森 まさあき(もり まさあき、1955年 - 2025年3月… 森 まさあき(もり まさあき、1955年 - 2025年3月24日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。静岡県静岡市出身。本名、森雅章。 東京造形大学名誉教授。日本アニメーション協会副会長。数多くのSFX(特殊効果映像)、アニメーションCMを手がける。日本におけるクレイアニメーションの第一人者。 中央大学商学部会計学科卒業。レイ・ハリーハウゼンに触発されて、大学在学中から8mmフィルムによるコマ撮り怪獣映画の自主制作を独学にて始める。「CMシリーズ」(1976年)でFUJI FILM主催 FUJI8mmコンテスト1977年「学生賞」、「麻婆豆腐との遭遇」(1977年)でPARCO主催JPCFコンテスト1977年「PARCO賞」など受賞。
池田 繁美(いけだ しげみ、1954年11月5日 - 202… 池田 繁美(いけだ しげみ、1954年11月5日 - 2024年10月13日)は、日本のアニメーション美術監督。東京都新宿区出身。 アド・コスモの美術部門出身で、退社後グループ・タックとスタジオ・ユニを経て、アトリエ・ムサを設立した。東京デザイナー学院アニメ科(現、東京ネットウエイブ)卒業。 美術監督を務めた作品は、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』『∀ガンダム』『機動戦士ガンダムSEED』などのガンダムシリーズや『エルドランシリーズ』『OVERMANキングゲイナー』『犬夜叉』『無限のリヴァイアス』『プラネテス』等、多数。 2009年には美術監督を務めた『アフロサムライ:レザレクション』(海外名称:「Afro Samurai: Resurrection」)において、日本アニメーション史上初となるプライムタイム・エミー賞アニメーション個人部門審査員賞(Juried award for Outstanding Individual Achievement in Animation)を受賞。
青山 充(あおやま みつる、1954年2月16日 - )は、… 青山 充(あおやま みつる、1954年2月16日 - )は、フリーの男性アニメーター、キャラクターデザイナー。新潟県上越市出身。 1話や1作品の原画を1人で担当する「一人原画」が多いことで知られている。 小さい頃は病弱で『鉄腕アトム』や『8マン』などを漫画の絵を模写していた。漫画は読んでいたもの熱心なマニアではなく、漫画家志望でもなかった。工業高校卒業後は上京し、東洋美術学校でグラフィックデザインを学んだ。学校へ行かなくなりアルバイトをしていた頃に絵を描く仕事をしたいと思い立ち、友人から下請け作画スタジオのスタジオルックを紹介されて業界に入りし、東洋美術学校は中退した。『ポールのミラクル大作戦』の動画を引き受け、1年近く経って24歳頃に原画の担当となった。
広井 王子(ひろい おうじ、本名:廣井 照久〈ひろい てるひ… 広井 王子(ひろい おうじ、本名:廣井 照久〈ひろい てるひさ〉、1954年2月8日 - )は、日本の漫画・アニメ・テレビゲームなどの原作を手掛けるマルチクリエイター、舞台演出家。レッド・エンタテインメント顧問、ゲオネットワークス顧問、金沢工業大学客員教授、情報経営イノベーション専門職大学情報経営イノベーション学部超客員教授。元アミューズ所属。 著名な作品は、『サクラ大戦シリーズ』『天外魔境シリーズ』『魔神英雄伝ワタルシリーズ』。 東京都出身、立教中学校、立教高等学校卒業、立教大学法学部3年次中退。
うえだ ひでひと(本名:植田 秀仁〈読みは左記と同一〉、19… うえだ ひでひと(本名:植田 秀仁〈読みは左記と同一〉、1953年11月3日 - 2015年6月28日)は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。山梨県出身。「植田 秀仁」「ウエダ ヒデヒト」「綴爆(すぺるばく=スピルバーグのもじり)」「舞刀満」「鳥南乃」名義での活動もある。 漫画家志望で、國學院大學在学中の1975年11月7日に研修生としてタツノコプロへ入社。作画も志望ではあったが、翌年3月に大学を卒業して正社員採用されると、演出部へ配属、同時採用の真下耕一と共に『タイムボカン』班の演出助手(第33話「ビックリ! 天女は宇宙人だペッチャ」)を務めることとなり、これがキャリアのスタートとなる。
滝沢 敏文(たきざわ としふみ、1953年9月18日 - 2… 滝沢 敏文(たきざわ としふみ、1953年9月18日 - 2015年6月22日)は、日本のアニメーション演出家、アニメーション監督。 長野県松本市出身。東京造形大学映像科では写真と映画を専攻。大学を卒業後、東京アニメーションフィルム(現:アニメフィルム)に入社。同社に撮影スタッフとして勤務した後、シンエイ動画に移籍し演出助手に転向した。その後日本サンライズ(現:サンライズ)に活動の拠点を移し、『装甲騎兵ボトムズ』『ダーティペア』などの演出チーフ・監督を務めた。その後はフリーの演出家として活動していた。2011年からは、倉敷芸術科学大学の講師も務めていた。 2015年6月22日、食道がんのため逝去。
山本 二三(やまもと にぞう、1953年6月27日 - 20… 山本 二三(やまもと にぞう、1953年6月27日 - 2023年8月19日) は、日本のアニメーション美術監督、アニメーション監督。背景美術会社、絵映舎(かいえいしゃ)代表。東京アニメーションカレッジ専門学校講師などを務めた。長崎県五島市(旧福江市)出身。五島市ふるさと大使。 長崎県五島市出身。中学卒業後、岐阜県の高校で建築と絵画を学んだのち上京、 東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ)に進学する。在学中からアニメーションの美術スタジオで働き始め、背景画の仕事を手掛けるようになる。この頃は『サザエさん』や『マジンガーZ』などの背景を担当したといい、『サザエさん』は月に200枚前後の背景を描いてたという。
青木 勝志(あおき かつし、1953年6月26日 - )は、… 青木 勝志(あおき かつし、1953年6月26日 - )は、日本の男性アニメーション美術監督。広島県三原市出身。小林プロダクションに入社後、『家なき子』、『ルパン三世 カリオストロの城』などに美術スタッフとして参加。その後フリーランスとなり、数多くのマッドハウス作品を手がける。尊敬する美術監督は小林七郎、椋尾篁。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
西久保 瑞穂(にしくぼ みずほ、1953年〈昭和28年〉1月… 西久保 瑞穂(にしくぼ みずほ、1953年〈昭和28年〉1月15日 - )は、日本の男性アニメーション作家、アニメ監督。東京都出身。 本名は西久保 利彦(にしくぼ としひこ)。山口 直樹の名義を用いることもある。 押井守の下で演出を担当する際には本名を用いている。その場合の分担・工程として、 という形で進行する。 音楽評論家の萩原健太はサークル(放送研究会)の2年後輩で友人。 妻は声優の水谷優子、従兄にロックミュージシャンの忌野清志郎がいる。 「何かモノを作ること」が好きということから、最初は音楽のプロデューサーとか面白そうと思ってレコード会社の入社試験を受けたが全て不合格。しかし特に音楽がやりたいわけではなく、モノを作るなら映画でも何でもいいじゃないかと考え直して、たまたま新聞でタツノコプロの求人広告を見て、早稲田大学在学中の1975年11月6日にプロデューサーを志望し、研修生としてタツノコプロへ入社。
湯山 邦彦(ゆやま くにひこ、1952年10月15日 - )… 湯山 邦彦(ゆやま くにひこ、1952年10月15日 - )は、日本のアニメーション演出家、アニメ監督。東京都練馬区出身。東京都立武蔵丘高等学校卒。 かつて藤原鉄太郎や、ゆやまくにひこというペンネームを使っていたこともあった。 元々漫画家に憧れ、美術大学を受験するも失敗、代々木ゼミナールの美術大学コースに入るも次第に漫画家になりたい望みが薄れ、後に美術大学進学は断念、一方で友人らとフォークソングのバンドを組んで活動していたことがあった。その傍らでいくつかのアルバイトのうちの一つとして、近所のアニメ制作スタジオで動画描きを担当した事が、アニメ業界入りのきっかけである。 その後、アニメーターとして活躍する傍ら絵コンテも任されるようになり、1978年より演出家に転向。
白 六郎(はく ろくろう、1952年8月20日 - )は、日… 白 六郎(はく ろくろう、1952年8月20日 - )は、日本の漫画家・アニメーター。本名は蒲原 直樹(かもはら なおき)。一部の作品は本名で発表している。佐賀県出身、血液型はO型。 法政大学二部(夜間部)在学中に、ダイナミックプロに入社した。アシスタントとして働きながら書いた『北国の母』(増刊ジャンプ)、『山猫先生』(月刊ジャンプ)で漫画家デビュー。同プロにて『Xボンバー』、『UFOロボ グレンダイザー』のコミカライズのほか、秋田書店を中心に『紳助竜介物語』『松村和子物語』などの芸能人の紹介漫画や、『特装騎兵ドルバック』『マッドマシン(未放映)』など、アニメ作品の漫画化を行う。 1988年(昭和63年)に新興出版より出版された『漫画・日の丸君が代』のために白 六郎のペンネームを使用。
寺田 憲史(てらだ けんじ、1952年7月11日 - )は、… 寺田 憲史(てらだ けんじ、1952年7月11日 - )は、日本の作家、脚本家、アニメーション監督。 東京都出身。早稲田大学教育学部卒業。大学在学中に竜の子プロダクションの仕上げのアルバイトとして、アニメーションの仕事に携わるようになる。その後フリーの仕上げマンとして、『宇宙戦艦ヤマト』の波動砲発射時のエアブラシなど様々なスタジオの作品を手がける。また、日活ロマンポルノのコンテストに応募したシナリオが最終選考に残ったことから、アニメーションの仕事と並行してロマンポルノの助監督を務める。 主にアニメの脚本、シリーズ構成や特撮作品の脚本を中心に担当しているが、友人がスクウェアに勤めていた縁でファミコン版『ファイナルファンタジー』の脚本を執筆して以後、家庭用ゲームソフトの制作にも深く携わるようになる。
真下 耕一(ましも こういち、1952年6月21日 - )は… 真下 耕一(ましも こういち、1952年6月21日 - )は、東京都出身の日本の元アニメーション監督、演出家。上智大学法学部卒業。 小さい頃から映画好きで、高校時代から8ミリ映画を自主製作し大学時代は映画研究会に属した。アニメには特に興味はなく、大学4年生のときに共同テレビで半年ほどアルバイトをしていたところ、アニメ制作会社タツノコプロの新聞求人広告を見て、映像作品を作る会社ということで1975年11月6日に入社する。 シナリオを書きたくて、演出助手を志望し、演出部長だった笹川ひろしより薫陶を受ける。3ヶ月後には『タイムボカンシリーズ』(『タイムボカン』第33話「ビックリ!天女は宇宙人だペッチャ」)で初演出。
男鹿 和雄(おが かずお、1952年2月29日 - )は、ア… 男鹿 和雄(おが かずお、1952年2月29日 - )は、アニメーション美術監督、挿絵画家。株式会社でほぎゃらりーアドバイザー。宮崎駿、高畑勲、川尻善昭らの作品を支えてきた日本を代表する美術監督である。 1952年、秋田県仙北郡太田町(現:大仙市)三本扇に生まれる。秋田県立角館高等学校卒業後、デザイン系専門学校を一年で中退。学校に通う途中、アニメーションの広告を見かけて背景を描くようになる。1972年、小林プロダクションに入社、代表の小林七郎に師事する。1975年に看板製作の仕事に転職するも、1977年に『家なき子』制作の為に同プロダクションに復帰。その後はマッドハウスに移籍し、椋尾篁の下で『幻魔大戦』『カムイの剣』などのアニメに参加。
なみき たかし(本名:並木 孝、1952年 - )は、日本の… なみき たかし(本名:並木 孝、1952年 - )は、日本のアニメーション研究家、東京アニメーション同好会(アニドウ)4代目会長、有限会社オープロダクション代表取締役/プロデューサー、日本アニメーション文化財団代表理事。 日本アニメーション協会会員(初代事務局長)、日本アニメーション学会会員、日本アニメーター・演出協会(JAniCA)発起人、アニメーション事業者協会理事(すでに解散)。 1952年、埼玉県浦和市(現:さいたま市)で生まれる。 日本大学鶴ヶ丘高等学校美術科在学中の1968年東京新宿の漫画喫茶コボタンで、アニメーターの集まりであるアニドウ(東京アニメーション同好会) に参加。漫画家でフィルム・コレクターの杉本五郎や各国大使館のフィルム提供による上映会で世界のアニメーションを知り16歳でアニメーション界へ進路を定める。
大野 広司(おおの ひろし、1952年 - )は、日本のアニ… 大野 広司(おおの ひろし、1952年 - )は、日本のアニメーション美術監督である。愛知県出身。 ディズニー作品(1998.5~2004.5、ディズニージャパンにて) パイロット・フィルム
渡部 英雄(わたなべ ひでお、1952年 - )は、日本のア… 渡部 英雄(わたなべ ひでお、1952年 - )は、日本のアニメ監督、アニメ演出家、アニメーター、桜美林大学芸術文化学群特任講師、湘南工科大学工学部講師、開志専門職大学アニメ・マンガ学部教授。数多くのアニメーションの演出・監督で知られる。 1977年大学の卒業後、撮影部カメラマンとして株式会社スタジオ珊瑚礁入社。株式会社東映動画(演出助手・制作進行)、有限会社サンルック(演出)に出向。 1980年スタジオ珊瑚礁退社。株式会社グリーン・ボックス(演出)を経てフリー。東映動画にて劇場長編アニメーション助監督、演出を担当。 東映動画勤務のまま1984年有限会社スタジオを設立、代表取締役社長。 1990年、社名を有限会社アートオフィス写楽に変更。
眉月 はるな(まゆづき はるな、1951年9月12日 - )… 眉月 はるな(まゆづき はるな、1951年9月12日 - )は、日本の漫画家・アニメーター。愛媛県宇和島市出身。 1967年に上京し、荘司としおに師事。1969年、少年画報(少年画報社)よりデビュー。1970年、週刊少年ジャンプに初の連載『アニマル球場』を発表。その後も同誌に作品を幾つか連載・掲載する。1971年1月、『セブン・グループ』の仲間とともに『セブン・プロダクション』を設立。アニメーターとしては東京ムービー作品の動画を手掛けている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
鈴木 孝義(すずき たかよし、1951年9月11日 - )は… 鈴木 孝義(すずき たかよし、1951年9月11日 - )は日本のアニメ監督、演出家である。神奈川県小田原市出身。 武蔵野美術大学卒業後、日本アニメーションに入社。世界名作劇場作品などを始め数々の日アニ作品でキャリアを積んだ。「大草原の小さな天使 ブッシュベイビー」で監督デビューし、90年代は多くの作品で監督を務めた。2005年には長い間関わり続けていた日本アニメーションを退社し、フリーとなり活動している。 妻は子供服専門店「こねこねこ」の経営者である鈴木子猫。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、日本… 押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、日本の映画監督、アニメーション演出家、小説家、脚本家、漫画原作者、劇作家、ゲームクリエイター。東京大学大学院特任教授、東京経済大学客員教授などとしても活動している。2021年時点は静岡県熱海市在住。 東京都大田区大森出身。東京都立小山台高等学校、東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。静岡県熱海市在住。2008年度から2009年度まで東京経済大学コミュニケーション学部の客員教授を務めた。 2017年時点で日本SF作家クラブ会員だったが、2024年6月時点の会員名簿には名前がない。 日本のアニメーション監督で、世界三大映画祭すべてに出品したことがある唯一の監督である(2018年現在)。
貞光 紳也(さだみつ しんや、1951年6月23日 - )は… 貞光 紳也(さだみつ しんや、1951年6月23日 - )は、日本のアニメ演出家・監督。山口県防府市出身。 一家は転居が多く、防府市から静岡県磐田郡佐久間町(現・浜松市天竜区)→ 名古屋市 → 神奈川県相模原市と移っている。 荒木伸吾、金田伊功らが所属していたスタジオZおよびスタジオNo.1の出身で、『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』や『機動戦士ガンダム』、『くじらのホセフィーナ』などではスタジオZ作画担当回の演出を担当していた。 タツノコプロ作品に関わった縁から、Production I.G設立当初から作品に参加した。主にOVA作品の監督やシンエイ動画のテレビシリーズの各話演出担当し、一時期は戸部敦夫とコンビで活動していた。
川尻 善昭(かわじり よしあき、1950年11月18日 - … 川尻 善昭(かわじり よしあき、1950年11月18日 - )は、日本のアニメーター、アニメーション監督。神奈川県横浜市出身。横浜高校卒業。 代表作に『妖獣都市』、『獣兵衛忍風帖』、『バンパイアハンターD』など。 幼少時より漫画家を志望し、母親の知人であった漫画家の北野英明が手塚治虫の虫プロダクションに所属していたことから、そのつてで高校を卒業すると虫プロへ入社。虫プロ時代にはテレビアニメ『あしたのジョー』などの動画を担当。出崎統と杉野昭夫の推薦を受け『ムーミン』で正式に原画へ昇格。 1972年、虫プロ出身者によって結成されたアニメ制作会社マッドハウスへ。当初はアニメーターとして同社作品を支え、80年代より『夏への扉』、『浮浪雲』、『ユニコ 魔法の島へ』で画面構成を務める。
福冨 博(ふくとみ ひろし、旧名:福富 博(読み同じ)、19… 福冨 博(ふくとみ ひろし、旧名:福富 博(読み同じ)、1950年7月25日 - )は、日本の男性アニメーター、アニメーション演出家、アニメ監督。高知県出身。妻はアニメーターの福富和子。 東京デザイナー学院(現・東京ネットウエイブ)中退後、Aプロダクション(現・シンエイ動画)に入社。1982年、『怪物くん』のスタッフである真田芳房、本多敏行、森脇真琴を中心にアニメ制作会社あにまる屋(現・エクラアニマル)を設立。主にスタジオコメット作品を中心に活動していた。 手がけたオープニングアニメーションにはダイナミックな背景動画を多用したり、キャラクターの顔を意図的に隠すなど特徴的な演出が多い。
福冨 博(ふくとみ ひろし、1950年7月25日 - 、旧名… 福冨 博(ふくとみ ひろし、1950年7月25日 - 、旧名:福富 博(読み同じ))は日本のアニメーション監督。高知県出身。妻はアニメーターの福富和子。
早川 啓二(はやかわ けいじ、1950年6月14日 - 20… 早川 啓二(はやかわ けいじ、1950年6月14日 - 2008年4月)は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。青森県むつ市出身。 後にズイヨー映像→日本アニメーションへと移籍し、テレビアニメ『あしたへアタック!』(1977年)で演出デビュー。同社を離れた後、『巴里のイザベル』(1979年)で監督デビュー。 その後はスタジオぴえろ→スタジオぎゃろっぷと渡り歩き、これら各社の諸作品で活躍。特に『キテレツ大百科』は放送開始前に制作された単発特番より絵コンテや演出として参加し、放送2年目を迎えた第44話より2代目監督に就任。以後7年以上監督を務めた。 同作の終了後はメルヘン社や東京キッズなどを主な活動拠点とした。
近藤 喜文(こんどう よしふみ、1950年3月31日 - 1… 近藤 喜文(こんどう よしふみ、1950年3月31日 - 1998年1月21日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家・監督。スタジオジブリ所属。新潟県五泉市出身。妻はアニメーション色彩設計者の近藤浩子(旧名:山浦浩子)。1子あり。 高畑勲、宮崎駿両監督作品を1970年代から晩年までアニメーターとして支え続けた。 1995年の映画『耳をすませば』で初めて劇場用長編アニメーションの監督を務め、次代の日本のアニメーション、またスタジオジブリを担う作家として、演出面でも将来を嘱望されていたが、47歳で急死した。 メリハリのあるアクションから細やかな生活芝居まで手がける高い技術と、仕事に妥協を許さない姿勢、人々を見つめる温かな眼差しは、今なお後進のアニメーターに影響を与え続けている。
湖川 友謙(こがわ とものり、1950年1月3日 - )は、… 湖川 友謙(こがわ とものり、1950年1月3日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家。旧名は湖川 滋(こがわ しげる)。そのほか、園田美世、花畑まう、小国一和、亥間我子、重塚我子、江塚我子、駅間我子、TOIIIO、枯葉紅葉、音間聞、下井草伊井乃弼、小馳那乃國広道など、多数の別名義を用いている。NEOX顧問。北海道紋別郡遠軽町出身。出生時の名は滋であったが、姓名判断の結果を受け、手続きを経て正式に友謙に改名している。 1970年代の『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ、『銀河鉄道999』といった松本零士作品の作画監督を経て、1980年代に、『伝説巨神イデオン』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』といった日本サンライズ制作の富野由悠季監督のテレビアニメのキャラクターデザインを手掛けた。
佐々木 隆(ささき たかし、1949年 - )は、日本の家政… 佐々木 隆(ささき たかし、1949年 - )は、日本の家政学者、法学者、アニメ評論家、東北女子大学教授。 東京都生まれ。1975年早稲田大学法学部卒、同大学大学院修士課程修了、85年上智大学大学院法学研究科博士課程満期退学。東北女子大学教授、図書館長。
富田 祐弘(とみた すけひろ、1948年4月14日 -)は、… 富田 祐弘(とみた すけひろ、1948年4月14日 -)は、日本のアニメーション脚本家、ライトノベル小説家、漫画原作者。埼玉県出身。 埼玉県立浦和高等学校卒業後、映画の照明スタッフを目指して日本大学藝術学部へ入学するが、当時の大学紛争によって授業もろくに受けられない休講状態の日々を過ごす。そこで当時の紛争をパロディに戯曲を書いてみたところ、周囲の好評を得たことから、脚本家志望へと方向転換。卒業後は、著名な脚本家の事務所へと就職するが「書くよりもマネージャーをやれ!」と命じられ、事務所の若手タレントを各方面へと売り込む外回り営業の日々を過ごす羽目に。そんな中、東映動画のプロデューサーからの叱咤激励によって再び脚本家を目指すようになり、事務所の先輩である田村多津夫に師事。
安彦 良和(やすひこ よしかず、1947年〈昭和22年〉12… 安彦 良和(やすひこ よしかず、1947年〈昭和22年〉12月9日 - )は、日本の漫画家、アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ監督、イラストレーター、小説家。北海道紋別郡遠軽町出身、埼玉県所沢市在住。 遠軽高校、弘前大学 (退学処分)を経て、1970年虫プロ養成所に入りアニメーターとなる。虫プロ倒産後はフリーとなり『宇宙戦艦ヤマト』『勇者ライディーン』『超電磁ロボ コン・バトラーV』『無敵超人ザンボット3』など数多くのアニメ作品に携わる。その中でもキャラクターデザインおよび作画監督を務めたアニメ『機動戦士ガンダム』は、その後放映された劇場版とも併せ社会現象ともいえるブームを巻き起こし、2022年の時点でも根強い人気を誇る。
布川 ゆうじ(ぬのかわ ゆうじ、本名: 布川 郁司(読みは左… 布川 ゆうじ(ぬのかわ ゆうじ、本名: 布川 郁司(読みは左記と同一)、1947年2月11日 - 2022年12月25日)は、日本のアニメーター、アニメ演出家、アニメーションプロデューサー、実業家。株式会社スタジオぴえろ創業者・取締役最高顧問、元東北芸術工科大学大学院仙台スクール教授、元日本動画協会理事長。ペンネームに坂田ゆう。 山形県酒田市で生まれ、実家は紳士服の仕立て屋だった。子供の頃から絵を描くこと、芝居・映画を鑑賞することが好きで、高校時代に所属していた美術部の顧問の推薦で宣伝美術を経験し、デザインの仕事に就くことを志望し上京する。昼間にアルバイトをしながら、夜間に日本デザインスクールで学び1967年に卒業。
楠葉 宏三(くすば こうぞう、1947年 - 2018年3月… 楠葉 宏三(くすば こうぞう、1947年 - 2018年3月20日)は、日本の男性アニメーション作家、監督。愛媛県宇和島市出身。 1971年、東京ムービーに入社。日本アニメーションに移籍後、1981年に『フーセンのドラ太郎』で監督デビュー。『世界名作劇場』シリーズの中期から後期の作品を担当し、シリーズ最多7本の監督を務める。2004年よりフリーランス。 2005年4月からリニューアルした『ドラえもん (2005年のテレビアニメ)』の総監督に就任し、2012年まで務めた。以降はテレビシリーズの各話絵コンテ・演出を多数手がけている。『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』では総監督として外部打ち合わせや制作現場の環境整備などに務め(実制作のほとんどは監督の渡辺歩に任せっきりだったという)、原作漫画を上手く脚本に置き換える作業などを行った。
樋口 雅一(ひぐち まさかず、1946年11月18日 - )… 樋口 雅一(ひぐち まさかず、1946年11月18日 - )は、山梨県都留市出身のアニメーター、アニメーション演出家、アニメーション監督、漫画家である。日本漫画家協会会員。 小学生の時に一家は東京に移る。映画会社に勤めていた父の影響で小学生の時から映画好きで、高校生の時は年間300本ほど観ていたという。その頃『S-Fマガジン』誌上でテレビアニメ放映開始前の『鉄腕アトム』の試写会開催を知り、ここでの新鮮な驚きが「観る側から作る側になりたくなった」と心が変わり、アニメ業界に入る決心をする。 高校を卒業後、東映動画と虫プロダクションを受けるもいずれも不合格、そのような中で竜の子プロダクション(タツノコプロ)に採用されて入社。
吉良 敬三(きら けいぞう、1945年4月1日 - )は、日… 吉良 敬三(きら けいぞう、1945年4月1日 - )は、日本の映像作家、アニメーター。香川県観音寺市出身。 アニメーション制作会社、株式会社スリー・ディ代表。「きらけいぞう」名義で活動することもある。 1968年、多摩美術大学日本画科卒業後、鈴木伸一、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫らが設立したアニメーション制作会社「スタジオ・ゼロ」に入社。 1970年12月に解散が決まり、一旦はフリーとなるが、翌1971年10月、赤塚にスカウトされるかたちでフジオ・プロのグループ企業「不二アートフィルム」の設立に参加。 コマーシャルやNHKの音楽番組『みんなのうた』や『おかあさんといっしょ』、フジテレビの『ひらけ!ポンキッキ』などのための実験的アニメーションやキャラクターデザインに携わる。
小林 治(こばやし おさむ、1945年1月9日 - )は、日… 小林 治(こばやし おさむ、1945年1月9日 - )は、日本のアニメーター、アニメーション演出家、アニメーション監督。東京都府中市出身。亜細亜堂所属。小林 おさむ、ススキダ トシオ名義でも活動する。 同業のイラストレーター、メカニックデザイナー、アニメ監督の小林治とは同姓同名の別人である。 1963年、東映動画(現:東映アニメーション)に18歳で入社。同期に芝山努などがおり、同じ年の約半年前に宮崎駿が入社していた。 1965年、東映動画にいた楠部大吉郎に誘われてAプロダクション(現:シンエイ動画)の設立に参加。創立メンバーは楠部、小林、芝山、椛島義夫・森下圭介。アニメーターとして『オバケのQ太郎』『巨人の星』『アタックNo.1』などを手がけたほか、芝山とのコンビで『ど根性ガエル』などで作画監督を担当。
小島 利明(こじま としあき、1945年1月2日 - )は、… 小島 利明(こじま としあき、1945年1月2日 - )は、日本の漫画家、アニメーター。群馬県富岡町(現・富岡市)出身、群馬県立富岡東高等学校 卒。血液型はO型。 ピープロのアニメーターを経て、1969年『少年画報』(少年画報社)にて、『サッカー番長』でデビュー。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
日下部 光雄(くさかべ みつお、1945年- )は、日本のア… 日下部 光雄(くさかべ みつお、1945年- )は、日本のアニメーション監督・演出家。スタジオ・ザイン所属。 昭和38年、東京都立新宿高等学校を卒業。 虫プロダクションの撮影マンとしてアニメ業界のキャリアをスタート。その後アニメーターに鞍替えした後演出家に転向。スタジオ・ザインのメンバーとして様々な作品に参加する。 初監督作品は『生徒諸君!心に緑のネッカチーフを』。『星のカービィ』では、吉川惣司の下でアニメーション監督を勤め、2年間に渡る長期シリーズを支えた。海外のアニメーション作品にも演出家として携わっており、近年の国内での活動が少ないのもそのためである。
大井 文雄(おおい ふみお、1944年(昭和19年)9月24… 大井 文雄(おおい ふみお、1944年(昭和19年)9月24日 - )は、京都府京都市左京区出身の日本の映像作家、アニメーターである。日本アニメーション協会名誉会員。 1968年、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。1981年、株式会社スリー・ディの設立に参加。以後多くのアニメーション制作やCM制作に携わる。2000年7月よりフリーで活動。 手描きアニメーションの製作に始まり、現在では主にCGディレクターとして活動する。NHKの音楽番組「みんなのうた」や「おかあさんといっしょ」などで数多くの作品を提供している。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
杉野 昭夫(すぎの あきお、1944年9月19日 - )は日… 杉野 昭夫(すぎの あきお、1944年9月19日 - )は日本のアニメーター、アニメ監督。北海道札幌市出身、北見市育ち。
尾崎 真吾(おざき しんご、1944年8月15日 - )は、… 尾崎 真吾(おざき しんご、1944年8月15日 - )は、日本のアニメーター・イラストレーターである。血液型はA型。山口県山口市出身。 現在アニメーション協会・日本児童作家連盟・日本モデルシップ友の会に所属。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
芦田 豊雄(あしだ とよお、1944年4月21日 - 201… 芦田 豊雄(あしだ とよお、1944年4月21日 - 2011年7月23日)は、日本の男性アニメーター、アニメ監督、プロデューサー。千葉県出身。千葉県立千葉商業高等学校卒業。株式会社スタジオ・ライブ代表取締役社長を経て、同社会長を務めていた。 テレビアニメ『魔神英雄伝ワタル』のキャラクターデザインや、アニメ雑誌『月刊OUT』の連載記事「人生冗談」などで知られる。東映動画作品、オフィス・アカデミー作品、日本サンライズ作品を中心として、主に1980年代のアニメファンに強い印象を残した。また、作画スタジオ・スタジオ・ライブの主宰者としても数々の才能ある人材を輩出した。 ペンネームには江古田豊がある。「いんどり小屋」と「マンドリルクラブ」は、スタジオ・ライブの共同ペンネームであり、これに参加している場合もある。
出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 201… 出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。 1943年、東京都目黒区で、航空科学専門学校の教授であった出﨑晶の次男として誕生。明治時代に福島県相馬郡(現・福島県相馬市)で干拓事業を行った出﨑栄太郎の曾孫にあたる。終戦後に相馬に移り住んだが、小学1年生のときに父が結核で死去。
出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 201… 出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。
浦上 靖夫(うらかみ やすお、1943年10月23日 - 2… 浦上 靖夫(うらかみ やすお、1943年10月23日 - 2014年12月18日)は、日本のアニメーション音響監督。東京都出身。 日本大学芸術学部卒。 1965年虫プロダクションに入社。1972年、独立して録音企画制作会社オーディオ・プランニングユー設立。1981年録音スタジオエーピーユースタジオ(後のエーピーユー目黒スタジオ)設立。映画版『ドラえもん』や高畑勲監督作品をはじめとして数々の名作アニメの音響監督を務め、長年活躍したアニメーション音響監督の第一人者。音響技師では松田昭彦、庄司雅弘、横山正和、柏原満との関係が深かった。 息子・娘は同じく音響監督の浦上靖之・浦上慶子。主な弟子に小林克良と井澤基の2人がいる。
窪田 忠雄(くぼた ただお、1943年9月20日 - )は、… 窪田 忠雄(くぼた ただお、1943年9月20日 - )は、日本のアニメーション美術監督。元ムクオスタジオ所属。北海道出身。 武蔵野美術大学卒業後、アニメーション美術の世界に入る。現代制作集団などに所属し『ルパン三世』などの背景に関わった後、同窓の椋尾篁と出会い、ムクオスタジオに入社。椋尾との共作『銀河鉄道999』『三国志』をはじめ、多数の劇場作品やテレビシリーズの美術監督を務める。特に1980年代後半から1990年代には、東映動画(現東映アニメーション)の代表的な作品(『聖闘士星矢』、『美少女戦士セーラームーン』シリーズ、劇場版『ドラゴンボールZ』シリーズ)の美術統括責任者を長らく務め、ムクオスタジオにとどまらず東映動画の美術スタッフの育成にも貢献した。
神田 武幸(かんだ たけゆき、1943年8月11日 - 19… 神田 武幸(かんだ たけゆき、1943年8月11日 - 1996年7月27日)は、福島県福島市出身の日本のアニメーター、アニメーション監督。別名義は横山裕一郎。 1965年に虫プロダクションに入社し、『W3』などのテレビアニメの制作進行を経て、サンライズ作品の多くに各話演出として参加。1983年~1984年には代表作である『銀河漂流バイファム』の監督を務めた。その他では『ザ☆ウルトラマン』、『太陽の牙ダグラム』(高橋良輔と共同)、『超力ロボ ガラット』、『機甲戦記ドラグナー』、『機甲猟兵メロウリンク』、『紺碧の艦隊』(1994年-1996年)などといったテレビアニメ・OVAで監督を担当。 その後OVA『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』の総監督を務めている最中、1996年に52歳で急逝した。
本田 保則(ほんだ やすのり、1943年5月30日 - )は… 本田 保則(ほんだ やすのり、1943年5月30日 - )は、アニメーション音響監督。富山県出身。富山大学経済学部卒。 大学卒業後、演出家を志して上京。島宇志夫が主宰する『劇団造形』に入団、演出助手を務める。 1966年11月、タツノコプロに入社。独立後は東北新社の契約社員を経て、1974年9月に株式会社アーツ・プロを設立。2014年、自身の判断で解散しフリー。 同年6月より日本音声製作者連盟 名誉会員。現在は、マッドハウス・東映アニメーションの制作作品を中心に活動。 ※特筆のないものは全て音響監督としての参加 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
奥田 誠治(おくだ せいじ、1943年4月16日 - )は、… 奥田 誠治(おくだ せいじ、1943年4月16日 - )は、東京都中央区出身の日本のアニメーション演出家、アニメ監督、小説家。武蔵野アニメーション研究所所長。 これまでに描いた絵コンテは1000本以上を記録する。2020年現在(データ原口氏確認) どのような作品であっても水準とスケジュールは厳守する。 少年時代から絵や文章を書くことは好きで、漠然と「漫画家になれたら」と想像したことはあったという。工業高校卒業後は一般企業に就職するも、仕事がどうも性に合わないと思い、そんな時に映写技師はどうかとの話をもらい、元々映画が好きだったなどのことからこの仕事を始め、1年ほど映写技師を務める。 1963年、求人広告で見たTCJに応募し入社。
竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本の… 竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、演出家。長野県塩尻町(現・塩尻市)出身。 テレビ番組『笑点』のオープニング・アニメーションやイラストを手掛けていることで知られる。 小学生の頃より、通信教育で大人向け漫画を学び描いていた。その一方で、落語にも傾倒していたという。 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。卒業と同時に上京し絵本出版社に就職したのち、美術大学の通信学生にもなる。 1963年、20歳の時に東映動画へ入社。同期には宮崎駿がいる。 東映動画退社後は放送動画制作を経て、フリーで活動。アニメのほか、絵本や漫画、似顔絵など様々な仕事をこなす。
北原 健雄(きたはら たけお、1942年8月14日 - 20… 北原 健雄(きたはら たけお、1942年8月14日 - 2013年9月16日)は、日本のアニメーター。東京ムービーや日本アニメーションに所属していた。長崎県平戸市出身。 「北原 匠」「きたはら たてお」と表記されることもある。本名は「きたはら たけかつ」。 『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』ではキャラクターデザインや作画監督を務めた。その後も『シティーハンター』で名を残す。 長崎県立猶興館高等学校卒業後は絵の世界に入りたいと上京し、多摩美術大学油絵科を受験するも不合格、そのうち画家で生活していくのは「夢のまた夢」と認識するようになり、グラフィックデザイナーを目指そうと方向転換、東京ムービーにアルバイトで入社する傍らでデザインスクールにも通う。