退し甲子園出場を逃すも、地肩の強さをアピールし、打撃では高校通算で23本塁打を記録した。 2018年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議にて横浜DeNAベイスターズから5位指名を受けた。
中山 誠吾(なかやま せいご、1999年5月9日 - )は、… 中山 誠吾(なかやま せいご、1999年5月9日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 宇都宮市立田原西小学校2年生のときに西サンライズで軟式野球を始め、小学校4年生から中学生までは栃木ヤングベースボールクラブに所属。小学生時代には陸上競技でも活躍し、小学校5年、6年時に宇都宮市の大会の走幅跳で2連覇を達成している。 青藍泰斗高等学校では1年秋から遊撃手のレギュラーを掴む。2年春には栃木県大会で準優勝し、母校の6年ぶりの関東大会出場に貢献した。甲子園出場経験は無い。 白鷗大学に進学すると1年春からベンチ入り。2年春から一塁手のレギュラーに定着すると、同年秋から4番打者を務め、11打点で最多打点を獲得。
田嶋 大樹(たじま だいき、1996年8月3日 - )は、栃… 田嶋 大樹(たじま だいき、1996年8月3日 - )は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。オリックス・バファローズ所属。 父親の影響を受け、小学校から宝木ファイターズで軟式野球を始め、6年時にエースとして県大会で優勝をする。中学校では硬式野球の鹿沼ボーイズに所属し、3年に世界大会に出場した。 佐野日本大学高等学校では1年夏からベンチ入りして、1年秋から背番号11ながら主戦を任され秋・春連続で関東大会進出。2年秋から背番号1を背負い、2年秋の関東大会では淺間大基・髙濱祐仁を擁する横浜高校を破り関東大会ベスト4に進出し、選抜出場を決める。3年春の選抜大会に出場すると、1回戦の鎮西戦で完封勝利。
寺田 哲也(てらだ てつや、1987年4月2日 - )は、栃… 寺田 哲也(てらだ てつや、1987年4月2日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時代から野球を始め、中学生の時には所属チームが第19回全国少年軟式野球大会に出場している。小学生では投手、中学生時代は野手であった。 作新学院高進学後は再び投手となる。高校時代は3年生時に関東大会で優勝したが、甲子園大会には出場できなかった(2年生時の第76回選抜高等学校野球大会に作新学院高校は出場したが、寺田が登板する機会はなかった)。 作新学院大学に進学後は、4年生時に社会人野球のJR東日本東北や東京ガスの練習に参加したことを契機に球速が向上した。大学野球部コーチの紹介で新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの入団テストを受けて合格し、2010年のシーズンより加入した。
関口 雄大(せきぐち ゆうた、1985年8月26日 - )は… 関口 雄大(せきぐち ゆうた、1985年8月26日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(外野手)。
小針 崇宏(こばり たかひろ、1983年6月22日 - )は… 小針 崇宏(こばり たかひろ、1983年6月22日 - )は、栃木県宇都宮市出身の野球指導者。作新学院高等学校保健体育科教諭。 1983年宇都宮市生まれ。 4歳年上の兄が野球をやっていた影響で、小学2年生のときから野球を始めた。宇都宮市立陽西中学校でも野球部に所属。 作新学院高等部2年時であった2000年春に第72回選抜高等学校野球大会に内野手として出場し、チームはベスト8進出。3年時は主将に就任したが、夏の大会は県予選決勝で敗退した。 高校卒業後の2002年4月より筑波大学体育専門学群へ進学。大学でも野球部に入り、入学直後の春に怪我した先輩の代役で試合に出場し注目されたことによって、1年からレギュラーとなった。
髙嶋 徹(たかしま とおる、1970年4月18日 - 202… 髙嶋 徹(たかしま とおる、1970年4月18日 - 2021年9月28日)は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(捕手)。1997年から1998年までの登録名は髙嶋 龍(たかしま りゅう)。娘は元「東京パフォーマンスドール」リーダーで女優の高嶋菜七。 小学3年の時に野球を始める。宇都宮市立雀宮中学校から宇都宮学園高に進学し、1988年の第60回選抜・第70回全国選手権に出場。4番に座り、3番に座っていた真中満とともにチームを引っ張った。春は3勝し、ベスト4。夏は2勝し、3回戦敗退。強力打線の核として攻守に突出したファイターぶりを発揮し、甲子園でも人気者となった。 1988年オフ、ドラフト外でオリックス・ブレーブスに契約金3300万円、年俸400万円(金額は推定)で合意し、入団。
髙嶋 徹(たかしま とおる、1970年4月18日 - )は栃… 髙嶋 徹(たかしま とおる、1970年4月18日 - )は栃木県出身の元プロ野球選手(捕手)。1997年から1998年までの登録名は髙嶋 龍(たかしま りゅう)。
髙村 祐(たかむら ひろし、1969年9月2日 - )は、栃… 髙村 祐(たかむら ひろし、1969年9月2日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。 宇都宮市立西小学校時代、クラブチーム・西あかつきで小学3年生から野球を始める。宇都宮市立一条中学校を経て、県立宇都宮南高校に入学。第58回選抜高等学校野球大会で準優勝を果たす。その後、法政大学に進学。野球部同期に諸積兼司、3学年後輩に稲葉篤紀がいる。実力は申し分無くチームのエースとして活躍したシーズンもあった(1990年春の東京六大学リーグ戦で最優秀防御率を獲得)が、最上級生として迎えたシーズンでは目立った活躍もなくプロのスカウトにアピールすることができなかった。しかし4年秋、スポーツ紙に東京六大学野球リーグ戦で150キロを記録したと書かれたこともある。
髙村 祐(たかむら ひろし、1969年9月2日 - )は、栃… 髙村 祐(たかむら ひろし、1969年9月2日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。現在は福岡ソフトバンクホークス一軍投手コーチ。
小野 和義(おの かずよし、1965年11月13日 - )は… 小野 和義(おの かずよし、1965年11月13日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。 現役時代は近鉄バファローズ時代に2桁勝利を5度記録するなど、パシフィック・リーグを代表する左投手として活躍、野茂英雄と並ぶ近鉄のエース級投手として活躍した。 宇都宮市立桜小学校時代には1977年の第8回県下学童少年野球大会(下野新聞社主催)で桜学童のエースとして優勝を経験、宇都宮市立陽西中学校では1年生の秋からエースとして県内の大会で活躍した。創価高等学校時代は角度のある速球と変化球で非凡な投球を見せ、大型左腕投手として江夏二世の声があった。2年生時の1982年秋季東京大会では準決勝に進むが、桜美林高に惜敗。
金敷 一美(かなしき かずみ、1961年11月22日 - )… 金敷 一美(かなしき かずみ、1961年11月22日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(外野手)。 宇都宮商業高では1年秋の関東大会準々決勝で川口工に延長10回サヨナラ負け。翌2年秋の関東大会は初戦で川口工に雪辱して準決勝で小川博が先発した前橋工に勝利するなど準優勝。1979年に選抜甲子園に出場。初戦を突破し、2回戦では小早川毅彦を擁するPL学園と延長10回の末に惜敗。続く春の関東大会は準々決勝で上尾高のエース・仁村徹を相手に延長13回の末に敗退。 社会人野球の東芝府中を経て、1983年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから6位指名を受け入団。 走力がアピールポイントでありプロ2年目の1985年に一軍初出場するが、翌1986年限りで現役を引退。
斉藤 浩行(さいとう ひろゆき、1960年5月10日 - )… 斉藤 浩行(さいとう ひろゆき、1960年5月10日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)、監督。 宇都宮商業高では1977年秋季関東大会に進むが、1回戦で取手二高に敗退。翌1978年の夏の甲子園栃木県予選は準決勝で小山高に敗れる。 高校卒業後は、社会人野球の東京ガスに入社。1980年から都市対抗野球に一塁手として2年連続出場。1981年の都市対抗野球では工藤真らの好投もあって準決勝に進むが、電電東京の竹舛和也に完封を喫する。この時のチームメイトに金森栄治(プリンスホテルから補強)がいた。同年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け入団。そのずば抜けたパワーからポスト山本浩二と評された長距離打者であった。
飯塚 佳寛(いいづか よしひろ、1945年1月26日 - )… 飯塚 佳寛(いいづか よしひろ、1945年1月26日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 宇都宮学園では2年次の1962年、夏の甲子園栃木大会で準決勝に進出するが、同年に本大会春夏連覇を成し遂げる作新学院に大敗。卒業後は1964年に鷺宮製作所へ入社し、1968年の都市対抗に電電東京の補強選手として出場。2回戦で河合楽器に延長10回サヨナラ負けを喫するが、適時打を放つなど活躍。 同年のドラフト14位で東京オリオンズに入団し、1年目の1969年から控え遊撃手として一軍で起用される。1971年には別当薫監督に誘われ、池田重喜・淵上澄雄との交換トレードで平岡一郎と共に大洋ホエールズへ移籍。
中野 孝征(なかの たかゆき、1944年6月14日 - )は… 中野 孝征(なかの たかゆき、1944年6月14日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(内野手)。 中学時代は遊撃手兼リリーフ投手だった。作新学院高では1年からレギュラー遊撃手となり、1961年、2年生の時に春の選抜に出場。2回戦で高松商業高に敗れる。1年上のチームメートに島野育夫がいた。翌1962年には主将、一番打者として春の選抜に連続出場。エース八木沢荘六を擁して勝ち進み、決勝で日大三高を降し優勝。 同年夏の選手権では八木沢の急病により、控えの加藤斌を主戦投手に立て勝ち進む。決勝では加藤が久留米商業高のエース伊藤久敏と投げ合い1-0で辛勝、史上初の甲子園春夏連覇を果たす。高校同期に八木沢、加藤の他、中堅手、四番打者の高山忠克がいた。
加藤 斌(かとう たけし、1944年5月21日 - 1965… 加藤 斌(かとう たけし、1944年5月21日 - 1965年1月4日)は、中国上海生まれ、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)。 作新学院高ではエース・八木沢荘六の控え投手として、主にリリーフを担当していた。 1962年、作新学院は八木沢などの活躍もあって春の選抜に優勝、続く夏の甲子園予選北関東大会も勝ち上がり、春夏連覇に期待をかけられた。春の優勝後、加藤は野球部長の勧めで投法をオーバースローからアンダースローに転向している。 大会直前、エースの八木沢が赤痢にかかり、チームは急遽加藤を主戦投手として戦うこととなった。甲子園では1回戦で気仙沼高に苦戦したものの勝ち上がり、準決勝では林俊彦、木俣達彦の強力バッテリーを擁する中京商を2-0で完封。
島野 育夫(しまの いくお、1944年3月30日 - 200… 島野 育夫(しまの いくお、1944年3月30日 - 2007年12月15日)は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(外野手)、コーチ、監督、野球解説者。 コーチ時代は相手の癖を盗む特技を生かし、 三宅博は著書で、センスを持ったクセ盗みの名人と記している。特に星野仙一との監督・コーチコンビでは中日ドラゴンズ・阪神タイガースで優勝を経験しており、低迷期の長かった阪神にあって、島野が在籍していた時期は最下位になったことは一度もなかった。 長男は元競輪選手で現在は柔道整復師の島野敦識。 作新学院高校時代の1961年、中堅手として1学年下の八木沢荘六、高山忠克らとともに第33回選抜高等学校野球大会に出場した。
石田 二宣(いしだ つぐのぶ、1942年4月16日 - )は… 石田 二宣(いしだ つぐのぶ、1942年4月16日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手。 宇都宮学園高校では同期のエース高山勲とバッテリーを組み活躍。1959年秋季関東大会県予選準決勝に進出するが、石橋高に惜敗。翌1960年夏の甲子園予選北関東大会でも準決勝に進むが、桐生工に敗れた。卒業後は高山とともに東黎工業に入社。1962年には産業対抗に出場し、準決勝まで進む。同年の都市対抗にも熊谷組に補強され出場。 1963年に毎日大映オリオンズへ入団。醍醐猛夫らの壁を破れず、出場機会は少なかった。1970年には17試合に出場するが、うち13試合は偵察要員であり、同年限りで引退した。
斎藤 克男(さいとう かつお、1942年1月28日 - )は… 斎藤 克男(さいとう かつお、1942年1月28日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 作新学院高等部時代は1958年の夏の大会で初出場を4強・国体では初出場を優勝に導いた古口典央が引退した栃木県大会から正捕手となった。 1958年秋の栃木県大会でチームは1回戦に宮下陽吾と松本照夫の両投手が控える栃木商業、準決勝ではエース大井道夫率いる宇都宮工業を破り勝ち進んだ。そして決勝の矢板高戦では先制点となるタイムリー二塁打を放って勝利を呼び込み、4番・捕手として作新学院の秋季県大会初優勝の一端を担った。 秋の関東大会でも土田伸三投手とのバッテリーを務めながら4番に座り、作新は優勝の成績を収めた。
阿久津 義雄(あくつ よしお、1936年7月11日 - )は… 阿久津 義雄(あくつ よしお、1936年7月11日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(投手)。 宇都宮工業高校から1955年に中日ドラゴンズに入団。在籍4年間で2試合のみの登板に終わり、1958年に引退。
神田 昌男(かんだ まさお、1933年11月8日 - )は、… 神田 昌男(かんだ まさお、1933年11月8日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手。 宇都宮工業高校では吉成武雄とバッテリーを組んで1950年夏と1951年春に甲子園出場。 1952年に大洋ホエールズへ吉成と共に入団。1958年に引退。 引退後は日立製作所で監督を務めた。
吉成 武雄(よしなり たけお、1932年7月20日 - 19… 吉成 武雄(よしなり たけお、1932年7月20日 - 1960年6月10日)は、栃木県宇都宮市出身 のプロ野球選手(捕手)。右投左打。 宇都宮工業高校では、同期の神田昌男とバッテリーを組み、捕手、三番打者として甲子園に2回出場。1950年夏の選手権は2回戦(初戦)でエース大沢昭を擁する神奈川商工を降し、準々決勝では若狭高に大勝。準決勝に進むが、松山東高の池田勉(津田鋼材)に抑えられ完封負け。翌1951年春の選抜は1回戦で平安高の清水宏員を打ち崩し完封勝ち、しかし準々決勝で明治高のエース松尾豊(明大)に完封負けを喫する。明治高には沖山光利がいた。 1952年に大洋ホエールズへ神田と共に入団。同年は荒川昇治の控え捕手であったが、シーズン終盤には13試合に先発マスクを被る。
古谷 法夫(ふるや のりお、1921年7月27日 - 没年不… 古谷 法夫(ふるや のりお、1921年7月27日 - 没年不明)は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 宇都宮実業では1938年と1939年に夏の甲子園北関東大会へ進出するも、1938年は初戦、1939年には準決勝でそれぞれ敗退して甲子園に出場することはできなかった。 高校卒業後は1940年に法政大学へ進学するも中退し、1941年に東京鉄道局へ入社。南安男と並ぶ主戦投手になり、1942年と1946年の都市対抗に出場するが、それぞれ準々決勝で敗退。 コロムビア移籍後はエースとして活躍し、1950年に国鉄スワローズへ入団。1年目は結成第1戦となる3月10日の大洋戦(下関)に先発登板する予定であったが、緊張と重圧に耐えきれずに「はたして自分に開幕投手が務まるのだろうか?」と思い悩み、この日は「病院に行ってくる」と宿舎を出たきり戻らなかった。
青井 鉞男(あおい えつお、明治5年8月10日〈1872年9… 青井 鉞男(あおい えつお、明治5年8月10日〈1872年9月12日〉 - 1937年〈昭和12年〉9月17日)は、日本のアマチュア野球選手(投手)で、学生野球の指導者。 日本の野球史の草分け期に大きな功績を残し、また後進者の育成に大きく寄与したことが讃えられ、1959年(昭和34年)の野球殿堂創設時に初めて特別表彰者として殿堂入りした。 栃木県(当時は宇都宮県)河内郡宇都宮市出身。父は元宇都宮藩藩士の青井雅造。栃木県中学校(その後の宇都宮中学校、現在の栃木県立宇都宮高等学校)を卒業後、1892年(明治25年)に旧制一高へ進学。一高ベースボール部で主戦投手として活躍した。「千本素振り」は鉞男の練習方法の真骨頂であった。