宗山 塁(むねやま るい、2003年2月27日 - )は、広… 宗山 塁(むねやま るい、2003年2月27日 - )は、広島県三次市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学1年生の時に野球を始め、小学6年生の時に広島東洋カープジュニアに選出される。中学時代は軟式の高陽スカイバンズでプレー。高校は広陵高校に進学した。広陵高校では1年生の夏からベンチ入りを果たし、その夏に背番号17、2年生の春に背番号6で、それぞれ甲子園に出場した。 広陵では1年生の秋に明治神宮野球大会に出場し、チーム自体は初戦で星稜の奥川恭伸に抑え込まれコールド負けとなったが、自身は2安打を放つ。同学年に自身と同じ2024年のドラフト会議でプロ入りした渡部聖弥がおり、寮でも同部屋であった。
坂本 光士郎(さかもと こうしろう、1994年9月9日 - … 坂本 光士郎(さかもと こうしろう、1994年9月9日 - )は、広島県三次市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学1年生で野球を始め、三次市立十日市中学校では軟式野球部に所属。如水館高校では2年夏に甲子園へ出場し、背番号11の控え投手として登板した。ただ、2年秋に新チームとなっても3番手投手であり、高校時代の最速は135km/hであった。 日本文理大学へ進学し、遠投でひたすら肩を鍛えると、最速145km/hまで上昇。また、進学後に習得したカットボールとツーシームとの相乗効果もあり、4年春からチームのエースとなった。4年時はリーグ戦にて、2季連続でMVPを獲得。6月の全日本大学野球選手権と11月の明治神宮大会の出場に貢献した。
大田 泰示(おおた たいし、1990年6月9日 - )は、広… 大田 泰示(おおた たいし、1990年6月9日 - )は、広島県三次市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
永川 光浩 (ながかわ みつひろ、1987年11月2日 - … 永川 光浩 (ながかわ みつひろ、1987年11月2日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。実兄は元プロ野球選手で広島東洋カープでの同僚でもあった永川勝浩。 小学校3年時から野球を始める。ポジションは兄と同じ投手。広島県立三次高等学校ではエース投手だったが、肘の故障によって3年生夏は控えとなり抑え投手として登板。県大会の決勝戦で敗れ、甲子園には出場できなかった。龍谷大学進学後は2年生の秋からベンチ入りしたが肘の故障が多発し、リーグ戦初登板は4年生の春だった。 2009年ドラフト会議において広島東洋カープから育成1巡目で指名され、入団。 2012年3月27日、同シーズンは徳島インディゴソックス(四国アイランドリーグplus)に派遣されることが発表された。
永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - … 永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。 三次市立三次中学校時代はバスケットボール部に所属しており、後のチームメイトの梵英心は三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみだった。 3年間のブランクがあったが広島県新庄高校で再び野球を始める。高校の同級生にMEG、2年先輩にCHEMISTRYの堂珍嘉邦がいた。卒業後は亜細亜大学へ進み、上級生になるとエース・木佐貫洋に次ぐ投手として、同じく同期の小山良男とバッテリーを組んだ。4年の大学選手権は準々決勝で先発勝利、明治神宮大会は準決勝で完封し優勝に貢献した。東都大学リーグ通算成績は、15試合の登板で、5勝4敗、防御率2.03。
梵 英心(そよぎ えいしん、1980年10月11日 - )は… 梵 英心(そよぎ えいしん、1980年10月11日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 実家は浄土真宗本願寺派専法寺。永川勝浩とは三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみ。高校時代も1度だけ公式戦で対戦があり、この時は3打数3安打だった。しかし大学野球時代は永川から1本もヒットを打てなかった。三次高校時代は、2年夏のベスト16が最高、3年夏は2回戦敗退(広島工に惜敗)。東都大学野球の駒澤大学に進学し、2年秋からレギュラー。4年春に最下位となってチーム初の2部降格を経験。1部リーグ通算42試合に出場、141打数33安打、打率.234、2本塁打、11打点を記録。
福原 忍(ふくはら しのぶ、1976年12月28日 - )は… 福原 忍(ふくはら しのぶ、1976年12月28日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ、野球解説者、野球評論家。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 現役時代から2024年のコーチ退任まで一貫して阪神タイガースに所属。現役最終年の2016年には投手キャプテンを務めた。 二岡智宏とは小学校から広陵高校まで同窓で、小学校では4度クラスメイトになった。野球を始めたのも二岡と兄の影響である。高校3年時は二岡との二枚看板で夏の広島大会では優勝候補筆頭に挙げられていたが、新井貴浩を擁する広島工業高校に敗れた。東都大学野球連盟所属の東洋大学に進学。1部リーグ通算14試合に登板、1勝4敗 防御率4.87で、4年時は春から2部リーグながら秋に6連勝をしてMVPで1部復帰の原動力となった。
二岡 智宏(におか ともひろ、1976年4月29日 - )は… 二岡 智宏(におか ともひろ、1976年4月29日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・野球指導者。現在はジェイプロジェクト硬式野球部監督。 広島県三次市出身。同じプロ野球選手の福原忍と小学校から高校(広陵高等学校)まで同窓であり、中学校までは二岡がエースだった。 1993年(広陵高校2年生時)の秋、翌1994年春の選抜高校野球大会の実質的な予選となる広島県秋季大会に選手として出場。10月2日に行われた同大会の準決勝を応援に向かった両親が交通事故に遭う。二岡は準決勝終了後に、母親は無事だったが父親が意識不明であることを知らされる。当日夜は病院で父に付き添い、10月3日の決勝へ臨むこととなった(この頃「自分の責任ではないか」とも思えていたという。
原 伸次(はら しんじ、1962年11月3日 - )は、広島… 原 伸次(はら しんじ、1962年11月3日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手。野球解説者。 引退後は鉄板焼き屋・Haraya(はらや、広島市中区十日市)を経営している。 1980年、広陵高等学校の4番・捕手として、渡辺一博とバッテリーを組み、春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では準決勝に進むが、高知商のエース中西清起に抑えられ敗退。夏の選手権では準々決勝で藤本博史のいた天理高に敗れる。同期には、主将を務めた中井哲之がいる。 1980年のドラフト4位で地元広島東洋カープに捕手として入団、高卒で4位指名ながら捕手のエースナンバー27が与えられるも、正捕手には達川光男、サブには山中潔が控えており、内野手に転向。
稲垣 人司(いながき ひとし、1932年6月15日 - 20… 稲垣 人司(いながき ひとし、1932年6月15日 - 2000年10月15日)は、広島県三次市出身の高校野球指導者、監督。 三次中学校(現在の三次高校)卒業後、大蔵省中国財務局に入局するが2年で退職し、石本秀一の書生となって2年間野球を学ぶ。1968年春から1970年春にかけて2年間、大東文化大学硬式野球部の2代目監督に就任。これは、初代監督の岡田悦哉が広島東洋カープ二軍バッテリーコーチに就任したためだった。広島工業高校コーチを経て1976年、創部まもない東京の創価高校監督に就任。小野和義を擁して1983年夏の甲子園に同校を初出場に導いた。その後、神奈川の桐光学園監督を経て1989年、創立8年目の埼玉の花咲徳栄高校に招かれ監督就任。
渡辺 信義(わたなべ のぶよし、1929年8月23日 - 2… 渡辺 信義(わたなべ のぶよし、1929年8月23日 - 2006年9月18日)は、広島県三次市三良坂町出身の元プロ野球選手(投手)。 私立日彰館中学校卒業後、広島県庁の軟式野球チーム「オール県庁」で広岡富夫とバッテリーを組む。剛速球投手として知られていた渡辺はある日、広島球団から呼び出しがあって広陵高へ行ってみると石本秀一監督が立ち合ってのテストであった。ものの10分ほど投げると「カープへ来ないか」と誘われたが、渡辺に入る気は無く、県庁の職員からも「なんで渡世稼業みたいな世界に入らないけんのや」と猛反対された。結局、渡辺は「独身だったし、測量や設計の技術者だったこともあって食べることには心配ない。
岩本 信一(いわもと のぶかず、 1921年1月26日 - … 岩本 信一(いわもと のぶかず、 1921年1月26日 - 2000年1月20日)は、広島県三次市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・審判員。 兄は元祖神主打法として知られる岩本義行。 旧制広陵中学では白石勝巳らの2学年下に当たり、中学時代は主力投手ではなかったが、卒業後の1939年に明治大学へ進学。谷沢梅雄監督率いる黄金時代で活躍し、戦後は明電舎を経て、1946年に広陵の先輩・平桝敏男や濃人渉、門前眞佐人らと広島駅前で遊興産業に携わっていた広島鯉城園のノンプロチームに参加。同年夏に戦後初の都市対抗野球大会へ出場し、初戦で先発・橋本正吾の後を継ぐ2番手としてマウンドに上がるも、この大会優勝した大日本土木に打ち込まれ惨敗した。
門前 眞佐人(もんぜん まさと、1917年5月15日 - 1… 門前 眞佐人(もんぜん まさと、1917年5月15日 - 1984年2月22日)は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者。大阪タイガース契約第1号選手。「眞」が旧字体であるため、媒体によって門前 真佐人と表記される。 旧制広陵中学3年次に正捕手となる。強肩強打で鳴らし、4年次には豪打広陵の4番に座る。1934年は夏の選手権広島予選決勝で何度も苦汁をなめさせられた藤村富美男率いる呉港中学にまたも惜敗(2対3)。呉港中はこの年、田川豊・橋本正吾・保手浜明らを揃え、高い総合力で川上哲治らの熊本工業などの全国の強豪をまったく寄せ付けず圧勝し全国制覇、門前らは地団駄を踏む。門前が最上級となった1935年、今度は広陵が白石勝巳・岡田宗芳・海蔵寺弘司・戒能朶一・秋山正信・室脇正信ら7人がプロ入りするという強力打線を形成。
岩本 義行(いわもと よしゆき、1912年3月11日 - 2… 岩本 義行(いわもと よしゆき、1912年3月11日 - 2008年9月26日)は、広島県三次市出身のプロ野球選手(外野手)・監督。「元祖神主打法」「初代トリプルスリー」[4]。弟はプロ野球南海の投手・審判を務めた岩本信一。5人いる孫の1人に女優の遠野舞子がいる[5]。