志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は… 志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は、日本文学研究者、文芸評論家、相模女子大学名誉教授。 北海道深川市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業。立教大学大学院日本文学専攻博士課程満期退学。1966年、立教高校教諭。梅光女学院大学助教授、1978年相模女子大学助教授、教授、2006年定年、名誉教授。
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志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は… 志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は、日本文学研究者、文芸評論家、相模女子大学名誉教授。 北海道深川市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業。立教大学大学院日本文学専攻博士課程満期退学。1966年、立教高校教諭。梅光女学院大学助教授、1978年相模女子大学助教授、教授、2006年定年、名誉教授。
毛利 信男(もうりのぶお、1941年1月18日 - )は、日… 毛利 信男(もうりのぶお、1941年1月18日 - )は、日本の物理学者。北海道余市郡余市町出身。弟は宇宙飛行士の毛利衛。 ソ連の人工衛星、スプートニクのブームで科学に興味を持つ。望遠鏡を自作して弟の毛利衛などと星をながめるなどして、衛に幼少期から最も多大な影響を与えた一人である。
横路 孝弘(よこみち たかひろ、1941年〈昭和16年〉1月… 横路 孝弘(よこみち たかひろ、1941年〈昭和16年〉1月3日 - 2023年〈令和5年〉2月2日)は、日本の政治家、弁護士。 衆議院議員(通算12期)、北海道知事(公選第10・11・12代)、衆議院議長(第73代)、衆議院副議長(第63代)、民主党総務会長を歴任。父は元日本社会党衆議院議員の横路節雄。 北海道札幌市で次男として生まれる。父・節雄は教員で、後に日本社会党で北海道議会議員、衆議院議員を務めた。母・美喜は経済学者の野呂栄太郎の妹である。札幌市立二条小学校を卒業。中学生時代に交通事故に遭い療養生活を余儀なくされ、4年かけて16歳で札幌市立啓明中学校を卒業する。北海道札幌西高等学校に入学するが、1年生の2学期から東京都立九段高等学校に転校し、同校を卒業。
高松 潤一郎(たかまつ じゅんいちろう、1941年 - )は… 高松 潤一郎(たかまつ じゅんいちろう、1941年 - )は、日本の油彩画家。 北海道小樽出身。1960年に東京都立豊島高等学校を卒業し、1964年に立教大学理学部数学科を中退。 以後、油彩で幻想絵画を描き続けている。親が早くに死去したため、母親の弟である映画俳優の室田日出男と長く一緒に生活した。
角田 幸彦(かくた ゆきひこ、1941年 - )は、日本の哲… 角田 幸彦(かくた ゆきひこ、1941年 - )は、日本の哲学者、明治大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1962年東京教育大学文学部哲学科卒業。同大学院博士課程満期退学。1983-84年西ドイツ・テュービンゲン大学で哲学・西洋古典文献学を学ぶ。1997年マールブルク大学で西洋古典文献学研究。明治大学農学部講師、助教授、教授、1993年「アリストテレスにおける神と理性」で筑波大学文学博士、2007年「キケローにおける哲学と政治 ローマ精神史の中点」で早稲田大学政治学博士。2012年定年退任、名誉教授。
樋口 雅山房(ひぐち がざんぼう、1941年-)は、日本の書… 樋口 雅山房(ひぐち がざんぼう、1941年-)は、日本の書家。北海道出身。前衛的な書道作品を手がけ、多数の文字デザインやアーティストとのコラボレーションによる創作活動を行う現代書家である。札幌市白石区在住。 1941年北海道に生まれる。家は薬屋を営んでいた。書道を習い始めたのは小学1年生の時である。小学生時代は、毎日のように書道展や美術展に通い詰めて過ごした。1957年、北海道札幌東高等学校に入学し、書道部で加納守拙に師事した。前衛的な書を指導していた加納守拙との出会いは、後生まで大きな影響を及ぼすこととなった。また、同じ書道部には阿部典英が在籍していた。この頃、井上有一の作品に出会ったことで、京都で結成された書の前衛派による墨人会に興味をもち、修学旅行で京都を訪れた際、墨人会のリーダーであった森田子龍を訊ねている。
草原 克豪(くさはら かつひで、1941年 - )は、日本の… 草原 克豪(くさはら かつひで、1941年 - )は、日本の研究者。元文部官僚。拓殖大学名誉教授。専門は新渡戸稲造研究、文教政策。所属学会は日本高等教育学会。 北海道深川市生まれ。拓殖大学北海道短期大学学長・教授、拓殖大学外国語学部教授・副学長を歴任。妻は草原真知子。
笹岡 征雄(ささおか まさお、1941年 - )は、日本のス… 笹岡 征雄(ささおか まさお、1941年 - )は、日本のスポーツ研究者。札幌学院大学名誉教授。専門分野はスポーツ、運動処方論、日本スポーツ史、北海道スポーツ史。 出典:(笹岡征雄教授略歴・主要業績目録)による。 1975年7月26日、笹岡指導の下、当時の札幌短期大学の女子学生ら6人が、日本陸上競技連盟公認コースとして網走市役所から大空町までの区間を42195キロ完走し、女子初のフルマラソンとして記録された。
梅原 一剛(うめはら いちごう、1940年12月13日 - … 梅原 一剛(うめはら いちごう、1940年12月13日 - )は、日本の実業家。東急ホテルズ代表取締役社長や、ザ・キャピトルホテル東急代表取締役社長、国際ホテル・レストラン協会(IHRA)副会長などを務めた。 北海道函館市出身。1965年横浜国立大学経済学部卒業、東京急行電鉄入社。アメリカ合衆国での開発にあたり、ワシントン大学研究員、ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス研究員等を経て、1995年パン・パシフィック・ホテル・アンド・リゾーツプライベートリミテッド取締役社長に就任。1999年東京急行電鉄取締役調査役に昇格。2005年東急ホテルズ代表取締役社長。2008年東急ホテルズ取締役会長。
浜本 孝久(はまもと たかひさ、1940年12月5日- )は… 浜本 孝久(はまもと たかひさ、1940年12月5日- )は、日本の経営者。北海道テレビ放送社長、会長を務めた。北海道旭川市出身。 1964年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に朝日広告通信社に入社した。1969年3月に北海道テレビ放送に転じ、1992年6月に取締役に就任し、1996年6月に常務を経て、1999年6月に社長に就任。2005年6月に会長に就任し、2006年6月に取締役相談役を経て、2007年6月には相談役に就任。 2012年11月に旭日小綬章を受章した。
渡辺 長武(わたなべ おさむ、1940年10月21日 - 2… 渡辺 長武(わたなべ おさむ、1940年10月21日 - 2022年10月1日)は、日本のレスリング選手。1964年東京オリンピックレスリングフリースタイルフェザー級金メダリスト。北海道上川郡和寒町出身。「アニマル」の異名を持つ。 日本レスリング史上最強と言われる選手のひとり。 石材商の家に生まれ育ち、幼少時には石の積み卸しの手伝いをしたという。父は草相撲の力士も務め、渡辺の名前を「武運長久」から命名したが、渡辺の幼少時に過労からリウマチを発症して病床に伏した。その後は母が豆腐店を始め、豆を石臼で挽くことが渡辺の日課となった。これで腕力が鍛えられたという。 力士に憧れがあったが体格が小さかったため、体重制のレスリングに着目して北海道士別高等学校時代に取り組み始める。
栗坪 良樹(くりつぼ よしき、1940年10月13日 - 2… 栗坪 良樹(くりつぼ よしき、1940年10月13日 - 2021年3月30日)は、日本近代文学研究者。青山学院女子短期大学名誉教授。 満洲国奉天市生まれ。北海道月形高等学校、早稲田大学教育学部卒。同大学院修士課程修了、麻布中学校・高等学校教師の後、青山学院女子短期大学教授、1990-1998年学長を務める。2011年定年、名誉教授。河出書房新社『定本横光利一全集』、岩波講座『日本文学史』、岩波書店『阿部昭集』等の編集に携わる。 2021年3月30日、心臓病のため死去。80歳没。
石井 郁子(いしい いくこ、1940年10月10日 - )は… 石井 郁子(いしい いくこ、1940年10月10日 - )は、日本の政治家・教育学者。日本共産党名誉役員。元衆議院議員(5期)、党中央委員会幹部会副委員長、常任幹部会委員、北京オリンピックを支援する議員の会メンバー。
星加 ルミ子(ほしか ルミこ、1940年9月10日 - )は… 星加 ルミ子(ほしか ルミこ、1940年9月10日 - )は、日本の音楽評論家。北海道赤平市出身。1965年から1975年まで、音楽雑誌『ミュージック・ライフ』の編集長を務める。1965年に日本人ジャーナリスト初のビートルズとの単独会見を成功させた。ビートルズに最も近いジャーナリストとして知られている。 1940年9月10日、北海道札幌市に生まれ、赤平市で育つ。小学4年生の時に父親の転勤で、青森県八戸市に転居。6年生の時からFNSのアメリカのポピュラー・ソングを聴くようになり、青森県立八戸高等学校に通学していた16歳の時、エルヴィス・プレスリーの曲を聴いて衝撃を受ける。高校2年生の時に母親が死去。
大平 義博 (おおひら よしひろ、1940年9月9日 - )… 大平 義博 (おおひら よしひろ、1940年9月9日 - )は、日本のアルペンスキーヤーである。 北海道出身。彼は、オーストリアのチロル州インスブルックで開催された1964年冬季オリンピックに出場した。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
五十嵐紀男(いがらしのりお、1940年8月30日 - )は、… 五十嵐紀男(いがらしのりお、1940年8月30日 - )は、日本の検察官、公証人、弁護士。公安調査庁総務課長、東京地検特捜部長、最高検検事、千葉地検検事正、横浜地検検事正等を歴任した。 北海道稚内市生まれ。 北海道苫小牧東高等学校を経て、北海道大学法学部在学中に旧司法試験合格。大学卒業後、1965年東京地方検察庁検事。東京地方検察庁特別捜査部副部長(財政・経済担当)、公安調査庁総務部総務課長、最高裁判所司法研修所教官、東京地方検察庁総務部長等を歴任。 1991年から東京地方検察庁特別捜査部長を務め、金丸信自由民主党経世会会長を巡る東京佐川急便事件などを手掛けた。1993年最高検察庁検事。同年大分地方検察庁検事正。
清水 曙美(しみず あけみ、1940年7月23日 - 201… 清水 曙美(しみず あけみ、1940年7月23日 - 2012年2月21日)は、日本の脚本家。北海道旭川市出身。北海道学芸大学(現・北海道教育大学)卒業。 脚本家の西条道彦に師事。 1981年、東芝日曜劇場の単発ドラマ「妻と妻」(第1281回)で脚本家デビュー。以来、同時間枠をはじめ、各放送局の連続ドラマ、東海テレビ製作の昼ドラを数多く執筆した。また、石井ふく子プロデュースの舞台脚本も手掛けた。 ワープロは一切使用せず、原稿は全て手書き。締切を落としたことは一度もなかった。 山崎豊子宅に「女系家族」の著作権許諾に伺った際、ビール(使用許可)を出された。 清水は夭折の詩人金子みすゞのドラマを2本執筆している。
松浦敬紀(まつうら たかのり、1940年7月5日 - )は、… 松浦敬紀(まつうら たかのり、1940年7月5日 - )は、日本の教育者。多摩大学経営情報学部名誉教授。専門は、経営組織論、職業論。
黒田 能弘(くろだ よしひろ、1940年6月15日 - )は… 黒田 能弘(くろだ よしひろ、1940年6月15日 - )は、日本の元プロ野球選手。北海道北見市生まれ。 北見北斗高卒業後の1959年に読売ジャイアンツ入団。2年目の1960年に初登板を果たすが、公式戦出場はその1試合に留まり、1961年オフに自由契約となる。1962年は同じく巨人を自由契約となった義原武敏とともに近鉄でに移籍するが、出場機会はなく、同年引退。 引退後はプロゴルファーに転向。1986年の北海道オープンに出場している。後に定山渓カントリークラブ(現:札幌南ゴルフクラブ駒丘コース)に勤務した。
大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月2… 大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町出身(出生地は樺太敷香郡敷香町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。第48代横綱。優勝32回(6連覇:2回)・45連勝などを記録した。昭和時代の大横綱。位階は正四位。本名は納谷 幸喜(なや こうき)、出生名はイヴァーン・マルキャノヴィチ・ボリシコ(Іван Маркіянович Боришко)で、ウクライナ人の父親を持つ。母親の再婚により住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていた時期もあった。 1940年(昭和15年)、ウクライナ人の元コサック騎兵将校、マルキャン・ボリシコの三男として、日本の領有下にあった南樺太の敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた。
清水 まゆみ(しみず まゆみ、1940年3月19日 - )は… 清水 まゆみ(しみず まゆみ、1940年3月19日 - )は、日本の女優。旧芸名は清水 マリ子、本名は小高 鞠子(おだかまりこ)。 北海道室蘭市出身。室蘭文化学園(現・北斗文化学園)中退。 1950年代後半から1960年代半ばまで日活全盛期に人気となり活躍、芦川いづみ、吉永小百合、浅丘ルリ子らと共に日活を代表する女優の名称である「日活パールライン」と呼ばれた女優の一人。 1957年、日活映画『月下の若武者』製作にあたり津川雅彦の共演者を探すオーディションに受かり、同作でデビュー。高校を2年で中退して上京、清水マリ子の芸名でデビューする。 1958年、石原裕次郎主演『紅の翼』で、清水まゆみに改名。
大久保 尚武(おおくぼ なおたけ、1940年3月16日 - … 大久保 尚武(おおくぼ なおたけ、1940年3月16日 - )は、積水化学工業相談役・元社長・会長。北海道出身。 北海道札幌南高等学校10期生。東京大学法学部卒業後、1962年同社に入社。1989年取締役、1993年常務取締役、1997年専務取締役、1999年1月に副社長、同年6月から代表取締役社長。2009年より代表取締役会長を経て、2017年現在・現職。 1960年ローマ五輪ボート競技、舵手付きフォア(4+)に出場した経歴を持ち(敗者復活戦敗退)、現在、公益社団法人日本ローイング協会(旧名:日本ボート協会)の会長を務める。 2021年4月の春の叙勲で旭日重光章受章。
村井 祐児(むらい ゆうじ、1940年3月13日 - 202… 村井 祐児(むらい ゆうじ、1940年3月13日 - 2025年4月7日)は、日本のクラリネット奏者。東京芸術大学名誉教授。日本音楽コンクール運営委員。 東京都出身。北海道札幌西高等学校から東京都立駒場高等学校を経て、1963年に東京芸術大学器楽科を卒業。三島勝輔、北爪利世に師事。 その後、東京交響楽団に入団。在団中に日独交換学生として、ドイツのデトモルト北西ドイツ音楽アカデミー(現デトモルト音楽大学)に留学。クラリネットをヨースト・ミハエルス、室内楽をヘルムート・ヴィンシャーマンに師事。1972年、同校にてソリスト試験を修める。日本ではヒンデミットのクラリネット協奏曲を東響定期にて日本初演している。
野上 正義(のがみ まさよし、1940年3月2日 - 201… 野上 正義(のがみ まさよし、1940年3月2日 - 2010年12月22日)は、日本の俳優、映画監督、脚本家。北海道白糠郡白糠村(現:白糠町)出身。愛称は「ガミさん」。息子はAV男優のトニー大木。 身長170cm。体重62kg。 北海道立釧路湖陵高校(現:北海道釧路湖陵高等学校)卒業。 NBK(日本文化協会)研究生を経て、劇団世代結成に参加。その後は青年プロ、東映、清野事務所に所属。 久保新二などの関係者からは「ガミさん」の愛称で親しまれていた。 一時期、読みを「のがみ せいぎ」としていた。 2010年12月22日、心不全のため死去。70歳没。
松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日… 松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日本の元スキージャンプ選手。 北海道小樽市出身。小樽潮陵高校-早稲田大学-羽幌炭鉱。 1960年のスコーバレーオリンピックに出場し30位。1962年のノルディックスキー世界選手権ザコパネ大会では65m級21位、90m級25位。同年のユニバーシアード冬季大会では5位入賞を果たした。
森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月2… 森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月25日 - )は、日本の作曲家、歌手。北海道留萌市出身。1970年代には作曲家として、作詞家の阿久悠、編曲家の馬飼野俊一と組むことが多かった。 北海道留萌高校を卒業後、会社勤めをするが1年で退社。日本大学芸術学部に入学、作曲を学んだ。1965年、コーラスグループ原トシハルとB&B7に参加。ピアノおよび作・編曲を担当。68年には森山良子に「愛する人に歌わせないで」を提供した。1969年、森田公一とトップギャランを結成。71年にデビュー曲「恋のグアム島」を発売。 1971年 日本テレビ系列のオーディション番組『スター誕生!』の審査員を務めた。
三箇 文夫(さんか ふみお、1940年2月25日 -)は、日… 三箇 文夫(さんか ふみお、1940年2月25日 -)は、日本の哲学者、倫理学者。学位は文学修士(日本大学大学院・1971年)。 1940年、北海道天塩町生まれ。1971年、日本大学大学院文学研究科哲学専攻博士前期課程修了。1988年、スペインのポンティフィシア・コミージャス大学(Univ.Pontefica Comillas)に留学。1990年、日本大学法学部教授に就任。1998年、日本大学法学部海外留学により、トルコのイスタンブール大学でアチックコーク先生、マルマラ大学でファフレッティン・オルグネル教授の下でファーラービーの研究を行う。 2010年、日本大学を定年退職。2011年より、同大学法学部、商学部、薬学部、通信教育部の非常勤講師を務める。
山内 恵子(やまうち けいこ、1940年2月20日 - )は… 山内 恵子(やまうち けいこ、1940年2月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。社会民主党北海道連合代表。 北海道帯広市生まれ。北海道学芸大学(現・北海道教育大学)札幌分校卒業。小学校教諭を経て、北海道教職員組合女性部長、日教組女性部長等を歴任。 2000年に行われた第42回衆議院議員総選挙に社会民主党公認で比例北海道ブロックから出馬し、初当選を果たす。議員在任中は文部科学委員会等に所属。ジェンダーフリー運動賛同派として活動し「夫婦茶碗は差別表現」と発言した。2003年の第43回衆議院議員総選挙では民主党との選挙協力により北海道第11区から重複立候補するも小選挙区では中川昭一に敗れ、社会民主党が比例議席を得られなかったため落選。
佐々木 英世(ささき ひでよ、1940年2月12日 - )は… 佐々木 英世(ささき ひでよ、1940年2月12日 - )は日本の映画音響効果技師、有限会社東洋音響代表取締役。北海道根室市曙町出身。所属団体は日本映画・テレビ録音協会。 1959年に目黒高等無線専門学校通信別科を卒業と同時に[要出典]日活撮影所に音響効果技師として入社。1974年に東洋音響効果グループに参加し、1988年に帆苅幸雄らと共に東洋音響を設立。 映画『ゴジラvsモスラ』から東宝特撮映画の音響効果を担当。ゴジラを始めとする怪獣の鳴き声や足音などの効果音を手掛けた。既存の怪獣は過去のものを加工して用いることが多いが、新規怪獣は新たに制作している。『ゴジラvsメカゴジラ』のベビーゴジラの鳴き声や『サンダカン八番娼館 望郷』での牛の断末魔などでは、自身の声を加工して用いている。
松浦 忠(まつうら ただし、1940年1月24日 - )は日… 松浦 忠(まつうら ただし、1940年1月24日 - )は日本の政治家。札幌市議(9期)を務めた。 1940年1月24日、滝川市に生まれる。1956年、北海道滝川工業高等学校を卒業し、日本国有鉄道に入社。 1983年4月10日、札幌市議会議員選挙に白石区選挙区から日本社会党公認で立候補して、初当選。1989年11月4日、後述の不祥事により社会党を離党。1991年4月7日、3選を目指して市議選に無所属で立候補したが、落選。1995年4月9日、市議選に無所属で立候補して返り咲き。2019年4月7日、市議選で9選。しかし、同年6月21日、後述の議長選出時の議長席の占拠と議事妨害により除名処分を受けた。
鈴木 正俊(すずき まさとし、1940年1月14日 - )は… 鈴木 正俊(すずき まさとし、1940年1月14日 - )は、日本の経済学者、ジャーナリスト。 北海道室蘭市生まれ。東京大学経済学部卒、1969年同大学院博士課程満期退学。ハーバード大学・イエール大学・総合研究開発機構客員研究員、日本経済新聞社編集委員などを経て、拓殖大学政経学部教授。2010年定年退職。
西 安信(にし やすのぶ、1940年1月 - )は、日本の工… 西 安信(にし やすのぶ、1940年1月 - )は、日本の工学者。学校法人北海道尚志学園理事長、北海道工業大学名誉教授。元北海道工業大学学長。北海道小樽市出身。
遠藤 知恵子(えんどう ちえこ、1940年 - )は、日本の… 遠藤 知恵子(えんどう ちえこ、1940年 - )は、日本の教育学者・教育者。学位は、教育学博士(北海道大学)。元北翔大学学長・北翔大学短期大学部学長。北海道出身。恩師は山田定市。 1959年北海道札幌南高等学校卒業。1963年北海道大学文学部ドイツ文学専攻卒業。その後、道内各地の中学校で教諭を務め、1982年北海道大学教育学部卒業。1991年同大学院教育学研究科社会教育学博士課程単位取得満期退学。1991年弘前学院大学文学部助教授。1994年3月 北海道大学 教育学博士 論文の題は「地域社会教育実践と現代公民館の展開基盤に関する実証的研究」。1994年弘前学院大学文学部文学部教授を経て、1999年弘前学院大学文学部長。
野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は… 野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は、日本の経済学者・学校経営者。 学校法人野又学園2代理事長・社会福祉法人貞信福祉会初代理事長。北海道函館市出身。父は函館大学創立者の野又貞夫。子に野又淳司。
西村 六善(にしむら むつよし、1940年- )は、日本の外… 西村 六善(にしむら むつよし、1940年- )は、日本の外交官。外務省欧亜局長を経て、経済協力開発機構(OECD)政府代表部特命全権大使、地球環境問題担当特命全権大使兼気候変動担当政府代表、内閣官房参与等を歴任した。 北海道札幌市生まれ。麗澤高等学校を経て、上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中に外務公務員試験に合格。1962年大学を中退し、外務省入省。条約局協定課長、報道課長、大臣官房総務課長を経て、1994年シカゴ総領事。1997年外務省欧亜局長。1999年からOECD日本政府代表部特命全権大使を務め、気候変動問題などを担当。2002年特命全権大使(アフガニスタン支援調整担当)。2003年駐メキシコ特命全権大使。
笹川 紀勝(ささかわ のりかつ、1940年 - )は、日本の… 笹川 紀勝(ささかわ のりかつ、1940年 - )は、日本の法学者。専門は、憲法、良心の自由・信教の自由。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1986年)(学位論文「国家と宗教の関係 : 類型と特徴,主にドイツ教会法学説史を素材として」)。国際基督教大学名誉教授。明治大学法学部教授など歴任。北海道赤平市生まれ。 1959年北海道赤平高等学校卒業。1960年北海道大学理類入学。1963年同法学部に転部。1965年同法学部卒業。1967年北海道大学大学院法学研究科修士課程修了。 同法学部助手。1970年北星学園大学経済学部専任講師。1974年同経済学部助教授。1979年同経済学部教授。1986年国際基督教大学教養学部教授。
松岡 健一(まつおか けんいち、1940年 - )は、日本の… 松岡 健一(まつおか けんいち、1940年 - )は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。元室蘭工業大学学長。室蘭工業大学名誉教授・港立市民大学学長。学校法人天使学園理事長。北海道北見市出身 1962年室蘭工業大学工学部土木工学科を卒業。1964年北海道大学大学院工学研究科博士課程修了。北海道大学工学部助手を経て、1965年北見工業短期大学土木科講師。1966年北見工業大学工学部助教授。1968年室蘭工業大学工学部助教授。1979年同工学部教授。同図書館長を経て、1997年室蘭工業大学学長事務取扱。2002年室蘭工業大学副学長。2004年室蘭工業大学理事。2006年室蘭工業大学12代学長に就任。
黒田 重雄(くろだ しげお、1940年 - )は、日本の経営… 黒田 重雄(くろだ しげお、1940年 - )は、日本の経営学者。北海道大学名誉教授。北海学園大学開発研究所特別研究員。学位は、博士(経営学)(北海道大学)。瑞宝中綬章受章。 日本商店街学会会長や北海道マーケティング協会運営副委員長などを歴任。この他、北海学園大学経営学部非常勤講師(2011年~2015年)、北海学園大学大学院経営学研究科非常勤講師(2010年~2015年) マーケティングにおける消費者行動の国際比較など主にマーケティングや比較マーケティングの研究を手がける。
藤村 久和(ふじむら ひさかず、1940年 - 2025年3… 藤村 久和(ふじむら ひさかず、1940年 - 2025年3月31日)は、日本の民俗学者・民族学者。北海学園大学名誉教授。河野広道門下。北海道を代表するアイヌ文化の研究者の一人。 北海道釧路市に生まれる。 北海道学芸大学教育学部を卒業し、[要出典]1963年に北海道厚田村立聚富小学校の教員となる。以後、石狩町立南線小学校(1969年)を経て、1970年に教員を退職し北海道開拓記念館の研究員に転じた。記念館時代にアイヌ古老からの聞き取りを始める。 1984年に北海学園大学教養部教授に就任し、1998年に同人文学部、1999年に同大学院文学研究科の教授となる。北海学園大学では学芸員課程設置の準備に携わり、1999年に課程設置が実現した。
白倉 敬彦(しらくら よしひこ、1940年 - 2014年1… 白倉 敬彦(しらくら よしひこ、1940年 - 2014年10月4日)は、日本の民俗学者、浮世絵研究家、文筆家。とくに春画の発掘と研究で知られる。 北海道空知郡北村(現・岩見沢市)に生まれる。早稲田大学文学部を中退した。現代美術のプロデュースを始め、広く美術の企画・編集に従事する。国際浮世絵学会常任理事。2000年の『浮世絵春画を読む』以来、田中優子との協同作業で春画や近世遊里に関する著作が多い。田中の『芸者と遊び』は田中著となっているが、中に、半分は白倉が書いた、とある。1999年の田中の著書『張形 江戸をんなの性』でも資料蒐集など協力し、田中が共著を申し出たが固辞されたという。 『浮世絵春画を読む』で、タイモン・スクリーチの説に反論し「春画はポルノグラフィーではなく、純粋な芸術として評価すべき」と主張したが、ポルノグラフィーの定義が曖昧だと批判を受け、次の『江戸の春画』では、ポルノグラフィーかどうかには興味がない、と書いた。
川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は… 川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は、日本の実業家。元東京電力ホールディングス取締役会長。元みずほフィナンシャルグループ社外取締役。元日立製作所取締役・代表執行役会長兼執行役社長、同相談役。元日本経済団体連合会(経団連)副会長。 父親は英文学者で元北海道大学教授の川村米一 北海道札幌西高等学校を経て、1962年3月東京大学工学部電気工学科卒業。在学中は原子力発電の研究に従事した。1962年4月、日立製作所入社。 日立では電力設計部に所属。1972年に主任技師となり、関西電力姫路第二発電所の火力6号機(略称「姫6」)、中国電力島根原子力発電所1号機などの開発に従事。東京本社火力技術本部を経て、1991年に日立工場副工場長となり、翌年工場長に就任。
菅野 誠一(すがの せいいち、1939年12月17日 - 2… 菅野 誠一(すがの せいいち、1939年12月17日 - 2010年8月29日)は、日本の合気道家。北海道小樽市出身。 1957年に合気会に入会し、その翌年より植芝盛平の内弟子となった。1965年、植芝の命によりオーストラリアへと渡り、合気道の指導を始めた。15年ほどオーストラリアを中心に指導を行い、その後ベルギー、ルクセンブルク、フランスなどのヨーロッパ国内での指導に当たった。 1988年よりはニューヨークへと移住し、ニューヨーク合気会で山田嘉光とともに師範として普及に努めた。2003年に左足を切断する手術を受けたが、その後も義足を使用して合気道を続けた。 2010年8月29日、70歳で亡くなっている。
保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月… 保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月14日 - )は、日本の作家・評論家。 北海道札幌市生まれ、二海郡八雲町育ち(なお、自著のプロフィールでは「北海道生まれ」のみと表記し、出身市町村については明記していない)。 北海道札幌市で教員の父親のもとに生まれる。父親は群馬県、母親は江別市出身。父親の勤務の関係で、生後間もなく江別市に移り、3歳で福島県二本松市、5歳で北海道二海郡八雲町に移る。そのまま八雲町で終戦を迎え、小学校6年まで同町で育った後、根室市を経て札幌市白石町(現・札幌市白石区)に移った。札幌市立柏中学校、北海道札幌東高等学校を卒業。阿部典英は中学高校の同級生、西部邁は中学校の1年先輩に当たる。
佐藤 多美治(さとう たみじ、1939年12月14日 - )… 佐藤 多美治(さとう たみじ、1939年12月14日 - )は、レスラー。ローマオリンピック4位入賞。北海道留萌支庁増毛郡増毛町育ち。 北海道増毛高等学校-中央大学高校大学とも全国優勝を経験、増毛高-中大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大黄金時代の屋台骨となった。 中央大学3年の時にローマオリンピックでフェザー級4位入賞、増毛高校の全国制覇メンバー2人が入賞する大活躍だった。
平井 克哉(ひらい かつや、1939年12月11日 - )は… 平井 克哉(ひらい かつや、1939年12月11日 - )は、日本の動物学者・獣医師。専門は獣医微生物学。北海道帯広市出身。 元・岐阜大学大学院連合獣医学研究科長。
阿部 典英(あべ てんえい、1939年12月 - )は日本の… 阿部 典英(あべ てんえい、1939年12月 - )は日本の彫刻家。本名は阿部典英(あべ のりひで)。 北海道札幌市生まれ。疎開により同島牧村で少年期を過ごす。。北海学園大学経済学部卒業。元浅井学園大学(現在の北翔大学)教授。立体造形の作品を多数発表している。 1939年札幌市生まれ。父親は島牧郡東島牧村(現島牧村)、母親は寿都郡寿都町出身。疎開により、幼年期を茅部郡森町・寿都郡黒松内町などで過ごした後、5歳の時東島牧の父方の祖父母の家に移り、中学時代まで育った。本人も「島牧に自分の原風景がある」と語る。北海道札幌東高等学校に入学、美術部に入部したが、部の顧問教師に阿部の抽象絵画が受け付けられず、退部した。
鳥越 忠行(とりこし ただゆき、1939年11月4日 - 2… 鳥越 忠行(とりこし ただゆき、1939年11月4日 - 2024年2月22日)は、日本の政治家。元北海道苫小牧市長(4期)。 北海道勇払郡苫小牧町(現・苫小牧市)出身。北海道苫小牧東高等学校卒。苫小牧市役所に入り、1975年、苫小牧市議会議員に当選する。1983年の苫小牧市長選挙に革新系から立候補したが次点で落選した。1987年に現職を破って初当選。1991年から1999年まで連続で無投票当選。2003年の選挙では保守系で元苫小牧市議の桜井忠に敗れた。2006年の桜井忠の辞職による市長選挙に立候補したが、元衆議院議員の岩倉博文に敗れた。2013年、旭日小綬章受章。2024年2月22日、肝細胞がんのため死去した。
原 彬久(はら よしひさ、 1939年10月20日 - )は… 原 彬久(はら よしひさ、 1939年10月20日 - )は、日本の政治学者、東京国際大学名誉教授。専門は日本外交史。 北海道釧路市生まれ。1963年早稲田大学政治経済学部卒業。国際商科大学(現東京国際大学)助教授、東京国際大学教授、2010年定年、名誉教授。1990年「戦後日本と国際政治 安保改定の政治力学」で一橋大学から法学博士号を取得。プリンストン大学客員研究員およびケンブリッジ大学客員研究員も務めた。2000年から2002年まで日本公共政策学会会長。 1980年代に岸信介元総理大臣、太田薫元総評議長をはじめとする安保騒動関係者へのオーラル・ヒストリーを実施し、日米安全保障条約改訂交渉をめぐる日本政治についての先駆的研究を行なったことで知られる。
長尾 克子(ながお かつこ、1939年10月18日 - 20… 長尾 克子(ながお かつこ、1939年10月18日 - 2003年6月23日)は、工業技術史学者。 1939年、北海道紋別郡遠軽町で生まれた。旧姓・加藤。北海道札幌西高等学校を卒業し、北海道学芸大学に進学。学生時代は革マル派に関わるが、後に離れた。1963年に北海道学芸大学を卒業し、高校教師となった。一方で北海道大学経済学部で学び、1967年に卒業。 卒業後は、北海道大学経済学部助手に採用された。1973年、法学者の長尾龍一と結婚。1974年、同大学大学院経済学研究科博士課程を中退し、旭川大学専任講師となった。しかし、1978年に東京へ移るため退職。 その後は、1980から1998年まで、法政大学経済学部非常勤講師として教鞭を執った。
高橋 伸夫(たかはし のぶお、1939年(昭和14年)9月2… 高橋 伸夫(たかはし のぶお、1939年(昭和14年)9月29日 - 2013年(平成25年)7月14日)は、日本の地理学者、筑波大学名誉教授。東京都台東区出身。人文地理学、とくに都市地理学に関する研究を行うとともに、学習参考者や一般向けの書籍も執筆、編集した。また、オリヴィエ・ドルフュス『地理空間』(山本正三との共訳)など、フランス地理学の日本への紹介も行った。