居谷 匠真(いたに しょうま、2002年12月30日 - )… 居谷 匠真(いたに しょうま、2002年12月30日 - )は、和歌山県岩出市出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 岩出市立山崎北小学校から「山北フェニックス」で軟式野球を始め、岩出市立岩出第二中学校では「岩出ボーイズ」に所属する。 高校は大分県別府市の明豊高等学校に進学。2年生春の第91回選抜高等学校野球大会において、チームは準決勝に進出するも出場機会を得られなかった。2年生の秋の新チームから正捕手となる。秋季九州大会準々決勝、対沖縄尚学高等学校戦において、9回表二死満塁の状況から逆転の3点適時打となる三塁打を放つ活躍をみせる。決勝戦では2安打1打点の活躍で、夏の選手権大分大会決勝で敗れた川瀬堅斗擁する大分商業高等学校に勝利し、第92回選抜高等学校野球大会の出場権を手にした。
平井 駿助(ひらい しゅんすけ、2002年9月7日 - )は… 平井 駿助(ひらい しゅんすけ、2002年9月7日 - )は、和歌山県岩出市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・レイラック滋賀FC所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 岩出市のクラブチームを経て、興國高等学校へ進学。2年次の2020年2月11日、同じく興国高校の同学年である樺山諒乃介、田川知樹とともに、2021シーズンからの横浜F・マリノス加入内定が発表された。同年6月26日、特別指定選手として横浜F・マリノスへ登録された。12月にはU-18日本代表候補合宿に召集された。 2021年より正式に横浜F・マリノスに加入。5月19日、ルヴァンカップ・グループステージの清水エスパルス戦でプロデビューを果たした。
四十住 さくら(よそずみ さくら、2002年〈平成14年〉3… 四十住 さくら(よそずみ さくら、2002年〈平成14年〉3月15日 - )は、日本のスケートボード選手。2021年開催の東京オリンピック スケートボード 女子パーク初代金メダリスト。第一生命保険所属。 和歌山県岩出市出身。岩出市立岩出小学校、岩出市立岩出中学校卒業。小学6年生の時に、兄が楽しそうにスケートボードを滑っているのを羨ましそうに見ていたところ、兄から古いスケートボードを譲られたことが、スケートボードをはじめたきっかけとなった。その後、大阪で開催されているスケートボードスクールに通い1年間の猛練習を行なって基礎を身につけた。両親は、スケートボードの道に進むことに当初は反対していたが、スポーツとして本気で一生懸命頑張ること、怪我をしてでも諦めない覚悟をすること、日本一のレディーススケーターになること、この3つを守ることを条件に協力し、自宅の庭に専用のランプセクションを作って、四十住は本格的にスケートボードをはじめるようになった。
林 晃汰(はやし こうた、2000年11月16日 - )は、… 林 晃汰(はやし こうた、2000年11月16日 - )は、和歌山県岩出市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。広島東洋カープ所属。 岩出小学校1年から岩出ヤンキースで野球を始め、6年時にタイガースジュニアに選出される。岩出中学校に進学後は紀州ボーイズでプレー。小中時代は主に捕手として出場した。中学時代は通算32本塁打を記録する。 智辯和歌山高校に進学すると、三塁手に転向し1年春の県大会から出場する。1年夏は「5番・三塁手」で起用され、地方予選ベスト8。1年秋から3番を任され、2年夏に甲子園初出場。初戦の興南戦で中堅左に本塁打を打つ。大会中に右肘を疲労骨折し、大会後に手術を行ったため秋季大会及び近畿大会に出場できずリハビリに専念する。
脇田 美怜(わきた みれい、1996年12月10日 - )は… 脇田 美怜(わきた みれい、1996年12月10日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 和歌山県岩出市出身。2人姉弟。小学5年生のとき、友人に誘われてバレーボールを始めた。 2018年12月10日、ヴィクトリーナ姫路公式サイトにて脇田の入団内定が発表された。同期入団は櫻井美樹、貞包里穂、田中咲希、長野有紗、堀込奈央。 2021-22シーズンをもって現役を引退。日本製鉄堺ブレイザーズのバレーボールスクールコーチに就任した。 V.LEAGUEの個人成績は下記の通り(交流戦・プレーオフを含む)。
斎藤 大生(さいとう ひろき、1995年9月8日 - )は、… 斎藤 大生(さいとう ひろき、1995年9月8日 - )は、和歌山県岩出市出身のハンドボール選手。 国士舘大学時代は2016年に第23回世界学生選手権の日本代表U-24に選出。同年の全日本学生ハンドボール選手権大会(インカレ)では国士舘大学の初優勝を果たし、特別賞を受賞した。 2017年は関東学生ハンドボール・秋季リーグで49季ぶりの優勝に貢献し、優秀選手賞を受賞。6月には第5回U-22東アジア選手権の日本代表に選出。インカレでは2連覇を達成し、優秀選手賞を受賞した。 2018年に日本ハンドボールリーグの大同特殊鋼へ加入。 2019年2月に選手登録を抹消された。 この項目は、ハンドボールに関連した書きかけの項目です。
緒方 宏志郎(おがた こうしろう、1995年3月5日 - )… 緒方 宏志郎(おがた こうしろう、1995年3月5日 - )は、和歌山県出身の日本の経営者、グラブ職人、和歌山県岩出市を拠点とする野球用品メーカー株式会社Wan Lix代表取締役社長、株式会社RED代表取締役である。投手用グラブブランド「NoLimit ProWave」(ノーリミット プロウェーブ)を主力とし、年間1,000個近くのグラブを扱う。 和歌山県立和歌山高等学校野球部で投手として活動した。高校時代から仲間のグラブ修理やメンテナンスを行うことを好んだ。 高校卒業後、一般企業の会社員となったが、趣味と副業としてグラブの修理を継続した。2019年9月にWebマーケティングを学び創業し、2020年1月にWebを用いて野球用品のメンテナンス・修理等の全国受注を開始した。
田中 佑典(たなか ゆうすけ、1989年11月29日 - )… 田中 佑典(たなか ゆうすけ、1989年11月29日 - )は、日本の体操選手。和歌山県岩出市出身。身長166cm。体重58kg。順天堂大学出身、コナミスポーツクラブを経て、同じく元体操選手だった兄の田中和仁が代表を務める田中体操クラブ所属。姉の田中理恵も元体操選手で現在は田中体操クラブ特別コーチ。得意種目は鉄棒。 体操一家の末っ子として、7歳で体操を始める。ジュニア期から強化指定選手に選ばれ、2006年には兄弟の中で最も早くナショナル入りを果たす。2007年のコトブス国際で、高校2年生ながら鉄棒2位に入り、国際ジュニア(横浜)では個人総合優勝を果たす。その冬に右手首を疲労骨折するが、2008年、1年生ながらインカレに順天堂大学のチームの一員として出場し、内村航平率いる日本体育大学を僅差でかわして優勝。
津田一磨 (つだ かずま、1988年6月2日 -)は、和歌山… 津田一磨 (つだ かずま、1988年6月2日 -)は、和歌山県岩出市出身のモーターサイクル・ロードレースライダーである。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
田中 和仁(たなか かずひと、1985年〈昭和60年〉5月1… 田中 和仁(たなか かずひと、1985年〈昭和60年〉5月16日 - )は、日本の体操選手。和歌山県岩出市出身。身長166cm。体重56kg。和歌山県立和歌山北高等学校、日本大学卒業。現役時代は徳洲会体操クラブ所属。現在は田中体操クラブ代表兼メインコーチ。妹の田中理恵(日本体育大学助教~田中体操クラブ特別コーチ)、弟の田中佑典(順天堂大学~コナミ~田中体操クラブ所属)も同じ体操選手である。妻・麻智子も日本大学出身の元体操選手で現在は田中体操クラブサブコーチ。得意種目は平行棒。 両親が体操選手だったことや、父親が指導者だったため競技の道に進む。2003年、高校生ながらボローニンカップのシニアの部に出場し、ロシアのアレクセイ・ネモフらと競い、種目別の鉄棒で3位入賞を果たす。
津田 拓也(つだ たくや、1985年4月27日 - )は、和… 津田 拓也(つだ たくや、1985年4月27日 - )は、和歌山県岩出市出身の日本のモーターサイクル・ロードレーサー。弟は同じくロードレーサーの津田一磨。 2004年に全日本ロードレース選手権ST600クラスにTSR&ATTENTIONからホンダ・CBR600RRでデビュー。2006年には第7戦でJSB1000クラスに出場した。2009年に所属チームのチームOSG&モトスポーツがヤマハにマシンをスイッチする。2010年、WestPowerに移籍、スズキのマシンに乗ることとなる。2012年には鈴鹿8時間耐久レースに出場、総合4位に入る。2013年、ヨシムラに移籍しJSB1000クラスにフル参戦する。
宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、… 宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、和歌山県岩出市根来出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現在は永和商事ウィング硬式野球部で投手コーチを務める。
宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、… 宮﨑 充登(みやざき みちと、1978年9月6日 - )は、和歌山県岩出市根来出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 智弁和歌山高時代、1996年には春・夏連続して甲子園に出場。春はチームは準優勝するも2年の髙塚信幸がエースで登板機会が無く、夏は初戦にリリーフ登板するも敗退。高校時代のMAXは142km/h。その後本田技研工業に入社して鈴鹿野球部に所属。1999年にシドニーオリンピック代表候補選手としてプロキャンプに派遣され、広島東洋カープのキャンプに参加した。 広島にも在籍していた吉本亮コーチの助言のもと、フォームをスリークォーターに変更してから球速が150km/h以上を記録するようになり、キレも増したことから遅咲きながらプロ入りへの道が拓けた。
小林 寛司(こばやし かんじ、1973年1月26日- )は、… 小林 寛司(こばやし かんじ、1973年1月26日- )は、料理人。「villa aida(ヴィラ アイーダ)」のシェフ。 和歌山県岩出市出身。大阪あべの辻調理師専門学校卒業。 実家は兼業農家の家に生まれ、中学生頃から母の影響を受けてお菓子作りにハマり始めた。将来は銀行員になるかなあと漠然と考えている中で、アルバイトは無意識に飲食業ばかりを選んでいた。どんどん料理が上達することが嬉しく、自然と料理に道に進みたいと思うようになり、大阪あべの辻調理師専門学校に進学。 卒業後は大阪の「アルバ」にて2年間務めるも、“このままずっと長くいても成長はできない”と考え、シェフのアドバイスもありイタリアに渡ることに。
山田 和幸(やまだ かずゆき、1971年4月20日 - )は… 山田 和幸(やまだ かずゆき、1971年4月20日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。 那賀高では3年夏の県大会ベスト8、早稲田大学に進学。 入学後、野球部では強打の二塁手として大越基、仁志敏久とともに1年春からベンチ入りを果たすもわずか3か月で退部し、3年次から準硬式野球部に入部すると全日本大学準硬式野球選手権で優勝。4年春はリーグ戦で捕手としてベストナイン。 一般企業へ就職が内定したが、社会人野球を続けることを目指して留年していたところ1994年のドラフトで6位指名を受け西武ライオンズに入団。しかし、内臓疾患の病気によりわずか2年で退団することとなる。 退団後は海外でプレーを続けたが、引退し一般企業に就職した。
平藤 真治(ひらとう しんじ、1968年3月30日 - )は… 平藤 真治(ひらとう しんじ、1968年3月30日 - )は、日本の実業家、イベントプロデューサー。『神戸コレクション』『東京ランウェイ』創業者・プロデューサー、『超十代』統括プロデューサー、映画『パラダイスキス』ファッションプロデューサー。株式会社ソニマージュ代表取締役社長。和歌山県岩出市出身、身長171センチ、血液型はA型。 ファッション業界の風雲児。2002年に誕生した、リアルクローズファッションショーの先駆け、「神戸コレクション」の制作からスタートし、「超十代」「東京ランウェイ」「静岡コレクション」「東京ボックス」など、ファッションイベントの企画制作。そのムーブメントを20年近くに渡り成長させてきた。
龍田 直樹(たつた なおき、1950年9月8日[1][3][… 龍田 直樹(たつた なおき、1950年9月8日[1][3][4][10] - )は、日本の男性声優。和歌山県那賀郡岩出町(現:岩出市)出身[3]。青二プロダクション所属[6]。
船戸 順(、1938年〈昭和13年〉11月26日 - 202… 船戸 順(、1938年〈昭和13年〉11月26日 - 2021年〈令和3年〉5月26日)は、日本の俳優である。本名は岩井 常隆()。血液型はB型。株式会社フジプランニング所属。 最初の妻は女優の香取環。2人目の妻は女優で日本舞踊家の岩井友見(十一代目岩井半四郎)。岳父は歌舞伎俳優の十代目岩井半四郎、岳母は女優の月城彰子。仁科亜季子・仁科幸子は義妹。 和歌山県那賀郡岩出町(現・岩出市)字船戸出身。和歌山県立和歌山工業高等学校を卒業後、下津町役場の土木課に勤務していた。 1959年のミスター平凡コンテストへの入賞をきっかけとして東宝へ入社し、1960年の映画『地の涯に生きるもの』(監督:久松静児)でデビュー。
吉村 茂夫(よしむら しげお、1918年5月10日 - 20… 吉村 茂夫(よしむら しげお、1918年5月10日 - 2009年12月9日)は、日本の実業家。南海電気鉄道(南海電鉄)元社長・会長。 和歌山県岩出市出身。大阪商科大学(現・大阪市立大学)卒業後の1942年に南海鉄道へ入社。常務取締役、専務取締役を経て、1985年に南海電鉄代表取締役社長に就任し、1992年に代表取締役会長を歴任。 社長時代の1988年4月、南海ホークスのオーナーだった川勝傳の死去に伴い、後任としてオーナーを務めた。前任者の川勝時代から大阪スタヂアムを含めた「難波再開発」(後の「なんばパークス」)案が浮上した時から川勝は「ワシの目が黒いうちは球団は売らん!!」と表面上は強い姿勢を見せていたが(ただし青木一三は、川勝が秘密裏に売却先の候補として来島どっくやダイエーと接触していたことを自著で証言している)、南海ホークスは年間10億円の赤字だった。
高井 観海(たかい かんかい、1884年7月1日 - 195… 高井 観海(たかい かんかい、1884年7月1日 - 1953年1月9日)は、日本の仏教学者、僧侶である。哲学館(現・東洋大学)で井上円了から仏教学を学んだ後に、智山専門学校校長。大正大学教授。真言宗智山派管長。智積院55世能化。真言宗上品蓮台寺住職となる。仏教学の専門は密教学。
巽 孝之丞(たつみ こうのじょう、元治元年12月29日(18… 巽 孝之丞(たつみ こうのじょう、元治元年12月29日(1865年1月26日) - 昭和6年(1931年)6月11日)は、戦前日本の財政家。横浜正金銀行ロンドン支店支配人、日仏銀行創立委員・取締役。中村啓次郎の実兄。小泉信三の祖父小泉文庫はいとこにあたる。息子に英文学者の巽豊彦、孫に米文学者でSF評論家の巽孝之がいる。 紀州藩士・吉川流砲術師範役であった吉川定之進の長男。幼名は豊吉。紀伊国那賀郡山崎村中野黒木十八番地に生まれる。 巽家を相続し、藩費留学生となり上京し慶應義塾に入学。同門に親戚の小泉信吉など。卒業後に小泉信吉の口利きで横浜正金銀行に入行する。以来、取締役、常務となるまで30年間、英国ロンドンで在任した。
津村 紀陵(つむら きりょう、1863年4月9日(文久3年2… 津村 紀陵(つむら きりょう、1863年4月9日(文久3年2月22日) - 1933年(昭和8年)12月16日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。前名・光三郎。 素封家・津村重兵衛の長男として紀伊国那賀郡、のちの和歌山県那賀郡山崎村(岩出町を経て現岩出市)で生まれる。1904年(明治37年)3月、家督を相続し紀陵と改名した。 1884年(明治17年)中野黒木村外8カ村戸長に就任。和歌山県会議員を経て、紀南索道、野上軽便鉄道、秋津川水力電気各社長、和歌山倉庫銀行取締役などを歴任した。1918年(大正7年)6月和歌山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1925年(大正14年)9月28日まで在任した。
吉村 角次郎(よしむら かくじろう、1844年10月19日(… 吉村 角次郎(よしむら かくじろう、1844年10月19日(弘化元年9月8日)- 1921年(大正10年)10月8日)は、幕末から大正期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 紀伊国那賀郡山崎組畑毛村(和歌山県那賀郡山崎村、岩出町を経て現岩出市)で、吉村六右衛門の息子として生まれた。元治元年(1864年)以降、那賀郡畑毛村ほか3ヵ村庄屋、戸長を務めた。 1875年(明治8年)父の死去に伴い家督を相続した。1878年(明治11年)頃から津村重兵衛と協力して養蚕業の振興に尽力。1890年(明治23年)居谷平助と共同で岩出製糸工場を設置し、他に畑毛製糸を設立して経営したが、経済状況の悪化により、1895年(明治28年)に畑毛製糸が、翌年には岩出製糸工場が閉鎖を余儀なくされた。