岡植 純平(おかうえ じゅんぺい、2004年7月10日 - … 岡植 純平(おかうえ じゅんぺい、2004年7月10日 - )は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 姫路市立広畑第二小学校時代に「キッズ広二ソフトボールクラブ」でソフトボールを始め、野球は姫路市立広畑中学校から同校の軟式野球部で始める。 高校は同市内の飾磨工業高校に進学。内野手で入学したが1年生の秋頃から投手に転向する。甲子園の出場はなく、3年生の夏は第104回全国高等学校野球選手権兵庫大会2回戦において、同年甲子園出場を果たした社高校に3対5で敗れたが、その試合で10奪三振を記録し注目を集める。 2022年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成ドラフト5巡目指名され、支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)で契約合意に達し、12月5日、BOSS E・ZO FUKUOKAで入団発表会見が行われた。
岩田 幸宏(いわた ゆきひろ、1997年7月31日 - )は… 岩田 幸宏(いわた ゆきひろ、1997年7月31日 - )は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 3人きょうだい(兄と姉)の末っ子として生まれ、4歳年上の兄の影響で野球を始める。姫路市立広畑小学校でソフトボールを始め、姫路市立広畑中学校では硬式野球のクラブチームである龍野ボーイズでプレーした。東洋大学附属姫路高等学校に進学したが同高では甲子園出場経験はなく、卒業後は当時はクラブチームであった社会人のミキハウスに進む。在籍中の企業チームへの転換を経てミキハウスで4年間プレーした後、同僚だった山崎悠生(群馬ダイヤモンドペガサス・信濃グランセローズ)からベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)に入ることを勧められる。
松葉 貴大(まつば たかひろ、1990年8月14日 - )は… 松葉 貴大(まつば たかひろ、1990年8月14日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(投手)。兵庫県神崎郡香寺町(現:姫路市)出身。
髙田 知季(たかた ともき、1990年5月6日 - )は、兵… 髙田 知季(たかた ともき、1990年5月6日 - )は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
杉本 昌都(すぎもと まさと、1989年4月28日 - )は… 杉本 昌都(すぎもと まさと、1989年4月28日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 兵庫県姫路市出身。中学校時代は、兵庫播磨リトルシニアで全国大会で準優勝している。 水戸短大附高では、強肩強打の大型捕手として活躍するも、2007年夏の茨城県大会では2回戦敗退。同年のドラフト会議にて横浜ベイスターズから育成2巡目指名を受け、支度金200万円、年俸240万円で契約を結んだ。横浜では関口雄大とともに初の育成選手である。 恵まれた体格から右方向にも打てる長打力と遠投115メートルの強肩による正確なスローイングが自慢。高校通算本塁打26本。 水戸短大附高からのプロ野球選手輩出は春田剛、会澤翼に次いで3年連続となった。
林﨑 遼(はやしざき りょう、1988年6月12日 - )は… 林﨑 遼(はやしざき りょう、1988年6月12日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
増田 里絵(ますだ りえ、1987年4月27日 - )は、兵… 増田 里絵(ますだ りえ、1987年4月27日 - )は、兵庫県姫路市出身の元女子プロ野球選手(内野手)。 赤穂高時代は、バドミントン部に所属。高校1年時には、兵庫県ベスト8に入り、全国大会にも出場。 小さい頃から野球が好きで、阪神タイガース鳥谷敬内野手に憧れ地元で草野球を始める。関西独立リーグに加盟していた明石レッドソルジャーズの試合を見に行った際に、選手の家族らを通して北川公一監督に硬式野球への思いを伝え、練習生としてチームに入団することが許された。当時勤めていた会社を辞め、23歳にして本格的に野球を始めた。2010年9月12日、支配下登録され、吉田えりに続く2人目の男性と同一チームでプレーする女性プロ野球選手となった。
藤原 虹気(ふじわら こうき、1986年6月6日 - )は、… 藤原 虹気(ふじわら こうき、1986年6月6日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 琴丘高校入学当初、サッカー部に入ろうと考えていたが、サッカー部が強豪だったため野球部に入部。徐々に才能が開花すると、3年春はエースとしてチームを兵庫大会ベスト8に導いた。しかし、6月に自転車で登校中に交通事故に遭い、左膝蓋骨骨折という全治3か月の重傷を負ったため、藤原は甲子園はおろか夏の兵庫大会に出場することすら出来なかった。なお、チームはエース不在という状況ながら、25年ぶりの県大会ベスト16まで勝ち進んだ。 無名校出身で夏の大会に出場すらしていなかったためか、2004年度プロ野球ドラフト会議において西武ライオンズから6巡目指名を受けた際は、会議の席上で彼だけプロフィールが表示されず、解説者にも「知りませんねえ」と言われてしまった。
西川 雅人(にしかわ まさと、1982年6月17日 - )は… 西川 雅人(にしかわ まさと、1982年6月17日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)。
浦口 雅広(うらぐち まさひろ、1973年5月21日 - )… 浦口 雅広(うらぐち まさひろ、1973年5月21日 - )は、兵庫県姫路市出身の元社会人野球選手(内野手)。右投右打。 東洋大附姫路高校3年時1991年にオリックス・ブレーブスと阪神タイガースからドラフト指名意向を伝えられ、特にオリックス監督の上田利治が直接高校を訪れるなどして注目を浴びたが、大学進学を表明して関西大学にスポーツ推薦枠で進学した[要出典]。同期には岡本晃がいる。 関西大学では1年春のシーズンから遊撃手のレギュラーとして試合出場し、4年の秋のシーズン終了まで全試合フルイニング出場を記録した。関西学生野球リーグ通算95試合出場、340打数99安打、打率.291、4本塁打、42打点。
万永 貴司(まんえい たかし、1972年7月7日 - )は、… 万永 貴司(まんえい たかし、1972年7月7日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手、プロ野球指導者。 引退後もベイスターズ一筋でスカウトや指導者として活躍している。2018年から横浜DeNAベイスターズのファーム監督等を務め、現在は野手コーディネーター。 姫路工高から、中山製鋼所へ進む。 1992年に日本生命の補強選手として出場した都市対抗野球で優勝。 1993年には自チーム53年ぶりの都市対抗野球出場を果たし、ドラフト6位で横浜ベイスターズに入団。 1995年、プロ入り第1号ホームランを今中慎二から放つ。 1997年、プロ野球脱税事件に関わり、懲役10ヶ月(執行猶予2年)の有罪判決が下される。
丸尾 英司(まるお えいじ、1972年4月26日 - )は、… 丸尾 英司(まるお えいじ、1972年4月26日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)。2008年から2015年まで社会人野球のパナソニック野球部にてヘッドコーチを務めていた。 網干中学では完全試合を記録するなど活躍し、東洋大姫路から勧誘を受けたが、のびのびした環境を求めて地元の姫路南高校に進学した。高校では1年夏からエースとなり、2年および3年の夏に兵庫大会で5回戦まで進出している。 高校卒業後は佛教大学に進学。京滋大学リーグで通算30試合に登板し25勝1敗。最優秀選手3回、最優秀投手2回、ベストナイン4回受賞。4年春にかけて18連勝のリーグ記録を樹立する。1992年秋季の京都学園大戦でノーヒットノーランを達成する。
上田 好剛(うえだ よしたけ、1971年10月13日 - )… 上田 好剛(うえだ よしたけ、1971年10月13日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)。 龍野実業高時代は、2年生秋の県大会でベスト16が最高であったが、社会人野球の中山製鋼所に入社後に頭角を現し、2年目に伊勢大会でノーヒットノーランを達成。1993年の都市対抗野球にチーム53年ぶりの出場、注目を浴びた。 同年のドラフト会議で逆指名の2位で広島東洋カープに入団。姓の読みが同じ植田幸弘が前年までつけていた背番号「23」を受け継いだ。この年のドミニカウインターリーグに早速派遣された。 速球派の即戦力としての期待されていたが、プロ入り後フォームを崩して低迷。4年で自由契約となり、1998年は阪神タイガースに移籍したが1年で退団。
的山 哲也(まとやま てつや、1970年10月1日 - )は… 的山 哲也(まとやま てつや、1970年10月1日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球コーチ。右投右打。2009年から福岡ソフトバンクホークスのバッテリーコーチを務めている。
嶋尾 康史(しまお やすひと、1968年5月6日 - )は、… 嶋尾 康史(しまお やすひと、1968年5月6日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、俳優。1989年から1991年の登録名は嶋尾 慶一(読みは同じ)。
豊田 次郎(とよだ じろう、1967年6月2日 - )は、兵… 豊田 次郎(とよだ じろう、1967年6月2日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)。
葉室 太郎(はむろ たろう、1966年5月15日 - )は、… 葉室 太郎(はむろ たろう、1966年5月15日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)。
弓岡 敬二郎(ゆみおか けいじろう、1958年6月28日 -… 弓岡 敬二郎(ゆみおか けいじろう、1958年6月28日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。
小山 正彦(こやま まさひこ、1956年4月9日 - )は、… 小山 正彦(こやま まさひこ、1956年4月9日 - )は、日本の実業家、社会人野球選手(内野手)。元株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイド代表取締役社長兼株式会社西武ホールディングス取締役。日本ハム株式会社取締役、学校法人立命館評議員。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立加古川西高等学校から1975年に立命館大学経済学部入学、立命館大学硬式野球部入部。1979年大学を卒業し、プリンスホテル入社、プリンスホテル硬式野球部員第1期。一塁手を守り、石毛宏典や中尾孝義、居郷肇などが同期だった。 選手やコーチを経て、第60回都市対抗野球大会で優勝したのを期に1989年に退部し、1990年から品川プリンスホテル総務課で新横浜プリンスホテル開業準備にあたり、同年総務部総務課長に昇格。
藤城 和明(ふじしろ かずあき、1956年4月5日 - )は… 藤城 和明(ふじしろ かずあき、1956年4月5日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。元歌手・タレント。 琴丘高校卒業後の1975年に新日鐵広畑へ入社し、2年目の1976年には都市対抗に出場。1回戦では大昭和製紙北海道を相手にリリーフで好投、延長13回の接戦を制し初勝利を記録する。2回戦では日本鉱業佐賀関を相手に先発し、藤沢公也・萩野友康の継投の前に惜敗したが、この試合で5連続三振を奪うなど各球団の注目を集める。 同年のドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。 1977年には新人ながら開幕5試合目に先発で登板。独特の二段モーションから繰り出す緩いカーブを武器に大いに期待されたが、伸び悩んだ。
山川 猛(やまかわ たけし、1955年2月24日 - )は、… 山川 猛(やまかわ たけし、1955年2月24日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)。西武ライオンズ、阪神タイガースに所属した。引退後は阪神のコーチを務め、現在は阪神の編成部に所属。
小寺 昌治(こでら まさはる、1953年1月18日 - )は… 小寺 昌治(こでら まさはる、1953年1月18日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球審判員。プロ野球選手時代の姓名は藤本 昌治(ふじもと まさはる)。 飾磨工業高から山善機器を経て、1971年にドラフト外で阪急ブレーブスに投手として入団。 入団後まもなく内野手に転向し、1981年には68試合に出場し2本塁打を放つ。選手としては通算88試合に出場し26打数8安打の打率.308、2本塁打、6打点、2盗塁。1983年に現役を引退。 引退後は、ミズノを経て1987年にパシフィック・リーグ審判部に入局した。パリーグの名審判・藤本典征元審判部長(のちに審判指導員)の実弟である。
所 憲佐(ところ けんすけ、1951年7月11日 - )は、… 所 憲佐(ところ けんすけ、1951年7月11日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 市川高等学校では、高校の通算打率.350、通算本塁打3本、盗塁刺殺率9割という強肩の持ち主だった。 1969年のドラフト会議で読売ジャイアンツに13位で指名され入団したが、一軍公式戦には出場できず。1980年に引退。 引退後、ブルペン捕手、一軍サブマネージャーを務め、長嶋茂雄・藤田元司・王貞治の各監督をサポートした。 現在は終身名誉監督付球団職員として、長嶋終身名誉監督のマネージャー役を務めている。
黒田 正宏(くろだ まさひろ、1947年12月21日 - )… 黒田 正宏(くろだ まさひろ、1947年12月21日 - )は、兵庫県印南郡大塩町(現・姫路市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、野球解説者・評論家。 生家は黒田官兵衛の子孫と伝わる。黒田が生まれた頃、生家は薬局を経営しており、薬剤師をしていた母から整腸剤を毎日飲むように言われていたことが強い体の基礎となったと回想している。 中学生の時に本格的に野球を始め、姫路南高校では1年次の1963年からベンチ入り。その時の3年生主砲が切通猛で、凄い筋肉で打球をポンポン飛ばしていた。黒田は一流になるにはあのぐらいの筋力がないといけないのかと思い、足腰を徹底的に鍛えた。切通からは「何でもええから走っとけ」と言われ、野球人生で最初に影響を受けた人になった。
切通 猛(きりとおし たけし、1944年4月21日 - 20… 切通 猛(きりとおし たけし、1944年4月21日 - 2015年6月15日)は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ。 姫路南高では明治大学時代に杉下茂とバッテリーを組んだ安藤邦夫監督の指導を受け、3年次の1963年に4番・左翼手として夏の甲子園兵庫大会決勝に進出するが、市西宮高に5-6で惜敗し甲子園出場を逸する。2年後輩の黒田正宏は、切通が凄い筋肉で打球をポンポン飛ばしていたのを見て、一流になるにはあのぐらいの筋力がないといけないのかと思い、足腰を徹底的に鍛えた。切通は黒田に「何でもええから走っとけ」とアドバイスし、黒田が野球人生で最初に影響を受けた人になった。 高校卒業後は1964年に芝浦工業大学へ進学し、田部輝男監督の指導を受ける。
河西 俊雄(かわにし としお、1920年4月25日 - 20… 河西 俊雄(かわにし としお、1920年4月25日 - 2007年6月25日)は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・スカウト。
釣 常雄(つり つねお、1917年9月9日 - 1996年7… 釣 常雄(つり つねお、1917年9月9日 - 1996年7月25日)は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手。 飾磨小学校在学中から、周囲では名が知られた存在だった。そこに目をつけた姫路中学が、野球部強化のため、釣を含む飾磨小学校の選手複数人に入学を働きかける。しかし、当時の姫路中学は進学校として知られており、全員が不合格となってしまう。困り果てた姫路中学側は、その中で最も点数が高かった釣だけを強引に入学させたという。 姫路中学時代は1936年の選抜にチームを導く。初出場ということもあり姫路市民からの期待は大きく、当時姫路の連隊に所属していた賀陽宮恒憲王からも激励の言葉を受けたという。同大会は、初戦で平安中学に惜敗した。