赤木 正幸(あかぎ まさゆき、1975年2月22日 - )は… 赤木 正幸(あかぎ まさゆき、1975年2月22日 - )は、日本の政治家、実業家。日本維新の会所属の元衆議院議員(1期)。元国土交通委員会理事。 岡山県倉敷市出身。岡山県立岡山大安寺高等学校卒業。 2001年、早稲田大学法学部卒業。 2005年、早稲田大学大学院政治学研究科修了。ニューヨーク大学、コロンビア大学の客員研究プログラム修了。 地方自治研究所、人事院事務総局専門調査員、MIDリートマネジメント(不動産ファンド)、森ビル・インベストメントマネジメント(不動産ファンド)などで勤務したのち、2012年の第46回衆議院議員総選挙に岡山1区からみんなの党公認で立候補するが、落選。 太陽光発電事業にも参入し、太陽光パネルメーカーCFO、三菱商事合弁の太陽光ファンド運用会社エムソーラーアセットマネジメント株式会社(MSAM)代表取締役を歴任。
柚木 道義(ゆのき みちよし、1972年5月28日 - )は… 柚木 道義(ゆのき みちよし、1972年5月28日 - )は、日本の政治家。立憲民主党岡山県連代表。 衆議院議員(7期)、財務大臣政務官(野田第3次改造内閣)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、民主党・民進党国会対策副委員長、同岡山県連代表を歴任した。 岡山県倉敷市生まれ。倉敷市立上成小学校、金光学園中学校・高等学校、岡山大学文学部哲学科心理学・社会心理学コース卒業。学士(文学)の学位を取得。大学では美学を専攻した。大学卒業後、1年浪人して有隣堂に入社。2002年、参議院議員・江田五月の秘書試験に合格すると同時に[要出典]、民主党の候補者公募に合格。 2003年の第43回衆議院議員総選挙に岡山4区から民主党公認で立候補したが、自由民主党の橋本龍太郎元内閣総理大臣に敗れ、落選した。
水道橋博士(すいどうばしはかせ、1962年〈昭和37年〉8月… 水道橋博士(すいどうばしはかせ、1962年〈昭和37年〉8月18日 - )は、日本のお笑いタレント、YouTuber、漫才師、著作家、政治家。 お笑いコンビ浅草キッドのツッコミ担当を務め、その他、参議院議員(1期)を務めた。株式会社TAP所属。岡山県倉敷市出身。本名は小野 正芳(おの まさよし)。 岡山県の紙問屋の次男として生まれる。母方の祖父は中国銀行の副頭取になった銀行家であり、勇退後は岡山国際ホテルなどで要職を歴任。金銭面に困らず、成績の良い優等生だった。岡山大学教育学部附属中学校に進学。しかし周りは優等生ばかりで、勉強する意欲が起きなくなり落ちこぼれる。中学の同級生に甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)、オウム真理教の中川智正がいる。
渡邊 行雄(わたなべ ゆきお、1931年〈昭和6年〉11月6… 渡邊 行雄(わたなべ ゆきお、1931年〈昭和6年〉11月6日 - 1996年〈平成8年〉4月1日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。岡山県倉敷市長。 倉敷市出身。1954年(昭和29年)同志社大学経済学部卒業。百十四銀行勤務を経て、1975年(昭和50年)以来、岡山県議会議員に4選し、1987年(昭和62年)同副議長に就任する。1991年(平成3年)倉敷市長に当選し、2期目在任中に死去した。ほか、水島ゴム工業用品社長を務めた。 市長在任中は、倉敷チボリ公園、くらしき作陽大学、倉敷芸術科学大学の誘致、下水の倍増計画に尽力した。
滝澤 脩作(たきさわ しゅうさく、1893年(明治26年)8… 滝澤 脩作(たきさわ しゅうさく、1893年(明治26年)8月25日 - 1958年(昭和33年)7月1日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 岡山県浅口郡乙島村(玉島町乙島、玉島市乙島を経て現倉敷市玉島乙島)で、滝澤嘉三郎の長男として生まれた。玉島尋常高等小学校を卒業後、神戸市立工業学校で学んだ。 川崎造船所、住友伸銅所での勤務を経て、1922年(大正11年)大阪市東成区猪飼野でボール盤製造を始めていた弟・七三郎に合流して滝澤鉄工所(現:TAKISAWA)を設立した。満州事変以後の工作機械需要の増大を受けて会社は発展し、1933年(昭和8年)郷里の玉島に、1935年(昭和10年)と1938年(昭和13年)には大阪の二箇所に工場を新設した。
小山 美登四(こやま みとし、1888年(明治21年)10月… 小山 美登四(こやま みとし、1888年(明治21年)10月 - 1959年(昭和34年))は日本の銀行家・実業家・弁護士・政治家である。初代台湾高雄州協議会の会員。台湾銀行本店支配人、三蟠鉄道・昭和護謨監査役、岡山県議会議員と岡山市議会議員を務めた。岡山県倉敷市出身 1888年(明治21年)、岡山県浅口郡船穂村(現:倉敷市船穂町)の小山四郎兵衛秀男の次男として出生。旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、1906年(明治39年)第六高等学校に進学する。 その後、1909年(明治42年)6月に同校を卒業し、同年に東京帝国大学法科大学政治学科へ進学した。1913年(大正2年)7月、24歳で同大学を卒業し、一年志願兵として入営し陸軍二等計手になった後、1915年(大正4年)台湾銀行書記として入行した。
白神 邦二(しらかみ くにじ、1882年(明治15年)11月… 白神 邦二(しらかみ くにじ、1882年(明治15年)11月10日 - 1934年(昭和9年)4月15日)は、大正から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員。 岡山県浅口郡勇崎村西浦(柏崎村、玉島町、玉島市を経て現倉敷市玉島勇崎)で、肥料問屋「北国屋」白神亀五郎、貞の二男として生れ、白神カチの養子となり1897年(明治30年)家督を相続した。玉島尋常高等小学校を卒業。その後の経歴は不明確で、ロシア帝国沿海州などを視察し、帰郷して岡山市で海産物商、米穀仲買人などを営む。 その後大阪に移り、堂島などで相場、株式の知識を習得し、1918年(大正7年)米相場、株式を掲載した『大阪毎夕新聞』を創刊し1921年(大正10年)社長に就任した。
古屋野 橘衛(こやの きつえ、1878年(明治11年)1月1… 古屋野 橘衛(こやの きつえ、1878年(明治11年)1月1日 - 1957年(昭和32年)4月10日)は、岡山県都窪郡豊洲村(現・倉敷市)出身の地方政治家。倉敷市長。 1878年1月1日、都窪郡豊洲村に槙尾利八の二男として生まれる。その後、古屋野家を継ぐ。旧制同志社中学、旧制第三高等学校を経て、京都帝国大学法学部へ進学する。 京都帝大卒業後は貿易業へ就き、その後アメリカへ渡る。17年間滞在し、1922年に帰国する。 1923年、万寿村長となり、その後、岡山県議会議員に3回当選する。1927年、倉敷市制実現のため、倉敷町・万寿村・大高村の3町村合併に尽力した。 合併後の、1928年、倉敷市議会議員となり、その後、市議会議長となる。
田辺 為三郎(田邊 爲三郎、たなべ ためさぶろう、1864年… 田辺 為三郎(田邊 爲三郎、たなべ ためさぶろう、1864年12月31日(元治元年12月3日)- 1931年(昭和6年)4月18日)は、明治から昭和初期の実業家・政治家・漢詩人。衆議院議員。名・華、字・秋穀、号・碧堂。 備中国浅口郡長尾村(岡山県浅口郡長尾村、長尾町、玉島市を経て現倉敷市玉島長尾)で、庄屋・田辺新三の三男として生まれた。7歳で父を失い、母に養育され虚弱のため学校に通わず、独学で漢学、外国語学、政治経済学などを修めた。1879年(明治12年)3月、家督を相続した。 1888年(明治21年)玉島紡績会社に入社し、1896年(明治29年)同社取締役に就任。1890年(明治23年)児島郡味野村(現:倉敷市児島味野)の野﨑家の理事となり、当主野崎武吉郎の貴族院多額納税者議員としての活動を支え、同家の塩業事業の発展に寄与した。
立石 岐(たていし ちまた、1847年6月25日(弘化4年5… 立石 岐(たていし ちまた、1847年6月25日(弘化4年5月13日)- 1929年(昭和4年)4月4日)は、明治時代の政治家、養蚕家。自由民権運動家。衆議院議員(3期)。旧姓は小野。 備中国浅口郡船穂村(現・倉敷市船穂町船穂)の豪農・小野市太夫の4男として生まれる。幼少期に小野春発に学んだのち森田節斎の門に入り、さらに中原某に武術を学んだ。1866年(慶応2年)10月、19歳の時に美作国津山藩領西西条郡二宮村(苫田郡二宮村を経て、現在の津山市二宮)の大庄屋・立石正介の養嗣子となった。父の正介は大橋敬之助(立石孫一郎)とともに尊王攘夷に奔走し、遂には終身禁固に処され獄死した。 1878年(明治11年)4月、中島衛らと共に共之社を結成。