一山本 大生(いちやまもと だいき、1993年10月1日 -… 一山本 大生(いちやまもと だいき、1993年10月1日 - )は、北海道岩内郡岩内町出身で、放駒部屋(入門時は二所ノ関部屋)所属の現役大相撲力士。本名は山本 大生(やまもと だいき)。身長190.0cm、体重150.0kg、血液型はB型。最高位は東前頭筆頭(2026年1月場所)。 3人きょうだいの末っ子として生まれ、母親の勧めで岩内町立岩内東小学校2年次から相撲を始めた。他の競技にも取り組もうとしたが長続きせず、母からも「シューズを買うのでお金がかかる。相撲はまわし一本あればできる」と説得されたことから、岩内町立岩内第一中学校進学後も相撲を続けた。全国中学校相撲選手権大会の北海道予選で矢後に敗れて全国大会進出を逃したため、相撲を続けることを決意した。
旭大星 託也(きょくたいせい たくや、1989年10月18日… 旭大星 託也(きょくたいせい たくや、1989年10月18日 - )は、北海道旭川市出身で、大島部屋(一時友綱部屋)に所属した元大相撲力士。本名は大串 拓也(おおぐし たくや)。身長185.0cm、体重148.9kg、血液型はB型。最高位は西前頭8枚目(2018年7月場所)。好物は牛丼。 幼少期は父親から空手の指導を受けていたが、小学校2年次に地元のスポーツ少年団で柔道を始める。2002年に旭川市立啓北中学校へ進学したが、柔道部が無かったため野球部に所属し、柔道は引き続き地元の道場で指南を受けた。2年生の頃に地元を合宿のため訪れていた大島部屋からスカウトを受けたが、この時は入門を断っている。そのまま柔道の特待生として旭川大学高等学校へ進学し、柔道部のエースとして活躍。
樋口 和貞(ひぐち かずさだ、1988年10月24日 - )… 樋口 和貞(ひぐち かずさだ、1988年10月24日 - )は、日本の男性元プロレスラー、元大相撲力士。北海道紋別市出身。血液型A型。 北海道紋別北高等学校では柔道部の主将を務める。高校の全道大会にて個人・団体とも3位入賞したところ、8代八角(元横綱・北勝海)にスカウトされ角界入り。一方、大相撲引退後の報道によると、元々プロレスラーになるための下積みとして一旦大相撲に入門したという。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
錦風 真悟(にしきかぜ しんご、1978年2月14日 - )… 錦風 真悟(にしきかぜ しんご、1978年2月14日 - )は、東京都江戸川区出身(後に北海道浜益郡浜益村を経て合併により石狩市に変更)で、尾車部屋に所属していた元大相撲力士。現在は世話人。本名は足達 康之。現役時代の体格は身長179cm、体重147kg、得意技は左四つ、寄り、押し。最高位は西幕下筆頭(2001年7月場所)。 両国に近い江戸川区に生まれ、何度か相撲を見に国技館まで足を運んだことがあり、師匠の尾車(元大関・琴風)とは小学校時代に参加した部屋での稽古で縁ができた。その厳しさゆえに当時小学生であった足達は泣いたが、稽古後に振る舞われた女将の手製ハンバーグに感激し、この時点で気持ちが入門に傾いた。
若天狼 啓介(わかてんろう けいすけ、1977年10月18日… 若天狼 啓介(わかてんろう けいすけ、1977年10月18日 - )は、北海道根室市出身で間垣部屋に所属した元大相撲力士。本名は上河 啓介(かみかわ けいすけ)、愛称はケイスケ。身長184cm、体重170kg、血液型はAB型。得意手は突き、押し。趣味はウエイトトレーニング。最高位は西十両2枚目(2010年9月場所)。2011年4月に引退。 根室市立光洋中学校を卒業後に間垣部屋に入門し、1993年3月場所に初土俵を踏んだ。序二段と三段目でかなり苦労したものの、幕下に昇進してからは着実に番付を上げて行き、2001年1月場所から5場所連続して5勝2敗の好成績を残し、同年11月場所に新十両への昇進を果たした。
立洸 熊五郎(たつひかり くまごろう、1969年10月25日… 立洸 熊五郎(たつひかり くまごろう、1969年10月25日 - 2011年2月24日)は、北海道斜里郡斜里町遠音別出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は石橋 義光(いしばし よしみつ)。最高位は西前頭6枚目。 1969年10月25日に東京都墨田区で生まれるが、すぐに北海道斜里郡斜里町遠音別へ移り住み、地元の興部小学校では1年生から2年生まで剣道を習っていた。 小学校3年生でウトロ小学校へ転校後、中学校2年生まで野球を習っていたが、近所の住民が旭川で洋品店を経営していた立浪親方(元関脇・羽黒山)の弟に「素質のいい少年がいる」と紹介し、連絡を受けた立浪から直接勧誘されて立浪部屋へ入門した。 入門当初から大きな体格で期待され、1985年3月場所に於いて初土俵を踏んだ。
大翔鳳 昌巳(だいしょうほう まさみ、1967年5月7日 -… 大翔鳳 昌巳(だいしょうほう まさみ、1967年5月7日 - 1999年12月4日)は、北海道札幌市豊平区平岸出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は村田 昌巳(むらた まさみ)。最高位は東小結。全盛期の体格は187cm、144kg。得意手は突っ張り、右四つ、寄り、上手投げ。現役時代はその人柄の良さと礼儀正しさで好感力士として知られた。 相撲で19回も北海道代表として国体に出場した父の指導で、中学生の頃から相撲を始める。北海高等学校時代には北海道代表として国体に出場した(兄もバスケットボールで出場を果たす)。日本大学でも相撲部に所属。上位入賞の常連だったが、学生横綱などのビッグタイトルとは無縁であり、タイトルはわずか1冠。
琴冠佑 源正(ことかんゆう もとまさ、1966年2月2日 -… 琴冠佑 源正(ことかんゆう もとまさ、1966年2月2日 - )は、北海道新冠郡新冠町出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は西尾 源正。得意手は左四つ、寄り。 1966年に北海道でサラブレッドの名産地でもある牧場を営む家に生まれる。新冠中学校時代はサッカー部に所属して入門前の相撲経験は無かったが、中学校卒業と同時に佐渡ヶ嶽部屋へ入門、1981年3月場所に初土俵を踏んだ。1990年の夏、部屋近くの路上を自転車で走行中にオートバイと接触して右大腿部を骨折、3場所連続で休場した。この怪我に悩まされて成績が伸び悩んだ時期もあったが、懸命な努力で1996年1月場所に初土俵から所要89場所、当時史上1位のスロー記録で十両に昇進した。
北勝鬨 準人(きたかちどき はやと、1966年1月1日 - … 北勝鬨 準人(きたかちどき はやと、1966年1月1日 - )は、北海道帯広市大空町出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は久我 準人(くが はやと)。身長183cm、体重148kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は西前頭3枚目(1994年3月場所)。好物は卵焼き、趣味はサッカー観戦。現在は年寄・伊勢ノ海。 帯広市立大空中学校ではサッカー部に所属し、ゴールキーパーを務めた。卒業後北海道帯広柏葉高等学校(定時制)に入学するも受験の失敗を理由に我慢できず、1ヶ月で中退し伊勢ノ海部屋に入門した。1981年5月場所に初土俵を踏んだ。同期生には元関脇の若翔洋で現在は格闘家の馬場口洋一(元WAKASHOYO)がいる。
旭桜 隆秀(あさひざくら たかひで、1964年12月28日 … 旭桜 隆秀(あさひざくら たかひで、1964年12月28日 - )は、北海道旭川市出身で大島部屋に所属した元大相撲力士。本名は葛西 一雄。最高位は東幕下筆頭。 中学時代は相撲経験がなかったが、立浪部屋から独立したばかりで引退後間もない元大関旭國の大島部屋に入門。1980年3月場所「旭桜」の四股名で初土俵を踏む。当初は順調に番付を上げ、入門から1年半後の1981年9月場所、16歳8ヶ月で幕下に上がり、6勝1敗の成績。何度か三段目に落ちたこともあったが、1984年1月場所では番付をこれまでの自己最高位の東幕下3枚目まで上げた。だが、この場所5連敗と負け越して(最終的には3勝5敗の成績)からその後は負け越しが続き、溶連菌感染症やリウマチ熱により一時序二段まで落ちた。
陸奥北海 勝昭(むつほっかい かつあき、1964年6月24日… 陸奥北海 勝昭(むつほっかい かつあき、1964年6月24日 - )は北海道三石郡三石町(現:日高郡新ひだか町)出身の元大相撲力士。現在は世話人。現役時代は安治川部屋所属、現在は伊勢ヶ濱部屋所属。本名は本間 勝明(ほんま かつあき)。身長179cm、体重188kg。最高位は東十両6枚目(1994年11月場所)。趣味はパチンコ、血液型A型、星座は蟹座。
北吹雪 弘士(きたふぶき ひろし、1963年10月28日 -… 北吹雪 弘士(きたふぶき ひろし、1963年10月28日 - )は、北海道旭川市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 広泰(いとう ひろやす)、182cm、128kg、最高位は東十両9枚目(1987年11月場所)。 1979年3月場所で初土俵を踏む。横綱双羽黒光司とは同部屋で同期だった。1987年11月場所にて十両昇進、連続2場所十両を務める。同年暮れに部屋の横綱双羽黒が突然廃業したため、立浪部屋の部屋頭となった。1988年3月場所で幕下へ陥落、1991年7月場所限り、27歳で引退(廃業)した。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし、1963年6月22日 -… 北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし、1963年6月22日 - )は、北海道広尾郡広尾町出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。第61代横綱。本名は保志 信芳(ほし のぶよし)。現役時代の体格は身長181cm、体重151kg。得意技は押し、左四つ、寄り。愛称は苗字を捩った「ポチ」、および海外公演で付けられた「ブルドッグ」。「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)の一人。血液型はA型。北勝海の読み方は北(ほく)、勝(とう)、海(み)である。 現在は、年寄・八角 信芳()として八角部屋(高砂一門)の師匠。第13代日本相撲協会理事長。 小学生時代に、既に北の富士から九重部屋への勧誘を受けていた。 1977年におじの勤務先の社長が13代井筒(第52代横綱・北の富士)と知り合いだったことが縁で勧誘されるが、13代井筒は以前勧誘したことがあるのを覚えていなかった。
大乃国 康(おおのくに やすし、1962年10月9日 - )… 大乃国 康(おおのくに やすし、1962年10月9日 - )は、北海道河西郡芽室町出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。第62代横綱(昭和最後の横綱)。本名は青木 康(あおき やすし)。現在は年寄・芝田山。芝田山部屋の師匠を務めている。 1962年に、北海道河西郡芽室町で牧畜と農業を営む家の長男として生まれる。2歳のときに北海道東部の健康優良児として表彰を受けた。小学校から帰ってくると畑仕事を手伝い、小学校3年の時に、畑の中でトラクターを動かし、刈り取った豆を脱穀機まで運んでいた。小学校4年の時に、実家の牛と預かった近所の農家の牛に水をやり、サイロから餌を出して牛舎に運んでいた。
騏乃嵐 和稔(きのあらし かずとし、1961年7月9日 - … 騏乃嵐 和稔(きのあらし かずとし、1961年7月9日 - )は、北海道夕張市出身で、押尾川部屋に所属した大相撲力士。本名は石山 和敏(いしやま かずとし)。身長183cm、体重162kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭2枚目(1982年11月場所)。血液型はB型。夕張市立幌南中学校卒。 父親は夕張炭鉱の元・炭鉱夫。小学校6年時で既に170cm・76kgに達していた為走ることを不得手としていた。中学生の頃は野球や卓球を経験し、野球では一塁手として活躍した。 中学校卒業直前に、押尾川部屋のマネジャーで夕張市出身であった工藤氏のスカウトを受けて上京し、同部屋に入門することとなった。都内のガソリンスタンドへの就職が決まった兄も、自身と同時に上京したとされる。
北天佑 勝彦(ほくてんゆう かつひこ、1960年8月8日 -… 北天佑 勝彦(ほくてんゆう かつひこ、1960年8月8日 - 2006年6月23日)は、北海道室蘭市出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。本名は千葉 勝彦(ちば かつひこ)。最高位は東大関。後の年寄・二十山。現役時代の体格は身長183cm、体重149kg。得意手は突き、押し、右四つ、左褌、吊り、寄り、投げ。実弟も角界入りし、九重部屋で、富士昇の四股名で三段目まで昇進した。血液型はO型、趣味はゴルフ、水墨画。またその端整なマスクから女性ファンからの人気が高く、当時の角界としては珍しく女性からの黄色い声援が上がっていた。また四度の幕内優勝を果たした元大関・貴景勝は娘婿に当たる。 四股名の由来は「北の天の下に生まれ人の右に出る」から取られている。
富士の里 昇(ふじのさと のぼる、1959年10月23日 -… 富士の里 昇(ふじのさと のぼる、1959年10月23日 - )は、北海道瀬棚郡今金町出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は瀧 文彦(たき ふみひこ)。187cm、125kg。最高位は東十両13枚目。得意技は左四つ、寄り、上手投げ。 高校へ進学してから身長が180cmに達したので目立ち始め、その評判を聞いた九重親方(第41代横綱・千代の山)から素質を見込まれて熱心に勧誘されたので高校を中途退学して九重部屋へ入門した。1975年11月場所に16歳で初土俵。幕下までは順調に出世したが、幕下で壁に当たり、負傷や病気も多かったのと相まって出世が遅れた。しかし、1983年11月場所の幕下優勝を足がかりにして、1984年5月場所に新十両(九重部屋から井筒部屋が分家・並立していた時期に九重部屋に入門した唯一の関取となった)。
琴千歳 幸征(ことちとせ こうせい、1957年4月22日 -… 琴千歳 幸征(ことちとせ こうせい、1957年4月22日 - )は、北海道千歳市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は山本 稔(やまもと みのる)。身長182cm、体重127kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り。最高位は東前頭5枚目(1981年9月場所)。 千歳市立千歳中学校2年生の時に、佐渡ヶ嶽部屋の三段目力士・紀州洋から部屋の千歳合宿の見学を勧められ、稽古風景を見て同部屋への入門を決意。1971年7月場所に於いて、14歳で初土俵を踏んだ。 同年11月から東京場所の日曜日を除いて中学生力士の本場所出場が認められなくなったが、それ以降は病弱な母を置き去りにできないという理由から、中学卒業まで場所出場を除いて帰郷状態にあった。
王湖 伊津男(おうこ いつお、1956年8月17日 - 20… 王湖 伊津男(おうこ いつお、1956年8月17日 - 2013年4月24日)は、北海道釧路市出身で友綱部屋に所属した大相撲力士。本名は鈴木 伊津男(すずき いつお)。最高位は東前頭14枚目(1982年7月場所)。現役時代の体格は179cm、154kg。得意手は左四つ、寄り。 引退後は長く、世話人として友綱部屋の後輩達の指導に当たった。 地元・釧路市の春採中学校では、柔道で鳴らした。2年生の時、近所の風呂屋の主人(工藤東一)から角界入りを勧められ、直ちに上京。同郷の元小結・巴潟が率いる友綱部屋に入門し、1970年9月、14歳で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の横綱・千代の富士がいる。 なお、当初の四股名は、本名に因んだ「鈴木山」であった。
千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、1955年6月1日 - … 千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、1955年6月1日 - 2016年7月31日)は北海道松前郡福島町出身の元大相撲力士。第58代横綱。本名・秋元 貢(あきもと みつぐ)。血液型はA型。
琴若 央雄(ことわか ちかお、1954年4月7日 - 201… 琴若 央雄(ことわか ちかお、1954年4月7日 - 2016年3月10日)は、北海道増毛郡増毛町雄冬出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。本名は香島 春男(かしま はるお)。最高位は東前頭2枚目(1979年1月場所)。現役時代の体格は197センチメートル、139キログラム。得意手は右四つ、上手投げ、突っ張りなど。 雄冬中学校在学時は、野球部に在籍していた(一塁を守り、チームの主軸打者として活躍したという)。相撲の経験はまったくなかったが、中学卒業後地元で港湾作業に従事していた際に60キログラム詰めのセメント袋を2つ持ち運ぶ怪力が評判となり、1971年6月頃、佐渡ヶ嶽部屋のマネジャーである大林(二所ノ関部屋に所属した元力士でもあり、現役時代の名は「飛幡山」(最高位:序二段47枚目)、福岡県出身)という人の勧誘を受けて角界入りを決めるに至った。
琴ヶ嶽 綱一(ことがたけ こういち、 1952年9月24日 … 琴ヶ嶽 綱一(ことがたけ こういち、 1952年9月24日 - 2024年2月24日)は、北海道川上郡弟子屈町出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は竹内 孝一(たけうち こういち)。最高位は西前頭筆頭(1977年5月場所)。現役時代の体格は186cm、114kg。得意手は左四つ、吊り。 実家は農家で、牛乳配達のアルバイトや父の内職を手伝うなどした事が、体を作る下地になったという。力士を志したのは、中学3年生の時の事である。 上京して佐渡ヶ嶽部屋に入門し、1967年11月場所にて、15歳で初土俵。翌年1月、「琴緑」の四股名で序ノ口に付いた。 以来順調に番付を上げ、1974年1月、21歳で新十両昇進。
貴ノ山 英二(たかのやま えいじ、1951年6月1日 - )… 貴ノ山 英二(たかのやま えいじ、1951年6月1日 - )は、現在の北海道根室市出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は田村 英二(たむら えいじ)。181cm、95kg。最高位は西十両11枚目。 得意技は左四つ、上手投げ。 子供の頃は野球をしており、ポジションは一塁手で5番打者を務めた。砲丸投げでも活躍したが、相撲では根室市立柏陵中学校3年生の時に根室市大会で優勝した。その活躍ぶりから、二子山の知人に見出されて勧誘されたが、相撲は大して好きではなかったので逃げていた。しかし、中学校を卒業する頃に東京見物のつもりで行く気に変わり、上京して二子山部屋に入門した。1966年9月場所に15歳で初土俵。
千代櫻 輝夫(ちよざくら てるお、1950年4月14日 - … 千代櫻 輝夫(ちよざくら てるお、1950年4月14日 - )は、北海道瀬棚郡今金町出身で、九重部屋(入門時は出羽海部屋)に所属した元大相撲力士。本名は斎藤 輝夫(さいとう てるお)→藤岡 輝夫(ふじおか -)、最高位は東前頭5枚目(1977年3月場所)。現役時代の体格は182cm、107kg。得意手は左四つ、突っ張り、上手投げ。 中学卒業後、若狭龍太郎氏(地元で、中学校の校長などを務めていた)の紹介で出羽海部屋へ入門し、1966年3月場所にて初土俵を踏んだ。なお、当初の四股名は、本名を少し弄った「斉藤」であった。 その後、部屋付きの九重親方(元横綱・千代の山)の独立に同行し、1967年3月より九重部屋に移籍。
大受 久晃(だいじゅ ひさてる、1950年3月19日 - )… 大受 久晃(だいじゅ ひさてる、1950年3月19日 - )は、北海道瀬棚郡瀬棚町(現:久遠郡せたな町)出身で高嶋部屋に所属した元大相撲力士。本名は堺谷 利秋(さかいや としあき)。現役時代の体格は身長177cm、 体重148kg。最高位は東大関。年寄・朝日山利秋として、朝日山部屋の経営にも携わった。 小学校6年生の時の修学旅行で泊まった函館の駅前の江差屋旅館が高島部屋の勧誘を担当していたため、太った体を見込まれて入門を誘われた。中学に入ると間もなく高島親方(元大関・三根山)が北海道の実家まで訪ねたため、他の部屋からも1件勧誘があったがわざわざ家まで来てくれた高島親方のために高島部屋への入門を決意。
双津竜 順一(ふたつりゅう じゅんいち、1950年〈昭和25… 双津竜 順一(ふたつりゅう じゅんいち、1950年〈昭和25年〉2月28日 - 2014年〈平成26年〉8月12日)は、北海道室蘭市出身で時津風部屋に所属していた元大相撲力士。本名は山本 順一(やまもと じゅんいち)。身長185cm、体重171kg。最高位は東小結(1979年7月場所)。得意技は右四つ、寄り。現役時代のニックネームは「ゾウさん」。後述の理由により、角界追放後は報道などでは本名の「山本順一」で一般的に紹介されることが多い。 1950年、製鉄所勤務の父の3人兄弟の長男として室蘭市で生まれた。中学在学中、時津風部屋に入門。1963年9月場所前に新弟子検査に合格したが、実際に前相撲を取ったのは翌1964年1月場所である。
金剛 正裕(こんごう まさひろ、1948年11月18日 - … 金剛 正裕(こんごう まさひろ、1948年11月18日 - 2014年8月12日)は、北海道雨竜郡一已村(現・深川市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は北村 正裕(きたむら まさひろ、旧姓:吉沢)。得意技は右前褌、寄り。最高位は東関脇。 1948年に北海道で生まれる。兄弟と同じく運動神経が抜群で、特に音江中学校時代は野球で剛速球投手・4番打者として活躍し、北海高等学校から勧誘されるほどだった。しかし勉強が嫌いで進学意識が全く無かったことと、1963年の夏の巡業で訪れた大鵬幸喜に憧れて力士を志すようになり、兄弟の反対を押し切って深川ハイヤーの社長の協力で二所ノ関部屋に入門した。1964年5月場所で「大吉沢」の四股名で初土俵を踏んだ。
桜田 一男(さくらだ かずお、1948年9月26日 - 20… 桜田 一男(さくらだ かずお、1948年9月26日 - 2020年1月12日)は、日本のプロレスラー、大相撲力士。北海道網走市出身。本名(戸籍上の表記):櫻田 一男(読みは同じ)。ケンドー・ナガサキのリングネームで知られる。 父は網走刑務所の職員だった。中学卒業後大相撲の立浪部屋に入門し、1964年1月初土俵。1966年9月場所には序二段で全勝優勝を果たしている。同期には島田(後の天龍源一郎)がいる。本名の櫻田の後『網走洋(あばしりなだ)』『翠巒(みどりみね)』の四股名を名乗るが、先輩力士とのトラブルに端を発して部屋の親方と反りが合わなくなり、1971年3月廃業。同年日本プロレスに入門し、6月27日に戸口正徳戦でデビューした。
北瀬海 弘光(きたせうみ ひろみつ、1948年7月2日 - … 北瀬海 弘光(きたせうみ ひろみつ、1948年7月2日 - )は、北海道瀬棚郡北檜山町(現・久遠郡せたな町)出身で九重部屋(入門時は出羽海部屋)所属の元大相撲力士。本名は土谷 孝(つちや たかし)。最高位は東関脇(1976年7月場所)。現役時代の体格は身長175cm、体重115kg。得意技は左四つ、寄り、もろ差し。 出羽海部屋付きの九重(元横綱・千代の山)の勧誘を受けて1964年7月場所、初土俵を踏む。力士になった理由は中学の校長が九重を大相撲に勧誘したというものであり、そういった経緯もあって以降関取に向けて精進を重ねた。1967年3月、九重親方の独立に際して、大関北の富士らとともに九重部屋へ移籍。
朝登 俊光(あさのぼり としみつ、1948年6月3日 - )… 朝登 俊光(あさのぼり としみつ、1948年6月3日 - )は、北海道夕張市出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は霜降 利昭(しもふり としあき)。現役時代の体格は身長176cm、体重156kg。最高位は東前頭2枚目(1970年1月場所)。得意手は突き、押し。 中学3年生の時上京して、元前頭2枚目・二瀬山が率いる朝日山部屋に入門。1963年(昭和38年)7月場所で初土俵を踏んだ。 序ノ口に付いた時より「朝登」を名乗り、引退までの15年間で一度も改名する事は無かった。 以来、突き押しを武器に順調に番付を上げ、1967年(昭和42年)9月場所で十両に昇進。そして、1969年(昭和44年)3月場所で新入幕を果たした。
サムソン・クツワダ(Samson Kutsuwada)こと轡… サムソン・クツワダ(Samson Kutsuwada)こと轡田 友継(くつわだ ともつぐ、1947年5月1日 - 2004年10月12日)は、日本の元大相撲力士、元プロレスラー。北海道江別市出身。 大相撲時代は朝日山部屋に所属、四股名は二瀬海(ふたせうみ)、最高位は幕下23枚目。プロレス転向後は日本プロレスを経て全日本プロレスに所属し、サムソン・クツワダをリングネームに大型のパワーファイターとして活躍した。 1962年1月場所にて轡田の四股名で初土俵、1964年1月場所で二瀬海に改名したものの伸び悩み、幕下23枚目の番付となった1967年9月場所限りで廃業した。なおこの9月場所は休場しており、実質土俵を務めたのは同年の7月場所限りである。
藤ノ川 武雄(ふじのかわ たけお、1946年9月26日 - … 藤ノ川 武雄(ふじのかわ たけお、1946年9月26日 - )は、北海道河東郡音更町出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は森田 武雄→祥玄→武雄。身長178cm、体重108kg。得意手は突き、押し、右四つ。最高位は西関脇。拓殖大学第一高等学校卒業。小柄さと機動型の相撲から土俵のキャッチフレーズが取り分け多かったことで知られており活字になったものだけでも今・牛若丸、ちびっ子ギャング、小さな巨人、鉄腕アトム、土俵のクレイ、ベトコン、忍者、土俵の魔術師など多数確認される。 拓殖大学に在籍していた次兄(のち警視庁柔道師範の森田祥業)から話を聞いた伊勢ノ海親方のスカウトを受けて上京し、東京の墨田区立両国中学校在籍中の1961年(昭和36年)5月場所、伊勢ノ海部屋より初土俵。
玄武 満(げんぶ みつる、1946年5月4日 - )は、北海… 玄武 満(げんぶ みつる、1946年5月4日 - )は、北海道芦別市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士、現タレント。本名は栗原 満(くりはら みつる)。最高位は東十両7枚目(1973年5月場所)。身長175cm、体重123kg。得意技は右四つ、寄り、押し。 高校2年の時に知人から立浪部屋所属の大島親方(元前頭・若浪)を紹介され、再三の勧誘の結果入門を決意。高校を中退し立浪部屋に入門。1964年3月場所で初土俵を踏んだ。1973年1月場所には十両に昇進。取的時代に赤塚不二夫の智遇を得ていて、新十両に際し赤塚からバカボンのパパの絵を用いた化粧廻しを贈られて評判になった。現在では漫画のキャラクターを化粧廻しのデザインにしている力士は少なくなく、戦闘竜が『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公である両津勘吉を描いた化粧廻しを使用していたことがよく知られ、戦闘竜がその走りとされることが多いが、玄武はそれ以前の事例に当たるため、玄武はキャラクター物の化粧廻しを使用したパイオニアといえる。
坤龍 文一郎(こんりゅう ぶんいちろう、1946年2月23日… 坤龍 文一郎(こんりゅう ぶんいちろう、1946年2月23日 - )は、北海道釧路市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は福本 文一(ふくもと ぶんいち)。175cm、112kg。最高位は西十両12枚目。得意技は突き、押し、諸差し、寄り。 若い頃から柔道、相撲と盛んに行った。また四股名は相部屋で同郷の大吉田(のちの乾龍初太郎)とともに知人作家に付けてもらったもの。1961年5月場所初土俵、1972年11月場所に十両昇進するも、在位はこの1場所に終わる。1973年11月場所限りで引退。引退後は料理屋を経営。
乾龍 初太郎(けんりゅう はつたろう、1946年1月2日 -… 乾龍 初太郎(けんりゅう はつたろう、1946年1月2日 - )は、二所ノ関部屋、押尾川部屋に所属した元力士。引退後は世話人に就任した。本名は吉田 初太郎(よしだ はつたろう)。現在の北海道北見市出身。181cm、110kg。最高位は西十両5枚目。得意技は押し、寄り、内掛け。 1964年3月場所に初土俵。1974年1月場所に十両昇進、1976年に押尾川部屋独立の際に移籍する。1978年3月場所限りで引退し、以後世話人に転じた。押尾川部屋閉鎖の際に、尾車部屋に移籍した。2011年1月停年退職。
若吉葉 重幸(わかよしば しげゆき、1945年10月26日 … 若吉葉 重幸(わかよしば しげゆき、1945年10月26日 - 2017年2月23日)は、北海道夕張市出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は千葉 重幸(ちば しげゆき)。最高位は西前頭6枚目(1967年11月場所)。現役時代の体格は177cm、88kg。得意手は左四つ、出し投げ、掬い投げ、足癖。 実家は豆腐屋で、11人兄弟姉妹の末っ子として誕生。父親は重幸が1歳の誕生日を迎える前に急逝し、母親とも、14歳の時に死に別れている。 兄や姉達は夕張炭鉱で働いていたが、中学生の頃力士になりたいと志望し、親代わりの長兄の強い反対を押し切って1960年に上京。同郷の元横綱・吉葉山が率いる宮城野部屋へ入門した。
大雪 嶺登(だいせつ みねと、1944年11月30日 - 1… 大雪 嶺登(だいせつ みねと、1944年11月30日 - 1980年4月16日)は、北海道夕張市出身(本籍地は北海道夕張郡由仁町)で宮城野部屋に所属した大相撲力士。本名は秋田 芳夫(あきた よしお)。最高位は東前頭3枚目(1971年7月場所)。現役時代の体格は183cm、120kg。得意手は右四つ、投げ、蹴返し。 夕張市立千代田中学校を卒業後、夕張鉄道に2年ほど勤務したが1962年、地元の道会議員の紹介で宮城野部屋へと入門。入門に際しては母の強い反対があったが、それを押し切る形で決めた角界入りであった。 同年9月場所にて17歳で初土俵を踏み、翌場所、本名でもある「秋田」の四股名で序ノ口に付いた。
長谷川 勝敏(はせがわ かつとし、1944年7月20日 - … 長谷川 勝敏(はせがわ かつとし、1944年7月20日 - 2026年5月31日)は、北海道空知郡栗沢村(現在の岩見沢市)出身(出生地は樺太恵須取支庁恵須取郡珍内町)で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。現役時代の体格は身長183cm、体重128kg。得意手は左四つ、寄り、掬い投げ。最高位は東関脇。一時期、四股名を長谷川 戡洋(はせがわ かつひろ)としていた時期もあった。 叔父に宮城野部屋の十両力士・四季の花範雄がいる。 父親は炭鉱マンで、炭鉱のある樺太の珍内町(現在のロシア・サハリン州クラスノゴルスク)で生まれ、1950年(昭和25年)春に樺太から引き揚げる。1960年(昭和35年)3月場所に初土俵を踏んだ。
高鐵山 孝之進(こうてつやま こうのしん、1942年7月9日… 高鐵山 孝之進(こうてつやま こうのしん、1942年7月9日 - 1996年4月14日)は、北海道小樽市廐町出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は菅 孝之進(すが こうのしん)。身長178cm、体重128kg、得意手は左四つ、寄り、押し。最高位は西関脇(1967年1月場所)。 14歳の時に上京し、朝日山部屋へ入門(師匠は元関脇・二瀬川政一)。1957年3月場所で初土俵を踏んだ。同年5月場所では番付外から新序に上がり好成績を収めたので、翌9月場所(当時、7月場所はなかった)ではいきなり序二段に付いた。当初の四股名である「葵龍」は、実兄が葵商事の札幌支店長を務めていたことに因んでいる。 1963年1月場所では新十両に昇進して、朝日山部屋再興の期待を担った。
玉嵐 孝平(たまあらし こうへい、1941年8月1日 - 1… 玉嵐 孝平(たまあらし こうへい、1941年8月1日 - 1993年2月28日)は、北海道河西郡芽室町出身で片男波部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は成田 幸平(なりた こうへい)。最高位は東前頭4枚目(1962年11月場所、1963年7月場所、1964年1月場所)。現役時代の体格は173cm、116kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ、押し。 15歳の時、玉乃海の内弟子として二所ノ関部屋へ入門し、1956年9月場所で初土俵を踏んだ。その直前の夏巡業で入門し、一行に帯同していたため、同じ北海道出身で同部屋に入門したばかりの納谷(後の横綱・大鵬)と一緒に行動していた。大鵬にとっても玉嵐(成田)は「相撲社会での最初の友人」であり、後年、入幕してからは既に横綱に昇進していた大鵬の横綱土俵入りの露払いや太刀持ちも務めている。
ラッシャー木村(ラッシャーきむら / Rusher Kimu… ラッシャー木村(ラッシャーきむら / Rusher Kimura、1941年6月30日 - 2010年5月24日)は、日本のプロレスラー、大相撲力士。本名:木村 政雄(きむら まさお)。北海道中川郡中川町出身。 後期のエースを務めた国際プロレスでは金網デスマッチの鬼の異名を持つブルファイターとして活躍し、新日本プロレス参戦時は国際軍団の総帥としてアントニオ猪木と抗争を繰り広げ、全日本プロレスおよびプロレスリング・ノア在籍時はユーモアあふれるマイク・パフォーマンスで親しまれた。 多くのプロレス団体を渡り歩いたことでも知られる。 2003年よりプロレスリング・ノア終身名誉選手会長。 佐久中学校を経て北海道天塩高等学校に進学、ポール牧と同級生であった。
大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月2… 大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町出身(出生地は樺太敷香郡敷香町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。第48代横綱。優勝32回(6連覇:2回)・45連勝などを記録した。昭和時代の大横綱。位階は正四位。本名は納谷 幸喜(なや こうき)、出生名はイヴァーン・マルキャノヴィチ・ボリシコ(Іван Маркіянович Боришко)で、ウクライナ人の父親を持つ。母親の再婚により住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていた時期もあった。 1940年(昭和15年)、ウクライナ人の元コサック騎兵将校、マルキャン・ボリシコの三男として、日本の領有下にあった南樺太の敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた。
若十勝 正雄(わかとかち まさお、1938年10月20日 -… 若十勝 正雄(わかとかち まさお、1938年10月20日 -没年不明 )は、北海道河西郡芽室町出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は高島 正雄(たかしま まさお)。177cm、83kg。最高位は東十両10枚目。得意技は右四つ、寄り。 1954年9月場所に初土俵、1959年9月場所に十両昇進。芽室町からの関取昇進は史上初。新十両の場所から3場所連続で勝ち越したが、その後2場所連続で大きく負け越して1960年7月場所に幕下に陥落。幕下陥落以降は徐々に番付を下げていき、幕下下位で負け越した1962年1月場所に23歳で廃業した。息子も「若十勝」の四股名で三段目まで上がっている。 同郷の横綱・大乃国康は彼の紹介で角界入りした。
栗家山 惠三(くりけやま けいぞう、1938年2月15日 -… 栗家山 惠三(くりけやま けいぞう、1938年2月15日 - 没年不明)は、北海道沙流郡門別町(現・日高町)富川出身で1956年から凡そ8年間、佐ノ山部屋・高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は橘井 恵三(きつい けいぞう)。最高位は西前頭5枚目(1962年5月場所)。現役時代の体格は175cm、88kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り。 中学校在学時は野球で活躍したが、苫小牧工業高校に進学すると、相撲へ転向した。 高校在学中は、創設されたばかりの相撲部で活躍。3年生時の1955年には、全国高校相撲大会の予選などに出場している。 高砂一門が北海道へ巡業に来た際に角界入りを勧められ、高校卒業後に上京。
大心 昇(だいしん のぼる、1937年8月2日 - 2012… 大心 昇(だいしん のぼる、1937年8月2日 - 2012年3月20日)は、北海道山越郡長万部町出身で宮城野部屋(入門時は高嶋部屋)に所属した大相撲力士。本名は長田 留雄(ながた とめお)→長田 留男( - とめお)。最高位は東前頭8枚目(1966年9月場所)。得意手は右四つ、寄り、蹴手繰りなど。現役時代の体格は179cm、115kg。 18歳の時上京し、高嶋部屋に入門。1956年9月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の横綱・大鵬(当初、納谷)や小結・沢光(同、沢向)などがいる。翌年1月場所にて、「長葉山」の四股名で序ノ口に付いた。同場所では5勝3敗と勝ち越し、上々の「大相撲デビュー」となったが、2勝目は納谷から挙げている(因みに納谷(大鵬)との対戦は、同場所以降、2度と叶わなかった)。
田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 -… 田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 - 没年不明 )は、北海道札幌市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は羽賀 弘道(はが ひろみち)。173cm、85kg。最高位は東十両18枚目。得意技は右四つ、寄り。 北海道札幌北高等学校では陸上競技で活躍して3年生で円盤投げや砲丸投げの記録を作り、その評判を聞いた立浪部屋の世話人中ノ島が訪ねて来て勧誘し、北光山と名乗って土地相撲で活躍した父は入門を承諾した。自身は小学校時代から絵画と漫画描きに熱中しており、それを活かせる商業デザイナーを志望していたが、相撲は嫌いではなかったので高校3年生で中途退学して入門した。1954年9月場所に初土俵。
羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、1936年3月28日 - … 羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、1936年3月28日 - 1984年6月3日)は、北海道紋別郡西興部村出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は千葉 進(ちば すすむ)。最高位は東関脇(1963年3月場所・1964年7月場所)。現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げ。大相撲の黄金時代の1つである「柏鵬時代」に、幕内力士として活躍した。 地元の高校を卒業後、農業に従事していたが、安念山(後の羽黒山。引退後、年寄・追手風→同・立浪を襲名)の親戚に大相撲入りを勧められて上京。1955年9月場所にて、19歳で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同一の「千葉」。 初土俵の場所では番付外と新序でいずれも好成績を収めたため、翌年1月場所では序ノ口を飛び越して、いきなり序二段に付いた。
若美山 三雄(わかみやま みつお、1936年1月11日 -没… 若美山 三雄(わかみやま みつお、1936年1月11日 -没年不明 )は、花籠部屋に所属した元力士。名は土井 三雄(つちい みつお)。北海道紋別郡丸瀬布町(現在の北海道紋別郡遠軽町)出身。身長173cm、体重86kg。最高位は東十両15枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 1954年9月場所に初土俵。幕下までは順調に出世したが、幕下では長い間上位に進出できずに苦戦していた。しかし、1960年9月場所に7戦全勝で幕下優勝を果たし、翌11月場所に十両に昇進した。新十両の場所は6勝9敗と負け越し、1場所で幕下に陥落した。十両を3場所務めたが勝ち越したのは1961年3月場所の1場所だけであった。十両から陥落した後も幕下上位で相撲を取っていたが、1962年1月場所限りで26歳で廃業した。
北葉山 英俊(きたばやま ひでとし、1935年5月17日 -… 北葉山 英俊(きたばやま ひでとし、1935年5月17日 - 2010年7月20日)は、北海道室蘭市出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山田 英俊(やまだ ひでとし)。最高位は東大関。 1935年5月17日に北海道函館市で生まれ、すぐに室蘭市へ転居した。双葉山定次に憧れて中学校では相撲部の主将を務め、道内各地の大会で活躍していたが、卒業後は家計を助けるために3年間は富士製鉄の下請けをする管組で勤務しながら鍛冶屋へ奉公に出た。1954年3月に奉公が終わったことで角界入りする意思を伯父に伝えて相談すると、賛成されると同時に助言してくれたが、両親は許可を出しそうに無かったことで家出同然で親友の自宅で弁当を作ってもらい、それを持って職場の同僚に駅まで送ってもらって青函連絡船と列車に乗り、上京した。
三笠山 護(みかさやま まもる、1935年1月2日 -没年不… 三笠山 護(みかさやま まもる、1935年1月2日 -没年不明 )は、出羽海部屋に所属した元力士。本名は戸田 護(とだ まもる)。現在の北海道三笠市出身。170cm、83kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、寄り。 1952年5月場所に初土俵、1957年3月場所に十両昇進し連続6場所務めた。1958年9月場所に23歳で廃業した。