青木 康直(あおき やすなお、1960年2月27日 -)は、… 青木 康直(あおき やすなお、1960年2月27日 -)は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家・監督。静岡県磐田市出身。静岡県立二俣高等学校卒。血液型はB型。 高校卒業後、テレコム・アニメーションフィルムに入社。『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』『宝島』『じゃりン子チエ』『太陽の使者 鉄人28号』などで動画マンを務めた後テレコムを退社し、スタジオディーン(以下、ディーン)へ移籍。 ディーンでは『うる星やつら』『銀河漂流バイファム』などの原画を担当した後演出家に転向し、『プロゴルファー猿』『新・プロゴルファー猿』『ビリ犬』『機動警察パトレイバー(TV版)』など、数々のテレビアニメで演出を担当した。
水谷 貴哉 (みずたに たかや、1960年2月26日 - )… 水谷 貴哉 (みずたに たかや、1960年2月26日 - )は、日本の撮影監督、CGディレクター、アニメーション演出家である。兵庫県尼崎市出身。 大阪芸術大学芸術学部映像学科卒業。亜細亜堂を経て、フリーの演出家としてぎゃろっぷ作品を中心に活躍した後、オー・エル・エムの創立に参加。1990年代後半から徐々に演出方面からCG制作や撮影監督の役職へとシフトしていき、2000年代からは撮影監督としてオー・エル・エム作品に携わっている。 代表作に『劇場版ポケットモンスター』シリーズ、『鋼鉄天使くるみ』など。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
上坂 浩光(こうさか ひろみつ、1960年2月23日 - )… 上坂 浩光(こうさか ひろみつ、1960年2月23日 - )は日本の映画監督、フルドームCGクリエーター、CGアーティスト、日本のアニメーション監督、CGプロダクション有限会社ライブ経営、プログラマー、天体写真家として撮影した天体写真が天文ガイド、星ナビで数回受賞している。小惑星探査機はやぶさ、はやぶさ2(宇宙航空研究開発機構)に関わる映像作品を製作。 学生の頃から天体に興味を持ち、中学生時代は自宅裏で星空を観察してノートに記録し続けた。大学ではデザインを専攻し、卒業後は映像制作会社に入社。一時天体への興味は薄れるが、1990年代にカメラ技術の発達によって天体を高画質で撮影できるようになると、再び天体観測を始めるようになった。
梅澤 淳稔(うめざわ あつとし、1960年2月21日 - )… 梅澤 淳稔(うめざわ あつとし、1960年2月21日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督、元アニメプロデューサーである。東京都荒川区出身。 映画監督を目指して入学した横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を卒業後、学友の芝田浩樹らとともに東映動画(現・東映アニメーション)の研修生に。研修終了後東映動画に入社し、『パタリロ!』などで演出助手を務めた。1983年、『ベムベムハンターこてんぐテン丸』第15話「人形にされたヨーコちゃん」にて演出家としてデビュー。その後は、『北斗の拳』『ひみつのアッコちゃん(第2作)』などの演出を担当した。 1991年、『キン肉マン キン肉星王位争奪編』にて初めてシリーズディレクター(=監督)に就任。
河森 正治(かわもり しょうじ、1960年2月20日 - )… 河森 正治(かわもり しょうじ、1960年2月20日 - )は、日本のメカニックデザイナー、アニメーション監督・演出家。富山県東礪波郡平村(現南砺市)生まれ。株式会社Vector Vision所属、株式会社サテライト特別顧問。 監督としての代表作は「マクロスシリーズ」「アクエリオンシリーズ」など。おもなメカニックデザインとしては「マクロスシリーズ」の可変戦闘機(バルキリー)や、「新世紀GPXサイバーフォーミュラシリーズ」のサイバーフォーミュラ、「エウレカセブンシリーズ」のLFO、ゲーム「アーマード・コアシリーズ」のアーマード・コアなどがある。 1980年代初頭のアニメブーム期に、アニメファン世代の大学生デザイナーとして頭角を現す。
佐藤 雄三(さとう ゆうぞう、1960年2月19日 - )は… 佐藤 雄三(さとう ゆうぞう、1960年2月19日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督、作画監督。広島県福山市出身。 サンリオ、スタジオぎゃろっぷ(現:ぎゃろっぷ)等を経て、マッドハウスに入社。代表作に『YAWARA!』、『MONSTER』、『闘牌伝説アカギ 〜闇に舞い降りた天才〜』、『逆境無頼カイジ』シリーズなどがある。 同業者のサトウユーゾーは別人。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
知吹 愛弓(ともぶき あみ、本名:秋本 進、1960年2月8… 知吹 愛弓(ともぶき あみ、本名:秋本 進、1960年2月8日 - )は、日本のアニメ演出家、監督。代表作に『究極超人あ〜る』、『F-ZERO ファルコン伝説』など。スタジオこあ代表。 東京都武蔵野市出身。落語家の5代目春風亭柳昇(1920年 - 2003年)の二男として生まれる。 聖徳学園関東高等学校(現・聖徳学園高等学校)卒業。小学生の頃からアニメや漫画が好きだったことから、高校卒業後は東京デザイナー学院に入学するがすぐに行かなくなり、その後遊んでいるうちにコミック・アニメ・SFものの専門販売店『CASF』に入り浸るようになってそこで何人かの友人が出来、その中のアニメ業界に詳しい友人に石黒昇を勧められ、アートランドに入ってアニメ界入り。
土器手 司(どきて つかさ、1960年2月6日 - )は、日… 土器手 司(どきて つかさ、1960年2月6日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー。鹿児島県指宿市出身。 自身が幼かった頃は、地元の民間放送局はアニメ放送の少なかったTBS系列の南日本放送のみだったこともあって、子供の頃にアニメを観た印象があまり無く、観ていた子供番組で記憶に残っているのはTBS系列で放送していた『ウルトラマン』くらいだったと話している。それでも絵を描くことだけは好きだったが、当時はまだアニメ制作をやりたい願望が出て来ることは無かったという。 鹿児島県立錦江湾高等学校理数科卒業。高校卒業後は2年ほど遊んでいたが、それもだんだん許されないような状況になって「何とかなるのでは」と思うがままに上京、どうしようかと思って色々考えた後に「絵を描く仕事ならいいんじゃないか」ということになり、そのうちにアニメーターが面白そうだと思うようになってアニメ界入りすることになる。
西島 克彦(にしじま かつひこ、1960年2月4日 - )は… 西島 克彦(にしじま かつひこ、1960年2月4日 - )は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家・監督。千葉県船橋市出身。千葉商科大学中退。 1960年2月4日、東京で誕生した直後に千葉県船橋市へ移る。学生時代に漫画家を志し、『機動戦士ガンダム』のファンだったことから、大学中退後に富野由悠季へ手紙を送り、日本サンライズへの入社を志願する。それは叶わなかったが、サンライズの岩崎正美プロデューサーの紹介で芦田豊雄率いるスタジオ・ライブの入社試験を受験し、同社に入社する。 1981年のテレビアニメ『うる星やつら』の放送開始後、スタッフ参加を芦田へと直訴する。これには、かねてから西島が原作の『うる星やつら』のファンであったことと、当時担当していた『Dr.スランプ アラレちゃん』の絵柄が西島には描きにくいものだったという理由があった。
須藤 典彦(すとう のりひこ、1960年1月22日 - )は… 須藤 典彦(すとう のりひこ、1960年1月22日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメ監督。群馬県出身。 1983年に日本大学芸術学部映画学科を卒業後、日本アニメーションに入社。その後、スタジオジブリの『天空の城ラピュタ』、『火垂るの墓』で演出助手、『おもひでぽろぽろ』では監督助手を経験。スタジオジブリを退社した後はオー・エル・エムにフリー専属となり、多数の同社作品で演出を務める。その後、自身の監督作品『こみっくパーティー』で第1回日本オタク大賞佳作を受賞する。さらに監督作第2弾『PIANO』では第6回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品にも選ばれた。 『ポケットモンスター アドバンスジェネレーション』後期より監督研修を受け、初代監督である日高政光の降板後は2代目監督に就任、『ポケットモンスター ベストウイッシュ』終了まで担当した。
青山 弘(あおやま ひろし、1960年1月15日 - )は、… 青山 弘(あおやま ひろし、1960年1月15日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。北海道苫小牧市出身。 他に青山ひろし、青山ヒロシ名義もあり。河合夢男はペンネーム。 代表作に『ロケットガール』『秘密 〜The Revelation〜』『ウルヴァリン』など。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
山室 直儀(やまむろ ただよし、1960年 - )は、日本の… 山室 直儀(やまむろ ただよし、1960年 - )は、日本のアニメーター。神奈川県小田原市に生まれる。武蔵野美術大学 デザイン学部 芸能デザイン学科(現・空間演出デザイン学科)卒業。進藤プロダクションでアニメーション制作の修行を積む。その後独立し、東映アニメーション専属アニメーターとなる。若い頃より、多くの作品で作画監督を務めた。2015年4月18日公開の映画『ドラゴンボールZ 復活の「F」』では、監督と作画監督を兼任した。この作品は、「第39回 日本アカデミー賞 優秀アニメーション作品賞」を受賞した。少林寺拳法四段。 初期には『天使のたまご』や『天空の城ラピュタ』といった映画作品にてアニメーターとして参加した。
浜崎 博嗣(はまさき ひろし、1959年12月30日 - )… 浜崎 博嗣(はまさき ひろし、1959年12月30日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家・監督。福岡県福岡市出身。 福岡県立西福岡高等学校(現・福岡県立福岡講倫館高等学校)卒業後、竜の子プロダクション(以下、タツノコプロ)直営の研修所に入所する。研修終了後、タツノコプロに入社し、同プロの研究所に配属された。 アニメーター(動画マン)としてのデビュー作は、テレビアニメ『科学忍者隊ガッチャマンII』であり、その後は『森の陽気な小人たちベルフィーとリルビット』、『とんでも戦士ムテキング』、『未来警察ウラシマン』などで原画を担当した。1985年、『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』で作画監督として参加し、同年に『昭和アホ草紙あかぬけ一番!』でキャラクターデザインを初めて手掛け(作画監督も兼任)、『赤い光弾ジリオン』、『アウトランダーズ』などのキャラクターデザイナーや作画監督も務めた。
篠原 俊哉(しのはら としや、1959年10月29日 - )… 篠原 俊哉(しのはら としや、1959年10月29日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。上智大学出身。 1983年にトムス・エンタテインメントに入社。当初は製作担当として東京ムービー内で仕事を行っていたが、後に演出に変わり、出崎統監督の下で『エースをねらえ! (OVA)』や『ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発!』などに助監督・演出で参加した。下積み後は1994年の『みんな集まれ!アンパンマンワールド』で初監督、『それいけ!アンパンマン』で演出・絵コンテ・劇場の監督などを手がけるようになった。 近年はピーエーワークス作品に参加することが多い。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。
柳田 義明(やなぎだ よしあき、1959年9月30日- )は… 柳田 義明(やなぎだ よしあき、1959年9月30日- )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー。亜細亜堂所属。熊本県出身。血液型はB型、星座は天秤座。 最終学歴:熊本商科大学(1982年卒)。大学在学中はアニメーションのサークルに所属し、次第にアニメ制作に興味を持つようになる。 大学卒業後に上京し、アニメ制作会社の亜細亜堂に入社。 『ときめきトゥナイト』『とんでモン・ペ』の動画担当や『伊賀野カバ丸』『チックンタックン』『うる星やつら』などの原画マンを経て、1986年、『ロボタン』第4話「憧れのルンルンデートデッス」にて初めて作画監督を務めた。 現在も、同社の作品を中心に総作画監督やキャラクターデザインなどの役職で活躍するベテランアニメーターである。
角銅 博之(かくどう ひろゆき、1959年9月28日 - )… 角銅 博之(かくどう ひろゆき、1959年9月28日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。福岡県出身。東洋大学卒。別名義に開木 菜織(ひらき なおり)、工堂 紘軌(くどう ひろき)、仁賀 緑朗(じんが ろくろう)がある。代表作は『デジタルモンスター』シリーズ。アニメーション自主制作集団「グループえびせん」所属。日本アニメーション協会会員。元東映アニメーション所属。 ※東映における「シリーズディレクター」は監督と同義 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
矢野 博之(やの ひろゆき、1959年9月20日 - )は、… 矢野 博之(やの ひろゆき、1959年9月20日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。愛知県出身。日本大学芸術学部卒業。大学時代は熱血漫画根性会(漫画研究会)に所属していた。 漫研の後輩である青山剛昌はアニメーターを目指して進学したが、矢野が漫画家の方が儲かると助言したことにより、進路を変更したという。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
美樹本 晴彦(みきもと はるひこ、1959年8月28日 - … 美樹本 晴彦(みきもと はるひこ、1959年8月28日 - )は、日本のイラストレーター、キャラクターデザイナー、漫画家、アニメーター。本名は佐藤 晴彦(さとう はるひこ)。東京都出身。
片山 一良(かたやま かずよし、1959年8月28日- )は… 片山 一良(かたやま かずよし、1959年8月28日- )は、京都府宇治市出身で、フリーランスのアニメーション監督・アニメーション演出家である。血液型はO型。 京都府立城南高等学校(現・京都府立城南菱創高等学校)卒業後、漫画家を目指して東京デザイナー学院(現・東京ネットウエイブ)へ進むも、『ルパン三世 カリオストロの城』を観てアニメーターになろうと1979年に学院を中退し、テレコム・アニメーションフィルムに採用試験を受け、同社の2期生として入社する。 『ルパン三世(第2TVシリーズ)』や『じゃりン子チエ』などの動画を担当した後、テレコムを退社し、フリーランスのアニメーターとなる。その後、演出家に転向し、『魔法の妖精ペルシャ』や『魔法のスター マジカルエミ』などの演出を担当する。
原 恵一(はら けいいち、1959年〈昭和34年〉7月24日… 原 恵一(はら けいいち、1959年〈昭和34年〉7月24日 - )は、日本のアニメ監督。群馬県館林市出身。2007年にシンエイ動画を退社後はフリーランス。 世界35以上の映画賞を受賞し、国内外で高く評価されている。 群馬県の駄菓子屋を営む家庭に生まれる。両親と妹が1人いる4人家族の長男。 子供の頃からの夢だった「絵を描く」仕事に就くため、東京デザイナー学院アニメーション科へ進学する。しかし、ここで絵の上手な生徒の多さに圧倒され、そのことが演出への道を進むきっかけとなったという。アニメ学科に通いながらもアニメ作品は自ら進んでは見ず、アニメ好きが好んで見るようなアニメとも距離を置いていた。一方、『ぴあ』を片手に名画座に通いつめて実写映画は見ていた。
鶴岡 陽太(つるおか ようた、1959年4月28日 - )は… 鶴岡 陽太(つるおか ようた、1959年4月28日 - )は、日本のアニメーション音響監督。東京都出身。広島大学卒業。楽音舎代表。 ウエスト・ケープ・コーポレーションに入社後、西崎義展の元で制作助手や音楽プロデューサーを務める。その後、アニメーションの音響制作に転じ、本田保則が代表を務めるアーツプロに入社して師事する。独立後は楽音舎を設立。しばらくして録音スタジオのスタジオごんぐを設立し、多くのアニメーション作品の音響監督を務めている。 サンライズ、ゴンゾおよび京都アニメーション、シャフトとの繋がりが深く、これらの社の制作する数多くの作品において音響監督を担当している。 『奥さまは魔法少女』に出演した清水愛によれば、「牙系」で、「きれいな犬歯がシュッと伸びている」とのこと。
うつのみや 理(うつのみや さとる、1959年4月17日 -… うつのみや 理(うつのみや さとる、1959年4月17日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家。愛媛県松山市出身。 テレコム・アニメーションフィルム→エイトバイテン→マッドハウス→スタジオジュニオを経てフリー。大阪府立西野田工科高等学校デザイン科卒業。別名義は、宇都宮智、うつのみやさとる。 子供のときから絵を描くのが好きで、『白蛇伝』など東映動画の初期の長編アニメをテレビで見た影響でアニメ好きでもあったという。高校生のときにはアニメ研究会に所属し、少林寺拳法にも打ち込んでいたという。 高校卒業後、1982年にテレコム・アニメーションフィルムに見学しに行き、大塚康生に絵を見てもらい入社する。
西尾 大介(にしお だいすけ、1959年4月1日 - )は、… 西尾 大介(にしお だいすけ、1959年4月1日 - )は、日本のアニメーション監督である。広島県三次市出身。東映アニメーション所属。
宮尾 岳(みやお がく、1959年3月16日 - )は、日本… 宮尾 岳(みやお がく、1959年3月16日 - )は、日本の漫画家、元アニメーター。香川県出身。 香川県立高松工芸高等学校出身。高校在籍時に部活動として同校の漫画同好会(当時)に所属。高校卒業後、1977年に上京し東京デザイナー学院に進学。1979年、東京デザイナー学院を卒業後はアニメーション製作会社に所属し、東京ムービー新社や日本アニメーション作品の動画・原画を担当、副業として請け負っていた玩具パッケージや児童向け書籍の作画の縁からデザイン・企画会社のアートミックへ所属、同社の鈴木敏充のアシスタント的ポジションで腕を振るう。『機甲創世記モスピーダ』『メガゾーン23』などのデザインワーク、タカトクトイスのロボット玩具『機甲虫隊ビートラス』のキャラクターデザインなどを経てフリーとなり、『魔物ハンター妖子』のキャラクター原案といったイラストレーターとして注目を浴びる。
桶谷 顕(おけや あきら、1959年3月10日 - 2007… 桶谷 顕(おけや あきら、1959年3月10日 - 2007年6月24日)は、日本の男性アニメ脚本家。神奈川県出身。立正大学文学部国文学科卒業。 大学卒業後、シンエイ動画文芸部へ入社。脚本家の松岡清治に師事した。数多くの藤子アニメにシリーズ構成・脚本として参加した。『エスパー魔美』に参加した年にフリーランスとなり、以後ジャンルを問わず多くの作品に携わっていた。子供向けアニメではおけや あきらと平仮名でクレジットされることもあった。 『エスパー魔美』や『チンプイ』では原作にない多数のオリジナルストーリーが作られている。 2007年、自費出版の著書『ボクがもらった幸せ』で膵臓の末期がんであることを明らかにした。
渡部 隆(わたべ たかし、男性、1959年1月15日 - )… 渡部 隆(わたべ たかし、男性、1959年1月15日 - )は、日本のアニメーター、メカニックデザイナー、美術スタッフである。新潟県高田市(現在の上越市高田地区)出身。東京造形大学ビジュアルデザイン科卒業。 元々は漫画家を志望していたが、好きな漫画を描くために名前を売ろうとの考えからイラストレーターとしての活動を始め、ハヤカワ文庫の装丁画などを手がけるようになる。イラストの持ち込みをしている間に友人から紹介される形でJCGLのCGオペレーターとして映画『SF新世紀レンズマン』に参加。CG部分のイメージボードからメカニックデザイン、イラストまでを担当し、これが実質的なデビュー作となる。その後、マッドハウス作品を皮切りに『王立宇宙軍 オネアミスの翼』、『AKIRA』、『CYBER CITY OEDO 808』、『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』など多くの劇場アニメやOVAのスタッフとして活躍。
西内 としお(にしうち としお、1959年 - )は、日本の… 西内 としお(にしうち としお、1959年 - )は、日本の映像作家、アニメーター。神奈川県横浜市生まれ。 埼玉県立大宮高等学校卒業後、人形劇団や着ぐるみアトラクションなどのアルバイトを経て、東映動画アニメーター養成講座を受講。 1979年に阿佐ヶ谷美術専門学校に入学。1982年に卒業し、アニメーション制作会社に入社。1985年よりフリー。以後、NHK「みんなのうた」「おかあさんといっしょ」「いないいないばぁっ!」などのアニメーション制作や、幼児向けの雑誌や絵本の制作に携わっている。
長谷川 菜穂子(はせがわ なほこ、1959年 - )は小説家… 長谷川 菜穂子(はせがわ なほこ、1959年 - )は小説家、アニメ脚本家。国立音楽大学卒。東京都出身。 ファンタジー、ラブコメディーを多く手がける。女性の立場ならではの「女性の心理描写」特に恋愛に初心な少女の心理描写と(男性キャラクターによる妄想的な)官能美が巧みとされる。また活劇、戦闘シーンも多く書くが獰猛さ果敢さによるバイタリティは余り見せず、刹那的な感情や不条理を用いながらロマンティックかつドラマティックに書くことが多い。コメディーにしてもブラックジョークは好まず下品なものも真にいやらしくは書かず、あくまで「お調子者」「不器用」「ギャップ」「ドジ」「恥ずかしさ」といった瑞々しいファクターを用いたギャグが多く見られ、全体として「優しい世界観」によるノベライズでドラマをなすことが多い。
伊藤 豊(いとう ゆたか、1959年[要出典] - )は、日… 伊藤 豊(いとう ゆたか、1959年[要出典] - )は、日本のアニメーター、アニメーション美術家。 大阪府堺市出身。大阪府立泉北高等学校卒業後、上京。 1978年、専門学校に通学しながら、手塚治虫事務所で制作進行のアルバイト。同年、東映動画の美術監督、土田勇に師事する。 1979年、デビュー作『銀河鉄道999』以降、アニメーション美術家として『幻魔大戦』『魔女の宅急便』『銀河英雄伝説』『NARUTO -ナルト-』などの背景美術画を描く。 2005年、27年間の東京生活に終止符を打ち、関西在住。『涼宮ハルヒの憂鬱』などの背景美術画を担当。 2013年より、東北生活文化大学にてアニメーション概論授業の非常勤講師。
望月 智充(もちづき ともみ、1958年12月31日 - )… 望月 智充(もちづき ともみ、1958年12月31日 - )は、日本の男性アニメーション監督、演出家、脚本家。北海道出身。妻はアニメーターの後藤真砂子。坂本郷名義で脚本や演出を担当することもある。 亜細亜堂に入社し、アニメーターを経て演出家、監督となる。その後、フリーに。 東京都立小松川高等学校卒業後、早稲田大学に進学。入学の年に始まった『機動戦士ガンダム』に影響を受け、早稲田アニメーション同好会に入る。自主制作アニメや同人誌を制作していたが、あまりにものめり込みすぎて大学を留年してしまう。普通の就職をする気が無くなり、アニメーターになることを思い立つ。 1981年、動画のアルバイトをきっかけに、大学を中退してベテランアニメーターの芝山努、小林治が経営するアニメ制作会社「亜細亜堂」へ入社。
桜井 弘明(さくらい ひろあき、1958年12月15日 - … 桜井 弘明(さくらい ひろあき、1958年12月15日 - )は、静岡県沼津市出身のアニメーション監督。代表作に『デ・ジ・キャラット』シリーズ、『斉木楠雄のΨ難』など。日本大学文理学部国文学科出身。妻は脚本家の大場小ゆり。 大学に5年半在籍し、バンド活動に明け暮れ、ベーシストオーディションなどを受け続ける日々を過ごす。ある時、ふとしたキッカケでアニメーションに興味を持ち、卒業後は代々木アニメーション学院を経て、25歳で演出助手を募集していたスタジオワールドに入社。演出助手として最初に携わった作品は『超時空騎団サザンクロス』。テロップに最初に名が出たのは『よろしくメカドック』。よろしくメカドックを担当していた頃の先輩が小島正幸と馬場健だった。
川崎 博嗣(かわさきひろつぐ、1958年(昭和33年)12月… 川崎 博嗣(かわさきひろつぐ、1958年(昭和33年)12月7日 - )は、日本のアニメーター、映画監督。 東京芸術大学卒業、OH!プロへ入社。スタジオジブリを経て、現在はぴえろを中心に活動。 C1571 - 1596:前田真宏のラピュタ崩壊の破片の手伝い(宮崎駿全書より) この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
安藤 正浩(あんどう まさひろ、1958年10月8日 - )… 安藤 正浩(あんどう まさひろ、1958年10月8日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。 愛知県名古屋市出身。血液型はA型。名古屋芸術大学商業デザイン科卒業。東映動画(現・東映アニメーション)出身。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
佐藤 好春(さとう よしはる、1958年5月15日 - )は… 佐藤 好春(さとう よしはる、1958年5月15日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。日本アニメーション所属。神奈川県出身。 神奈川県立神奈川工業高等学校を卒業後、大学入学を目指すが頓挫。1978年スタジオ・カーペンターに入社し数作品の動画を担当した後、日本アニメーションに移籍。アニメーター森康二、近藤喜文らに学び、『世界名作劇場シリーズ』のメイン・アニメーターとして永く活躍した。 1986年愛少女ポリアンナ物語で、初のキャラクターデザイナーに抜擢される。その後、スタジオジブリに移籍するが、そのきっかけになったのは、1988年公開の高畑勲監督の火垂るの墓の作画監督に決まった近藤喜文の推薦により、宮崎駿監督のとなりのトトロの作画監督に抜擢されたことによる。
中野 彰子(なかの あきこ、1958年5月9日 - )は、日… 中野 彰子(なかの あきこ、1958年5月9日 - )は、日本の女性アニメーター、作画監督、演出家、キャラクターデザイナー、アニメ監督、小説家。三重県名張市出身。 大阪市立大学を中退後、アニメーターとなる。スタジオジュニオに入社し、1983年のテレビアニメ『伊賀野カバ丸』で作画監督を担当。 1986年には劇場版『世紀末救世主伝説 北斗の拳』に原画として参加。1987年公開のGAINAX制作による劇場アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』に原画として参加し、この作品を機にフリーランスとして独立した。同年には『マップス 伝説のさまよえる星人たち』(劇場版)や『アニメ80日間世界一周』にも原画として携わっている。
はら ひろし。(1958年4月5日 - )は、日本のアニメー… はら ひろし。(1958年4月5日 - )は、日本のアニメーション作家、漫画化。グループえびせんの創立メンバー。日本アニメーション協会会員。 本名は原 裕司(はら ひろし)。愛知県瀬戸市出身。東京歯科大学卒業。日本アニメーション協会の第1回アニメーションワークショップ受講生。 歯科医の傍ら、アニメーション自主制作、イラスト、漫画などを制作。ペーパーアニメでギャグ、コメディ性の高い作品を発表した。代表作は「セメダインボンド」シリーズなど。またグループえびせんの上映会では、会長の片山雅博との掛け合い司会が名物となった。 1990年代後半よりマッキントッシュを使用したアニメーション制作を開始、1997年5月12日、NHK教育の「プチプチ・アニメ」枠で新作の『ミスターボンド』が放映された。
尾鷲 英俊(おわし ひでとし、1958年2月22日 - )は… 尾鷲 英俊(おわし ひでとし、1958年2月22日 - )は、日本のアニメーター、アニメ演出家。北海道小樽市出身。 千代田写真デザイン学院を卒業後、漫画家となったが、直ちにアニメーターへと転向。 1978年頃、作画下請会社「じゃんぐるじむ」に入社し『ドカベン』『怪物くん』などで原画・動画を担当する傍ら、『おじゃまんが山田くん』では絵コンテを担当。アニメーター・演出家としての第一歩を同社で踏み出している。 1983年、じゃんぐるじむを退社しOH!プロダクションに移籍。同プロダクションでは『ベムベムハンターこてんぐテン丸』『とんがり帽子のメモル』『ルパン三世 PARTIII』などの作画監督を務めた(「コンテマン」としても活躍)。
氷川 竜介(ひかわ りゅうすけ、本名:中谷 達也〈なかたに … 氷川 竜介(ひかわ りゅうすけ、本名:中谷 達也〈なかたに たつや〉、1958年〈昭和33年〉2月15日 - )は、日本のアニメ・特撮研究家。ZEN大学知能情報社会学部教授、明治大学大学院国際日本学研究科特任教授、アニメ特撮アーカイブ機構副理事長。日本SF作家クラブ会員。 1977年に『月刊OUT』「宇宙戦艦ヤマト特集」でデビューし、黎明期のアニメ特撮出版、レコードに関わる。IT系企業で通信機器開発に携わり、国際標準化活動の経験あり。文化庁メディア芸術祭審査委員、毎日映画コンクール審査委員などを歴任。文化庁向けに『日本特撮に関する調査報告書』『日本アニメーションガイド ロボットアニメ編』を執筆(共著)。
後藤 真砂子(ごとう まさこ、1957年12月24日 - )… 後藤 真砂子(ごとう まさこ、1957年12月24日 - )は、日本のアニメーター。新潟県出身。夫はアニメーション監督の望月智充。 1973年、新潟県立新潟中央高等学校に入学。 1977年、シンエイ動画に入社。 1978年、亜細亜堂の設立に参加して移籍。 1988年、望月智充と結婚。
今西 隆志(いまにし たかし、1957年11月23日 - )… 今西 隆志(いまにし たかし、1957年11月23日 - )は、アニメ監督、演出家、プロデューサー。大阪府出身。日本大学芸術学部卒。 『装甲騎兵ボトムズ』の制作進行、『機甲界ガリアン』の設定制作などを経て、OVA『装甲騎兵ボトムズ ザ・ラストレッドショルダー』で演出助手、OVA『装甲騎兵ボトムズ レッドショルダードキュメント 野望のルーツ』で演出を担当。元 サンライズデジタル制作部部長。戦国武将と同姓同名の大熊 朝秀(おおくま ともひで)というペンネームを用いることがある。 夫人は富野由悠季監督作品などで色彩設定を担当した今西清子(旧姓・高島)。 自身が監督した作品については本項では省く。 ※を付した作品以外は「大熊朝秀」名義。
二木 真希子(ふたき まきこ、1957年6月19日 - 20… 二木 真希子(ふたき まきこ、1957年6月19日 - 2016年5月13日)は、日本のアニメーター、イラストレーター、絵本作家。愛知県出身。 愛知教育大学教育学部美術科卒業後、テレコム・アニメーションフィルムの2期生として入社。その後フリーとなり、1991年に社員制となったスタジオジブリに入社。2014年8月に制作部門が休止となり退社。以降、フリーで活動。 動植物の描写を得意とし、『風の谷のナウシカ』の砂洲でのナウシカと王蟲の仔のシーン、『天空の城ラピュタ』のパズーとシータの屋根の上での出会いのシーン、『となりのトトロ』のメイとトトロの出会いのシーン、天高くそびえていく樹木のシーン、葉群れやオタマジャクシのシーン、『魔女の宅急便』の冒頭の風の丘のシーン等を手がける。
ときた ひろこ(本名:時田 広子、1956年10月24日 -… ときた ひろこ(本名:時田 広子、1956年10月24日 - )は、日本の女性アニメーション監督、脚本家。東京都板橋区出身。日本脚本家連盟会員。 日本大学理学部物理学科在学中に、アルバイトでテレビアニメの彩色の仕事を行なったのがアニメ業界入りのきっかけ。和光プロダクションのテレビアニメ『激走!ルーベンカイザー』で監督の布川ゆうじと知り合い、1978年のスタジオぴえろ発足に誘われ、事務として設立に参加。1980年の『ニルスのふしぎな旅』などの動画などを担当した。1981年に退社してフリーとなり、『あしたのジョー2』などの動画を担当。 しかし原画への昇格を待たずに、自らのアニメーターの才能に見切りをつけて演出家を志向。
谷田部 勝義(やたべ かつよし、1956年7月11日 - )… 谷田部 勝義(やたべ かつよし、1956年7月11日 - )は、東京都出身の脚本家、アニメ演出家、監督、音響監督。別名義に森田光太、森田風太がある。 1975年、日本大学芸術学部映画科に入学、大学時代には後に俳優として名を馳せる内藤剛志らとともに5、6人で自主制作映画を撮っていたと後に述懐しているが、ある時受けたアニメーションのゼミをきっかけとして、その講師であった池田宏の人柄に触発される形で大学を中退。新聞広告に載っていたというアドコスモへと1978年に入社し、制作進行に従事することとなる。 在学中は特にアニメが好きであったわけでもなく、入社当時もアニメのことは全然知らなかったという谷田部であるが、一方で当初から演出の仕事をしたいという意思も持ち合わせてはいた。
康村 諒(やすむら りょう、1956年2月17日 - )は、… 康村 諒(やすむら りょう、1956年2月17日 - )は、日本のアニメーション監督、プロデューサー。岐阜県岐阜市出身。 日本映画監督協会会員。ペンネームに沙賀諒。 放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。タイガープロダクション、スタジオコクピット、パシフィック・アニメーション・コーポレーション(PAC)、ウォルト・ディズニー・アニメーション・ジャパン(シリーズ・コントローラー)などを経て、2012年より株式会社セブン・アークス・ピクチャーズ代表取締役社長。2019年3月同社退任。2018年4月帝京大学文学部日本文化学科准教授、2023年3月退職。同学非常勤講師。 テレビシリーズ(日本)監督に『魔境伝説アクロバンチ』『燃えろ!トップストライカー』『風の中の少女、金髪のジェニー』、(海外)『Thundercats』『The Comic Strip』。
大地 丙太郎(だいち あきたろう、1956年1月13日 - … 大地 丙太郎(だいち あきたろう、1956年1月13日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、撮影監督である。 群馬県高崎市出身。別名義に小池 彰(こいけ あきら)。 1976年育英工業高専グラフィック工学科、1978年東京写真大学短期大学部写真応用科卒業後、舞台写真家志望だったが、同年に清水達正の東京アニメーションフィルム(アニメーション撮影会社)に入社、初仕事は『未来少年コナン』の撮影で、アニメの撮影の仕事を5年ほど続けるが、一時転職してビデオ制作会社で実写のカラオケビデオ等を撮影していた時期もあった。 1991年、夢がないと絶望して勤め先を退社、ゲーム制作会社に勤めるが半年で元の会社に出戻る。
黒坂 圭太(くろさか けいた、1956年-)は日本のアニメー… 黒坂 圭太(くろさか けいた、1956年-)は日本のアニメーション作家。武蔵野美術大学教授。東京都出身。 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。映画監督の松本俊夫に師事する。 「変形作品」シリーズでデビュー。 1985年「変形作品第二番」が第8回ぴあフィルムフェスティバルにて入選。1996年にMTVステーションID優秀賞を受賞した「パパが飛んだ朝」はアヌシー国際アニメーション祭、オタワ国際アニメーションフェスティバルにて共に部門賞1位を獲得。 コラージュ、ドローイング、写真や立体等様々な技法を使用した抽象的なアニメーションを制作する一方、商業アニメーションも手がけるなどその作風は多彩である。主要作品は世界中の映画祭に招待出品されており、番組スポットやライブアニメーションイベント、漫画の監修を務めるなど、幅広い活躍を見せている。
西村 純二(にしむら じゅんじ、1955年12月23日 - … 西村 純二(にしむら じゅんじ、1955年12月23日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督、脚本家。佐賀県東松浦郡呼子町(現:唐津市)出身。 「西村 ジュンジ」名義で脚本家としても活動している。 明治学院大学卒業後の1980年、アニメ下請制作会社の「にしこプロダクション」に入社。広川和之の下でアニメの演出を勉強し、翌年放送の『宇宙戦士バルディオス』第20話「甦った悪魔(前編)」にてアニメーション演出家としてのデビューを果たした。その後同プロダクションでは、『忍者ハットリくん』『六神合体ゴッドマーズ』『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(第1作)などの演出も担当。 1984年、にしこプロダクションを退社し、活動の拠点をスタジオディーンに置いた。
アミノ テツロー(本名:網野 哲郎(あみの てつろう)、19… アミノ テツロー(本名:網野 哲郎(あみの てつろう)、1955年10月10日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。千葉県出身。 かつては本名で活動し、1988年頃からカタカナ名義を、2004年頃からアミノ テツロを使用しており、現在はこの「テツロ」名義での活動が多い。 代表作は、『アイドル伝説えり子』『アイドル天使ようこそようこ』『あしたへフリーキック』『疾風!アイアンリーガー』『マクロス7』『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』『DTエイトロン』『ぶぶチャチャ』など多数。 東京都立新宿高等学校卒業後、2年間のエキストラの経験後、東京写真専門学校を経て、音響制作会社のアーツプロに入社。
澤井 幸次(さわい こうじ、1955年9月14日 - )は、… 澤井 幸次(さわい こうじ、1955年9月14日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。東京都出身。血液型はB型。 学生時代は、漫画家を目指していた。 東洋大学卒業後、タツノコプロ(当時は「竜の子プロダクション」)に入社。2年程制作進行スタッフを務めた後演出家に転向し、『ゴールドライタン』・『未来警察ウラシマン』・『よろしくメカドック』・『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』・『昭和アホ草紙 あかぬけ一番!』などの絵コンテ・演出を担当した。 その後、1986年にタツノコプロを退社し、現在はフリーランスの演出家として活動している。 2000年以降は、タツノコプロ時代から親交がある、真下耕一が代表を務めるビィートレインの作品に関わる事が多い。
小堤 一明(こづつみ かずあき、1955年4月11日 - )… 小堤 一明(こづつみ かずあき、1955年4月11日 - )は、日本の映像作家、アニメーター、アニメーション監督、イラストレーター。 青山学院大学理工学部物理学科卒。日本アニメーション協会(JAA)会員。神奈川県横浜市出身。 「こづつみPON」 (こづつみポン)名義として活動することもある。 青山学院大学理工学部物理学科卒業後、月岡貞夫に師事し、アニメーションの道へ進む。東映動画のプロアニメーター育成のための「アニメーション講座」第1期生。 1980年から「小堤一明」名義で活動していたが、2008年頃以降、「こづつみPON」名義で活動。なお、名義は併用している時もある。 また、イラストレーターとしても活動しており、「のびのびノンちゃん」シリーズなどの絵本や『みんなのうた』テキスト表紙イラストを手がける。