木村 健悟(きむら けんご、1953年9月4日 - )は、日… 木村 健悟(きむら けんご、1953年9月4日 - )は、日本の政治家、元男性プロレスラー、宮城野部屋所属の元大相撲力士、元歌手。品川区議会議員(4期)。現災害・環境対策特別委員長。区議会議員としては「木村けんご」名を使用。本名は、木村 聖裔(きむらせいえい)。愛媛県新居浜市出身。血液型B型。ニックネームは「稲妻戦士」。妻は東京都目黒区議会議員を6期務めた木村洋子。 1980年代の新日本プロレスにおいて、藤波辰巳の盟友および抗争相手として活躍した。2003年の引退後は実業家を経て、区議会議員であった夫人の影響で2011年に自らも政治家に転身した。 1969年、大相撲の宮城野部屋に入門、木村山(きむらやま)の四股名で同年7月場所初土俵。
4代 木村 正直(よんだい きむらまさなお、1953年8月3… 4代 木村 正直(よんだい きむらまさなお、1953年8月3日 - 2013年1月29日)は、大相撲の元三役格行司である。朝日山部屋所属。 岐阜県多治見市出身。本名は山内幸久(やまうち ゆきひさ)。 3代木村正直(後の立行司24代式守伊之助)に入門。1969年5月場所、木村幸久の名で初土俵。1971年7月に2代木村正義(まさよし)。1984年1月に幕下格ながら4代木村正直襲名。1990年1月に十両格、2003年1月には幕内格、2008年9月に三役格に昇格。 甲高く、ややしゃがれた声が印象的であり、声量が豊かだった。所作は師匠よりも派手で、この独特の所作は賛否両論であった。その所作が災いしたり、年齢を重ねてきたせいもあって、微妙な一番で差し違いが多く見られた。
大橋 直松(おおはし なおまつ、1953年4月5日 - )は… 大橋 直松(おおはし なおまつ、1953年4月5日 - )は、秋田県南秋田郡飯田川町(現・潟上市)出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は門間 静広(もんま しずひろ)。179cm、97kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、吊り、上手投げ。 1969年7月場所で初土俵、1975年5月場所で十両に昇進。しかし、その場所は5勝10敗と大きく負け越して1場所で陥落した。その後も幕下で3場所連続で負け越し、1976年1月場所では三段目に陥落、1場所で幕下へ復帰するも十両復帰は果たせずに1977年7月場所限りで引退。
2代目 若乃花 幹士(わかのはな かんじ、1953年4月3日… 2代目 若乃花 幹士(わかのはな かんじ、1953年4月3日 - 2022年7月16日)は、青森県南津軽郡大鰐町出身で二子山部屋に所属した大相撲力士、第56代横綱。本名は下山 勝則(しもやま かつのり)。引退後は年寄・間垣。 大関時代までの四股名は「若三杉」だったが、横綱昇進を機に師匠の四股名「若乃花」を継承した(大関まで名乗った若三杉も当時部屋付き年寄だった11代荒磯の元関脇若三杉彰晃の四股名を継承したものである。)身長186cm、体重133kg。血液型はA型。現役時代の愛称は下の名前の勝則から「カンボ」と呼ばれていた。師匠であった初代若乃花の娘婿となったが、後に離婚。 小学校二年から青森県下の相撲大会に出場、大鰐地区の小学生相撲大会で4年連続優勝、中学2年の夏休みの作文には「将来は横綱か大関になりたい」と書いた。
麒麟児 和春(きりんじ かずはる、1953年3月9日 - 2… 麒麟児 和春(きりんじ かずはる、1953年3月9日 - 2021年3月1日)は、千葉県柏市出身(出生時は東葛飾郡柏町)で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は垂澤 和春(たるさわ かずはる)。最高位は東関脇。現役時代の体格は182cm、146kg。得意技は突っ張り、押し、左四つ、寄り。引退後は年寄・北陣として後進を指導し、停年まで協会に属していた。 12代式守錦太夫は甥。 父は国鉄の駅長を務めていたので夜勤が多く、病気がちな母を助けるために姉と二人でよく家事を手伝っていたという。小学2年生から柔道を行っていたが、柏市立柏第二中学校入学時に90キロに達した体格を生かして柔道の大会で活躍したため、相撲を志すようになったという。
金城 興福(かねしろ こうふく、1953年2月27日 - 2… 金城 興福(かねしろ こうふく、1953年2月27日 - 2002年12月29日)は、宮崎県児湯郡高鍋町大字北高鍋出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。 1979年3月場所から1985年1月場所まで、大関・栃光正之に因んだ栃光 興福(とちひかり こうふく)の四股名に改名していたため、一般的には「栃光」の四股名で知られている。最高位は西関脇(1977年7月場所)。現役当時の体格は185cm、144kg。得意手は右四つ、寄り、下手投げ。 宮崎日本大学高校では柔道やレスリングで活躍し、在学中にRKB毎日放送の社員に見出され、そこからTBSの小坂秀二アナウンサーを通して春日野親方(元横綱・栃錦)を紹介された。
石川 孝志(いしかわ たかし、1953年2月5日 - )は、… 石川 孝志(いしかわ たかし、1953年2月5日 - )は、日本の元プロレスラー、花籠部屋所属の元大相撲力士。 石川 隆士および石川 泰士のリングネームでも活動していた(読みは同じ)。大相撲時代は大ノ海(おおのうみ)の四股名で活躍、最高位は西前頭4枚目。大相撲時代は身長179cm、体重123kg。 中学時代までは野球少年であったが、酒田南高等学校進学後に相撲に没頭、国民体育大会高校の部で優勝するなど実力を発揮、素質にも恵まれ、この時点で相撲部屋からのスカウトもあったがこれを断り日本大学に進学。名門日大相撲部で活躍し、全日本相撲選手権大会に優勝してアマチュア横綱など数多くのタイトルを獲得、主将も務めたが4年時に糖尿病を患った。
江戸の華 重信(えどのはな しげのぶ、1952年12月24日… 江戸の華 重信(えどのはな しげのぶ、1952年12月24日 - 2006年12月29日)は、東京都江東区出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。本名は山本 重信(やまもと しげのぶ)。最高位は三段目東37枚目(1976年11月場所)。弓取力士として有名だった。 1968年に三保ヶ関部屋へ入門し、同年5月場所初土俵を踏む。 相撲では序二段と三段目の往復に終始したが、三段目在位時の1975年7月場所6日目から弓取式を担当し、最終出場場所となった1982年7月場所千秋楽まで約7年間弓取をしていた(途中、1976年3月場所に3日間だけ春日野部屋の太晃山が代役を務めた)。弓取の通算出場回数637回は2024年7月17日まで歴代1位の記録であった。
隆の里 俊英(たかのさと としひで、1952年(昭和27年)… 隆の里 俊英(たかのさと としひで、1952年(昭和27年)9月29日 - 2011年(平成23年)11月7日)は、青森県南津軽郡浪岡町(現・青森市)出身で二子山部屋に所属した大相撲力士。第59代横綱。本名は高谷 俊英(たかや としひで)。 現役時代は身長181cm、体重158㎏。得意手は、右四つ、寄り、吊り、上手投げ。引退後は年寄・鳴戸を襲名。鳴戸部屋師匠として稀勢の里、髙安、若の里、隆乃若ら7人の関取を育成した。 浪岡町の農家の次男に生まれる。春は雪囲いの片づけをして、苗代作り、リンゴの授粉、秋は「身体が大きいから人より持たないとバカにされる。」と思いながら稲刈りを手伝い、ヤギの乳をビール瓶に詰めて学校に持っていって育った。
琴ヶ嶽 綱一(ことがたけ こういち、 1952年9月24日 … 琴ヶ嶽 綱一(ことがたけ こういち、 1952年9月24日 - 2024年2月24日)は、北海道川上郡弟子屈町出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は竹内 孝一(たけうち こういち)。最高位は西前頭筆頭(1977年5月場所)。現役時代の体格は186cm、114kg。得意手は左四つ、吊り。 実家は農家で、牛乳配達のアルバイトや父の内職を手伝うなどした事が、体を作る下地になったという。力士を志したのは、中学3年生の時の事である。 上京して佐渡ヶ嶽部屋に入門し、1967年11月場所にて、15歳で初土俵。翌年1月、「琴緑」の四股名で序ノ口に付いた。 以来順調に番付を上げ、1974年1月、21歳で新十両昇進。
蔵玉錦 敏正(ざおうにしき としまさ、1952年9月3日 -… 蔵玉錦 敏正(ざおうにしき としまさ、1952年9月3日 - 2020年8月9日)は、山形県山形市出身で鏡山部屋(入門時は伊勢ノ海部屋)に所属した大相撲力士。本名は安達 敏正(あだち としまさ)。現役時代の体格は183cm、141kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は西前頭筆頭(1981年1月場所)。 兄2人、妹1人の4人兄妹の三男として生まれた。小学校4年生の頃から体がどんどん大きくなり、スポーツも万能で陸上、柔道、水泳が特に好きだった。高校野球の名門である日本大学山形高等学校に在学中は学業面でも英語や数学が得意であり、日本大学工学部への推薦入学も内定していた。 しかしこの頃、創設間近だった元横綱・柏戸の鏡山部屋の庄内後援会会員で土地相撲でも活躍する知人に見出されて、勧誘された。
谷嵐 久(たにあらし ひさし、1952年4月16日 - 20… 谷嵐 久(たにあらし ひさし、1952年4月16日 - 2010年10月19日)は、大分県中津市出身(出生地は福岡県北九州市)で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山口 久(やまぐち ひさし)。現役時代の体格は181cm、128kg。最高位は西前頭4枚目(1979年3月場所)。得意手は突き、押し、寄り。 次男は元プロ野球選手の山口俊。 大分県立中津工業高校に入学してから相撲を始め、3年生の時には全国大会に出場し上位入賞するなど活躍した。高校卒業直前に、知人の紹介で時津風部屋へ入門。1971年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同一の「山口」。 序ノ口に付いた翌3月場所で7勝0敗と好成績を残して序ノ口優勝を果たすなど、入門直後から周囲の期待が高かった。
琴立山 兼滋(ことたてやま かねしげ、1952年3月15日 … 琴立山 兼滋(ことたてやま かねしげ、1952年3月15日 - )は、富山県富山市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は高井 重明(たかい しげあき)。187cm、112kg。最高位は西十両7枚目。得意技は突き、左四つ、上手投げ。 1967年9月場所に初土俵、1976年11月場所で新十両。長身を活かした左四つからの上手投げを得意としたが、腰痛を患っていたこともあって立ち合いが甘く、十両中位の壁を破れなかった。1981年3月場所限りで廃業。 琴立山は9度改名している。 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
晃山 昌士(こうざん まさし、1951年6月14日 - )は… 晃山 昌士(こうざん まさし、1951年6月14日 - )は、青森県五所川原市出身で高島部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 力雄(旧姓・蒔田)。184cm、115kg。最高位は西十両筆頭。得意技は突き、押し。 1965年7月場所初土俵、1974年5月場所十両昇進、以後8場所連続で十両在位したが入幕ならず、1975年9月場所に幕下陥落、1980年9月場所限りで廃業。
貴ノ山 英二(たかのやま えいじ、1951年6月1日 - )… 貴ノ山 英二(たかのやま えいじ、1951年6月1日 - )は、現在の北海道根室市出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は田村 英二(たむら えいじ)。181cm、95kg。最高位は西十両11枚目。 得意技は左四つ、上手投げ。 子供の頃は野球をしており、ポジションは一塁手で5番打者を務めた。砲丸投げでも活躍したが、相撲では根室市立柏陵中学校3年生の時に根室市大会で優勝した。その活躍ぶりから、二子山の知人に見出されて勧誘されたが、相撲は大して好きではなかったので逃げていた。しかし、中学校を卒業する頃に東京見物のつもりで行く気に変わり、上京して二子山部屋に入門した。1966年9月場所に15歳で初土俵。
出羽の花 義貴(でわのはな よしたか、1951年5月13日 … 出羽の花 義貴(でわのはな よしたか、1951年5月13日 - )は、青森県北津軽郡中泊町(旧・同郡中里町)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は野村 双一(のむら そういち)。現役当時の体格は185cm、125kg、最高位は、東関脇。得意手は右四つ、寄り、出し投げ、小股掬い。 引退後は年寄・出来山を襲名し、出羽海部屋付きの親方として後進を指導する傍ら、日本相撲協会では理事を1期務めた。 青森県立五所川原農林高等学校を卒業後、日本大学に進学し、相撲部では学生横綱の栄位を獲得するなど活躍した。 日大出身ということで花籠部屋入りも噂されていたが、大学卒業直前に、元力士であった従兄(小山内清三、元前頭13・出羽ノ花好秀)の紹介で、出羽海部屋への入門を決意。
黒瀬川 國行(くろせがわ くにゆき、1951年5月13日 -… 黒瀬川 國行(くろせがわ くにゆき、1951年5月13日 - )は、東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市、出生地は福岡県福岡市)出身で伊勢ヶ濱部屋所属の元大相撲力士。本名は酒井 健作(さかい けんさく)。最高位は西小結。身長184cm、体重133kg、得意手は左四つ、寄り。引退後は年寄・20代桐山を襲名し、桐山部屋を運営した。 税務署員の二男で、小学生の頃から伊勢ヶ濱部屋に出入りをしていたが中学2年次に正式に入門し、1966年1月場所で初土俵。左差しを素早く返し、右上手を浅く引いて寄る、正攻法で理詰めと言える玄人好みの技巧派で、正攻法の取り口だったが、真面目すぎる性格が災いし、大勝ちがなく三賞受賞は1回もなかった。
播竜山 孝晴(ばんりゅうやま たかはる、1951年5月4日 … 播竜山 孝晴(ばんりゅうやま たかはる、1951年5月4日 - )は、兵庫県龍野市(現・同県たつの市)神岡町出身で三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は田口 孝晴(たぐち たかはる)。現役時代の体格は178cm、145kg。最高位は西小結(1978年11月場所)。得意手は右四つ、突き、押し、寄り、出し投げ。 引退後は年寄・待乳山として後進の指導に当たった。 龍野市立神岡中学校在学時より相撲を始め、創設されたばかりの同中学校の相撲部では、主力選手として活躍した。 三保ヶ関親方(元大関・初代 増位山)の熱心な勧誘を受けて中学在学中に三保ヶ関部屋へ入門し、1966年11月場所で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は、故郷の川に因んだ「揖保川」。
玉輝山 正則(たまきやま まさのり、1951年4月29日 -… 玉輝山 正則(たまきやま まさのり、1951年4月29日 - )は、福岡県糸島郡前原町(現役当時、現在の同県糸島市)出身で片男波部屋に所属した元大相撲力士。本名は萩尾 正則(はぎお まさのり)。現役時代の体格は182cm、141kg。 最高位は西小結(1979年7月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 片男波親方(元関脇・玉乃海)の知人の紹介で、1963年1月、小学校在学中に片男波部屋へと入門。翌年5月場所に於いて、13歳で初土俵を踏んだ。 序ノ口当初から、「玉輝山」の四股名で相撲を取った。兄弟子の玉の海に稽古を付けてもらい、右四つの相撲ぶりや体格が玉の海に似ていたことから、周囲から「玉の海二世」と期待をかけられた。
舛田山 靖仁(ますだやま やすひと、1951年4月10日 -… 舛田山 靖仁(ますだやま やすひと、1951年4月10日 - )は、石川県七尾市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は舛田 茂(ますだ しげる)。身長187cm、体重152kg。最高位は東関脇(1983年9月場所)。引退後は年寄・千賀ノ浦→常盤山→千賀ノ浦、血液型はO型。 小学校時代は野球もやっていたが、中学時代から本格的に相撲を始め、高校時代には全国高等学校相撲選手権大会で優勝して、高校横綱となる。拓殖大学に進学すると、全国学生相撲選手権大会で決勝に残るなど活躍した。同大学卒業時には地元の金沢市役所への就職が内定していたが、それを蹴って大学卒業と同時に一番初めに誘いのあった春日野部屋へ入門。
蜂矢 敏行(はちや としゆき、1950年11月16日 - 2… 蜂矢 敏行(はちや としゆき、1950年11月16日 - 2001年1月27日)は、岐阜県本巣郡根尾村(※現役当時、現在の同県本巣市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名同じく蜂矢 敏行。最高位は西前頭6枚目(1984年11月場所)。現役時代の体格は180cm、110kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。 地元・根尾村の中学校を卒業後、愛知県犬山市のスーパーマーケットに勤務していたが、1967年7月に相撲見物に行った事を切っ掛けに相撲取りになる事を決意。しかし、体重が規定の75kgより下回っていたため、その後故郷に戻って体重増加に努めた。 1年後、春日野部屋への入門を許され、1968年9月場所で初土俵を踏んだ。
北ノ花 吉保(きたのはな よしやす、1950年6月13日 -… 北ノ花 吉保(きたのはな よしやす、1950年6月13日 - )は、青森県むつ市(当時は下北郡田名部町)出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤井 光雄(ふじい みつお)。身長181cm、体重107kg。最高位は西十両4枚目。得意技は右四つ、投げ、突き。 初土俵は1969年5月場所、1978年3月場所に新十両。新十両の場所では11勝4敗の好成績を挙げ、優勝決定戦まで進んだが、優勝決定戦では同じ青森県出身で同じ二子山部屋の大觥に吊り出しで敗れ、優勝はならなかった。1980年5月場所をもって廃業。 引退後は地元むつ市に戻ってちゃんこ屋を開いたが、のちに転向して藤井カイロ整体を開いた。
飛島 正(とびしま ただし、1950年5月3日 - )は、山… 飛島 正(とびしま ただし、1950年5月3日 - )は、山形県酒田市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 正(たかはし ただし)。176cm、98kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、寄り、捻り。 実家は農家で、中学時代は野球部に所属し、エースを務めた。当時としても小柄であったが、大相撲の世界の扉を叩いた。1965年11月場所に初土俵。1971年7月場所に十両昇進を果たすも3勝12敗と大敗を喫し、翌9月場所に幕下陥落。十両在位は1場所に終わった。1978年9月場所に28歳で廃業。左四つで食い下がれば頭捻りを引き、離れれば掻っ撥いたり引っ掛けたりと俊敏さと粘り強さを活かした取り口であった。
千代櫻 輝夫(ちよざくら てるお、1950年4月14日 - … 千代櫻 輝夫(ちよざくら てるお、1950年4月14日 - )は、北海道瀬棚郡今金町出身で、九重部屋(入門時は出羽海部屋)に所属した元大相撲力士。本名は斎藤 輝夫(さいとう てるお)→藤岡 輝夫(ふじおか -)、最高位は東前頭5枚目(1977年3月場所)。現役時代の体格は182cm、107kg。得意手は左四つ、突っ張り、上手投げ。 中学卒業後、若狭龍太郎氏(地元で、中学校の校長などを務めていた)の紹介で出羽海部屋へ入門し、1966年3月場所にて初土俵を踏んだ。なお、当初の四股名は、本名を少し弄った「斉藤」であった。 その後、部屋付きの九重親方(元横綱・千代の山)の独立に同行し、1967年3月より九重部屋に移籍。
大受 久晃(だいじゅ ひさてる、1950年3月19日 - )… 大受 久晃(だいじゅ ひさてる、1950年3月19日 - )は、北海道瀬棚郡瀬棚町(現:久遠郡せたな町)出身で高嶋部屋に所属した元大相撲力士。本名は堺谷 利秋(さかいや としあき)。現役時代の体格は身長177cm、 体重148kg。最高位は東大関。年寄・朝日山利秋として、朝日山部屋の経営にも携わった。 小学校6年生の時の修学旅行で泊まった函館の駅前の江差屋旅館が高島部屋の勧誘を担当していたため、太った体を見込まれて入門を誘われた。中学に入ると間もなく高島親方(元大関・三根山)が北海道の実家まで訪ねたため、他の部屋からも1件勧誘があったがわざわざ家まで来てくれた高島親方のために高島部屋への入門を決意。
白根山 宗則(しらねやま むねのり、1950年3月11日 -… 白根山 宗則(しらねやま むねのり、1950年3月11日 - )は、現在の山梨県南アルプス市出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は深澤 宗則(ふかざわ むねのり)。188cm、113kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、吊り。 中学卒業後に地元郵便局に1年半勤務後、大相撲を志し、猛反対する両親を兄に説得してもらい入門を果たした。1966年9月場所に16歳で初土俵。三段目を1場所で突破するなど順調に出世し、1968年5月場所に18歳の若さで幕下へ昇進するが7戦全敗と跳ね返された。その後は幕下と三段目を往復する日々が続いていたが、1971年頃から幕下に定着し、1972年3月場所に22歳で十両昇進を果たした。
双津竜 順一(ふたつりゅう じゅんいち、1950年〈昭和25… 双津竜 順一(ふたつりゅう じゅんいち、1950年〈昭和25年〉2月28日 - 2014年〈平成26年〉8月12日)は、北海道室蘭市出身で時津風部屋に所属していた元大相撲力士。本名は山本 順一(やまもと じゅんいち)。身長185cm、体重171kg。最高位は東小結(1979年7月場所)。得意技は右四つ、寄り。現役時代のニックネームは「ゾウさん」。後述の理由により、角界追放後は報道などでは本名の「山本順一」で一般的に紹介されることが多い。 1950年、製鉄所勤務の父の3人兄弟の長男として室蘭市で生まれた。中学在学中、時津風部屋に入門。1963年9月場所前に新弟子検査に合格したが、実際に前相撲を取ったのは翌1964年1月場所である。
16代 木村 玉光(きむら たまみつ、本名:上田 延秀(うえ… 16代 木村 玉光(きむら たまみつ、本名:上田 延秀(うえだ のぶひで)、1950年2月27日 - 2017年5月12日)は、大相撲の元三役格行司。現役時代は花籠部屋 → 放駒部屋 → 芝田山部屋所属。京都府宇治市出身。 大ノ海久光(11代花籠親方)が師匠を務めた花籠部屋に中学校を卒業して入門し、1965年5月場所初土俵。序ノ口格で15代木村玉光の付け人になり、1988年1月場所に十両格昇進。木村信孝を経て、2006年5月場所に16代木村玉光を襲名。2007年9月に三役格に昇格。木村玉光の名跡で三役格に昇格したのは、1958年5月場所の14代玉光(のち9代木村庄九郎、25代木村庄之助)以来49年ぶりであった。
貴ノ花 利彰(たかのはな としあき、1950年2月19日 -… 貴ノ花 利彰(たかのはな としあき、1950年2月19日 - 2005年5月30日)は、北海道室蘭市出身(番付上は青森県)で二子山部屋に所属した大相撲力士。本名は花田 満(はなだ みつる)。最高位は東大関。身長183センチメートル (cm)、体重114キログラム (kg)、血液型はB型。得意技は左四つ、寄り、吊り、上手投げ。「土俵の鬼」と謳われた第45代元横綱で初代若乃花の弟である血統と、細身で均整に優れる体格と甘いマスクから「角界のプリンス」と称され、大相撲と日本のスポーツで人気を博す。位階は従五位、旭日小綬章受章。 1993年に次男の花田光司が四股名を「貴花田」から「貴ノ花」へ改名後は「初代貴ノ花」や「先代貴ノ花」など称される。
天龍 源一郎(てんりゅう げんいちろう、1950年2月2日 … 天龍 源一郎(てんりゅう げんいちろう、1950年2月2日 - )は、日本の元男性プロレスラー、元大相撲力士、タレント。本名は嶋田 源一郎(しまだ げんいちろう)。福井県勝山市出身。身長189cm、体重120kg(力士時代は身長186cm、体重112kg)。血液型A型。所属事務所はMILLENNIUM PRO。エクセリングと業務提携している。 多くの同年代レスラーが年齢とともに引退および前座でファンを楽しませる役割に回るなか、天龍は65歳まで第一線で活躍。日本のプロレス界において「生ける伝説(Living Legend)」として一目置かれる存在だった。 福井県の勝山市にて農家の長男として生まれる。
忍の山 剛(おしのやま つよし、1950年1月29日 - )… 忍の山 剛(おしのやま つよし、1950年1月29日 - )は、島根県大田市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は清水 光範(しみず みつのり、旧姓は森脇(もりわき))。186cm、99kg。最高位は東十両8枚目。得意技は突き、押し。 小学校では野球やサッカーが好きで、中学校では水泳部に所属して自由形を得意としていた。中学卒業後は家業を手伝うために職業訓練所に入所したが、約1年後に実家へ戻ると家業が潰れていたので土建会社「三和開発」に就職して土方を務めた。しかし、社長と喧嘩して関係が悪くなったことで退社し、隠岐島で汽船会社に入社したが、前の会社と変わらず喧嘩が絶えない様子を見かねた元島根県相撲連盟理事の重役が「お前みたいな極道者は相撲社会で一から出直せ」と、重役の弟である栃桜が居る春日野部屋への入門を命じた。
錦洋 幸治(にしきなだ こうじ、1950年1月3日 - 20… 錦洋 幸治(にしきなだ こうじ、1950年1月3日 - 2009年7月16日)は、鹿児島県鹿屋市出身で君ヶ浜部屋(入門時は井筒部屋)に所属した大相撲力士。本名は川崎 悟(かわさき さとる)。最高位は東前頭筆頭(1972年3月場所)。現役時代の体格は178cm、150kg。得意手は押し、右四つ、寄り。 1974年7月大峩 悟(たいが さとる)に改名。 井筒親方(元前頭2・鶴ヶ嶺道芳)の勧誘を受けて、中学を卒業後に井筒部屋へ入門。1965年3月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名でもある「川崎」。初土俵の同期には、後の大関・大受や前頭・吉王山らがいる。以来、井筒部屋のホープとして期待された。 押しを武器に順調に番付を上げ、1968年11月場所では18歳で十両に昇進。
神幸 勝紀(しんこう かつのり、1950年1月2日 - )は… 神幸 勝紀(しんこう かつのり、1950年1月2日 - )は、山形県西置賜郡小国町出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は小林 二男(こばやし ふたお)。最高位は西前頭8枚目(1980年7月場所)。現役時代の体格は188cm、136kg。得意手は左四つ、上手投げ。 小国町立小国中学校在学時より柔道で活躍し、地元の県立小国高校でも柔道を続け、2段まで昇った。2年生の時、伊勢ヶ濱親方(元横綱・照國)のスカウトを受け、高校を中退して伊勢ヶ濱部屋に入門。1966年9月、16歳で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の大関・魁傑らがいる。 当初の四股名は、本名と同一の「小林」。その後、「大神幸」(1967年3月場所~)から「神幸」(1970年1月場所~)へと2度四股名を改めたが、「大神幸」「神幸」という名はいずれも自分で付けたものである(「神幸祭」に因む、という)。
秀男(ひでお、1949年12月28日 - )は、大相撲の元呼… 秀男(ひでお、1949年12月28日 - )は、大相撲の元呼出。本名は山木秀人(ひでひと)。伊勢ヶ濱部屋、桐山部屋を経て最後は朝日山部屋所属だった。血液型はA型[要出典]。 静岡県下田市出身。相撲部屋の先輩呼出である幸太郎に名付けられた。呼び上げの美声で相撲ファンから愛され、「土俵上の妖精」の異名を持つ。 1969年3月場所で初土俵。2003年5月場所より副立呼出に昇進。2008年1月場所番付発表の12月20日から立呼出に昇進。戦後生まれ初の立呼出となった。2003年7月場所限りで康夫が停年退職したため、翌9月場所からは秀男が呼出のトップとなり、結びの一番の呼び上げを担当していた。2014年12月27日に停年退職した。
大車輪 松五郎(だいしゃりん まつごろう、1949年9月25… 大車輪 松五郎(だいしゃりん まつごろう、1949年9月25日 - )は、石川県小松市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は小坂 芳正(おさか よしまさ)。178cm、105kg。最高位は西十両6枚目。得意技は左四つ、寄り。 農家を営む実家に生まれ、丸の内中学校2年生の時に上京して入門し、上京するにあたって両国中学校に転校した。1964年5月場所に初土俵。1973年3月場所に新十両。その場所は8勝7敗と勝ち越すが、翌5月場所は3勝12敗と大きく負け越し、幕下へ陥落。幕下に陥落してからもしばらく低迷していたが、1977年3月場所に4年ぶりに十両に復帰する。復帰した場所は8勝7敗と新十両以来となる勝ち越しを決めるが、翌5月場所は3勝12敗と大きく負け越し、再度幕下へ陥落。
修羅王 政勝(しゅらおう まさかつ、1949年7月15日 -… 修羅王 政勝(しゅらおう まさかつ、1949年7月15日 - 没年不明)は、東京都西多摩郡奥多摩町出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は江戸 政勝(えど まさかつ)。187cm、175kg。最高位は東十両4枚目。 1963年5月場所に初土俵。1971年3月場所に十両昇進、1975年5月場所限りで廃業。
大旺 吉伸(だいおう よしのぶ、1949年6月23日 - )… 大旺 吉伸(だいおう よしのぶ、1949年6月23日 - )は、富山県新湊市八幡町(現・同県射水市八幡町)出身で二子山部屋に所属した大相撲力士。本名は荒谷 邦治(あらたに くにはる)。身長186cm、体重106kg。最高位は東前頭4枚目(1975年1月場所)。得意手は右四つ、上手投げ、吊り。 「そっぷ型」力士の典型とされた。 1964年、15歳で角界入り。同年11月場所で初土俵を踏み、翌年3月場所にて、「若神(わかじん)」の四股名で序ノ口に付いた。 その後、「大旺」→「威光(いつひかり)」と2度改名したが、1972年3月場所で「大旺」に再改名してからは廃業までそのまま通した。 新十両昇進は、1972年5月場所。
荒勢 永英(あらせ ながひで、1949年6月20日 - 20… 荒勢 永英(あらせ ながひで、1949年6月20日 - 2008年8月11日)は、高知県吾川郡伊野町(現在のいの町)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士、エイビープロモーションに所属していたタレント。本名は荒瀬 英生(あらせ ひでお)。芸名は荒勢(あらせ)、最高位は東関脇(1976年5月・7月場所、1977年3月場所、9月場所〜1978年3月場所、1980年3月・5月場所)。大相撲時代の体格は身長177cm、体重151kg。得意手は右四つ、寄り。公認候補者として所属した自由連合では、組織委員会文化スポーツ局次長を務めた。 実家は農家。高知中学校在学時より相撲を始め高知高校、日本大学と相撲部で活躍し、大学3年時には全日本相撲選手権大会で3位に入賞している。
吉王山 修(よしおうやま おさむ、1949年5月20日 - … 吉王山 修(よしおうやま おさむ、1949年5月20日 - )は、熊本県八代市迎町出身で三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は吉村 修(よしむら おさむ)。現役時代の体格は185cm、131kg。最高位は東前頭2枚目(1972年3月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 幼少の頃から体が大きく、小学校3年生の時、三保ヶ関親方(元大関・増位山(先代))に見初められた。以来、近所の人達から「将来は相撲取りに」と大相撲入りを勧められ、地元の中学校を卒業後三保ヶ関部屋へ入門。1965年3月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の大関・大受らがいる。 序ノ口当初から「吉王山」を名乗り、以後、引退まで一度も改名する事は無かった。
大納川 憲治(だいながわ けんじ、1949年5月17日 - … 大納川 憲治(だいながわ けんじ、1949年5月17日 - )は、広島県吉田町出身で木瀬部屋所属の元大相撲力士。本名は長本 憲治(ながもと けんじ)。最高位は幕下11枚目。力士時代の体格は身長180cm、体重120kg。得意手は右四つ、寄り。 1965年5月場所初土俵(同期には元大関貴ノ花)。1969年3月場所三段目優勝。 昭和40年代半ばより甚句を唄い始める。 昭和50年代は、相撲甚句のトリを務める。巡業中などは彼の甚句を聴きたいがために親方衆、関取衆がわざわざ出向いて聴き惚れたと云う伝説を持つ。 最終場所は1980年9月場所。現役時代より歌唱力の高さを評価され数社よりレコードを発売する。 現在は、全国大納川相撲甚句会の総師範として活躍中。
吉の谷 彰俊(よしのたに あきとし、1949年4月23日 -… 吉の谷 彰俊(よしのたに あきとし、1949年4月23日 - 2000年1月14日)は、長崎県南松浦郡三井楽町(現・同県五島市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は吉谷 作利(よしたに さくとし)。最高位は西前頭4枚目(1974年9月場所)。現役時代の体格は177cm、104kg。得意手は右四つ、足取り、下手投げ。 五島列島の福江島出身で、同郷の横綱・佐田の山に憧れて、中学校卒業後に彼が所属する出羽海部屋へ入門。1965年5月場所に於いて、16歳で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は、本名でもある「吉谷」。 三段目で3年半ほど苦労し、途中「宇戸の山」と改名したが1年ほどで本名に「の」の字を挟んだ「吉の谷」と四股名を改めた。
栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 -… 栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 - )は、千葉県千葉市出身で、大和証券バスケットボール部所属の元バスケットボール選手、春日野部屋所属の元大相撲力士。本名は浜中 忠(はまなか ただし)、旧姓は大野。大相撲時代は身長191cm、体重95kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。最高位は東十両13枚目(1973年9月場所)。父も元力士で、大野山の四股名で三段目まで昇進した。 千葉商業高校卒業後は、身長191cmの体格を見込まれて大和証券バスケットボール部に入社し、いきなり主力となり、1967年に行われた第22回全日本実業団競技大会で活躍、チームの日本リーグ入りに大いに貢献した。バスケットボールを続けていれば1972年ミュンヘンオリンピック日本代表入りを果たせると言われたほどの大器であったが「バスケットじゃ飯が食えない。
金剛 正裕(こんごう まさひろ、1948年11月18日 - … 金剛 正裕(こんごう まさひろ、1948年11月18日 - 2014年8月12日)は、北海道雨竜郡一已村(現・深川市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は北村 正裕(きたむら まさひろ、旧姓:吉沢)。得意技は右前褌、寄り。最高位は東関脇。 1948年に北海道で生まれる。兄弟と同じく運動神経が抜群で、特に音江中学校時代は野球で剛速球投手・4番打者として活躍し、北海高等学校から勧誘されるほどだった。しかし勉強が嫌いで進学意識が全く無かったことと、1963年の夏の巡業で訪れた大鵬幸喜に憧れて力士を志すようになり、兄弟の反対を押し切って深川ハイヤーの社長の協力で二所ノ関部屋に入門した。1964年5月場所で「大吉沢」の四股名で初土俵を踏んだ。
増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいし… 増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいしろう」、1948年11月16日 - 2025年6月15日)は、東京都墨田区(大相撲の登録上は兵庫県姫路市)出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。最高位は東大関。 引退後は10代三保ヶ関として三保ヶ関部屋師匠を務めた。日本相撲協会を定年退職した後は本格的に歌手(ムード歌謡・演歌)として活動し、ゴールデンミュージックプロモーションに所属した。 7代目増位山。大関・増位山大志郎の長男として東京の三保ヶ関部屋で生まれる。生まれも育ちも東京都であるが、日本相撲協会発表の出身地は実父と同じ兵庫県姫路市となっており、番付の出身地欄も「兵庫」と記されていた。
青葉城 幸雄(あおばじょう ゆきお、1948年11月14日 … 青葉城 幸雄(あおばじょう ゆきお、1948年11月14日 - )は、宮城県仙台市太白区出身で押尾川部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した元大相撲力士。本名は庄司 幸雄(しょうじ ゆきお)。現役時代の体格は181cm、152kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。最高位は西関脇(1983年7月場所)。愛称は「土俵の鉄人」。初土俵(序ノ口)以来1630回の連続出場記録保持者であった。 中学時代はサッカー部に所属していた一方で、小学5年生の頃から自転車やサッカースパイクを買うために新聞配達を行っていた。この新聞配達を冬の雪の中でもひたすら行ったことが、健康面や精神面の修養に効果をもたらした。相撲経験は皆無であったが、横綱・大鵬のような力士になりたいと卒業直前に力士を志し、アルバイトで貯めた金で上京して大鵬が所属する二所ノ関部屋に出向き入門を許可された。
黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 … 黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 - 2019年4月25日)は、新潟県西頸城郡青海町(現在の糸魚川市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は田中 秀男(たなか ひでお)。現役時代の体格は182cm、147kg。得意手は押し、右四つ、寄り。最高位は東関脇。四股名の由来は出身地旧青海町の黒姫山から。 幼少期はプロレスラーに憧れており、プロレスの新聞記事の切り抜きを集めたり、兄弟とプロレスごっこをして過ごしていた。出稼ぎに出た父親が戻ってこず、中学卒業後に家の家計を助けるために大相撲入りを決断し、1964年3月場所において初土俵を踏んだ。 入門前の田中にとってヒーローはとにかく力道山であり、相撲は全く好きではなかった。
磐石 博文(ばんじゃく ひろふみ、1948年10月21日 -… 磐石 博文(ばんじゃく ひろふみ、1948年10月21日 - 2001年8月22日)は、奈良県御所市出身で朝日山部屋に所属した元大相撲力士。本名は辻川 博文(つじかわ ひろふみ)(旧姓・萩山)。177cm、150kg。最高位は東十両8枚目。得意技は右四つ、寄り。 中学生の時に朝日山が訪ねて来て「夏休みに1度、東京へ遊びにおいで。ゆっくり東京見物させてあげるよ」と言われたので、相撲は嫌いだったが喜んで上京した。朝日山部屋の人達が親切に接してきたので、我慢して過ごしている内に入門を決意し、入門するにあたって墨田区立堅川中学校に転校した。1962年9月場所に初土俵。1969年9月場所に新十両昇進、翌11月場所に四股名を磐石に改める。
桜田 一男(さくらだ かずお、1948年9月26日 - 20… 桜田 一男(さくらだ かずお、1948年9月26日 - 2020年1月12日)は、日本のプロレスラー、大相撲力士。北海道網走市出身。本名(戸籍上の表記):櫻田 一男(読みは同じ)。ケンドー・ナガサキのリングネームで知られる。 父は網走刑務所の職員だった。中学卒業後大相撲の立浪部屋に入門し、1964年1月初土俵。1966年9月場所には序二段で全勝優勝を果たしている。同期には島田(後の天龍源一郎)がいる。本名の櫻田の後『網走洋(あばしりなだ)』『翠巒(みどりみね)』の四股名を名乗るが、先輩力士とのトラブルに端を発して部屋の親方と反りが合わなくなり、1971年3月廃業。同年日本プロレスに入門し、6月27日に戸口正徳戦でデビューした。
北瀬海 弘光(きたせうみ ひろみつ、1948年7月2日 - … 北瀬海 弘光(きたせうみ ひろみつ、1948年7月2日 - )は、北海道瀬棚郡北檜山町(現・久遠郡せたな町)出身で九重部屋(入門時は出羽海部屋)所属の元大相撲力士。本名は土谷 孝(つちや たかし)。最高位は東関脇(1976年7月場所)。現役時代の体格は身長175cm、体重115kg。得意技は左四つ、寄り、もろ差し。 出羽海部屋付きの九重(元横綱・千代の山)の勧誘を受けて1964年7月場所、初土俵を踏む。力士になった理由は中学の校長が九重を大相撲に勧誘したというものであり、そういった経緯もあって以降関取に向けて精進を重ねた。1967年3月、九重親方の独立に際して、大関北の富士らとともに九重部屋へ移籍。
朝登 俊光(あさのぼり としみつ、1948年6月3日 - )… 朝登 俊光(あさのぼり としみつ、1948年6月3日 - )は、北海道夕張市出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は霜降 利昭(しもふり としあき)。現役時代の体格は身長176cm、体重156kg。最高位は東前頭2枚目(1970年1月場所)。得意手は突き、押し。 中学3年生の時上京して、元前頭2枚目・二瀬山が率いる朝日山部屋に入門。1963年(昭和38年)7月場所で初土俵を踏んだ。 序ノ口に付いた時より「朝登」を名乗り、引退までの15年間で一度も改名する事は無かった。 以来、突き押しを武器に順調に番付を上げ、1967年(昭和42年)9月場所で十両に昇進。そして、1969年(昭和44年)3月場所で新入幕を果たした。