池谷 蒼大(いけや そうた、1999年8月2日 - )は、静… 池谷 蒼大(いけや そうた、1999年8月2日 - )は、静岡県浜松市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。ハヤテベンチャーズ静岡所属。 浜松市立積志小学校2年生のときに軟式野球チームの浜松ドジャースで野球を始め、6年生のときには中日ドラゴンズジュニアでプレーした。浜松市立積志中学校では軟式野球部に所属し、エースとして春の県大会3位となった。 その後静岡県立静岡高等学校に進学。1年秋からベンチ入りしたが、腰痛に苦しみ1年間公式戦での登板がなかった。2年春に公式戦初登板し、同年秋の東海大会の途中から竹内奎人のつけていた背番号1を奪った。同大会で優勝し、3年春の第89回選抜高等学校野球大会出場。不来方との1回戦に先発して7回1失点で勝利投手となる。
佐野 太河(さの たいが、1998年11月16日 - )は、… 佐野 太河(さの たいが、1998年11月16日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学2年生でソフトボールを始め「北クラブ」に加入。浜松中部中学から硬式野球に転向して「浜松南リトルシニア」に所属。当時は内野手だったが、チームメイトに教わり、遊びでナックルボールを投げられることがたまにあった。 浜松南高校進学後、2年生時に投手に転向。見せ球として時々ナックルボールを使うことがあったという。2年生秋からベンチ入りし、控え投手として高校時代を過ごし、3年生夏の第98回全国高校野球選手権静岡大会は初戦敗退を喫した。 金融業界への進路を希望し、千葉大学法政経学部法政経学科に現役合格。
浅野 桜子(あさの さくらこ、1998年5月15日 - )は… 浅野 桜子(あさの さくらこ、1998年5月15日 - )は、静岡県浜松市中央区出身の元女子プロ野球選手(内野手)。 父親と兄の影響で、小学校1年時に「上島北西ソフトボール」に入団しソフトボールを始め、同4年時に女子ソフトボールチーム「浜松ドルフィンズ」に移籍した。浜松市立中部中学校入学を機に同校の軟式野球部に入部した野球に転向、遊撃手でキャプテンを務めた。 京都両洋高等学校に進学、3年時は春の大会でベスト4、西日本大会で優勝した。 2017年、レイアに入団。 2018年に京都フローラへ移籍。二塁手として、ゴールデングラブ賞を受賞。 2019年は愛知ディオーネに移籍し、2年連続でゴールデングラブ賞を受賞。
渥美 万奈(あつみ まな、 1989年6月15日 - )は、… 渥美 万奈(あつみ まな、 1989年6月15日 - )は、静岡県浜松市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。元トヨタ自動車レッドテリアーズ所属。元ソフトボール日本代表。2021年開催の東京オリンピック金メダリスト。 浜松市立曳馬中学校、常葉学園菊川高等学校卒業。 2008年、トヨタ自動車に入団。 2013年にCanada Cup International Softball Championship、2016年にカナダのサレーで開催された第15回世界女子ソフトボール選手権と2018年に千葉県で開催された第16回世界女子ソフトボール選手権に出場した。第15回と第16回世界女子ソフトボール選手権では銀メダルを獲得した。
後藤 武敏(ごとう たけとし、1980年6月5日 - )は、… 後藤 武敏(ごとう たけとし、1980年6月5日 - )は、静岡県浜松市中央区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、プロ野球コーチ。右投右打。 愛称は「ゴメス」など(後述)。 中学校時代にはシニアリーグの「浜松シニア」に所属し、チームメイトで1年後輩の野久保直樹らと共に全国大会で準優勝している。 横浜高等学校では、1年生時からベンチ入りし、第78回全国高等学校野球選手権大会では、3回戦の9回に代打で起用され安打を放った。 1998年、松坂大輔、小池正晃、小山良男らと共に第70回選抜高等学校野球大会に出場し全国制覇を果たすと、第80回全国高等学校野球選手権大会に主に3番打者として出場し、準々決勝では上重聡、平石洋介らを擁するPL学園、準決勝では寺本四郎を擁する明徳義塾高校、決勝では吉見太一を擁する京都成章高校に勝利し、春夏連覇を果たした。
小田 智之(おだ ともゆき、1979年5月19日 - )は、… 小田 智之(おだ ともゆき、1979年5月19日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 小学3年生で野球を始め、興誠高等学校では1年秋からレギュラーとなる。1997年の夏は3番・遊撃手として出場も県大会の決勝戦で敗退し、甲子園出場ならず。高校通算14本塁打。元広島東洋カープの林昌樹とは同級生で、俳優の野久保直樹は2学年後輩にあたる。1997年のドラフトで日本ハムから2位指名され、入団。 2003年にイースタン・リーグ2位の打率.347、9本塁打と安打を量産し、シーズン終盤に一軍に昇格してプロ初打点を挙げた。 2004年、プロ7年目にして開幕戦のスターティングメンバーに名を連ね(八番・指名打者)、4月3日にプロ初本塁打。
岩下 修一(いわした しゅういち、1973年6月2日 - )… 岩下 修一(いわした しゅういち、1973年6月2日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。2006年のみ、登録名を岩下 修壱(読みは同じ)とした。 現在は、北海道日本ハムファイターズの打撃投手。
門奈 哲寛(もんな てつひろ、1970年5月30日 - )は… 門奈 哲寛(もんな てつひろ、1970年5月30日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
佐野 心(さの こころ、1967年1月23日 - )は、静岡… 佐野 心(さの こころ、1967年1月23日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(外野手)。2004年4月に常葉学園菊川高等学校硬式野球部の部長に就任し、一時は監督を務めた。
内藤 雅人(ないとう まさと、1965年1月25日 - )は… 内藤 雅人(ないとう まさと、1965年1月25日 - )は、静岡県浜松市出身の元アマチュア野球選手(外野手)。 静岡学園高校では、一年生から4番打者を務めていた。高校卒業後に東洋大学に進学して硬式野球部に所属し、東都大学野球リーグでは1984年の春季に、二打席連続本塁打6安打でリーグ新記録の12安打を放った。4年時は大学選手権優勝を果たし、1986年の日米大学野球の全日本メンバーにも選ばれた。ベストナイン2回。同期に森浩之がいた。 大学卒業後は、社会人野球のヤマハに所属し、1年目に都市対抗野球優勝を経験。1989年の第15回アジア野球大会の全日本メンバーにも選ばれ、1990年の都市対抗野球では優勝に貢献すると優秀選手に選ばれ、同年には社会人ベストナインにも選ばれた。
大石 直弘(おおいし なおひろ、1960年7月18日 - )… 大石 直弘(おおいし なおひろ、1960年7月18日 - )は、静岡県天竜市(現:浜松市天竜区)出身の元プロ野球選手(投手)。
井辺 康二(いべ やすじ、1959年7月21日 - )は、静… 井辺 康二(いべ やすじ、1959年7月21日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
榊原 良行(さかきばら よしゆき、1949年6月13日 - … 榊原 良行(さかきばら よしゆき、1949年6月13日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。娘は元バスケットボール女子日本代表主将の榊原紀子。
皆川 康夫(みながわ やすお、1947年11月3日 - 20… 皆川 康夫(みながわ やすお、1947年11月3日 - 2022年12月19日)は、静岡県浜松市出身のプロ野球選手(投手)。 父は元プロ野球選手の皆川定之。 浜松日体高卒業後は1966年に中央大学へ進学したが、1勝も出来ず、1年下のエース・杉田久雄の影に隠れていた。大学同期に萩原康弘、長井繁夫、末永正昭がいる。 大学卒業後の1970年に富士重工業へ入社し、素質が開花。同年は産別対抗で活躍すると、都市対抗には日立製作所の補強選手として出場し、東海理化との1回戦でリリーフ登板。中央球界では全くの無名であったが、ドラフト5位で東映フライヤーズへ入団し、富士重工出身初のプロ野球選手となる。 1971年には、4月11日、開幕3戦目の西鉄戦(平和台)で初登板初勝利を飾る。
船田 和英(ふなだ かずひで、1942年5月5日 - 199… 船田 和英(ふなだ かずひで、1942年5月5日 - 1992年5月28日)は、プロ野球選手。ポジションは内野手。ニックネームは「ライフルマン」(同名のアメリカのテレビドラマにちなむ。主人公ルーカス・マッケイン役のチャック・コナーズに顔が似ていた)。静岡県出身。
小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静… 小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。内野手。
川口 芳弘(かわぐち よしひろ、1930年8月6日 - )は… 川口 芳弘(かわぐち よしひろ、1930年8月6日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(投手)。 興誠商業(現・浜松学院中学校・高等学校),ノンプロの小口製作所を経て、1950年に大洋ホエールズに入団。同年6月2日の西日本戦(佐世保市営球場)でデビューした。しかし11試合に登板したが、勝ち星を挙げることができず、1951年に引退した。 川瀬宏之とは、興誠商業,小口製作所,大洋全てでチームメイトであった(高校・ノンプロ時代にはバッテリーを組んでいた)。
伊藤 万喜三(いとう まきぞう、1930年7月15日 - )… 伊藤 万喜三(いとう まきぞう、1930年7月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 浜松北高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。 この年は21試合に登板して4勝を記録するが、5月31日の毎日オリオンズ戦ではプロ野球記録の1試合18失点を喫している。 1951年は1勝しかできず、1952年に阪急ブレーブスへ移籍。移籍した阪急では勝利を挙げることができず、1954年に引退した。
安居 玉一(やすい たまいち、1922年10月10日 - 2… 安居 玉一(やすい たまいち、1922年10月10日 - 2002年8月22日)は、昭和時代前期に活躍したプロ野球選手。改姓前は、玉置 玉一(たまき-)。
大友 一明(おおとも かずあき、1916年9月16日 - 没… 大友 一明(おおとも かずあき、1916年9月16日 - 没年不明)は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手。ポジションは二塁手、投手。
大野木 浜市(おおのぎ はまいち、1916年 - 2004年… 大野木 浜市(おおのぎ はまいち、1916年 - 2004年7月5日)は、日本の元アマチュア野球選手。高校野球にて活躍した。静岡県出身。ポジションは外野手(主に右翼手)。 1916年に浜松市にて生まれた。1929年に尋常小学校卒業後、当時少年野球の強豪校と知られていた、浜松高等尋常小学校(現・浜松市立元城小学校)へ進み、1930年、高等尋常小2年の時には、戸塚球場で開かれた第11回全国少年野球優勝大会で優勝投手となった。元城小時代のチームメイトに、大友一明(元プロ野球選手。大東京軍、ゴールドスター等でプレー。)がいた。 1931年、中京商業学校に入学。甲子園には5回出場(春4回〈1932年~1935年〉。