橋本 侑樹(はしもと ゆき、1992年〈平成4年〉12月12… 橋本 侑樹(はしもと ゆき、1992年〈平成4年〉12月12日 - )は、日本の政治家、実業家、元ライブアイドル。渋谷区議会議員(2期)。株式会社ツギステ代表取締役社長。 ライブアイドル時代は桜 雪(さくら ゆき)名義でアリスプロジェクトに所属し、アイドルユニット「アリス十番」などで活動した。 三重県津市生まれ。三重大学教育学部附属小学校、三重大学教育学部附属中学校、東京学芸大学附属小金井中学校、東京学芸大学附属高等学校を経て、東京大学文学部行動文化学科心理学専修課程卒業。 高校入学直後の2008年にNHK東京児童合唱団(ユースシンガーズ)入団、2010年アリスプロジェクトに所属。2012年10月スチームガールズの結成メンバーとなる。
世古 万美子(せこ まみこ、1974年〈昭和49年〉8月23… 世古 万美子(せこ まみこ、1974年〈昭和49年〉8月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 三重県津市出身。名古屋音楽大学卒業。卒業後は三重県庁に入り、県議会事務局職員を経て、2019年に自民党三重県連に入党、県連職員を務めた。 2024年10月の第50回衆議院議員総選挙において自民党公認で比例東海ブロックから(比例単独・名簿登載順位第34位)立候補し、落選。 2026年2月の第51回衆議院議員総選挙において自民党公認で比例東海ブロックから(比例単独・名簿登載順位第38位)再び立候補し、初当選を果たした。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小林 貴虎(こばやし たかとら、1974年1月4日 - )は… 小林 貴虎(こばやし たかとら、1974年1月4日 - )は、日本の政治家。前三重県議会議員。元三重県津市議会議員(2期)。 自由民主党三重県連副幹事長。旧統一教会の関連団体である天宙平和連合(UPF)元職員。 三重県津市出身。三重大学教育学部附属小学校、三重大学教育学部附属中学校の後に、三重県立津高等学校を1992年に卒業。帝京科学大学情報科学科に進学し、インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス校に修士課程1年半在籍。 2011年の津市議会補欠選挙に立候補し、当選。2016年5月14日、日本会議三重・津支部の初総会において支部長に就任。続いて、2019年の三重県議会に津市選挙区から立候補し、13438票で5位で当選した。
松田 直久(まつだ なおひさ、1954年(昭和29年)5月8… 松田 直久(まつだ なおひさ、1954年(昭和29年)5月8日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の元衆議院議員(1期)。三重県津市長(2期)、三重県議会議員(2期)などを歴任した。 三重県津市生まれ。高田高等学校、大阪産業大学経営学部卒業。大学卒業後、北川正恭衆議院議員の秘書を務める。 1999年、三重県議会議員選挙に一志郡選挙区から無所属で立候補し、当選。2003年の三重県議選では、無投票で再選。県議在職中に民主党に入党し、党県連幹事を務めた。 2006年1月1日、旧市制の津市及び9市町村が合併し、新市制の津市が成立する。合併に伴い、同年2月5日の津市長選挙に県議を辞職して無所属で出馬し、当選した。
岡村 秀人(おかむら ひでと、1953年〈昭和28年〉4月1… 岡村 秀人(おかむら ひでと、1953年〈昭和28年〉4月13日 - )は、日本の政治家。愛知県大府市長(3期)。 三重県津市出身。1978年(昭和53年)3月、京都大学法学部卒業。同年4月、愛知県庁に入庁。1997年(平成9年)4月、大府市役所に派遣され企画部企画調整監に就任。この時の上司だったのが、2016年まで大府市長を務めた久野孝保だった。久野は2003年(平成15年)に市役所を退職し、2004年(平成16年)4月の大府市長選挙で当選。岡村は6月3日に愛知県庁を退職し、あくる6月4日に大府市の助役に就任した。2007年(平成19年)4月1日、大府市副市長に就任。 2015年(平成27年)11月20日、久野は翌年に予定されている市長選に出馬せず、引退する意向を表明。
岡崎 英城(おかざき えいじょう、1901年〈明治34年〉1… 岡崎 英城(おかざき えいじょう、1901年〈明治34年〉1月10日 - 1989年〈平成元年〉2月18日)は、日本の内務官僚・政治家。 東京帝国大学経済学部卒業後、内務省に入省。警察畑を歩み公職追放後の1955年(昭和30年)衆議院議員に東京4区から初当選(連続当選6回)。岸内閣の内閣官房副長官、労働・行政管理・通産の各政務次官、自民党東京都連幹事長などを歴任したが、入閣はできず1972年の衆院選で落選し政界を引退した。墓所は多磨霊園。 1901年(明治34年)1月10日、三重県津市出身。 水戸高校を卒業し、1928年(昭和3年)に東京帝国大学経済学部経済学科卒業・高等文官試験行政科に合格する。
松本 一郎(まつもと いちろう、1900年(明治33年)3月… 松本 一郎(まつもと いちろう、1900年(明治33年)3月15日 - 1968年(昭和43年)10月26日)は、日本の農業関係者、政治家。衆議院議員。 三重県一志郡、のちの一志町(現津市)で生まれた。明治大学専門部法科で学んだ。尾崎行雄の秘書を務めた。 一志郡大井村長、三重県会議員、三重県耕地協会長、三重県農業共済組合連合会長、三重県畜産会長などを務めた。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙おいて三重県第1区で民主党から出馬し当選し、第24回、第25回、第29回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算四期務めた。この間、衆議院建設委員長、同農林水産委員長、第2次池田内閣・科学技術政務次官、民主党会計監督、民主自由党相談役、同民情部長、自由民主党全国組織副委員長、全国農業共済協会副会長などを務めた。
山高 しげり(やまたか しげり、別名:金子しげり、金子茂、1… 山高 しげり(やまたか しげり、別名:金子しげり、金子茂、1899年1月5日 - 1977年11月13日)は、日本の政治家、婦人運動家、フェミニスト。婦人参政権獲得期成同盟会(婦選獲得同盟)の創設に加わり、全国地域婦人団体連絡協議会の初代理事長となったほか、参議院議員を2期務めた。 1899年1月5日に三重県津市で、三重県師範学校校長であった父・幾之丞と母・とみの間に次女として生まれた。幼い頃の戸籍名はひらがなではなく、漢字の「茂」であった。子どもの頃は教師であった両親の仕事の都合でさまざまな場所に住んでいた。父が亡くなって以降は母子家庭で育っており、これが後年に母子保護活動に尽力するようになった大きな理由のひとつである。
水谷 昇(みずたに のぼる、1896年〈明治29年〉5月23… 水谷 昇(みずたに のぼる、1896年〈明治29年〉5月23日 - 1988年〈昭和63年〉7月31日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。桑名市長(5期) 。書家。位階は従四位。 三重県河芸郡、のちの河芸町(現津市)で生まれた。1916年(大正5年)三重師範学校卒。小学校訓導、桑名高等女学校教諭を経て、桑名町議、同議長、桑名市議、同議長、木曽岬村長、三重県議などを歴任し、1946年の第22回衆議院議員総選挙で三重県から立候補するが次点。しかし翌1947年に長井源が辞職したことから、3月19日に繰り上げ当選となった。以来連続4期務め、衆議院図書館運営委員長、第3次吉田内閣で文部政務次官を務めた。
池村 平太郎(いけむら へいたろう、1887年(明治20年)… 池村 平太郎(いけむら へいたろう、1887年(明治20年)12月16日 - 1954年(昭和29年)12月17日)は、明治末から昭和前期の教育者、政治家。衆議院議員、旧制中学校長。 三重県安濃郡野田村(神戸村を経て現津市野田)で、池村浅次郎の長男として生まれる。1908年(明治41年)3月、三重県師範学校を卒業。小学校訓導を務め、1909年(明治42年)12月、文部省教員検定試験で博物科に合格した。 1912年(明治45年)3月、三重県の伊賀実科高等女学校教諭に就任。以後、福岡県立柳河高等女学校教諭、福岡県立若松中学校教諭、福岡県師範学校教諭、和歌山県立海南中学校教諭を歴任。 1925年(大正14年)3月、和歌山県立日高高等女学校長に就任した。
吉田 貞次郎(よしだ ていじろう、1885年(明治18年)2… 吉田 貞次郎(よしだ ていじろう、1885年(明治18年)2月17日 - 1948年(昭和23年)7月25日)は、日本の農業経営者、政治家。衆議院議員、北海道空知郡上富良野村長。 三重県奄芸郡一身田村(現津市)で農業・米穀商の吉田貞吉の長男として生まれる。家業の不振のため、1900年、16歳の時に三重団体に加わる父に従い北海道空知郡富良野村(現上富良野町)に移住した。忙しい開墾の合間に独学で学びを続け、徴兵時には一年志願兵を優秀な成績で終え、在郷中に陸軍歩兵中尉に昇進した。 村役場職員となり、以後、上富良野村会議員、同村長、信用購買組合長、農業組合長、農業会長、帝国在郷軍人会上富良野分会長、東中富良野及び草分土功組合長などを務めた。
小野 耕一郎(おの こういちろう、1883年(明治16年)4… 小野 耕一郎(おの こういちろう、1883年(明治16年)4月1日 - 1945年(昭和20年)1月21日)は、明治末から昭和前期の農業経営者・政治家。衆議院議員、三重県一志郡下之川村長、同郡久居町長。 三重県一志郡下ノ川村(下之川村大字下之川、美杉村大字下之川を経て現津市美杉町下之川)で、豪農・小野耕平の長男として生まれ、1902年(明治35年)三重県立津中学校(現三重県立津高等学校)を卒業し、同年に家督を相続し農業を営む。 下之川村産業組合長、地方森林会議員、一志郡木炭同業組合長、三重県木炭同業組合連合会評議員、産業組合中央会三重支部理事、三重県海外協会理事、同海外移住組合理事などを務め、農事の改善、産業振興に尽力した。
服部 米次郎(はっとり よねじろう、明治3年12月16日(1… 服部 米次郎(はっとり よねじろう、明治3年12月16日(1871年2月5日) – 昭和39年(1964年)7月1日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。大日本帝国陸軍軍人。 伊勢国一志郡高茶屋村(現在の三重県津市)出身。1894年(明治27年)7月27日に陸軍士官学校(5期)を卒業し、同年9月18日、砲兵少尉に任官。1898年(明治31年)には陸軍砲工学校普通科・高等科を卒業した。砲兵少佐に昇進し、その間に重砲兵第1連隊大隊長、永興湾要塞司令官を歴任した。1910年(明治43年)、憲兵少佐に転じ、統監府警務部長、朝鮮総督府警務部長を歴任した。1918年(大正7年)7月24日に待命となり、1919年(大正8年)、憲兵大佐で予備役に編入された。
小屋 光雄(こや みつお、慶応2年7月19日(1866年8月… 小屋 光雄(こや みつお、慶応2年7月19日(1866年8月28日) – 昭和17年(1942年)5月16日)は、日本の衆議院議員(中正倶楽部→新正倶楽部)。医師。 伊勢国一志郡久居(現在の三重県津市)出身。1888年(明治21年)に大阪医学校を卒業した後、東京帝国大学医科大学と伝染病研究所で学んだ。大阪府警察本部詰医・大阪地方裁判所嘱託医を務めた後、小屋病院を開業し、一志郡医師会長、三重県医師会評議員・議長、大日本医師会評議員などを歴任した。また久居町長、一志郡会議員、同議長、三重県会議員に選出された。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他、中勢鉄道株式会社社長、伊勢電気鉄道株式会社取締役などを務めた。
中川 藤右衛門(なかがわ とうえもん、1865年4月5日〈慶… 中川 藤右衛門(なかがわ とうえもん、1865年4月5日〈慶応元年3月10日〉 - 没年不明)は、日本の商人(中川屋、呉服洋反物商)、三重県多額納税者、三重県の大地主、銀行・会社の重役、政治家。津市会議員。旧姓・鈴木。族籍は三重県平民。 三重県河芸郡黒田村(現・津市)に生まれる。鈴木藤次郎の二男。鈴木平兵衛の弟。中川家の養子となり、1899年に家督を相続し、前名・魁蔵を改める。 呉服洋反物商を営み、三重県下の多額納税者に列し又推されて津商工会議所常議員である。伊勢晒工場を設立する。方面委員、安濃津地裁調停委員、呉服商組合長を兼ねる。 津農商銀行取締役、三重合同電気、津電燈各監査役をつとめる。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。
川村 曄(かわむら あきら、文久3年5月26日(1863年7… 川村 曄(かわむら あきら、文久3年5月26日(1863年7月11日) - 大正12年(1923年)8月13日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。号は経山。 伊勢国安濃郡津(現在の三重県津市)出身。川村弥右衛門の長男として生まれる。漢学やドイツ学を学んだ。1889年(明治22年)より新聞記者や雑誌記者を務めた。 1909年(明治42年)、衆議院補欠選挙で当選。第11回衆議院議員総選挙でも再選された。 その他、立憲政友会院外団理事を務めた。
川喜田 四郎兵衛(かわきた しろうべえ、嘉永7年1月12日〈… 川喜田 四郎兵衛(かわきた しろうべえ、嘉永7年1月12日〈1854年2月9日〉 - 1919年〈大正8年〉7月31日)は、明治から大正時代にかけて三重県津市を拠点に活動した日本の実業家・政治家である。「四郎兵衛」は当主が代々襲名した名跡であり、諱は政孝という。 家業として酒類・米穀・肥料などを扱う問屋を営みつつ地元財界に進出し、津商業会議所(現・津商工会議所)会頭と百五銀行頭取を約25年にわたり兼任。政界では1889年(明治22年)の市制施行以来30年にわたり津市会議員を務め、その間副議長・議長を歴任した。女婿に百五銀行頭取の職を継いだ川喜田久太夫(諱は政令、号は半泥子)がいる。 嘉永7年1月12日(=安政元年、新暦:1854年2月9日)、先代川喜田四郎兵衛(隠居号「岫斎」、1832年生)の長男として生まれた。
牛場 卓蔵(うしば たくぞう、1851年1月29日(嘉永3年… 牛場 卓蔵(うしば たくぞう、1851年1月29日(嘉永3年12月28日) - 1922年(大正11年)3月5日)は、明治期から大正期のジャーナリスト、官僚、実業家、政治家。慶應義塾出身、衆議院議員、山陽鉄道取締役会長などを務めた。 伊勢国安濃郡渋見村(後の安東村、現三重県津市)の井草家に生まれる。伊勢国一志郡(後の七栗村、現三重県津市)の牛場圭次郎の養子となる。慶應義塾に学び、島田三郎らと共に陸奥宗光の家に寄食する。 『郵便報知新聞』記者、兵庫県庁の勧業課長を経て、内務省に出仕。1881年(明治14年)、明治十四年の政変で罷免され下野。1882年(明治15年)、新聞『時事新報』の創刊に参画し記事を執筆。
海野 謙次郎(うんの けんじろう、1846年5月2日(弘化3… 海野 謙次郎(うんの けんじろう、1846年5月2日(弘化3年4月7日)- 1913年(大正2年)10月16日)は、幕末から明治期の大庄屋・銀行家・政治家。衆議院議員、三重県会議長。 伊勢国安濃郡粟加村(三重県安濃郡明合村大字粟加村、協和村、安濃村、安芸郡安濃村、安濃町を経て現津市安濃町粟加)で生まれる。津藩士・野田竹渓に師事し漢学を修めた。大庄屋役を務める。 廃藩置県後、小区戸長に就任。安濃郡書記、明合村会議員、所得税調査委員、所得税審査委員などを務める。1880年(明治13年)11月、三重県会議員に選出され1900年(明治33年)3月まで在任し、この間、同常置委員、同副議長、同議長(4期)なども務めた。
林 宗右衛門(はやし そうえもん、1845年(弘化元年12月… 林 宗右衛門(はやし そうえもん、1845年(弘化元年12月)- 1896年(明治29年)12月30日)は、明治期の地主、政治家。貴族院多額納税者議員。 伊勢国員弁郡で生まれる。のち奄芸郡林村(三重県河芸郡明村、安芸郡芸濃町を経て現津市)の代々久居藩の大里正を務めた林家の養子となる。 1868年(明治元年)養父の跡を継いで林組大庄屋(大里正)に就任。農業、酒造業を営む。その後、楠平尾・林・中縄3村戸長、学務委員などを務めた。道路、橋梁改築のため私費を投じ、また学校に教材を寄付するなど公共のための出費を惜しまなかった。 1880年(明治13年)2月に三重県会議員に奄芸郡選挙区から選出されたが同年10月に辞職した。
長井 氏克(ながい うじかつ、1841年11月26日(天保1… 長井 氏克(ながい うじかつ、1841年11月26日(天保12年10月14日) - 1904年(明治37年)10月9日)は、衆議院議員(立憲政友会)、津市長。 津藩士の子として伊勢国津に生まれる。戊辰戦争の際には大軍監として藩兵を率いて仙台・秋田に進軍した。1869年(明治2年)、津藩少参事に就任し、1871年(明治4年)には権大参事に昇進した。 1878年(明治11年)、「伊勢新聞」を創刊し、社長に就任した。また代言人免許を取得し、代言組合会長になった。 1880年(明治13年)より三重県会議員、同議長を務めた。1887年、三重同志会を立ち上げて自由民権運動を推進し、大同団結運動に参加し、自由党が成立するとこれに加入した。
伊東 祐賢(いとう すけかた、1836年5月11日(天保7年… 伊東 祐賢(いとう すけかた、1836年5月11日(天保7年3月26日)- 1902年(明治35年)5月27日)は、幕末の津藩士、明治期の公吏・政治家。衆議院議員、三重県初代旧津市長。幼名・元太郎、謹衛。号・松濠。 伊勢国安濃郡津西堀端(現三重県津市)で、津藩士・第7代伊東弥右衛門祐尚の長男として生まれる。藩校有造館で斎藤拙堂、土井聱牙に師事した。1851年(嘉永4年)藩主藤堂高猷の小姓役となる。有造館の句読師に抜擢された。戊辰戦争では小隊長として出征し、中隊令士に進んだ。版籍奉還後、津藩大属に就任。廃藩置県後、安濃津県庁(現三重県庁)に出仕し、三重県権中属、同警部、朝明郡長、安濃郡長などを歴任した。