亘 四郎(わたり しろう、1899年〈明治32年〉11月8日… 亘 四郎(わたり しろう、1899年〈明治32年〉11月8日 - 1977年〈昭和52年〉4月4日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(8期)、新潟県知事(公選第7・8代、在任1966年 - 1974年)、参議院議員(1期)。日魯漁業創業者の堤清六は実兄。 呉服商「近清」7代目の堤清七・千代の四男(第7子)として新潟県南蒲原郡三条町上町に出生。長兄の清六とは19歳も離れていた。幼くして寺泊の廻船問屋亘信治の養子となる。 寺泊町立尋常科寺泊小学校を経て旧制新潟県立三条中学校を卒業後、アメリカ合衆国ニュージャージー州のラトガーズ大学に留学。建築学や数学を学ぶ一方で、アメリカンフットボール部でも活躍した。
山田 喆(やまだ てつ、本名:山田 徹秀、1898年9月10… 山田 喆(やまだ てつ、本名:山田 徹秀、1898年9月10日 - 1971年5月3日)は、新潟県三条市生まれの日本の陶芸家である。前衛陶芸団体走泥社の創始者の一人、山田光は息子にあたる。 僧侶から陶芸家を志し中国宋窯を研究した。1947年、富本憲吉らと新匠美術工芸会を設立した。1963年、芸術選奨を受賞した。また書、篆刻、俳句を能くした。著書に句文集「風塵集」「陶房閑話」などがある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
岩淵 三次(いわぶち さんじ、1895年〈明治28年〉3月2… 岩淵 三次(いわぶち さんじ、1895年〈明治28年〉3月2日 - 1945年〈昭和20年〉2月26日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。最終階級は海軍中将。 新潟県南蒲原郡三条町(現三条市)出身。旧制新潟県立三条中学校より海軍兵学校第43期入校。入校時成績順位は100名中第26位、卒業時成績順位は96名中第13位。海軍砲術学校高等科を卒業後は砲術畑を歩んだ。 1942年4月20日、戦艦「霧島」の艦長に着任し、ミッドウェー海戦、第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加。第3次ソロモン海戦では米戦艦「ワシントン」、「サウスダコタ」等と乱戦状態になり、舵を損傷した「霧島」は自沈、岩淵は救助され生還した。
岩田 正巳(いわた まさみ、1893年〈明治28年〉8月11… 岩田 正巳(いわた まさみ、1893年〈明治28年〉8月11日 - 1988年〈昭和63年〉3月9日)は、日本画家、日本芸術院会員。位階は従四位。 新潟県三条市出身。1918年(大正7年)東京美術学校日本画科卒業、東京美術学校日本画研究科入学。松岡映丘に師事する。1921年(大正10年)新興大和絵会を結成し、新興大和絵運動に参加する。1924年(大正13年)第5回帝展に「手向の花」が初入選、1930年(昭和5年)第11回帝展で「高野創世」が特選。1937年(昭和12年)国画院に参加し、新文展にも複数回出品する。1939年(昭和14年)川﨑小虎らと日本画院を設立する。1952年(昭和27年)第8回日展運営会参事、1958年(昭和33年)同評議員を務める。
角田 覚治(かくた かくじ、1890年(明治23年)9月23… 角田 覚治(かくた かくじ、1890年(明治23年)9月23日 - 1944年(昭和19年)8月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。テニアン島で戦死。 1890年(明治23年)9月23日、新潟県南蒲原郡槻田村字諏訪新田(現・三条市諏訪)で農家の父角田利八と母角田ソメの七人兄弟(兄1人妹2人弟3人)の二男に生まれる。1908年3月、旧制三条中学校(現:新潟県立三条高校)卒業。在学中に新潟港遠足に行った折見た海軍士官に憧れて受験し、1908年(明治41年)9月14日、海軍兵学校第39期生として入校した。入校時の席次は150人中102番。1911年(明治44年)7月18日、148人中45番の成績で卒業。
内藤 民治(ないとう たみじ、1885年10月28日 - 1… 内藤 民治(ないとう たみじ、1885年10月28日 - 1965年7月15日)は、日本のジャーナリスト、編集者である。 1885年(明治18年)10月28日、新潟県三条市に生まれる。上京し、東京府豊多摩郡渋谷村常磐松御料地(現在の東京都渋谷区渋谷4丁目)にあった東京農学校(現在の東京農業大学)に入学、同校を卒業する。 1906年(明治39年)、20歳のころにアメリカ合衆国に渡り、『ニューヨーク・ヘラルド』紙(現在の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙)の特派員となる。11年間の在米中に、東京市神田区駿河台袋町(現在の東京都千代田区神田駿河台)にあった瀬木博尚の主宰する日本風俗図絵刊行会から、『世界実観』シリーズ全12巻を上梓している。
諸橋 轍次(もろはし てつじ、1883年〈明治16年〉6月4… 諸橋 轍次(もろはし てつじ、1883年〈明治16年〉6月4日 - 1982年〈昭和57年〉12月8日)は、日本の漢学者・漢字学者。号は止軒。学位は、文学博士。東京文理科大学名誉教授。都留短期大学学長・都留文科大学初代学長を歴任。大著『大漢和辞典』、『広漢和辞典』(各・大修館書店刊)の編者代表として知られる。直江兼続の子孫を称した。 新潟県南蒲原郡庭月村(後に四ツ沢村→森町村→下田村、現在の三条市庭月)の大庄屋の二男に生まれた。1908年に東京高等師範学校を卒業後、漢学の教員として同校に勤める。青年時代には中国に留学したが、このときに満足できる辞書がなかったことが、後の『大漢和辞典』の製作に繋がっていった。
堤 清六(つつみ せいろく、1880年〈明治13年〉2月15… 堤 清六(つつみ せいろく、1880年〈明治13年〉2月15日 - 1931年〈昭和6年〉9月12日)は、日本の実業家、衆議院議員。日魯漁業株式会社(現株式会社マルハニチロ)の創業者。実弟は新潟県知事・参議院議員を歴任した亘四郎。 堤清六は1880年2月15日 に、新潟県南蒲原郡三条町上町(現三条市)の呉服商「近清」(堤家)7代目の清七、千代の長男(第1子)として生まれた。三条町立尋常高等小学校(現三条市立三条小学校)を卒業後、北米教校に進学した。1895年 には、祖父の東京出張に同行していたが、その祖父が急死し遺骨を持ち帰ることになる。1904年 には、 日露戦争で御用商人(酒保)を志願、満州に渡る1906年、清六はアムール川下流のブロンゲ岬で平塚常次郎と出会う。
渡辺 兼二(渡邉、わたなべ けんじ、1866年2月11日〈慶… 渡辺 兼二(渡邉、わたなべ けんじ、1866年2月11日〈慶応元年12月26日〉 - 1928年〈昭和3年〉12月9日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。新潟市長。 越後国蒲原郡一ノ木戸村(現新潟県三条市)で渡辺正友の二男として生まれる。1885年12月、陸軍教導団砲兵科に入団。1890年7月26日、陸軍士官学校(1期)を卒業、ちなみに 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期を工兵科1番/8名で卒業している。1891年3月26日、陸軍工兵少尉に任官し工兵第1大隊附となる。 日清戦争に工兵第1大隊第2中隊小隊長として出征。1895年11月、陸軍砲工学校(3期)を優等で卒業。
鈴木 荘六(すずき そうろく、1865年3月16日〈元治2年… 鈴木 荘六(すずき そうろく、1865年3月16日〈元治2年2月19日〉- 1940年〈昭和15年〉2月20日)は、日本陸軍の軍人。陸軍大将正二位勲一等功二級。第4代帝国在郷軍人会長。
大谷 岩太郎(おおたに いわたろう、元治元年8月26日(18… 大谷 岩太郎(おおたに いわたろう、元治元年8月26日(1864年9月26日) - 昭和25年(1950年)10月10日)は、旭川市の実業家、政治家。#大谷酒造株式会社の創業者。新潟県出身。真宗大谷派旭川別院檀家総代。旭川村(現旭川市)への鉄道誘致、日本放送協会北海道放送局開設、百貨店丸井今井旭川支店にも深く携わった。1928年(昭和3年)6月紺綬褒章。 現在の旭川市6条6丁目にあった酒造会社。 明治42年下村正之助の酒造場を買収し創業、43年度から生産を始め、同年の造石高 672 石、44年 1,051 石を生産して千石蔵に仲間入りした。 代表的な銘柄は、旭正宗・旭自慢 昭和19年企業整備令により、旭川酒類工業会社に合併され、第四工場として稼働。
今井 藤七(いまい とうしち、嘉永2年12月24日(1850… 今井 藤七(いまい とうしち、嘉永2年12月24日(1850年2月5日) - 大正14年(1925年)10月24日)は、日本の実業家。北海道の老舗百貨店丸井今井(現・三越伊勢丹ホールディングス傘下)の創業者。 1878年に今井藤七の次弟・武七の長男として新潟県南蒲原郡三条町に生まれ、子がいなかった藤七の養子となる。1898年に慶應義塾を卒業し、藤七の許しを得て渡米。帰国後は丸井今井に入り、1925年藤七の死去を受け後継。1935年に武徳殿(現・三条市歴史民俗産業資料館)の建設基金として3万円を三条市に寄付、1940年の三条商工会議所の設立には初代会頭に推薦され就任。1944年死去、66歳。定明寺に眠る。
日比谷 平左衛門(ひびや へいざえもん、弘化5年2月21日(… 日比谷 平左衛門(ひびや へいざえもん、弘化5年2月21日(1848年3月25日) - 大正10年(1921年)1月9日)は、明治期の紡績実業家。東京富士瓦斯紡績や日清紡績など紡績業に深く関わり、東京商業会議所副会頭を務めた。鐘淵紡績、東京毛織物各社長。 越後国蒲原郡裏館村(現・三条市)の旅宿営業者・大島栄造の3男として生まれる。万延元年(1860年)より江戸日本橋堀留の綿糸棉花問屋松本屋・斎藤弥助のもとで奉公し、のち日比谷家の養子となる。明治11年(1878年)に独立して浅草区茅町に綿糸染糸店を開くが、松本屋廃業によりそれを受け継ぎ、事務所を堀留に移して 綿糸・綿花を扱う卸商・日比谷商店を設立。
栗林 得太郎(くりばやし とくたろう、弘化3年7月11日(1… 栗林 得太郎(くりばやし とくたろう、弘化3年7月11日(1846年9月1日) - 明治17年(1884年)2月11日)は新潟県の豪農。第七大区第二小区戸長、第十大区長、南蒲原郡書記を歴任した。子に栗林五朔。 弘化3年(1846年)7月11日、越後国蒲原郡三条町に六代目栗林七郎治の五男三女の長男として生まれた。安政3年(1856年)父が西大崎村名主を命じられたため、同村に移り、安政6年(1859年)14歳で家督を継いだ。 幼少より帯織村岩崎塾に学び、江戸に出て蒲生重章に入門し、片桐省介、岩崎幸太郎等と交わったが、明治元年(1868年)戊辰戦争勃発に伴い帰郷した。 明治2年(1869年)御徒士取扱として新潟県商館御取立取締役を命じられ、明治5年(1872年)9月第七大区第二小区戸長となった。
西潟 為蔵(にしかた ためぞう、1845年11月14日(弘化… 西潟 為蔵(にしかた ためぞう、1845年11月14日(弘化2年10月15日)- 1924年(大正13年)9月6日)は、日本の政治家。衆議院議員。 越後国蒲原郡下田郷福岡新田(現:新潟県三条市)で、地主・西潟浅五郎の長男として生まれる。目黒市左衛門、村松藩士・山上謙之助から漢籍を学ぶ。慶応2年(1866年)1月から3月にかけて東山・東海・南海・山陽・畿内・北陸を旅行して見聞を広めた。慶応4年8月29日(1868年10月14日)鹿峠・長沢組一揆の際に、百姓惣代として請願十ヶ条を纏め村松藩と交渉を行った。 明治5年9月(1872年10月)地主惣代として壬申地券交付取調、1874年、地租改正掛、1876年、第十八大区小八区村位等級調査委員となり地租改正事業で実績を残した。
松尾 与十郎(松尾 與十郎、まつお よじゅうろう、天保3年7… 松尾 与十郎(松尾 與十郎、まつお よじゅうろう、天保3年7月3日(1832年7月29日) — 1886年(明治19年)3月15日)は、日本の篤志家である。明治時代に五十嵐川の治水・築堤に尽力した。 越後国蒲原郡片口村の里正(庄屋)・松尾與右衛門の長男として出生した。松尾家には北越戦争の際、村山半牧を匿った。 明治5年8月1日(1872年9月3日)に、五十嵐川が氾濫し、片口村をはじめ五十嵐川左岸(嵐南)が浸水する八朔の洪水が発生した。与十郎はこの洪水被害を受けて、右岸(三条町側)より堤防が低い左岸にしっかりとした堤防の必要性を村々に訴え、新潟県令平松時厚の視察に際して陳情したが、左岸堤防の築堤は許可されなかった。
宮本 克哉 は、日本の男性声優。新潟県三条市出身。アクセント… 宮本 克哉 は、日本の男性声優。新潟県三条市出身。アクセント所属。
澤木 麻弥(さわき まや)は、元北日本放送のアナウンサー。新… 澤木 麻弥(さわき まや)は、元北日本放送のアナウンサー。新潟県三条市出身。長野県松本深志高等学校を経て法政大学社会学部卒。
栗林 五朔(くりばやし ごさく)は戦前日本の実業家、政治家。… 栗林 五朔(くりばやし ごさく)は戦前日本の実業家、政治家。新潟県三条市出身。北海道室蘭市で物流事業を起こし、栗林商会、栗林商船等を創立。「北の海に栗林あり」「海運王」と呼ばれた。登別温泉軌道を経営する一方、北海道会議員、衆議院議員を歴任し、室蘭港及び登別温泉の開発に尽力した。晩年の号は蕙堂。登別温泉発展への功績をしのび、頭山満翁揮毫の瀧本金蔵・栗林五朔頌徳碑が現地にある。 旧暦慶応2年5月1日(1866年)、越後国蒲原郡西大崎村の豪農栗林得太郎の長男として生まれた。西大崎村宝蔵寺小学校を経て、新暦1876年(明治9年)官立新潟英語学校に入学、1879年(明治12年)三島郡遠藤軍平の西軽塾に移るも廃校となり、1880年(明治13年)河根川村青柳剛斎の菁莪学舎に入門、1882年(明治15年)帰郷して大崎校訓導兼校長田沢忠松に学び、1883年(明治16年)東大崎村北溟義塾で山田錫に学んだ。
小林 ハル は、日本の瞽女。生後3か月で失明し、5歳の時に瞽… 小林 ハル は、日本の瞽女。生後3か月で失明し、5歳の時に瞽女修行を開始。数多くの苦難を経て晩年に「最後の長岡瞽女」、「最後の瞽女」として脚光を浴びた。8歳で初めて巡業に出て以降、1973年(昭和48年)に廃業するまでの間、西頸城郡を除く新潟県全域と山形県の米沢・小国地方、福島県南会津地方を巡った。1978年(昭和53年)「瞽女唄」が「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」として選択され、その保持者として認定される。1979年(昭和54年)、黄綬褒章を授与される。選択無形文化財の保持者に認定されたことをもって人間国宝と呼ばれることもある。
SWAMP(スワンプ)は、新潟県三条市出身のラジオパーソナリ… SWAMP(スワンプ)は、新潟県三条市出身のラジオパーソナリティ、司会、プロデューサー、ラッパー。2005年からラジオパーソナリティとして活動する他、司会業や商品開発・プロデュースなど幅広い分野で活動している。10代からSWAMP名義で音楽活動を行い、フリースタイルMCとして数々のMCバトルで優勝している。その経験を活かしてラップ講師やミュージックナビゲーターを務めている。美食家でもあり、新潟のラーメン通としても知られており、『新潟ラーメンバトル』のプロデューサーとしても著名である。また、アウトドア空間プロデュースユニット「旅するテント」の主宰も務めている。 2007年にFM Kentoのナビゲーターをしていた時期にBCリーグのスタジアムDJを務めていた。