木越 洋(きごし よう、1953年 - )は、日本のチェロ奏… 木越 洋(きごし よう、1953年 - )は、日本のチェロ奏者。 学校法人桐朋学園高等部音楽科に入学し、卒業後桐朋学園大学音楽学部へ進学、斎藤秀雄にチェロを師事。1975年同大学ディプロマ・コースを修了。同年日本音楽コンクール第2位となる。その他にもミュンヘン国際音楽コンクール入賞、ジュネーヴ国際音楽コンクール・ディプロマ賞など受賞歴も多い。 新日本フィルハーモニー交響楽団のチェロ首席奏者を経て、1981年からNHK交響楽団のチェロ首席奏者となる。双方とも選考の結果での就任ではなく、オーケストラ側から請われての就任である。以来32年間同職に留まった。2010年には、「長年に亘り、優れた演奏技術でNHK交響楽団首席チェロ奏者としての重責を果たし、当団の演奏活動の声価を高めた」とされ、NHK交響楽団より第30回有馬賞が送られた。
蓑輪 裕之(みのわ ひろゆき、1952年 12月28日 )は… 蓑輪 裕之(みのわ ひろゆき、1952年 12月28日 )は、ジャズ・ベーシスト、コントラバス奏者。 大阪府高槻市生まれ。3歳の頃よりクラシック・ピアノを習い始める。10歳を過ぎる頃より、ビートルズやプレスリーをカヴァーする実力を持つ。 大阪府立春日丘高等学校卒業。高校在学中より、ライブハウスで、ジャズ・ベーシストとして、プロとしての活動を始める。高校卒業後、横須賀U.S.Baseのクラブ・ミュージシャンとして、ステージに立つ。その後、1972年に名古屋芸術大学へ入学、本格的にコントラバスを専攻する。大学卒業後、旧西ドイツ国立シュトゥットガルト音楽大学マスターコースにて、教授のフィリッツ・ラオに師事。
上村 昇(かみむら のぼる、1952年10月8日 - )は、… 上村 昇(かみむら のぼる、1952年10月8日 - )は、日本のチェリスト。 千葉県市川市出身。父の手ほどきを受け、7歳でチェロを始めるも、2年で挫折。大学進学の際、小学校の時からのめり込んでいたビートルズに憧れ、彼らのようにはなれなくてもジャズギタリストくらいなら、と音楽の基礎を学ぶためチェロで京都市立芸術大学を受験。10年のブランクがあったが、現役で進学した。入学を許可してくれた大学には今でも感謝しているという。 京都市立芸術大学で父の東京音楽学校時代の先輩であり、巖本真理弦楽四重奏団のチェリストであった黒沼俊夫に師事。大学1年生のころ聴いたベートーヴェンの交響曲第9番の第3楽章を聴いて、音楽を一生続けていくことを決意したという。
大浜 和史(おおはま かずふみ、1952年9月6日 - )は… 大浜 和史(おおはま かずふみ、1952年9月6日 - )は日本の作曲家、編曲家、ベーシスト、ピアニスト、シンセシスト。 元日本シンセサイザー・プログラマー協会(JSPA)代表理事。NPOサウンドクリエイター理事長。 国立音楽高校作曲科、国立音楽大学器楽科(コントラバス専攻)を卒業。高校3年生時にプロ活動を開始。以後、バンド活動の他、作曲や編曲提供、レコーディング・ステージミュージシャン、電子楽器開発、MIDI検定企画設立に携わる。CMソング制作、携帯着信音開発、音楽講師等、幅広く活動。ハーレーダビッドソン新宿支部長。 現在はバンドマンがメインの活動。PENGUIN(b)、LONG VACATION(大瀧詠一トリビュートバンド)(pf)、September 6(b)、佐藤龍一&The Dragon(b、pf)、THE DIGGERS(key)、つのだ☆ひろ&スペースバンド(key)のメンバー。
伊藤 幸毅(いとう こうき、1952年9月2日 - )は、日… 伊藤 幸毅(いとう こうき、1952年9月2日 - )は、日本のキーボーディスト、音楽プロデューサー。宮城県仙台市出身。フュージョンバンドのプリズムで活動していた。 高校・大学在学中よりロックバンドのキーボーディストとして演奏活動を始める。 1967年にグループ・サウンズの太郎ず、1971年にはロックバンド・ジュリエットに参加。 1977年、エリック・クラプトンの日本公演のオープニングアクトを務めたフュージョンバンドプリズムのキーボーディストとして参加。 1978年ニック・ニューサにキーボーディストとして参加。シングル盤「サチコ」第23回日本レコード大賞新人賞・日本テレビ音楽祭金の鳩賞・日本有線大賞受賞。
加古 勉(かこ つとむ、1952年7月12日 - )は日本の… 加古 勉(かこ つとむ、1952年7月12日 - )は日本のトランペット奏者・指導者。 加古4兄弟の3番目で、長兄・加古隆はNHKスペシャルなどで有名なピアニスト・作曲家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
原 幸雄(はら ゆきお、1952年6月13日 - )は、日本… 原 幸雄(はら ゆきお、1952年6月13日 - )は、日本のマーチングバンド指導者、トロンボーン奏者。日本マーチングバンド協会理事、日本マーチングバンド指導者協会公認指導員・本部検定委員・九州支部副理事長。 現在の熊本県合志市に生まれる。 1971年(昭和46年)に熊本県立熊本工業高等学校工業化学科を卒業。ヤマハ吹奏楽団浜松でトロンボーン奏者として活動した。 日本マーチングバンド指導者協会の公認指導員の資格を取得後、母校の熊本工業高等学校での指導や複数のイベントでのマーチング演出を手がける。熊本工業高等学校では全日本マーチングコンテストで9回の金賞を獲得した。2001年、九州吹奏楽連盟より九州吹奏楽コンクール10回出場指揮者として表彰された。
戸塚 修(とつか おさむ、1952年<1952年>6月9日 … 戸塚 修(とつか おさむ、1952年<1952年>6月9日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト。静岡県出身。 慶應義塾大学法学部政治学科卒。映像作品の音楽を手掛ける他、筒美京平作品等、歌謡曲の編曲も数多く行っている。池毅との共作も多い。『超獣機神ダンクーガ』においては、レノン=マッカートニーのように、池と戸塚のどちらが作った曲も共作とすることに決めていたという。テレビアニメ等のBGMも数多く手がける。 1987年、近藤真彦「愚か者」で第29回日本レコード大賞編曲賞受賞。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
神崎 愛(かんざき あい、1952年5月30日 - )は、日… 神崎 愛(かんざき あい、1952年5月30日 - )は、日本の女優、フルート奏者、ソプラノ歌手である。本名:宮本 敦子(旧姓:神崎)。東京都大田区出身。身長162cm、体重48kg、血液型はA型。
比嘉 聰(ひが さとし、 (1952-04-08) 1952… 比嘉 聰(ひが さとし、 (1952-04-08) 1952年4月8日 - )は、日本の琉球古典音楽家、組踊音楽太鼓奏者。重要無形文化財「組踊音楽太鼓」保持者(各個認定)。 沖縄県国頭郡久志村(現・名護市)に生まれる。琉球大学農学部農芸化学科を卒業した。 1971年、琉球大学郷土芸能研究クラブで三線と太鼓を始めた。1972年、太鼓を島袋光史、歌三線を棚原忠徳に師事し、本格的な修業に入った。1979年、野村流組踊地謡研究会主催の第1回「組踊を聞く」における「万歳敵討」で、組踊音楽太鼓の初舞台を務めた。1985年には光史流太鼓保存会比嘉聰練場を開き、後進の育成を始めた。 1988年12月、光史流太鼓より師範免許を取得した。
土井 一郎(どい いちろう、1952年3月27日 - )は、… 土井 一郎(どい いちろう、1952年3月27日 - )は、日本の作曲家、ジャズ・ピアニスト。2018年11月5日すい臓がんのため死去。 大阪府出身。大阪府立高津高等学校卒業、大阪教育大学特音中退。音楽教師だった父親の影響を受け、音楽に興味を持ち始めた。高校卒業後のわずかな期間、大阪でプロとしての演奏活動をしていたが、より自由な活動を求めて単身上京。1974年に松本英彦クァルテットに参加して、プロのジャズピアニストとして本格的な活動を始めた。1975年には山口真文クァルテットに加わり、ジャズコンボにおけるピアニストの役割の基礎を学んだ。翌年には新宿ジャズ大賞を受賞。1979年には渡米し、数々のセッションに参加。
数住 岸子(すずみ きしこ、Kishiko Suzumi、1… 数住 岸子(すずみ きしこ、Kishiko Suzumi、1952年3月23日 - 1997年6月2日)は、日本のヴァイオリニストである。 福岡県大牟田市生まれ。1963年、小学校6年生の時、全日本学生音楽コンクール西日本大会小学生の部で第1位を受賞 。1967年、中学校卒業後、上京して桐朋女子高等学校音楽科に入学し、斎藤秀雄、前橋汀子、江藤俊哉に師事。1970年、桐朋学園大学に進んだ 。 1971年、大学を1年で中退し、ジュリアード音楽院に全額スカラーシップを受けて留学、ドロシー・ディレイ、アレキサンダー・シュナイダー、ミシェル・シュヴァルベに師事 。同年、ニューヨークでデビュー、1973年カーネギーホールでリサイタルを開催 。
山田 秀俊(やまだ ひでとし、1952年3月20日 - )は… 山田 秀俊(やまだ ひでとし、1952年3月20日 - )は、日本のピアニスト、キーボーディスト、作曲家、編曲家、シンガーソングライター。大分県津久見市出身。血液型はB型。 1952年、大分県津久見市に生まれる。小学生の頃から音楽に興味を持ち始め、中学校に進むと両親に頼んでピアノを買ってもらい、独学で弾き始める。初めて鍵盤に触れた時、思うままに手を動かすと即興で曲を弾くことが出来、加山雄三やグループ・サウンズの曲なども1~2回聴くとピアノで再現出来たという。 地元の高校を卒業した後、慶応義塾大学文学部に進学しフランス文学を学ぶが、二十才になった頃、学生生活に魅力を感じなくなりキャンパスから足が遠のくようになる。
川上 シゲ(Shige Kawakami、本名:川上茂幸、1… 川上 シゲ(Shige Kawakami、本名:川上茂幸、1952年3月16日 - )は日本のベーシスト。福井県福井市出身。 2023年現在、「カルメン・マキ&OZ」、「Chappy’s」(うじきつよし、澄田健、武田チヤッピー治)、 「ADDICT OF THE TRIP MINDS」(岡本健一、Motm、田中志門)、 「川上シゲwithThe Sea」(久藤賀一、大井貴之)のバンドで 都内及び地方などでライブイベントに精力的に活動中。また、アレンジャー・プロデューサー・新人発掘・育成をフリーで手がける。 1970年から1972年にブルースバンド「実況録音」加入。 1972年 後半に「EVIL」結成。
後藤 次利(ごとう つぐとし、1952年2月5日 - )は、… 後藤 次利(ごとう つぐとし、1952年2月5日 - )は、日本のベーシスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーである。
林 英哲(はやし えいてつ、1952年2月2日 - )は、日… 林 英哲(はやし えいてつ、1952年2月2日 - )は、日本の太鼓奏者、作曲家。 広島県庄原市東城町出身。実家は真言宗御室派の寺院で、8人兄弟の末っ子である。広島県立東城高等学校を卒業後の1970年(昭和45年)に、美大を目指して上京した。翌1971年(昭和46年)に「佐渡・鬼太鼓座」の創設に誘われて参加。「鼓童」の創設にも関わり、11年間のグループ活動を経た1982年にソロ奏者(ソリスト)として独立した。 1984年(昭和59年)にはオーケストラ曲『交響的変容』(水野修孝作曲)で、和太鼓ソリストとして初となるカーネギー・ホール(マンハッタンのコンサートホール)での演奏を果たした。 若手和太鼓奏者と組んだ「英哲風雲の会」というユニットでの活動もある。
笹島 明夫(ささじま あきお、1952年 - )は、日本のジ… 笹島 明夫(ささじま あきお、1952年 - )は、日本のジャズ・ギタリスト。北海道函館市出身。 1977年に渡米し、現在はアメリカ・カリフォルニア州を拠点に活動している。アメリカの有名レーベルから、ロン・カーターやジョー・ヘンダーソンなどの大物ミュージシャンをゲストに迎えたリーダー作を数多くリリースしている実力派。また、海外の教則本の翻訳も手がけている他、自身の動画ページでのジャズギター講座も人気を集めている。
曽我部 清典(そかべ きよのり、1952年 - )は、日本の… 曽我部 清典(そかべ きよのり、1952年 - )は、日本のトランペット奏者、ソリスト、ブラスエデュケーター。スライド付きトランペット「ゼフュロス」の発案者としても知られる。 愛媛県宇摩郡土居村(現・四国中央市土居町)生まれ。愛媛県立新居浜西高等学校卒。東京芸術大学音楽学部器楽科卒。トランペットを中山富士雄、北村源三、永田粋睦らに師事。埼玉県吉川市在住。 芸大在学中より作曲家・近藤譲率いる現代音楽アンサンブル「ムジカ・プラクティカ」に参加し、その解散までに内外の新作を100曲以上初演。1994年(大阪)から日本人トランペット奏者として初めて全曲現代作品によるリサイタルを開き、2001年にはヨーロッパ各地でソロリサイタルを開催した)。
高田 みどり(たかだ みどり、1951年12月21日 - )… 高田 みどり(たかだ みどり、1951年12月21日 - )は、日本の打楽器奏者、作曲家。東京都出身。 日本を代表するアバンギャルドなパーカッショニスト、アンビエント/ミニマル・ミュージックの作曲家。舞台俳優として活動することもある。 現代音楽の演奏家としてだけでなく、アジア/アフリカ音楽/ジャズのミュージシャンとの共演のほか、アート/ダンスとのコラボレーション等、ジャンルにとらわれない広範な活動で知られる。当時の日本ではアフリカ音楽など世界の伝統音楽の情報を得るのが難しかったが、伝統音楽演奏家との共演の中で体得していった。その結果は、ミニマル・ミュージックと伝統的なアフリカ音楽のドラム演奏を統合した音楽ユニットのムクワジュ・アンサンブルやソロの活動に生かされている。
小林 和生(こばやし かずお、1951年12月5日 - )は… 小林 和生(こばやし かずお、1951年12月5日 - )は、日本のフォーク、ロックミュージシャン、ベーシスト。林小 和生(りんこ わせい、リンコワッショー)こばやし やわおとも。RCサクセション時代の愛称は「リンコ」「リンコさん」。 東京都国分寺市出身。忌野清志郎とは小学生の時からの同級生。忌野とともにRCサクセションの最古参メンバー。1966年に忌野、破廉ケンチと共にバンド「ザ・クローバー」を結成。ザ・クローバーは1968年にRCサクセションとなる。 RCサクセションの不遇時代には東京芸術大学のベース科に入学して腕と理論を強化した。実弟の小林キンスケ(一樹)もPAエンジニアとしてRCサクセションと関わっている。
松任谷 正隆(まつとうや まさたか、1951年11月19日 … 松任谷 正隆(まつとうや まさたか、1951年11月19日 - )は日本の音楽プロデューサー・アレンジャー・キーボーディスト・作曲家であり、またモータージャーナリスト・俳優としても活動。
小原 礼(おはら れい、1951年11月17日 - )は、ベ… 小原 礼(おはら れい、1951年11月17日 - )は、ベーシスト、作曲家、音楽プロデューサーである。
中村 裕介(なかむら ゆうすけ、1951年11月15日 - … 中村 裕介(なかむら ゆうすけ、1951年11月15日 - )は、日本の作曲家・ギタリスト・ボーカリスト・ナレーター。 1951年 横浜市金沢区に生まれる。1972年から大学在学中より米軍キャンプ廻りのバンド、ハイウェイメンに加入、全国の在日米軍キャンプ将校クラブで演奏。 1976年 ジョー山中の所属プロダクションにスカウトされる。1977年 BLACKレコードより「中村きんたろう」としてメジャー・デビュー。ジョー山中バンドのギタリストとして俳優座ROCK TENに出演。 1978年 アルバム「MILD」発売。伊藤銀次らと活動するも、所属プロダクション崩壊により解散。 1979年 東芝EMI音楽出版預かりとなるも、テイチクよりアルバム「翼をひろげて」発売。
安永徹(やすなが とおる、1951年11月14日 - )は、… 安永徹(やすなが とおる、1951年11月14日 - )は、福岡県福岡市出身のヴァイオリニスト。父は、九州交響楽団永久名誉指揮者の安永武一郎、夫人はピアニストの市野あゆみ。
千野 秀一(ちの しゅういち、1951年11月1日 - )は… 千野 秀一(ちの しゅういち、1951年11月1日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家、即興演奏家。 幼少よりクラシックピアノを学び、東京学芸大学附属高校に進学するも、学生運動にのめりこんで中退し、その後大学入学資格検定を経て早稲田大学に進学。 1970年よりキーボーディスト、編曲家として活動を始める。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのサポートメンバーを経て正規のメンバーになった1976年ごろに中村香織と結婚し、1981年のバンド解散の翌年に離婚。坂田明、神谷重徳に合流してユニットWha-ha-haとして活動を行う一方、林英哲らとともに立ち上げたチャンゴ5などを始めとする複数のユニット活動を精力的に行う。
長岡 和弘(ながおか かずひろ、Kazuhiro Nagao… 長岡 和弘(ながおか かずひろ、Kazuhiro Nagaoka、1951年10月6日 - )は、日本のベーシスト・音楽プロデューサー。長崎県大村市出身。血液型O型、身長168cm、体重47kg。福岡大学卒業。1974年、ロックバンド『甲斐バンド』のベーシストとしてデビュー。1979年、シングル「HERO」が大ヒットするものの、体調不良のため脱退。その後は映画音楽のプロデューサーや斉藤由貴や石川ひとみの音楽プロデューサーを務めることで知られる。
花岡 和生(はなおか かずお、1951年9月8日 - )は、… 花岡 和生(はなおか かずお、1951年9月8日 - )は、日本のリコーダー奏者。和歌山県出身。 フルートを若林正史に師事し、京都市立芸術大学では白石孝子に師事。1971年よりオランダの王立ハーグ音楽院リコーダー科に留学し、リコーダーをフランス・ブリュッヘンとリカルド・カンジに、室内楽をブルース・ヘインズ、シギスヴァルト・クイケンらに師事。1976年ソリスト・ディプロマを得て同音楽院を卒業。1977年桐朋学園大学に新設された古楽科の講師として招聘され帰国。 1978年に、同時期に帰国した有田正広、有田千代子、本間正史にヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の中野哲也を加えたメンバーで「オトテール・アンサンブル」を結成、1979年に『18世紀フランスの室内楽』でドイツ・グラモフォンの古楽レーベル、アルヒーフからレコードデビューし、芸術祭優秀賞(レコード部門、昭和54年)を獲得する。
バイソン片山(バイソンかたやま、1951年8月6日 - 20… バイソン片山(バイソンかたやま、1951年8月6日 - 2024年8月17日)は、日本のジャズ・ドラマー、作曲家、タレント。宮城県生まれ。 宮城県気仙沼市出身。宮城県気仙沼高等学校卒業。1974年に上京し、ANコンテンポラリーミュージックにて日野元彦(ds)に師事。同時にプロ活動に入る。 日本フィルハーモニー交響楽団首席奏者の佐藤にティンパニ、NHK 首席奏者の有賀に小太鼓を師事。杉野喜知郎p3、ドン・エイブニーp3、松本英彦ts4のレギュラードラマーとして活動。 1985年渡米し、以降自己のトリオ・グループを中心に活動。 現在、自己のトリオ、カルテット、バイソンバンドで首都圏はもとより、日本国中のライブハウス等を中心に活動。
六川 正彦(ろくかわ まさひこ、1951年7月18日 - )… 六川 正彦(ろくかわ まさひこ、1951年7月18日 - )は、日本のベーシスト、作曲家、音楽プロデューサー。有限会社ロコスミュージック代表。音楽関係者からは「六さん」の愛称で親しまれる。 東京都中野区生まれ。小学生時代、テレビで観たザ・ピーナッツに憧れ、公演を調べ、観に行かせてほしいと親を説得。中学時代には、たまたま聴いたザ・ベンチャーズのレコードに衝撃を受け、エレクトリック・サウンドに魅了された。特にメル・テイラーのドラムスに惹かれ、同級生たちとバンドを結成し、六川はドラムスを叩いた。高校時代はグループ・サウンズに憧れ、ゴーゴー喫茶に通い、そこでアルバイトも始め、生演奏に多く触れた。その頃に聴いたルイズルイス加部や柳ジョージの影響で、ドラマーであったがベースにも興味を持つようになった。
浜口 茂外也(はまぐち もとや、1951年<昭和26年>7月… 浜口 茂外也(はまぐち もとや、1951年<昭和26年>7月16日 - )は、日本のパーカッション奏者。 東京都出身。血液型はA型。父親は音楽家の浜口庫之助。 10代の頃より、近所に住む細野晴臣と親交を結ぶ。 1969年、早稲田大学在学中にニューヨークに渡り、フルート奏者のジェレミー・スタイグ(Jeremy Steig)に師事。 帰国後の1974年に、クロスオーバー・バンドのバンブーにフルート奏者として参加。同バンドでのコンガ演奏を契機に、パーカッション奏者としての活動も開始。 1975年、細野から誘われ、彼が在籍するバンドのティン・パン・アレーのツアーにパーカッション/フルートで参加。演奏楽器はフルート、パーカッション、ギターなど。
クマ 原田(クマ はらだ、1951年6月10日 - 2023… クマ 原田(クマ はらだ、1951年6月10日 - 2023年3月22日(訃報発表日))は、日本のベーシスト、音楽プロデューサー。北海道札幌市出身。本名は原田 時芳(はらだ ときよし)。 10代で「シング・アウト」のメンバーとして、NHK総合テレビジョンの音楽バラエティ番組『ステージ101』に1970年1月10日の第一回から1971年4月3日まで出演。その後すぐドイツへ渡り、ミュージカル『ヘアー』公演に参加、オランダ滞在を経てロンドンへ移住する。移住した1972年以後、スタジオ・ミュージシャンとして活躍する。ヴァン・モリソンやミック・テイラー、ケイト・ブッシュなど、海外の著名なアーティストと数多く共演している他、布袋寅泰など日本の有名ミュージシャンとの共演も多い。
中野 富雄(なかの とみお、1951年5月12日 - 201… 中野 富雄(なかの とみお、1951年5月12日 - 2013年8月4日)は、日本のフルート奏者。 1951年(昭和26年)5月12日、福島県郡山市生まれ。東京芸術大学を卒業後同大学院を1978年(昭和53年)に修了。湯川和雄、吉田雅夫、金昌国、H・ペーターシュミッツに師事。この間、1976年(昭和51年)に第45回日本音楽コンクールに入選。翌年の1977年には、東京フィルハーモニー交響楽団に入団。1986年(昭和61年)まで首席奏者として活躍。大学院修了後の1980年(昭和55年)、ベルリン芸術大学に入学し翌年の1981年(昭和56年)同大学を首席で卒業。同年のプラハの春国際音楽コンクールでディプロマ賞を受賞。
大村 雅朗(おおむら まさあき、1951年〈昭和26年〉5月… 大村 雅朗(おおむら まさあき、1951年〈昭和26年〉5月8日 - 1997年<平成9年>6月29日)は、福岡県福岡市博多区出身の作曲家、編曲家、キーボーディスト。愛称はバク。多くのヒット曲を手がけたことで知られる。 京染店経営の家庭の5人兄弟(兄・姉3人)の末っ子で次男として生まれた。福岡市立奈良屋小学校、福岡市立博多第二中学校、福岡大学附属大濠高等学校を経て、ネム音楽院(現:ヤマハ音楽院)に第1期生として入学(1970年4月)、バンドコースを修了後(1971年)、キーボードコースに入り直して1972年3月にネム音楽院を卒業後、ヤマハ音楽振興会九州支部に嘱託スタッフとして入社。1975年にヤマハ音楽振興会本部研究室研究員第一期生となる。
岡沢 章(おかざわ あきら、1951年3月23日 - )は、… 岡沢 章(おかざわ あきら、1951年3月23日 - )は、日本のジャズベース奏者。同じベース奏者の岡沢茂は実弟。 1968年、グループサウンズ「M」にてデビュー。1970年には「稲垣次郎とソウル・メディア」に加入。その後、本格的にスタジオ・ミュージシャンの活動を開始。現在、レコーディング・セッションやアーティストのサポートメンバーとして活動する。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
田中 健(、1951年3月6日 - )は、日本の俳優、タレン… 田中 健(、1951年3月6日 - )は、日本の俳優、タレント、ケーナ奏者。本名は田中 研一()。所属事務所はオスカープロモーション。 福岡県筑後市生まれ。高校時代は、バンドを友人と組みベースギターを担当する。その後は、R&Bを博多のダンスホールで演奏していた。学校にばれて退学の可能性があったが、教員の助けで卒業。卒業後は博多のナイトクラブで3年ほど演奏していたという。その後、東京の事務所からスカウトされ上京、1972年に日本コロムビアから「あおい健」として歌手デビューする。キャッチフレーズは「さわやかなフィーリング・爆発するエネルギー」であった。その後、1年ほどで所属していた事務所が倒産。映画監督の斎藤耕一の妻が立ち上げたプロダクションに所属し、以降は田中健の名で俳優に転じる。
片山 広明(かたやま ひろあき、1951年3月1日 - 20… 片山 広明(かたやま ひろあき、1951年3月1日 - 2018年11月13日)は、日本のジャズ・サックス奏者。千葉県野田市出身。 高校生の頃アルト・サクソフォーンを始め、後にテナー・サクソフォーンに転向。國學院大學を中退し、プロとして活動を始めた。 1970年代後半、篠田昌已、梅津和時、早川岳晴らと共に生活向上委員会大管弦楽団で活動、2枚のアルバムを発表。また、1970年代末にはRCサクセションと交流を深め、以後、レコーディングやライブをサポート。1980年代は、梅津和時率いるD・U・Bで活動。ヨーロッパ公演も行った。 1990年代に入ると、渋さ知らズで活動。初参加アルバムは2作目『DETTARAMEN』(1993年)で、以後、渋さ知らズにとって重要な存在となり、2006年のメジャー・デビュー後もレコーディングやライブに参加。
赤松 愛(あかまつ あい、1951年 <昭和26年> 2月1… 赤松 愛(あかまつ あい、1951年 <昭和26年> 2月14日 - 2022年 <令和4年> 7月25日)は、かつて失神GSとして一世を風靡した元「オックス」のメンバー、日本のオルガン奏者。本名:赤松義信。 兵庫県芦屋市出身。父親は会社社長で3人兄弟の末っ子として生まれる。幼い頃からピアノを習い、中学2年の頃、ジャズをやりたいと主張したが、母親にあんなものは不良の音楽と反対される。しかし結局、ハタリーズの一員に加わり、当時大阪にあったダンスホール「富士」などで、セミプロ的に活躍するようになっていった。その後、誘われてオックスへ加入。赤栗毛のおかっぱ頭のルックスが愛くるしく、野口ヒデトと並んでアイドルとして高い人気を得るようになった。
渡辺 茂樹(わたなべ しげき、1951年2月10日- 201… 渡辺 茂樹(わたなべ しげき、1951年2月10日- 2014年3月15日)は、神奈川県川崎市生まれのキーボード奏者、音楽プロデューサー。 ザ・ドリフターズの加藤茶は従叔父(大叔父の長男)に当たる。
角田 健一(つのだ けんいち、1951年2月3日 - )は日… 角田 健一(つのだ けんいち、1951年2月3日 - )は日本のトロンボーン奏者、作曲家、編曲家、バンドリーダー。 東京都出身。東京藝術大学別科、桐朋学園大学音楽学部を経てバークリー音楽大学卒業。帰国後は「宮間利之とニューハード」、「原信夫とシャープス&フラッツ」を経て「高橋達也と東京ユニオン」に参加する。東京ユニオン解散後の1990年、東京ユニオンのメンバーを中心に「角田健一ビッグバンド」を結成する。 プロ転向後、一貫してビッグバンドで活動を続けていたこともあり、ビッグバンドの楽しさを広める活動を続けている。そのレパートリーはいわゆるスウィング・ジャズにとどまらず、武満徹の作品のアレンジで構成した定期公演「もうひとつの武満徹」は2007年度の文化庁芸術祭の優秀賞(大衆芸能部門)を受賞している。
船山 基紀(ふなやま もとき、1951年1月13日 - )は… 船山 基紀(ふなやま もとき、1951年1月13日 - )は、東京都出身の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。
川崎 雅夫(かわさき まさお、Masao Kawasaki、… 川崎 雅夫(かわさき まさお、Masao Kawasaki、1951年1月7日 - )は、東京生まれのヴァイオリニスト、ヴィオリストである。子の川崎洋介も同じくヴァイオリニストであり、水戸室内管弦楽団メンバー。 5歳からヴァイオリンを始め、久保田良作、斎藤秀雄に師事した。1964年、中学校2年生の時、第18回全日本学生音楽コンクール全国大会中学生の部で第1位を受賞した。1966年、桐朋女子高等学校音楽科に進み、1969年、同高校を卒業し、桐朋学園大学音楽学部に進んだ。1973年、ジュリアード音楽院に奨学生として留学し、ドロシー・ディレイに師事した。 1973年、ソリストとしてカーネギーホールでシンシナティ交響楽団と共演してデビュー。
竹下 節子(たけした せつこ、1951年 - )は、日本の文… 竹下 節子(たけした せつこ、1951年 - )は、日本の文化史家、評論家、バロック音楽奏者。パリ在住。 1974年東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業、76年同大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了。同博士課程、パリ大学博士課程を経て高等研究所に学ぶ。カトリックやエゾテリスムの歴史を専攻。 最初の著作『パリのマリア』は、友人の中沢新一の勧めによって書かれた。 宗教思想史や神秘思想史に造詣が深く、そうした領域の著書を多数著している。また、室内楽アンサンブルのグループを主宰するなど、多様な文化活動を行うほか、比較文化の視点からの評論などもものしている。 ドン・ボスコ社出版の月刊『カトリック生活』に「カトリック・サプリ」を連載。
クリストファー遙盟(Christopher Yohmei B… クリストファー遙盟(Christopher Yohmei Blasdel、1951年 - )は、アメリカ合衆国出身・日本在住の尺八奏者、執筆家、民族音楽研究家。 1972年に来日し竹盟社宗家・山口五郎(後に人間国宝)に師事。1978年東京芸術大学に入学、1982年同大学院を修了。1984年に山口五郎より師範・雅号「遙盟」を授かる。 国際文化会館芸術監督(1987−2013)、テンプル大学講師(日本音楽)、プラハ尺八フェスティバルのシニア・アドバイザーなどを務める。現在ハワイ大学講師(日本音楽)。合気道五段。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
高田 和子(たかだ かずこ、1950年(昭和25年)11月8… 高田 和子(たかだ かずこ、1950年(昭和25年)11月8日 - 2007年(平成19年)7月18日)は、山田流箏曲家、三絃奏者。和楽器の人材派遣玉手箱代表。 本名は野津和子。箏を中能島欣一と谷珠美に、さらに大学院を出てから、三絃を杵屋正邦に師事高校1年のときに箏を習い始め、大学入学の1年前から三味線の手ほどきを受けた。。NHK邦楽技能者育成会18期首席修了。東京芸術大学卒業。1976年(昭和51年)同大学院修了。1983年(昭和58年)より一柳慧、福士則夫、石井眞木らへの委嘱初演のリサイタルを重ね話題を呼ぶ。1990年(平成2年)4月に高橋悠治と出会い、以後共同で作品の制作を続ける。1991年(平成3年)9月、高橋・高田共作のコンピュータと三絃弾き語りのための『水……』を池袋電脳カフェにて初演。
仲井戸 麗市(なかいど れいち、1950年10月9日 - )… 仲井戸 麗市(なかいど れいち、1950年10月9日 - )は、日本のギタリスト、ボーカリスト。CHABO (チャボ) の愛称で知られる。古井戸、RCサクセション、麗蘭などのほか、ソロのシンガーソングライターとしても活動。近年は仲井戸"CHABO"麗市と表記されることも多い。 東京都新宿区生まれの新宿育ち。実家は印刷業を営んでおり、従業員の「クボさん」が昼休みにギターやウクレレを弾き歌っていたのに興味を持ち、ギターを始める。新宿の喫茶店で開かれていた「グリンカマンドリンクラブ」でクラシックギターを松浦先生に3年間習う。ステージ・ネームの「麗市」は彼が敬愛するフォーク・シンガー、ドノヴァン・フィリップ・レイチのファミリー・ネームから取った(アルバム、記事などによってはクレジットの英語表記が"Reiichi"「れいいち」とされている)。
山本 正治(やまもと まさはる、1950年8月12日 - )… 山本 正治(やまもと まさはる、1950年8月12日 - )は、日本のクラリネット奏者。東京都生まれ。 父は東京芸術大学名誉教授の山本正人、母も音楽家で兄はNHK交響楽団のホルン奏者・山本真という音楽一家に生まれ、幼少より英才教育を施された。 東京芸術大学附属音楽高校、東京芸術大学を卒業。クラリネットを三島勝輔に師事。 1972年、第41回日本音楽コンクール・クラリネット部門第1位受賞。1973年、北西ドイツ音楽アカデミー・デトモルト(現デトモルト音楽大学)に留学。J.ミヒャエルスに師事。1976年、フランス・コルマール国際室内楽コンクール 木管トリオ部門第2位受賞。1979年、北西ドイツ音楽アカデミー・デトモルト、ソリスト試験を終了した。
長沢 ヒロ(ながさわ ヒロ、本名:長沢 博行(ながさわ ひろ… 長沢 ヒロ(ながさわ ヒロ、本名:長沢 博行(ながさわ ひろゆき)、1950年7月31日 - )は日本のベーシスト・作曲家・歌手。新潟県新潟市出身。 高校時代にギターを手にし、バンド活動を行う。 1969年 - 東洋大学に入学、軽音楽部に所属。 1970年3月 - 「あんぜんバンド(安全バンド)」を結成。ボーカルとベースを担当。 1977年 - 「あんぜんバンド(安全バンド)」を解散。 1978年 - 高橋まこと、牧野哲人、中島幸雄と共に「長沢ヒロ&HERO」を結成。この頃より芸名を本名から長沢ヒロへ変更。1979年3月21日 - ポリドールよりアルバム『Hero's Gift』発売。 1981年 - 「長沢ヒロ&HERO」解散。
田中 直子(たなか なおこ、1950年5月27日 - )は、… 田中 直子(たなか なおこ、1950年5月27日 - )は、日本のヴァイオリニスト。 東京都出身。4歳からヴァイオリンを始める。 小学2年生のとき桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室に入室。 その後、桐朋女子高等学校音楽科に入学、前橋汀子、齋藤秀雄に師事。 桐朋学園大学音楽学部在学中の、1972年にジュリアード音楽院へ留学し、ドロシー・ディレイに師事。その後、長期にわたりディレイの助手を務める。 ジュリアード音楽院在籍中の1972年にオルフェウス室内管弦楽団の創設に携わったほか、1974年にはセントルークス管弦楽団の創設にも参加し、両団体のコンサートマスターとなる。 そのほか、水戸室内管弦楽団、サイトウ・キネン・オーケストラ、ニューヨーク・フィロムジカ、シアター・チェンバー・プレイヤーズのメンバーとして、ニューヨークを中心に室内楽・ソロにおいて幅広い活動をしている。
本間 隆(ほんま たかし、1950年5月24日 - 2023… 本間 隆(ほんま たかし、1950年5月24日 - 2023年4月24日)は、日本のチューバ奏者。 東京音楽大学チューバ科を卒業後、東京バリチューバアンサンブル、東京ブラスソサエティで活動した。また、高校吹奏楽部や市民バンドの指揮指導、聖徳大学講師として後進の指導をおこなった。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
兼崎 順一(かねざき じゅんいち、1950年5月9日 - )… 兼崎 順一(かねざき じゅんいち、1950年5月9日 - )は、日本のトランペット、フリューゲルホルン奏者。主にスタジオ・ミュージシャンとして数多の作品に参加している。栃木県出身。出身地である矢板市のふるさと大使も務める。 矢板中学校在学時、吹奏楽部に入部したことが音楽との最初の出会いであり、後に音楽活動を始めるきっかけとなった。 武蔵野音楽大学在学中よりプロとして活動を始め、1979年からはブラス・ロックグループ ″スペクトラム″ に参加し、およそ2年間メンバーとして活躍。演奏のみならず、多くの楽曲で作詞、作曲、編曲も手掛けた。 愛称である ″ドンペイ″ の由来は、渡辺茂樹が在籍するバンド ″ロックンロールサーカス″ が解散して ″ビート・オブ・パワー″ が結成された際に兼崎が加入し、渡辺がメンバーの名前を覚えるのが面倒だったために愛称を決めようと提案したことから来ており、兼崎がよく酒を飲んでいたことから、″のんベえ=呑兵衛″ を別読みにした ″ドンペイ″ になったという。