鹿島 重正(かしま しげまさ、1816年 - 1857年)は… 鹿島 重正(かしま しげまさ、1816年 - 1857年)は、伯耆国米子(現・鳥取県米子市)の商人、歌人。下鹿島家3代目。次助と称する。 嘉永年間に、米子城四重櫓が腐朽して改築が必要になった時、本家とともにその費用を負担して再建する。翠の屋と号し、和歌をよくする。加納諸平編『類題鰒玉集』4編に名がみえる。『鰒玉集作者姓名録』3編は重正が編集した。墓所は米子市寺町の心光寺。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大原 其戎(おおはら きじゅう、四時園其戎、文化9年5月18… 大原 其戎(おおはら きじゅう、四時園其戎、文化9年5月18日(1812年6月26日) - 明治22年(1889年)3月31日)は、伊予松山の俳人。通称は熊太郎、沢右衛門。 青年期の正岡子規が俳句の指導を受けた人物である。 伊予国(現・愛媛県)の三津浜に生まれた。父親は綿・麻織物を扱う太物商で俳人の其沢である。万延元年(1860年)、京都に出て七世桜井梅室に入門し、二条家から宗匠の免許を受けた。その後、故郷に戻り俳諧結社の明栄社を興し、明治13年(1880年)に月刊俳誌『真砂の志良辺』を創刊した。同誌に投稿した俳人は800人に達した。 上京後、俳句に興味を持った正岡子規が、明治20年(1887年)の2度目の帰郷の際、友人の勝田主計の勧めで其戎のもとを訪ね、句稿を見せて批評を仰いだ。
渡 忠秋(わたり ただあき、1811年3月4日(文化8年2月… 渡 忠秋(わたり ただあき、1811年3月4日(文化8年2月10日) - 1881年(明治14年)6月5日)は、幕末から明治初期の歌人。御歌所御用掛。本姓は鳥居氏。通称は新太郎、楊園・桂蔭と号した。 1811年3月4日((旧暦)文化8年2月10日)近江国高島郡舟木(現滋賀県高島市安曇川町南舟木)に生まれ、鳥居家より渡家を継いだ。楊園の号は、『万葉集』のあど川柳の歌(霰降り遠江のあど川柳、刈れどもまたも生ふちう あど川柳)にちなんで名付けたと伝えられる。同郷の国学者 中江千別に学び、のちに和歌の道を志し、京都に出て香川景樹の門に入る。 家を弟に譲り京都に住み、時の右大臣三条実万に仕え、香川景樹の没後は桂園派を守った。
加藤 千浪(かとう ちなみ、1810年12月15日(文化7年… 加藤 千浪(かとう ちなみ、1810年12月15日(文化7年11月19日) - 1877年(明治10年)11月18日)は、幕末から明治時代の国学者・歌人。通称は弥三郎または弥助。号は萩園。 陸奥国白河(現在の福島県白河市)にて加藤美方と母緑川氏の子として生まれる。幼少より勉学を好み、後に江戸に出て、岸本由豆流に国学を学ぶ。歌道や書に長けていたという。 明治維新後、歌人としての名声が高く、多くの門人を抱えた。この中には伊東祐命や中島歌子などがいる。1877年(明治10年)11月18日逝去。享年68歳。墓所は深川の臨川寺。妻は三宅氏で、子供はなく養子を関氏よりとった。 顕彰碑が向島区の牛嶋神社に建立された。
近藤 芳樹(こんどう よしき、享和元年5月25日〈1801年… 近藤 芳樹(こんどう よしき、享和元年5月25日〈1801年7月5日〉 - 1880年〈明治13年〉2月29日)は、幕末から明治時代の国学者、歌人、長州藩士である。本姓は田中、初名は裕。通称は源吾後に晋一郎。字は子潜、真蔭。号は寄居子庵、風月史生等。 周防国吉敷郡岩淵(現・山口県防府市)の百姓・田中源吉の長男として生まれる。猪飼敬所や原古処が周防を訪れた際に教えを受ける。文政6年()上方へ赴き、村田春門に歌学を、本居大平に国学を、山田以文に有職故実を学んだ。その後広島に居住。 天保10年()長州藩主・毛利敬親に召されて萩へ移る。翌年長州藩士近藤家を継承し近藤芳樹と改める。萩で家塾・抄宗寮を開いて弟子を育てる。
高畠 式部(たかばたけ しきぶ、天明5年(1785年) - … 高畠 式部(たかばたけ しきぶ、天明5年(1785年) - 明治14年(1881年)5月28日)は、日本の幕末期から明治初期にかけての歌人。本名は刀美。式部は雅号である。 伊勢国松坂の商家に生まれる。 香川景樹から桂園流の歌を学び、景樹の歿後は千種有功に師事。和歌以外に書画、彫刻、琵琶、笙、茶道等も学んだ。 歌集に、『麦の舎集』、『式部蓮月二女和歌集』などがある。 墓は、京都市東山区円山町626の時宗寺院、黄台山長楽寺にある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
五島 高資 は、俳人、医師(博士 )、地域学者。別号、篁風(… 五島 高資 は、俳人、医師(博士 )、地域学者。別号、篁風(こうふう)。栃木県宇都宮市在住。なお五島高資というのは本名ではなく俳人名。
島田 牙城 は、京都府出身の俳人・編集者。日野草城の学生時代… 島田 牙城 は、京都府出身の俳人・編集者。日野草城の学生時代の句友で夭折した中西其十の再発見や、27歳で第二次大戦の戦火に斃れた俳人・平松小いとゞの再評価、「ゆきあひ」「桃柳」など日本文化に根ざしていながら歳時記に登録されていない季節の言葉に光を当てるなど、市井の研究者としての側面を見せながら、徹底取材による「俳」の体現、俳句作りを提唱している。
山城 正忠 は、明治から昭和にかけて活動した歌人、小説家。唐… 山城 正忠 は、明治から昭和にかけて活動した歌人、小説家。唐名は胡 之忠。
広渡 敬雄 は、日本の俳人。
三ヶ島 葭子 は、日本の歌人である。
正田 篠枝 は、日本の歌人、平和運動家。本名は正田シノエ。広… 正田 篠枝 は、日本の歌人、平和運動家。本名は正田シノエ。広島県安芸郡江田島村字秋月(後の江田島市)出身。広島市への原子爆弾投下による被爆者の1人。被爆経験を詠んだ多数の短歌により「原爆歌人」として知られており、中でも原爆批判に対する厳しい統制下で出版された歌集『さんげ』が、原爆文献中でも随一の稀覯本として知られている。弟に経済学者の正田誠一、又従兄弟に作家の小久保均がいる。
中城 ふみ子 は、日本の歌人。北海道河西郡帯広町(現・帯広市… 中城 ふみ子 は、日本の歌人。北海道河西郡帯広町(現・帯広市)出身。旧姓は野江富美子、妹の野江敦子も歌人である。中城は婚姻後の姓で、離婚後も中城を名乗った。戦後活躍した代表的な女性歌人の一人で、寺山修司とともに現代短歌の出発点であると言われている。
絹川 柊佳(きぬがわ しゅうか)は、日本の歌人。 2016年… 絹川 柊佳(きぬがわ しゅうか)は、日本の歌人。 2016年、「いつも明るい」で第59回短歌研究新人賞を受賞し商業誌にデビュー。2022年、第1歌集『短歌になりたい』を刊行。
原 阿佐緒 は、日本の歌人である。阿佐緒と東北帝国大学教授で… 原 阿佐緒 は、日本の歌人である。阿佐緒と東北帝国大学教授であった石原純との恋愛問題は大正時代を代表する恋愛スキャンダルのひとつとされていて、短歌とともに恋愛問題が著名であり、多くの短歌作品も恋愛体験がテーマとなっている。
月野 ぽぽな(つきの ぽぽな)は、日本の俳人。本名、木川実千… 月野 ぽぽな(つきの ぽぽな)は、日本の俳人。本名、木川実千代(きがわ みちよ、旧姓日野)。アメリカ合衆国ニューヨーク市在住。金子兜太主宰「海程」同人(終刊まで)、「海原」同人(2018年9月より)。現代俳句協会会員。星の島句会(旧称「ニューヨーク句会」)代表。夫はピアニストの木川貴幸。 長野県に生まれる。長野県伊那北高等学校、信州大学教育学部卒業。教員を経て渡米。2004年俳句結社「海程」に入会、金子兜太に師事。2008年第43回海程新人賞受賞。2009年豆の木賞受賞、2010年「ハミング」で第28回現代俳句新人賞受賞、海外日系人協会主催の第8回海外日系文芸祭海外日系新聞放送協会会長賞受賞、2011年北米伊藤園俳句グランプリ優秀賞受賞。
松宮 寒骨(まつみや かんこつ、1883年(明治16年)- … 松宮 寒骨(まつみや かんこつ、1883年(明治16年)- 1968年(昭和43年)は、石川県出身の日本の俳人。広告研究家。本名および広告学では松宮三郎名義。
渡辺 誠一郎 は、宮城県塩竈市出身の俳人。1987年、佐藤鬼… 渡辺 誠一郎 は、宮城県塩竈市出身の俳人。1987年、佐藤鬼房に師事。1990年、鬼房主宰の「小熊座」同人。1996年、第1回小熊座賞受賞。1998年、句集『余白の轍』で第3回中新田俳句大賞スウエーデン賞受賞。2005年、宮城県芸術選奨受賞。2014年、句集『地祇』で第14回俳句四季大賞、2015年、同句集で第70回現代俳句協会賞受賞。『地祇』は580句あまりからなる第三句集で、うち100句以上は東日本大震災を詠んだものである。「小熊座」編集長。現代俳句協会、日本文藝家協会会員。
山本 康夫 は、広島県で活動した日本の歌人。1930年より広… 山本 康夫 は、広島県で活動した日本の歌人。1930年より広島で短歌結社「真樹」(しんじゅ)を主宰。日本歌人クラブ中国地区幹事や、広島県歌人クラブ会長も務めた。「真樹」の活動で第2回(1981年度)広島文化賞を受賞。短歌の理念として「内面客観」の理論を唱えた。
谷山 花猿(たにやま かえん、1932年(昭和7年)3月 -… 谷山 花猿(たにやま かえん、1932年(昭和7年)3月 - 2018年(平成30年)は、日本の俳人、経済学者。専門は 日本金融史。本名は伊牟田敏充で法政大学名誉教授、遼寧大学名誉教授。月刊『俳句人』編集長、新俳句人連盟会長(1998-1999年)、現代俳句協会副幹事長を歴任。第7回新俳句人連盟賞受賞。満州国奉天省(現在の遼寧省瀋陽市)出身。 1932年、満洲国奉天省に生まれる。敗戦により家族とともに帰国。東京大学経済学部、東京大学大学院経済学研究科から助教を経て法政大学経営学部の教授となる。 俳句は1971年、ホトトギス系の「山茶花」に入会、下村非文に師事するも、1973年に橋本夢道と出会い社会性俳句に傾倒、夢道の推薦で新俳句人連盟に入会し、同時に当時委員長だった古沢太穂の「道標」に入る。
五十嵐 淳雄(いがらし あつお)は、日本の歯科医師、歌人、作… 五十嵐 淳雄(いがらし あつお)は、日本の歯科医師、歌人、作家である。 五十嵐は、横浜国立大学経済学部経済学科を卒業した後に東京医科歯科大学歯学部を卒業したという、作家としては異色の経歴を持つ。普段は、歯科医師として東京都港区の新橋駅近くの「いがらしデンタルクリニック」にて診療を行なっている。 作歌活動は平成14年(2002年)に短歌結社「玲瓏」に参加したことから始まった。 平成24年(2012年)から令和2年(2020年)までの約8年半にわたり、歌誌『短歌研究』にて『塚本邦雄の映画手帳』を連載した。 また、三島由紀夫に関し、小説や本人を研究しており、その造詣も深い。2020年、『短歌研究』にて「三島由紀夫、『肉体』と『創作』」という記事を前篇と後篇に分けて寄稿している。
浦野 敬(うらの けい)は、大正・昭和期の日本の歌人。 栃木… 浦野 敬(うらの けい)は、大正・昭和期の日本の歌人。 栃木県安蘇郡佐野町生まれ。1916年東京高等商業学校(現一橋大学)本科卒業。1927年に高商同期の大熊信行が創刊した「まるめら」の同人となった。 1928年に結成された新興歌人連盟を、浅野順一、伊澤信平、坪野哲久、渡辺順三、大塚金之助らと、雑誌問題で脱退し、無産者歌人連盟を結成。 1931年飯田町立飯田商業学校長。1935年佐賀県立佐賀商業学校長。1942年紀元二千六百年祝典記念章受章。1944年退職、叙正五位。第二次世界大戦後は、新日本歌人協会に参加した。 小説家の澁澤龍彦は甥。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
村松 以弘(むらまつ いこう、安永元年(1772年) - 天… 村松 以弘(むらまつ いこう、安永元年(1772年) - 天保10年(1839年)は江戸時代後期の南画家・歌人。 名は維孝、字は以弘。 号は笠斎・小笠山房主人など。通称は奥五郎。遠州掛川 十九首の生まれ。 幼少より絵を描くことが好きだったので、伊勢の僧・月僊に学び、長じると江戸に出て谷文晁の画塾・写山楼に入門した。文晁が東海道を往来するとき、以弘の家に滞在したという。渡辺崋山にも画の指導を受けている。画力を認められ、時期は不明だが掛川藩御用絵師となった。同藩の儒者・松崎慊堂と交流した。 門下に福田半香・平井顕斎・村松弘道・僧思玄(尊永寺住持)・小栗松靄(浜松の庄屋)などがいる。
村山 久良女(むらやま くらじょ)は、明治時代の俳人。倉女、… 村山 久良女(むらやま くらじょ)は、明治時代の俳人。倉女、久良とも。「北越の生んだ千代女」とも、また採花女(さいかじょ)とともに「明治奮派の二才女」と称された。没後に『久良女発句集』が編まれている。 慶応2年(1866年)、越後国刈羽郡岡野町村(現・新潟県柏崎市)の素封家・村山家に生まれる。同家は代々文芸に通じ、久良女の祖父・9代藤右衛門(号:哲斎、俳号:章嶂、亀石)、父・吉次(号:抱月)もまた俳諧をよくした。なお、『平家詩史』を著した11代亀一郎(号:亀齢)は久良女の弟に当たる。 養志軒桑古が『久良女発句集』に寄せた跋によれば、久良女は幼少期から茶と俳諧をたしなみ、その天賦の才は「其器、一を聞て万を知るの才有り」と称されたという。
井上 井月(いのうえ せいげつ、文政5年(1822年)? -… 井上 井月(いのうえ せいげつ、文政5年(1822年)? - 明治20年2月16日(1887年3月10日)は、日本の19世紀中期から末期の俳人。本名は一説に井上克三(いのうえかつぞう)。別号に柳の家井月など。「北越漁人」と号した。信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた。その作品は、後世の芥川龍之介や種田山頭火をはじめ、つげ義春などに影響を与えた。 井月の出自については諸説あるが、ほとんど不明である。没年から逆算すると文政5年(1822年)生まれとなる。「本名が井上克三であり、越後長岡藩出身である」ことを、高遠藩家老の岡村菊叟に告げているが、長岡藩の文書が現存していないため確定されていない。
青木 穠子(あおき じょうこ)は愛知県の歌人。女流漢詩人白川… 青木 穠子(あおき じょうこ)は愛知県の歌人。女流漢詩人白川琴水娘。御歌所大口鯛二に和歌を学び、めざまし会、このはな会を創立、明鏡短歌会主宰、中部日本歌人会副会長を務めた。生家は名古屋市短歌会館となっている。 「穠」は「花木の盛にしげるさま」を意味する。 1884年(明治17年)10月22日、愛知県名古屋区玉屋町二丁目の洋反物商上文字屋の次女として生まれた。生後間もなく父が死去したため、一家は店を畳み、西区下長者町三丁目に移った。1890年(明治23年)4月名古屋市菅原小学校に入学したが、9月1日には母も死去したため、岐阜県高山町の祖父母に引き取られ、次いで叔母に預けられた。 文芸家だった母白川琴水の影響で、小学校時代から家蔵の仮名書き源氏物語、平家物語等を読んで文学に親しみ、短歌を作った。