高橋 謙司(たかはし けんじ、1968年(昭和43年)6月1… 高橋 謙司(たかはし けんじ、1968年(昭和43年)6月12日 - )は、日本の建設・国土交通官僚。 愛知県一宮市出身。滝高等学校を経て、1990年3月に京都大学法学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格し、同年4月建設省入省。鳥取県庁に出向した際には、米子鬼太郎空港の愛称化や、鳥取環境大学の公立大学化・新学部の設置に携わった。 2023年7月4日、内閣府政策統括官(防災担当)に就任。 2025年7月1日、内閣府地方創生推進事務局長に就任。
本田 一成(ほんだ かずなり、1965年 - )は、日本の経… 本田 一成(ほんだ かずなり、1965年 - )は、日本の経営学者。武庫川女子大学経済学部経営学科教授。元全国スーパーマーケット協会理事。 専攻分野は人的資源管理、組織行動、労使関係、社会調査、国際経営。 愛知県一宮市生まれ。1988年法政大学経営学部卒業。1990年法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了。1990年東京都立労働研究所研究員。1991年日本労働研究機構(現・労働政策研究・研修機構)研究員。1994年英国スターリング大学小売研究所客員研究員。2001年「チェーンストアの人材開発 : 日本と西欧」で法政大学より博士号(経営学)取得。2004年4月より國學院大學に勤務。同経済学部准教授、のち教授。
永田 恭介(ながた きょうすけ、1953年〈昭和28年〉10… 永田 恭介(ながた きょうすけ、1953年〈昭和28年〉10月14日 - )は、日本の科学者。専門は分子生物学、ウイルス学、分子ウイルス学。筑波大学医学医療系教授、筑波大学学長(第9代)。 愛知県一宮市出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、1976年に東京大学薬学部を卒業し、1981年に同大学院薬学系研究科博士課程を修了。薬学博士(東京大学、1981年)。 専門は分子生物学、ウイルス学、構造生物化学で、研究テーマは、ウイルスと真核細胞のゲノム/クロマチンの複製と転写の分子機構、ウイルスの増殖と病原性発現の分子機構、細胞周期制御と細胞がん化の分子機構。2009年には横浜市立大学との共同研究でインフルエンザウイルスの増殖に必要な酵素(RNAポリメラーゼ)の構造を解明し、欧州分子生物学機構機関誌(英語版)に発表した。
伊藤 早苗(いとう さなえ、1952年2月13日 - 201… 伊藤 早苗(いとう さなえ、1952年2月13日 - 2019年7月18日)は、日本の物理学者(女性)。理学博士。九州大学名誉教授。 愛知県一宮市出身。東京都立国立高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業。1979年、東京大学大学院理学系研究科(物理学専攻)博士課程修了。広島大学助手・講師・助教授、名古屋大学客員助教授、核融合科学研究所助教授などを経て1992年より九州大学応用力学研究所教授を務めた。 夫・伊藤公孝と共に、トロイダルプラズマ表面からの熱と粒子の損失が突如減りプラズマのエネルギーが上昇する現象(LH遷移)に対する理論的説明を提案したことで知られる。 2019年7月18日、食道がんのため死去。
小島 廣光(こじま ひろみつ、1946年4月30日 生まれ)… 小島 廣光(こじま ひろみつ、1946年4月30日 生まれ)は、日本の経営学者。北海道大学名誉教授。専門は、非営利組織論、経営管理論。経済学博士(名古屋大学・1985年)。愛知県一宮市出身。(名前の漢字「廣」は、正しくはまだれに黄である。) 他の研究者が関心を示さない研究テーマに対して興味を持続させる研究スタイルが特徴で、日本の非営利組織(NPO)研究の第一人者として著名。 わが国の非営利組織に関して、①マネジメント、②政策形成、③政府と企業との戦略的協働を先駆的に解明する 。
西澤直子(にしざわ なおこ、1945年〈昭和20年〉8月11… 西澤直子(にしざわ なおこ、1945年〈昭和20年〉8月11日 - )は、日本の農芸化学者。旧姓は岸(きし)。研究テーマは、石灰質土壌耐性作物の作出・ミネラル栄養価の高いイネの作出など。東京大学名誉教授、石川県立大学学長、石川県公立大学法人副理事長、日本学士院会員。 愛知県一宮市生まれ。永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)、千代田区立麹町中学校、東京都立日比谷高等学校を経て、東京大学農学部農芸化学科卒業。同助手、米国ロックフェラー大学研究員などを経て東京大学大学院農学生命科学研究科教授就任。2019年4月より石川県立大学学長。 父親は日本陸軍少佐を務めた岸秋正、母親は料理記者の岸朝子。
竹市 明弘(たけいち あきひろ、1933年11月28日 - … 竹市 明弘(たけいち あきひろ、1933年11月28日 - 2019年6月15日)は、日本の哲学者、京都大学名誉教授。 愛知県一宮市出身。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了。関西大学助教授、同教授、京都大学教養部助教授、同教授、1991年に京都大学総合人間学部教授、同環境・人間学初代研究科長を歴任。1997年に定年退官、同時に名誉教授称号授与。その後、岡崎学園国際短期大学学長と改組および校名変更後の人間環境大学学長を歴任。アウクスブルク大学名誉博士。2017年4月、瑞宝中綬章を受章。
佐藤 毅(さとう たけし、1932年3月5日 - 1997年… 佐藤 毅(さとう たけし、1932年3月5日 - 1997年10月8日)は、日本の社会学者、一橋大学名誉教授。 愛知県一宮市出身。1954年一橋大学社会学部卒、1959年同大学院社会学研究科博士課程満期退学。南博ゼミ出身。1960年法政大学社会学部専任講師、1961年助教授、1969年教授、1978年一橋大学社会学部教授。1991年「マスコミの受容理論 言説の異化媒介的変換」で一橋大学社会学博士。1995年定年退官、名誉教授、大東文化大学法学部教授。 1997年10月8日、急性白血病のため死去。 指導学生に安川一、伊奈正人、三浦展,出口剛司など。
後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 202… 後藤 幸男(ごとう ゆきお、1928年8月20日 - 2024年1月15日)は、日本の経営学者。経営学博士(神戸大学・論文博士・1968年)。神戸商科大学名誉教授・元学長。2006年瑞宝中綬章受章。 愛知県一宮市生まれ。名古屋大学経済学部卒業。1954年同大学院修了、名古屋大学助手、1957年神戸商科大学講師、1959年助教授、1965年教授、1968年「企業の投資決定論」で経営学博士(神戸大学)の学位を取得。1986年学長。1990年定年退任、名誉教授、追手門学院大学経営学部教授。2001年日本経営財務研究学会会長。2006年瑞宝中綬章受章。
戸田 修三(とだ しゅうぞう、1923年2月14日 -201… 戸田 修三(とだ しゅうぞう、1923年2月14日 -2018年5月21日)は、日本の法学者。専門は商法。中央大学名誉教授。元中央大学学長。初代日本私立学校振興・共済事業団理事長。 愛知県一宮市生まれ。法学博士(中央大学・論文博士・1962年)。論文は 海上運送法における責任の体系。 名誉博士(エクス・マルセイユ第三大学)。 1944年中央大学専門部法学科卒業。1947年中央大学法学部卒業。1948年中央大学大学院(旧制)法学研究科中退。 中央大学法学部助手。1951年中央大学法学部助教授。1959年中央大学法学部教授。1965年中央大学評議員。1965年中央大学法学部長。1967年中央大学大学院法学研究科長。
瀧 正男(たき まさお、1921年9月8日 - 2012年4… 瀧 正男(たき まさお、1921年9月8日 - 2012年4月2日)は、日本のアマチュア野球指導者、元アマチュア野球選手、体育学者。長男は野外活動、レクリエーション活動研究を専門とする中京大学スポーツ科学部スポーツ健康科学科教授の瀧克己。 愛知県一宮市出身。1936年に中京商業学校に入学し野球部に入り、5回甲子園大会に出場。1937年夏の第23回全国中等学校優勝野球大会及び1938年春の第15回選抜中等学校野球大会で捕手として優勝を経験している。バッテリーを組んだのは野口二郎であった。 中京商業を卒業後に名古屋高等商業学校(現在の名古屋大学経済学部)に進学した後、軍隊に入りマレーシアへ出征。終戦後のマレーシアでの捕虜生活を経て1947年に内地復員を果たす。
神戸 正雄(かんべ まさお、旧字体:神戶 正雄、1877年(… 神戸 正雄(かんべ まさお、旧字体:神戶 正雄、1877年(明治10年)4月19日 - 1959年(昭和34年)10月16日)は、日本の法学者・経済学者・政治家(京都市長で、公選第一号の市長)。文化功労者。愛知県一宮市出身。 日本における消費税提唱の先駆者として知られる。 1877年(明治10年)、愛知県一宮に生まれる。旧制愛知一中(現:愛知県立旭丘高等学校)、三高、一高を経て、1900年東京帝国大学法科大学政治科卒業、同大学大学院(財政学専攻)卒業。 1902年京都帝国大学法科大学助教授に就任。1904年(明治37年)ドイツ・イギリスに留学する。海外渡航が極めて困難な時代にあって、視察旅行とは違い実際に現地に居住し学究できたことは、神戸の人格形成に大きな影響を与えたと言われている。
岡本 要八郎(おかもと ようはちろう、1876年1月13日 … 岡本 要八郎(おかもと ようはちろう、1876年1月13日 - 1960年3月28日)は、愛知県中島郡(現・一宮市)出身の地質学者。初めて台湾の鉱物を採集した事で知られる。北投善光寺に彼の頌徳碑が現存する。 著書に『台湾鉱物調查報告』(1911年)、『台湾産北投石調查報告文』(1916年)、『福岡県鉱物誌』(1944年)などがある。 子供のときに受けた理科の授業に影響を受け鉱物に興味を持つようになる。 1899年4月に台湾へ渡航し、台湾総督府国語学校の教諭として現地台湾人の教育に当たる。翌年、角板山への鉱物採集旅行後、台湾の鉱物に関する研究を開始する。明治38年(1905年)北投温泉の公衆浴場瀧乃湯にて入浴をした帰りに北投石を発見する。
淺野 春道(あさの しゅんどう)は、江戸時代後期の尾張藩の医… 淺野 春道(あさの しゅんどう)は、江戸時代後期の尾張藩の医師、本草学者。男性。 尾張国一宮浅野の出身。明和6年(1769年)、医者の家に生まれた。浅井紫山の医学館で医術を学び、講師の野間林庵(5代)が浅野の面倒を見ていた。京都の小野蘭山に本草学を学び、さらに長崎に遊学した。帰郷後、名古屋の鍋屋町で町医者となる。 文化11年(1814年)、名古屋藩奥医師(藩医)に抜擢される。藩より居宅拝領があったが辞退し、元の家に住み続けた。奥医師として藩内の医師を監督する傍ら、珍しい品物や古銭を収集し、盆栽を愛し、変わった草花を好んだ。水谷豊文、大窪太兵衛、石黒済庵、岡林清達、柴田洞元、西山玄道、浅野文達、大河内存真らと定期的に本草会を開き、薬物の鑑定大会、『本草綱目』の講読等を行った(のちの嘗百社)。