前田 泰生(まえだ やすお、1951年1月31日 - )は、… 前田 泰生(まえだ やすお、1951年1月31日 - )は、日本の土木技術者、実業家。元電源開発株式会社代表取締役会長。高知県出身。 高知県出身。1969年神奈川県立多摩高等学校卒業。1974年東京工業大学工学部土木工学科卒業、電源開発入社。1990年原子力部原子力建設室課長。1992年建設部建設業務室課長。1993年建設部工事課長。1995年橘湾火力建設所長代理。1997年建設部建設管理グループリーダー。2000年建設部長代理。2001年エンジニアリングセンター所長代理。2002年執行役員エンジニアリング事業部長。2004年取締役執行役員エンジニアリング事業部長。2006年常務取締役。2009年代表取締役副社長。
利根 廣貞(とね ひろさだ、1951年1月26日 - )は、… 利根 廣貞(とね ひろさだ、1951年1月26日 - )は、日本の技術者、実業家。富士通フロンテック代表取締役社長や、富士通常任顧問を務めた。 埼玉県生まれ。1973年東京工業大学工学部電子物理工学科卒業、富士通入社。2004年富士通経営執行役。2006年から富士通フロンテック常務取締役、富士通フロンテック取締役経営執行役常務などを務め、2010年富士通フロンテック取締役経営執行役専務。2011年から富士通フロンテック代表取締役社長を務め、グローバル化を進めるなどした。2013年富士通常任顧問。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田中 義克(たなか よしかつ、1951年 - 2024年2月… 田中 義克(たなか よしかつ、1951年 - 2024年2月15日)は、日本の自動車技術者、実業家。トヨタ自動車北海道代表取締役社長を経て、北海道立総合研究機構理事長。元北海道経済連合会副会長。 愛知県刈谷市出身。愛知県立刈谷高等学校、名古屋工業大学機械工学専攻を経て、1976年名古屋大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了、トヨタ自動車工業入社。1997年トヨタ自動車製造部長。2004年からトヨタ自動車常務役員として、三好工場長、衣浦工場長、明知工場長を務めた。2006年トヨタ自動車北海道代表取締役社長。2010年北海道機械工業会会長。2014年北海道経済連合会副会長。2017年トヨタ自動車北海道顧問。
能條 武夫(のうじょう たけお、1950年12月28日 - … 能條 武夫(のうじょう たけお、1950年12月28日 - )は、日本の繊維技術者、実業家。シキボウ株式会社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本紡績協会会長などを務めた。 東京都出身。1973年東京農工大学工学部繊維高分子工学科卒業、敷島紡績入社。2002年シキボウ繊維部門紡績事業部長。2002年タイシキボウ代表取締役社長。2004年シキボウ執行役員。2007年シキボウ取締役繊維部門副部門長(技術担当)。2009年シキボウ常務取締役繊維部門長。2010年シキボウ常務取締役繊維部門長兼東京支社長。2012年シキボウ代表取締役社長。2014年日本紡績協会会長。2016年シキボウ代表取締役会長。
佐藤 秀樹(さとう ひでき、1950年11月5日 - 202… 佐藤 秀樹(さとう ひでき、1950年11月5日 - 2026年2月13日)は、日本の技術者、経営者。長年セガの家庭用ゲーム機の開発に携わり、同社の社長も務めた。 北海道出身。芦別で生まれたが、父親の仕事の都合で小学生のころまでは引っ越しを繰り返し、空知郡内を転々とした。中学1年生の時に東京に引っ越し、八王子市立第七中学校に転校する。中学卒業後は都立日野高校の1期生として入学した。 東京都立工業短期大学卒業後の進路は就職を考えておらず、青年海外協力隊に応募するも落選。既に卒業直前の1971年3月下旬という中、事前連絡もせず、何も書類も持たずに飛び込みでセガ・エンタープライゼス(現在のセガ)を訪問したところ幸運にも対応してもらえ、1名欠員していた事情もあり、即日採用される。
浦 進悟(うら しんご、1950年9月29日 - )は、日本… 浦 進悟(うら しんご、1950年9月29日 - )は、日本の建築技術者。 大林組代表取締役副社長執行役員。日本ファシリティマネジメント協会役員。 長崎県立上五島高等学校から日本大学理工学部建築学科に進学する。1973年に卒業して、大林組に入社した。 2002年に、第3回日本免震構造協会賞を受賞した。 2004年1月に東京建築事業部統括部長となる。以後、執行役員東京建築事業部副事業部長(2007年8月)、常務執行役員東京本店建築事業部副事業部長(2010年4月)、専務執行役員東京本店建築事業部長(2012年4月)、東京本店長(2015年4月)を経て、2017年6月に代表取締役副社長執行役員に就任した[要出典]。
斉藤 親(さいとう ちかし、1950年9月2日 - )は、日… 斉藤 親(さいとう ちかし、1950年9月2日 - )は、日本の国土交通技官、土木技術者。仙台市助役や、国土交通省大臣官房技術審議官、JR東日本技術顧問、練馬区参与等を歴任した。 1969年東京教育大学附属高等学校(現筑波大学附属高等学校)卒業。1973年東京工業大学工学部土木工学科卒業、建設省入省、中国地方建設局道路部道路計画課。1974年建設省計画局国際課海外協力官。1989年京都府土木建築部都市計画課長。1997年住宅・都市整備公団再開発改善部次長。2000年国土庁地方振興局地方都市整備課長。2001年仙台市助役。2003年8月 佐々木謙を後任として同職を辞職し同年 国土交通省都市・地域整備局街路課長。
久夛良木 健(くたらぎ けん、1950年(昭和25年)8月2… 久夛良木 健(くたらぎ けん、1950年(昭和25年)8月2日 - )は、日本の技術者、実業家。PlayStationの生みの親。 近畿大学情報学部長。サイバーアイ・エンタテインメント株式会社代表取締役社長、アセントロボティクス株式会社代表取締役CEO、ソニー株式会社シニアテクノロジーアドバイザー。ほか、立命館大学大学院経営管理研究科客員教授、株式会社角川グループホールディングス、株式会社角川マガジンズ、楽天株式会社、株式会社ノジマ、株式会社マーベラスAQL、スマートニュース株式会社の各社で、社外取締役を務める。 1999年4月よりソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の代表取締役社長、2001年の執行役員制導入によりCEOも務めた。
伊藤 昇(いとう のぼる、1950年(昭和25年)7月30日… 伊藤 昇(いとう のぼる、1950年(昭和25年)7月30日 - )は、日本の技術者。すばる望遠鏡開発者の一人。
松﨑 正年(まつざき まさとし、1950年7月21日 - )… 松﨑 正年(まつざき まさとし、1950年7月21日 - )は、日本の技術者、実業家。コニカミノルタ取締役代表執行役社長、同社取締役会議長、LIXILグループ取締役会議長、ウシオ電機取締役会議長、ビジネス機械・情報システム産業協会会長、日本取締役協会副会長を務めた。 東京都出身。1976年東京工業大学大学院総合理工学研究科電子化学専攻修了、小西六写真工業(のちのコニカ、現コニカミノルタ)入社。1998年コニカ情報機器事業本部システム開発統括部第一開発センター長。2003年コニカミノルタビジネステクノロジーズ取締役制御開発本部長。2005年コニカミノルタ執行役、コニカミノルタテクノロジーセンター代表取締役社長。
半沢 正利(はんざわ まさとし、1950年5月21日 - )… 半沢 正利(はんざわ まさとし、1950年5月21日 - )は、日本の原子力技術者、実業家、工学博士。三菱アルミニウム代表取締役社長や、日本アルミニウム協会副会長を務めた。 福島県福島市上鳥渡生まれ。福島県立福島高等学校を経て、東京工業大学工学部機械物理工学科卒業後、1979年東京工業大学大学院理工学研究科原子力核工学専攻博士課程修了、「低密度気体の超音速ディフューザーに関する研究」で工学博士。 1980年東京工業大学原子炉工学研究所助手。1983年三菱金属(現三菱マテリアル)入社。原子力関連の事業に携わり、六ヶ所再処理工場プロジェクトのプロジェクトマネージャなども務めた。2007年執行役員。2009年常務執行役員。
田中 孝雄(たなか たかお、1950年4月25日 - )は、… 田中 孝雄(たなか たかお、1950年4月25日 - )は、日本のエンジン技術者、実業家。三井E&Sホールディングス(現・三井E&S)代表取締役社長。 福島県いわき市出身。1973年東北大学工学部卒業、三井造船入社。玉野事業所でエンジン技術者として長年勤務した。2007年取締役に昇格。2009年から経営企画担当常務として中期経営計画の策定にあたった。2013年から20年ぶりとなる非造船部門出身の代表取締役社長を務め、船舶需要の低迷が続く中、事業の多角化を進めた。2018年から持株会社化して商号変更した三井E&Sホールディングス(現・三井E&S)の代表取締役社長を務めた。
佐藤 佳孝(さとう よしたか、1950年4月22日 - )は… 佐藤 佳孝(さとう よしたか、1950年4月22日 - )は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長や、同社代表取締役会長、電気事業連合会副会長を歴任した。 北海道小樽市出身。1974年東京工業大学(現東京科学大学)理学部情報科学科卒業、北海道電力入社。旭川支店営業部長、情報通信部長、理事企画本部副本部長等を経て、2006年常務取締役。2007年常務取締役お客さま本部長。 2008年から北海道電力代表取締役社長を務め、泊原子力発電所再稼働に向けた働きかけなどを行った。2012年代表取締役会長、JR北海道取締役。北海道胆振東部地震では大規模な停電が生じ、記者会見で謝罪した。 2016年財務省北海道財務局国有財産北海道地方審議会会長。
村山 滋(むらやま しげる、1950年〈昭和25年〉2月27… 村山 滋(むらやま しげる、1950年〈昭和25年〉2月27日 - )は、日本の航空技術者、実業家。川崎重工業元社長、会長。 大阪府出身。大阪府立高津高等学校(20期)を経て、1974年に京都大学大学院航空工学科修士課程を修了し、川崎重工業に入社した。 技術者としてはヘリコプターを主に担当し、OH-1などの開発に携わった。2003年から2005年までに新明和工業に出向し、のちのUS-2の開発に従事。2010年6月からは川崎重工の代表取締役常務、2013年から同社社長に就任し、三井造船(現・三井E&S)との経営統合を白紙にした。2016年から2020年までに会長を務めた。2020年から特別顧問。2020年6月から株式会社ニコン社外取締役。
金井 誠太(かない せいた、1950年1月17日 - )は、… 金井 誠太(かない せいた、1950年1月17日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。マツダ株式会社相談役。在広島メキシコ合衆国名誉領事。 広島県出身。広島大学附属高等学校を経て、東京工業大学工学部卒業後、1974年に東洋工業(現在のマツダ)に入社。一貫して開発畑を歩み、チーフエンジニアを務め2002年に発売された初代アテンザは132の賞を受賞し、世界的に高い評価を得た。2010年に発表されたSKYACTIV TECHNOLOGYの開発も指揮し、マツダ車の全ての要素を刷新した。2014年に代表取締役会長に就任し、2018年に退任。座右の銘は「敬天愛人」。マツダ財団理事長、中国経済連合会副会長、蔵前工業会広島県支部長なども務めた。
幾島 賢治(いくしま けんじ、1950年 - )は愛媛県出身… 幾島 賢治(いくしま けんじ、1950年 - )は愛媛県出身のエンジニア、化学者。学位は工学博士(東京工業大学・1998年)。太陽石油㈱で石油製品に含まれる超微量水銀の高性能水銀除去装置を発明した(石油学会技術進歩賞)。経済産業省所管法人石油エネルギ-技術センタ-で欧米の研究機関及び国際石油企業の経営人との交流で水素エネルギ-、燃料電池及びGas to Liquid(合成石油)の未来図を提唱し、講演、出版を行っている。経済産業省所管法人国際石油・ガス協力機関でオマーン王国の石油大臣に油田随伴水の浄化のため水銀除去装置を紹介(オマーン王立スルタン・カブース大学功労賞)、更にアラブ首長国連邦(UAE)の教育大臣に国家の礎に役立つ日本の初等教育の教育制度を紹介した。
石田 保夫(いしだ やすお、1950年 - 2024年12月… 石田 保夫(いしだ やすお、1950年 - 2024年12月15日)は、日本の建築技術者。SUS(株)代表取締役社長。 静岡県生まれ。1975年、日本大学理工学部建築学科卒業、(株)綜合設計事務所入社。1979年清水機電(株)に。1992年清水機電(株)が(株)IAIとIAシステム(株)に分社するのを機にIAシステム(株)(現SUS(株))の経営に従事。 代表作に静岡県静岡市・牧田邸は、2006 グッドデザイン賞 建築・環境デザイン部門/建築デザイン受賞。 著書(共著)に『アルミニウムの空間』(新建築社、2006年)、ISBN 978-4786901898。 2024年12月15日に死去。74歳没。
梅津 達男(うめづたつお、1949年12月18日 - )、福… 梅津 達男(うめづたつお、1949年12月18日 - )、福島県郡山市出身のレコーディング & ミキシング・エンジニア。フリーランス前のビクター以外のレコード会社の作品でエンジニアに関わった作品では本名が使えなかった為、別名義で参加している作品もある。
高井 修(たかい おさむ、1949年12月16日 - )は、… 高井 修(たかい おさむ、1949年12月16日 - )は、日本の土木技術者、地方公務員。北海道副知事を経て、伊藤組代表取締役会長、北海道経済連合会副会長。 北海道生まれ。1968年北海道札幌東高等学校卒業、1974年北海道大学大学院工学研究科土木工学専攻修了。同年北海道入庁。函館土木現業所勤務。1998年北海道総合企画部政策室参事。1999年北海道総合企画部構造改革推進室参事。2001年北海道帯広土木現業所所長。2002年北海道総合企画部政策室次長。2003年北海道総務部知事室長。2004年北海道知事政策部知事室長。2005年北海道経済部参事監。2007年北海道環境生活部長。2009年建設部からは初となる北海道副知事に就任。
小豆畑 茂(あずはた しげる、1949年11月21日 - )… 小豆畑 茂(あずはた しげる、1949年11月21日 - )は、日本の技術者、実業家、工学博士。日立製作所代表執行役副社長、日立グループ最高技術責任者、日本機械学会会長、日本工学教育協会会長、東京大学協創プラットフォーム開発取締役等を歴任した。専門は機械工学、教育工学。 1973年東北大学工学部機械工学科卒業。1975年、同学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程を修了すると日立製作所に入社する。電力・電機開発研究所長(2003年)を経て、日立研究所長(2005年)、地球戦略室長(2008年)を歴任し、2009年に日立製作所の執行役常務研究開発本部長の座につく。 2010年には、日立化成取締役として創業100周年に臨む。
久間 和生(きゅうま かずお、1949年10月22日 - )… 久間 和生(きゅうま かずお、1949年10月22日 - )は、日本の技術者、実業家、工学博士。三菱電機先端技術総合研究所長や、同社代表執行役副社長等を経て、国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構理事長、レーザー学会会長、日本工学アカデミー副会長。内閣府総合科学技術会議議員、内閣府総合科学技術・イノベーション会議議員、計測自動制御学会会長、応用物理学会副会長等も歴任。 東京都大田区雪ヶ谷生まれ。豊中市立桜塚小学校を経て、小学校6年から東京に戻り、1968年駒場東邦高等学校卒業。1972年東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部電子工学科卒業。同期のトップに小長井誠東京工業大学名誉教授がいた。
近藤 史朗(こんどう しろう、1949年10月7日 - )は… 近藤 史朗(こんどう しろう、1949年10月7日 - )は、日本の技術者、実業家。株式会社リコー代表取締役社長・最高経営責任者や、同社代表取締役会長を務めた。 新潟県柏崎市生まれ。新潟県立柏崎高等学校を経て、1973年新潟大学工学部卒業、リコー入社、厚木事業所電送機器事業部配属。1998年画像システム事業本部プリンタ事業部長。1999年画像システム事業本部副事業本部長。2000年執行役員画像システム事業本部長。2002年上席執行役員。2003年常務取締役。2004年MFP事業本部長。2005年取締役専務執行役員。2007年代表取締役社長執行役員 CEO。2013年代表取締役会長執行役員。2016年代表取締役会長、東北電力取締役。
小日向 久治(おびなた ひさはる、1949年9月25日 - … 小日向 久治(おびなた ひさはる、1949年9月25日 - )は、日本の技術者、実業家。アルバック代表取締役社長や、同社取締役会長を経て、日本真空工業会会長。 新潟県出身。1972年新潟大学理学部卒業、日本真空技術入社。第3事業部長を経て、1990年取締役半導体装置事業部長に昇格。2006年アルバックテクノ代表取締役社長。2012年からアルバック代表取締役社長を務め、2017年に取締役会長に退いた。2018年取締役相談役、日本真空工業会会長。
井川 正治(いかわ しょうじ、1949年9月1日 - )は、… 井川 正治(いかわ しょうじ、1949年9月1日 - )は、日本の技術者、実業家。ジェイテクト代表取締役社長、型技術協会会長、日本塑性加工学会会長などを務めた。藍綬褒章受章。精密工学会賞受賞。精密工学会フェロー。 岐阜県出身。1975年関西大学大学院工学研究科修士課程機械工学専攻修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1999年第1生技部長。2000年生技管理部長。2001年取締役貞宝工場長。2003年常務役員三好工場長・衣浦工場長・田原工場長。2005年専務取締役生産技術本部長。2009年ジェイテクト取締役副社長。2010年同社代表取締役社長。2013年同社取締役副会長。 トヨタ自動車では一貫して生産技術部門を担当し、自動車技術の幅広い分野で先駆的な研究開発を行った。
小松 研一(こまつ けんいち、1949年7月9日 - )は、… 小松 研一(こまつ けんいち、1949年7月9日 - )は、日本の技術者、工学博士。東芝メディカルシステムズ代表取締役社長や、日本医療機器産業連合会副会長、日本画像医療システム工業会会長などを歴任した。 北海道磯谷郡蘭越町昆布町出身。小学校から小樽市に移り、1973年北海道大学工学部電子工学科卒業。スキー部出身。1978年北海道大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士。同年東京芝浦電気入社。1980年東京芝浦電気医用機器事業部医用機器技術研究所配属。1990年東芝医用システム社統括技師長兼経営変革統括責任者。2003年東芝メディカルシステムズ取締役上席常務。2006年東芝メディカルシステムズ取締役専務。
富田 達夫(とみた たつお、1949年〈昭和24年〉7月5日… 富田 達夫(とみた たつお、1949年〈昭和24年〉7月5日 - )は、日本の技術者、経営者。 情報処理推進機構理事長、富士通研究所取締役会長、情報処理学会会長(第28代)などを歴任。 東京都出身。1972年(昭和47年)12月、東京大学理学部物理学科を卒業し、翌1973年(昭和48年)12月に富士通へ入社。入社以来、IT関連の製品開発に従事し、経営幹部としてミッションクリティカル領域や携帯電話事業等のコンシューマー領域の立ち上げ・拡大など、富士通の全プロダクト事業を統括した。 富士通経営執行役兼モバイルフォン事業本部長、同社経営執行役常務兼システムプロダクトビジネスグループ長、同社取締役副社長(プロダクトビジネスグループ担当)兼ユビキタスプロダクトビジネスグループ長、同社代表取締役副社長兼プロダクトビジネスグループ担当、富士通研究所代表取締役社長、同取締役会長などを歴任。
土屋 総二郎(つちや そうじろう、1949年5月17日 - … 土屋 総二郎(つちや そうじろう、1949年5月17日 - )は、日本の技術者、工学博士。デンソー取締役副社長や、日本機械学会副会長、日本プラントメンテナンス協会会長などを歴任した。精密工学会賞等受賞。 愛知県生まれ。愛知県立旭丘高等学校を経て、1973年名古屋大学工学部卒業。名古屋大学体育会自動車部出身。1975年名古屋大学大学院工学研究科修士課程を修了し、日本電装入社。1998年精密工学会技術賞受賞。2001年岐阜大学大学院修了、工学博士。同年デンソーボデー機器事業部長。2002年デンソー取締役。2004年デンソー常務役員。2007年デンソー専務取締役。2008年精密工学会フェロー。2011年デンソー取締役副社長、日本機械学会副会長。
大内 全(おおうち たもつ、1949年4月12日 - )は、… 大内 全(おおうち たもつ、1949年4月12日 - )は、日本の技術者、実業家。北海道電力取締役副社長を経て、北海道電気保安協会理事長や、北海道経済連合会会長を務めた。 北海道函館市生まれ。1972年北海道大学工学部卒業、北海道電力入社。取締役原子力部長、常務取締役泊原子力事務所長、常務取締役発電本部長、取締役副社長を経て、2011年北海道電気保安協会理事長。2014年から北海道経済連合会会長を務め、北海道新幹線延伸前倒し問題などにあたった。2015年から体調に問題が生じ2016年に退任した。北海道食産業総合振興機構理事長、北海道科学技術総合振興センター理事長等も歴任した。
藤原 節男(ふじわら せつお、1949年4月 -)は日本の原… 藤原 節男(ふじわら せつお、1949年4月 -)は日本の原子力技術者。 和歌山県南部町出身。灘高等学校を経て、1972年に大阪大学工学部原子力工学科を卒業。大学では、原子動力専攻(吹田徳雄教授、藤家洋一助教授、宮崎慶次助手)で学ぶ。卒業論文は「液体ナトリウム沸騰ループ試験装置による液体ナトリウム沸騰現象実験」。 卒業後、三菱原子力工業(1995年に三菱重工業に合併)に入社。大飯発電所・伊方発電所・泊発電所・川内発電所等の原子力発電所プロジェクトに従事する。 2000年に日本原子力研究所東海研究所に移籍。2005年に独立行政法人原子力安全基盤機構に移り、検査業務部に検査技師として2010年まで在籍。
加藤 勝久(かとう かつひさ、1949年(昭和24年)3月1… 加藤 勝久(かとう かつひさ、1949年(昭和24年)3月10日 - )は、日本の硝子技術者。2010年3月から2013年3月まで旭硝子(現・AGC)株式会社代表取締役。 化学品の運営に長く携わる。 化学品の製造部門、事業部門長を経験した後、研究開発部門長、CTOに就任。その後グループの技術運営を推進する部門の責任者、技術本部長を務め、全社の技術運営を指揮した。 板硝子協会常務理事、日本化学工業協会業務委員長を歴任。
藤森 文雄 (ふじもり ふみお、1949年1月5日 - )は… 藤森 文雄 (ふじもり ふみお、1949年1月5日 - )は、日本の技術者、実業家。アイシン精機代表取締役社長や、同社代表取締役副会長を務めた。藍綬褒章受章。 三重県出身。1971年岡山大学工学部機械工学科卒業、アイシン精機入社。一貫して現場での製品開発を担当し、1994年技術企画室副室長に就任。1997年取締役第一開発部長。2005年取締役副社長。2009年から代表取締役社長を務め、中国に開発拠点の設置を行うなどした。2012年秋の叙勲で藍綬褒章受章。2015年豊田幹司郎代表取締役会長の下、アイシン精機代表取締役副会長に就任。
中川 勝博(なかがわ かつひろ、1949年1月3日 - 20… 中川 勝博(なかがわ かつひろ、1949年1月3日 - 2024年7月11日)は、日本の技術者、実業家。ITX取締役会長や、ビッグローブ代表取締役会長兼社長を経て、アラクサラネットワークス代表取締役社長兼CEOを務めた。 兵庫県出身。1967年滝川高等学校卒業。1971年同志社大学工学部電気工学科卒業、日本電気入社。1997年日本電気交換移動通信事業本部移動通信国内システム本部長。2001年NECネットワークス国内事業本部国内第二システム事業部長。2002年NECネットワークス国内事業本部副事業本部長。2003年日本電気執行役員兼モバイルソリューション事業本部長。2006年日本電気執行役員常務兼第二キャリアソリューション事業本部長。
二川 清(にかわ きよし、1949年 - )は、日本の技術者… 二川 清(にかわ きよし、1949年 - )は、日本の技術者である。大阪府出身。 現在、一般的に使われている半導体故障解析技術である、IR-OBIRCHの発明者として知られる。 1968年大阪府立三国丘高校卒業、1972年大阪大学基礎工学部物性物理工学科卒業、1974年同大学院基礎工学研究科物理系修士課程修了。1995年論文提出により工学博士(大阪大学)。1974年日本電気(株)入社。 1981年、エレクトロマイグレーションの汎用モデルの構築とそれに基づいたモンテカルロシミュレーションの事例を発表。 1989年、FIB (Focused Ion Beam, 集束イオンビーム)の半導体故障解析への応用法を開発し、その事例を発表。
保坂 武文(ほさか たけふみ、1949年 - )は、日本の技… 保坂 武文(ほさか たけふみ、1949年 - )は、日本の技術者、実業家。本田技研工業(株)元ホンダF1プロジェクトリーダー(F1レース開発総責任者・総監督)。㈱本田技術研究所元常務取締役(エンジン開発総責任者)。東洋電装副社長。内閣府プロフェッショナル人材戦略福井県拠点プロジェクトマネージャー。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
近藤 隆(こんどう たかし、1949年 - )は、日本の技術… 近藤 隆(こんどう たかし、1949年 - )は、日本の技術者、実業家。三洋薬品HBC株式会社代表取締役社長(初代)。 清水製薬株式会社での勤務を経て、富士カプセル株式会社取締役、三生医薬株式会社社長(初代)、サンカプセル株式会社社長(初代)、近藤ホールディングス株式会社社長(初代)などを歴任した。 静岡県出身の実業家である。清水製薬で企画、開発、学術などの業務に携わったのち、富士カプセルに転じ取締役として経営に参画した。その後、妻とともに三生医薬を創業し、わずか20年で売上高160億円規模に成長させ、業界2位のシェアを達成した。三生医薬の経営を退いてからは、新たに近藤ホールディングスを設立し、三洋薬品の経営再建などに携わっている。
後藤 政志(ごとう まさし、1949年 - )は、日本の技術… 後藤 政志(ごとう まさし、1949年 - )は、日本の技術者。元東芝・原子炉格納容器設計者、元船舶・海洋構造物設計技師、工学博士。NPO APAST理事長、筆名柴田宏行、池田諭。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鈴木 英一(すずき えいいち、1949年または1950年 -… 鈴木 英一(すずき えいいち、1949年または1950年 - )は、日本の国土交通技官、博士(工学)、技術士、土木学会認定特別上級土木技術者(総合)。国土交通省北海道開発局長や、北海道大学大学院工学研究院特任教授を経て、伊藤組土建代表取締役副社長。 北海道夕張市出身。1975年北海道大学工学部土木工学科卒業、北海道開発庁入庁。1988年北海道開発局石狩川開発建設部千歳川放水路建設事業所長。1991年北海道開発局帯広開発建設部帯広河川事務所長。1992年北海道開発局建設部河川計画課課長補佐。1993年北海道開発庁水政課開発専門官。1995年北海道開発局建設部河川計画課河川企画官。1997年北海道開発局旭川開発建設部次長。
日高 徹(ひだか とおる、1949年 - )はプログラム技術… 日高 徹(ひだか とおる、1949年 - )はプログラム技術者、雑誌ライター。新日本プログラミング(「新日プロ」と略す)初代総帥。ゲーム保存協会名誉会員第1号。栃木県宇都宮市出身。趣味はトレーニング、旅行、うたた寝。 早稲田大学商学部卒。就職後、一度転職を経て、自動車部品のメーカーであるカーメイトで営業職をしていた。 1980年代前半にコンピュータゲームのブームが起こり始めていることを察して社内で話題にしたところ、カーメイトでもゲーム事業へ進出することになり、言い出しっぺとして日高が開発することになった。日高はそれまでコンピュータには一切触れたことがなく、大学も文系で情報処理などの知識も無かったのだが、車を買うために貯めていた資金をパソコンに注ぎ込み、わずか10ヶ月でオールマシン語の処女作『ホーンテッドケイブ(幽霊洞窟)』を完成させる。
原田 泳幸(はらだ えいこう、1948年12月3日 - )は… 原田 泳幸(はらだ えいこう、1948年12月3日 - )は、日本の実業家、エンジニア。株式会社原田泳幸事務所代表取締役。本名は原田 永幸(読み同じ)。長崎県佐世保市出身。 日本ナショナル金銭登録機株式会社、日本エヌ・シー・アール株式会社、横河・ヒューレット・パッカード株式会社での勤務を経て、シュルンベルジェグループ取締役、アップルコンピュータ株式会社取締役、同社長、Apple Computer, Inc.副社長、日本マクドナルド株式会社社長、日本マクドナルドホールディングス株式会社社長、株式会社ベネッセホールディングス社長、株式会社ゴンチャジャパン代表取締役会長兼社長兼CEO、ゴンチャグループ グローバルシニアリーダーシップチームメンバーなどを歴任した。
宮崎 隆光(みやざき たかみつ、1948年12月 -2024… 宮崎 隆光(みやざき たかみつ、1948年12月 -2024年9月14日20:00 )は、日本の建設技術者。清水建設専務を務めた。 1948年東京都文京区にて生を受ける 1962年東京都文京区立文林中学校を卒業 1965年日本大学付属第三高等学校へ入学し野球部のキャプテンを務める 1971年に日本大学理工学部建築学科を卒業して、清水建設に入社した。 1995年10月、建築本部統合生産推進部長となる[要出典]。以後、東京支店建築第一部長(1997年8月)、九州支店副支店長(2001年11月)[要出典]、九州支店支店長(2001年12月)を経て、2002年6月に執行役員九州支店長に就任した。[要出典] 2003年に建築事業本部長となる。
野木 秀子(のぎ ひでこ、1948年11月13日[要出典] … 野木 秀子(のぎ ひでこ、1948年11月13日[要出典] - )は、日本の情報技術者、実業家。日立製作所システム開発研究所を経て、ソフトウェア企業CIJの常務取締役、副社長、CIJ America代表取締役社長などを歴任した。横浜市教育委員会教育委員、中央教育審議会委員も務めた。女性のキャリア形成支援を目的とするキャリア研究会会長としても活動している。。 1970年代の日本のソフトウェア産業創成期に企業の技術部門で活動した女性技術者の一人であり、男女雇用機会均等法制定以前の時代に大企業の技術職としてキャリアを築いた[独自研究?]。 兵庫県出身。兵庫県立生野高等学校[要出典]を経て、1971年に京都教育大学理学科(物理学専攻)を卒業。
佐藤 順一(さとう じゅんいち、1948年11月1日 - )… 佐藤 順一(さとう じゅんいち、1948年11月1日 - )は、日本の技術者。IHI検査計測代表取締役社長や、日本機械学会会長、日本工学会会長等を歴任した。 1971年横浜国立大学工学部卒業。1976年東京大学大学院工学系研究科航空学専門課程博士課程単位取得退学、石川島播磨重工業入社、技術研究所研究員。1979年工博。1998年石川島播磨重工業技術研究所研究推進部長。1999年石川島播磨重工業技術開発本部管理部長。2002年石川島播磨重工業事業企画部部長。2005年石川島播磨重工業執行役員技術開発本部副本部長。2006年石川島播磨重工業取締役常務執行役員技術開発本部長。2008年IHI検査計測代表取締役社長。
井上 友二(いのうえ ゆうじ、1948年10月19日 - )… 井上 友二(いのうえ ゆうじ、1948年10月19日 - ) は、日本の技術者。NTT取締役最高技術責任者や、トヨタIT開発センター代表取締役会長、情報通信技術委員会理事長、電子情報通信学会会長などを歴任した。 福岡県福岡市出身。1967年福岡県立修猷館高等学校卒業。1971年九州大学工学部電子工学科卒業。1973年九州大学大学院工学研究科修士課程電子工学専攻修了、日本電信電話公社入社。1986年九州大学工学博士。1997年日本電信電話国際本部担当部長。1998年日本電信電話マルチメディアネットワーク研究所所長。1999年NTTデータ技術開発本部副本部長、モンゴル科学技術大学名誉教授。2000年NTTデータ取締役技術開発本部副本部長兼ビジネス企画本部副本部長。
中嶋 成博(なかじま しげひろ、1948年10月2日 - )… 中嶋 成博(なかじま しげひろ、1948年10月2日 - )は、日本の技術者、実業家。富士フイルムホールディングス代表取締役社長や、日本化学工業協会副会長を務めた。 広島県呉市出身。父は元大日本帝国海軍の技術者。聖光学院高等学校を経て、1971年に東京工業大学理学部化学科卒業後、同大学大学院理工学研究科化学専攻修士課程で光化学スモッグの研究に従事。 博士課程進学も考えたが進学希望者が多かったため、1973年に大学院修了後は、先輩の勧めで富士写真フイルム(現富士フイルム)に入社した。入社後は、企業の研究は自由度が低いと考えて工場勤務を志望し、足柄工場技術課に配属され薬剤設計を担当。1979年係長に昇格。
加藤 太郎(かとう たろう、1948年9月6日 - )は、日… 加藤 太郎(かとう たろう、1948年9月6日 - )は、日本のプラント技術者、実業家。日本ガイシ代表取締役社長や、同社相談役、東京農工大学学長選考会議議長などを務めた。 埼玉県出身。1972年東京農工大学工学部卒業、日本碍子入社。上下水道プラントなどエンジニアリング事業を長く担当し、1999年取締役都市環境事業部長に昇格。2002年常務取締役。2004年専務取締役。2005年代表取締役副社長。2011年に技術系出身者としては吉本熊夫以来約50年ぶりとなる代表取締役社長に昇格。多角化の推進や、ナトリウム・硫黄電池事業等における火災事故からの復旧を行い、黒字回復を実現させた。2014年に相談役に退き、2015年に退任した。
中倉 健二(なかくら けんじ、1948年8月24日 - )は… 中倉 健二(なかくら けんじ、1948年8月24日 - )は、日本の技術者、実業家。東洋ゴム工業代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本自動車タイヤ協会会長を務めた。 兵庫県出身。兵庫県立姫路東高等学校を経て、1971年徳島大学工学部卒業、東洋ゴム工業入社。タイヤ技術部長を経て、2003年執行役員タイヤカンパニータイヤ技術本部長。2004年取締役執行役員タイヤカンパニータイヤ技術本部長。2005年取締役執行役員タイヤカンパニータイヤ企画部長。2006年取締役常務執行役員タイヤカンパニー タイヤ企画部長。2007年取締役常務執行役員ダイバーテックカンパニー執行社長。2008年から代表取締役社長を務め、大型タイヤ事業の強化や、グローバル化を進めた。
三村 仁司(みむら ひとし、1948年8月20日 - )は、… 三村 仁司(みむら ひとし、1948年8月20日 - )は、日本の技術者。競技スポーツ用シューズの職人。 1948年、兵庫県印南郡志方町(現:加古川市)生まれ。中学時代から陸上部に所属し、陸上競技の強豪校への進学を目指す。兵庫県立飾磨工業高等学校時代には陸上部キャプテンを務め、長距離走選手としてインターハイなどに出場。練習中に感じたシューズの摩耗の早さから、丈夫で長持ちするシューズを作ることを志す。大学からの競技続行の誘いを断り、高校卒業後の1966年、オニツカ株式会社(現:アシックス)に入社。第二製造部を経て、1971年、入社当時から希望していた研究室に配属される。 1974年、別注シューズの製作を開始し、陸上競技にとどまらず、野球、サッカー、テニス、バレーボール、バスケットボール、ボクシング、モータースポーツ、近代五種など多岐にわたる競技のシューズを手がける。
竹内 敬三(たけうち けいぞう、1948年8月13日 - )… 竹内 敬三(たけうち けいぞう、1948年8月13日 - )は、日本の技術者、実業家。鹿島石油代表取締役社長や、芝浦工業大学大学院教授、石油コンビナート高度統合運営技術研究組合理事長等を歴任した。 神奈川県出身。1972年東京工業大学化学工学科卒業、日本石油(のちのENEOS)入社。2003年執行役員技術部長。2005年常務取締役水島製油所長。2010年JX日鉱日石エネルギー(現・ENEOS)取締役副社長、石油コンビナート高度統合運営技術研究組合理事長。2011年鹿島石油代表取締役社長。2013年鹿島石油顧問。2014年E&Eリサーチ設立、同社代表取締役。芝浦工業大学大学院工学マネジメント研究科工学マネジメント専攻教授なども務めた。
渡辺 登(わたなべ のぼる、1948年6月1日 - 2024… 渡辺 登(わたなべ のぼる、1948年6月1日 - 2024年12月20日)は、日本の技術者、実業家。株式会社太陽工機創業者で、世界に先駆けて内面研削盤を開発。同社代表取締役社長や、代表取締役会長を務めた。 新潟県生まれ。1971年東京工業大学工学部卒業、ツガミ入社。1984年ユニオンツール入社。1986年太陽工機設立、同社代表取締役社長就任。1988年長岡市南陽町に本社工場を開設し、工作機械事業を本格化させ、1990年には世界初となる立型研削盤の開発に成功。自動車業界などからの受注を増加させ業容を拡大させた。1994年に池貝の連結子会社となり、1995年池貝取締役に就任。1999年長岡技研代表取締役社長。
伊奈 功一(いな こういち、1948年5月6日 - )は、日… 伊奈 功一(いな こういち、1948年5月6日 - )は、日本の技術者・実業家。一般社団法人中部産業連盟会長。ダイハツ工業代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。藍綬褒章受章。 愛知県出身。1971年名古屋工業大学工学部物理工学科卒業。1973年名古屋工業大学大学院修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1998年元町工場機械部長。2002年取締役、本社工場長、元町工場長。2003年常務役員、グローバル生産推進センター長。2004年明知工場長。2005年高岡工場長、堤工場長。2006年三好工場長。2007年専務、生産企画本部長、製造本部長。2009年からダイハツ工業副社長として車両開発などを統括した。