池乃 めだか(いけの めだか、1943年〈昭和18年〉7月3… 池乃 めだか(いけの めだか、1943年〈昭和18年〉7月3日 - )は、日本の喜劇俳優、お笑いタレント。吉本新喜劇元座長の座員。 本名は中井 昭彦(なかい あきひこ)。大阪府守口市出身。吉本興業所属。身長149cm、血液型B型。既婚。愛称は池やん、めぐ坊、めーちゃん、ちっさいおっさんなど。 大阪府守口市出身。守口市立第一中学校卒業後、三洋電機に約6年半勤務した(19歳の時には長らく結核で入院していた)後、1966年(昭和41年)に23歳で芸能界入り。当初は松竹芸能からデビューした。 1968年(昭和43年)に正司玲児らと「中井次郎」の名で音楽ショウ「ピスボーイ」にドラマーとして参加、10日もたたないうちに熊本市民ホールで初舞台。
須永 慶(すなが けい、1943年6月23日 - )は、日本… 須永 慶(すなが けい、1943年6月23日 - )は、日本の俳優。東京都(出生時は東京府)出身。血液型はO型。身長170cm、体重64kg。希楽星所属。 1962年、東京都立三鷹高等学校卒業。1964年、東宝芸能学校卒業。俳優座養成所第16期生を経て、1967年3月から1968年12月まで劇団四季に所属した。1968年から2000年まで、芸能事務所「有限会社エム・スリー」(現:Grue)に所属。2001年に希楽星に移籍した。 特技は柔道と英語。趣味はインターネット。
滝波 錦司(たきなみ きんじ、1943年5月25日 - 没年… 滝波 錦司(たきなみ きんじ、1943年5月25日 - 没年不詳)は、日本の俳優。本名同じ。 宮城県出身。明治大学卒業。東映演技研修所に所属していた。 東映作品を中心に、主に脇役として映画やテレビドラマで活躍した。 1972年の特撮テレビドラマ『サンダーマスク』(日本テレビ)では、科学パトロール隊の隊長である藤警部役でレギュラー出演した。 1980年代に俳優を引退、赤坂で飲食店「Teasers」を経営していたが、平成4年に病気で他界した。この店にはスタッフとして南城竜也も在籍していた。[要出典] この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
山本 紀彦(やまもと としひこ、1943年〈昭和18年〉5月… 山本 紀彦(やまもと としひこ、1943年〈昭和18年〉5月10日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。 千葉県生まれ。北海道育ち。日本大学卒業。劇団欅、三船プロダクション、田中プロモーション、アクターズプロモーションを経て、I・T企画所属。 高校生の時に、男子部員が足りないという理由で先輩から誘われて演劇を始める。高校卒業後にテレビタレントセンターに入る。生コマーシャルが初めての仕事。その後タレント事務所に所属。本人曰く、最初に台詞をもらえたドラマは1963年のテレビドラマ『戦友』(NET)だったと記憶しているという。 1967年に劇団欅に入団。 1968年のナショナルゴールデン劇場『フルーツポンチ3対3』でドラマ初レギュラー出演。
橋 幸夫(はし ゆきお、本名:橋 幸男(読み同じ)、1943… 橋 幸夫(はし ゆきお、本名:橋 幸男(読み同じ)、1943年〈昭和18年〉5月3日 - 2025年〈令和7年〉9月4日)は、日本の歌手、俳優、プロデューサー。 舟木一夫、西郷輝彦とともに『御三家』と称された。血液型はA型。著書に認知症の実母の介護生活を綴った『お母さんは宇宙人』がある。 俳優の橋龍吾は息子、演歌歌手の橋宏之(はしひろゆき)は甥にあたる。東京都荒川区出身。静岡県熱海市在住。 晩年はアルツハイマー型認知症を患っていた。 1943年5月3日、東京府東京市荒川区に呉服屋の9人兄弟の末っ子として生まれた。ちなみに、「橋」という珍しい苗字は、先祖が代々滋賀県で神主を務めていたことに由来するという。
山前 五十洋(やまさき いそみ、1943年4月28日 - 2… 山前 五十洋(やまさき いそみ、1943年4月28日 - 2020年4月5日)は、日本の実業家、映画監督、俳優である。京都市出身。関西大学法学部2部中退。娘は歌手の倉木麻衣。父は詩人の山前実治。 京都府京都市下京区に生まれ。厳格な父親は京都で出版社、印刷会社を経営する傍ら詩人としても活動し、比較的裕福な家庭で育つ。3歳頃に父親の故郷、岐阜県大野郡荘川村(現在の高山市)へ一時疎開している。小学校入学時は京都市東山区に居住し、小学校5年生から新聞配達などを務める。 京都市立日吉ヶ丘高等学校2年生時、少年画報連載中の堀江卓原作「天馬天平」がフジテレビでテレビ映画化された際、一般公募3万人中から主役天平役に抜擢され、当時の編成局長草間浩之が8チャンネルにちなみ芸名を富士八郎とする。
山崎 イサオ(やまざき イサオ、1943年4月16日 - )… 山崎 イサオ(やまざき イサオ、1943年4月16日 - )は、日本の歌手、俳優。新潟県小千谷市出身。 日本テレビの音楽番組『シャボン玉ホリデー』で活躍した男声コーラス・グループ『フォー・メイツ』のメンバー。 NHKのヤング101の一員として、山崎功の名でNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に1972年4月から1974年3月31日の最終回まで出演した。 1981年、NHK教育テレビジョン『囲碁の時間』にレギュラー出演。「ワンポイント手筋教室」で聞き手を務めた。 1989年、エフエムナックファイブ(埼玉県)の開局と共に同局のDJに起用され、「ナック山崎」と名乗って同局初期の看板DJとして活躍した。
小林 勝也(こばやし かつや、1943年3月25日 - )は… 小林 勝也(こばやし かつや、1943年3月25日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。身長168cm。文学座所属。 1966年に文学座研究所に入所し、同年に『マスグレーヴ軍曹の踊り』で初舞台。1969年に文学座の座員となる。早稲田大学第一文学部卒業。
中田 博久(なかた ひろひさ、1943年3月9日 - )は、… 中田 博久(なかた ひろひさ、1943年3月9日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。身長176cm、体重78kg。 東京都出身。日本大学藝術学部卒業。東映出身。川崎事務所を経て、アール・クルー所属。父は戦前中の二枚目俳優で戦後は長崎県議を務めた中田弘二。妻は女優の新井茂子。甥に映画監督の中田圭がいるほか、父の兄の孫に漫画家の柴田亜美がいる。 日本大学第二高等学校在学中の1960年、父がかつて所属していた日活のニューフェースとして映画『南海の狼火』でデビュー。その後、日本大学藝術学部に進学し、卒業後の1965年に東映で再デビューを果たす。 『昭和残侠伝』シリーズなどで重要な役柄を演じる一方、特撮作品では主役級で活躍。
出水 憲(いずみ けん、1943年3月2日 - )は、日本の… 出水 憲(いずみ けん、1943年3月2日 - )は、日本の俳優。旧芸名は出水 憲司。鹿児島県出身。身長172cm、体重72kg。血液型はA型。日本芸能センター所属。60年代後半から70年代にかけては、悪役での出演がとても多かった俳優である。 鹿児島県立出水高等学校卒業。高校時代、柔道で国体に出場。高校卒業後、富士製鐵入社。その後、俳優養成所を経て、映画デビュー。 テレビ・ドラマは、出水憲司として『仮面の忍者赤影』、『風』、『燃えよ剣』、『水戸黄門』、『大岡越前』、『暴れん坊将軍』、『必殺仕事人』など多数の時代劇などに出演。その後、出水憲司から出水憲に改名した。役どころは概ね悪役もしくはその配下の場合が多いが、21世紀になってからは善人役を演じることも多い。
加藤 茶(かとう ちゃ、1943年3月1日 - )は、日本の… 加藤 茶(かとう ちゃ、1943年3月1日 - )は、日本のコメディアン、歌手、俳優、ドラマー。ザ・ドリフターズ、こぶ茶バンドのメンバーである。本名は加藤 英文(かとう ひでゆき)。身長163cm、体重60kg。血液型はA型(長年AB型としていたが間違いが判明)。愛称は「加ト茶」「加トちゃん」「カトちゃん」「ヒデ坊」「チャー坊」など。父はギタリストの平八郎(たいら はちろう)。
北大路 欣也(きたおおじ きんや、1943年〈昭和18年〉2… 北大路 欣也(きたおおじ きんや、1943年〈昭和18年〉2月23日 ‐ )は、日本の俳優、声優。本名、淺井 将勝(あさい まさかつ)。京都府京都市紫竹出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 父は戦前の時代劇から戦後の東映時代劇全盛時代に活動した映画俳優の市川右太衛門。芸名の由来は右太衛門の邸宅が京都市内の北大路に在ったことから、右太衛門が「北大路の御大」と呼ばれていたため。田村正和など同世代の俳優仲間からは「きんやちゃん」と呼ばれている[要出典]。 市川右太衛門の次男として生誕。京都市立紫竹小学校、同志社香里中学校から暁星中学校に編入。暁星高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。
麿 赤兒(まろ あかじ、本名:大森 宏、1943年2月23日… 麿 赤兒(まろ あかじ、本名:大森 宏、1943年2月23日 - )は、日本の俳優、舞踏家、演出家。暗黒舞踏集団・大駱駝艦主宰。所属事務所は同傘下の芸能事務所・キャメルアーツ。 父は海軍大佐の大森潤一(海兵54期卒)。長男は映画監督の大森立嗣、次男は俳優の大森南朋。 石川県金沢市生まれ。父親の潤一は大日本帝国海軍の軍人(中佐)で、第一航空艦隊参謀としてテニアン島に赴任。1944年(昭和19年)7月から始まるテニアンの戦いに参加して、翌8月2日、角田覚治司令長官らと塹壕に設えた司令部にて手榴弾で自決した(死後特進して大佐)。また母親の裕子が夫の戦死をきっかけに精神を病んだため、小学5年生の時に奈良県桜井市三輪山麓に住むおじ夫婦に預けられる。
麿 赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本… 麿 赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本の俳優、舞踏家、演出家。本名は大森 宏。暗黒舞踏集団・大駱駝艦主宰。所属事務所は同傘下の芸能事務所・キャメルアーツ。長男は映画監督の大森立嗣、次男は俳優の大森南朋。
清水 章吾(しみず しょうご、1943年2月15日 - )は… 清水 章吾(しみず しょうご、1943年2月15日 - )は、日本の俳優。旧芸名:花木 章吾。 東京都港区出身。渋谷区出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学農獣医学部中退。平田崑プロモーションを経て、オフィスPSCに所属していた。 身長174 cm、体重65 kg。花柳章太郎の弟子。 父親は古美術商。15歳で児童劇団「劇団こじか」入り(当時は非常に引っ込み思案な赤面症の気弱な少年で、舞台に立っても、台詞が言えない・袖に逃げ込みそうになることは日常茶飯事だったという)。本人は雑誌等のインタビューで、「児童劇団入りしたのは、弱すぎる己を鍛えたかったため」と公言している。 大学入学と共に花柳章太郎に入門。
秋野 太作(あきの たいさく、1943年2月14日 - )は… 秋野 太作(あきの たいさく、1943年2月14日 - )は、日本の俳優、タレント、エッセイスト、瞑想者である。本名および旧芸名は津坂 匡章(つさか まさあき)。一時は津坂まさあきの名も使用していた。グランパパプロダクション所属。身長170cm、体重65kg。 東京市深川区(現・東京都江東区深川)で生まれ(「台東区上野生まれ」とする媒体もある)、生後間もなく大分県杵築市の母の実家に移り、4歳のとき東京に戻り、以降は文京区で育った。文京区立第六中学校卒、東京都立文京高等学校卒、日本大学法学部中退。文京区立第六中学校の同級生には小沢一郎と西川太一郎がいた。 日大法学部在学中の1963年に俳優座養成所第15期生として入所。
樋浦 勉(ひうら べん、1943年1月25日 - )は、日本… 樋浦 勉(ひうら べん、1943年1月25日 - )は、日本の俳優、声優。劇団青年座所属。東京府(現:東京都)出身。玉川学園高等部卒業、俳優座養成所出身。
山本 亘(やまもと せん、1943年〈昭和18年〉1月21日… 山本 亘(やまもと せん、1943年〈昭和18年〉1月21日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。身長165 cm。体重55 kg。 成蹊大学政治学科、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻、フランス・ジャック・ルコック学校各卒業。兄は同じく俳優の山本學、山本圭。建築家の山本勝巳の三男で、叔父に映画監督の山本薩夫がいる。 劇団俳優座、仕事に所属していた。
剣持 伴紀(けんもち ともき、1943年1月8日 - )は、… 剣持 伴紀(けんもち ともき、1943年1月8日 - )は、日本の元俳優、声優。東京都出身(出生地は宮城県)。 劇団俳優座、文学座養成所、中里事務所を経て、エヌ・エー・シーに所属していた。 東海大学付属高等学校卒業。 劇団俳優座養成所の第16期生で、同期には太地喜和子、峰岸徹、河原崎建三らがいる。その後、文学座を経てテレビドラマ等で活動。 キャリア初期は時代劇から特撮まで様々な作品に悲運な青年役などで出演し、1970年代後半からは知性派の悪役としても個性を発揮。『特捜最前線』『太陽にほえろ!』『西部警察 PART-III』など刑事ドラマへの主犯役での出演も数多い。 1960年代は『サンダーバード』のアラン・トレーシーの吹き替えなど声優業でも実績も残している。
大橋 一元(おおはし かずもと、1943年 - )は、日本の… 大橋 一元(おおはし かずもと、1943年 - )は、日本の元俳優。本名同じ。 満洲国新京市出身。日本大学藝術学部卒業。 大学卒業後、劇団に所属していたが、1964年に劇団を退団して大映第17期ニューフェイスとなり、1965年、正式に大映に入社し『陸軍中野学校』などの映画に出演。 1966年に大映を退社して俳協に所属する。1968年より深夜番組『11PM』内の生CMに出演して以降、『特命捜査室』『姿三四郎』などのテレビドラマに出演した。 特技は、柔道(三段)、空手(二段)。 俳優の勝野洋は、大学生時代にアルバイトでモデル活動を始めていたが、あるCMで大橋と共演している。その際に、大橋は勝野に劇団現代演劇協会への入団を勧めている。
出門 英(でもん ひで、1942年〈昭和17年〉12月15日… 出門 英(でもん ひで、1942年〈昭和17年〉12月15日 - 1990年〈平成2年〉6月17日)は、日本の歌手、作曲家(作詞家の担当も有り)、俳優。本名は加藤秀男(かとうひでお)。夫婦デュオ「ヒデとロザンナ」の一人として知られる。血液型A型。 妻は歌手でテレビタレントのロザンナ、長男は音楽家・画家の加藤士門(しもん)。次男はミュージシャンの加藤来門(らいもん)。長女はモデルの万梨音(まりおん)。 東京府出身。中央大学中退後、ポニー音楽スクール卒。 水木 英二(みずき えいじ)の芸名で日活第6期ニューフェースに合格後、日活での約1年間の俳優活動と並行して1962年にソロ歌手として『東京ロマンチックガイ』で東芝レコードからデビュー。
高橋 長英(たかはし ちょうえい〈本名の読みは「おさひで」〉… 高橋 長英(たかはし ちょうえい〈本名の読みは「おさひで」〉、1942年11月29日 - )は、日本の俳優。アンテーヌ所属。 神奈川県横浜市出身・在住。関東学院高等学校卒業後、上智大学法学部法律学科に進学するも中退し、1963年に俳優座養成所第15期生として入所する。養成所卒業後はフリーで活動する。単発のテレビドラマ出演を経て、1968年に『二人の恋人』で映画デビューする。 以降も映画やテレビドラマにおいて、存在感ある脇役として活躍した。悲劇的な善役から狂気的な悪役まで、幅広い演技力を活かして多彩な役柄を演じている。映画では伊丹十三監督作品の常連として多くの話題作に出演した。九条の会賛同者である。
江藤 漢斉(えとう かんさい、本名:江藤順一、旧芸名:江藤 … 江藤 漢斉(えとう かんさい、本名:江藤順一、旧芸名:江藤 漢、江藤 潤、1942年11月13日 - 2020年8月10日)は、日本の俳優。最終所属はアイティ企画。身長173cm、血液型A型。福岡県福岡市出身。福岡大学卒業。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
チャーリー浜(チャーリーはま、本名:西岡 正雄(にしおか ま… チャーリー浜(チャーリーはま、本名:西岡 正雄(にしおか まさお)、旧姓:浜野(はまの)。1942年〈昭和17年〉11月7日 - 2021年〈令和3年〉4月18日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優。大阪府大阪市浪速区出身。 吉本新喜劇の座員として吉本興業に所属していた。 父親は広島県因島の出身で大阪に出て事業を成功させた。実家は大阪日本橋の履物問屋。近畿大学附属高等学校を卒業。 1960年に花登筐が主宰する「笑いの王国」に入り(当初は大村崑のそっくりさんとして売り出された)このころに花紀京に出会い花紀の父横山エンタツの自宅に居候で寝食を共にし芸を磨く。その後、「笑いの王国」の先輩で浜が師事していた花紀とともに、1962年6月に吉本興業に移籍。
寺田 農(てらだ みのり、1942年〈昭和17年〉11月7日… 寺田 農(てらだ みのり、1942年〈昭和17年〉11月7日 - 2024年〈令和6年〉3月14日)は、日本の俳優、声優。最終所属は株式会社CESエンタテインメント。 1942年11月7日、洋画家の寺田政明の長男として誕生。本名の「農」(みのり)は、父 政明により、後漢の詩碑にある一文字から名付けられた。 東京府東京市(現在の東京都)豊島区椎名町生まれで、幼少期に板橋区常盤台に転居。このため、媒体によって豊島区出身または板橋区出身、とされる。 5歳のころに板橋区常盤台に引っ越し、遊びの一環として絵を描き始める。父に絵を教わったことはなかったが、小学2年生に描いたカレイの絵が文部大臣賞に選ばれた。
浜畑 賢吉(はまはた けんきち、1942年〈昭和17年〉10… 浜畑 賢吉(はまはた けんきち、1942年〈昭和17年〉10月29日 - 2024年〈令和6年〉7月2日)は、日本の俳優。大阪芸術大学教授・舞台芸術学科長。 妻は上村香子。うたた賢は実弟。オフィス・ミヤモト所属。 東京都出身。東京都立広尾高等学校卒業、東海大学工学部機械工学科中退。 劇団俳優座養成所第15期の出身。養成所修了後の1966年、劇団四季に入団。 1968年のテレビドラマ『進め!青春』で新米教師・高木進役を演じて当たり役となる。 第一生命ホールで上演された『カナマゾフの兄弟』で初舞台を踏み、日生劇場などで上演された『コーラスライン』は、1979年の初演以来、主人公のザック役として800回以上にわたって出演した。
浅沼 晋平(あさぬま しんぺい、1942年10月27日 - … 浅沼 晋平(あさぬま しんぺい、1942年10月27日 - )は、静岡県出身の日本の俳優。身長173 cm。体重67 kg。血液型はO型。 青山学院大学卒業[要出典]後、劇団俳優小劇場の4期生となる。1972年にデビュー。デビュー作はテレビドラマ『コチャバンバ行き』。かつては希楽星に所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
中山 仁(なかやま じん、1942年9月25日 - 2019… 中山 仁(なかやま じん、1942年9月25日 - 2019年10月12日)は、日本の俳優。本名:中山 仁平。 中華民国・北京生まれ、東京都出身。東京都立雪谷高等学校卒業、早稲田大学第一政治経済学部政治学科中退。事務所はオフィスのいりに所属していた。 早稲田大学を2年で中退後、1964年、文学座付属演劇研究所に第4期生として入る。翌年(1965年)、「劇団NLT」に入団。同年、テレビドラマ『乱れる』(フジテレビ系)に南田洋子の相手役に抜擢され、梶原 仁の芸名でデビュー。1966年に同番組が終了と同時に、芸名を「中山 仁」に改め、化粧品会社のポスターに起用され、売り出しのきっかけをつかむ。同年4月には『ひき逃げ』で映画初出演し、『リュイ・ブラス』で舞台にもデビューを果たす。
満月 英世(まんげつ ひでよ、1942年9月25日 - )は… 満月 英世(まんげつ ひでよ、1942年9月25日 - )は、日本の元俳優、スーツアクター。神奈川県茅ヶ崎市出身。 時代劇に憧れて上京し、八芸プロに参加。芸名は八芸プロの渡辺白洋児に付けられた。「英世」は東宝の俳優天本英世から取られており、渡辺が天本に許可を取っている。満月自身は特に天本に憧れていたなどということはないが、会話をしたことはあった。『ウルトラマン』では怪人・ミイラ人間のスーツアクターとして出演した。ミイラ人間以前にも怪獣ショーで1度だけ怪獣を演じており、どんな怪獣かは覚えていないが辛かったことは覚えているという。だがミイラ人間役はぬいぐるみを頭に被るだけで、体も包帯を巻いているだけだから務まるだろうと受けた。
神 太郎(じん たろう、1942年〈昭和17年〉8月31日 … 神 太郎(じん たろう、1942年〈昭和17年〉8月31日 - 2024年〈令和6年〉11月7日)は、日本の俳優、タレント、ディスクジョッキー、ナレーター。 福島県郡山市出身。東洋大学経済学部卒業。オフィス・トゥー・ワン所属。 父親は判事で、小学生時代まで福島県郡山市で過ごし、中学・高校時代は岩手県盛岡市で過ごす。 大学時代は放送研究会に所属。大学在学中から俳優として活動。 大学卒業後、落語家を志し立川談志に弟子入り。1年ほど修行を積むが、低音の声質が「落語家向きではない」と指摘され断念。1968年、ラジオ関東の深夜ラジオ番組『ヒット・ゴー・リーダーズ』のDJで芸能界デビュー。 芸名は、「神」という字が好きだったのと、神という字が日本的に見えたので名前も純日本風にということで「太郎」を選んで名付けた。
溝口 舜亮(みぞぐち しゅんすけ、1942年8月25日 - … 溝口 舜亮(みぞぐち しゅんすけ、1942年8月25日 - 2016年10月9日)は、東京府出身の俳優。アンクルベイビー所属。
きくち 英一(きくち えいいち、1942年8月21日 - )… きくち 英一(きくち えいいち、1942年8月21日 - )は、日本の俳優、スタントマン、殺陣師、司会者。本名および旧芸名:菊池 英一(読み同じ)。アイティ企画所属。東京都世田谷区経堂出身。育英工業高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒業。 父は牧師で、二人兄弟の次男。高校時代に役者を志すようになり、3年生当時に日活のニューフェイスを受験するが不合格となる。しかし、役者の夢を捨てきれず日本大学芸術学部演劇学科に進学すると、同校の「殺陣同志会」に入会して1962年の『脱線トリオ大江戸三人男』にアルバイトで出演し、これが映像関係での初仕事となる。大学4年生当時には、新橋演舞場で舞台『切腹』に出演した。
二代目 松本 白鸚(にだいめ まつもと はくおう、1942年… 二代目 松本 白鸚(にだいめ まつもと はくおう、1942年〈昭和17年〉8月19日 - )は、日本の歌舞伎役者、日本舞踊家、俳優。屋号は高麗屋。定紋は四つ花菱、替紋は浮線蝶。歌舞伎名跡「松本白鸚」の当代。前名の九代目 松本 幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう)としても知られる。俳名に錦升(きんしょう)がある。また舞台演出家としては九代 琴松(くだい きんしょう)の名を用いることがある。東京都出身。暁星中学校・高等学校卒業、早稲田大学第一文学部文学科演劇専修中退。本名は藤間 昭曉(ふじま てるあき)。 日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受賞者。 身長175cm、体重78kg、血液型B型。 歌舞伎では、お家の高麗屋の芸を継承するだけでなく、外祖父の播磨屋の重厚な演目も受け継いでおり、『勧進帳』の武蔵坊弁慶役は1200回という現役最多の出演記録を誇り、時代物の主人公役は高く評価される。
九代目 松本幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう、1942… 九代目 松本幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう、1942年8月19日 - )は、日本の俳優、歌舞伎役者、舞踊家。日本藝術院会員。本名、藤間 昭暁(ふじま てるあき)。
中尾 彬(なかお あきら、1942年〈昭和17年〉8月11日… 中尾 彬(なかお あきら、1942年〈昭和17年〉8月11日 - 2024年〈令和6年〉5月16日)は、日本の俳優、声優、タレント、コメンテーター。千葉県木更津市出身。最終所属は古舘プロジェクト。 中尾彬は、木更津市にあった実家は酒屋を営んでおり、長男として生まれた。1958年に千葉県立木更津第一高等学校へ入学するとバレーボール部で主将を務め、1960年に油彩画「石の花」が千葉県美術展に入選し、1961年に武蔵野美術大学油絵学科へ入学する。 1961年に日活ニューフェイスの第5期に合格して(正規ではなく編入)「青い芽の素顔」と「どじょっこの歌」にノンクレジットでテスト出演した後に、「真昼の誘拐」で正式にデビューする。
串田 和美(くしだ かずよし、1942年8月6日 - )は、… 串田 和美(くしだ かずよし、1942年8月6日 - )は、日本の俳優、演出家。日本大学芸術学部特任教授。佐々木高行は高祖父にあたる。所属事務所は鈍牛倶楽部。 東京都小金井市出身。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業。日本大学芸術学部演劇学科中退。 父は哲学者・詩人の串田孫一。弟はグラフィックデザイナーの串田光弘。祖父は三菱銀行初代会長を務めた串田万蔵。母方の祖父は國學院大學理事長・学長を務めた侯爵の佐佐木行忠。行忠の祖父が佐々木高行。 1965年俳優座養成所を卒業し劇団文学座入団。 1966年佐藤信、斎藤憐、吉田日出子らと共に自由劇場を結成。六本木の「アンダーグラウンド自由劇場」を本拠地とする。
石立 鉄男(いしだて てつお、1942年7月31日‐2007… 石立 鉄男(いしだて てつお、1942年7月31日‐2007年6月1日)は、日本の俳優。所属事務所は其田事務所、鈴木とし江事務所、アクターズプロモーション、アンクルベイビーに所属していた。本名は同じ。
佐々木 敏(ささき びん、本名:ささき さとし、1942年7… 佐々木 敏(ささき びん、本名:ささき さとし、1942年7月31日 - )は、日本の男性俳優、声優。岩手県出身。
松山 英太郎(まつやま えいたろう、1942年7月9日 - … 松山 英太郎(まつやま えいたろう、1942年7月9日 - 1991年1月11日)は、日本の俳優。本名の表記は同じだが「まつやま ひでたろう」と読む。東京都武蔵野市吉祥寺出身。 祖母の英子と父の太郎(本名)から1文字ずつ取って英太郎(ひでたろう)と名づけられた。 1947年、5歳で前進座の『弁天小僧』で初舞台を踏む。 中学校を卒業するまでに『ひろしま』など数本の映画に出演する。 1960年、大成高等学校を中退し、俳優座養成所に12期生で(同期には中村敦夫、成田三樹夫、樫山文枝などがいた)入所。1963年に卒業。 1964年、『七人の孫』に出演して一躍人気者となる。 『時間ですよ』『肝っ玉かあさん』など、ホームドラマには欠かせぬ顔として大活躍。
トミー 関(トミー せき、1942年6月28日 - )は、日… トミー 関(トミー せき、1942年6月28日 - )は、日本の男性声優、俳優。テアトル・エコー所属。本名:大関 富也()。旧芸名:関 富也()。東京都港区麻布出生。蟹座。血液型はA型。東京都立武蔵丘高等学校卒。 学生時は板橋区立板橋第一小学校、板橋区立板橋第三中学校、東京都立武蔵丘高等学校に通学。 高校卒業後、1961年に劇団NBKに入団。その後、喜劇役者を目指して、1963年に劇団テアトル・エコーに移籍した。 特撮テレビドラマ『仮面ライダー』では、再生怪人で比較的セリフの多い役を担当することが多かった。声質から倉口佳三と混同されることもある。
佐々木 一哲(ささき いってつ、1942年6月12日 - )… 佐々木 一哲(ささき いってつ、1942年6月12日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。 東京都出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学中退。劇団若草、劇団三期会、さち子プロを経て、エスプレイングに所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
地井 武男(ちい たけお、1942年〈昭和17年〉5月5日 … 地井 武男(ちい たけお、1942年〈昭和17年〉5月5日 - 2012年〈平成24年〉6月29日)は、日本の俳優。本名は同じ。千葉県八日市場市(現:匝瑳市)出身。最終所属はサイプロダクション。身長175cm。体重63kg。 俳優座 → どりいみい7 → 沢井プロダクション → サイプロダクション 千葉県匝瑳郡八日市場町(現:匝瑳市)に8人兄弟の末っ子として生まれる。なお、兄弟は長兄以外は全員女性。千葉県立匝瑳高等学校卒業後、石原裕次郎や赤木圭一郎に憧れ、1963年に俳優座養成所へ第15期生として入所。同期には原田芳雄、林隆三、太地喜和子、赤座美代子、前田吟、夏八木勲、高橋長英、竜崎勝、秋野太作、栗原小巻、小野武彦、村井國夫、三田和代などそうそうたるメンバーがいる。
円谷 文彦(つぶらや ふみひこ、1942年3月31日 - 2… 円谷 文彦(つぶらや ふみひこ、1942年3月31日 - 2005年2月8日)は、日本の男性俳優、声優。劇団青年座に所属していた。東京都出身。身長163cm。体重57kg。血液型はB型。
近藤 正臣(こんどう まさおみ、1942年〈昭和17年〉2月… 近藤 正臣(こんどう まさおみ、1942年〈昭和17年〉2月15日 - )は、日本の俳優。星野事務所を経て、シーズ・マネージメント所属。身長172cm(1972年3月)。本名、川口 正臣。 京都市東山区(現在の山科区域)に生まれる。母親は元祇園の芸妓であった。父方の叔父に人間国宝で染付けの大家・近藤悠三(1902年 - 1985年)、曾祖父に幕末の尊王攘夷運動家の近藤正慎がいる。清水寺の境内にある舌切茶屋は近藤正慎の子孫が営む茶屋である。 2歳で父を亡くし、河原町三条で小料理店を営む母の手一つで育てられる。 京都府立洛東高等学校に入学。演劇部に所属し、ボクシングも習っていた。高校演劇コンクールでは、銀賞を受賞している。
石山 輝夫(いしやま てるお、旧芸名;石山 律雄・石山 律、… 石山 輝夫(いしやま てるお、旧芸名;石山 律雄・石山 律、1942年2月2日 - )は日本の俳優。千葉県出身。エム・カンパニー所属。身長172cm、体重68kg。血液型はO型。早稲田大学卒業。父は石山健二郎、姉はスクリプターの石山伸子。 1964年にテレビドラマ『湖の仲間たち』で主演を務め、俳優デビュー。以後時代劇・現代劇問わず脇役として活躍する。 悪役・犯人役中心ではあるが善人役も演じるなど芸幅は広い。年を重ねた現在は穏やかな老人役を数多く演じている。 父は『天国と地獄』や『白い巨塔』などに出演した俳優・石山健二郎。 2026年から、映像コンテンツ権利処理機構に連絡のとれない権利者として掲載されている。
東野 英心(とうの えいしん、1942年1月31日 - 20… 東野 英心(とうの えいしん、1942年1月31日 - 2000年11月14日)は、日本の俳優・声優。旧芸名は東野孝彦。 東京市淀橋区大久保(現、東京都新宿区大久保)出身。成蹊高等学校卒業。 東野英治郎の長男。妻は服部マリ。長男は東野克(とうの かつ)。身長170cm、体重83kg。 高校卒業後、俳優座養成所に第12期生として入所(妻は養成所の1期後輩にあたる)。 1962年、『青べか物語』で映画初出演を果たす。 1965年から1976年までは東野孝彦の芸名で活動し、その後は本名に戻す。 『ウルトラマンタロウ』(TBS)で明るいキャラクターを活かして、ZATの荒垣修平 副隊長役を好演。『花神』(NHK総合)では井上聞多(馨)役を演じ、尾藤イサオの小柄な伊藤俊輔(博文)と凸凹コンビを組んで元勲の青春像を演じた。
手塚 しげお(てづか しげお、1942年1月27日 - 20… 手塚 しげお(てづか しげお、1942年1月27日 - 2004年2月4日)は、日本の歌手、俳優。本名および旧芸名、手塚 茂夫(読み同じ)。 山梨県出身。國學院高等学校卒業。晩年は大阪に拠点を移し、同地の芸能プロであるMC企画に所属していた。 高校に通いながら児童劇団こけし座に所属。ラジオドラマ『ママの日記』に出演中の1958年、久松静児監督にスカウトされ、日映『怒りの孤島』において主演の七人の少年の一人として本名で映画デビュー。次いで東宝系の映画に出演を始め、久松監督の『愛の鐘』の後、岡本喜八監督『ある日わたしは』で星由里子の弟、『独立愚連隊』に少年兵の役で出演。翌1959年5月よりNTV系列にて放送された少年時代劇『矢車剣之助』では主役に抜擢されて人気を集めた。
大林 丈史(おおばやし たけし、1942年1月24日 - )… 大林 丈史(おおばやし たけし、1942年1月24日 - )は、日本の俳優。血液型A型。所属は、コスモプロジェクトから、のちプロダクション・タンク。 岡山県出身。岡山県立岡山朝日高等学校(江田五月は同級生)、東京外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル科卒業。俳優座養成所の第16期生。同期には古谷一行、大出俊、峰岸徹、鶴田忍らがいる。1973年、欧亜横断の長期ロケを敢行した超大作映画『陽は沈み陽は昇る』の主役の一人に抜擢される。同年にはやはり日本テレビが大予算を投じたドラマ『水滸伝』でも準主役を演じた。2008年まで、日本俳優連合の副理事長を務め、2009年から2010年までは理事を務めた。2013年度から一般社団法人日本映画俳優協会理事長でもある。
志賀 勝(しが まさる、1942年〈昭和17年〉1月13日 … 志賀 勝(しが まさる、1942年〈昭和17年〉1月13日 - 2020年〈令和2年〉4月3日)は、日本の俳優・歌手・タレント。 京都府京都市出身。東映俳優センター、RIKIプロジェクト、ケイズファクトリーを経て、ウォークオン(制作プロダクションおよび広告代理店)に業務提携の形で籍を置いていた。 本名は亀山勝彦(かめやま・かつひこ)。父親は東映時代劇で活躍した加賀邦男。兄は俳優・亀山達也。平安高等学校卒業。1960年に東映京都に入社。 東映京都撮影所の大部屋俳優出身であり、下積み時代は時代劇やヤクザ映画の斬られ役などが主だった。後にピラニア軍団として売り出す室田日出男・川谷拓三・岩尾正隆らと『仁義なき戦い』シリーズに出演。
住吉 正博(すみよし まさひろ、1942年1月12日 - 2… 住吉 正博(すみよし まさひろ、1942年1月12日 - 2017年12月)は、日本の俳優。本名は同じ。旧芸名は住吉 道博。 旧関東州・大連出身。成城大学卒業。娘は女優の如月皐。高瀬プロダクション、アディックエージェンシー、オフィス松田などに所属していた。 1957年、埼玉県に引き揚げる。成城大学芸術学部在学中に劇団俳優座第14期生となり、卒業後の1965年に劇団青俳に入団。以後、テレビドラマを中心に活動し、1970年の『金太郎の孫』で布団屋職人を演じ、同年の『東京赤坂三代目』では呉服店の店員を演じるなど職人や店員役を多く演じた。 1976年、『がんばれ!!ロボコン』にスケジュールの都合で降板することになった大野しげひさに替わり、ロボコンの居候先のパパ役を演じた。