小田垣 栄司(おだがき えいじ、1978年4月30日 - )… 小田垣 栄司(おだがき えいじ、1978年4月30日 - )は、兵庫県豊岡市出身の実業家・経営者 近畿大学附属豊岡高等学校を卒業後、東京学芸大学教育学部人間科学類総合社会システム学科に進学。大学在学中の1998年にインターネットに興味を持ち、広告代理店の営業支援やホームページ制作事業で起業した。 2006年2月にWEBマーケティングやシステム開発を行う株式会社ノヴィータを設立。リーマン・ショックの発生した2008年頃に事業が一度行き詰るようになるものの、社内の構造改革などに取り組んだことで2012年までに上向きに転じた。2015年4月に2代目(三好怜子)に社長職を譲り、小田垣自身は同社の会長となった。
今井 和幸(いまい かずゆき、1931年4月13日 - 20… 今井 和幸(いまい かずゆき、1931年4月13日 - 2008年1月27日)は、日本の地方公務員、経営者。兵庫県副知事、サンテレビジョン会長を務めた。兵庫県豊岡市出身。勲三等旭日中綬章。位階は正五位。 1949年に兵庫県庁に入庁し、1954年に関西大学法学部を卒業。1993年から1997年までに副知事を務め、サンテレビジョン会長も務めた。 2008年1月27日肺炎のために死去。76歳没。
與田 純次(よだ じゅんじ、1925年11月19日 - )(… 與田 純次(よだ じゅんじ、1925年11月19日 - )(別名:與田治郎右衛門) は、日本の実業家、戦争体験語り部。元大使館員。兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市)出身。長男は東邦大学医学部医学科教授(医学博士)の与田仁志。元阪神タイガース監督兼選手の村山実、神戸大学名誉教授(農学博士)の保田茂は妻の従兄弟にあたる。2017年、父の代まで十数代に渡り襲名されていた名跡、與田治郎右衛門(よだじろうえもん)を襲名。 大正14年(1925年)、兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市)に生まれる。先祖は、江戸時代初期から寛文12年(1672年)頃、寛保2年(1742年)頃から寛政8年(1796年)まで庄屋(江戸時代の村役人である地方三役の一つ)を務めており、北前船(江戸時代に日本海海運で活躍した北国廻船)の船主でもあった。
日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> … 日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> 10月31日 - 2021年 <令和3年> 3月11日)は、日本の経営者。古河電気工業社長、会長を務めた。位階は正四位。 兵庫県豊岡市出身。1946年に京都帝国大学工学部電気化学科を卒業し、同年に古河電気工業に入社した。1972年11月に取締役に就任し、1975年5月に常務、1977年6月に専務、1982年6月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月から相談役を務めた。 1985年4月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2021年3月11日、心不全のために死去。
三木 瀧蔵(滝藏、みき たきぞう、1899年〈明治32年〉1… 三木 瀧蔵(滝藏、みき たきぞう、1899年〈明治32年〉11月22日 - 1981年〈昭和56年〉4月10日)は、日本の実業家。三共生興株式会社創業者で、神戸生絲取引所理事長など歴任した経済人。また、公益財団法人三木瀧蔵奨学財団(旧:財団法人三木記念会)を設立した、独自の「推譲の心」を持つ社会貢献者。 位階は正四位。 生家は兵庫県城崎郡港村津居山(現在の豊岡市)で代々栄えた主に生糸、絹織物を扱う廻船問屋。鉄道による代替で家業が傾き、学校で首席を通したにもかかわらず旧制中学校への進学かなわず、1913年(大正2年)高島屋飯田に入社、働きながら大倉商業学校(現東京経済大学)の夜間部に通い、1920年(大正9年)に独立して横浜で輸出織物商三木商店を創業、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災ですべてを失うが、同年9月30日神戸で匿名組合三共商会として再起、繊維製品を取り扱い、1938年(昭和13年)には株式会社に改組、1944年(昭和19年)には三共生興株式会社と改称、1981年(昭和56年)4月10日病身を厭うことなく自民党蚕糸絹業対策特別委員会に神戸生絲取引所理事長として出席し、国際情勢に後れをとる蚕糸行政に対し「経済原則に反する政策は必ずつぶれる、今や破壊の時になった。
和田 完二(わだ かんじ、1896年 <明治29年> 6月1… 和田 完二(わだ かんじ、1896年 <明治29年> 6月12日 - 1968年 <昭和43年> 8月13日)は、日本の経営者。丸善石油(現在のコスモ石油)社長を務めた。位階は従四位。 兵庫県豊岡市出身。1914年に旧制豊岡中学校を卒業。満鉄での勤務を経て、1930年に丸善石油に転じ、1951年11月に専務に就任し、1952年10月には社長に昇格し、1963年までに務めた。 1959年に紫綬褒章を受章し、1967年に勲三等旭日中綬章を受章。 1968年8月13日、心筋梗塞のために死去。72歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
友田 一郎(ともだ いちろう、1888年〈明治21年〉11月… 友田 一郎(ともだ いちろう、1888年〈明治21年〉11月24日 - 1966年〈昭和41年〉7月13日)は、日本の政治家、実業家、友田酒造工場主。第46代兵庫県会議長。外交官の弟・友田二郎の孫に憲仁親王妃久子がいる。 兵庫県城崎郡日高町江原(現・豊岡市)出身。友田俊蔵の長男。1920年、家督を相続した。但馬銀行、甲子銀行各監査役などをつとめた。兵庫県参事会員であった。 兵庫県会議員に推され、1943年12月から1944年12月まで兵庫県会議長を務める。住所は兵庫県城崎郡日高町江原(現・豊岡市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
西村 佐兵衛(にしむら さへい、1882年〈明治15年〉1月… 西村 佐兵衛(にしむら さへい、1882年〈明治15年〉1月15日 - 1963年〈昭和38年〉10月12日)は、日本の政治家(兵庫県城崎郡城崎町長)、実業家(西村屋会長)。 兵庫県城崎郡城崎町(現豊岡市)出身。東京専門学校(現早稲田大学)に学び、中途にて退学し家業の温泉旅館を経営する。地方有力者として各種の業務に関係する。1924年、町長に選任され震災後の城崎温泉復興に尽力。 1912年、早稲田大学推薦校友。宗教は日蓮宗。住所は兵庫県城崎郡城崎町。著書に『山陰空のあゆみ』、『日本海制空小史』、『建武中興と隠岐』などがある。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
加藤 信太郎(かとう しんたろう 1881年8月14日 - … 加藤 信太郎(かとう しんたろう 1881年8月14日 - 1962年1月15日)は、日本の実業家。デンツプライ三金の創業者、初代社長・初代会長。
4代 吉村 伊助(よしむら いすけ、1873年1月23日 -… 4代 吉村 伊助(よしむら いすけ、1873年1月23日 - 1928年3月15日)は、兵庫県城崎郡日高村(現・豊岡市)出身の実業家・政治家。株式会社吉村商店を設立して縮緬(丹後ちりめん)製造業を営み、峰山町長や衆議院議員(2期)を務めた。 1873年(明治6年)1月、兵庫県城崎郡日高村(現・豊岡市)の太田治右衛門の二男として生まれた。幼名は新太郎。1880年(明治15年)2月13日生まれとされることもあり、京都府出身とされることもある。長兄の太田寿之助は江原銀行株式会社専務取締役などを務めている。 小学校卒業後に京都市の西本願寺経営学校で学んだ。高等商業学校(後の旧制東京商科大学、現・一橋大学)を卒業したとされることもある。
森本 駿(もりもと しゅん、1859年1月18日(安政5年1… 森本 駿(もりもと しゅん、1859年1月18日(安政5年12月15日)- 1944年(昭和19年)10月17日)は、明治から昭和前期の実業家・政治家。衆議院議員、兵庫県出石郡出石町長。旧姓は永井、桜井(櫻井)。 但馬国出石郡出石城下(兵庫県出石郡出石町を経て現豊岡市出石町)で、出石藩侍医・永井玄機(春嶽)の二男として生まれる。藩校弘道館で漢学を修めた。その後、東京に遊学し尺振八の塾で英学、経済学、財政学を修めた。のち森本家の養子となり、1898年(明治31年)1月に家督を相続した。 豊岡洋学校で助教を務めた。上京して桜井勉の書生となる。大蔵属に任じられ、科目条例取調委員、各庁営繕規則取調委員などを務めた。
松田 学(松田 學、まつだ まなぶ / がく、1856年9月… 松田 学(松田 學、まつだ まなぶ / がく、1856年9月17日(安政3年8月19日)- 1938年(昭和13年)1月10日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、札幌市会議長。 但馬国出石郡水上村(現兵庫県豊岡市)で、庄屋・松田甚次郎の長男として生まれる。 1881年6月、徳島県属に任じられ、以後、大蔵省属、根室県収税属、北海道庁属を歴任し、1891年に退官。実業に従事した後、1897年、北海道庁属に再任され、さらに台湾総督府新竹県属、台北県属を務め、1898年に退官した。 その後、札幌に移り、実業界に入った。1907年、札幌木材 (株) 取締役に就任。以後、札幌調帯 (株) 取締役社長、定山渓鉄道 (株) 取締役社長、札幌商業会議所第3代会頭などを歴任。
若宮 正音(わかみや しょうおん、1854年2月7日〈安政元… 若宮 正音(わかみや しょうおん、1854年2月7日〈安政元年1月10日〉 - 1924年〈大正13年〉4月5日)は、日本の実業家、官吏。農商務省商工局長。逓信省電務局長。電信協会会長。無線電信講習所初代所長。族籍は東京府平民。 兵庫県城崎郡豊岡滋茂町(現・兵庫県豊岡市元町)の人。若宮正海の長男。成長して興国寺に入り仏典を修める。また池田草庵に就き漢籍を学ぶ。自由党総理板垣退助に従い民権自由を唱道する。 明治の初め大阪師範学校に入り、卒業すると教員になる。辞して東京に出て1881年に初めて内務省に出仕する。工部省の官吏となり逓信省が新設されるとこれに転じる。1883年に駅逓局に転じ逓信省書記官に進み兼ねて秘書官となる。