小栗まち絵(おぐり まちえ、Machie Oguri、194… 小栗まち絵(おぐり まちえ、Machie Oguri、1948年4月12日 - )は、大阪生まれのヴァイオリニストである。夫は、同じくヴァイオリニストの故工藤千博である。 6歳から相愛音楽教室に入室し、東儀祐二、江藤俊哉に師事する。1964年、桐朋女子高等学校音楽科に進み、1968年、同高校を卒業して桐朋学園大学に進んだ。その間、斎藤秀雄に師事。大学1年生の時の1968年第37回日本音楽コンクールで第1位、レウカディア賞を受賞、大学3年生の時の1970年第10回海外派遣コンクールで安宅賞を受賞した。1971年、桐朋学園大学を卒業し、11月に小倉朗『ヴァイオリン協奏曲』を初演。翌年の1972年ヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで第10位、特別賞を受賞した。
東 祥高(あずま よしたか、1948年4月12日 - 201… 東 祥高(あずま よしたか、1948年4月12日 - 2012年10月11日)は、日本の作曲家、シンセサイザー奏者。奈良県大宇陀町(現・宇陀市)出身。妻は、五つの赤い風船のリードボーカルであった藤原秀子。 あぷるぱみす(おおたぼう、村上律、東祥高)、五つの赤い風船の元メンバー。 アルバム『シンセサイザー組曲「エイシアン・ウインド」』から『シンセサイザー組曲「ファー・フロム・エイシア」』まではあずまよしたか名義、アルバム『AZUMA』から『THE WANDERER』まではAZUMA名義で活動していた。アメリカのプライベート・ミュージック(英語版)レーベルに最初に参加した日本人である。 1976年、大阪市淀川区に「TON STUDIO」を開設。
吉田 彰(よしだ あきら、1948年〈昭和23年〉3月21日… 吉田 彰(よしだ あきら、1948年〈昭和23年〉3月21日 - 2024年〈令和6年〉2月16日)は、日本の元ベーシスト。福岡県出身。チューリップのベースを担当していた。1980年2月20日に東京都港区乃木坂で「よしだ屋珈琲店」を創業し、2011年8月6日まで経営していた。その後はWeb上で珈琲豆通販のみを行っていた。 吉田は、高校時代に財津和夫と同級生で同じクラスでビートルズを介して仲良しだった。2人ともビートルズのファンで、ビートルズの音楽から影響を受けた。西南学院大学在学中の1968年、財津とザ・フォーシンガーズ、そして、1970年にチューリップを結成する。 ザ・フォーシンガーズは、1969年の第3回「全日本ライト・ミュージック・コンテスト」に出場し、九州代表としてグランプリに進出する。
馬飼野 康二(まかいの こうじ、本名同じ、1948年1月26… 馬飼野 康二(まかいの こうじ、本名同じ、1948年1月26日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト。愛知県豊橋市出身。父はギタリスト・作曲家の馬飼野昇、兄は作曲家・編曲家の馬飼野俊一。 大津美子のバックバンドや、ご当地ソングの作曲を手がけていた父・馬飼野昇の影響もあり、幼少期から兄ともども家族でタンゴバンドを組むなど音楽や楽器に触れて過ごす。愛知県立豊橋商業高等学校卒業後、本格的に音楽を学ぶため尚美高等音楽学園に進むが中退。 1968年、グループ・サウンズバンド「ブルー・シャルム」を結成し、西郷輝彦に認められ1969年にデビュー(「馬飼野 睦」名義)。ブルー・シャルムの解散後は、兄・俊一の影響で作曲・編曲家となる。
川口 雅行(かわぐち まさゆき、1948年 - )は、日本の… 川口 雅行(かわぐち まさゆき、1948年 - )は、日本のマンドリン奏者。 静岡県出身。1966年、静岡県立静岡高等学校卒業。京都大学工学部中退。高校からマンドリンを始める。高久倫子に師事。京都大学マンドリンクラブ在籍中の1970年、第2回全日本マンドリン独奏コンクールにて第1位。1972年、西ドイツのザールラント大学に留学し、音楽学を専攻する傍ら、ソリストとしてヨーロッパ各地で演奏会、ラジオ放送で活躍。 1980年、帰国。同年、岩城宏之指揮の札幌交響楽団第210回定期演奏会で、ディートリヒ・エルトマン、田中賢作曲のマンドリン協奏曲を初演。ベルリン放送交響楽団との協演、西ドイツマンドリンフェスティバルなどに招待演奏。
河原 泰則(かわはら やすのり、1948年 - )は茨城県日… 河原 泰則(かわはら やすのり、1948年 - )は茨城県日立市出身のコントラバス奏者。ドイツのケルン放送交響楽団の首席コントラバス奏者などを歴任。ソリストとしても活動している。 茨城県日立市生まれ。11歳のとき小学校の音楽カリキュラムで初めてコントラバスを手にする。茨城県立水戸第一高等学校から一橋大学商学部に進むが、同時に大学5年目の1971年から1975年まで桐朋学園大学音楽部の聴講生となり堤俊作、小野崎充両名に師事する。1973年一橋大学商学部卒業。憲法学者の成嶋隆新潟大学名誉教授は一橋大学管弦楽団の同期で、ともに学生運動に参加するなどした。 1975年、ベルリン音楽大学に留学しライナー・ツェペリッツ(英語版)、ミシェル・シュヴァルベに師事、1977年、最優秀の成績で卒業した。
島 英二(しま えいじ、1947年10月24日 - )は、日… 島 英二(しま えいじ、1947年10月24日 - )は、日本のミュージシャン、ベーシスト、ギタリスト。 東京都世田谷区で生まれ、世田谷区立八幡小学校2年生の時に父親の意向で神奈川県鎌倉市の材木座や極楽寺に転居する。鎌倉市立第一小学校、鎌倉市立第一中学校、平塚学園高等学校卒業。 自身の叔父は東芝音楽工業にてエバークリーンレコード(赤盤)を開発したチームに所属し、東芝レコード工場長も務めた人物であったという。 元々は、ギタリストであったが、高校時代に、兄の島雄一と「ロック・ビート」「チェッカーズ」を結成する。 大学浪人時代には加瀬邦彦の大学の後輩で、自身の知人でもあった井原芳隆(後の三井製糖社長)が仲介する形で加瀬と面会し、ザ・ワイルドワンズのメンバーとなる。
大井 貴司(おおい たかし、1947年10月16日 - )は… 大井 貴司(おおい たかし、1947年10月16日 - )は、ジャズ・ヴィブラフォン奏者。三重県津市出身。 9歳からマリンバを始め、国立音楽大学打楽器科入学を機にヴィブラフォンを志す。卒業後は渡辺文男クインテット、(g)杉本喜代志グループ、(cl)北村英治グループ等を経て、現在自己のグループ『大井貴司&Super Vibration』を率いて活躍中。 1980年 アメリカ建国100周年記念ビッグイベントとして開かれたウォルフトゥラップ・インターナショナル・ジャズフェスティバルにMJQのピアニスト、ジョン・ルイスに呼ばれ、ウォルフトゥラップ・インターナショナル・ジャズ・フェスティバルにゲスト出演。
菅原 茂(すがわら しげる、1947年〈昭和22年〉10月 … 菅原 茂(すがわら しげる、1947年〈昭和22年〉10月 - )は、日本の指揮者、チューバ奏者。陸上自衛官。武蔵野音楽大学卒業(1974年)。 北海道出身。北海道富良野高等学校卒業。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
本間正史(ほんま まさし、1947年9月22日 - 2016… 本間正史(ほんま まさし、1947年9月22日 - 2016年2月16日)は、日本のオーボエ奏者、音楽教育者、楽器製作者。モダン・オーケストラと古楽オーケストラ双方の第一線で長年にわたって活躍した。父は美術評論家の本間正義。 幼少からヴァイオリンを学び、浦和高校在学中にデューク・エリントンのビッグバンドを聞いて管楽器の道に進む決意をする。1966年東洋音楽大学(現東京音楽大学)に入学、梅原美男にオーボエを手ほどきされ、1968年に桐朋学園大学に入学、オーボエを鈴木清三、室内楽を北爪利世と齋藤秀雄に師事。1972年桐朋学園大学を首席卒業。同年5月に東京都交響楽団に入団、同時期にバロック・オーボエの奏法と制作の研究を独学で始める。
崎元 讓(さきもと じょう、1947年9月11日 - )は、… 崎元 讓(さきもと じょう、1947年9月11日 - )は、日本のクラシック系ハーモニカ奏者。 世界ハーモニカ・コンクール第2位入賞者。CD「ポエム・ハーモニカ」により、2002年度文化庁芸術祭レコード部門で優秀賞受賞。日本音楽家ユニオン代表運営委員、日本芸能実演家団体協議会常任理事を歴任。現在CPRA(実演家著作隣接権センター)運営委員長。新垣勉らのCDのレコーディングに参加。テレビ、ラジオ、映画、CM音楽などの分野でも活躍。 現在CPRA(実演家著作隣接権センター)運営委員長。
池田 菊衛(いけだ きくえい、1947年8月31日 - )は… 池田 菊衛(いけだ きくえい、1947年8月31日 - )は、日本のヴァイオリニスト。 神奈川県出身。元イェール大学音楽院教授、シンシナティ大学客員教授、ニューヨーク大学講師、洗足学園大学客員教授。現在、桐朋学園大学特任教授、サントリー室内楽アカデミーファカルティ、メドゥマウント・スクール・オブ・ミュージック(米国NY州)講師。2013年外務大臣表彰受賞。 開成中学校・高等学校卒業後、桐朋学園大学に於いてヴァイオリンを鷲見三郎、ジョーゼフ・ギンゴールド、室内楽を斎藤秀雄に師事。 1971年に渡米。給費生としてジュリアード音楽院でドロシー・ディレイとジュリアード弦楽四重奏団に師事。日本音楽コンクール、ワシントン弦楽器コンクール、ポルトガルでのヴェエナ・ダ・モッタ・コンクール等で入賞している。
工藤 千博(くどう ちひろ、男性、1947年8月6日 - 2… 工藤 千博(くどう ちひろ、男性、1947年8月6日 - 2009年10月9日)は、日本のヴァイオリニストである。妻は同じくヴァイオリニストの小栗まち絵である。長野県小県郡丸子町(現上田市)生まれ。 1963年、桐朋女子高等学校音楽科(音楽科は男女共学)に入学し、鈴木共子に師事する。1965年、高校3年生の時、第19回全日本学生音楽コンクール東京大会高校の部で第1位を受賞した。1966年、桐朋学園大学に入学、1970年、文化放送音楽賞を受賞。 1971年、桐朋学園大学を中退し、インディアナ大学に留学、ジョーゼフ・ギンゴールド、フランコ・グッリに師事した。1973年、ローザンヌ・エンロー賞を受賞。
大山 平一郎(おおやま へいいちろう、1947年7月31日 … 大山 平一郎(おおやま へいいちろう、1947年7月31日 - )は、日本の指揮者、ヴィオリスト、室内楽奏者、教育者。 現在、ながさき音楽祭音楽監督。米国のサンタバーバラ室内管弦楽団音楽監督兼常任指揮者。シャネル・ピグマリオン・デイズ・コンサート・シリーズ(CHANEL Pygmalion Days Special Concert Series)アーティスティック・ディレクター。および、ザ・チェンバー・プレイヤーズ(The Chamber Players)メンバー。 博多出身の両親のもと、京都府に生まれる。父・平四郎は石庭の研究を志し、戦後京都へ住みはじめる。復活幼稚園、ノートルダム学院小学校(第一期生)、京都市立烏丸中学校に進学するかたわら、5歳からヴァイオリンを中心に音楽教育を受ける。
井上 博(いのうえ ひろし、1947年7月27日 - 197… 井上 博(いのうえ ひろし、1947年7月27日 - 1970年3月31日)は、日本のシンガーソングライター、ベーシストであり、はしだのりひことシューベルツの元メンバーとしても知られる。 京都府京都市北区紫竹西高縄町出身。同志社大学工学部に在学していた。身長176cm。特技はスポーツ(ヨット、水泳、スキー、柔道、サッカー)。 同志社大学在学中、1967年2月に、石塚成孝、後にはしだのりひことシューベルツのメンバーとなる越智友嗣と共にフォークグループ「ザ・ヴァニティー」結成。1968年9月に、コロムビアから「愛に吹く風」でデビュー。 1968年8月、京都での第3回関西フォークキャンプに参加する。同年4月、東芝レコードから「あなただけに」(杉田二郎作詞・作曲)でソロデビューしていた杉田二郎(当時、第1次ジローズとして活動)と一緒に同曲を歌った。
川端民生(かわばた たみお、1947年7月10日 - 200… 川端民生(かわばた たみお、1947年7月10日 - 2000年7月26日)は、北海道紋別郡遠軽町出身のベーシスト。北海道札幌西高等学校卒業。 愛称は「バタさん」。 主にジャズ、フュージョンの領域で活躍。主な共演者は、向井滋春、浅川マキ、渋谷毅、小沢健二など。1978年「ネイティブ・サン」結成に参加。80年代後半以降は、渋谷毅オーケストラを中心に活動。エレキベース、ウッドベースの両方を演奏した。 2000年7月26日、膵臓ガンにより死去。
エディ藩(エディ ばん、Eddie Ban、1947年6月2… エディ藩(エディ ばん、Eddie Ban、1947年6月22日 - 2025年5月10日)は、ギタリスト、ボーカリスト。本名は潘 廣源。神奈川県横浜市山下町出身。中国国籍。 ※1946年生まれの可能性あり。ザ・ゴールデン・カップスのメンバーはデビュー時に所属事務所から1歳サバを読むように指示されていた。1951年生まれのギタリスト・李世福は、インタビューでエディ藩のことを5つ年上だと話している。 ※日本に帰化したという情報もある一方で、「華僑」だとする情報もあり、現状の特定は困難。 1947年6月22日、横浜市山下町で誕生。実家は中華料理の老舗・名店であった「鴻昌」(現在は閉店)。 小学校はインターナショナル・スクールに通う。
四代目 今藤 長十郎 (よだいめ いまふじ ちょうじゅうろう… 四代目 今藤 長十郎 (よだいめ いまふじ ちょうじゅうろう、1947年〈昭和22年〉6月4日 - )は、長唄女流三味線奏者。長唄今藤流四世家元。本名は坂田 小苗(さかた さなえ)。東京都生まれ。 人間国宝の三代目今藤長十郎の三女。伯母は長唄女流三味線弾きの第一人者で重要無形文化財保持者の今藤綾子。 1992年から毎年リサイタル「三味線の響」を開催。長唄の古典の大曲から、父・三代目の作曲した作品、自身の作曲した作品まで披露している。 2011年は3月には「平成22年年度文化庁国際芸術交流支援事業」としてベルリンのベルリン市庁舎ホールで公演が行われた。 創作曲として夫・小松原まさしと共に作曲した『冬の星空』が上演される。
佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 … 佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 - 2012年(平成24年)10月26日)は、日本のシンガーソングライター、ピアニスト、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、作曲家、編曲家、レコーディング & ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、音楽プロデューサー。鹿児島県川辺郡知覧町(現南九州市)生まれ。京都府育ち。日本のトップ・キーボーディストとして知られる。 1947年6月3日、真宗大谷派の寺の長男として鹿児島県の知覧にて生を受け、2年後の1949年に京都の寺に移住する。中学時代の14歳の頃になると「寺の住職になるという家業を継ぐしかなく、職業選択の自由も許されないのか」と自問し、世の中への怒りや人間社会の偽善性や生きることへの希望も見失う精神的ブラックホールの真っ只中にいた。
松田 幸一(まつだ こういち、1947年4月15日 - )は… 松田 幸一(まつだ こういち、1947年4月15日 - )は、富山県魚津市出身のハーモニカ奏者である。通称アリちゃん。1969年より翌年にかけて中川イサト、瀬尾一三、金延幸子らと「愚」として活動。30年以上スタジオ・ミュージシャンとして数々のアーティストのレコーディングやライブに参加。その作品は100を越す。ソロ・アーティストとしてもライブ活動を続ける一方、ラストショウ、1972年に結成したアーリータイムスストリングスバンドのメンバーである。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
永島 義男(ながしま よしお、1947年4月9日 - )は日… 永島 義男(ながしま よしお、1947年4月9日 - )は日本のコントラバス奏者。東京都杉並区阿佐谷生まれ。2015年3月まで東京藝術大学教授を務め、永島の助教授時代および教授時代の通算25年間における同大学出身のコントラバス奏者は、ほとんどが弟子にあたる。 東京藝術大学卒業。在学中に安宅賞を受ける。27歳の時より、母校東京藝術大学で後進の指導を始める。ソロ、室内楽奏者として、リサイタル、オーケストラとの共演、室内楽、放送、TVなどに数多く出演する。また、現代音楽にも積極的に取り組み、邦人作品の初演なども数多く行ない1986年に第4回中島健蔵音楽賞を受ける。これまでに、マン島国際(イギリス)、泉の森国際、ボッテジーニ国際(イタリア クレマ)、宝塚ベガ、栃木コンセールマロニエ、秋吉台、等の国内外のコンクールの審査員も務める。
中本 マリ(なかもと マリ、1947年〈昭和22年〉3月26… 中本 マリ(なかもと マリ、1947年〈昭和22年〉3月26日 - )は、日本のジャズ、フュージョン、ポピュラー歌手。 1947年3月26日宮城県仙台市に生まれる。3歳のときからピアノとクラシック・バレエを学び、10歳のときに東北児童合唱団に所属した。1962年、東邦音楽大学付属高校声楽科入学する。ワタナベプロ所属の4人組女性コーラスグループ「ザ・スカーレット」でプロ活動も始める。 1970年、ジャズ・ヴォーカルに転向し、赤坂の高級クラブ、「VIPA ROOM」で歌い始め、1973年アルバム『アンフォゲッタブル』でソロデビューする。スリー・ブラインド・マイス レーベルで3人目の女性ジャズシンガーだった。
中村 誠一(なかむら せいいち、1947年3月17日 - )… 中村 誠一(なかむら せいいち、1947年3月17日 - )は、日本のジャズ・テナーサックス奏者。洗足学園音楽大学音楽学部音楽学科器楽専攻ジャズコース教授を務めている。
中村 誠一(なかむら せいいち、1947年3月17日 - )… 中村 誠一(なかむら せいいち、1947年3月17日 - )は、日本のジャズ・テナー・サクソフォーン演奏者。洗足学園音楽大学音楽学部音楽学科器楽専攻ジャズコース教授を務める。ジャズ歌手として活動中の紗理(1985年生まれ)は娘。 東京都出身。日本大学櫻丘高等学校在学中に吹奏楽部に所属、2学年上のクラリネット奏者・花岡詠二によってスウィング・ジャズの洗礼を受ける。1969年、国立音楽大学サックス科卒業。クラリネットを大橋幸夫、サクソフォーンを石渡悠史に師事。 大学在学中から山下洋輔と共に演奏、1969年から1972年まで第1期山下洋輔トリオで活動。トリオ脱退後はゲス・マイ・ファインズでの活動を経て、1978年に渡米し、ジョージ・コールマンに師事。
森ミドリ(もり みどり、1947年2月4日 - )は、日本の… 森ミドリ(もり みどり、1947年2月4日 - )は、日本の作曲家、演奏家、エッセイスト、司会者。本名もカタカナのミドリ。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立菊里高等学校音楽科、東京藝術大学作曲科卒業。1975年に同大学院修士課程修了。同大学在学中に安宅賞を受賞。作曲を池内友次郎、矢代秋雄、佐藤眞、ピアノを小津恒子、伊達純に師事する。芸大の同期に加古隆、浦田健次郎、松田昌らがいる。 芸大在学中からテレビやラジオに出演し注目を集める。また日本ビクター(後のJVCケンウッド)が開発・製造・発売した電子オルガン「ビクトロン」の演奏でも知られた。リクエストを受けた曲にすぐさまアレンジを加えて演奏する腕前は作曲家ならではであった。
成毛 滋(なるも しげる、1947年〈昭和22年〉1月29日… 成毛 滋(なるも しげる、1947年〈昭和22年〉1月29日 - 2007年〈平成19年〉3月29日)は日本のギタリスト、キーボーディスト。東京都出身。1960年代後半から1970年代を中心として国内のロックシーンで活躍。 ブリヂストン創業者である石橋正二郎の孫で父親は同社副社長、妹は漫画家の成毛厚子。鳩山威一郎は母方の伯母の夫で、鳩山由紀夫・邦夫兄弟は従兄弟。 2007年3月29日、大腸がんのため死去。享年60。 1947年に東京都に生まれる。実家が進駐軍と深い関わりを持っており、進駐軍の女性と暮らしていた。そのため、幼少のころより蓄音機でアメリカのレコードを聴いて育った。小学校は慶應義塾幼稚舎に入学した。
吉田 憲司(よしだ けんじ、1947年 - )は、日本のスタ… 吉田 憲司(よしだ けんじ、1947年 - )は、日本のスタジオ・ミュージシャン、トランペット奏者、作曲家、編曲家。日本初のサルサ・グループであるオルケスタ・デル・ソルに結成から17年間在団。 岡山県岡山市出身。3歳からヴァイオリンを習い、中学入学からはトランペットも始める。岡山県立岡山東商業高等学校に進み、2年生からは本格的にトランペットに転向。卒業後は国立音楽大学に入学。在学中からジャズのグループを仲間達と結成し、都内でのライブ活動を始める。4年生の卒業前に顔見知りだった指揮者からの話で都内の某オーケストラのオーディションを受けるが、合格通知が届かなく、先輩の誘いで卒業後、高橋達也・東京ユニオンにも参加するが、数ヶ月で退団し、猪俣猛のサウンド・リミテッドとザ・サードに移籍。
長岡 慎(ながおか しん、1947年 - )は、島根県松江市… 長岡 慎(ながおか しん、1947年 - )は、島根県松江市出身のホルン奏者。東京芸術大学卒業。日本ホルン協会会員。 1976年に東京フィルハーモニー交響楽団に首席ホルン奏者として入団し、15年間在籍する。それと並行して東京ブラスアンサンブルのメンバーとしても活躍した。東京フィルハーモニー交響楽団の事務局を経て、2003年には松江市総合文化センター プラバホールのアートディレクターに就任する。 1980年代前半には、渡辺貞夫、松山千春、中島みゆき、南佳孝などのミュージシャンの作品にホルン演奏で参加している。 2014年にプラバホールの芸術監督に就任し、コンサートの企画や運営などに携わっている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
神谷 幸一(かみや こういち、1947年 - )は、日本の沖… 神谷 幸一(かみや こういち、1947年 - )は、日本の沖縄県出身の沖縄民謡歌手、三線奏者。琉球國民謡協会会長。沖縄市・コザで民謡酒場「花ぬ島」を主宰し、沖縄民謡の普及・後進育成に取り組んでいる。 1947年、沖縄県うるま市に生まれる。10代の頃から独学で三線を始め、高校時代にはアマチュア民謡大会で第3位に入賞した。その後、亀谷朝仁に師事し、本格的に沖縄民謡を学んだ。 1960年代から歌手活動を続け、沖縄民謡を中心とした舞台・ラジオ・イベントへ出演。コザに民謡酒場「花ぬ島」を開き、県内外の演奏家や愛好家が集う拠点として活動している。 また、神谷幸一民謡研究所および黄金島うた謡会を主宰し、後進の育成を行うとともに、琉球國民謡協会会長として沖縄民謡の保存・継承活動にも携わっている。
赤松 二郎(あかまつ じろう、1947年 - 2022年12… 赤松 二郎(あかまつ じろう、1947年 - 2022年12月14日)は、日本のサクソフォーン奏者。クラシック、ジャズ両方のジャンルで演奏活動と後進の指導を行う。大阪音楽大学教授・理事。 大阪音楽大学をはじめ大阪芸術大学、相愛大学などで教鞭をとる。管弦楽や吹奏楽とも盛んに共演。大阪音楽大学音楽博物館にはアドルフ・サックス(サクソフォーンの開発者)のサクソフォーンが収蔵されていて、赤松が演奏したことがある。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
松田 昌(まつだ まさ、1946年12月10日 - )は、日… 松田 昌(まつだ まさ、1946年12月10日 - )は、日本・兵庫県生まれ、東京芸術大学作曲科出身の電子オルガン・鍵盤ハーモニカ奏者、作曲家、編曲家である。名古屋音楽大学客員教授、宇都宮短期大学特別講師。 1973年第10回ヤマハ・エレクトーン・インターナショナル大会でグランプリ受賞。その後キーボーディスト・作曲家として、日本全国各地海外での演奏活動を中心に、映画/ミュージカルの作曲、テレビの音楽制作/プロデュースイベント出演、後進の指導等、精力的に活動中。コンサートでは、尺八、バイオリン、二胡とのデュオ等で、アジアと日本の伝統的な音楽の融合を目指し、表情の豊かさとシャープな演奏で独自の世界を築き上げている。
徳永 二男(とくなが つぎお、1946年11月20日 - )… 徳永 二男(とくなが つぎお、1946年11月20日 - )は、日本のヴァイオリニスト。 神奈川県横須賀市出身。父はヴァイオリニストの徳永茂、兄はチェリストの徳永兼一郎。父の英才教育を受け、鷲見三郎にも師事した。1958年、小学校6年生の時、第12回全日本学生音楽コンクール全国大会で第1位を受賞。桐朋学園大学音楽科に進み、斎藤秀雄に師事。1965年、第34回日本音楽コンクールで第3位を受賞した。 1966年、当時日本楽壇史上最年少のコンサートマスターとして東京交響楽団に入団。1968年、文化庁在外派遣研修生としてベルリンへ留学、ミシェル・シュヴァルベに師事した。1974年、チャイコフスキー国際コンクールに出場し、ディプロマ賞を受賞した。
篠崎 史子(しのざき あやこ、1946年8月7日 - )は、… 篠崎 史子(しのざき あやこ、1946年8月7日 - )は、日本のハープ奏者。篠崎弘嗣の次女、篠崎功子の妹。東京都出身。 桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部演奏学科を卒業。イスラエル国際ハープ・コンクール第3位(1970年)。現在は東京音楽大学・桐朋学園大学音楽学部で後進の指導もしている。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
深町 純(ふかまち じゅん、1946年〈昭和21年〉5月21… 深町 純(ふかまち じゅん、1946年〈昭和21年〉5月21日 - 2010年〈平成22年〉11月22日)は、日本の作曲家・編曲家・キーボーディスト・シンセサイザー奏者。東京都出身。一部の作品で馬場 浩の名を使用。 3歳よりピアノを習い始め、高校時代にはオペラの指揮や演出を手がける。東京都立大泉高等学校卒業。東京芸術大学作曲科を卒業直前に中退。 1971年(昭和46年)、ポリドールより1stアルバム『ある若者の肖像』でデビュー。以降は作曲、編曲やプロデュース、テレビ番組やCM、映画音楽を手掛けるほか、フュージョンのキーボーディストとして活動。 シンセサイザーにも造詣が深く, 1970年代初頭から数々のアルバムでシンセサイザーを使用している。
鈴木 良雄(すずき よしお、1946年3月21日 - )は、… 鈴木 良雄(すずき よしお、1946年3月21日 - )は、日本のベーシスト、作曲家。 長野県木曽郡木曽福島町(現・木曽町)生まれ。杉並区立松溪中学校、東京都立杉並高等学校を経て、早稲田大学第二文学部に入学し、早稲田大学第一文学部を卒業。 鈴木良雄は、一家の疎開先の木曽福島で生まれ、祖父は鈴木バイオリン製造の創業者・鈴木政吉、父の鈴木喜久雄もバイオリン制作者、母はピアノ教師、さらに叔父は「スズキ・メソード」の創始者鈴木鎮一という音楽一家に育つ。中学入学と同時に帰京。幼少時からピアノとヴァイオリン、高校ではギターを学ぶ。早稲田大学入学後早大モダンジャズ研究会(通称ダンモ研)に入りピアノを担当。1年後輩にはタモリや増尾好秋がいた。
星 吉昭(ほし よしあき、1946年3月16日 - 2004… 星 吉昭(ほし よしあき、1946年3月16日 - 2004年10月1日)は、日本のシンセサイザー奏者。姫神(旧:姫神せんせいしょん)としての活動で知られる。 宮城県栗原郡若柳町(現:栗原市)出身。1971年、ビクター電子音楽コンクールでグランプリ受賞。1980年、姫神せんせいしょん結成。翌年、シングル『奥の細道』でレコード・デビュー。シンセサイザーで表現した日本の原風景的音楽で注目を集める。 大学時代を東京で過ごしていた頃は、ディキシーランド・ジャズに傾倒していた。帰郷後、南部牛追唄をシンセサイザーで演奏できないかという発想を契機に、姫神せんせいしょんを結成する。 1984年、ユニット名を姫神と改め、ソロ・ユニットとして活動を始める。
柴田 浩一(しばた こういち、1946年 - 2020年3月… 柴田 浩一(しばた こういち、1946年 - 2020年3月31日)は、日本のジャズ・プロデューサー。専門はジャズ、イベント企画・構成、ラジオ番組構成。横浜ジャズプロムナードのディレクター。NHKよこはまFM「FMサウンドクルーズ」:水曜パーソナリティ。横浜JAZZ協会常任理事。 横浜市西区出身。1946年、鉄工所経営者の長男として生まれる。横浜市立平沼小学校、日本大学中学校、日本大学高等学校を経て日本大学法学部経営法学科を卒業。 中学時代にジャズと出逢い、高校生になってジャズ・コンサートに通いつめる。1964年、初来日のデューク・エリントンのコンサートに行き衝撃を受けて以来、エリントンの研究及びレコード収集を続け、現在は日本有数のエリントンのコレクターでもある。
磯村 和英(いそむら かずひで、1945年12月27日 - … 磯村 和英(いそむら かずひで、1945年12月27日 - )は、日本のヴィオラおよびヴァイオリン奏者。東京クヮルテット創設メンバー。イェール大学音楽院教授。愛知県出身。 桐朋学園で齋藤秀雄らに師事する。渡米後、ナッシュヴィル交響楽団の副コンサートマスターに就任したが、室内楽とヴァイオリンへの情熱を抑えきれず、1968年より全額給費奨学生としてジュリアード音楽院に入学、ヴァイオリンをイヴァン・ガラミアンらに、ヴィオラをワルター・トランプラー、室内楽をロバート・マンらに学ぶ。1970年にジュリアード音楽院を中退した。 1969年秋、桐朋、ジュリアードを通じての仲間とともに東京クヮルテットを結成する。
沖山 秀子(おきやま ひでこ、1945年12月21日 - 2… 沖山 秀子(おきやま ひでこ、1945年12月21日 - 2011年3月21日)は、日本の女優、ジャズ、歌謡歌手。 鹿児島県出身。両親は沖永良部島出身。後に兵庫県神戸市灘区に転居している。関西学院大学在学中に映画『神々の深き欲望』に出演。 以後『喜劇 女は度胸』、『わが恋わが歌』、『いつか来るさよなら』、『アッと驚く為五郎』、『喜劇 男は愛嬌』、『ズンドコズンドコ全員集合!!』、『どですかでん』(黒沢明監督作品)、『真剣勝負』、『黒木太郎の愛と冒険』、『十九歳の地図』、『陽炎座』、『赤目四十八瀧心中未遂』に出演。 『グレープフルーツのような女 性乱の日々』では監督兼脚本を務めた。 歌手としては、シングル『ダンチョネ節 / ピエロが街にやって来る』、アルバム『Summertime』をリリース。
川人 伸二(かわひと しんじ、1945年(昭和20年)10月… 川人 伸二(かわひと しんじ、1945年(昭和20年)10月7日 - )は、日本のフルート奏者。指揮者。作曲家。徳島文理大学名誉教授。大阪健康福祉短期大学理事。 マンハイム音楽大学卒業。徳島県阿波市出身。父は作曲家の川人利夫。兄弟は同じくフルート奏者の川人洋二と川人昭夫。 徳島県阿波市出身。作曲家・川人利夫の三男として生まれ、徳島県立阿波高等学校を卒業後、1975年(昭和50年)よりドイツのマンハイム音楽大学ソリストコースに入学し、フルートをヨアヒム・シュタルケ、指揮をクラウディオ・サントロに師事する。またマルセル・モイーズのレッスンを受ける。 1976年(昭和51年)、マンハイム市立歌劇場管弦楽団の常任フルート奏者に就任。
名倉 淑子(なくら よしこ、1945年〈昭和20年〉9月7日… 名倉 淑子(なくら よしこ、1945年〈昭和20年〉9月7日 - 2018年〈平成30年〉11月6日)は、日本のヴァイオリニスト。東京クヮルテット創立メンバー。水戸室内管弦楽団、及びサイトウ・キネン・オーケストラ団員、フェリス女学院大学音楽学部名誉教授、 桐朋学園大学講師。本名は岡田淑子(おかだ よしこ)。夫はビオラ奏者の岡田伸夫。 新潟県出身。桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部にて、斉藤秀雄らに師事。共に首席で卒業した。 ジュリアード音楽院に留学し、在学中の1969年に、桐朋学園時代の仲間達と、東京クヮルテットを結成。ジュリアード弦楽四重奏団に教えを受け、1970年、ミュンヘン国際コンクール弦楽四重奏部門、アメリカのコールマン・コンクールで優勝。
古澤 良治郎(ふるさわ りょうじろう、1945年9月5日 -… 古澤 良治郎(ふるさわ りょうじろう、1945年9月5日 - 2011年1月12日)は日本のジャズ・ドラマー。モダン・ジャズからフリー・ジャズ、フュージョンと、様々なセッションに参加し、さらにジャンルの枠を超えてフォークやロック分野のミュージシャンたちと数多く共演したほか、作曲も行い、演劇や映画などにも音楽を提供した。 仙台市出身。永く西荻窪に住んだが、終生仙台訛りで喋った。国立音楽大学音楽学部打楽器科を卒業。 在学中からジャズ・ドラマーを志し、この頃から板橋文夫とともに演奏することが多かった。卒業後の1969年に本田竹広のグループに参加し、プロ・ドラマーとしての活動を始めた。以降、自らがリーダーのグループをもちながら、山下洋輔トリオ、渋谷毅トリオ、ELBCTRO JAZZ GROUP(本田竹廣、渡辺香津美など)、向井滋春クインテット、本多俊之PROJECT 4、峰厚介クインテットなどをはじめ、数多くのグループ、セッションに参加する。
稲川 榮一(いながわ えいいち、1945年8月6日 - )は… 稲川 榮一(いながわ えいいち、1945年8月6日 - )は、日本のチューバ奏者。東京芸術大学名誉教授。
徳江 尚子(比佐子)(とくえ ひさこ、Hisako Toku… 徳江 尚子(比佐子)(とくえ ひさこ、Hisako Tokue、1945年7月6日 - 2019年9月18日)は、東京生まれのヴァイオリニストである。妹はピアニストの徳江陽子。 3歳からヴァイオリンを始め、鷲見三郎、鷲見四郎、江藤俊哉に師事。1958年、学習院女子中等科1年生の時、第12回全日本学生音楽コンクール東京大会中学生の部で第2位を受賞し(この年の東京大会、全国大会第1位は和波孝禧)、東京交響楽団と共演してデビュー。翌1958年の第13回同コンクールでは、東京大会、全国大会ともに第1位を受賞した。1961年、桐朋女子高等学校に進み、斎藤秀雄に師事。同年の高校1年生の時、第31回日本音楽コンクールに出場し、第2位を受賞した(このコンクールでの第1位は振吉圭子、第3位は和波だった)。
鰐淵 晴子(わにぶち はるこ、1945年4月22日 ‐ )は… 鰐淵 晴子(わにぶち はるこ、1945年4月22日 ‐ )は、日本の女優・歌手・ヴァイオリニスト。身長165cm、体重48kg。アートプロモーション所属。2007年まではアクターズプロモーションに所属していた。 東京都生まれ。大西学園高校卒業。1995年、『眠れる美女』などで毎日映画コンクール女優助演賞受賞。 新潟県長岡市出身のヴァイオリニスト・鰐淵賢舟とハプスブルク家の末裔の1人であるオーストリア人の母・ベルタの間に出生。防空壕の中での出産であった。大ドイツ主義的な解釈から日独ハーフ、ドイツ系と記述されることもある[要出典]。 父の指導のもと、3歳からヴァイオリンの英才教育を受けて8歳で全国を演奏旅行し、当時は「天才少女ヴァイオリニスト」と騒がれた。
堀 了介(ほり りょうすけ、1945年4月10日 - )は、… 堀 了介(ほり りょうすけ、1945年4月10日 - )は、日本のチェリスト。東京音楽大学教授、副学長、日本チェロ協会副会長、サイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団メンバー。チェリストの堀沙矢香は娘。 東京都出身。8歳より齋藤秀雄にチェロを師事。桐朋女子高等学校音楽科卒業後、1967年の桐朋学園大学オーケストラ研究生の時、第36回日本音楽コンクール第1位入賞。1968年に読売日本交響楽団に入団するも1年で退団し、1969年にウィーン・コンセルヴァトリウム音楽大学(英語版)に入学。 1970年の卒業後、ジュネーヴにてピエール・フルニエに2年間師事。帰国後、NHK交響楽団に入団し、1979年に退団するまで首席奏者を務めた。
和波 孝禧(わなみ たかよし、1945年4月1日 - )は、… 和波 孝禧(わなみ たかよし、1945年4月1日 - )は、東京生まれのヴァイオリニストである。桐朋学園大学卒業。祖父は海軍中将で、山本五十六と同期の和波豊一である。 生来の全盲であったが、4歳からヴァイオリンを始め、辻吉之助、鷲見三郎、江藤俊哉に師事。1954年、9歳の時、第6回全日本盲学生音楽コンクールで第1位特賞を受賞。1958年、中学校2年生の時、第12回全日本学生音楽コンクール全国大会中学生の部で第1位を受賞した。1959年、14歳の時に山本富士子の弟役として大映映画「いつか来た道」に出演した。1962年、第31回日本音楽コンクールで第1位、特賞を受賞。1963年、斎藤秀雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団のソリストとしてデビューした。
杵屋 勝国(きねや かつくに、1945年(昭和20年)3月2… 杵屋 勝国(きねや かつくに、1945年(昭和20年)3月28日 - 2023年(令和5年)2月9日)は、日本の長唄三味線奏者。位階は正五位。人間国宝。2020年(令和2年)、日本芸術院賞・恩賜賞受賞。本名は牟田口 照國(むたぐち てるくに)。福岡県みやま市出身。 実家は料理屋を営んでおり、父は長唄を唄い、母は三味線を弾く家庭に育ち、幼い頃から長唄に親しんだ。6歳の6月6日に隣に住む杵屋寿太郎に入門し、三味線を始める。14歳で七代目家元、杵屋勝三郎から名取を認められ、杵屋勝国を名乗るようになる。その後東京藝術大学邦楽科に進学、1967年(昭和42年)に卒業。1980年(昭和55年)には坂東玉三郎が踊る「鷺娘」、5世中村勘九郎(後の18世中村勘三郎)が踊る「供奴」で、歌舞伎公演での立三味線を初めて務めた。
大津留克明(別名・パパ大津留、1945年3月11日 - )は… 大津留克明(別名・パパ大津留、1945年3月11日 - )は、ジャズトロンボーン奏者。青森県弘前市生まれ。「ジギングのパパ」とも呼ばれる。 高校生の頃より吹奏楽部に所属、トロンボーンを演奏を目指して昭和38年に上京。音楽学校を中退しジョージ川口&オールスターズのオーディションを受け合格(大津留の芸名は当時の仇名から)、ジャズミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。その後、スマイリー小原とスカイライナーズに6年間在籍。さらに豊岡豊&スイングフェイスを経て、自己のバンド「オークション」「エボニー・ファンクショップ」「オールディーズ・ブルースキャンペーン」を結成(その頃からパパと呼ばれる)。ライブ演奏の傍ら、音楽番組や劇場音楽の作編曲者として活動する。
坂田 明(さかた あきら、1945年2月21日 - )は、日… 坂田 明(さかた あきら、1945年2月21日 - )は、日本のジャズ・サクソフォーン奏者、タレント、俳優。ミジンコ研究家としても知られている。 息子もミュージシャンで、元・バンド「Polaris」のドラマー坂田学。 広島県呉市広長浜生まれ。広島県立広高等学校を経て、広島大学水畜産学部水産学科に進学し、井上敬三に師事。ジャズ研でアルトを吹く。大学卒業後、1969年4月に上京し、「細胞分裂」を結成。「ピットイン」「プルチネラ」等で活動。1972年から1979年末まで山下洋輔トリオに在籍。激しいサックス演奏で知られるようになる。同トリオを脱退後は、さまざまなグループの結成・解体を繰り返し、2000年から「坂田明mii(みい)」を中心に活動。