李 進熙(り じんひ、イ・ジンヒ、韓: 이진희、1929年 … 李 進熙(り じんひ、イ・ジンヒ、韓: 이진희、1929年 - 2012年4月15日)は、在日韓国人の歴史研究者・著述家。和光大学名誉教授。文学博士(明治大学)。専門は考古学、古代史、日朝関係史。慶尚南道出身。1984年に韓国籍を取得。 1970年代に李の提唱した仮説は大きな論議を呼んだが、歴史小説的イマジネーションに富む反面、実証的な考古学の立場からは否定的に扱われる部分がある。主なものとしては以下の通りである。
垂井 康夫(たるい やすお、1929年 - )は、日本の電子… 垂井 康夫(たるい やすお、1929年 - )は、日本の電子工学研究者。 1929年に東京市小石川で生まれ、1951年に早稲田大学第一理工学部電気工学科を卒業して工業技術院電気試験所に入所した。1958年にバイポーラトランジスタと電界効果トランジスタを一体化した一種の集積回路の特許を申請し、1961年1月21日に傳田精一のグループと共に日本で最初の集積回路を完成した。1965年に電気試験所半導体部品研究室長になり、1968年には電子線描画装置を発案して1969年にはショットキーTTL、1970年にはDSAMOSトランジスタを発案した。1976年に超LSI技術研究組合の共同研究所所長に就任。1981年には東京農工大学電子工学科の教授に就任した。
辻岡 靖仁(つじおか せいじ、1929年 - 2015年)は… 辻岡 靖仁(つじおか せいじ、1929年 - 2015年)は、日本の経済学者、労働問題研究者。 和歌山県和歌山市出身。 旧制大阪商科大学卒。大学卒業後、関西労働者教育協会を立ち上げ、労働学校の開催など大阪での労働者教育に従事する。 1968年、労働者教育協会理事長に就任、同協会が主催する通信講座「勤労者通信大学」の講師、同協会が編集する『学習の友』への寄稿、全国の学習組織が開催する労働学校や「資本論」教室などに携わる。 1988年、前任の畑田重夫の後を引き継ぎ会長に就任。2004年まで労働者教育協会会長・勤労者通信大学学長として、科学的社会主義の立場に立つ労働者教育の中心的役割を担った。 2015年1月7日、急性心不全で死去。
蒲生 芳郎(がもう よしろう、1928年12月4日 - 20… 蒲生 芳郎(がもう よしろう、1928年12月4日 - 2011年)は、日本近代文学研究者、宮城学院女子大学名誉教授。 山形師範学校で藤沢周平、松坂俊夫らと同人誌『砕氷船』に参加、東北大学仏文科を卒業後宮城県で高校教諭として教鞭を執る傍ら、森鷗外・夏目漱石など近代日本文学について論文を発表し、宮城学院女子大学教授となる。教授になってからは、山形師範同期の藤沢周平、東北大同期の山折哲雄とも親交を深めた。 「堺事件」論争では大岡昇平と駁論した。また、旧友藤沢周平についても著作を著したほか『カラマーゾフの兄弟』『戦争と平和』の縮訳まで出すなど異能の国文学者である。 晩年は、文学には必ずしも明るくない忙しい大人のため、大人が読むに堪える日本・世界文学の縮約本に情熱を燃やしたが、長年難病を患い、最終的には肺癌で没した。
大久保 典夫(おおくぼ つねお、1928年(昭和3年)11月… 大久保 典夫(おおくぼ つねお、1928年(昭和3年)11月19日 - 2025年(令和7年)8月25日)は、日本の文芸評論家・日本近代文学研究者。学位は、博士(文学)(早稲田大学・論文博士・2004年)(学位論文「岩野泡鳴の研究」)。東京学芸大学名誉教授。現代文学史研究所所長。国文学者の梶川信行は娘婿。 埼玉県出身。早稲田大学文学部国文科卒。1958年季刊同人誌『批評』に参加。1981年『文学と教育』を創刊。東京学芸大学助教授、教授、1992年定年退官、名誉教授、創価大学教授。1998年退職。2003年現代文学史研究所創設。2004年「岩野泡鳴の研究」で早稲田大学より博士(文学)の学位を取得。
向坂 寛(さきさか ゆたか、1928年11月17日 - 19… 向坂 寛(さきさか ゆたか、1928年11月17日 - 1985年2月19日)は、日本の哲学研究者。 神奈川県出身。東京教育大学哲学科卒、京都大学大学院博士課程満期退学。日本大学文理学部助教授、教授。『対話のレトリック』を脱稿したあと56歳で急逝した。古代ギリシア哲学が専門。
川村 善二郎(かわむら ぜんじろう、1928年11月1日 -… 川村 善二郎(かわむら ぜんじろう、1928年11月1日 - 2024年1月15日)は、岐阜県出身の部落問題研究者。植木等の妹の夫。 岐阜市伊奈波通に生まれ、1930年から1951年まで東京市本所区両国に育つ。1948年、浦和高等学校 (旧制)文科卒業。同年、東京大学 (旧制)に入った年に植木徹誠の一家と知り合い、初めて三重県の部落差別の話を聞く。1951年、東京大学文学部(日本近代史専攻)卒業。 1953年、植木徹誠の娘と結婚。1961年ごろから徹誠のもとで部落問題を学び始める。『幸徳秋水全集』(明治文献資料刊行会)の編纂・解説に当たる。 和光大学、法政大学、女子聖学院短期大学、東京経済大学、横浜市立大学、東京学芸大学の各講師を歴任。
竹山 昭子(たけやま あきこ、1928年10月30日 - )… 竹山 昭子(たけやま あきこ、1928年10月30日 - )は、日本の放送史研究者、昭和女子大学元教授。日本の放送黎明期や太平洋戦争下におけるラジオ放送の実態解明など、放送史研究の第一人者として知られる。旧姓、楢木(ならき)。夫はTBSアナウンサー第2期生で、のち記録映像作家・作家の竹山恭二。 東京出身。日本女子大学文学部社会福祉学科卒業。1951年4月、父が戦死したために大学を卒業後に働かなければならないため、進駐軍の施設・物資・役務の調達や管理を扱う特別調達庁に入庁し調査・統計を担当。10月、東京放送(TBS)にアナウンサー第1期生として入社。 1961年5月、TBSを退職しフリーアナウンサーとして1967年頃まで活動。
山根巴(やまね ともえ、1928年10月7日- )は、日本… 山根巴(やまね ともえ、1928年10月7日- )は、日本の日本近代文学研究者、相模女子大学名誉教授。 広島県比婆郡西条町(現東広島市)出身。1954年広島大学文学部国文科卒、1959年同大学院博士課程満期退学。相模女子大学助教授、教授。99年定年、名誉教授。長塚節、中村憲吉など近代の歌人について研究した。
泉 治典(いずみ はるのり、1928年9月16日 - 201… 泉 治典(いずみ はるのり、1928年9月16日 - 2011年6月1日)は、日本の哲学・聖書研究者。東洋大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。旧・東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。東洋大学講師、助教授、教授、1992年定年退任、名誉教授。はじめ実存哲学を研究し、のち聖書、アウグスティヌスなどを研究する。
有賀 のゆり(ありが のゆり、1928年8月29日 - 20… 有賀 のゆり(ありが のゆり、1928年8月29日 - 2015年4月26日)は、日本の教育者、バッハ研究者、チェンバロ演奏者、同志社女子大学名誉教授。京都市生まれ。父はキリスト教神学者の有賀鉄太郎。のゆり自身もクリスチャン。オルガニストの木田みな子は妹であり、プラズマ物理学者、カナダ合同教会引退牧師、フルート奏者の有賀誠一は弟である。 同志社女子専門学校英文科卒業、アメリカ合衆国オッターバイン大学音楽学部卒業(ピアノ専攻)、ノースウェスタン大学大学院音楽研究科修了(音楽史専攻)。アメリカからの帰国後、一時、母校に勤務、その後、ドイツに留学し、エディット・ピヒト=アクセンフェルト教授、バロック音楽ブームをつくった大家のフリッツ・ノイマイヤー(de:Fritz Neumeyer (Musiker))教授らに師事、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ解釈、チェンバロ演奏などを学ぶ。
草鹿 外吉(くさか そときち、1928年8月28日 - 19… 草鹿 外吉(くさか そときち、1928年8月28日 - 1993年7月25日)は、日本のロシア文学研究者、詩人、小説家、翻訳家。 後の神奈川県鎌倉市に生まれる。父は海軍兵学校校長を務めた草鹿任一であり、草鹿龍之介も親戚にあたるという海軍一家に育ち、湘南中学校から1945年海軍兵学校に入学する(77期)も、まもなく終戦を迎え、復員する。 第二次世界大戦復員後は、横浜工業専門学校を卒業後、早稲田大学に編入学して、ロシア文学を学ぶ。その後、早稲田大学や中央労働学院などで教えながら、日本福祉大学の教授となり、副学長も務めた。 また、詩人としては〈詩人会議〉の常任運営委員も務め、詩集も刊行した。 アレクサンドル・プーシキンを中心とした19世紀文学と、エフゲニー・エフトゥシェンコなどの同時代の詩人を中心に研究し、その方面の著書・訳書も多い。
水谷 昭夫(みずたに あきお、1928年8月28日 - 19… 水谷 昭夫(みずたに あきお、1928年8月28日 - 1988年12月2日)は、日本近代文学研究者。大阪府大阪市生まれ。キリスト教の観点から日本近代文学を論じた。
鳥越 文蔵(とりごえ ぶんぞう、1928年8月28日 - 2… 鳥越 文蔵(とりごえ ぶんぞう、1928年8月28日 - 2021年4月5日 )は、日本の国文学者・日本近世演劇研究者。早稲田大学名誉教授。元早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長。1997年紫綬褒章受章。妻は国語学者の秋永一枝。 1928年、長崎県佐世保市生まれ。早稲田大学文学部演劇科で学び、1955年に卒業。同大学院修士課程に進み、1958年に卒業。 1959年、早稲田大学文学部助手に採用された。1969年に文学部助教授、1974年に教授に昇進。1988年から定年退職する1999年まで 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長を務めた。演劇博物館館長時代は、所蔵図書の複写を可にするなど同博物館の現代的運営に尽力した。
竹盛 天雄(たけもり てんゆう、1928年8月23日 - 2… 竹盛 天雄(たけもり てんゆう、1928年8月23日 - 2019年11月27日)は、日本の日本文学研究者。専門は近代文学で、森鷗外や永井荷風などを研究した。本名・竹盛 天勇(たけもり てんゆう)。早稲田大学名誉教授。 広島県比婆郡生まれ。1943年森永契天のもとで禅門得度し、天勇と改名。1947年駒澤大学予科入学、1952年早稲田大学第一文学部文学科国文学専修卒業。卒業後は群馬県立前橋商業高等学校や経過高等学校の教員を務め、1967年早稲田大学専任講師。1970年同助教授。1999年3月定年退職。 名誉教授。1991年から『国文学 解釈と鑑賞』に「鷗外 その出発」を長期連載。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
猪熊 葉子(いのくま ようこ、1928年〈昭和3年〉8月16… 猪熊 葉子(いのくま ようこ、1928年〈昭和3年〉8月16日 - 2024年〈令和6年〉11月19日)は、日本の近代文学研究者・イギリス近代文学研究者、児童文学者、翻訳家。聖心女子大学名誉教授。 千葉県千葉市生まれ。旧姓・葛原()。父は外科医の葛原輝、母は歌人の葛原妙子。夫は明電舎社長・猪熊時久。 聖心専門学校をへて、1952年、聖心女子大学文学部国語国文学科卒業、須賀敦子とは大学時代からの友人。1954年、同大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了。同年、同大学文学部助手、1956年専任講師、1957年から1年間オックスフォード大学に留学、J・R・R・トールキンに師事した。1972年聖心女子大学助教授を経て、1978年教授、1990年白百合女子大学文学部教授、1999年定年退職。
小林 責(こばやし せき、1928年7月24日 - 2018… 小林 責(こばやし せき、1928年7月24日 - 2018年5月22日)は、日本の能狂言研究者。武蔵野大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学卒。武蔵野女子大学助教授、教授、1972年同大能楽資料センター運営委員。99年定年退任、武蔵野大学名誉教授。 1985年『狂言辞典 資料編』で田辺尚雄賞受賞。 2018年5月22日、老衰のため死去。89歳。
平野 宗浄(ひらの そうじょう、1928年〈昭和3年〉7月2… 平野 宗浄(ひらの そうじょう、1928年〈昭和3年〉7月2日 - 2002年〈平成14年〉7月6日)は、臨済宗の僧、仏教学・仏教文学研究者。道号は華翁、法諱は宗浄。室号は素雲軒。 大阪府堺市少林寺町生まれ。17歳で京都真珠庵山田宗憲について得度。花園大学仏教学部卒。1955年(昭和30年)4月、神戸祥福僧堂に掛搭、山田無文老師に参じる。その後、松島瑞巌僧堂にて修行、加藤隆芳老師に嗣法。大津市祥瑞寺住職、禅文化研究所研究員・花園大学文学部教授、1999年同名誉教授。1988年瑞巌僧堂師家に就任。2000年禅文化研究所所長。一休、大燈国師について研究した。
柳父 章(やなぶ あきら、1928年6月12日 - 2018… 柳父 章(やなぶ あきら、1928年6月12日 - 2018年1月2日)は、翻訳語研究者、比較文化論研究者。桃山学院大学名誉教授。本名・章新(ゆきよし)。 東京生まれ。父は農商務省の官吏。旧制浦和高等学校に進むが、20歳の時肺結核を病み、サナトリウムで8年の療養を余儀なくされる。その後東京大学に入り、はじめ理系だったが「文転」し、教養学部国際関係論を卒業した。同期に蓮實重彦がおり、在学中、「東京大学新聞」に「黒船ショック以後」「武内宿祢」などを載せ、五月祭賞を受賞、堀田善衛らの賞賛を受けた。卒業後は評論家となるべく、私塾講師などをしながら著述を出すが、1987年、大学時代のフランス語の師であった平井啓之の誘いで桃山学院大学教授となる。
山田 博光(やまだ ひろみつ、1928年5月10日 - 20… 山田 博光(やまだ ひろみつ、1928年5月10日 - 2025年7月8日)は、日本近代文学研究者、帝塚山学院大学名誉教授。 長野県豊科町(現・安曇野市)生まれ。1954年信州大学文理学部英文科卒、1959年東京都立大学 (1949-2011)大学院博士課程満期退学。1965年苫小牧駒澤短期大学助教授、1969年帝塚山学院大学文学部助教授、73年教授、85年文学部長、89年学長、2001年定年、名誉教授。
三島 佑一(みしま ゆういち、1928年4月11日- 201… 三島 佑一(みしま ゆういち、1928年4月11日- 2016年1月5日)は、日本近代文学研究者・作家。四天王寺大学名誉教授。 大阪船場道修町生まれ。大阪大学付属薬学専門部、京都大学文学部国文科卒。四天王寺国際仏教大学教授をへて、名誉教授。はじめ友川泰彦の筆名を用い、その後も小説を書く一方、堀辰雄、谷崎潤一郎などを論じた。船場大阪を語る会会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高木実(たかぎ みのる、1928年3月17日 - )は、日本… 高木実(たかぎ みのる、1928年3月17日 - )は、日本の中世ドイツ文学研究者、早稲田大学名誉教授。 東京出身。早稲田大学第一文学部独文科卒、同語学教育研究所助教授、文学部教授。99年定年、名誉教授。
速川 治郎(はやかわ じろう、1928年3月 - )は、日本… 速川 治郎(はやかわ じろう、1928年3月 - )は、日本の哲学研究者。早稲田大学名誉教授。 群馬県群馬郡豊秋村(現・渋川市)生まれ。1945年3月、群馬県立前橋工業学校(群馬県立前橋工業高等学校の前身)建築科卒。1948年、運輸省立三島鉄道教習所専門部建設土木科卒、運輸省施設局企画課入省。1951年、国鉄東京鉄道管理局品川客車区(夜間勤務)。1955年、早稲田大学第一文学部西洋哲学科卒。1960年、同大学院博士課程満期退学。1962年、早稲田大学高等学院教諭(ドイツ語)。1972年、早稲田大学社会科学部専任講師となり、1973年に助教授、1978年に教授。1998年、定年退職、名誉教授。この間1978年から1979年、デュッセルドルフ大学哲学研究所客員教授。
小川原 辰雄(おがわら たつお、1928年2月18日 - 2… 小川原 辰雄(おがわら たつお、1928年2月18日 - 2019年2月5日)は、日本の医師、内科医、昆虫研究者。勲等は旭日双光章、従六位。紺綬褒章受章者。長野県小県郡青木村名誉村民。青木村の青木診療所で長年所長を務め地域医療に貢献し、ハチ刺し症によるアナフィラキシーの治療や事例報告で多くの功績を残した。昆虫研究でも、青木村に信州昆虫資料館を開館させ館長を務め、長野県産昆虫の収集、情報発信などに貢献した。 長野県東筑摩郡坂井村(現筑北村)に生まれる。長野県松本中学校(現長野県松本深志高等学校)に進学。1年生の時にジャン・アンリ・ファーブルの「昆虫記」を読み、昆虫への憧れを深める。太平洋戦争下の軍事教練でキャンプを張った聖高原でもこっそりチョウの採集をするほどであった。
藤山 覚一郎(ふじやま かくいちろう、1928年(昭和3年)… 藤山 覚一郎(ふじやま かくいちろう、1928年(昭和3年)2月14日 - 2014年(平成26年)11月1日)は、日本の実業家・インド古典の研究・翻訳者。 大日本製糖社長・会長やホテルニュージャパン社長、日本NCR監査役、集成社監査役など旧藤山コンツェルン系企業の役員を歴任し、財団法人糖業協会理事長なども歴任し、一般社団法人交詢社評議員・慶應義塾評議員も務める。日本NCR株式会社常勤監査役など多くの会社の重責を担いながらも、インド古典詩やインド古典戯曲などの研究や翻訳も行う。 祖父は実業家の藤山雷太、父は藤山コンツェルン二代目総帥で外務大臣などを歴任した藤山愛一郎。 1928年に藤山愛一郎の長男として東京で生まれ、1950年慶應義塾大学工学部を卒業。
大塚 滋(おおつか しげる、1928年2月1日 - 2023… 大塚 滋(おおつか しげる、1928年2月1日 - 2023年8月8日)は、日本の食品化学者、食物史研究者、『文学雑誌』同人。元武庫川女子大学教授。専攻は食文化論、食品化学。 新潟県生まれ。大阪大学理学部卒。1961年「肝臓ニトロ基還元酵素系に関する研究」で理学博士。大阪府立大学助教授、東洋食品工業短期大学教授、米国マサチューセッツ州ウースター生物学研究所研究員、武庫川女子大学教授、同生活美学研究所研究員、1998年退職。 2023年8月8日死去。95歳没。
山田 昭夫(やまだ あきお、1928年1月2日 - 2004… 山田 昭夫(やまだ あきお、1928年1月2日 - 2004年9月15日)は、日本近代文学研究者、文芸評論家。 北海道生まれ。北海道大学文学部国文科卒。東京大学大学院修士課程(国文学専攻)修了。中学・高校教諭などを経て、1973年、藤女子大学文学部助教授、のちに教授、1993年、退任。有島武郎を中心に北海道の作家を研究した。
下平 和夫(しもだいら かずお、1928年1月 - 1994… 下平 和夫(しもだいら かずお、1928年1月 - 1994年3月7日)は、日本の数学史研究者、和算史研究者。 1957年、東京教育大学理学部数学科卒業。1967年、日本大学大学院理工学研究科修士課程修了、前橋市立工業短期大学助教授、のち教授。1978年、「初期円理の発達 関孝和の業績の根源」で日本大学より学術博士の学位を取得。1983年、国士舘大学教授。在職中に死去。
阿部 楽方(あべ がくほう、1928年 - 2023年11月… 阿部 楽方(あべ がくほう、1928年 - 2023年11月)は、日本の魔方陣研究者。「方陣界の超人」と称されている。 高校卒業後、家業の漆業の職人となる。高校時代に秋田県秋田市の古本屋で方陣の本に出会い、それ以降漆業の傍ら方陣の研究に邁進する。 2008年には「正方形分割224魔方陣」が東京の国立科学博物館で開催された「数学 日本のパイオニアたち : 関孝和三百年祭記念」(真島秀行, 渡辺純成執筆・監修 ; 国立科学博物館展示課編集)において展示された。この展示の中で阿部楽方は唯一故人ではない。この世界最高峰の方陣はサイエンスナビゲーターの桜井進が解説している。 以下に桜井の解説をもとにした概要を記す。
下村 隆一(しもむら りゅういち、1928年 - 1969年… 下村 隆一(しもむら りゅういち、1928年 - 1969年11月)は日本のスウェーデン文学研究者、翻訳家。 大阪市出身。東京大学経済学部2年生のときに結核性脳髄炎を発症。一部麻痺が残り、薬の副作用による障害も抱えながら、スウェーデン語を独学で学び、翻訳を始める その後兵庫県宝塚市に在住し、神戸在住のスウェーデン人にスウェーデン語を学び、山室静に相談してスウェーデンの児童文学の翻訳を始める。 1968年より、トーベ・ヤンソンの代表作『ムーミン』シリーズ二作のほか、いくつかのスウェーデン児童文学を翻訳したが、散歩している最中に自動車事故に遭い、41歳で急死した。このとき進めていたエディト・ウンネルスタード作の『すえっ子Oちゃん』の訳は未完に終わったが、下村の遺族から依頼を受けた石井桃子による加筆・修正が施された上で、1971年に出版された。
大牧 冨士夫(おおまき ふじお、1928年(昭和3年) - … 大牧 冨士夫(おおまき ふじお、1928年(昭和3年) - 2021年(令和3年)1月15日)は、日本の文学研究者・郷土史研究者・小説家。 1928年(昭和3年)、岐阜県の揖斐川上流、旧徳山村漆原(下開田地区)に生まれ育つ。太平洋戦争末期を新潟県の村松陸軍少年通信兵学校で過ごす。戦後は、岐阜大学卒業後、岐阜市での業界紙記者などを経て、1963年(昭和38年)より故郷の徳山村で教鞭をとる。この間、中野重治に関する論文を『新日本文学』などに発表する。その傍ら、郷土史に興味を寄せ、『徳山村史』の編集執筆などに携わる。1985年(昭和60年)、徳山ダム建設に先立ち、徳山村を離村。1980年に『中野鈴子全詩集』の解題、年譜を書いて編集に加わった。
阪下 圭八(さかした けいはち、1927年11月23日 - … 阪下 圭八(さかした けいはち、1927年11月23日 - 2012年)は、日本文学研究者、東京経済大学名誉教授。専門は古代日本文学。 東京生まれ。1950年、鎌倉アカデミア文学科卒業。1953年、法政大学文学部日本文学科卒業。1953年からの日本文学協会勤務を経て、1959年に法政大学文学部助手。1962年、法政大学大学院博士課程単位取得満期退学。西郷信綱に師事。1963年、東京経済大学専任講師。1966年、助教授を経て、1972年に教授。1998年、定年退職、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
田尾 壱良(たお いちりょう、1927年10月27日 - 2… 田尾 壱良(たお いちりょう、1927年10月27日 - 2011年4月28日)は、香川県の郷土刀研究者、銃砲刀剣類登録審査員、彫金作家。社会生活においては「壱良」の漢字を使用したが、彫金作品には「一良」「壹良」なども使っている。戸籍上は「壹良」。刀身彫りのほか、鍔や目貫などの刀装具を多く制作した。 1927年(昭和2年)10月27日、香川県善通寺市に田尾織之助、ツヤの長男として生まれる。織之助の父母、弥之助とトミは明治35〜36年頃から昭和2年頃まで善通寺市中通り2丁目で金物店を営んでいた。当時、田尾金物店は善通寺一大きい店であった。織之助は銀行員だったが、昭和初期の世界的な恐慌と国内の不況で銀行が倒産し失業。
永井 啓夫(ながい ひろお、1927年10月 - 2006年… 永井 啓夫(ながい ひろお、1927年10月 - 2006年11月)は、日本の民俗芸能評論家・研究者。 東京生まれ。日本大学国文科卒業。1997年まで日本大学文理学部国文科教授を務める。舞踊の作詞家としても活躍、代表作に新内『広重八景』。 正岡容の門下。同門には小沢昭一、大西信行、3代目桂米朝、都筑道夫、加藤武、小島貞二らがいる。 小沢昭一、大西信行、3代目桂米朝、加藤武らとは、東京やなぎ句会を結成して俳人として活動した。 大学の教え子に、演芸作家の稲田和浩がいる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長谷川 博隆(はせがわ ひろたか、1927年9月20日 - … 長谷川 博隆(はせがわ ひろたか、1927年9月20日 - 2017年5月31日)は、日本のローマ史研究者。名古屋大学名誉教授。 1927年、東京都で生まれた。東京大学文学部西洋史学科で学び、1953年に卒業。 関西学院大学助教授を経て、名古屋大学文学部教授。1991年に名古屋大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は中部大学教授として教鞭をとった。2017年に死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
祖父江 昭二(そふえ しょうじ、1927年9月3日 - 20… 祖父江 昭二(そふえ しょうじ、1927年9月3日 - 2012年1月15日)は、日本近代文学・演劇の研究者。 兵庫県出身、愛知県名古屋市で育つ。武蔵高等学校卒、1952年東京大学文学部美学美術史学科卒業。1957年同大学文学部大学院(旧制)修了。1960-1965年東京都立戸山高等学校講師。和光大学助教授、教授を務め、1997年定年となり名誉教授。劇団民藝顧問。
入江 春行(いりえ はるゆき、1927年8月31日 - 20… 入江 春行(いりえ はるゆき、1927年8月31日 - 2022年6月3日)は、日本の文学研究者。元大谷女子大学教授。主に与謝野晶子の研究をしていた。 東京出身。法政大学文学部卒。大阪外国語大学講師、大谷女子大学助教授、教授、日本文芸学会常任理事を務めた。与謝野晶子倶楽部名誉会長。雑誌「与謝野晶子研究」主宰。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
久保田芳太郎(くぼた よしたろう、1927年8月26日- )… 久保田芳太郎(くぼた よしたろう、1927年8月26日- )は、日本近代文学研究者、東横学園女子短期大学名誉教授。 静岡県生まれ。1952年早稲田大学文学部国文科卒、54年同大学院修士課程修了、1970年都留文科大学講師、73年早稲田大学講師、1975年東横学園短期大学教授。1998年定年退任、名誉教授。
三隅 治雄(みすみ はるお、1927年8月6日 - 2026… 三隅 治雄(みすみ はるお、1927年8月6日 - 2026年2月2日)は、日本の民俗学者、芸能研究者。東京国立文化財研究所名誉研究員、文学博士。元実践女子大学教授 1927年、大阪府に生まれた。國學院大學国文学科で折口信夫、西角井正慶に師事し、日本芸能史研究を志す。1950年に國學院大學文学部国文学科を卒業。1952年、東京国立文化財研究所設立と同時に入所し、芸能部郷土芸能研究室長、芸能部部長を歴任。その間、「民俗芸能史研究」により、1976年3月16日に文学博士の学位を國學院大學から授与された。1990年、実践女子大学教授となる。1998年に実践女子大学を定年退任。 学界では、芸能学会会長。
鳥居 フミ子(とりい ふみこ、1927年(昭和2年)6月29… 鳥居 フミ子(とりい ふみこ、1927年(昭和2年)6月29日 - 2015年(平成27年)1月11日)は、日本文学研究者、東京女子大学名誉教授。専門は日本近世文学、特に土佐浄瑠璃。 愛知県宝飯郡塩津村(現・蒲郡市)生まれ。1944年愛知県立国府高等女学校(現・愛知県立国府高等学校)卒業。同年、愛知県立第二師範学校女子部本科(現・愛知教育大学)入学。1947年、愛知県立女子専門学校(現・愛知県立大学)国文学科入学。1950年に同校を卒業すると、東京女子大学文学部日本文学科に編入学。1952年同大学卒業。1953年東京大学人文科学研究科国語国文学専攻修士課程入学。1955年同博士課程進学、1960年単位取得退学。
長谷川 幸男(はせがわ ゆきお、1927年(昭和2年)5月9… 長谷川 幸男(はせがわ ゆきお、1927年(昭和2年)5月9日 - 2016年(平成28年)5月23日)は、日本のロボット研究者、エンジニア。学位は、博士(工学)(早稲田大学)。同名誉教授。精工舎技術課長、能率課長、早稲田大学生産研究所助教授、同大学システム科学研究所教授を歴任。国際ロボット連盟や国際建設ロボット学会では会長を務め、産学共同の建設ロボット化プロジェクト「WASCOR」を主導した。1977年に第1回エンゲルバーガー賞を受賞し、2015年には瑞宝中綬章を受章している。 長谷川は1951年に早稲田大学理工学部工業経営学科(機械分科)を卒業し、精工舎へ入社。生産技術に携わる。1957年から1958年にかけてミシガン大学に滞在し、生産技術を研究する。
表 章(おもて あきら、1927年4月26日 - 2010年… 表 章(おもて あきら、1927年4月26日 - 2010年9月7日)は、日本の能楽研究者。法政大学名誉教授。能楽史、世阿弥伝書などの研究で知られる。長男の表きよし(1958年 - 、国士舘大学教授)も、能楽研究者である。 石川県金沢市に生まれる。1951年、東京文理科大学卒業。同年、法政大学能楽研究所助手。1956年、法政大学文学部専任講師、1962年、教授。1991年、財団法人観世文庫常務理事。1998年、法政大学を定年退職、名誉教授。 1995年『喜多流の成立と展開』で、法政大学より博士(文学)の学位を取得、同年12月角川源義賞受賞。2005年、瑞宝中綬章受章。2010年、第31回観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞、同年6月、能楽史研究で恩賜賞・日本学士院賞を受賞したが、9月7日に自宅で亡くなった。
山中 正剛(やまなか せいごう、1927年4月10日 - 2… 山中 正剛(やまなか せいごう、1927年4月10日 - 2013年12月31日)は、社会学者、広告研究者。 京都市出身。京都大学卒。立教大学大学院社会学修了、成城大学文芸学部助教授、教授、1998年定年、名誉教授。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
杉本 つとむ(すぎもと つとむ、1927年(昭和2年)3月3… 杉本 つとむ(すぎもと つとむ、1927年(昭和2年)3月30日 - 2022年3月1日(令和4年))は、日本の言語史研究者。学位は文学博士(東北大学・論文博士・1969年)(学位論文「近代日本語の研究」)。早稲田大学名誉教授。本名・杉本孜。 1927年、横浜市生まれ。1951年に旧制早稲田大学文学部国文科を卒業。 1962年に早稲田大学文学部専任講師となる。武蔵野女子短期大学および武蔵野大学文学部講師。1966年に早稲田大学文学部助教授。1969年に「近代日本語の研究」で東北大学より文学博士の学位を取得。同年にオーストラリア国立大学東洋学部客員教授。1971年に早稲田大学文学部教授に昇進。1975年に国際基督教大学語学科及び大学院言語研究科非常勤講師。
浜田 隆(はまだ たかし、1927年3月27日 - )は、日… 浜田 隆(はまだ たかし、1927年3月27日 - )は、日本の美術評論家、美術史研究者。 大連生まれ。1951年東京大学文学部美学美術史卒。1953年奈良国立文化財研究所勤務、1959年文化財保護委員会美術工芸課勤務、のち課長。東京国立博物館次長、1983年奈良国立博物館館長、1988年東京国立文化財研究所所長。1991年山梨県立美術館館長。
川林 昭郎(かわばやし あきお、1927年〈昭和2年〉3月1… 川林 昭郎(かわばやし あきお、1927年〈昭和2年〉3月14日 - 2005年〈平成17年〉7月31日)は、日本の研究者。 篆刻家の川林寛治郎(川林泱雲)の長男として東京市牛込町出生。 府立六中卒、成蹊高校卒、東京帝国大学第一工学部電気工学科入学、日本放送協会松本支局、渋谷本部勤務を経て 1973年に総合技術研究所放送衛星担当部長として渡米し、米国フィラデルフィア勤務、NHKのチーフとしてGE(ゼネラル・エレクトリック)社、東芝との3社で放送衛星の共同開発を行う。1975年帰国。 主任研究員(理事待遇) 青山学院大学非常勤講師兼業。 NHK早期退職後はシャープ第一研究部長、技術本部副本部長(役員待遇)。
松本 仁助(まつもと にすけ、1927年3月8日 -2016… 松本 仁助(まつもと にすけ、1927年3月8日 -2016年11月3日 )は西洋古典学者、古代ギリシア文学研究者、大阪大学名誉教授。大阪市生まれ。1951年京都大学文学部卒業。同志社大学教授、大阪大学教授、大阪学院大学教授を経て2002年に退職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
稲子 恒夫(いなこ つねお、1927年2月7日 - 2011… 稲子 恒夫(いなこ つねお、1927年2月7日 - 2011年8月23日)は、ソビエト法・社会主義法研究者。 1948年東京大学法学部卒業。名古屋大学で法学部長を務めた。1990年名古屋大学名誉教授。日中友好協会愛知県連合会顧問。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
白根 礼吉(しらね れいきち、1927年2月1日 - )は、… 白根 礼吉(しらね れいきち、1927年2月1日 - )は、日本の電気通信技術開発・研究者。 秋田県秋田市仲通町出身。1948年東北帝国大学理学部電気工学科を卒業。日本電信電話公社に入り、技術局調査役、データ通信本部普及開発部長、総括部長、副本部長などを経て、1975年電気通信科学財団理事長となる。1978年、郵政大臣表彰。多摩大学教授を務めた。
篠田 一士(しのだ はじめ、1927年(昭和2年)1月23日… 篠田 一士(しのだ はじめ、1927年(昭和2年)1月23日 - 1989年(平成元年)4月13日)は、日本の文学研究者・文芸評論家・英文学者。 岐阜県出身。旧制岐阜中学から旧制松江高等学校へ進み、1948年、東京帝国大学文学部英文科入学。1951年、東京大学英文科を卒業。高校教諭を経て、1955年、東京都立商科短期大学専任講師。1957年、旧・東京都立大学英文科専任講師。1960年、助教授。1973年、教授。 松江高校時代に駒田信二から新しい文学状況に関しての知見を得て、当時刊行され間もないマチネ・ポエティク運動の加藤周一・中村真一郎・福永武彦共著『1946・文学的考察』(後年に冨山房百科文庫版で解説を担当)に出会い、近代日本の私小説的風土を克服する、国際的な文学のありかたに関心をもつ。