塩田 利幸(しおた としゆき、1939年6月17日 - 20… 塩田 利幸(しおた としゆき、1939年6月17日 - 2016年9月29日)は、日本のアナウンサー。大阪府大阪市出身。昭和プロダクション所属。関西テレビ放送(KTV)の勤務を経て、フリーとなる。 小学生時代は大の阪神ファンだったが、1950年のセ・パ両リーグ分立の時に、阪神から毎日オリオンズに移籍した別当薫派に付いて行き、オリオンズファンになる。少年時代は球場に頻繁に行くよりも野球雑誌を読んだりラジオで中継を聴いたりするタイプのファンだったことから、小学生時代にアナウンサーを志す。大阪府立夕陽丘高等学校、関西学院大学法学部卒業後、1962年KTVにアナウンサーとして入社。関西運動記者クラブにも加入する。
内藤 幸位(ないとう こうい、本名:ないとう ゆきただ、19… 内藤 幸位(ないとう こうい、本名:ないとう ゆきただ、1939年6月2日 - 2020年4月10日)は、山梨県出身のラジオ日本の元アナウンサー。 1962年、日本大学芸術学部放送学科卒業し、当時のラジオ関東に入社。 プロ野球(読売ジャイアンツ戦)、競馬、競輪、駅伝競走、マラソンなどのスポーツ中継を中心に、そのほかにもニュースや演歌番組なども担当。特にプロ野球中継は、読売ジャイアンツ戦を中心に39年間1500試合以上の実況をした。 2000年10月21日、王貞治、長嶋茂雄 (ON) の対決となった日本シリーズ第1戦(読売ジャイアンツ対福岡ダイエーホークス)を最後に定年のため引退、その模様は、週刊ベースボールでも特集が組まれた。
名取 将 (なとり すすむ、1939年〈昭和14年〉5月1日… 名取 将 (なとり すすむ、1939年〈昭和14年〉5月1日 - )は、日本の男性声優、アナウンサー。81プロデュース所属。長野県富士見町出身。 1958年、長野県諏訪清陵高等学校卒業。 1962年に早稲田大学卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。 1999年、NHKを定年退職。声優活動を開始。 主にニュース番組で活躍。また、よど号ハイジャック事件、ドイツ日航機爆破事件、三菱重工爆破事件、クアラルンプール・アメリカ大使館占拠事件、あさま山荘事件、小櫃川(千葉)集中豪雨、エリザベス女王訪日、昭和天皇訪米、原子力船「むつ」放射能もれ洋上漂流、佐世保修理入港、ドイツ・ベルリンの壁崩壊の国内外重要中継リポートを担当。
田仲 清司(たなか きよし、1939年3月5日 - )は、元… 田仲 清司(たなか きよし、1939年3月5日 - )は、元NHKアナウンサー。元放送総局アナウンス室長。 福岡県出身。早稲田大学教育学部卒業後、1962年入局。放送総局アナウンス室副部長、広島放送局放送センター長、広島放送局副局長を経て1993年編成局アナウンス室長。その後日本語センター専門委員。
小泉 正昭(こいずみ まさあき、1939年2月8日 - )は… 小泉 正昭(こいずみ まさあき、1939年2月8日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、ニュースキャスター。 神奈川県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 1962年4月、TBSにアナウンサー8期生として入社(同期入社には清水将夫・鈴木史朗・梅田早苗・古村朋子・佐藤紀子・塩田光代・清水恵子・富田幸子・山口紘子)。 主にニュースや報道番組を担当し、1963年11月1日に報道局ニュース部アナウンサー。1967年11月15日にアナウンサー研修室設置に伴い報道局ラジオニュース部兼アナウンサー研修室付に。その後、テレビ本部報道局ラジオニュース部(1970年7月)、テレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部(1972年11月)、報道局報道センターに在籍し、中でも1966年2月に起きた全日空羽田沖墜落事故、1972年9月の日中国交回復などの取材、中継リポートに携わった。
桂 竜也(けい たつや、1939年〈昭和14年〉2月7日 -… 桂 竜也(けい たつや、1939年〈昭和14年〉2月7日 - 2019年〈平成31年〉3月26日)は、元文化放送アナウンサー。 本名は永峰 康雄(ながみね やすお)。千葉県市川市出身。O型。 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1961年4月、文化放送にアナウンサーとして入社。 1972年10月9日から10年間 パーソナリティを務めた『桂竜也の夕焼けワイド』は「ベルベットボイス」と称する落ち着いた語りで人気を博した。担当番組で用いたマイクネームの「桂」は桂文楽 (8代目)から。「竜也」は黒岩重吾の小説に出てくる人物からもらったという。 2004年9月、同社を定年退職。その後はアルツハイマー型認知症を発症。
那須 重信(なす しげのぶ、1939年1月22日 - )は、… 那須 重信(なす しげのぶ、1939年1月22日 - )は、元信越放送のアナウンサー。 1939年(昭和14年)長野県北安曇郡池田町出身。1958年(昭和33年)長野県松本県ヶ丘高校 卒業。1962年(昭和37年)日本大学卒業。1963年(昭和38年)信越放送入社。エグゼクティブアナウンサー、アナウンス部長。主に SBCニュースワイドのキャスター、SBC制作番組のナレーションを務める。2000年(平成12年)信越放送定年退職。 以降、NHK文化センター松本・長野県カルチャーセンター講師を務める。
石橋 純一(いしばし じゅんいち、1939年1月13日 - … 石橋 純一(いしばし じゅんいち、1939年1月13日 - )は、元NHKアナウンサー。東京都出身。東京都立芝商業高等学校、明治大学出身。松山局で定年退職し、そのまま嘱託職となった。
長岡 一也(ながおか かずや、1939年1月2日 - )は、… 長岡 一也(ながおか かずや、1939年1月2日 - )は、フリーアナウンサー・競馬ジャーナリスト。 旧満州東北部・奉天生まれ。父は飛行機のエンジン設計のエンジニアで、満州飛行機に勤務していた。日本へ脱出するための船が停泊する上海に向かう途中の列車の中で、終戦を迎えた。小学4年から6年にNHKラジオの番組で、児童合唱団の一員として3年間活動した。武蔵中学校・高等学校、千葉大学文理学部を経て、1961年に日本短波放送(現在の日経ラジオ社、愛称はラジオNIKKEI)へ入社した。当初はプロ野球志望であったが、アナウンサーとして主に中央競馬実況中継を担当し、1962年1月の東京開催でデビューした。GI級レース・八大競走初実況は1963年の桜花賞(勝馬:ミスマサコ)で、実況中に解説の大川慶次郎は「ミスマサコ!ミスマサコ!」と叫んだ。
鈴木 紘夫(すずき ひろお、1939年 -2022年12月1… 鈴木 紘夫(すずき ひろお、1939年 -2022年12月17日 )は、関西テレビ放送の元アナウンサー。 大阪府出身。甲南大学卒業後、1962年関西テレビにアナウンサーとして入社。同期は塩田利幸と杉本清。 主に「ハイ!土曜日です」のアシスタントや「奥さまリビング」のメイン司会を担当した。のちにテレビ宮崎へ出向し、1982年から1983年にかけて「UMKニュースレポート」のメインニュースキャスターを務めた。関西テレビを退職後、甲子園大学でマスコミ論やジャーナリズム論などを担当。現在はFM宝塚番組審議委員長を務めている。
乾 浩明(いぬい ひろあき、1938年〈昭和13年〉11月2… 乾 浩明(いぬい ひろあき、1938年〈昭和13年〉11月2日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ナレーター、実業家。奈良県北葛城郡王寺町在住。
岩佐 徹(いわさ とおる、1938年9月28日 - )は、フ… 岩佐 徹(いわさ とおる、1938年9月28日 - )は、フジテレビ・WOWOWの元アナウンサー。
棟方 宏一(むなかた こういち、1938年7月13日 - 2… 棟方 宏一(むなかた こういち、1938年7月13日 - 2019年2月11日)は、日本のアナウンサー(NETテレビ・テレビ朝日→フリー)。またテレビ朝日アスクの講師を歴任した。秋田県大曲市出身。 報道・ワイドショー番組
三宅 定雄(みやけ さだお、1938年5月27日 - 202… 三宅 定雄(みやけ さだお、1938年5月27日 - 2021年8月1日)は、元・毎日放送アナウンサー。 東京都の出身で、早稲田実業学校高等部から立教大学社会学部へ進学。高校生時代に所属していた硬式野球部では、控え投手ながら、醍醐猛夫や徳武定之、さらに2年後輩の王貞治ともチームメートだった。また、大学生時代は、ラグビー部に所属していた。 大学卒業後の1961年に、アナウンサーとして毎日放送(MBS)へ入社。入社後は主に、プロ野球(NPB)、選抜高校野球、全国高校ラグビー大会などのスポーツ中継で実況やリポートを担当していた。 NPBの公式戦中継では、MBSの放送対象地域(関西地方)から阪神タイガースと南海ホークスが進出した1964年の日本シリーズ(いわゆる「御堂筋シリーズ」)で、入社4年目ながら10月6日に大阪球場(南海の本拠地)で開催された第5戦でラジオ中継(出身地の関東地方ではニッポン放送で同時ネット)の実況を任された。
豊原 ミツ子(とよはら みつこ、1938年5月19日 - )… 豊原 ミツ子(とよはら みつこ、1938年5月19日 - )は、日本のエッセイスト、フリーアナウンサー。有限会社吉田企画に所属している。大阪府大阪市都島区出身。
樋口 忠正(ひぐち ただまさ、1938年2月20日 - )は… 樋口 忠正(ひぐち ただまさ、1938年2月20日 - )は、元ラジオ日本アナウンサーであり、現在はフリーアナウンサーである。東京都杉並区出身。早稲田大学商学部卒業。 1961年に当時のラジオ関東に入社。当初はプロ野球中継の担当が中心だった。その翌年には早くもプロ野球中継の実況を担当することになり、「史上最年少のプロ野球実況アナが誕生」ということで話題となる。しかし、自分の声質やテンポはスポーツに向いていないと感じ、わずか3年で自らプロ野球の実況から離れた。その後、競馬人気の高まりと共に1968年頃から競馬関連の番組を手伝うようになり、1970年から『ラジオ日本 土曜・日曜競馬実況中継』の司会進行および実況を担当。
鈴木 史朗(すずき しろう、1938年〈昭和13年〉2月10… 鈴木 史朗(すずき しろう、1938年〈昭和13年〉2月10日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント。元TBSアナウンサー。 本名は同じだが、TBS在職当時より冒頭表記と「鈴木 史郎」表記の両方が見られる。 京都府京都市北区、上賀茂神社の社家、神社を守護する武士の家系の出身。父親が日中貿易会社を設立し、幼少期は仕事関係から中国大陸で暮らす。第二次世界大戦の終戦後は、父親が無実のスパイ容疑をかけられ中国政府に拘束、強権的に財産没収を受ける。そのため母親と妹2人の4人で日本へ引き揚げることとなり、北京から天津の港まで約120kmを徒歩で移動したという。佐世保に着いた時、黄砂で空も空気も黄色く濁っていた中国に比べて、日本は「こんなにもきれいな国があるのか。
舟橋 慶一(ふなばし けいいち、1938年(昭和13年)2月… 舟橋 慶一(ふなばし けいいち、1938年(昭和13年)2月6日 - )は、元日本教育テレビ・テレビ朝日のアナウンサー。特定非営利活動法人エコです環境応援団副理事長。環境省認定環境カウンセラー。現在「自然との共生塾」「伝承の会・語り部塾」「伝承の会・闘魂語り部塾(燃える闘魂アントニオ猪木を語り継ぐために)」を主宰。 東京都出身。早稲田大学第一商学部卒業。 1962年、日本教育テレビ(NET)に入社。テレビアナウンサーとしてスポーツ中継、報道番組、ドキュメンタリーなどを担当。 スポーツ放送ではアマチュアスポーツからプロスポーツの実況まで幅広く活躍した。特にプロレスリング実況では、解説の桜井康雄(東京スポーツ)とコンビを組み、日本プロレス~草創期の新日本プロレスの激戦の語り部としてその名を知られている。
永井 多恵子(ながい たえこ、旧姓:高島、1938年1月30… 永井 多恵子(ながい たえこ、旧姓:高島、1938年1月30日 - )は、公益財団法人せたがや文化財団理事長で、元NHK役職員(アナウンサー、解説委員、副会長を歴任)。 東京都出身。日本女子大学附属高等学校、早稲田大学第一文学部を卒業後、1960年NHKにアナウンサーとして入局。以来ずっと東京アナウンス室に在籍し、経済番組の司会など主として報道番組を担当。1980年、アナウンス現場を離れ解説委員室に異動。女性問題や文化・教育問題にスポットを当てた解説や番組の制作に携わった。 1990年、当時の浦和放送局長に就任。NHK史上初の女性局長であった。3年務めた後解説委員室に復帰し、1995年にNHKを役職定年で退職した。
宮崎 絢子(みやざき あやこ、1938年 - )は、日本のア… 宮崎 絢子(みやざき あやこ、1938年 - )は、日本のアナウンサー、ボイスコンサルタント、ボイストレーナー。 東京都出身。東京女子大学文学部卒業。 1961年、中部日本放送へ入社。1964年に開局時の東京12チャンネル(現・テレビ東京)へ移籍。1998年、テレビ東京を定年退職、フリーに。 東京女子大学文学部卒業後、1961年にCBCへ入社。1964年開局の東京12チャンネル(現・テレビ東京)へ、同じくCBCから島田良夫アナとともに移籍。パーソナリティー室所属アナウンサーとして、報道番組を中心に、教養番組、経済番組等多数を担当。女性ニュースキャスターの草分け。その後、報道局部長兼プロデューサーとして、報道番組、気象情報番組等を担当。
佐々木 謙介(ささき けんすけ、1938年 - )は、日本の… 佐々木 謙介(ささき けんすけ、1938年 - )は、日本のフリーアナウンサー、ラジオパーソナリティー。現在は福岡県福岡市に在住している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
松林 尚(まつばやし ひさし、1938年 - 2024年12… 松林 尚(まつばやし ひさし、1938年 - 2024年12月26日)は、元テレビ朝日アナウンサー、アナウンス部長、國學院大學評議員、日本会議世田谷・目黒支部、副支部長。 國學院大學文学部卒業。日本教育テレビ(現・テレビ朝日)入社。アナウンサー・キャスターを務め、ニュース番組、スポーツ中継等を担当し、テレビ朝日アナウンス部長も歴任。 近年では元アナウンサーである経験を活かし、「正しい日本語」「美しい日本語」に関する講演活動を行っていた。 2024年12月26日に死去。86歳没。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1937年12月23日 -… 浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1937年12月23日 - 2024年6月)は、日本テレビ放送網、アール・エフ・ラジオ日本(RFラジオ日本)アナウンサー。東京プロ野球記者OBクラブ会員。東京都出身。都立西高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。 1962年(昭和37年)に早大を卒業し、日本テレビへ入社。日本テレビ時代には主としてプロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)戦を中心としたスポーツ放送を担当。プロ野球では、1977年9月3日の巨人対ヤクルトスワローズ戦で、王貞治選手(巨人)が放った通算756号本塁打(当時世界新記録)の実況を担当した(但し、生放送できず)。この他にも実況した名シーンは数多く、以下に挙げる試合にも立ち会っている。
古屋 明信(ふるや あきのぶ 、1937年11月3日 - )… 古屋 明信(ふるや あきのぶ 、1937年11月3日 - )は、元NHKのエグゼクティブアナウンサー。現在はNHK放送研修センター・日本語センター所属。 出生地は中国・上海。東京都立千歳高等学校、早稲田大学卒業。1962年にアナウンサーとしてNHKに入局。宮崎→金沢→福岡→名古屋の各局を歴任し、1982年から東京放送センター勤務。現役時代は主にスポーツ中継を担当、落ち着いたトーンで今の絶叫型アナウンサーの対極にある名アナウンサーだった。また、NHKテレビ最初のスポーツニュース番組を担当したアナウンサーのひとりである。 定年後はBS・ラジオのニュース番組(ラジオ放送の場合、深夜帯ではラジオ深夜便内の定時ニュース。
新村 尚久(にいむら なおひさ、1937年10月2日 - )… 新村 尚久(にいむら なおひさ、1937年10月2日 - )は、TBSアナウンサー。東京都出身。中央大学文学部卒業。身長161cm。血液型O型。 1961年4月、TBSへアナウンサー第7期生として入社。主にスポーツアナウンサーとして、プロ野球、ボクシング・プロレスなどの格闘技、サッカーなどの中継を担当していた。また、1989年1月7日には、昭和天皇の崩御第一報を伝えた。在職晩年には業務担当デスクも務めていた。1997年10月に定年。 定年後はTBSアナウンススクールの特別講師を務めている。
五木田 武信(ごきた たけのぶ、1937年10月1日 - 2… 五木田 武信(ごきた たけのぶ、1937年10月1日 - 2008年8月)は、日本のアナウンサー。NHKを経て民放でフリーアナウンサーとして活動した。TBSによる大物アナウンサーの引き抜きの草分け的存在である。 東京府(現在の東京都)出身。明治大学商学部卒業後の1960年、NHKにアナウンサーとして入職した。報道番組を中心に出演したが、NHKのど自慢の司会者を担当していたこともあった。 1972年にNHKを退職し、フリーアナウンサーに転向すると共に自らの事務所であるオフィスキャラバンを立ち上げる。 1970年代後半に一世を風靡したTBSの朝番組「おはよう720」・「おはよう700」でキャスターを務め、見城美枝子とともに人気を博す。
太田 真一(おおた しんいち、1937年9月 - )は、元日… 太田 真一(おおた しんいち、1937年9月 - )は、元日本放送協会(NHK)、テレビ朝日のアナウンサーである。早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。アメリカ野球学会会員。日本スポーツ経営学会会員。東京都出身。
小林 皓正(こばやし こうせい、1937年8月21日 - )… 小林 皓正(こばやし こうせい、1937年8月21日 - )は、福島県会津出身のフリーアナウンサー。 神代高校卒業後の1956年に中央大学法学部へ進学し、在学中は読売新聞で昼間アルバイトをしながら夜間通学していた。 大学卒業後の1960年に日本短波放送へアナウンサーとして入社するが、大学を夜間通学していたため「それなら、昼間は会社へ」と、4か月早くから出社していた。月曜日から土曜日までの午前中は先輩からアナウンスの講習を受け、時には兜町の東京証券取引所へ、株の値読みの放送をしに出かけたりしていた。ある時に、競馬放送をしている先輩アナウンサーに「競馬場に来ないか」と声をかけられたのがきっかけで、土曜日は午後、日曜日は朝から競馬場に行くようになった。
島田 良夫(しまだ よしお、1937年7月23日 - )は、… 島田 良夫(しまだ よしお、1937年7月23日 - )は、日本の男性アナウンサー。東京都新宿区出身。東京教育大学卒業。中部日本放送を退社後、テレビ東京に入社。その後、同社を定年退職。 テレビ東京時代、2003年3月まで31年間続いた「早指し将棋選手権」・「早指し新鋭戦」(プロ将棋の公式棋戦)の司会を、初年度から最終年度まで務め上げた。最後の6年間は、定年退職後での司会である。番組冒頭での定番の台詞は、「テレビ将棋対局の時間でございます。朝のひとときを早指し将棋でお楽しみください。」である。 将棋大賞の選考委員も務め、選考会議におけるやりとりの様子は「将棋世界」誌に掲載された。 2008年、70歳のときに、第15回「大山康晴賞」を日本将棋連盟から授与された。
秋山 隆(あきやま たかし、1937年7月4日 - 2025… 秋山 隆(あきやま たかし、1937年7月4日 - 2025年12月29日)は、元NHKアナウンサー。 東京府出身。東京都立小山台高等学校、早稲田大学卒業。1962年にNHKへ入局。 現職時代は佐賀、名古屋、東京アナウンス室などで勤務した。佐賀時代は放送部アナウンス担当副部長として、山本哲也を指導。鉄道好きらしく(鉄道ピクトリアルに執筆経験有り)、ラジオ深夜便では自身の担当回に放送されるコーナー「深夜便アーカイブス」において駅の様子や車両の走行音を取り上げたり、リスナーから寄せられた鉄道に関する投稿を紹介したこともある。後年は日本語センターに所属して後進の育成に努め、朗読講座などを受け持っていた。
八代 英太(やしろ えいた、1937年〈昭和12年〉6月2日… 八代 英太(やしろ えいた、1937年〈昭和12年〉6月2日 - )は、日本の政治家、元アナウンサー、タレント、大学教授である。本名は前島 英三郎(まえじま えいざぶろう)。 郵政大臣(第65・66代)、参議院議員(3期)、衆議院議員(3期)を歴任。 山梨県東八代郡八代町(現:笛吹市)に生まれる。山梨県立石和高等学校(現:笛吹高等学校)卒業後、1957年 ラジオ山梨(1961年から山梨放送)にアナウンサーとして入社。1968年より日本テレビ『お昼のワイドショー』に中山千夏と共に司会者として加入。 1973年6月3日 愛知県刈谷市の市民会館で行われた畠山みどりの歌謡ショーの司会として出演。ものまねを始めようとマイクから後ずさりした際、せり舞台の穴(奈落)に転落。
尾崎 千秋(おざき ちあき、男性、1937年〈昭和12年〉6… 尾崎 千秋(おざき ちあき、男性、1937年〈昭和12年〉6月2日 - )は元京都放送・ラジオ大阪アナウンサー・フリーアナウンサー・ラジオパーソナリティー。 京都府京都市出身。1960年同志社大学卒業後にKBS京都に入社、その後ラジオ大阪に移籍し、数々の番組に出演する。その後フリーとなり、大阪樟蔭女子大学で講師を務めた。声質が横山ノックに似ている。若かりし頃の愛称は「チータン」。京都学園大学人間文化学部文化コミュニケーション学科でアナウンス論の講師を勤めていた
藤林 英雄(ふじばやし ひでお、1937年3月31日 - )… 藤林 英雄(ふじばやし ひでお、1937年3月31日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、ニュースキャスター、テレビプロデューサー。東京府(のちの東京都)出身。学習院大学政経学部卒業。 1961年4月にTBSへアナウンサー7期生として入社。1963年11月1日、アナウンサーの報道局への大量異動が行われ、同ニュース部に配属。1965年12月よりニュース取材部へ配属。1967年11月15日より、アナウンサー研修室設置に伴い報道局ラジオニュース部勤務兼アナウンサー研修室付となった。アナウンサーとしては、主にニュースを担当。 1970年7月にテレビ本部報道局ラジオニュース部配属となる。以降、1972年11月よりテレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部、1974年3月より報道局編集部兼解説室委員、1986年7月より政経部に在籍し、その間報道記者・ニュースキャスター(1975年より)を務めた。
杉本 清(すぎもと きよし、1937年2月19日 - )は、… 杉本 清(すぎもと きよし、1937年2月19日 - )は、奈良県大和高田市出身のフリーアナウンサー・競馬ジャーナリスト。元関西テレビアナウンサーで、長年、中央競馬の実況中継を担当したことで知られる。現在はアライバル所属。関西放送記者クラブ会友。血液型はB型。 少年時代の夢はプロ野球選手であった。奈良県立高田高等学校在学中は野球部に所属していたが、猛特訓を受けた反動でスポーツ性の腎機能障害を患ってしまい、このことがきっかけで運動制限がかかってしまい、野球を断念する。この頃からラジオのナイター中継を聴いているうちに、プレーをしている選手よりも実況しているアナウンサーに興味が移っていった。 高校卒業後は関西学院大学法学部へ進学し、在学中の1960年に知人のツテを頼って関西テレビにアルバイトとして入社。
吉田 勝彦(よしだ かつひこ、1937年2月14日 - )は… 吉田 勝彦(よしだ かつひこ、1937年2月14日 - )は日本の競馬実況アナウンサー。園田競馬場と姫路競馬場で競馬実況を担当している。ダート・プロダクション代表、元弘報館所属。
今井 登茂子(いまい ともこ、1937年1月27日 - )は… 今井 登茂子(いまい ともこ、1937年1月27日 - )は、日本のアナウンサーである。 別名義、今井 とも子。 東京都杉並区出身。TJコミュニケーションズ「ともこ塾」代表。TBSアナウンサー第6期生。立教大学文学部史学科卒業。 父親が満洲に行っている7歳の時に母親が死去、一時は孤児となる。父親が再婚、継母に育てられ早いうちから自立を考え、アナウンサーになることを考える。大学では放送研究会ではなく合唱団に所属した。 1959年4月、TBSにアナウンサー第6期生として入社(同期には池田孝一郎・石井智・川野昌宏・里見恭夫・新堀俊明・土屋統督・藤田和弘・料治直矢・相場君子・加藤かな子・加藤珪子・土井誉子・蛭田玲子)、初代お天気お姉さんとして視聴者から親しまれる。
後藤 紀夫(ごとう のりお、1937年(昭和12年)1月22… 後藤 紀夫(ごとう のりお、1937年(昭和12年)1月22日 - )は、中部日本放送の元アナウンサー。 神奈川県出身で神奈川県立横浜翠嵐高等学校から早稲田大学卒業。主に1960年代〜1990年代にかけて、スポーツ中継を中心に活躍した。 『伝説の野球ティーム バンクーバー朝日物語』 岩波書店、2010年3月 ISBN 4000244558
石橋 省三(いしばし しょうぞう、1937年1月4日 - )… 石橋 省三(いしばし しょうぞう、1937年1月4日 - )は、元NHKアナウンサー。現在は相撲評論家。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
日野 直子(ひの なおこ、1937年(昭和12年)-)は元N… 日野 直子(ひの なおこ、1937年(昭和12年)-)は元NHKのアナウンサー、現在は特定非営利活動法人おおいた豊後ルネサンス理事長。大分県出身。早稲田大学卒業。 NHK時代は『夢のハーモニー』など音楽番組を中心に担当。また1971年にNHK退職後もフリーアナウンサーとして『ラジオ深夜便』のアンカーのほか、FM放送の長寿番組『あさのバロック(現古楽の楽しみ)』のMCを1990年から10年間担当した。 2006年、フランシスコ・ザビエル生誕500年を記念して、日野の故郷であり日本の西洋音楽発祥の地である大分でグレゴリオ聖歌隊のスコラ・アンティカなどを招き開催する音楽祭のプロデューサーを務めた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
吉岡 晋也(よしおか しんや、1936年12月30日 - 2… 吉岡 晋也(よしおか しんや、1936年12月30日 - 2005年12月31日)は、日本のアナウンサー。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
前田 正二(まえだ まさじ、1936年11月4日 - 201… 前田 正二(まえだ まさじ、1936年11月4日 - 2016年3月8日)は、東京都出身の元IBC岩手放送チーフアナウンサー。
立子山 博恒(たつこやま ひろつね、1936年10月10日 … 立子山 博恒(たつこやま ひろつね、1936年10月10日 ‐ 2006年12月11日)は、日本のアナウンサー。日本放送協会 (NHK)に所属した。 東京都出身。早稲田高等学校、立教大学を卒業後、1959年に入局する。[要出典] バラエティ番組などを多く担当した。 1970年代初めに福岡放送局に勤務、その後管理職に昇格して、1975年頃は室蘭放送局で放送部副部長を務め、新人時代の川端義明を指導した。
小六 英介(ころく えいすけ、1936年(昭和11年)8月2… 小六 英介(ころく えいすけ、1936年(昭和11年)8月21日 - 2012年(平成24年))は、元NHKアナウンサー、元愛知学泉大学教授。 大阪府出身、父は大相撲の元関脇であった磐石熊太郎(本名は小六熊雄)。早稲田大学教育学部を卒業後、1960年(昭和35年)にNHK入局。『FMリクエストアワー』を担当時のニックネームは「お馬さん」。アナウンサーとして各地の放送局を歴任する傍ら、看護に興味を持つ。NHKを離れた後は、愛知学泉大学の教授を2006年(平成18年)まで務めた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
久保 晴生(くぼ はるお、1936年7月18日 - )は、日… 久保 晴生(くぼ はるお、1936年7月18日 - )は、日本テレビ放送網の元アナウンサー、日テレ学院スーパーバイザー。旧・満洲奉天市出身。愛称は、晴さん。 早稲田大学卒業後、1960年、日本テレビにアナウンサーとして入社。同期は久能靖らがいる。 元NHKでフリーアナウンサーの久保純子は長女。 バラエティ・中継担当番組・その他 金原二郎1969年以前-1982以後 / 赤木孝男1985前後 / 久保晴生1987-1990 / 今井昌彦1990-1992 / 長浜幸郎1992-1993 / 舛方勝宏1993-1997.5 / 石川牧子1997.6-2001.6 / 倉増吉継2001.5-2003.5 / 笹尾光2003.6-? / 福田泰久?-2007.3 / 大澤雅彦2007.4-2010.6 / 鷹西美佳2010.7-2010.11 / 木村優子2010.12-2014.5 / 鈴木雅人2014.6-2015.5 / 村山喜彦2015.6-2019.5/伊東修2019.6-2022.6/今井田彩2022.7-
及川 甲子男(おいかわ きねお、1936年6月29日 - 2… 及川 甲子男(おいかわ きねお、1936年6月29日 - 2012年6月9日 )は、日本のアナウンサー。元NHKアナウンサー。1970年代の初頭、当時まだ日本国内で知る人が少なかったオーストラリアについて紹介した『メルボルン・ノート』の著者としても知られる。 千葉県香取市(旧佐原市)生まれ。野球と真空管ラジオ製作に夢中で、お祭りが大好きな子供だった。高校時代には、当時英語の教師であった猿谷要(東京女子大名誉教授・アメリカ史)と出会い、生涯交流を続けた。 1959年3月早稲田大学政治経済学部卒、早稲田大学大学院商学研究科中退の後、1959年7月にNHK(日本放送協会)に入局し、以後、鳥取(1959年11月〜62年8月)、福岡(1962年8月〜66年2月)、東京(1966年2月〜71年2月)において、報道、ドキュメンタリー、科学の番組に出演した。
山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日… 山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日本のアナウンサー。
山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日… 山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日本のアナウンサー。 東京府東京市浅草区駒形町(後の東京都台東区)出身。浪曲師の広沢虎造(2代目)の次男。趣味はゴルフ。早稲田大学第一文学部 卒業。 1959年、NHKにアナウンサーとして入局。元々は落語家を志望しており、大学卒業後に弟子入りする師匠が決まっていたが、当時 所属していた放送研究会の仲間と試しに受けたNHKの試験に合格。師匠からも安定した職に就くことを勧められたため、アナウンサーの道へ進んだ。 NHK佐賀放送局で勤務の後、1960年3月、ラジオ東京(後の東京放送 → 東京放送ホールディングス → TBSホールディングス、以下TBS)に中途経験者採用により移籍。
久能 靖(くのう やすし、1936年2月13日 - )は、日… 久能 靖(くのう やすし、1936年2月13日 - )は、日本のジャーナリスト、アナウンサー。 元日本テレビアナウンサー、同局専属ニュースキャスター。千葉県出身。妻は元宝塚歌劇団の女優の久美かおる。 少年時代を長野県北信地域で過ごす。神奈川県立小田原高等学校、東京大学文学部卒業後、1960年、アナウンサーとして日本テレビへ入社、ニュース、スポーツ、舞台中継などを担当。同期に久保晴生・宮尾俊輔がいる。 1972年、連合赤軍あさま山荘事件では長時間にわたって実況報道を担当した。事件報道を機に報道部へ異動を志願し、記者に転じる。 1988年9月19日、「昭和天皇重体」の一報を聞きつけ、報道局に詰めて取材にあたる。
野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年〈昭和11年〉1月24… 野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年〈昭和11年〉1月24日 - 2017年〈平成29年〉6月13日)は、日本の女優・アナウンサー・司会者・歌手・ナレーター・声優。特技は英語・フランス語。最後の所属事務所はラヴァンス。本名は同じ。 石川県河北郡津幡町で生まれ、富山県富山市で育ち、3歳から東京都杉並区天沼で育った。杉並区立杉並第五小学校、立教女学院中学校・高等学校、立教大学文学部英米文学科卒業。大学時代は初代ミス立教に選ばれ、ESSの英語劇セクションと劇団テアトルジュンヌに所属し、四大学英語劇大会など数々の作品に出演。大学時代の同期には俳優の高橋悦史、元プロ野球選手の杉浦忠や長嶋茂雄、アナウンサーの政田一喜や押阪忍がいる。
深澤 弘(ふかさわ ひろし、1936年1月2日 - 2021… 深澤 弘(ふかさわ ひろし、1936年1月2日 - 2021年9月8日)は、日本のフリーアナウンサー、スポーツコメンテーター。 元ニッポン放送アナウンサーで、ディレクTV取締役、新潟県民エフエム放送(FM PORT)東京支社長、音響芸術専門学校講師を務めた。 神奈川県川崎市出身。 高輪高等学校を経て早稲田大学卒業後、1958年東北放送にアナウンサーとして入社。1964年の東京オリンピック開催にともないスポーツ実況アナウンサーが不足することからニッポン放送にスカウトされ、同年移籍した。 プロ野球中継は1970年代後半から1990年代にかけて、『ニッポン放送ショウアップナイター』のメイン実況アナウンサーとして1,600試合以上実況アナウンスを担当した他、各種スポーツ中継(中央競馬、ボクシングなど)も実況を担当した。