宮城さつき(みやぎ さつき、1973年5月19日 - )は、… 宮城さつき(みやぎ さつき、1973年5月19日 - )は、元琉球朝日放送報道部アナウンサー。沖縄県浦添市出身。沖縄県立開邦高等学校から亜細亜大学を経て、卒業後、1995年の琉球朝日放送開局と同時に入社した。2010年3月同局を退社。現在はフリーランスにてナレーションや朗読などの活動をしている。
沖縄県 浦添市:63人
宮城さつき(みやぎ さつき、1973年5月19日 - )は、… 宮城さつき(みやぎ さつき、1973年5月19日 - )は、元琉球朝日放送報道部アナウンサー。沖縄県浦添市出身。沖縄県立開邦高等学校から亜細亜大学を経て、卒業後、1995年の琉球朝日放送開局と同時に入社した。2010年3月同局を退社。現在はフリーランスにてナレーションや朗読などの活動をしている。
親富祖 弘也(おやふそ こうや、1972年8月29日 - )… 親富祖 弘也(おやふそ こうや、1972年8月29日 - )は、沖縄県浦添市出身の元プロ野球選手(捕手)。 宜野湾高から、1990年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団(背番号は61)。高校時代は無名選手であったが、100mを11秒で駆け抜ける俊足を持つ左打ちの捕手との触れ込みで入団した。 一軍出場のないまま、1996年限りで現役を引退 。守備だけなら一軍レベルと評されるも、二軍打率.213という打撃に課題があり伊東勤の第2捕手となることはできなかった。引退当時は24歳とまだ若かったが、任意引退の手続きを取った理由としては、自身によれば第2の人生を考えていたためであったと言う。
川満 聡(かわみつ さとし、1970年9月20日 - )は、… 川満 聡(かわみつ さとし、1970年9月20日 - )は、日本沖縄県浦添市出身で沖縄県を中心に活動するローカルタレントである。川満しぇんしぇーの愛称があり、タレントとしては数少ない宮古語話者でもある。 沖縄県立浦添高等学校を卒業後、県内ローカル誌『月刊おきなわJOHO』にライターおよび編集スタッフとしてアルバイト入社。並行してフリーの大道具スタッフとして沖縄芝居等に従事していた。舞台の魅力に取り付かれ、その後、初舞台『宮古島人頭税物語 大世栄綾船(うぶゆばいあやふに)』(沖縄芝居)に出演し、役者として活動。 1990年に、"川満しぇんしぇ〜"としてデビューし、笑築過激団に入団。しかし、1994年7月に退団し、翌月に映画『パイナップルツアーズ』監督らと共に「AGU!エンターテイメント」を設立。
安里 繁信(あさと しげのぶ、1969年10月7日 - )は… 安里 繁信(あさと しげのぶ、1969年10月7日 - )は、日本の実業家。 シンバホールディングス株式会社代表取締役会長、早稲田大学総合研究機構公共政策研究所招聘研究員。 沖縄県浦添市出身。沖縄県立大平高校(現陽明高校)卒業、早稲田大学大学院公共経営研究科修了。学位は公共経営修士(専門職)(Master of Public Management)。 沖縄県立大平高校(現陽明高校)卒業後上京、イベント企画会社運営に携わる。 2018年7月、同年11月に行われる沖縄知事選挙に出馬する意向であることが報じられたが、支持を要請していた自由民主党などが佐喜眞淳宜野湾市長擁立を決めたため、立候補を取りやめた。
宇沙美 ゆかり(うさみ ゆかり、本名:金城 ゆかり、1968… 宇沙美 ゆかり(うさみ ゆかり、本名:金城 ゆかり、1968年4月2日 - )は、元アイドル歌手、元女優。沖縄県浦添市出身。血液型はO型。身長163cm。B80cm、W58cm、H81cm(1984年1月)。 4人姉妹の四女(3人の姉はそれぞれ、6歳、4歳、3歳年上)。両親は今度こそ男の子が生まれるのを期待して、女の子の名前は考えてなかったということで、ゆかりという名前は一番上の姉の提案で、人気歌手であった伊東ゆかりの名前に肖ったという。小学6年生の時、地元の『浦添てだこ祭り』のちびっこカラオケのど自慢大会に出場し、ピンクレディーの『渚のシンドバッド』を歌って優勝。この時に、将来は歌手になると決心したという。
松本 哲治(まつもと てつじ、1967年10月19日 - )… 松本 哲治(まつもと てつじ、1967年10月19日 - )は、日本の政治家。沖縄県浦添市長(4期)。2013年、浦添市長選で初当選。保守系市長で構成された市長連合「チーム沖縄」のメンバーである。 琉球政府浦添村(現・沖縄県浦添市)出身。浦添市立仲西小学校、浦添市立仲西中学校、興南高等学校卒業。1991年(平成3年)3月、琉球大学法文学部法政学科政治学コース卒業。東京で英国系金融コンサルティング会社に勤務したのち、1996年(平成8年)、カリフォルニア大学バークレー校修士課程修了。社会福祉学の修士号を取得。 浦添総合病院等に勤務したのち、2002年(平成14年)に福祉活動、まちづくり活動を主たる目的とするNPO法人を設立。
友利 結(ともり ゆい、1967年9月21日 - )は、沖縄… 友利 結(ともり ゆい、1967年9月21日 - )は、沖縄県浦添市出身の元プロ野球選手(投手)。2014年シーズンより中日ドラゴンズの投手コーチを務める。
棚原 勝也(たなはら かつや、1965年6月2日 - )は、… 棚原 勝也(たなはら かつや、1965年6月2日 - )は、琉球朝日放送 (QAB) の社員で、同局の元アナウンサー。 沖縄県浦添市出身。沖縄大学卒業。 1990年に大学を卒業後、ラジオ沖縄 (ROK) に入社。同局のアナウンサーを務めた後、2001年4月に琉球朝日放送へ移籍した。 報道制作部在籍時には副部長を、報道部在籍時には専任部長ならびにキャスター室長を務めていた。社外では、2019年6月に母校沖縄大学の同窓会長に就任した。 2020年10月の人事異動で報道の場から離れ、編成局編成部の部長に就任した。
ボギー 手登根(ボギー てどこん、1963年〈昭和38年〉8… ボギー 手登根(ボギー てどこん、1963年〈昭和38年〉8月22日 - )は、 沖縄県浦添市出身の政治活動家。沖縄国際大学卒。実家は浦城タクシー経営。FM21「わんぬうむい」メインパーソナリティー、元日本のこころを大切にする党第四支部長、チャンネル桜沖縄支局キャスター。本名は手登根 安則(てどこん やすのり)。 2007年12月、手登根と飼い犬ボギーの交通安全啓発活動が『犬のおまわりさんボギー: ボクは、日本初の“警察広報犬”』という書籍となる。 2009年、2月8日投開票の浦添市会議員選挙に立候補したが落選。 2012年、手登根が県立那覇西高校のPTA会長をしていた際、同校で取り組んでいた「0校時」(勤務外の課外講座) の報酬が高すぎると批判、内外から波紋を呼んだ。
仲里 幸広(なかざと ゆきひろ、1963年7月2日 - )は… 仲里 幸広(なかざと ゆきひろ、1963年7月2日 - )は、日本のシンガーソングライター、タレント、ラジオパーソナリティ。元お笑い芸人。沖縄県浦添市出身。ミュージシャンとしてはユキヒロ名義で活動している。 美ら島沖縄大使(沖縄県観光親善大使)。 地元・沖縄県を中心に活動するミュージシャンであり、そのかたわらでタレントやラジオパーソナリティとしての活動を行っている。 代表曲の『HEIWAの鐘』『今日から明日へ』は、音楽の教科書に合唱曲としてアレンジされたものが掲載されている。とくに『HEIWAの鐘』(合唱編曲、白石哲也)は知名度がとりわけ高く、合唱曲の定番として全国的に歌われている。 沖縄県立大平高等学校時代の同級生であった嘉手苅智と「ニーニーズ」を結成。
上野 健一(うえの けんいち、1961年2月21日 - )は… 上野 健一(うえの けんいち、1961年2月21日 - )は、日本の実業家。不動産デベロッパー。REIWAグループ代表として、REIWAリゾート株式会社、ハートランド管理センター株式会社、株式会社千光住研、秀真建設株式会社の代表取締役を務める。1994年以降は上野玄津(うえの げんしん)の法名で僧侶としても活動。 1961年、沖縄県浦添市に生まれる。父が米軍で働いていたこともあり、子供の頃の友人はアメリカ人ばかりだったという。 1985年、理想都(リゾート)を作る「CCZ(Creative Capital Zone)プロジェクト」を考案。休眠分譲地の再開発・再整備事業を掲げ、小野平(兵庫県小野市)を「うぐいす台ニュータウン」と名付けて販売した。
宮城 篤正(みやぎ とくまさ、1939年 - )は、沖縄県浦… 宮城 篤正(みやぎ とくまさ、1939年 - )は、沖縄県浦添市出身の美術史研究者、博物館学芸員、琉球工芸研究者、大学教員、空手史研究者、美術評論家。沖縄県立芸術大学第5代学長、浦添市美術館初代館長、浦添市立図書館初代館長、沖縄民芸協会会長を歴任した。 沖縄県立博物館では琉球陶器や県内絵画遺品の調査研究に従事し、浦添市では市立図書館および美術館の開設・運営に関わった。沖縄美術・琉球工芸に関する監修・著作のほか、沖縄空手史に関する著作・連載でも知られる。 1939年、沖縄県浦添市に生まれる。1962年、琉球大学文理学部美術工芸科を卒業した。中学校美術教諭を経て、琉球政府立博物館、のちの沖縄県立博物館に勤務した。
宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日… 宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日 - 2021年〈令和3年〉9月3日)は、日本の政治家。元沖縄県浦添市長(1期)。位階は従五位。 浦添市生まれ。1951年(昭和26年)、沖縄県立首里高等学校卒業。卒業後は米軍基地で勤務した。1952年(昭和27年)、コザ教員訓練校卒。卒業後は沖縄県内で中学校教諭となる。本土復帰後の1975年(昭和50年)に沖縄教職員組合政治部長となった。1976年(昭和51年)、沖縄県議会議員選挙に浦添市選挙区から社会党公認で初当選を果たした。1980年(昭和55年)の県議選にも立候補したが、落選した。1984年(昭和59年)の県議選で当選し、返り咲きを果たした。