中川 晶(なかがわ あきら、1952年〈昭和27年〉- )は… 中川 晶(なかがわ あきら、1952年〈昭和27年〉- )は、京都府生まれの心療内科医、精神科専門医。中川米造の子息である。 京都看護大学大学院特任教授[リンク切れ]、なかがわ中之島クリニック院長、日本保健医療行動科学会会長、ナラティヴ・コミュニケーション研究所[出典無効]所長、ナラティヴ・インストラクター協会代表。 専門はナラティブアプローチ。趣味は絵画、陶芸、物書き。多数の著書があり、うち3冊は台湾語などに翻訳されている。 2014年(平成26年)9月15日(月)〜18日(木)にロンドンで開催された第7回国際保健医療行動科学会議(The 7th International Conference of Health Behavioral Science)では大会長を務めた(写真参照)。
越智 眞一(おち しんいち、1952年 - 2025年6月8… 越智 眞一(おち しんいち、1952年 - 2025年6月8日)は日本の外科医。滋賀県医師会会長。日本医師会理事。元大津市医師会長。おち医院院長。
榊原 洋一(さかきはら よういち、1951年12月15日 -… 榊原 洋一(さかきはら よういち、1951年12月15日 - 2025年3月29日)は、日本の医師(小児科医)、医学博士、お茶の水女子大学名誉教授。専門は小児科学、小児神経学、発達神経学。注意欠陥・多動性障害、アスペルガー症候群など子どもの発達障害研究の第一人者。 東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。東京都立西高等学校を卒業後、東京大学理科三類に入学。 1976年に東京大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院に勤務。1988年医学博士の学位を取得。 お茶の水女子大学人間発達教育研究センター教授を務めて2016年定年で退任し、名誉教授となる。 またCRN (Child Research Net) 所長、日本子ども学会理事長。
山田 信博(やまだ のぶひろ、1951年12月5日 - 20… 山田 信博(やまだ のぶひろ、1951年12月5日 - 2015年10月13日)は、日本の医師。内科医。筑波大学第8代学長。研究テーマは動脈硬化症の病態生理、糖尿病、高脂血症[3]。
尾﨑 治夫(おざき はるお、1951年〈昭和26年〉11月7… 尾﨑 治夫(おざき はるお、1951年〈昭和26年〉11月7日 - )は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(順天堂大学・1985年)。東京都医師会会長、日本医師会理事。おざき内科循環器科クリニック院長。 東京都八王子市出身。尾崎家は地元八王子の名士で、養蚕業で成功した地主。桐朋小学校を経て、1969年、桐朋中学校・高等学校卒業。1977年、順天堂大学医学部卒業。 1979年、順天堂大学医学部循環器内科学講座に入局。1982年、同講座助手。1985年、同講座講師。 1990年、おざき内科循環器科クリニック開設。また、順天堂大学医学部循環器内科で非常勤講師として引き続き順天堂大学に在籍する。 2011年、東京都医師会副会長。
南木 佳士(なぎ けいし、本名:霜田 哲夫、1951年(昭和… 南木 佳士(なぎ けいし、本名:霜田 哲夫、1951年(昭和26年)10月13日 - )は、日本の小説家、医師。既婚。 代表作は芥川賞受賞作『ダイヤモンドダスト』(1988年)、『阿弥陀堂だより』(1995年)。自身のうつ病の経験から、生と死をテーマにした作品が多い。 群馬県吾妻郡嬬恋村出身。嬬恋村立東小学校、嬬恋村立東中学校、保谷市立保谷中学校、東京都立国立高等学校を経て、秋田大学医学部医学科を卒業後、佐久総合病院に勤務。 1981年(昭和56年)、「破水」で第53回文学界新人賞を受賞し小説家デビュー。翌年、「重い陽光」で第87回芥川賞候補。1983年に「活火山」、1985年に「木の家」、1986年も「エチオピアからの手紙」で芥川賞候補となる。
春日 武彦(かすが たけひこ、1951年(昭和26年)9月2… 春日 武彦(かすが たけひこ、1951年(昭和26年)9月25日 - )は、日本の精神科医。 京都府生まれ。父も医師であり、厚生省の技官を務めていた時期もあった。1968年都立秋川高校入学、その後静岡県立静岡高等学校に転校卒業、日本医科大学医学部卒業、同大学院衛生学科修了。1986年医学博士。産婦人科医を6年務めた後、精神科医に転向、東京都立松沢病院勤務、東京都立墨東病院神経科部長などを経て、2007年東京未来大学教授。2009年から2010年まで社団聖美会多摩中央病院 院長を務める。2010年から成仁病院に顧問として勤務している。
栗田 昌裕(くりた まさひろ、1951年8月30日 - )は… 栗田 昌裕(くりた まさひろ、1951年8月30日 - )は日本の内科医、群馬パース大学学長。 愛知県出身。東海中学校・高等学校、東京大学理学部数学科卒。東京大学大学院修士課程(数学専攻)修了。東京大学医学部卒。カリフォルニア大学に留学。東京大学附属病院内科に勤務。東京大学助手、群馬パース大学大学院教授を経て、2014年より現職。医学博士、薬学博士。 座禅、ヨガ、気功、東洋医学に精通している。指回し体操の発明者。栗田式能力開発法(SRS, Super Reading System)を提唱し、その一部として、速読法、記憶法、健康法、瞑想法、心象法などを指導し、受講者は5万人を超えている。大学では、医学概論、健康科学、病理学、薬理学、老年医学、リハビリテーション医学、成人看護学などの講義を担当してきた。
市原 健一(いちはら けんいち、1951年(昭和26年)8月… 市原 健一(いちはら けんいち、1951年(昭和26年)8月19日 - )は、日本の医師、政治家。元茨城県つくば市長(3期)。元茨城県議会議員(4期)。 茨城県大穂町(現:つくば市)生まれ。つくば市立北条小学校、つくば市立筑波東中学校、慶應義塾志木高等学校卒業。同校を卒業後、慶應義塾大学商学部に入学したが、2年で中退。その後北里大学医学部を卒業。勤務医を経て、つくば市に医療法人健佑会いちはら病院を開設。 1993年(平成5年)、茨城県議会議員であった父・市原稔弘の地盤を引き継ぎ、茨城県議会議員補欠選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選を果たした。以後4期連続当選。 2004年(平成16年)11月14日に行われたつくば市長選挙に自民党の推薦を受けて無所属で出馬。
谷山 弘行(たにやま ひろゆき、1951年(昭和26年)8月… 谷山 弘行(たにやま ひろゆき、1951年(昭和26年)8月4日 - )は、日本の病理学者・獣医師。獣医学博士(北海道大学)。酪農学園大学理事長。前酪農学園大学学長・酪農学園大学短期大学部学長。2025年11月6日永眠。 宮崎県えびの市出身。1977年、酪農学園大学酪農学部獣医学科卒業。1980年、帯広畜産大学大学院畜産学研究科修士課程を修了し、帯広畜産大学畜産学部助手。1987年、酪農学園大学酪農学部講師。1993年、酪農学園大学酪農学部助教授。1991年、アメリカ合衆国オハイオ州立大学医学部に留学(~1992年)。2003年、酪農学園大学獣医学部教授。2007年、酪農学園大学学長・酪農学園大学短期大学部学長(~2013年)。
中路 重之(なかじ しげゆき、Shigeyuki NAKAJ… 中路 重之(なかじ しげゆき、Shigeyuki NAKAJI、1951年7月21日 - )は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(弘前大学・1983年)。弘前大学大学院医学研究科特任教授。青森県医師会健やか力推進センター・センター長。青森県総合健診センター・理事長。専門は癌の疫学、スポーツ医学、公衆栄養学ほか。
中川 俊男(なかがわ としお、1951年6月27日 - )は… 中川 俊男(なかがわ としお、1951年6月27日 - )は、日本の脳神経外科医、医学者。学位は、医学博士(札幌医科大学大学院・1994年)。第20代日本医師会会長。新さっぽろ脳神経外科病院理事長。 2020年、現職の横倉義武を破り第20代医師会会長に就任。選挙戦では、当時の安倍晋三首相との関係が良好で「調整型」とされた横倉との一騎打ちとなった。政権の意見を聞きながら迎合する傾向があった横倉に対して、中川は「国民の健康と命を守るためならどんな圧力にも決して負けない、物を言える新しい日本医師会に変える」という強い意志表明が支持され当選に繋がった。元々、横倉前会長時代には医師会の副会長の1人であり、厚労省の審議会などでは医師会の要望を強く主張する役割を担っており、その分永田町や霞が関とのパイプは乏しかった。
立谷 秀淸(たちや ひできよ、1951年(昭和26年)6月9… 立谷 秀淸(たちや ひできよ、1951年(昭和26年)6月9日 - )は、日本の医師、政治家。元福島県相馬市長(6期)。全国市長会会長(第30代)。元福島県議会議員(1期)。医療法人社団茶畑会 相馬中央病院理事長。 福島県相馬郡中村町(現・相馬市)出身。生家は味噌醤油醸造業を営んでいる。父は、相馬市議会議長を務めた立谷純一。高校は宮城県の宮城県仙台第一高等学校へ進み、福島県立医科大学に進学して内科学を学ぶ。 1977年に福島県立医科大学を卒業する際に医師免許を取得。公立気仙沼総合病院で初期研修を行い、東北大学医学部附属病院、公立相馬病院にて、内科の内勤医師として患者の診療に当たる。 1983年、相馬へ戻ると同時に立谷内科医院(有床診療所)を開業。
井本 敬二(いもと けいじ、1951年5月22日 - )は、… 井本 敬二(いもと けいじ、1951年5月22日 - )は、日本の神経科学者、医師。自然科学研究機構の新分野創成センター長、国際連携研究センター長。元生理学研究所長。 大阪府生まれ。1976年、京都大学医学部医学科卒業。同年、京都大学医学部附属病院内科に勤務。1977年、田附興風会医学研究所北野病院に勤務。1978年、ブリティッシュコロンビア大学のバンクーバー・ジェネラル・ホスピタルに研修医として勤務。1980年、国立療養所宇多野病院(現:国立病院機構宇多野病院)に医師として勤務。 1982年から研究職の道に進む。イオンチャネルの分子生物学的研究に従事し、脳のリズム機能の発生機序とその意義の解明に努めた。
三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1951年5月 - )は… 三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1951年5月 - )は、日本の歯学者、歯科医師。徳島大学大学院ヘルスバイオサイエンス研究部口腔微生物学分野教授。徳島大学副理事。 1976年広島大学卒業、1980年同大学院単位取得退学。以後同大学助手、講師、助教授を経て1994年より徳島大学教授に就任。 1980年 広島大学より 歯学博士号を得る。学位論文は 「口腔常在菌Streptococcus sanguisの好中球走化性因子の分離と性状について」。
渡辺 洋一(わたなべ よういち、1951年4月24日 - 2… 渡辺 洋一(わたなべ よういち、1951年4月24日 - 2013年11月27日)は、日本の医学者、医師。岡山県出身。 1951年、岡山県生まれ。岡山県立玉野高等学校を経て、鳥取大学医学部を卒業後、岡山大学医学部第2内科に入局。神戸市立西市民病院などで呼吸器内科医師として働いた後、1986年から岡山赤十字病院にて診療にあたる。同病院呼吸器内科副部長などを経て、2009年より副院長兼呼吸器内科部長兼緩和ケア科部長を務める。 1989年に遭遇した重症患者との出会いをきっかけに、シリコンを用いた気管支充填術を考案。2000年に気管支用充填材 EWS(Endobronchial Watanabe Spigot)を開発。
鳥羽 研二(とば けんじ、1951年4月23日 - )は、日… 鳥羽 研二(とば けんじ、1951年4月23日 - )は、日本の医学者、医師。専門は、老年医学。 長野県松本市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1978年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院、東京警察病院、再び東京大学医学部附属病院勤務を経て、1988年テネシー大学生理学研究員。1993年 東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。1995年東京大学医学部講師。1996年フリンダース大学老年医学研究員、東京大学医学部助教授。2000年杏林大学医学部高齢医学主任教授。2010年国立長寿医療センター(同年に国立長寿医療研究センターに改組)病院長。2014年同センター理事長・総長。2019年東京都健康長寿医療センター理事長。
島 悟(しま さとる、1951年3月22日 - 2009年1… 島 悟(しま さとる、1951年3月22日 - 2009年12月14日)は、日本の医学者、精神科医。研究分野は、勤労者のメンタルヘルス。
北村 邦夫(きたむら くにお、1951年(昭和26年)2月2… 北村 邦夫(きたむら くにお、1951年(昭和26年)2月23日 - )は、日本の産婦人科医、作家。一般社団法人日本家族計画協会会長。経口避妊薬(ピル)や緊急避妊法の普及、思春期の性教育と性感染症予防に関する啓発活動で知られる。 群馬県渋川市生まれ。母子家庭で6人兄弟の困窮家庭に育つ。群馬県立渋川高等学校を卒業後、地域医療に従事すれば授業料が免除される自治医科大学医学部に、1972年に第1期生として入学した。卒業後は群馬県庁に在籍しながら、群馬大学医学部産科婦人科学教室で臨床を学んだ。 1988年4月、日本家族計画協会クリニック所長に就任。その後、同協会理事長、家族計画研究センター所長などを経て会長に就任した。
小田切 治世(おたぎり はるよ、1951年(昭和26年)2月… 小田切 治世(おたぎり はるよ、1951年(昭和26年)2月15日 - )は、日本の政治家、医師(内科医)。元長野県中野市長。 長野県下高井郡中野町(現中野市)生まれ。生家は医院。新潟大学医学部卒業後、医師開業、医療法人理事長を務めた。平成20年(2008年)中野市長選挙に当選し、1期務めた。 2021年、旭日双光章受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
杉山 登志郎(すぎやま としろう、1951年1月28日 - … 杉山 登志郎(すぎやま としろう、1951年1月28日 - )は、日本の医学者、精神科医。医学博士。日本における高機能自閉症、アスペルガー症候群の権威の一人。子ども虐待、複雑性PTSDについての著作も数多く発表している。現在は浜松市にあるこどものこころの診療所、および愛知県大府市の共和病院で勤務している。 1951年静岡市生まれ。久留米大学医学部卒業後、久留米大学医学部小児科学教室を経て、名古屋大学医学部精神医学教室に入局。その後、静岡県立病院養心荘、愛知県心身障害者コロニー中央病院精神科医長を勤め、カリフォルニア大学ロサンゼルス校神経精神医学研究所に留学した。名古屋大学医学部精神科助手、静岡大学教育学部教授を経て、2001年、あいち小児保健医療総合センター心療科部長兼保健センター長を勤め、2010年、浜松医科大学児童青年期精神医学講座教授へ就任。
渡辺 英寿(わたなべ えいじゅ、1951年1月20日 - )… 渡辺 英寿(わたなべ えいじゅ、1951年1月20日 - )は、日本の医学者、脳神経外科医。医学博士(東京大学)。自治医科大学元教授。自治医科大学名誉教授。専門はてんかん外科、コンピュータ支援外科。元日本脳神経外科学会理事(元情報委員長)。 広島県広島市生まれ。広島大学附属高等学校を経て東京大学理科三類に入学し、1976年に東京大学医学部医学科を卒業して1976年に脳神経外科に入局する。 東京大学医学部附属病院、三井記念病院、東京都立墨東病院を経て、東京大学医学部生理学教室で3年間、伊藤正男教授の下で神経生理学を研鑽して医学博士号を取得した後、西ドイツエルランゲン大学脳神経外科に留学し、脳神経外科術中の神経誘発電位による聴神経機能モニタリング法の開発を行った。
坂口 志文(さかぐち しもん、1951年1月19日 - )は… 坂口 志文(さかぐち しもん、1951年1月19日 - )は、日本の免疫学者、医師。大阪大学栄誉教授・免疫学フロンティア研究センター特任教授、京都大学名誉教授。ベンチャー企業レグセルの創業者。 過剰な免疫反応を抑える制御性T細胞の発見と免疫疾患における意義を解明したことで知られ、2025年に「末梢性免疫寛容に関する発見」により、メアリー・E・ブランコウ、フレッド・ラムズデルとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。滋賀県出身者、また大阪大学在籍中の者では初のノーベル賞受賞となる。 滋賀県長浜市曽根町(旧・東浅井郡びわ町曽根)出身。 志文の名は、京都帝国大学文学部哲学科出身で西洋哲学に造詣の深かった父が聖書から引用して命名した。
桃井 保子(ももい やすこ、1951年1月 - )は、日本の… 桃井 保子(ももい やすこ、1951年1月 - )は、日本の歯科医師・歯学者。鶴見大学歯学部保存修復学講座教授。日本接着歯学会会長 1976年鶴見大学歯学部卒業。以後同大学第一歯科保存学教室にて助手、講師を務め2003年より同教室(現:保存修復学講座)教授。 1984年 鶴見大学より、歯学博士の学位を得る。学位論文は「ガルバニー電流の発生機構に関する新しい考察」。
角 秀秋(かど ひであき、1951年 - )は、日本の心臓血… 角 秀秋(かど ひであき、1951年 - )は、日本の心臓血管外科医。福岡市立こども病院副院長、九州大学医学部心臓血管外科臨床教授などを歴任。2022年より令和健康科学大学特任教授。 鹿児島県川辺郡川辺町(現:南九州市)生まれ。鹿児島県立鶴丸高等学校、九州大学医学部卒業。 福岡市立こども病において1980年創立当初から同院の心臓血管外科診療に従し、1985年同院部長、2011年から同院副院、2022年同院定年退職。福岡市立こども病院在任中、6000件件以上の小児心臓手術執刀する。日本小児循環器学会副理事長、第47回日本小児循環器学会会長(2011年、福岡市)、日本小児心臓外科医会(CHSS Japan)代表世話人、小児心臓手術手技研究会代表世話人などを歴任。
妙中 義之(たえなか よしゆき、1951年 - )は、日本の… 妙中 義之(たえなか よしゆき、1951年 - )は、日本の医学者、医師 。 灘高等学校を経て、大阪大学医学部医学科卒業。大阪大学大学院医学系研究科博士課程修了。 国立循環器病研究センター研究員、テキサス心臓研究所客員研究員、国立循環器病研究センター研究所人工臓器部人工臓器研究室室長、人工臓器部部長、大阪大学医学部連携大学院大学教授、国立循環器病研究センター研究所副所長、先進医工学センター長、研究開発基盤センター長、東京大学政策ビジョン研究センターシニアリサーチャーを歴任。国立循環器病研究センター名誉所員。
藤本 修(ふじもと おさむ、1951年- )は、日本の精神科… 藤本 修(ふじもと おさむ、1951年- )は、日本の精神科医。 大阪府生まれ。1977年大阪大学医学部卒業。95年医学博士。大阪大学医学部附属病院精神神経科、関西労災病院神経科、大阪府立公衆衛生研究所精神衛生部に勤務。1992年同成人精神衛生課課長。94-2002年大阪府立病院精神科部長。98-2000年大阪大学医学部臨床助教授(精神医学)。2002年関西福祉大学教授、2005年甲子園大学人間文化学研究科教授、2007-09年医療法人水光会伊丹天神川病院顧問。08-2010年大阪人間科学大学特任教授。09年おおさかメンタルヘルスケア研究所開設、心療内科「OMCIクリニック」の院長。
山本 照子(やまもと てるこ、1951年 - )は、日本の歯… 山本 照子(やまもと てるこ、1951年 - )は、日本の歯科医師・歯学者。東北大学大学院歯学研究科口腔保健発育学講座顎口腔矯正学分野教授。元徳島大学歯学部歯科矯正学講座教授、元岡山大学大学院医歯薬学総合研究科機能再生・再建学専攻顎顔面口腔矯正学分野教授。歯科矯正学の分野で知られる。 1975年大阪大学歯学部卒業後、同大学歯科矯正学講座、附属病院矯正科医員、生化学講座助手、附属病院矯正科助手、講師を経て1995年に徳島大学教授に就任、1997年より岡山大学教授、2006年より東北大学教授。 この項目は、歯学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:歯学/Portal:医学と医療)。
石郷岡 純(いしごうおか じゅん、1951年 - )は、日本… 石郷岡 純(いしごうおか じゅん、1951年 - )は、日本の医学者、精神科医。専門は精神薬理学。東京女子医科大学医学部教授。医学博士(北里大学・1980年)。
栗原 毅(くりはら たけし、1951年 - )は、日本の消化… 栗原 毅(くりはら たけし、1951年 - )は、日本の消化器内科医、医学博士。栗原クリニック東京・日本橋院長。慶應義塾大学特任教授。前東京女子医科大学教授。脂肪肝の改善こそがメタボリックシンドロームの予防・改善に役立つと提唱。治療だけでなく予防医療にも力を入れている。血液サラサラの提唱者の一人でもある。
宮地 良樹(みやち よしき、1951年 - )は、日本の医師… 宮地 良樹(みやち よしき、1951年 - )は、日本の医師、医学者。京都大学名誉教授、静岡社会健康医学大学院大学初代学長・社会健康医学研究科教授、公立大学法人静岡社会健康医学大学院大学初代理事長などを歴任。専門は皮膚科学。医学博士(京都大学・1985年)。 天理よろづ相談所病院皮膚科部長、群馬大学医学部教授、京都大学大学院医学研究科教授、京都大学医学部附属病院副院長(経営担当)、滋賀県立成人病センター総長、滋賀県立総合病院初代総長、静岡県立総合病院参与、特定非営利活動法人皮膚の健康研究機構理事長などを歴任した。 1951年(昭和26年)、静岡県出身。1970年(昭和45年)、静岡県立静岡高等学校卒業。
鈴木 康夫(すずき やすお、1951年 - )は、日本の医学… 鈴木 康夫(すずき やすお、1951年 - )は、日本の医学者(リウマチ学・内科学)、医師。学位は医学博士(慶應義塾大学・1983年)。東海大学名誉教授、一般社団法人日本リウマチ学会名誉会員。 慶應義塾大学医学部医員、川崎市立川崎病院内科医長、聖マリアンナ医科大学医学部助教授、東海大学医学部教授、東海大学医学部付属病院難病治療研究センターセンター長、東海大学医学部付属病院副院長などを歴任した。 リウマチ学、内科学を専攻する医学者である。関節リウマチに対するメトトレキサート治療においては日本の第一人者として知られる。慶應義塾大学に入局し、川崎市立川崎病院での勤務を経て、聖マリアンナ医科大学、東海大学で教鞭を執った。
酒井 和夫(さかい かずお、1951年 - )は、日本の精神… 酒井 和夫(さかい かずお、1951年 - )は、日本の精神科医。 東京都生まれ。1977年東京大学文学部(哲学、宗教学)卒業。1986年筑波大学医学部卒業。1989年同大学院医学研究科博士課程修了。「新宗教が精神衛生に関与する諸側面の実証的研究 一心霊主義団体の心霊治療を受ける精神障害者の動態」で医学博士。精神科医、精神科専門医、指導医、日本医師会認定産業医、臨床心理士。1996年ストレスケア日比谷クリニックを開設し院長。心身症、摂食障害、気分障害(うつ病)、統合失調症、発達障害、強迫性障害などに悩む患者の治療を専門としている。企業のメンタルヘルスに従事し、産業医またはメンタルヘルスアドバイザーとして活躍している。
江口 重幸(えぐち しげゆき、1951年 - )は、日本の精… 江口 重幸(えぐち しげゆき、1951年 - )は、日本の精神科医、医療人類学者。東京武蔵野病院名誉副院長。専門は臨床精神医学、医療人類学、文化精神医学、精神医学史。 臨床精神医学を基本としながらも、医療人類学、文化精神医学、精神医学史領域などで多彩な活躍をみせる人物である。その訳業や自身の臨床経験から、解離性障害の研究でも知られる。 1951年生まれ。1977年東京大学医学部卒業。長浜赤十字病院、都立豊島病院を経て、1994年から一般財団法人精神医学研究所附属東京武蔵野病院医員。現在東京武蔵野病院名誉副院長、教育研究部長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
仙波 純一(せんば じゅんいち、1951年 - )は、日本の… 仙波 純一(せんば じゅんいち、1951年 - )は、日本の精神科医(医学博士)。放送大学名誉教授。専門は臨床精神医学。 愛媛県生まれ、横浜市育ち。東京医科歯科大学医学部医学科卒業。東京医科歯科大学神経精神医学教室助手(1987年 - 1991年)、放送大学教養学部助教授(1993年 - 2000年)、同教授(2000年 - 2006年)を歴任。2006年に放送大学を退職し、同大学名誉教授・さいたま市立病院精神科(現・総合診療科)部長に就任。
松永 佳世子(まつなが かよこ、1951年 - )は、日本の… 松永 佳世子(まつなが かよこ、1951年 - )は、日本の医師(皮膚科)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田口 正博(たぐち まさひろ、1951年-)は日本の歯科医師… 田口 正博(たぐち まさひろ、1951年-)は日本の歯科医師。開業医。日本歯内療法学会元会長。感染予防等の分野で知られる。 1976年日本歯科大学卒業、1978年に東京都にて開業。2010年より日本歯内療法学会会長。
福家 伸夫(ふけ のぶお、1951年(昭和26年) - )は… 福家 伸夫(ふけ のぶお、1951年(昭和26年) - )は、日本の医学者、医師。専門は、救急医学・集中治療医学・麻酔科学・災害医学。学位は博士(医学)。 帝京大学ちば総合医療センター救急科名誉教授。元帝京平成大学教授、元帝京大学教授、元帝京大学ちば総合医療センター救急集中治療センター長。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学医学部医学科卒業。 1977年(昭和52年)東京大学医学部卒業後、1986年(昭和61年)「High Frequency Ventilation時の気流速度分布に関するモデル実験 」で学位修得(東京大学 医学博士)。 東京大学医学部麻酔学教室、自治医科大学講師、ハーバード大学マサチューセッツ総合病院研究員、帝京大学助教授を経て、1997年(平成9年)帝京大学医学部教授および帝京大学医学部附属市原病院集中治療センター長に就任、2006年(平成18年)8月1日、帝京大学ちば総合医療センターに名称変更、現在に至る。
楠岡 英雄(くすおか ひでお、1950年〈昭和25年〉12月… 楠岡 英雄(くすおか ひでお、1950年〈昭和25年〉12月27日 - )は、日本の医師、医学者。専門分野は循環器内科学、医用生体工学、医療情報学。 1975年(昭和50年)3月、大阪大学医学部を卒業。卒業後、大阪大学医学部附属病院、桜橋渡辺病院を経て、1977年(昭和52年)9月に大阪大学に採用され、同工学部助手、同医学部助手を務めた。その後、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部助教授、大阪大学医学部附属バイオメディカル教育研究センター助教授、国立大阪病院臨床研究部長、同副院長などを歴任。 2007年(平成19年)4月、国立病院機構理事兼国立病院機構大阪医療センター病院長に就任。 2016年(平成28年)4月1日、国立病院機構理事長に就任。
坂本 照夫(さかもと てるお、1950年11月26日 - )… 坂本 照夫(さかもと てるお、1950年11月26日 - )は、日本の医学者、医師。専門は救急医学、集中治療医学、外傷外科学、外科学。学位は、医学博士。 大分大学医学部附属病院病院顧問、久留米大学名誉教授、元久留米大学病院病院長。 久留米大学医学部卒業後は、心臓外科医を目指し久留米大学医学部外科学第二講座に入局したが、外科研修の一環としての久留米大学病院救急部勤務時に救急医療に興味が湧き、外科学第二講座の心臓外科研究室から筑豊労災病院を経て、救急医に転向した。 久留米大学医学部救急医学講座主任教授、久留米大学病院高度救命救急センター長、久留米大学病院病院長を歴任し、久留米大学を定年退職。 定年退職後は、大分大学医学部附属病院高度救命救急センターに特任教授として勤務している。
清水 公也(しみず きみや、1950年11月17日 - )は… 清水 公也(しみず きみや、1950年11月17日 - )は、日本の眼科医、医学者。専門は白内障手術、矯正手術、特にコンタクトレンズ(ICL)の開発と臨床応用。北里大学名誉教授、山王病院アイセンターセンター長、国際医療福祉大学臨床医学研究センター教授を務める。ホールICL(KS-AquaPORT)の開発者として世界的に知られ、屈折矯正手術・白内障手術の第一人者である。 1976年に北里大学医学部を卒業。同年北里大学医学部眼科学教室に入局した。1978年に東京大学医学部眼科学教室へ移り、1984年に東京大学より医学博士の学位を取得。1985年に武蔵野赤十字病院眼科部長に就任し、若くして部長を務めた。
松木 邦裕(まつき くにひろ、1950年11月6日 - )は… 松木 邦裕(まつき くにひろ、1950年11月6日 - )は、日本の医学者・精神科医・精神分析家。京都大学名誉教授。
浅沼 廣幸(あさぬま ひろゆき、1950年10月5日 - )… 浅沼 廣幸(あさぬま ひろゆき、1950年10月5日 - )は、日本の皮膚科医師、馬主。 1950年、北海道札幌市出身。北海道大学医学部を卒業したのち、1983年に浅沼皮膚科医院を千歳市に開院した。その後医療法人社団「廣仁会」を設立し、2016年に退任するまで理事長を務めた。同年末には末期のすい臓がんで余命宣告を受け、また2018年の正月には脳梗塞となったが、現在はどちらからも快復している。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は水色,黄星散,黄袖水色一本輪、冠名には医療用語で「皮膚科」を意味する「Derma」より「デルマ」を用いる。 馬名には世代ごとにシリーズを設けており、これまでは「日本の神様」「日本の妖怪」「相撲の決まり手」などのテーマから冠名と組み合わせて命名している。
大島 敏(おおしま さとし、1950年9月24日 - 201… 大島 敏(おおしま さとし、1950年9月24日 - 2011年11月8日)は、日本の実業家、歯科医師。アール・ディー・シー、がってん寿司創業者。 1950年に埼玉県寄居町に生まれる。埼玉県立熊谷高等学校出身。幼少期より飲食業を志していたが、弁護士か医者への道を望む両親の願いにより、東京大学への進学を目指す。しかしながら、大学闘争の煽りを受け東京大学の受験が停止されたために岩手医科大学を受け、医学部と歯学部に合格。歯学部に進学したのち、1980年、29歳で歯科医院を開業した。開業歯科医として評判は高く、その日診察・治療した患者には必ず電話をかけ、その後の経過を尋ねるなどしていた。歯科医として働きながらも飲食業経営をあきらめず、新事業のための資金を作ったのち、飲食業経営を始める。
有賀 徹(あるが とおる、1950年〈昭和25年〉9月8日 … 有賀 徹(あるが とおる、1950年〈昭和25年〉9月8日 - )は、日本の医師。専門は救急医学、脳神経外科学、脳蘇生学。昭和大学名誉教授。 長野県出身。 桐朋高等学校を経て、1976年(昭和51年)3月、東京大学医学部医学科を卒業し、同年6月、東京大学医学部脳神経外科学講座へ入局。 その後、日本医科大学付属病院救命救急センター、東京大学医学部附属病院救急部を経て、公立昭和病院脳神経外科主任医長、同救急部長、昭和大学医学部教授、同医学部救急医学講座主任、昭和大学病院救急医学科長、同救命救急センター長、同副病院長、同病院長を歴任。公立昭和病院の救急センターの設立及び運営に尽力した。 この他、東京都メディカルコントロール協議会救急処置基準委員会委員長、卒後臨床研修評価機構理事・評価委員会委員長、東京都医師会東京都脳卒中医療連携協議会会長、厚生労働省厚生科学審議会専門委員(臓器移植委員会)、全国医学部病院長会議大学病院医療事故対策検討委員会委員長、日本救急医学会監事、日本病院会災害医療対策委員会委員長、東京都医療事故等支援団体協議会運営委員会委員長 、日本医師会救急災害医療対策委員会委員長、同中央医療事故調査等支援団体等連絡協議会副会長、総務省消防庁救急業務のあり方に関する検討会座長、日本医療機能評価機構評価委員会委員長などの役職に就いた。
多々見 良三(たたみ りょうぞう、1950年〈昭和25年〉8… 多々見 良三(たたみ りょうぞう、1950年〈昭和25年〉8月26日 - )は、日本の医師、政治家。元京都府舞鶴市長(3期)。循環器内科を専門としており、日本循環器学会認定循環器専門医、日本心血管カテーテル治療学会指導医、日本内科学会認定内科医、日本心血管インターベンション治療学会名誉専門医である。 石川県河北郡高松町(現・かほく市)出身。金沢大学医学部医学科卒業・医学士。同大学大学院医学研究科博士課程修了・医学博士。 1980年、同大学第二内科に入局。脂質代謝の研究を行い、1982年に舞鶴共済病院に内科医員として赴任した。以後、舞鶴共済病院で地域医療を支え、専門領域である循環器科心カテーテル術で京都府下1位、近畿地区でも5位の手術を手掛けた。
小川 隆夫(おがわ たかお、1950年8月7日 - )は、日… 小川 隆夫(おがわ たかお、1950年8月7日 - )は、日本の文筆家、音楽ジャーナリスト、音楽プロデューサー、作曲家、ギタリスト、整形外科医。さまざまな音楽分野、特にジャズでの活動で知られ、ブルーノートのコンプリート · コレクターとしても著名。 幼い頃からクラシックギターを習い、中学でバンド結成。その後、ロックやジャズのバンドでギターを演奏しながら、医学部に進学した。 これまで3,000 枚以上のレコード、CDのライナーノートを書き、数多くのCDをプロデュースした。また 1,000 人以上のミュージシャンや関係者にインタビューし、その中にはマイルス・デイヴィス(1985年 - 1990年)、アート・ブレイキー(1982年 - 1991年)、ソニー・ロリンズ(1986年 - 2001年)、オスカー・ピーターソン(1987年)、デクスター・ゴードン(1982年 - 1984年)、ハービー・ハンコック(1985年 - 2019年)、 キース・ジャレット(2001年)、 チャーリー・ワッツ(1989年、1990年)、 秋吉敏子(1984年 - 2016年)、渡辺貞夫(1985年 - 2021年)、 日野皓正(1983年 - 2021年)、 アルフレッド・ライオン(1985年、1986年)、ボブ ·ワインストック(1999年)、 オリン・キープニュース(2000年)、クリード・テイラー(2009年)などが含まれる。
作田 明(さくた あきら、1950年〈昭和25年〉6月29日… 作田 明(さくた あきら、1950年〈昭和25年〉6月29日 - 2011年〈平成23年〉6月1日)は、日本の精神科医・精神保健指定医・臨床心理士。専門は犯罪心理学。博士(医学)。日本保健医療大学教授・聖学院大学客員教授を歴任。千葉県出身。 テレビ・新聞等で犯罪に関するコメンテイターとして活躍。上智大学文学部心理学科、筑波大学医学専門学群などの非常勤講師も務めた。2010年には、犯罪非行の防止と犯罪者・非行少年の矯正・更生に尽力している個人・団体について、その活動を称え表彰するために私財を投じて作田明記念財団を設立、「作田明賞」を創設した。 作田家は江戸時代には名字帯刀を許され、九十九里の作田村(今の九十九里町作田)で代々庄屋・網元を営んでいた。
河北 博文(かわきた ひろぶみ、1950年〈昭和25年〉6月… 河北 博文(かわきた ひろぶみ、1950年〈昭和25年〉6月25日 - )は、日本の医師、病院経営者である。社会医療法人河北医療財団理事長。社会医療法人河北医療財団河北総合病院理事長。日本医療機能評価機構専務理事、東京都病院協会名誉会長。過去には日本病院会副会長、東京都病院協会会長、医療保険審議会委員、老人保健審議会委員、行政改革推進本部規制改革委員会参与・委員・専門委員なども歴任した。 成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校、慶應義塾大学医学部、慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程、シカゴ大学ビジネススクールでそれぞれ学ぶ。 医療機能の第三者評価を行う日本医療機能評価機構の設立を主導したことで知られる。
堤 治(つつみ おさむ、1950年5月29日 - )は、日本… 堤 治(つつみ おさむ、1950年5月29日 - )は、日本の医師。山王病院名誉病院長。元東宮職御用掛、中日友好病院名誉教授。次男は医師の蓮池林太郎。 埼玉県秩父市生まれ。1969年、埼玉県立熊谷高等学校卒業。1976年、東京大学医学部医学科卒業。 1999年、東京大学教授。2008年、山王病院院長、国際医療福祉大学教授。2021年、山王病院名誉病院長。 生殖医療全般を広く行う国内の不妊治療における専門家であり、なかでも子宮内膜症や子宮筋腫に対する診察と内視鏡手術に多くの症例を持つ。平成13年(2001年)皇太子妃雅子の出産(不妊症治療専門医として内診外来など女性皇族の婦人科医療相談)診察の産婦人科主治医となった。