早出 一真(そうで かずま、1971年〈昭和46年〉12月3… 早出 一真(そうで かずま、1971年〈昭和46年〉12月3日 - )は、日本の政治家。長野県岡谷市長(1期)。 長野県岡谷市出身。長野県下諏訪向陽高等学校卒業。民間企業勤務を経て、塗装業を営む。2015年、岡谷市議会議員選挙に立候補し、トップ当選する。 2019年の市議会議員選挙でもトップで再選する。 市議は2期務め、議会運営委員会委員長などを歴任した。また、2020年から3年間はTOKYO自民党政経塾に入塾した(15、16、17期卒)。 2023年の市議選には不出馬。同年6月、岡谷市長今井竜五が4期での引退を表明。早出は9月の市長選挙に立候補を表明、市長選挙はほかに元市議2人が立候補し、3人の争いとなり、16年ぶりの選挙戦となった。
遠藤 真弓(えんどう まゆみ、1968年 - )は、日本の俳… 遠藤 真弓(えんどう まゆみ、1968年 - )は、日本の俳優、政治家(岡谷市議会議員)。長野県岡谷市出身。 長野県諏訪二葉高等学校を経て、文学座俳優養成研修所、前進座俳優養成研修所卒。 1990年、『子午線の祀り』(木下順二作)第四次公演にて舞姫役で初舞台を踏む。 2004年・2009年、『と川石人語り』(市川一雄作)一人芝居(カノラホール、東京芸術劇場小ホール) 2015年に岡谷市議会議員選挙に立候補し当選。2019年、再選。2期務める。 2024年2月、『と川石人語り』一人芝居(下諏訪文化センター)。
林 新一郎(はやし しんいちろう、1948年(昭和23年)5… 林 新一郎(はやし しんいちろう、1948年(昭和23年)5月12日 - )は、日本の政治家、実業家。元長野県岡谷市長。 岡谷市生まれ。松商学園高等学校を経て、東京農業大学農学部醸造学科卒業。昭和46年(1971年)繊維会社に入社したが、父の死去により、家業の豊島屋を承継した。岡谷商工会議所副会頭を経て、平成7年(1995年)岡谷市長選挙に当選した。 2022年11月3日、秋の叙勲において、旭日小綬章を受章した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
林 泰章(はやし やすあきら、1939年(昭和14年)8月2… 林 泰章(はやし やすあきら、1939年(昭和14年)8月21日 - )は、日本の実業家、政治家。元長野県岡谷市長。 岡谷市生まれ。1962年(昭和37年)日本大学経済学部卒業。会社勤務を経て、1966年(昭和41年)和泉工業(メッキ関係)取締役となり、同代表取締役、岡谷青年会議所副理事を務めた。 1975年(昭和50年)9月、岡谷市長選挙に出馬し36歳で当選、当時、全国最年少市長であった。1995年(平成7年)9月まで5期務めた。在任中は公共下水道や市営住宅の整備、防災体制の強化、市街地の再開発、医療施設の充実などに尽力した。 スポーツ界では、1975年、岡谷市体育協会長となり、1979年(昭和54年)長野県スケート連盟会長、1980年(昭和55年)日本スケート連盟理事を兼任し、のち副会長となった。
林 将英(はやし まさひで、1897年(明治30年) - 1… 林 将英(はやし まさひで、1897年(明治30年) - 1961年(昭和36年))は、日本の政治家。長野県岡谷市長。 長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)生まれ。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業[要出典]。1915年(大正4年)から家業の製糸業に従事。1917年(大正6年)一年志願兵として歩兵第50連隊に入隊し、1930年(昭和5年)陸軍中尉に進んだ。経営困難に陥った山一林組製糸の経営再建に乗り出し軌道に乗せた。このほか、共栄製糸など諏訪地方の複数の中小製糸会社の社長を歴任。 1927年(昭和2年)3月、平野村助役となり1933年(昭和8年)3月まで在任。同年4月、平野村会議員となり1936年(昭和11年)3月まで務めた。
宮沢 胤勇(宮澤 胤勇、みやざわ たねお、1887年〈明治2… 宮沢 胤勇(宮澤 胤勇、みやざわ たねお、1887年〈明治20年〉12月15日 - 1966年〈昭和41年〉6月2日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。 長野県諏訪郡川岸村駒沢(現・岡谷市)に台湾総督府官吏・宮沢長吉の長男として生まれる。幼少期は母と駒沢の生家で生活し、1900年(明治33年)に台湾に移った。 日本中学校(現・日本学園中学校・高等学校)を経て早稲田大学に進み雄弁会に所属した。同大卒業後、実業界を経て政界入りした。衆議院議員選挙に通算6回当選した。 戦前は立憲民政党に所属、戦後は旧民政党出身の大麻唯男・野田武夫・小泉純也・浜野清吾・真鍋儀十・山本粂吉らと行動をともにし、改進党、日本民主党、自由民主党に所属した。
宮坂 健次郎(みやさか けんじろう、1884年(明治17年)… 宮坂 健次郎(みやさか けんじろう、1884年(明治17年)6月1日 - 1966年(昭和41年)11月6日)は、明治後期から昭和期の実業家、政治家。長野県岡谷市長。幼名・健吉。号・本郷子。 長野県諏訪郡小井川村(平野村を経て現岡谷市)で生まれた。後に健次郎を襲名。諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を2年で中退し、家業の宮坂製糸所を承継。1933年(昭和8年)味噌醸造業に転換し、1948年(昭和23年)宮坂味噌 (有) を設立して社長となる。岡谷商工会会頭、岡谷商工会議所会頭、諏訪信用金庫理事長、新松沢工業社長、岡谷冷蔵製氷会長、岡谷ライオンズクラブ会長などを務めた。 1925年(大正14年)4月から1936年(昭和11年)3月まで平野村会議員に在任し、同年4月、市制施行後は岡谷市会議員に選出され、1947年(昭和22年)4月まで務め、同議長にも在任した。
林 七六(はやし しちろく、1875年〈明治8年〉9月2日 … 林 七六(はやし しちろく、1875年〈明治8年〉9月2日 - 1950年〈昭和25年〉2月9日)は、大正から昭和時代前期の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員、岡谷市会議長、長野県岡谷市長。 林新一郎の長男として長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)に生まれる。1890年(明治23年)岡谷学校中等科を卒業。家業の醸造業を継ぎ、1928年(昭和3年)南信塩元売捌代表社員、長野県酒造組合連合会代議員、1935年(昭和10年)全国醤油醸造組合連合会理事、1939年(昭和14年)全国酒造組合中央会常任評議員、1940年(昭和15年)長野県石油配給会社社長など要職を歴任した。 この間、政治家としては、諏訪郡会議員、平野村会議員、長野県会議員(2期)を経て、1930年(昭和5年)2月、第17回衆議院議員総選挙(長野県第3区、立憲政友会公認)で当選し、衆議院議員に1期在任。
山田 禎三郎(やまだ ていざぶろう、1871年4月22日(明… 山田 禎三郎(やまだ ていざぶろう、1871年4月22日(明治4年3月3日) - 1930年(昭和5年)10月6日)は、日本の教育者、実業家、衆議院議員。 信濃国諏訪郡東堀村(現長野県岡谷市)に生まれる。1894年東京高等師範学校を卒業後、郡立諏訪実科中学(長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)に勤め、千葉県師範学校に赴任。その後、 同郷の渡辺千秋京都府知事の縁故で京都府視学に登用されたが辞任し、1899年茨城県師範学校の校長となった。1900年教職を去り、千葉新聞の記者となる。 その後は実業界に転じ、書肆普及会会長、帝国書籍取締役に就任。1902年の教科書疑獄事件では事件発覚のきっかけを作った人物となったが、当人は直前にヨーロッパの教科書事情調査として渡英しており、逮捕は免れたものの留守宅が家宅捜索を受けた。
今井 五介(いまい ごすけ、安政6年11月15日(1859年… 今井 五介(いまい ごすけ、安政6年11月15日(1859年12月8日) - 昭和21年(1946年)7月9日)は、日本の実業家、政治家。片倉財閥家出身。片倉兼太郎の実弟。 信濃国諏訪郡三沢村(現長野県岡谷市)の片倉市助の三男に生まれる。藤森桂谷、武居用拙らに学び、1877年(明治10年)今井太郎の養子となる。1886年(明治19年)農商務省の蚕病試験場に入り、一時渡米を経て、片倉組松本製糸所長となる。 1909年(明治42年)松本商業会議所初代会頭、松本電灯社長に就任。1914年(大正3年)には信濃鉄道(現・JR大糸線)の社長に就任し、信濃大町駅-松本駅間を開通させる。また経営難に陥っていた私塾「松本戊戌学校」を支援し、「松本商業学校」として再出発させた。
渡辺 国武(わたなべ くにたけ、旧字体: 渡邊 國武、184… 渡辺 国武(わたなべ くにたけ、旧字体: 渡邊 國武、1846年3月29日〈弘化3年3月3日〉- 1919年〈大正8年〉5月11日)は、明治期の日本の官僚、政治家。位階・勲等・爵位は正二位勲一等子爵。旧姓は小池。第2次伊藤内閣の大蔵大臣、逓信大臣、第4次伊藤内閣の大蔵大臣を歴任した。兄は伯爵渡辺千秋。 1846年3月29日(弘化3年3月3日)、信濃国諏訪郡東堀村(後の長野県岡谷市)にて諏訪高島藩士の家に生まれた。父渡辺政徳は、武士が桃の節句に生まれたのでは具合が悪いということで、藩庁に端午の節句の5月5日生まれと届けている。両親と早く死別したため、兄の千秋とともに祖母の手によって養育された。10歳の時にコレラにかかるが、一命を取り留める。