伊藤 翔(いとう しょう、1999年2月10日 - )は、千… 伊藤 翔(いとう しょう、1999年2月10日 - )は、千葉県匝瑳市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。メキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツ所属。 中学校では九十九リトルシニアに所属し野手としてプレー。祖父は野栄町の町長を務めていた。 進学した横芝敬愛高校では、2年生からエースとなった。3年夏は県大会3回戦で敗退し甲子園出場はなかった。プロ志望届を提出したが指名漏れしたため独立リーグ行きを選択。大学に進学するとドラフトは4年後、社会人に進むとドラフトは3年後になるが、独立リーグの場合は1年目から指名対象となるため、早期のNPB入りが狙いであったと述べている。 四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験し、2016年11月13日に行われたドラフト会議において徳島インディゴソックスから指名(特別合格)を受け、入団した。
宮内 春輝(みやうち はるき、1996年5月25日 - )は… 宮内 春輝(みやうち はるき、1996年5月25日 - )は、千葉県匝瑳市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 匝瑳市立市立吉田小学校時代に吉田スポーツ少年団で野球を始め、匝瑳市立八日市場第二中学校時代は硬式野球(シニアリーグ)の九十九リトルシニアに所属。 千葉県立多古高等学校ではエースとなったが、3年夏の千葉県大会は2回戦で敗退し、甲子園出場経験はなかった。 明星大学経済学部経済学科に進学し、硬式野球部に所属する。2年生の時から投球スタイルを横手投げに変更。4年秋には首都大学野球リーグ2部の最優秀選手に選出されている。大学時代の2学年上に松原聖弥。 その後は社会人野球の日本製紙石巻に進み、1年目の2019年に七十七銀行の補強選手として第90回都市対抗野球大会に出場。
鎌田 光津希(かまた みずき、1995年9月6日 - )は、… 鎌田 光津希(かまた みずき、1995年9月6日 - )は、千葉県匝瑳郡野栄町(現:匝瑳市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPB在籍時は育成選手だった。 匝瑳市立野田小学校3年次から軟式野球を始め、匝瑳市立野栄中学校では軟式野球部に所属した。 横芝敬愛高に進学し硬式野球を始める。当初は120km/h台中盤しか出せなかった球速を、冬場の徹底したトレーニングで145km/hまで伸ばした。プロ志望届を提出すると、NPB球団からの指名はなかったが、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスから1位指名を受けた。しかし、高校の系列である敬愛大学へ進学するため入団を辞退した。
小川 晶(おがわ あきら、1982年〈昭和57年〉12月21… 小川 晶(おがわ あきら、1982年〈昭和57年〉12月21日 - )は、日本の政治家、弁護士。群馬県前橋市長(2期)。群馬県議会議員(4期)を歴任した。 千葉県匝瑳郡野栄町(現・匝瑳市)の米農家の3人きょうだいの第2子・長女として生まれた。実父は全国農民会議共同代表の小川浩。 もともとは教員を目指していたが、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件で自分と同い年の少年が逮捕されたことに衝撃を受けて弁護士を志した。清真学園高等学校卒業。中央大学法学部に進学。同大学5年生だった2005年、司法試験に合格。2006年、同大学を卒業。 2006年、24歳で司法修習生として前橋に移住。2007年には弁護士登録をして前橋市内の法律事務所で弁護士として勤務。
穐田 誉輝(あきた よしてる、1969年4月29日 - )は… 穐田 誉輝(あきた よしてる、1969年4月29日 - )は、日本の実業家、投資家、くふうカンパニー代表取締役、エンジェル投資家。カカクコム代表取締役社長、クックパッド代表執行役を歴任。千葉県匝瑳市生まれ。 千葉県匝瑳市生まれ、千葉県立匝瑳高等学校、青山学院大学経済学部を卒業。 1993年(平成5年)株式会社日本合同ファイナンスに入社。 1996年(平成8年)ジャック株式会社に転職。 1999年(平成11年)株式会社アイシーピーを設立し、代表取締役社長に就任。 2000年(平成12年)株式会社カカクコム(価格.com)の経営に参画、取締役に就任。翌年、代表取締役社長に就任。 2003年(平成15年)カカクコムを東京証券取引所のマザーズに上場。
宇野 勝(うの まさる、1958年5月30日 - )は、千葉… 宇野 勝(うの まさる、1958年5月30日 - )は、千葉県八日市場市(現:匝瑳市)出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)・コーチ・野球解説者・YouTuber。愛称はうーやん。 NPBにおける、史上初(現在まで唯一)の遊撃手としての本塁打王獲得者。 銚子商業高校では遊撃手、3番打者として活躍。1975年秋季関東大会県予選決勝に進むが、習志野高の鵜野稔に完封を喫し春の選抜出場を逸する。1976年の夏の甲子園に出場。エース佐藤斉(住金鹿島)の投打にわたる活躍もあり準々決勝に進むが、この大会に優勝した桜美林高の松本吉啓(明大 - 明治生命)に抑えられ敗退。2学年上に土屋正勝、1学年上に篠塚利夫、1学年下にプロで同僚となる中堅手の尾上旭がいた。
加瀬 純一(かせ じゅんいち、1957年11月26日 - )… 加瀬 純一(かせ じゅんいち、1957年11月26日 - )は、将棋棋士。棋士番号156。千葉県八日市場市(現・匝瑳市)出身。松田茂役九段門下。 父の加瀬不知夫は、日本将棋連盟の柏支部長。 1982年のプロ入り以来、タイトル戦で本戦進出歴は無く、第50期王座戦(2001年度)の二次予選決勝進出が最高であった。一般棋戦では、オールスター勝ち抜き戦で1回(第6回・1983年度)、NHK杯で2回(第35回・1985年度及び第52回・2002年度)予選を通過して本戦入りを果たした。順位戦での勝ち越しは第52期・1993年度の1回(7勝3敗)のみで、第56期・1997年度で3個目の降級点を喫し、同棋戦への参加資格を失いフリークラスに降級。
越川 和彦(こしかわ かずひこ、1956年12月12日 - … 越川 和彦(こしかわ かずひこ、1956年12月12日 - )は、日本の外交官。外務省国際協力局長、外務省大臣官房長、駐スペイン特命全権大使、独立行政法人国際協力機構副理事長、駐フィリピン特命全権大使を経て、現在、2027年横浜国際園芸博覧会政府委員。 千葉県匝瑳市出身。1980年に一橋大学法学部を卒業し、外務省入省。研修言語はスペイン語。また大学時代一年間休学し、シベリア経由で、ヨーロッパ諸国を一年間遊学した。 2000年に森内閣の内閣副広報官を務め、外国プレスの報道対応をした後、在ニューヨーク日本国総領事館に赴任した1ヵ月半後の2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件に遭遇し、広報センター長として事態の対処にあたった。
原 大輔(はら だいすけ、1954年10月12日 - 202… 原 大輔(はら だいすけ、1954年10月12日 - 2025年12月22日)は、日本の男性歌手、福祉活動家。本名:高梨 雅樹。別の芸名として江夏 一樹がある。 千葉県八日市場市(現:匝瑳市)出身。フォークソング、アニメソング、ニューミュージック、クラシック音楽、シャンソン、カンツォーネ、歌謡曲、演歌、童謡など、幅広く歌う。「音楽でこころもからだも元気に」と「音楽健康療法」の講演も行っていた。 父親が福祉施設を経営していたことから、施設に寄宿する障害児童とともに高校生まで共同生活し育つ。 1976年、フォークデュオのレイラとして、シングル「サマーエンジェル」でデビュー。東京音楽祭シルバーカナリア賞受賞。
おおくぼ 良太(おおくぼ りょうた、1952年9月10日 -… おおくぼ 良太(おおくぼ りょうた、1952年9月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、コメディアン。本名、大久保 芳正。所属していた事務所は「ゆうせん企画」。 千葉県八日市場市(現・匝瑳市)出身。父は千葉県内の中学校の校長で本人曰く「厳しい家庭に育った」とのこと。千葉県敬愛高等学校(現:横芝敬愛高等学校)機械科卒業。ジャニーズのタレントのカッコ良さに憧れ、高校卒業後にダンサーになりたくて芸能界を目指す。21歳の時に本場のダンスを習得するためにアメリカへ渡って1年間ウェイターや皿洗いなどのアルバイトをしながらダンスやエンターテインメントの勉強をし、タップダンスの修業を積んで帰国。 帰国後はダンサーや振り付けの仕事などをしていた一方で、1976年にコントも行うフォークグループ「チャチャーズ」を結成。
大川 宏(おおかわ ひろし、1945年10月17日 - )は… 大川 宏(おおかわ ひろし、1945年10月17日 - )は、日本の空手家・拳眞塾塾長。旧名は及川 宏(およかわ ひろし)。千葉県匝瑳郡栄村(現在の匝瑳市)出身。 1960年に日本空手道極真会 大山道場 成増支部へ入門。極真会館本部道場へ移籍し、1967年4月15日に黒帯(初段)を允許された。一緒に昇段した仲間に山崎照朝・添野義二・鈴木浩平・盧山初雄らがいる。 1969年4月からNETは、TBS・日本テレビに続き、「ワールドキックボクシング」を放映すると決定。NETはムエタイ選手や日本拳法空手道ら空手の各流派に出場要請をして選手集めをする他、極真会館へも同年2月に参戦依頼をしてきた。館長の大山倍達は当時の高弟から山崎照朝・添野義二・大川を選出し、極真ジム所属として参戦させ、彼らは「極真三羽烏」と紹介された。
高倉英二 (たかくら えいじ、1945年2月8日 - )は、… 高倉英二 (たかくら えいじ、1945年2月8日 - )は、日本の殺陣師・アクション監督。正伝十二騎神道流宗家。本名非公開。千葉県八日市場市(現・匝瑳市)出身。 千葉県東金市生まれ。明治大学卒業。武家の家系であったことから、幼少期より古武術を学ぶ。各種古武道はもとより空手(元東京都代表 全日本大会準優勝)、剣道、合気道、日本拳法、制定および古流居合いなど、あらゆる武道に精通した(それぞれ高段位取得)。下総国の神道流を源流とする御留流剣術の継承者である。 殺陣師の道へ進んだきっかけは、広告代理店で映像(テレビ映画)制作会社宣弘社でアルバイトをしていた時に、時代劇『隠密剣士』の撮影を手伝ったことによる。
地井 武男(ちい たけお、1942年〈昭和17年〉5月5日 … 地井 武男(ちい たけお、1942年〈昭和17年〉5月5日 - 2012年〈平成24年〉6月29日)は、日本の俳優。本名は同じ。千葉県八日市場市(現:匝瑳市)出身。最終所属はサイプロダクション。身長175cm。体重63kg。 俳優座 → どりいみい7 → 沢井プロダクション → サイプロダクション 千葉県匝瑳郡八日市場町(現:匝瑳市)に8人兄弟の末っ子として生まれる。なお、兄弟は長兄以外は全員女性。千葉県立匝瑳高等学校卒業後、石原裕次郎や赤木圭一郎に憧れ、1963年に俳優座養成所へ第15期生として入所。同期には原田芳雄、林隆三、太地喜和子、赤座美代子、前田吟、夏八木勲、高橋長英、竜崎勝、秋野太作、栗原小巻、小野武彦、村井國夫、三田和代などそうそうたるメンバーがいる。
宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 … 宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 - 1995年(平成7年)11月11日)は、昭和期の政治家、実業家。衆議院議員(2期)、千葉県議会議員(3期)などを務めた。旧姓・佐藤。 千葉県匝瑳郡共興村(八日市場町、八日市場市を経て現匝瑳市)で佐藤久衛、つぎ の四男として生まれた。共興小学校、匝瑳中学校(現千葉県立匝瑳高等学校)を経て、1942年(昭和17年)早稲田大学文学部に入学。1944年(昭和19年)前橋陸軍予備士官学校に入校し、見習士官となり陸軍少尉で終戦を迎えた。その後、復学して1947年(昭和22年)早稲田大学文学部を卒業した。大学在学中に、親類筋、八日市場市の酒造業・宇野儀助の長女・満子と結婚して宇野姓となる。
加瀬 完(かせ かん、1910年〈明治43年〉1月1日 - … 加瀬 完(かせ かん、1910年〈明治43年〉1月1日 - 1995年〈平成7年〉2月28日)は、日本の政治家。参議院議員・参議院副議長。我孫子市名誉市民。 1910年、現在の千葉県匝瑳市に生まれる。 1920年千葉師範学校(現・千葉大学教育学部)卒業。 小学校・中学校の教員となり、県視学であった鈴木迪彦による抜擢で1938年我孫子第二小学校長に28歳にて就任、以後、我孫子第一小学校長や我孫子第一中学校長を歴任した。千葉県教育委員会委員長も務める。 教育の民主化を目指して政界へ進出し、1947年から千葉県議会議員を務める。 1953年4月の参院選に無所属で出馬し初当選。当選後は左派社会党を経て日本社会党に所属。
山崎 恒(やまざき ひさし、1901年(明治34年)7月1日… 山崎 恒(やまざき ひさし、1901年(明治34年)7月1日 - 1983年(昭和58年)12月17日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(1期)。 千葉県匝瑳郡匝瑳村中台(八日市場町、八日市場市中台を経て現匝瑳市中台)出身。1919年(大正8年)茂原農学校(千葉県立茂原農業高等学校を経て現千葉県立茂原樟陽高等学校)を卒業した。 千葉県匝瑳村農業会長、同村産業組合長、千葉県農会議員、同県信用販売購買連合会専務理事、同食糧営団理事、同農業会会長、全国販売農業協同組合連合会長、中央蚕糸協会理事、全国乾繭協同組合連合会副会長、全国農業共済協会理事、農民教育協会理事、千葉県農業協同組合連合会理事、同農業共済保険組合連合会長、東邦海運取締役、共栄火災海上保険取締役、関東いすゞ自動車販売(現関東いすゞ自動車)取締役、いすゞ産業社長などを務めた。
鈴木 康文(すずき こうぶん、1896年3月5日 - 199… 鈴木 康文(すずき こうぶん、1896年3月5日 - 1997年1月27日)は、日本の歌人。千葉県匝瑳郡栄村堀川生まれ。『橄欖』主宰者の吉植庄亮に師事し、吉植の没後は『橄欖』代表となった。九十九里浜に面する農村に生まれ、農業を続けながら海と農村の歌を詠み続けた農民歌人として知られる。代表歌集に『九十九里』、『新九十九里』、『続々九十九里』などがある。 出生時の名前は鈴木義雄であり、1927年に鈴木康文(すずき やすぶみ)に改名した。歌人としての読みは康文(こうぶん)。 1896年、千葉県匝瑳郡栄村堀川(現・匝瑳市)の農家に生まれる。旧制中学校を卒業。14歳より作歌をはじめ、文芸誌の『文章世界』(博文館)、『秀才文壇』(文光堂)などに入選。