田村 智子(たむら ともこ、1965年〈昭和40年〉7月4日… 田村 智子(たむら ともこ、1965年〈昭和40年〉7月4日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の衆議院議員(2期)、日本共産党中央委員会幹部会委員長(第6代)。 参議院議員(3期)、日本共産党政策委員長、同副委員長、同中央委員などを歴任。 長野県小諸市生まれ。実家は紙と文具の卸商で、父親はキリスト教(プロテスタント)の信者だった。三人兄弟で、姉と弟がいる。旧姓は山崎。小諸市立野岸小学校5年生の時、NHK全国学校音楽コンクールに長野県代表として出場した。小諸市立小諸東中学校、長野県野沢北高等学校でも合唱に没頭。高校でもヴェルディやモーツァルトのレクイエムなどを歌い、文化祭では「愛の妙薬」「ノルマ」「真珠採り」などオペラを3年続けて開催した。
小山 邦武(こやま くにたけ、1935年(昭和10年)11月… 小山 邦武(こやま くにたけ、1935年(昭和10年)11月7日 - )は、日本の政治家、農学者、酪農家、起業家。専門は畜産学。長野県飯山市長(1990年-2002年)。 長野県小諸市出身。1959年(昭和34年)北海道大学農学部畜産学科卒。1959年(昭和34年)酪農学園大学酪農学部助手の後、アメリカのイリノイ大学大学院修士課程修了し修士号を取得。再び酪農学園大学に戻り、同酪農学部専任講師。1969年(昭和44年)農畜産業振興実践のため酪農学園大学を退職し、長野県飯山市藤沢地区に入植。同地区にあった実験農場を譲り受け、乳牛などの酪農経営を始める。 その後、酪農家をする傍ら、飯山市農業委員会会長や飯山市自然保護審議会会長などを務める。
柳田 博明(やなぎだ ひろあき、1935年6月1日 - 20… 柳田 博明(やなぎだ ひろあき、1935年6月1日 - 2006年11月20日)は、日本の化学者、地域経済総合研究所名誉評議員。東京大学名誉教授。元名古屋工業大学学長。長野県小諸市生まれ。東京都出身。
小林 俊弘(こばやし としひろ、1931年(昭和6年)4月1… 小林 俊弘(こばやし としひろ、1931年(昭和6年)4月11日 - 2020年(令和2年)3月28日)は、日本の政治家。元長野県小諸市長。 現在の小諸市出身。1950年(昭和25年)長野県北佐久農業高等学校卒業。北大井村役場に入り、小諸市に合併後、教育次長、総務部長などを経て、1992年(平成4年)小諸市助役となり、1996年(同8年)小諸市長選挙に当選し、2期務めた。2013年(同25年)旭日双光章受章。 2020年3月28日、肝不全のため、小諸市内の病院で死去。88歳没。死没日をもって正六位に叙される。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
塩川 忠巳(しおかわ ただみ、1917年〈大正6年〉2月1日… 塩川 忠巳(しおかわ ただみ、1917年〈大正6年〉2月1日 - 2017年〈平成29年〉4月6日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県小諸市長。位階は従四位。 長野県北佐久郡南大井村(現小諸市)で、塩川敬次郎、かめじ の長男として生まれた。長野県北佐久農学校(現長野県北佐久農業高等学校)卒業。1940年(昭和15年)北佐久郡農会技手、1946年(昭和21年)南大井村役場書記となり、1948年(昭和23年)同収入役に就任。小諸市発足後、農林課長、会計課長、総務課長、水道部長経て、1969年(昭和44年)市消防長、1972年(昭和47年)市助役、1973年(昭和48年)土地開発公社常務理事併任などを歴任した。
小山 亮(こやま まこと、1895年2月4日 - 1973年… 小山 亮(こやま まこと、1895年2月4日 - 1973年2月9日)は、日本の政治家(衆議院議員)。 自由民権運動家で衆議院議員を務めた長野県小諸出身の小山久之助の次男として、東京市麹町に生まれる。6歳の時に父が亡くなり、父の郷里である小諸に移る。1912年3月、小諸町立小諸商工学校(現・長野県小諸商業高等学校)を卒業後上京し、父と知遇のあった大隈重信から援助を得て三重県立鳥羽商船学校(現・鳥羽商船高等専門学校)に入学したが1年で退学、新潟県立新潟商業学校(現・新潟県立新潟商業高等学校)の商船科に移ったがここもその年に退学し、1914年3月に愛媛県立弓削商船学校(現・弓削商船高等専門学校)に移り、1919年に卒業した。
塩川 幸太(しおかわ こうた、1864年4月8日〈元治元年3… 塩川 幸太(しおかわ こうた、1864年4月8日〈元治元年3月3日〉 - 1936年〈昭和11年〉1月21日)は、日本の実業家、政治家、長野県の大地主。佐久銀行頭取。衆議院議員(長野県郡部選出、当選1回)。勲四等。族籍は長野県平民。 信濃国佐久郡森山村(現・長野県小諸市)生まれ。塩川仁助の長男。郡会議員、県会議員に選ばれる。1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙に出馬し当選する。立憲政友会に所属。実業界では佐久銀行頭取、長野農工銀行取締役、長野貯蓄銀行監査役などをつとめる。 1883年、家督を相続する。住所は長野県北佐久郡三岡村。 塩川家は代々農業を営む。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
小山 久左衛門(こやま きゅうざえもん、1862年5月30日… 小山 久左衛門(こやま きゅうざえもん、1862年5月30日〈文久2年5月2日〉- 1918年〈大正7年〉7月21日)は、日本の実業家、政治家、篤志家。小山家23代当主。諱は正友、幼名は邦太郎。信濃国佐久郡出身。政治家小山邦太郎・画家小山敬三の父。 出自には諸説あるが、源義光の曾孫である安田義定を祖とする説が小諸市内の小山姓において存在する。義定は甲斐源氏の一族であったため、その勢力を警戒した源頼朝により粛清されるが、子孫の安田義知が武田信虎に仕え、村上義清に備えて信濃国佐久郡に与良城を築城し、安田氏から与良氏へ改称したという。その後、その庶流の一族が同国高井郡小山郷を所領とし、与良氏から小山氏に改称したといわれている。
小山 久之助(こやま ひさのすけ、安政6年2月5日(1859… 小山 久之助(こやま ひさのすけ、安政6年2月5日(1859年3月9日) - 明治34年(1901年)10月3日)は、日本の政治家。衆議院議員。号は騁斉。 信濃国佐久郡小諸城下与良町に小山敬義の次男として生まれる。小諸藩士の山本杏園に漢学を学び、明治5年(1872年)、私塾を開いて「孟子」を論ずる。同11年(1878年)新潟県師範学校に入学したが中退し、上京して興法学舎や、 中江兆民の仏学塾に学び、幸徳秋水とともに両高弟と称された。明治15年(1882年)、自由民権の雑誌「政理叢談」の発刊に加わり、欧米の憲法論を紹介した。 明治20年(1887年)の保安条例で兆民らが「皇居三里外」に追放され、仏学塾が解散したため、後藤象二郎や大石正巳らと全国を遊説した。
石塚 重平(いしづか じゅうへい、安政2年10月10日(18… 石塚 重平(いしづか じゅうへい、安政2年10月10日(1855年11月19日) - 明治40年(1907年)8月12日)は、日本の衆議院議員(自由党→立憲政友会→甲辰倶楽部→大同倶楽部)。 信濃国佐久郡小諸城下(長野県佐久郡小諸町、北佐久郡小諸町を経て現在の小諸市)の商家に生まれる。1877年(明治10年)に盤鴻社という政社を結成して、政談会や討論会を開催して自由民権運動を推進した。また小諸町会議員や北佐久郡会議員に選出され、布施銀行や小諸銀行の設立にも関わった。 1881年(明治14年)、自由党の創設に加わったが、1884年(明治17年)に自由党は大阪で解党を決定した。大阪からの帰途、内乱陰謀の嫌疑で逮捕されるが程なく釈放された。