今井 まこと(いまい まこと、1971年7月9日 - )は、… 今井 まこと(いまい まこと、1971年7月9日 - )は、日本の実業家。芸能タレント文化人プロダクションテイナーズ代表取締役及び芸能事務所株式会社ICH専務取締役を務める。萩本欽一とインターネット放送局「欽ちゃんネル」を手掛け、番組のエグゼクティグプロデューサーをも務める。大分県佐伯市出身。 大分県佐伯市で生まれ、父親は学校教員である。学生時代、美術・音楽活動に傾倒。高山辰雄賞や大分高校ロック選手権グランプリなど数々獲得する。1999年にITデザイン会社を起業し、福岡、東京と支店を出すも、リーマンショックの影響を受け2010年に倒産。数億の借金を背負いホームレスとなる。(当時、鬱病で自殺未遂を何度かしていると本人のFacebookで語っている。
穴見 陽一(あなみ よういち、1969年〈昭和44年〉7月2… 穴見 陽一(あなみ よういち、1969年〈昭和44年〉7月24日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の前衆議院議員(3期)、株式会社ジョイフル第2代・第5代代表取締役社長。ジョイフル創業者の穴見保雄の長男。 同社顧問(元社長)でアメイズ副社長の児玉幸子は叔母、現社長の穴見くるみは妻、アメイズ現社長の穴見賢一は実弟である。 大分県佐伯市出身(現在は大分市中島西に在住)。大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校卒業。一浪後法政大学経済学部に進んだが中退。 1994年に父が経営するジョイフルに入社。1997年に地域子会社の中国ジョイフル(岡山県倉敷市)の社長に就任(ジョイフル本社はこの時点で一旦退職)。
榎 徹(えのき とおる、1959年2月4日 - )は、大分… 榎 徹(えのき とおる、1959年2月4日 - )は、大分県佐伯市出身の実業家。 株式会社大分フットボールクラブ(Jリーグ・大分トリニータ運営会社)取締役、ならびにJリーグ監事。 大分県立佐伯鶴城高等学校・九州大学法学部を経て、1982年に大分県職員に採用される。2008年開催のチャレンジ!おおいた国体では国体局・競技式典課主幹(式典担当)として運営に携わった。その後は商工労働部・雇用人材育成課参事、企画振興部文化スポーツ振興課長、東部振興局長などの役職を歴任した。 2016年1月にJリーグ・大分トリニータの運営会社である株式会社大分フットボールクラブの代表取締役に就任。なお就任が決まったのはリリースの1日前であった。
浅利 妙峰(あさり みょうほう、1952年 - )は、大分県… 浅利 妙峰(あさり みょうほう、1952年 - )は、大分県佐伯市の麹(こうじ)食品専門店・糀屋本店の9代目社長。「こうじ屋ウーマン」を名乗り、麹文化の普及と伝承活動を行っている。 1952年(昭和27年)、1689年(元禄2年)創業の糀屋本店の長女として生まれる。幼名は直美(なおみ)。 1973年(昭和48年)に糀屋本店に入社。時代の変化から味噌や醤油・甘酒は家庭で作るものから買うものに変化しており、麹の売り上げは年々減少、2005年には糀屋本店の8代目の幸一が体調を崩し、店の存続を迫られることになった。浅利は打開策を求め古い文献を読み漁り、江戸時代の文献『本朝食鑑』から漬物床としての「塩麹漬」の存在を知る。
村上 憲郎(むらかみ のりお、1947年 - )は、日本の実… 村上 憲郎(むらかみ のりお、1947年 - )は、日本の実業家。システムエンジニア。豊の国かぼす特命大使。 大分県佐伯市出身。大分県立佐伯鶴城高等学校、京都大学工学部資源工学科卒業。 日立電子、DECを経て、Northern Telecom Japan代表取締役。2001年、ドーセントの日本法人を立ち上げる。 2003年4月1日より、Google米国本社副社長兼Google日本法人代表取締役に就任。2008年12月31日に退任し、2009年1月1日より同社名誉会長。現在は同社の経営からは退き、村上憲郎事務所代表を務めている。 2014年4月 東京工業大学学長アドバイザリーボード委員、大阪工業大学情報科学部客員教授に就任。
内田 恒二(うちだ つねじ、1941年10月30日 - )は… 内田 恒二(うちだ つねじ、1941年10月30日 - )は、日本の経営者。 大分県佐伯市出身。佐伯鶴城高等学校を経て、1965年に京都大学工学部精密工学科を卒業し、同年にキヤノンに入社。 カメラ開発部門に携わり、数多くの名機の開発にも携わっていた。1997年に取締役に就任し、常務、専務を経て、2006年に副社長に就任し、同年5月から2012年3月までに社長を務めた。2012年3月から相談役を務めた。 2012年から2014年までにビジネス機械・情報システム産業協会会長を務めた。
御手洗 冨士夫(みたらい ふじお、1935年9月23日 - … 御手洗 冨士夫(みたらい ふじお、1935年9月23日 - )は、日本の経営者・実業家。キヤノン代表取締役会長。 第6代、第8代キヤノン社長を経て、同会長。第2代日本経済団体連合会会長を務め、現在は名誉会長。内閣府経済財政諮問会議議員。若者の人間力を高めるための国民会議議長。鉄道貨物協会会長。読売新聞グループ本社監査役。ラグビーワールドカップ2019組織委員会会長。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会名誉会長。 大分県立佐伯鶴城高等学校から転入して東京都立小山台高等学校、中央大学法学部卒業。「財界総理」といわれる日本経済団体連合会会長職に私立大学出身者として初めて就任した。
村上 春蔵(春藏、むらかみ はるぞう、1905年(明治38年… 村上 春蔵(春藏、むらかみ はるぞう、1905年(明治38年)4月30日 - 1995年(平成7年)4月22日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(2期)。 大分県南海部郡大入島村(現佐伯市)で、村上袈裟松の息子として生まれる。父の土建業経営の関係で朝鮮に移住。京城簡易商業学校を卒業し、家業の土木請負業に従事。国内、朝鮮、満洲などで発電所、トンネルなどの工事を請け負い、1933年(昭和8年)村上組が設立され常務に就任した。 終戦後に朝鮮から引揚げ、別府の白雲山荘を買収して取締役社長に就任。戦後の復興に政治の力が不可欠と考え、兄村上勇と共に鳩山一郎に相談し、1946年(昭和21年)2月に日本自由党大分県支部を立ち上げ、同年、村上建設社長に就任。
小栗 貞雄(おぐり さだお、1861年12月29日〈文久元年… 小栗 貞雄(おぐり さだお、1861年12月29日〈文久元年11月28日〉 - 1935年〈昭和10年〉3月16日)は、明治期の製薬実業家、政治家。 豊後国海部郡、のちの大分県南海部郡佐伯村(佐伯町を経て現佐伯市)生まれ。佐伯藩士矢野光儀の子で、矢野龍渓の弟。1870年(明治3年)、父にしたがい上京し慶應義塾に学び、東洋議政会に参加し、大学予備門を中退。立憲改進党の弁士として活躍した。その後、三田英学校講師となり、1886年(明治19年)報知新聞の経営再建のために報知新聞社に入社し、ジャーナリストとして健筆を振るう。 1886年(明治19年)12月、大隈重信や矢野龍渓の強い勧めにより、幕臣小栗忠順の娘国子と結婚し、婿養子として小栗の姓を継ぐ。
谷 謹一郎(たに きんいちろう)は、明治時代の大蔵官僚、実業… 谷 謹一郎(たに きんいちろう)は、明治時代の大蔵官僚、実業家。幕末に豊後佐伯藩に生まれ、維新後大蔵省に出仕、松方正義秘書を務めた後、民間に下り、日本生命保険取締役、日本勧業銀行理事、富士製紙常務取締役、川崎造船所常務取締役、東海生命社長等を務めた。 嘉永元年(1848年)8月23日、豊後佐伯藩士泥谷永祚の長男として生まれた。7歳で藩校四教堂に入学し、10歳で秋月橘門に句読を学んだ。明治2年(1869年)橘門に従い東京に上り、慶應義塾で英語を学んだ。上京後、泥谷(ひじや)姓を改め、谷姓を称した。 松方正義が九州を巡回した際に知遇を得、明治4年(1871年)内務省、大蔵省に出仕した。1875年(明治8年)大阪造幣局に勤務した後、1877年(明治10年)帰京し、大蔵大臣秘書官、総理大臣秘書官等を歴任した。