奥村 光一(おくむら こういち、1999年12月24日 - … 奥村 光一(おくむら こういち、1999年12月24日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 静岡市清水区に生まれる。静岡市立清水船越小学校2年生のときに船越リトルグリーンズで野球を始める。中学時代は東海大静岡翔洋中等部の軟式野球部に所属した。 東海大学付属静岡翔洋高等学校に進学し、3年生時には主軸を務めた。しかし、進学した東海大学ではほとんど試合に出られず、3年時には指導者から野球を断念して就職活動すべきと告げられてしまった。高校通算は29本塁打。 野球選手を続行する道を選び、ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の群馬ダイヤモンドペガサスのトライアウトを受験。
杉山 一樹(すぎやま かずき、1997年12月7日 - )は… 杉山 一樹(すぎやま かずき、1997年12月7日 - )は、静岡県静岡市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 静岡市立千代田東小学校3年生の頃に静岡中央リトルで軟式野球を始め、静岡市立東中学校では外野手としてプレーする。 高校は静岡県立静岡南高等学校と静岡市立商業高等学校が統合され新設された静岡県立駿河総合高等学校に1期生として入学。投手をやりたいという強い意志で高校からは投手に転向し、2年生の夏にメンバー入りするが、背番号は11でストレートの球速は130km/h程度だった。冬場の走り込みで下半身強化やフォームチェックの成果が表れ、3年生の春には自己最速を10km/h更新する145km/hを記録し注目される。
木村 聡司(きむら さとし、1996年5月6日 - )は、静… 木村 聡司(きむら さとし、1996年5月6日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 高校時代は1年夏に甲子園出場。2年生の時は、ピッチャーとしても起用される。3年生の夏の甲子園大会県予選では県大会ベスト4で敗退。 2014年10月23日に行われたドラフト会議において、広島東洋カープから育成2位指名を受け、入団。 2016年は四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツへ派遣される。 2017年10月31日に自由契約公示されたが、育成選手として再契約した。 2018年10月31日、自由契約公示されたが、育成選手として再契約した。 2019年に戦力外通告を受けた。
野村 亮介(のむら りょうすけ、1993年7月9日 - )は… 野村 亮介(のむら りょうすけ、1993年7月9日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 清水飯田小学校1年生の時に「飯田リトルジャイアンツ」で野球を始め、清水飯田中学校3年生の時に全国中学校軟式野球大会に出場した。静清工業高校(2年生時より静清高校)に進むと3年生時(2011年)の春の選抜高校野球に出場、1回戦に登板し3失点完投勝利で京都成章を破り、2回戦の日大三戦でも3失点完投するも、チームは敗れた。同年夏の甲子園・静岡大会では準々決勝で常葉菊川に敗れ敗退した。 三菱重工横浜に入団すると1年目の2012年から都市対抗野球大会などに出場、2年目の2013年は9試合に登板し防御率7.71であったが、その後フォーム改造にも取り組み、3年目となった2014年の通算防御率は2.11。
川口 盛外(かわぐち たけと、1985年8月15日 - )は… 川口 盛外(かわぐち たけと、1985年8月15日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手、社会人野球選手(投手)。現在は王子硬式野球部に所属。
深田 拓也(ふかた たくや、1983年4月23日 - )は、… 深田 拓也(ふかた たくや、1983年4月23日 - )は、静岡県静岡市駿河区出身の元プロ野球選手(投手)。
寺田 祐也(てらだ ゆうや、1980年5月7日 - )は、静… 寺田 祐也(てらだ ゆうや、1980年5月7日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。
山崎 隆広(やまざき たかひろ、1976年10月11日 - … 山崎 隆広(やまざき たかひろ、1976年10月11日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。
山﨑 一玄(やまざき かずはる、1972年7月21日 - )… 山﨑 一玄(やまざき かずはる、1972年7月21日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は阪神タイガースで打撃投手を務めている。
里見 祐輔(さとみ ゆうすけ、1970年3月16日 - )は… 里見 祐輔(さとみ ゆうすけ、1970年3月16日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代は外野手。静岡市立高で投手となり2年秋の沼津工業高校戦で20奪三振を記録した。1987年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから2位指名を受け入団。スライダー、タテに大きく割れるカーブが武器。 プロ2年目の1989年に一軍初登板を果たすが、一軍通算2試合の登板のみで1994年限りで現役を引退。
竹下 潤(たけした じゅん、1969年7月12日 - )は、… 竹下 潤(たけした じゅん、1969年7月12日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、埼玉西武ライオンズのスカウト。 静岡市立商高では当初外野手だったが3年生の時に投手へ転向する。卒業後、駒澤大学へ進学。1年春からベンチ入りし、東都大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験。同期のエース若田部健一の控えだったが、1991年秋季リーグでは3年ぶりの優勝に貢献した。リーグ通算24試合に登板、6勝4敗、防御率2.36、60奪三振。他の大学同期に一塁手の上羽功晃(神戸製鋼-京都外大西高監督)らがいる。駒大では同期の若田部の他、3学年先輩に野村謙二郎、1学年先輩に関川浩一、1学年後輩に鶴田泰と田口昌徳、3学年後輩に高木浩之と河原純一と本間満がいた。
望月 一(もちづき はじめ、1968年4月26日 - )は静… 望月 一(もちづき はじめ、1968年4月26日 - )は静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。
大久保 学(おおくぼ まなぶ、1964年7月3日 - )は、… 大久保 学(おおくぼ まなぶ、1964年7月3日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 NPBの南海ホークスへ最後に在籍した選手の1人で、1988年に現役を引退してからは、オイスカ高校や如水館高等学校の硬式野球部で監督を務めている。 静岡県立静岡高等学校3年時の1982年に、エース兼4番打者として第64回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、この大会で優勝した徳島県立池田高等学校との1回戦で敗れた。しかし、秋のNPBドラフト会議では、上記の試合で投げ合った畠山準に続いて南海ホークスから2位で指名。後に、畠山と揃って入団した。背番号は31。 入団1年目の1983年に、一軍公式戦で畠山を上回る2勝をマーク。
広瀬 哲朗(ひろせ てつろう、1961年1月23日 - )は… 広瀬 哲朗(ひろせ てつろう、1961年1月23日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。野球解説者、タレント、野球日本女子代表の監督・顧問、野球指導者も務める。 静岡県静岡市清水区にある静岡市立蒲原中学校(旧:静岡県庵原郡蒲原町立蒲原中学校)、静岡県立富士宮北高等学校を経て駒澤大学に進学。歌手の久保田利伸は中学時代ならびに駒澤大学の後輩になる。同野球部では東都大学野球リーグで1980年春季リーグに優勝。同年の全日本大学野球選手権大会では決勝で明治大学に敗れ準優勝。1982年の日米大学野球選手権大会日本代表にも選ばれる。リーグ通算99試合出場、352打数100安打、打率.284、2本塁打、32打点。
青山 道雄(あおやま みちお、1959年12月17日 - )… 青山 道雄(あおやま みちお、1959年12月17日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。
大石 大二郎(おおいし だいじろう、 1958年10月20日… 大石 大二郎(おおいし だいじろう、 1958年10月20日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手)、監督、野球指導者、解説者、評論家。1987年から1990年までの登録名は、大石 第二朗(読みは同じ)。
袴田 英利(はかまだ ひでとし、1955年8月13日 - 2… 袴田 英利(はかまだ ひでとし、1955年8月13日 - 2025年2月8日)は、静岡県静岡市葵区出身のプロ野球選手(捕手)、コーチ。 静岡市立大里中学校時代は県大会で優勝。静岡高に進学が内定していたが、袴田の父親と静岡県自動車工業高等学校の校長が高校時代の同期で口説き落とされて自動車工に進んだ。自動車工では捕手、四番打者として1973年の全国高等学校野球選手権静岡大会で決勝に進出するが、後に大学同期となる植松精一らのいた静岡高に敗退。同年ドラフト3位でロッテオリオンズに指名されるも入団せず。 進学した法政大学には、2年上に中西清治、土屋恵三郎、同期にウィリー木原(大昭和製紙)といった好捕手がいたが、競争を勝ち抜き2年生時の1975年春季リーグから定位置を獲得。
池谷 公二郎(いけがや こうじろう、1952年6月28日 -… 池谷 公二郎(いけがや こうじろう、1952年6月28日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。
山下 大輔(やました だいすけ、1952年3月5日 - )は… 山下 大輔(やました だいすけ、1952年3月5日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督・コーチ、解説者・評論家。愛称は「大ちゃん」。 清水東高校から1970年に一般入試で慶應義塾大学商学部へ進学。東京六大学野球リーグでは、1年次の同年秋季リーグから正遊撃手となり、高校の2年先輩である松下勝実とクリーンアップを組み活躍する。2年上の工藤真投手、清水東高でも2年上の松下勝実、1年上の萩野友康・長谷部優両左腕投手らを擁し、2年次の1971年秋季リーグからの3連覇に3番打者として貢献。1、2年時には「鬼の榊原」と呼ばれた榊原敏一監督に「試合と同じ集中力で練習しろ」と鍛え上げられた。
藤波 行雄(ふじなみ ゆきお、1951年4月26日 - )は… 藤波 行雄(ふじなみ ゆきお、1951年4月26日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元プロ野球選手(外野手)。
大橋 功男(おおはし いさお、1951年 - 2023年11… 大橋 功男(おおはし いさお、1951年 - 2023年11月2日[要出典])は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 静岡市立安倍川中学校では野球部のエースとして活躍した。高校は静岡県立静岡高等学校に進学し、1969年の夏の甲子園県予選4回戦では伊東高を相手に、6四死球を与えるもノーヒットノーランを達成。決勝に進むが藤波行雄や松島英雄らがいた静岡商に敗退し、甲子園への出場は実現しなかった。同年のドラフト会議で東映フライヤーズから8位指名されたが入団を拒否。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは1年下の矢野暢生とともに投の中心となり、1973年春季リーグで優勝。リーグ通算47試合登板、13勝11敗、防御率2.80、96奪三振。
小田 義人(おだ よしと、1947年5月22日 - )は、静… 小田 義人(おだ よしと、1947年5月22日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003… 瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003年11月19日)は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(二塁手)。実兄に阪神の捕手であった瀧英男がいる。
鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007… 鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007年6月14日)は、静岡県静岡市出身のプロ野球選手(捕手、一塁手)・コーチ、評論家。 清水東高校では1年次の1956年秋から捕手として活躍し、2年次の1957年には春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年には1年上のチームメイトに4番・遊撃手の漆畑勝久を擁して夏の甲子園に出場するが、2回戦(初戦)で法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封負けを喫す。 同年の秋季中部大会では同期の山田茂利(明大-日本鋼管)とバッテリーを組み決勝に進出し、中京商のエース伊藤竜彦に完封を喫するが、3年次の1958年の選抜へ出場を決めた。
大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023… 大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023年11月28日)は、静岡県清水市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 「剃刀」と喩えられたストレートとスライダーを武器に、「カープ史上最速のピッチャー」と評された。 清水商業高校では3年次の1958年に春季中部大会1回戦で岐阜商に逆転負けし、夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。卒業後は清水商野球部後援会と立教大学校友会静岡支部の推薦で立大進学が決まっていたが、家庭の事情でプロ入りが決まる。 1959年に広島カープへ入団し、同期には後に阪急でもコーチとして同僚となる上田利治らがいた。選手の給料もままならない弱小・広島において、1年目から39試合に登板して9勝を挙げ、若くして主戦投手となる。
大木 利男(おおき としお、1938年2月11日 - )は、… 大木 利男(おおき としお、1938年2月11日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。
松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は… 松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。
瀧 英男(たき ひでお、1936年8月17日 - )は、静岡… 瀧 英男(たき ひでお、1936年8月17日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(捕手)。
杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は… 杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。「円月打法」という独特の打撃フォームで人気のあった職人的左打者。