月形 哲之介(つきがた てつのすけ、1926年(大正15年)… 月形 哲之介(つきがた てつのすけ、1926年(大正15年)2月15日 - 2009年(平成21年)9月26日)は、戦後昭和に活躍した俳優、教育者。本名:門田 彊介(もんでん きょうすけ)。 京都府京都市上京区大将軍鷹司町の生まれ。父は俳優の月形龍之介である。立命館中学校卒業後、海軍に入隊。終戦後、マキノ芸能社から俳優としてデビュー、その後東映専属を経て、晩年は俳優の育成に携わった。
佐竹 明夫(さたけ あきお、1926年1月27日 - 200… 佐竹 明夫(さたけ あきお、1926年1月27日 - 2009年2月26日)は、日本の俳優。本名は、中山 賢雄(なかやま としお)。東京府豊多摩郡戸塚町(現在の東京都新宿区)出身。最終所属はエ・ネスト。娘は歌手の中山圭以子。 早稲田大学理工学部建築科卒業後、三菱電機大船工場に勤務していたが、バスの中で谷口千吉監督にスカウトされ、1951年東宝に入社し、映画『死の断崖』で俳優デビューを果たした。当時の芸名は片桐余四郎だった。その後、演技の勉強をし直すため劇団俳優座養成所に第2期生として入団した。同期には土屋嘉男、小林昭二、滝田裕介、横森久などがいる。 劇団俳優座、松竹を経てフリーになり、以後は時代劇などテレビドラマを中心に活動した。
根本 嘉也(ねもと よしや、1926年1月9日 - 2004… 根本 嘉也(ねもと よしや、1926年1月9日 - 2004年2月15日)は、日本の俳優、声優。劇団近代座設立者。 神奈川県出身。早稲田大学卒業。シェークスピア劇を専門に舞台活動を行っていた。劇団近代座の設立者でもあり、桐の会、土の会、ニューアーツ、馬場企画を経て、アーツビジョンから再び近代座に戻り、代表を務める。2004年2月15日逝去。 死後、近代座の代表は会田由来が受け継いだ。 声種はテノール。年配の太めの声を持つ。 張りのある老人役を演じていた。 特技は乗馬、日本舞踊(名取)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1… 中村 俊一(なかむら しゅんいち、1926年〈大正15年〉1月4日 - 1980年〈昭和55年〉11月25日)は、日本の演出家、俳優、劇団「仲間」主宰者。 神奈川県横浜市生まれ。松尾鉱業の2代目社長中村正雄の長男。父方の祖父は松尾鉱業、太洋鉱業、増田屋各社長などをつとめた中村房次郎。母方の祖父は日本の社会主義運動の先駆者で、早稲田大学野球部を創設したことでも知られる安部磯雄で、母・京はその次女である。 1945年に早稲田大学文学部国文科を中退。千田是也の知遇を得て俳優講習所に学び、1945年に俳優座に入団。演出助手や舞台監督を経て、1949年に養成所講師となる。1953年、俳優座養成所の2期生とともに劇団仲間を結成、主宰者となる。
天本 英世(あまもと ひでよ、1926年1月2日 - 200… 天本 英世(あまもと ひでよ、1926年1月2日 - 2003年3月23日)は、日本の俳優。一時期、「あまもと えいせい」の読みを用いていたこともある。福岡県若松市(現:北九州市若松区)出身。本籍は佐賀県鳥栖市。身長180cm、体重65kg。
中原 成男(なかはら しげお、1926年1月1日 - )は、… 中原 成男(なかはら しげお、1926年1月1日 - )は、日本の元俳優。本名同じ。 東京府(現:東京都)出身。東京農業大学畜産学科、日本映画学校卒業。俳協に所属していた。 東宝演技者集団、東京映画を経る。映画『恐喝』(1958年)、『激動の昭和史 軍閥』(1970年)、テレビドラマ『開化探偵帳』(1968年)などに出演。1972年の特撮テレビドラマ『超人バロム・1』では、主人公の父親である日読新聞デスク・白鳥敬太郎役でレギュラー出演した。 特技は、剣道(二段)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
山口 幸生(やまぐち こうせい、1925年12月16日 - … 山口 幸生(やまぐち こうせい、1925年12月16日 - 2011年10月25日 )は、日本の俳優。 京都府出身。立命館大学(1944〜1948)卒業。 元新春座座員。。」かつてビックワンウエストに所属していた。 水戸黄門や必殺シリーズなど数多くの時代劇に出演。特撮テレビ番組『仮面の忍者 赤影』(第2部まんじ党編)では、全身緑衣装で顔も緑に塗っている忍者むささび道軒を演じ、強い印象を残した。また同作品ではナレーターも担当した。
高野 真二(たかの しんじ、1925年(大正14年)12月8… 高野 真二(たかの しんじ、1925年(大正14年)12月8日 - )は、日本の俳優。旧芸名及び本名は高野 眞二。 神奈川県出身。関東学院高商部卒業。松竹出身。かつては同人会ミヤプロに所属し、2013年の時点では、宝映テレビプロダクションに所属していた。 身長は170cm。血液型はB型。 1954年、松竹に入社。時代劇、現代劇を問わず多くの松竹映画に出演。1965年、フリーとなって以降は、東映や日活の映画やテレビに出演。芸歴50年以上の、映画・テレビの名脇役である。 『水戸黄門』での出演回数は歴代2位の56回で、藩主、悪代官、悪奉行、善家老、悪家老、悪徳商人、道中奉行などを演じた。三代目水戸光圀役・佐野浅夫とは幼馴染みでもある。
永井 玄哉(ながい げんや、1925年10月28日 - )は… 永井 玄哉(ながい げんや、1925年10月28日 - )は、日本の元俳優、元声優。本名同じ。 東京都出身、東京俳優生活協同組合に所属していた。 特技は乗馬、スキー。 上智大学卒業。1948年、民衆芸術劇場研究所入所。1949年、江々宮舞踏団入所。1950年、俳優座養成所卒業。1953年5月、劇団仲間に入団し、同年11月に退団。1955年5月、劇団泉座入団。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
堺 左千夫(、1925年〈大正14年〉9月8日 - 1998… 堺 左千夫(、1925年〈大正14年〉9月8日 - 1998年〈平成10年〉3月11日)は、日本の俳優。東京都出身。本名は阿部 幸男。新星プログループに所属していた。 1925年9月8日、東京市の電気商の息子として生まれる。東京市立浅草工業専修学校卒業。 第1期東宝ニューフェイスの試験に合格し、東宝に入社。三船敏郎、伊豆肇とは同期である。 1947年、黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』でデビュー。以降、黒澤、岡本喜八、稲垣浩ら、東宝の監督の作品に常連として多数出演。若大将シリーズの敵役「赤まむし」役などの脇役俳優として知られる。飄々とした演技を得意とした。 撮影所仲間からは「ブーちゃん」の愛称で親しまれた。
佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日… 佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日本の俳優・童話作家・実業家。神奈川県横浜市、現在の保土ケ谷区出身。アクターズ・セブン所属。身長168cm。神奈川県立横浜第三中学校卒業。
近藤 宏(こんどう ひろし、本名 同じ、1925年8月4日 … 近藤 宏(こんどう ひろし、本名 同じ、1925年8月4日 - 1992年4月28日)は、日本の俳優。埼玉県川越市出身。 日本大学専門部芸術科(現・藝術学部)卒業。1944年に東宝に入社。1953年に東宝を退社しフリーランスとなる。1955年に日活に入社。その後はシナリオ文芸協会に所属していた。アクション映画を中心に主に悪役で活躍。 1960年代後半からはテレビドラマにも本格的に進出し、バイプレイヤーとして様々な役柄を演じた。 1992年4月28日午後4時10分、急性心肺機能不全のため、東京医科大学病院にて死去。66歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
有馬 昌彦(ありま まさひこ、1925年7月22日 - 19… 有馬 昌彦(ありま まさひこ、1925年7月22日 - 1991年9月27日)は、日本の俳優。本名:有馬 昌(ありま しょう)。 北海道札幌市出身。旧制第二高等学校(東北大学の前身校のひとつ)卒業。テコジャパンエージェンシー、ファミリープロダクションに所属していた。 高校卒業後の1950年、文学座研究所に入所。後に文学座座員に昇格する。1963年、文学座を脱退し、劇団雲の創立に参加。1969年に雲を退団。フリーを経て、1982年に演劇集団 円に入団した。デビュー作品は1951年、三越劇場での『シラノ・ト・ベルジェラック』。 舞台のほか、多くのテレビドラマや映画などにも出演。1966年のテレビドラマ『ウルトラQ』以来、特撮ドラマへの出演もよくあった。
岡 豊(、1925年〈大正14年〉7月11日 - 2000年… 岡 豊(、1925年〈大正14年〉7月11日 - 2000年〈平成12年〉7月27日)は、日本の元俳優である。妻は女優の記平佳枝。 東京府東京市(現在の東京都)出身。早稲田大学卒業。 東宝ニューフェイス第1期として東宝に所属。クレジットされる作品は少ないが、ジャンルを問わず数多くの映画に出演。特に特撮映画では新聞記者を演じていることが多い。アナウンサー役もいくつか演じており、記平は特にアナウンスを学んだことはなく、東京出身で訛りがないため選ばれたのではないかと述べている。 俳優の中島春雄とは両夫婦で新婚旅行に行くほど仲が良かった。 1971年(昭和46年)、専属俳優一斉解雇の際に俳優を引退。記平によると、引退後はビル管理会社に勤務していたという。
加藤 茂雄(かとう しげお、1925年〈大正14年〉6月16… 加藤 茂雄(かとう しげお、1925年〈大正14年〉6月16日 - 2020年〈令和2年〉6月14日)は、日本の俳優、声優、漁師。本名同じ。東宝を経て、新星プログループに所属していた。神奈川県出身。 1925年6月16日、神奈川県鎌倉市長谷に生まれる。 石川島航空工業青年学校(のちの石川島工業高等学校)を経て、1946年、鎌倉アカデミア演劇科に入学。1949年、卒業。卒業後は、一時漁師を務めていた。 1950年の準専属契約(同期は今井和雄、緒方燐作など)を経て、1954年に東宝と専属契約する。大部屋俳優として、ノンクレジットも含めて、多数の映画に出演。 1971年の東宝専属俳優廃止後は、新星プロに所属。
大滝 秀治(おおたき ひでじ、1925年〈大正14年〉6月6… 大滝 秀治(おおたき ひでじ、1925年〈大正14年〉6月6日 - 2012年〈平成24年〉10月2日)は、日本の俳優・ナレーター・実業家。昭和時代中期から平成時代中期にかけて活躍した。位階は正四位。勲等は旭日重光章。文化功労者。 株式会社劇団民藝代表取締役などを歴任した。 本名同じ。身長167cm、体重63kg[要出典]、血液型O型。母親が里帰りしたため出生地は新潟県現・上越市であるが、生まれてすぐ戻ったため出身地は東京・本郷。2011年(平成23年)に文化功労者として顕彰された。名優の一人として舞台・テレビドラマ・映画・テレビコマーシャルと60年以上にわたり幅広く活躍。劇団民藝に所属し、宇野重吉没後には奈良岡朋子と共に代表を担っていた。
南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日… 南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日 - 2001年1月)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。逗子開成中学出身。俳優の田宮二郎は従弟にあたる。 終戦の翌年に復員後、鎌倉アカデミアの演劇科に進学。演技の勉強を積んだのち1950年に太泉映画(後の東映)のニューフェース一期生に合格。 脇役として地道ながら数多くの作品に出演。 1961年から放送開始したテレビ映画『特別機動捜査隊』ではレギュラーの刑事役として10年活躍。しかし健康上の問題を理由に役者を引退した。 1991年の単発テレビ時代劇『忠臣蔵 風の巻・雲の巻』では浅野家家老の役でサプライズ出演を果たす。
阿部 脩(あべ おさむ、1925年〈大正14年〉5月6日 -… 阿部 脩(あべ おさむ、1925年〈大正14年〉5月6日 - 没年不明)は、日本のプロレスラー、レフェリー、俳優、大相撲力士。 北海道旭川市出身。角界入りし、高砂部屋から大成山(おおなりやま)の四股名で1941年1月場所初土俵。1946年11月場所を最後に廃業。プロレスに転身して力道山率いる日本プロレスの初期メンバーとしてキャリアをスタートさせる。身長175cm、体重103kgという当時としては恵まれた体格を活かし、パワー溢れるレスラーとして活躍。その後、東京プロレスを経て国際プロレスへ移籍した。 プロレスラー引退後は国際プロレスのレフェリーに転向する。髭を蓄えており、ホイッスルを吹く独特で特徴のあるスタイルから「髭のレフェリー」「髭の阿部」の愛称で親しまれた。
潮 健児(うしお けんじ、1925年3月23日 - 1993… 潮 健児(うしお けんじ、1925年3月23日 - 1993年9月19日)は、日本の俳優。本名:益戸 正雄()。別名義:潮 建志・潮 建磁・泉 正夫。 東京府荏原郡出身。オノプロに所属していた。 旧制 専修大学予科在学中に応召し、陸軍飛行学校に入る。太平洋戦争終結後の1945年に友人の紹介で古川ロッパの一座に入団するも、1947年に退団し[要出典]、専修大学専門部経済学科に通いながら、小劇団を転々とする。 1949年、太泉映画と契約し、翌年『執行猶予』(佐分利信監督)で映画デビュー。以来、太泉映画の後身である東映において長きに渡り、脇役として活動。千葉真一主演の『ファンキーハットの快男児シリーズ』でのコミカルで憎めない役柄や『極道』シリーズ(若山富三郎主演)。
高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2… 高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2011年8月18日)は、日本の俳優、声優。演出家。本名:依田 郁夫(よだ いくお)。妻は女優の西乃砂恵(再婚)。 大阪府大阪市出身。東京府立第三中学校卒業。日本大学芸術科(現:日本大学藝術学部)中退(戦況悪化のため)。 1943年、劇団文芸劇場に入団。1945年に大学を中退した後、青年演劇集団に参加。1947年12月に劇団創造座に入団し、1949年12月まで所属、1950年6月、田中明夫、前沢迪雄、西乃砂恵、真木恭介、三島雅夫とともに劇団七曜会を設立に参画。1956年に劇団が分裂した後は七曜会の代表となり、演出家として活動も開始。1963年6月に七曜会を解散し、フリーランスで活動。
富田 浩太郎(、1925年〈大正14年〉1月20日 - 20… 富田 浩太郎(、1925年〈大正14年〉1月20日 - 2004年〈平成16年〉6月10日)は、日本の俳優。本名および別名義は冨田 浩太郎(読みは同じ)。 熊本県玉名郡大浜町出身。宮崎大学農学部畜産学科卒業。新協劇団、劇団民藝、東映、劇団青俳を経て、東京俳優生活協同組合に所属していた。 九州学院高等学校の教員を経て劇団民藝に入団。舞台を中心に、映画やテレビドラマで脇役として活躍した。その知的で温厚な雰囲気から紳士的な役柄を演じることが多かったが、インテリ系の悪役としても実績を残している。 俳優活動の傍ら、教員経験を活かして民藝付属の演劇研究所や日本大学藝術学部などで演劇の講師も務めた。自らも「冨田演技塾」を主宰し、後進の育成に尽力した。
大泉 滉(おおいずみ あきら、1925年1月1日 - 199… 大泉 滉(おおいずみ あきら、1925年1月1日 - 1998年4月23日)は、日本の俳優・声優。身長165cm。血液型はO型。左利き。
守田 比呂也(もりた ひろや、1924年12月21日 - 2… 守田 比呂也(もりた ひろや、1924年12月21日 - 2016年6月16日)は、日本の俳優。本名:森田 寛弥。大阪市出身。最後の所属事務所は夏木プロダクション。妻は元女優の新井麗子。血液型はA型。 大阪府立生野中学校卒業。 神戸高等商業学校(現・兵庫県立大学)在学中に学徒動員。 大日本帝国海軍少尉、映画業界紙記者を経て、1957年にサスペンス映画『三十六人の乗客』でデビュー。 1950年頃には大映京都企画部の入社試験を受けたこともあったという。 『事件記者』で当たり役を得て、ドラマや映画で脇役として活躍した。 2016年6月16日に死去。満91歳没。
鶴田 浩二(、1924年〈大正13年〉12月6日 - 198… 鶴田 浩二(、1924年〈大正13年〉12月6日 - 1987年〈昭和62年〉6月16日)は、日本の俳優、歌手。 昭和を代表する映画俳優の一人として数多くの映画やドラマに主演。戦後派として登場し、甘さと翳りを兼ね備えた天賦の美貌で一躍トップスターに躍り出た。若いころは絶世の美男子としてアイドル的人気を博したが、中年期からは任侠映画や戦争もので見せた渋い魅力で、日本映画界を代表するスターとして長らく君臨した。また、歌手としても独特の哀愁を帯びた声と歌唱法で知られた。 兵庫県西宮市出生。戸籍上の出身地は、静岡県浜松市。本名は小野 榮一()。 西宮時代、父と母が結婚していなかったのは、鶴田の父である大鳥の家が鶴田の母との婚姻を許可しなかったためである。
篠田 節夫(しのだ せつお、1924年11月3日 - 199… 篠田 節夫(しのだ せつお、1924年11月3日 - 1995年5月22日)は、日本の男性俳優、声優。岐阜県出身。東京放送劇団に所属していた。上智大学卒業。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
成瀬 昌彦(なるせ まさひこ、1924年9月30日 - 19… 成瀬 昌彦(なるせ まさひこ、1924年9月30日 - 1997年11月)は、日本の俳優、演出家。本名同じ。織田プロに所属していた。 東京市(現:東京都文京区)出身。日本大学専門部芸術科(現:日本大学藝術学部)卒業。劇団青年座初代座長。映画やテレビドラマにも数多く出演し、個性的な存在感を見せた。 1940年代から俳優座系の移動演劇団「芙蓉隊」に参加し、戦後も劇団俳優座に加わるが、創作演劇の上演を目指すべく1954年に脱退。森塚敏、山岡久乃、東恵美子、初井言榮ら有志と創作劇団「青年座」を立ち上げ、初代の座長として同劇団の礎を築く。彼らが育んだ青年座は後に大勢の人材を輩出し、今や日本を代表する大劇団となっている。
天野 創治郎(あまの そうじろう、1924年(大正13年)9… 天野 創治郎(あまの そうじろう、1924年(大正13年)9月4日 - 1989年(平成元年)12月27日)は、日本の俳優。本名は、天野総治郎。東京都出身。劇団青年座創立同人。 東京都出身。上智大学経済学部卒業。昭和29年、劇団青年座の創立に土方弘、氏家慎子、山岡久乃、中台祥浩、東恵美子、森塚敏、関弘子、成瀬昌彦、初井言榮とともに参加。その後は、同座研究所の教務主任を長く務めた。代表的な舞台に「第三の証言」「白蟻の巣」などがある。平成1年12月27日、死去。
宮城 けんじ(みやぎ けんじ、1924年(大正13年)8月2… 宮城 けんじ(みやぎ けんじ、1924年(大正13年)8月20日 - 2005年(平成17年)10月19日)は、東けんじとコンビ漫才「Wけんじ」を結成した日本の漫才師、または司会者、俳優。本名は寺島 文雄(てらしま ふみお)。宮城県亘理郡逢隈村(現:亘理町)出身。血液型A型。趣味は読書。晩年はマセキ芸能社に所属していた。 座右の銘「努力ある所に自信あり」。競馬、競輪、オートレース、麻雀、パチンコと何でもござれの大の博打好き。 3歳の時に養子に入った巣鴨の家の隣が大都映画の撮影所であったことから、遊び場として出入りしているうちに7歳で子役としてデビュー。 大都映画の専属俳優から軽演劇界、新宿ムーランルージュを経て、歌手の春日八郎の専属司会を約10年勤め話芸を磨いた。
沼田 曜一(ぬまた よういち、1924年(大正13年)7月1… 沼田 曜一(ぬまた よういち、1924年(大正13年)7月19日 - 2006年(平成18年)4月29日)は、日本の俳優。本名:美甘 正晴(みかも まさはる)。岡山県真庭郡湯原村出身。
三田 隆(みた たかし、1924年6月13日 - 1961年… 三田 隆(みた たかし、1924年6月13日 - 1961年1月1日)は、日本の俳優である。本名は国木田 篤夫(くにきだ あつお)。旧芸名は木田 篤夫(きだ あつお)、重光 彰(しげみつ あきら)、重光 彬。 1924年6月13日、東京府東京市(現在の東京都)に小説家国木田独歩の長男であり、詩人・映画作家の国木田虎雄の子として生まれる。 小学生時代の1938年、木田篤夫という芸名で東京発声映画製作所が製作した阿部豊監督映画『太陽の子』に、不良少年を教化する農園に収容される少年役で映画デビュー。ただし日本映画データベースでは、本名で出演としている。その後、日本大学専門部芸術科美術課程で商業美術を専攻して卒業後、東和商事映画部に入社する。
関山 耕司 (せきやま こうじ、1924年5月22日 - 2… 関山 耕司 (せきやま こうじ、1924年5月22日 - 2013年) は、日本の俳優。東京都文京区出身。 電機学校卒業後、東映へ入社。脇役として映画やテレビ映画に数多く出演しており、角刈りにした強面の外見から、悪役では武闘派ヤクザや暴力看守、善人役では警察関係者を多く演じた。若山富三郎がひきいた俳優集団「若山組」のメンバーだった。2013年、老衰の為死去 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
南都 雄二(なんと ゆうじ、1924年〈大正13年〉4月26… 南都 雄二(なんと ゆうじ、1924年〈大正13年〉4月26日 - 1973年〈昭和48年〉3月19日)は昭和後期の上方の漫才師、俳優。本名は戸田 朝治(とだ ちょうじ)。大阪府大阪市生まれ。大阪電機学校卒業。 ミヤコ蝶々との漫才コンビ「蝶々・雄二」として知られ、「夫婦善哉」の司会で人気を博した。 1941年に大阪電機学校を卒業した。戦後、大阪中央郵便局の電気係を経て、三遊亭柳枝主宰の柳枝劇団に参加し、照明部で裏方をしていた。その後演者側に回り、看板女優だったミヤコ蝶々の弟子となり「鈴夫」と名乗る。 1947年に柳枝と離婚した蝶々と結婚し、1948年、柳家三亀松の改名の提案で「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビを結成した。
宇野 晃司(、1924年〈大正13年〉4月21日 - 200… 宇野 晃司(、1924年〈大正13年〉4月21日 - 2003年〈平成15年〉7月28日)は、日本の俳優、ダンス講師である。本名は鵜野 満雄(うの みつお)。福岡県出身。 1924年(大正13年)4月21日、福岡県大牟田市に生まれる。 福岡県立三池中学校(現在の福岡県立三池高等学校)を経て、1944年(昭和19年)に日本映画学校を卒業。同年、東宝演技課へ映画学校より派遣入社する。そして戦後、1948年(昭和23年)に公開された黒澤明監督映画『醉いどれ天使』でやくざ役として映画デビューし、以後も東宝を中心に数多くの作品に出演した。また、ウルトラシリーズ第1作目『ウルトラQ』(TBSテレビ、1966年)では、杉本カメラマン役として準レギュラー出演していた。
三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 19… 三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 1999年1月25日)は、日本の俳優・演出家・コメディアン。日本喜劇人協会第5代会長。本名は田沼 則子()。長男は、コメディアンの小林のり一。 東京市日本橋区浜町(現:東京都中央区日本橋浜町)生まれ。母は待合「芳柳」を営んでいた。 1942年、旧制日本大学第一中学校を卒業。日本大学法文学部芸術学科に入学し、同期生には映画科に小沢茂弘・沼田曜一がいた。大学には当初画家を目指して入学したが、その後舞台美術に興味を持ったことで演劇学科に転籍し、1947年に同学科を卒業。 その後慰問公演の俳優に欠員が出てその穴埋めとして出演を頼まれたのを機に、新劇の世界に入ることになった。
伊達 三郎(だて さぶろう、1924年3月27日 - 199… 伊達 三郎(だて さぶろう、1924年3月27日 - 1991年9月12日)は、日本の俳優。本名は桜 春太郎(さくら しゅんたろう)、別名義:伊達 岳志(だて たけし)。 大阪市大正区出身。大映出身。さとう事務所に所属していた。興國商業高校卒業。 復員後の1945年に大映京都に入社し、翌1946年、片岡千恵蔵と古川ロッパが共演した稲垣浩監督の『おかぐら兄弟』でデビューを果たす。以降は大映の名物悪役として活躍。時代劇からヤクザ映画まで、その特徴ある面長な風貌で、大映映画の全盛期を支えた。 大映倒産後はテレビドラマに本格的に進出し、刑事ドラマや時代劇では悪役を数多く演じた。1991年9月12日死去。
石田 茂樹(、1924年〈大正13年〉3月17日 - 199… 石田 茂樹(、1924年〈大正13年〉3月17日 - 1997年〈平成9年〉)は、日本の俳優、僧。本名は石田 千尋。長男は俳優・声優の石田太郎。 石川県金沢市出身。龍谷大学文学部真宗学科卒業。 大阪市立枚方中学校(現:枚方市立枚方中学校)の教諭を経て、毛利菊枝が主宰する劇団くるみ座や、森繁久彌の森繁劇団などを経て、東宝の専属俳優となる。 東宝の映画では、ほとんどが端役での出演であるが、特撮映画やクレージー映画などに常連出演して活躍した。1960年代以降はテレビドラマにも出演している。 俳優引退後は、地元の金沢市にある浄土真宗本願寺派乗敬寺の住職を務めていた。 1997年、死去。乗敬寺の住職は長男の太郎が俳優業の傍ら引き継いだ。
南 利明(みなみ としあき、1924年3月14日 - 199… 南 利明(みなみ としあき、1924年3月14日 - 1995年1月13日)は、日本の喜劇俳優。本名は野津 俊三(のづ しゅんぞう)。
久米 明(くめ あきら、本名:同じ、1924年2月8日 - … 久米 明(くめ あきら、本名:同じ、1924年2月8日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。元日本大学芸術学部教授。1992年紫綬褒章。
内田 良平(うちだ りょうへい、1924年2月5日 - 19… 内田 良平(うちだ りょうへい、1924年2月5日 - 1984年6月15日)は、日本の俳優、詩人。千葉県銚子市出身。 法政大学予科在学中の内田は、戦況が悪化すると「いずれ自分も特攻隊員に採られて死ぬのだから、学校に居ても仕方が無い」と思い、帰郷後にブラブラしていると家のすぐ近くにある銚子市立飯沼小学校から「教師が不足しているのでどうだ?」と声が掛かり、1945年夏から1946年の夏までの1年間代用教員を務めた。法政大学経済学部在学中の1951年、新協劇団に入って演劇を始める。1951年に杉浦直樹・小松方正らと劇団「新演劇研究所」を結成して活動するが、ほどなく解散した。東映での映画出演を経て1953年に友人から小林正樹を紹介され、その伝手で松竹映画にも出演。
森 幹太(もり かんた、1924年1月19日 - 2000年… 森 幹太(もり かんた、1924年1月19日 - 2000年11月15日)は、日本の俳優。本名:鈴木 威。秋田県由利郡下浜村(現 秋田市)出身。
前沢 迪雄(まえざわ みちお、1924年1月10日 - 没年… 前沢 迪雄(まえざわ みちお、1924年1月10日 - 没年不明)は、日本の俳優、声優。東京府出身。 日本大学芸術学科卒業。1950年6月、田中明夫、真木恭介、西乃砂恵、高城淳一、三島雅夫とともに劇団七曜会の創立に参加、1955年、劇団葦の創立に参加、その後、フリーランス期間、風の会を経て、プロダクション・エムスリーに所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
鮎川 浩 (あゆかわ ひろし、1924年1月9日 - )は、… 鮎川 浩 (あゆかわ ひろし、1924年1月9日 - )は、日本の俳優。本名・熊木 中庸(くまき ちゅうよう)。
太宰 久雄(だざい ひさお、1923年〈大正12年〉12月2… 太宰 久雄(だざい ひさお、1923年〈大正12年〉12月26日 - 1998年〈平成10年〉11月20日)は、日本の俳優。大宰 久雄と表記されることもある。 映画『男はつらいよ』シリーズのタコ社長(桂梅太郎)役で有名な俳優である。同映画において渥美清演じる車寅次郎との掛け合いは見所のひとつであった。 東京市浅草区千束町(現在の東京都台東区浅草千束)出身。浅草の荒物雑穀商、海苔問屋・佐野屋の息子として生まれる。タコ社長役で見られた髪型は、父・久吉をモデルにしたもので、当時の浅草の海苔問屋の商人たちの間で流行っていた髪形であるといわれている。この独特のウェーブは魚の鯔の背中の姿を模しているため、イナセと呼ばれる江戸時代に流行ったスタイルでもあった。
大木 実(おおき みのる、1923年〈大正12年〉12月16… 大木 実(おおき みのる、1923年〈大正12年〉12月16日 - 2009年〈平成21年〉3月30日)は、大阪府堺市出身の俳優。本名は池田 実。 大阪福島商業学校(現・履正社高等学校)卒業後、照明助手として日活多摩川撮影所に約10年間勤務。 木暮実千代の推挙で役者へ転身。 1951年、『あゝ青春』で映画デビュー。1952年から1961年まで在籍した松竹では佐田啓二、高橋貞二と共に三羽烏と言われ、多くの映画に主演、中でも「張込み」は代表作と言える。 1963年からは東映を中心に活動し脇に回る。若山富三郎とは仲が良く、兄弟と呼び合っていた。 1970年代からはテレビドラマへも進出した。 2009年3月30日午前3時、膵臓癌の為東京都大田区の病院で逝去。
千葉 信男(ちば のぶお、1923年12月10日 - 196… 千葉 信男(ちば のぶお、1923年12月10日 - 1967年8月10日)は、日本の俳優、コメディアン。 実業家の千葉芳男と友子(1896年生、宮城県の大友耕三の妹)の三男として東京府東京市淀橋区下落合(現在の東京都新宿区)に生まれる。兄に恭、茂、姉に篤子、弟に孝、芝之がいる。 父芳男は1889年11月3日に宮城県志田郡の仙台藩士族千葉軍記(農事試験場の助手を勤めたのち、上海に渡り、旅館の萬蔵館を経営)の長男として生まれ、東京商工学校卒業後、浅野セメントに入社し、本社検査課や川崎、深川両工場のスレート部、共同販売会社主任、東京支店長心得などを務めたのち独立。1931年に日本スレート販売株式会社が創立されると社長となった。
小林 桂樹(、1923年〈大正12年〉11月23日 - 20… 小林 桂樹(、1923年〈大正12年〉11月23日 - 2010年〈平成22年〉9月16日)は、日本の俳優。サラリーマン喜劇から社会派ドラマまで幅広く活躍し、その生涯において253本の映画に出演した。 『裸の大将』の山下清の演技で1958年第13回毎日映画コンクール主演男優賞を受賞。『黒い画集 あるサラリーマンの証言』の石野貞一郎の演技では1960年の第15回毎日映画コンクール主演男優賞およびキネマ旬報男優賞およびブルーリボン大衆賞(つまり3つの賞)を受賞。『白と黒』の落合克巳(東京地検捜査検事)の演技および『江分利満氏の優雅な生活』の江分利満の演技により1963年第18回毎日映画コンクール主演男優賞を、『われ一粒の麦なれど』の坂田昌義(農政省官吏)の演技で1964年第15回ブルーリボン賞主演男優賞を受賞。
川喜多 雄二(かわきた ゆうじ、本名:脇 猷二、1923年 … 川喜多 雄二(かわきた ゆうじ、本名:脇 猷二、1923年 11月23日- 2011年5月9日)は日本の俳優、歯科医師。初期の芸名は川喜多小六。 父が満州鉄道病院の歯科医をしていた関係で、中国の奉天に生まれる。 東京歯科大学卒業後、父の後を継いで歯科医をしていたが、画家の岩田専太郎の知遇を得て、青柳プロに入社。市川崑監督の映画『夜来香』でデビュー。当時の芸名は川喜多小六。1952年(昭和27年)、松竹に移籍し、「川喜多雄二」に改名。 1950年代である昭和20年代後半から昭和30年代前半にかけて多くの松竹映画に出演し、佐田啓二(中井貴一の父)・高橋貞二らとともに『新・松竹三羽烏』と称された。昭和40年代前半(1960年代後半)に俳優を引退。
青木 富夫(あおき とみお、1923年(大正12年)10月7… 青木 富夫(あおき とみお、1923年(大正12年)10月7日 - 2004年(平成16年)1月24日)は、日本の俳優。松竹蒲田撮影所時代に名子役として活躍した。 横浜市に生まれ、実家が経営していた酒場に松竹蒲田撮影所の俳優が出入りしていたのが縁で、撮影所によく遊びに行くようになった。 1929年(昭和4年)、ここで小津監督に見いだされ、小津の『会社員生活』に出演。同年、主演した『突貫小僧』が大ヒットし、松竹蒲田の子役スターとなった。12月には『全部精神異常あり』(斎藤寅次郎監督)に出演、斎藤監督のナンセンス喜劇でも重用された。 1931年(昭和6年)から芸名を「突貫小僧」と改める。 以降、小津監督作品に12本に出演したほか、成瀬巳喜男監督、斎藤寅次郎監督、清水宏監督、五所平之助監督の名作や話題作に立て続けに出演。
根上 淳(ねがみ じゅん、1923年9月20日 - 2005… 根上 淳(ねがみ じゅん、1923年9月20日 - 2005年10月24日)は、日本の俳優。本名は森 不二雄(もり ふじお)。 身長171cm。1950年代より大映で菅原謙次と人気を二分し、活躍した二枚目スター。後年は活動の場をテレビ中心に移し、渋い脇役として存在感を示した。 東京府豊多摩郡中野町(現・東京都中野区)出身。父方の祖父はオーストリアの音楽家ルドルフ・ディトリッヒ、日本名=日土理非)、祖母は森菊。父はヴァイオリニストの森乙。甥はROUTE 66とTHE CHAPPYSでボーカルを務めた森雅裕。杉並商業学校を経て1941年に法政大学経済学部に進む。1943年、学徒出陣で東部六二部隊に入隊。
江見 俊太郎(えみ しゅんたろう、1923年9月16日 - … 江見 俊太郎(えみ しゅんたろう、1923年9月16日 - 2003年11月17日)は、日本の俳優。本名は黒川 輝郎(くろかわ てるお)。旧芸名は江見 渉。 東京府豊多摩郡中野町(現・東京都中野区中野)出身。早稲田大学専門部政治経済科卒業。妻は女優の松風はる美で、1976年から共同で「劇団ノア」を運営していた。 学徒出陣により海軍航空隊少尉で神風特攻隊出身。1945年復員後、東宝に入社し『民衆の敵』でデビュー。後に新東宝に移り、主に準主役で、色悪を主とした悪役としても活躍。また1947年に初舞台『出家とその弟子』で唯円役を演じるなど、早くから演劇活動を行い、多くの名作舞台に出演している。1964年に上演された『龍馬翔く』には後藤象二郎役で出演していたが、主演の南原宏治が公演中に負傷して降板を余儀なくされ、二幕目からは急遽、江見が南原の代役に立って務め上げた。