末本 美乃里(すえもと みのり、1990年(平成2年)11月… 末本 美乃里(すえもと みのり、1990年(平成2年)11月22日 - )は、日本の実業家、モデル。メンタルコーチ。タレント。株式会社 MINORI 代表取締役。整体師。広島県東広島市出身。 2010年19歳で、上海国際博覧会にてモデルデビュー。その後「eliteモデルスクール」に通い、ウォーキングなどモデルとしての技術を習得する。 地元広島県でモデルやタレント活動を行い、2014年23歳で上京。リラクゼーションサロン「あしカラダ赤坂駅前店」にて店長を3年間勤める。 2016年、「ミス・ユニバース・ジャパン2017」にてファイナリストに選出される。 2017年、株式会社 MINORI を設立。現在「治療院 RESET」を展開し会社経営をしながら、モデルやメンタルコーチとしても活躍する。
矢野 博丈(やの ひろたけ、1943年4月19日 - 202… 矢野 博丈(やの ひろたけ、1943年4月19日 - 2024年2月12日)は、日本の実業家。本名「栗原五郎」。「矢野」は妻の姓で「博丈」は姓名判断による改名。 100円ショップの草分けである大創産業(100円SHOPダイソー)の創業者。広島県東広島市出身。 父親は医師で、戦時中は中国天津市の病院に勤めており、北京市で生まれる。母親は広島銀行の前身の一つ「山岡銀行」の娘。8人兄弟の末っ子の5男。戦後半年、父親の郷里である広島県賀茂郡久芳村(現:東広島市)に引き揚げ。父親は広島市内中心部の新川場通り(並木通り)で医院を開業していたが貧困であり、自身は中央大学の二部に進学したが、貧しさのためたいへん苦労したという。
佐竹 利子 (さたけ としこ、1933年2月26日 -202… 佐竹 利子 (さたけ としこ、1933年2月26日 -2021年10月5日 )は、日本の実業家。株式会社サタケ取締役名誉会長。学位は農学博士(京都大学、2005年)。広島大学名誉博士。東広島市名誉市民。一般社団法人広島県発明協会名誉理事。イクボス同盟ひろしまメンバー。公益財団法人サタケ技術振興財団理事長。中国糧油学会名誉副理事長。 広島県東広島市出身。広島県立賀茂高等女学校・学習院女子高等科を卒業。1957年、南カリフォルニア大学商業デザイン科を卒業。1月、佐竹製作所(現サタケ)に入社、取締役に就任。1997年7月、代表に就任。2001年4月、財団法人広島大学後援会理事長に就任。4月24日、広島大学名誉博士。
佐竹 利彦(さたけ としひこ、1910年(明治43年) - … 佐竹 利彦(さたけ としひこ、1910年(明治43年) - 1998年(平成10年)7月24日)は、日本の技術者・実業家。広島県東広島市出身。 サタケ二代目社長。おいしくて光沢のある白米ができる精米機を発明し、精米理論を体系化した。またヤシ・ソテツ類植物の収集・分類において権威であった。東京大学で農学博士号を取得(近代精米技術に関する研究)、東京農業大学名誉博士(ヤシの研究)、広島大学名誉博士(近代精米およびヤシの研究)。 1910年(明治43年)、佐竹利市の長男として生まれる。旧制山陽中学校(現・山陽高等学校)で優秀な成績を収め、旧制広島高等工業学校(現・広島大学工学部)への推薦入学が決まっていた。
藤田 定市(ふじた さだいち、1889年〈明治22年〉4月1… 藤田 定市(ふじた さだいち、1889年〈明治22年〉4月1日 - 1973年〈昭和48年〉9月3日)は、日本の実業家。フジタ工業(現・フジタ)会長。広島県知事をつとめた藤田雄山は孫。 広島県賀茂郡中黒瀬村字大多田(現・東広島市黒瀬町)の農家に生まれる。藤田次助の三男。1910年12月、21歳の頃、兄の一郎とともに広島市台屋町で土木建築請負業を始める。 土木建築請負業を営む。1916年、「藤田組」を名乗り、兄の一郎が組長に、定市が副組長になる。1944年、藤田組社長に就任。1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、定市は自宅で家屋の下敷きとなり、重傷を負う。1962年、藤田組会長に就任。
藤田 一郎(ふじた いちろう、1886年〈明治19年〉5月5… 藤田 一郎(ふじた いちろう、1886年〈明治19年〉5月5日 - 1949年〈昭和24年〉9月19日)は、日本の実業家、土木建築請負業、地主。藤田組(現・フジタ)初代社長。広島県多額納税者。東亜木材防腐社長。広島商工会議所顧問。族籍は広島県平民。参議院議長を務めた藤田正明は甥。 広島県賀茂郡中黒瀬村字大多田(現・東広島市黒瀬町)の農家に生まれた。藤田次助の二男。1900年、高等小学校を卒業。 郷里で百姓のまま埋もれたくなかったため、広島市で請負業をやっていた母方のおじに当たる森信正市の店で小僧として働く。土木建築業の見習いの傍ら夜学に通い、建築や簿記を学ぶ。17歳の時、アメリカへの密航を企てたが、失敗に終わり再び森信方に連れ戻された。
岸田 幾太郎(きしだ いくたろう、1867年11月19日〈慶… 岸田 幾太郎(きしだ いくたろう、1867年11月19日〈慶応3年10月24日〉 - 1908年〈明治41年〉9月14日)は、日本の実業家。 第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄と元経済産業大臣の宮澤洋一は曽孫である。 1867年11月19日(慶応3年10月14日)、安芸国賀茂郡奥屋村(現:広島県東広島市志和町奥屋)に岸田忠次郎・さみ夫妻の長男として生まれる。岸田家は、幾太郎の曽祖父である岸田直五郎の代に「新出屋(あたらしや)」を屋号にして分家し、以来奥屋村で農業を営んだ。 1891年(明治24年)頃に農機具、種苗、呉服などを輸出し、輸出先の北海道から仕入れた海産物の販売業を始める。1894年(明治27年)に三宅直之助の四女・スミと結婚。
佐竹 利市(さたけ りいち、1863年4月20日〈文久3年3… 佐竹 利市(さたけ りいち、1863年4月20日〈文久3年3月3日〉 - 1958年〈昭和33年〉9月25日)は、日本の技術者・実業家。広島県東広島市出身。 サタケ創業者。日本で初めて動力式精米機を開発する。また竪型精米機も開発しこれが吟醸酒誕生につながるなど、日本の酒造りに貢献した。 1863年(文久3年)、安芸国賀茂郡寺家村(現・広島県東広島市西条町)で代々農業を営む家系の長男として生まれる。5歳のときに叔父から算数を学び、のち独学で進め、幼少期より神童と謳われた。10歳のとき、父親を亡くす。1875年(明治8年)13歳のとき寺家村長と地区の名士だった木村和平(のちの賀茂鶴酒造)から任され地租改正に伴う測量業務・地積計算に2年間従事した。
内藤 守三(ないとう もりぞう、安政4年2月13日(1857… 内藤 守三(ないとう もりぞう、安政4年2月13日(1857年3月8日) - 昭和21年(1946年)2月22日)は、実業家、政治家。国勢調査創設者。安芸国賀茂郡板城村馬木(現在の広島県東広島市)出身。幼名・太郎一。 若くして庄屋をつとめ、戸長にもなる。竹原の学館で漢学を修め1870年上京、東京開成学校で英語、法律、国勢学(統計学)を、皇典講究所で国学を学ぶ。卒業後黒瀬川の浚渫事業に携わった後、実業家となり1888年呉市に呉土工会社を設立。呉海軍工廠の誘致・山陽鉄道の国有化等に尽力、また呉市二河公園の建設など同地の市街地整備にあたった。1892年には高性能爆弾の研究を進めていた下瀬雅允に資金を提供し、日露戦争で威力を発揮した下瀬火薬の開発に協力した。