中村 晃(なかむら あきら、1989年11月5日 - )は、… 中村 晃(なかむら あきら、1989年11月5日 - )は、埼玉県朝霞市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校2年生の時に岡ファイターズという少年野球チームに所属し、野球を始めた。朝霞市立朝霞第二中学校では軟式野球部に所属し、髙島祥平とは中学時代から同じチームに所属していた関係がある。一つ下の学年であった。帝京高校入学時は内野手兼投手だったが、同級生に大田阿斗里(横浜ベイスターズに入団)や垣ヶ原達也(青山学院大学→日立製作所)といった好投手がおり、投手としての自分に限界を感じて野手を志したという。子どもの頃は埼玉西武ライオンズのファンだった。 帝京高等学校入学後1年夏からベンチ入り。
井領 雅貴(いりょう まさたか、1989年11月4日 - )… 井領 雅貴(いりょう まさたか、1989年11月4日 - )は、千葉県四街道市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。現在は中日ドラゴンズに所属。
小田 裕也(おだ ゆうや、1989年11月4日 - )は、オ… 小田 裕也(おだ ゆうや、1989年11月4日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)。
相原 和友(あいはら かずとも、1989年10月27日 - … 相原 和友(あいはら かずとも、1989年10月27日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校3年または4年の時に野球を始め、仙台市立広瀬中学校では軟式野球部に所属していた。高校は東陵高等学校に進学し、1年春からベンチ入り選手として名を連ね、3年春にはチームのエースとして宮城県大会で優勝した。3年夏の宮城県大会は3回戦で古川学園に敗れ、3年間での甲子園出場経験はない。 大学は東北福祉大学に進学し、1年春からベンチ入り選手として名を連ねていた。4年時の全日本大学野球選手権大会の2回戦の愛知学院大学戦では、9回無死満塁のピンチを抑えることができず逆転された。その後、明治神宮野球大会の準々決勝の大阪体育大学戦では、8回1死満塁のピンチを抑えると、続く9回も三者凡退に抑え、チームの勝利に貢献した。
益田 直也(ますだ なおや、1989年10月25日 - )は… 益田 直也(ますだ なおや、1989年10月25日 - )は、和歌山県紀の川市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。
岩嵜 翔(いわさき しょう、1989年10月21日 - )は… 岩嵜 翔(いわさき しょう、1989年10月21日 - )は、千葉県船橋市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 「嵜」の字は「崎」の異体字であるため、常用漢字体で統一している報道機関では「岩崎」とも表記される。 船橋市立高根小学校2年のとき「ホワイトビーストロング」で投手兼遊撃手として野球を始める。5年生で「宮本ビーバース」に、そして6年生で「海神スパローズ」に所属した。船橋市立高根中学校1年からは投手に専念。 船橋市立船橋高等学校では1年秋からベンチ入り。2年の夏は千葉大会準々決勝で千葉市立稲毛高等学校と対戦。2番手で登板も途中で降板し、チームも延長サヨナラ負け。
竹嶋 祐貴(たけしま ゆうき、1989年10月12日 - )… 竹嶋 祐貴(たけしま ゆうき、1989年10月12日 - )は、富山県中新川郡舟橋村出身の元プロ野球選手・元社会人野球選手(投手)。 小学4年生から舟橋ビクトリーズで野球を始める。舟橋村立舟橋中学校を経て、富山県立滑川高等学校時代は、当初こそ中学時代から悩まされていた左足甲のガングリオン除去手術を1年秋に行なったため出遅れたものの、2年春から本格的に投手の練習を始め高校3年春には最速145km/hを記録し県を代表する投手に成長。最後の夏はベスト8で敗退したが、潜在能力は高く評価されプロ6球団から調査書が送られてきたという。現千葉ロッテマリーンズの石川歩は高校の1学年上の先輩。 2007年のドラフト会議において読売ジャイアンツに4巡目で指名され入団。
菅野 智之(すがの ともゆき、1989年10月11日 - )… 菅野 智之(すがの ともゆき、1989年10月11日 - )は、神奈川県相模原市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。
中村 憲(なかむら けん、1989年9月27日 - )は、京… 中村 憲(なかむら けん、1989年9月27日 - )は、京都府宇治市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。元女子プロ野球選手の中村香澄は実妹である。 京都すばる高時代から投手を始める。それまでは投手の経験はなく、1・2年中心のチーム構成だったために上背のある中村に白羽の矢が立った。そのため野手としての能力も高く、50m5秒9の俊足に1年生の頃から4番を任された打撃センスを併せ持つ(高校通算26本塁打)。なお、高校の2学年後輩に岩橋慶侍(京都産業大学→東京ヤクルトスワローズ)がいた。 高校最後の夏は京都大会の決勝までの全6試合51イニングを一人で投げ抜いたが、決勝の京都外大西高戦は1-2で敗れ、甲子園出場はならなかった。
吉田 一将(よしだ かずまさ、1989年9月24日 - )は… 吉田 一将(よしだ かずまさ、1989年9月24日 - )は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 愛称は「カズ」、「キリン」。 鴨公小学校2年時から鴨公クラブで野球を始める。八木中学時代は香芝ボーイズに所属し、3年次に全国大会に出場。同年次に青森山田中学校に転入した。 そのまま内部進学した青森山田高校では硬式野球部に所属。2年先輩に柳田将利がいた。同校は2年夏と3年夏の全国高等学校野球選手権大会に出場するも、身長の急速な伸びに体全体の成長がついていけないが故に慢性的に故障を抱えており、1年先輩の野田雄大や同期の石井裕大らの陰に隠れた控え投手であり甲子園での登板機会はなかった。 日本大学入学後リハビリと本格的なウェートトレーニングが功を奏し、基礎体力が付き怪我もなくなった。
足立 祐一(あだち ゆういち、1989年9月22日 - )は… 足立 祐一(あだち ゆういち、1989年9月22日 - )は、東京都町田市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスでスカウトを務める。 小山田小3年生から「町田ライオンズ」で投手として野球を始めた。小山田中軟式野球部時代から捕手に転向した。 中学時代は小山田中軟式野球部の他、軟式野球チーム「北斗クラブ」でも正捕手を務め、3年秋には町田市少年野球連盟秋季大会中学生の部決勝にて決勝適時打をレフトに放ち優勝に貢献した。 桜美林高では2年生から「4番・捕手」として活躍し、キャプテンも務めた。2年秋には都大会で準優勝したものの甲子園への出場経験はない。 神奈川大では2年次からレギュラーとなり、4年次ではキャプテンを務めた。
菊池 保則(きくち やすのり、1989年9月18日 - )は… 菊池 保則(きくち やすのり、1989年9月18日 - )は、茨城県久慈郡大子町出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 小学生(大子町立矢田小学校)の時は、ドッジボールの全国大会に出場。大子町立大子中学校卒。常磐大学高等学校では1年時からベンチ入りし、2006年秋季茨城県大会で準優勝し、関東大会に出場した。初戦で唐川侑己擁する成田高校と対戦し、相手打線を6安打に抑えるも味方打線の援護なく敗れセンバツ出場を逃した。3年時にエース兼4番として活躍。夏の茨城県大会では準決勝の東洋大牛久高校戦では16奪三振で完封勝利を挙げる。しかし決勝戦で清原大貴擁する常総学院に敗戦、甲子園出場は叶わなかった。 2007年10月3日、高校生ドラフトにて東北楽天ゴールデンイーグルスから4巡目指名を受け、入団。
田中 健二朗(たなか けんじろう、1989年9月18日 - … 田中 健二朗(たなか けんじろう、1989年9月18日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する愛知県新城市出身のプロ野球選手(投手)。
中後 悠平(なかうしろ ゆうへい、1989年9月17日 - … 中後 悠平(なかうしろ ゆうへい、1989年9月17日 - )は、大阪府泉南郡熊取町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学5年時に、父が監督を務める少年野球チーム「熊取ベアーズ」に入団。熊取町立熊取北中学校への在学中には、「貝塚シニア」へ所属した。 中学卒業後、父の出身地(和歌山県新宮市)にある近大新宮高校にスポーツ進学コースの第1期生として入学。創部されたばかりの硬式野球部に入り、2年間豊田義夫の指導を受けた。2年夏からのベンチ入りを経て、3年夏の選手権和歌山大会で準々決勝に進出。しかし、春夏を通じて甲子園出場には縁がなかった。 高校卒業後に近畿大学へ進学すると、関西学生野球リーグの強豪である硬式野球部に入部。
吉原 正平(よしはら しょうへい、1989年9月14日 - … 吉原 正平(よしはら しょうへい、1989年9月14日 - )は、福岡県遠賀郡水巻町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
松山 傑(まつやま すぐる、1989年9月8日 - )は、日… 松山 傑(まつやま すぐる、1989年9月8日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。
中根 佑二(なかね ゆうじ、1989年9月7日 - )は、宮… 中根 佑二(なかね ゆうじ、1989年9月7日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。従兄弟は元プロ野球選手の中根仁。 小学2年から野球を始める。仙台東リトルで、世界選手権準優勝の経験を持つ。 エース候補として仙台育英高に進学したが、1年時の秋に右肘靭帯を手術。2年時の秋になって復帰するが、3年時の夏も佐藤由規の控えであった。宮城県予選の泉高戦では8回を4安打無失点13奪三振を記録する好投を見せ、チームも第89回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たしたが、甲子園での登板機会はなかった。 高校卒業後は、仙台六大学野球連盟に加盟する東北福祉大学に進学。1年時の春からリーグ戦に登板、秋に初勝利を挙げる。
岡島 豪郎(おかじま たけろう、1989年9月7日 - )は… 岡島 豪郎(おかじま たけろう、1989年9月7日 - )は、群馬県邑楽郡千代田町出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)。右投左打。 中学校時代は硬式の太田ボーイズに所属。関東学園大学附属高等学校時代は下級生から正捕手を務める。2年生の夏は群馬県予選でベスト8に進出するも、3年生の夏は群馬県予選3回戦で敗退。在学中には、春夏とも阪神甲子園球場での全国大会に出場できなかった。 高校卒業後に白鷗大学へ進学。1年次の春から関甲新学生リーグ戦に出場すると、2年次には外野手としてベストナインに選出された。3年次から正捕手となり、春には最多打点、秋には首位打者のタイトルを獲得。4年次からは主将を務めた。リーグ通算108安打、8本塁打。
加藤 正志(かとう まさし、1989年9月7日 - )は、神… 加藤 正志(かとう まさし、1989年9月7日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身の元プロ野球選手(投手)、高校野球指導者。右投右打。 駒岡小学校3年生の時に「駒岡ジュニアーズ」で野球を始め、投手、一塁手、遊撃手を務め、寺尾中学校軟式野球部では投手および右翼手としてプレーした。東京実業高校入学後、野球部に自身を含めて10人の投手がいたため、人と違う事をして勝ち抜こうとアンダースローに転向した。周りにアンダースローの指導者がいなかったため、インターネットで当時千葉ロッテマリーンズに所属していた渡辺俊介の映像を入手して参考にしていた。その後1年生時の夏にベンチ入りし、2年生時の秋にエースになった。甲子園出場経験はない。
高木 京介(たかぎ きょうすけ、1989年9月5日 - )は… 高木 京介(たかぎ きょうすけ、1989年9月5日 - )は、読売ジャイアンツに所属する石川県能美市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。
赤坂 和幸(あかさか かずゆき、1989年9月4日 - )は… 赤坂 和幸(あかさか かずゆき、1989年9月4日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。 小学校時代は、三ツ沢リトルに所属。横浜市立神奈川中学校時代は、東京青山シニアに所属し、元中日投手の宮下昌己、元巨人外野手の前田隆の指導を受けていた。 浦和学院高時代は、投手ながらも高校通算58本のホームランを放ったスラッガーであった。 高校2年の5月、練習中に負傷した右ひざに雑菌が入り化膿、高熱が続き1か月間練習出来ない状態に陥る。医師からは大会には間に合わないと通告され、一時は右足切断のおそれもあったが、驚異的な回復力で埼玉大会までに復帰し、チームを優勝に導いた。第88回全国高等学校野球選手権大会では調整不足ながらも141km/hをマーク。
田原 誠次(たはら せいじ、1989年9月2日 - )は、宮… 田原 誠次(たはら せいじ、1989年9月2日 - )は、宮崎県延岡市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。現在は読売ジャイアンツに所属。
島袋 涼平(しまぶくろ りょうへい、1989年9月1日 - … 島袋 涼平(しまぶくろ りょうへい、1989年9月1日 - )は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手(外野手)。
平田 真吾(ひらた しんご、1989年8月29日 - )は、… 平田 真吾(ひらた しんご、1989年8月29日 - )は、山口県下関市出身のプロ野球選手(投手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
廣神 聖哉(ひろかみ せいや、1989年8月19日 - )は… 廣神 聖哉(ひろかみ せいや、1989年8月19日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 前橋育英高入学後から、捕手に専念。3年時の夏は、群馬県予選準決勝で桐生第一高のエース藤岡貴裕に4打数無安打に抑えられ甲子園出場を絶たれた。 ベースボール・チャレンジ・リーグに2008年より加盟した群馬ダイヤモンドペガサスに、創設当初の入団選手となる。 2010年シーズンから、登録名を「聖哉」に変更。 2011年は、11本塁打を放ち、リーグ1位に1本差に迫る2位であった。同年のベストナインに捕手部門で選出された。 2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で、長打力と二塁への送球1.9秒の強肩が評価され、阪神タイガースから育成1位指名を受けた。
佐藤 祥万(さとう しょうま、1989年8月18日 - )は… 佐藤 祥万(さとう しょうま、1989年8月18日 - )は、栃木県日光市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学3年生の時に少年野球の所野ブラックパンサーズで野球を始める。最初は外野手だったが、監督に出した年賀状にピッチャーをやりたいと書いて、以来ポジションは投手一筋。日光東中では軟式野球部に所属し、4番打者兼投手として栃木県大会に出場。進学した文星芸大附高校では1年生の夏季県大会からベンチ入り。 2年次の夏季県大会では背番号10の2番手投手として出場。4回戦では宇都宮清陵を相手に5回参考記録ながら完全試合を達成。チームを甲子園出場に導いた。第88回全国高等学校野球選手権大会では初戦でダース・ローマシュ匡、上田剛史を擁する関西に逆転勝ち。
土生 翔平(はぶ しょうへい、1989年8月16日 - )は… 土生 翔平(はぶ しょうへい、1989年8月16日 - )は、広島県尾道市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 尾道市立美木中学校時代は尾道シニア(リトルシニア)でプレイ。広陵高等学校3年時は主将を務め、三塁手のレギュラーとして第79回選抜高等学校野球大会でベスト8まで進んだ。第89回全国高等学校野球選手権大会では準決勝の常葉菊川戦で主戦の田中健二朗から先制のソロホームランを放つなど活躍し、エースの野村祐輔、小林誠司、1学年後輩の上本崇司らと共にチームを準優勝に導いた。 高校卒業後は、早稲田大学に進学。外野手にコンバートされ、2年時の春からレギュラーに定着すると、4季連続で打率3割以上を記録し、3年時の秋には首位打者を獲得した。
山口 嵩之 (やまぐち たかゆき、1989年7月29日 - … 山口 嵩之 (やまぐち たかゆき、1989年7月29日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 金沢市立兼六中学校では軟式野球部に所属。石川県立工業高等学校では甲子園出場経験はなし。 高校卒業後にトヨタ自動車に入社するが、高校時代以来の肘痛の再発や腰痛の影響で4年後の2011年に退部。 2012年は同社の貞宝工場で社業に就きながら自主トレーニングを重ね、2013年1月にトヨタ自動車東日本に転籍した。9月に行われた第50回JABA毎日旗争奪秋季大会では最高殊勲選手賞を受賞した。 2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに5巡目で指名され、契約金3,500万円、年俸1,000万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
伊東 亮大(いとう りょうた、1989年7月27日 - )は… 伊東 亮大(いとう りょうた、1989年7月27日 - )は、神奈川県大和市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。左投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
辻 孟彦(つじ たけひこ、1989年7月27日 - )は、京… 辻 孟彦(つじ たけひこ、1989年7月27日 - )は、京都府京都市出身のプロ野球選手(投手)。
藤村 大介(ふじむら だいすけ、1989年7月25日 - )… 藤村 大介(ふじむら だいすけ、1989年7月25日 - )は、読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手(内野手)。
塚田 正義(つかだ まさよし、1989年7月23日 - )は… 塚田 正義(つかだ まさよし、1989年7月23日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手)。右投右打。 小学校2年時に地元の少年団で軟式野球を始めると、茨城県立古河第一高等学校へ進学。高校では、2年時の秋から主将を務めると、3年時の夏には「1番・遊撃手」として選手権茨城大会へ出場した。しかし、在学中は甲子園球場での全国大会と無縁で、卒業後に白鷗大学へ入学した。 白鷗大学では、1年時から主力選手として関甲新学生野球のリーグ戦で活躍。1年時の秋に打点王、4番打者を任された2年時の秋に打点王と首位打者、4年時には春秋連続で盗塁王のタイトルを獲得したほか、三塁手で1回、遊撃手で3回ベストナインに選ばれた。
浦野 博司(うらの ひろし、1989年7月22日 - )は、… 浦野 博司(うらの ひろし、1989年7月22日 - )は、静岡県袋井市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
須田 健太(すだ けんた、1989年7月22日 - )は、大… 須田 健太(すだ けんた、1989年7月22日 - )は、大阪府大阪市出身の野球選手(投手)。
浅沼 寿紀(あさぬま としのり、1989年7月21日 - )… 浅沼 寿紀(あさぬま としのり、1989年7月21日 - )は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(外野手)。
徳山 武陽(とくやま たけあき、1989年7月21日 - )… 徳山 武陽(とくやま たけあき、1989年7月21日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。
藤岡 貴裕(ふじおか たかひろ、1989年7月17日 - )… 藤岡 貴裕(ふじおか たかひろ、1989年7月17日 - )は、群馬県北群馬郡子持村(現・渋川市)出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 長尾小学校2年生で長尾イースターズに所属し野球を始める。子持中学校在学中は野手としてプレー、2年時には一塁手として出場し秋の県大会ベスト8。 桐生第一高等学校進学後に投手に転向。入学当初は身体も小さく球速は120km/h程度だったが、走り込みと筋力トレーニングの成果が出始め、2年時の第88回全国高等学校野球選手権大会では外野手の控え選手で出場。初戦の佐賀商業戦に外野手として途中出場し2打席ノーヒット。次戦の東洋大姫路戦では出場の機会なしでチームは敗退。この時の東洋大姫路で登板したピッチャーが、のちに東洋大学で1学年先輩となる乾真大である。
高木 勇人(たかぎ はやと、1989年7月13日 - )は、… 高木 勇人(たかぎ はやと、1989年7月13日 - )は、三重県津市出身のプロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。ベースボール・チャレンジ・リーグの神奈川フューチャードリームス所属。 小学4年から野球を始め、三重・海星高校では投手として2年秋に県大会優勝、東海大会4強。3年夏は準決勝で中井大介がいた宇治山田商業高校に敗れた。プロ志望届を提出したが指名はなかった。 高校卒業後は社会人野球・三菱重工名古屋に7年在籍。都市対抗大会に6度出場(うち2度は補強選手)。最速153km/hの速球は各球団のスカウトからも注目され、毎年のようにドラフト候補に挙がっていた。制球の悪さがネックとなり指名を見送られ続けたが、2014年に大きく改善され、10月のドラフトにて読売ジャイアンツから3位指名を受け入団。
山本 斉(やまもと ひとし、1989年7月10日 - )は、… 山本 斉(やまもと ひとし、1989年7月10日 - )は、大阪府大阪市東住吉区出身の元プロ野球選手(投手)。 1996年、大阪市立矢田西小学校1年生の時に野球を始めた。1999年には小学校4年生ながら、6年生に混じってボーイズリーグの名門「ジュニアホークス」でプレー。2004年の大阪市立矢田西中学校3年生の時にジュニアホークスのエースとして全国大会でベスト4に入った。中学校3年間はサッカー部に所属しており、高校進学にあたってはどちらを続けるか迷っていた。 PL学園や中京高等学校などの強豪からも誘いを受けたが、親元を離れた環境で精神的にも成長したいと考え2005年に酒田南高等学校に越境入学した。
髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、… 髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 実弟は元プロ野球選手の髙濱祐仁。苗字については、報道やスコアボードなどで「高浜」と記されることもある。 福岡県で出生後に佐賀県佐賀市へ転居。佐賀市の北小ジュニアソフトボールクラブでソフトボール、小学校4年時に北川副少年野球団で軟式野球を始める。佐賀市立城南中学校では軟式野球部で主に投手を務め、打撃でも硬式球より飛びにくいとされる軟式球で推定飛距離130 mの本塁打を打つなど活躍した。小学校・中学時代のチームメイトには、のちに2007年夏の第89回全国選手権大会決勝で野村祐輔から逆転満塁本塁打を放った副島浩史(2018年11月から唐津工業高野球部監督)らがいた。
髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、… 髙濱 卓也(たかはま たくや、1989年7月6日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
唐川 侑己(からかわ ゆうき、1989年7月5日 - )は、… 唐川 侑己(からかわ ゆうき、1989年7月5日 - )は、千葉県成田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 父親の方針で小学校入学当時は空手(緑帯)を始め、成田市立成田小学校3年から成少フォックスに入団し野球を始める。以来一貫して投手を務めている。小学校6年で千葉県大会ベスト8。成田小学校の2学年上に、女子マラソン選手の田中智美がいた。 中学では熱心な誘いを受けていた強豪シニアリーグのチームには入らず、成田市立西中学校の軟式野球部に入部。これも身体が出来ていないうちから硬球での野球をさせることに反対していた父親の方針からだった。中学3年時にはKボール成田市選抜のエースとして全国大会準優勝を果たした。
田中 広輔 (たなか こうすけ、1989年7月3日 - )は… 田中 広輔 (たなか こうすけ、1989年7月3日 - )は、神奈川県厚木市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。広島東洋カープに所属。
岡田 雅利 (おかだ まさとし、1989年6月30日 - )… 岡田 雅利 (おかだ まさとし、1989年6月30日 - )は、奈良県奈良市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。
梅田 尚通(うめだ なおみち、1989年6月28日 - )は… 梅田 尚通(うめだ なおみち、1989年6月28日 - )は、福井県鯖江市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。 河和田小1年時に河和田スポーツ少年団で野球を始め、東陽中では鯖江ボーイズ(硬式)に所属。中学時代から注目され、県外からの誘いも受けたが、野球名門校ではなく地元で文武両道の県立高校である鯖江高に進学。 鯖江高時代は甲子園出場はなく、3年の夏は県大会2回戦で早々と敗退し、全国的にはほとんど無名の存在であった。投手・一塁手・遊撃手を兼任し、ドラフト指名は内野手としてだった。高校通算15本塁打。 2007年8月に北信越地区高校選抜としてハワイに遠征し、ハワイ島選抜、オアフ島選抜と5試合を戦った。
水口 大地(みずぐち だいち、1989年6月28日 - )は… 水口 大地(みずぐち だいち、1989年6月28日 - )は、長崎県諫早市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 長崎県立大村工業高等学校を卒業後の2008年、四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団。セインツに入ったのは、土田瑞起がトライアウトを受ける際に「一人はいやだ」という理由で一緒に行くことになったのがきっかけだったという。1年目は主に遊撃手として起用され、2009年はコーチの古屋剛に守備についての指導を受けたほか、二遊間を組んでいた二塁手の松井宏次の技術を参考にしていた。2010年限りでチームが経営難で解散、救済ドラフトにおいて香川オリーブガイナーズに指名され移籍した。香川のコーチだった前田忠節は長崎時代から水口を評価し、球団首脳に救済ドラフトでの獲得を要望したと述べている。
安部 友裕(あべ ともひろ、1989年6月24日 - )は、… 安部 友裕(あべ ともひろ、1989年6月24日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手)。福岡県北九州市出身。
寺田 龍平(てらだ りゅうへい、1989年6月20日 - )… 寺田 龍平(てらだ りゅうへい、1989年6月20日 - )は、北海道恵庭市出身の元プロ野球選手(投手)。右投両打。 島松ジュニアイーグルスで小学2年から野球を始める。中学校時代は札幌広島グロウィングスに所属した。 高校は、進学校である札幌南高校に進学。1年秋からベンチ入りし、3年時は地区大会準決勝まで進出したものの、函館工高に0-1で敗戦した。 慶應義塾大学のAO入試を受験するつもりで準備をしていたが、2007年10月3日、高校生ドラフトにて東北楽天ゴールデンイーグルスから1位指名(佐藤由規の外れ指名)を受け、入団。 プロ入り後は、高校時代に最速145km/hを記録した球速が130km/h台にまで落ち、ファームでも制球難で自滅する試合をたびたび経験。
富永 一(とみなが はじめ、1989年6月20日 - )は、… 富永 一(とみなが はじめ、1989年6月20日 - )は、徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 鳴門高時代、3年時の夏は徳島県予選ベスト8で敗退。甲子園出場経験はなし。 高校卒業後は、香川県高松市に本拠地を置く社会人野球のクラブチームであるアークバリアドリームクラブに3年間所属。 2010年12月22日、四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスに入団。 2011年は、1年目ながらチームの守護神として活躍。30試合に登板し、18セーブを挙げ最多セーブのタイトルを獲得。防御率も1.20を記録した。 2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから育成1位指名を受けた。
津田 大樹(つだ たいき、1989年6月16日 - )は、和… 津田 大樹(つだ たいき、1989年6月16日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 甲子園には未出場で全国的には無名だが、高校での通算防御率は2.20。また一試合に21奪三振の記録も持つ。MAX147km/hのストレートと高速スライダーで三振をとれるピッチングが武器で、高校時代から本格派投手として評価は高かった。 2007年10月3日の高校生ドラフトで北海道日本ハムファイターズから3巡目で指名を受けて入団(推定年俸500万)。しかし、故障している報道はなかったものの2008年の出場機会は二軍のイースタンリーグ2試合にとどまった。シーズンオフ後に減俸を受け、背番号も48から70に変更されたがその理由についてスポーツ報知での選手名鑑では、自らの素行不良によるものと報道された。