佐川 遼(さがわ りょう、1994年3月13日 - )は、日… 佐川 遼(さがわ りょう、1994年3月13日 - )は、日本のプロボクサー。青森県青森市出身。第64代日本フェザー級王者。三迫ボクシングジム所属。 洋菓子メーカーのコロンバンの営業部で営業マンとして働いている。 ジャッキー・チェンの映画をみて格闘技に興味を持つ。中学生の時に同級生の小山内幹(現・三迫ジム)に誘われ、12歳でキックボクシングを始め、15歳でボクシングに転向。青森北高校、東京農業大学を経て、就職を機に、一度はボクシングをやめるつもりだったが、プロボクサーになった小山内幹のプロデビュー戦を観戦し、ボクシングへの想いを断ち切ることが出来ず、社長に直談判。会社公認のもと、サラリーマンとプロボクサー二刀流の人生を歩むことになり、大学の先輩吉野修一郎の誘いで三迫ボクシングジムに入門した。
ユータ松尾(ユータ まつお、1989年9月9日 - )は、日… ユータ松尾(ユータ まつお、1989年9月9日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県出身。ワールドスポーツボクシングジム所属。本名および旧リングネームは松尾雄太(まつお ゆうた)。かつては国際ボクシングスポーツジムに所属していた。 ボクシングははじめの一歩を読んで小学5年生から始めた。 青森商業高校、東洋大学を経て国際ボクシングスポーツジムに入門。 2012年8月13日に後楽園ホールにて本名の松尾雄太で及川太郎とフライ級4回戦を戦い、3回2分59秒TKO勝ちでデビュー戦を白星で飾ったが、2013年11月1日に後楽園ホールで行われた「第1回DANGANスペシャルA級トーナメント準決勝」にて鈴木武蔵とフライ級6回戦を行い、6回0-3(57-58、56-59、55-60)の判定負けでプロ初黒星を喫した。
渡辺 理想(わたなべ ゆうと、1983年12月28日 - )… 渡辺 理想(わたなべ ゆうと、1983年12月28日 - )は、日本の空手家、キックボクサー。青森県八戸市出身。元RISEライト級1位/元J-NETWORKライト級1位/株式会社IDEAL代表取締役/「IDEAL GYM」会長/「IDEAL FIGHT」代表。身長170cm、体重61.2 kg〜70 kg。現役選手時代は天才と言われ、極真カラテ・K-1・ムエタイのトップファイターとして活躍した。異名は「一撃の天才児」・「天才スナイパー」 幼少期にプロミュージシャンである父親の影響で、ピアノやドラムを学ぶ。 9歳の時に空手を始める。 1999年~2001年、全日本極真青少年空手道選手権大会 60kg以下で3連覇を果たす。
三浦 数馬(みうら かずま、1979年7月18日 - )は、… 三浦 数馬(みうら かずま、1979年7月18日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県弘前市出身。第33代日本スーパーバンタム級王者。ドリームボクシングジム所属。東洋大学卒業。ストレートが武器の技巧派ボクサー。ボクシングスタイルは変則の右ボクサーファイター。ニックネームは「SWEET」。現在は母校である東洋大学でボクシング部の監督を務めている。 青森県立弘前実業高等学校でボクシングを始め、インターハイベスト8(敗れた相手は臼井欽士郎)。高校卒業後、東洋大学に進学し、東洋大学ボクシング部では主将を務め、関東大学ボクシングリーグ(2部)で活躍した。関東大学ボクシングリーグ戦では後のWBC世界バンタム級王者山中慎介とも対戦しており勝利している。
木村 登勇(きむら のりお、1978年3月15日 - )は、… 木村 登勇(きむら のりお、1978年3月15日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県三沢市出身。第48代日本ライト級王者。 第31代日本スーパーライト級王者。日本スーパーライト級王座は13度防衛し、同級の最多連続防衛記録。仙台ボクシングジム(現・新日本仙台ボクシングジム)所属選手としてプロデビュー後、八戸帝拳ボクシングジムを経て、2000年より横浜光ボクシングジム所属。光星学院高等学校卒業。 キックボクサーの小比類巻太信とは三沢市の同郷で、小学校から高校まで同じ学校に通い、登下校、トレーニングなどをともにした古くからの親友である。 中学2年生から八戸帝拳ボクシングジムに通う。光星学院時代、1、2年時は顧問が掛け持ちを禁止していたため部活に所属できず、3年で顧問が代わり出場できたインターハイではライトウェルター級8位の実績を残した。
小比類巻 貴之(こひるいまき たかゆき、1977年11月7日… 小比類巻 貴之(こひるいまき たかゆき、1977年11月7日 - )は、日本の男性キックボクサー。青森県三沢市出身。光星学院高等学校卒業。 小比類巻道場会長。元ISKAオリエンタル世界スーパーウェルター級王者。旧リングネームは小比類巻 太信(こひるいまき たいしん)。 徹底的に自分を追い込む稽古を敢行することから「ミスターストイック」と呼ばれ、K-1 WORLD MAXで日本代表決定トーナメントを3度優勝した。 1月31日、全日本キックボクシング連盟興行でアクティブJからプロデビュー。箱崎雄三にKO勝ち。 5月30日、魔裟斗(当時:小林雅人)相手に、膝蹴りで3度ダウンを奪い3RTKO勝ち。 10月26日、全日本ウェルター王者・鈴木達也と対戦し、TKO勝ち。
畑山 隆則(はたけやま たかのり、1975年7月28日 - … 畑山 隆則(はたけやま たかのり、1975年7月28日 - )は、日本の元プロボクサー、YouTuber。青森県青森市出身。元WBA世界スーパーフェザー級王者。元WBA世界ライト級王者。世界2階級制覇王者。 現在は竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムマネージャー、太田プロダクション所属のタレント、実業家。 中学時代は野球部に所属、エースで1番として活躍し、将来はプロ野球選手になることを熱望していた。投手としてスポーツ推薦で青森山田高校に入学したが、先輩部員と対立し1ヶ月で退部。かねてより、同郷の元WBA世界フライ級王者レパード玉熊(国際)の世界戦を見ていたこともありプロボクサーも志望する。
柳澤 龍志(やなぎさわ りゅうし、1972年6月22日 - … 柳澤 龍志(やなぎさわ りゅうし、1972年6月22日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家、キックボクサー。青森県青森市出身。 中学、高校時代をむつ市で過ごす。青森県立田名部高等学校時代はボート部に所属し、インターハイに出場した。 1991年、プロフェッショナルレスリング藤原組に入団。1992年4月19日、東京体育館での冨宅祐輔戦でデビュー。 1992年12月、船木誠勝・鈴木みのるらと共に、藤原組を離脱。 1993年5月に設立されたパンクラスの設立メンバー。 1993年9月21日、パンクラスでプロ総合格闘技デビュー戦を行い、バス・ルッテンと対戦しKO負け。 1993年10月14日、プロ総合格闘技2戦目で船木誠勝に膝十字固めで一本負けを喫した。
レパード 玉熊(レパード たまくま、1964年1月25日 -… レパード 玉熊(レパード たまくま、1964年1月25日 - )は、日本の元プロボクサー。元WBA世界フライ級王者。「レパード玉熊ジム」会長。 青森県出身。本名は玉熊 幸人(たまくま ゆきひと)。 左ファイター。法政大学ボクシング部、国際ボクシングスポーツジム出身。 日本王座を獲得した試合では、ボディを打たれるたびにわざと苦しそうに唸り、相手の意識をボディに集中させるなど、頭脳的なボクサーである。 柔道家でロス五輪およびソウル五輪金メダリストの斉藤仁ならびに元レスリング選手でロス五輪銀メダリストの赤石光生とは親族関係である。また、母方の父は旭日章を受章した秋田県鹿角市の元市議会議長、阿部佐太郎である。
クラッシャー 三浦(クラッシャー みうら、1963年12月2… クラッシャー 三浦(クラッシャー みうら、1963年12月23日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は三浦 利美(みうら としみ)。青森県南津軽郡大鰐町出身。第48代日本バンタム級王者。現役時代は国際ボクシングスポーツジム所属。現在はドリームボクシングジム会長として後進の指導に当たる。エディ・タウンゼント賞受賞トレーナーでもある。弘前電波工業高等学校(現・弘前東高等学校)卒業。 高校時代はボクシング部に在籍し、1981年の国体では高校団体3位の成績を残した。その後、同郷の高橋美徳が経営する国際ボクシングスポーツジムでプロへ転向し、1982年5月25日、プロデビュー戦に4RTKO勝利を収めた。同年7月23日のプロ2戦目からライトフライ級で新人王戦に参戦したが、9月4日の予選2試合目で倉持正(角海老宝石)と対戦し、判定負けを喫した。
尾崎 富士雄(おざき ふじお、1961年10月7日 - )は… 尾崎 富士雄(おざき ふじお、1961年10月7日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県八戸市出身。帝拳ボクシングジム所属。階級はウェルター級。ニックネームは和製デュラン。 八戸工業大学第一高等学校時代にインターハイライトウェルター級準優勝、1980年5月19日、デビュー戦で奥秋照雄と対戦し、1RKO勝ちを収めた。 東日本ジュニアウェルター級新人王を獲得するが、全日本新人王決定戦では西日本の赤井英和に3RKO負けを喫した。 1982年8月6日、成田城健が持つ日本ライト級王座に挑戦し、判定で奪取。 1983年6月3日、シャイアン山本に判定で敗れ王座陥落するも、9月2日の再戦で判定で奪還。しかし、12月2日、友成光に7RKO負けを喫し、再び陥落。
小田桐 幸雄(おだぎり ゆきお、1956年(昭和31年)2月… 小田桐 幸雄(おだぎり ゆきお、1956年(昭和31年)2月10日 - )は、日本のボクサー。 青森県弘前市出身。弘前電波工業高等学校を経て、拓殖大学に入学する。同校在学中に、1976年モントリオールオリンピックにフェザー級で出場し、3回戦で敗退した。 ほか、1976年(昭和51年)全日本選手権フェザー級優勝、第8回アジア選手権ライト級準優勝、1977年(昭和52年)ベオグラード世界選手権出場などの結果を残した。 引退後は消防署員となり、弘前消防署西北分署などに勤務。ほか、弘前ボクシング協会理事長として後進の育成に当たった。
白鳥 金丸(しらとり かねまる、1942年(昭和17年)2月… 白鳥 金丸(しらとり かねまる、1942年(昭和17年)2月3日 - )は、日本の体育学者、アマチュアボクシング選手。 青森県青森市出身。青森県立北斗高等学校卒業後、早稲田大学に進学。 接近戦を得意とする選手で、1962年から1964年にかけてライト級の全日本チャンピオン。1962年アジア競技大会(第4回、ジャカルタ)にボクシング種目 (Boxing at the 1962 Asian Games) で出場し、ライト級で銀メダルを獲得した。 早稲田大学在学時、1964年東京オリンピックに日本代表の一人として選ばれ男子ライト級で出場した。メダルへの期待が高かったとされるが、3回戦で敗れた。のちに早稲田大学の授業で「自分がメダルを取れなかった理由」として、外国人選手の態度の大きさに圧倒されたこと(乱痴気騒ぎに辟易して寝不足になったという)、日本のボクシングチームのキャプテンとして試合前日まで奔走したこと(バンタム級の桜井孝雄が行方不明になったとして大騒ぎになったが、桜井は渋谷のバーで一人で飲んでいたという。
田辺 清(たなべ きよし、1940年10月10日 - )は、… 田辺 清(たなべ きよし、1940年10月10日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県青森市出身。1960年ローマオリンピックのフライ級銅メダリスト。不運な判定により五輪金メダルを懸けた決勝進出を妨げられ、プロ転向後は技術とパワーのバランスの取れた逸材として世界王座を嘱望されたが、世界挑戦を前に網膜剥離を発症し無敗のまま引退。 1958年、青森工業高校でボクシングを始め、高校日本一となった。 中央大学に進学。大学でアルバイトをしながら競技に打ち込み、国内タイトルを総なめにする。2年後輩に1964年東京オリンピック・バンタム級金メダリストとなった桜井孝雄がおり、公式戦では2度戦い、いずれも田辺が勝利。
高橋 美徳(たかはし よしのり、1939年4月26日 - 2… 高橋 美徳(たかはし よしのり、1939年4月26日 - 2018年5月23日)は、日本のプロボクサー・プロボクシング・トレーナー経験者、プロモーターである。青森県黒石市出身。現役時代は三迫ボクシングジム所属。階級はウェルター級、2017年3月まで国際ボクシングスポーツジム会長、東日本ボクシング協会副会長兼事務局長も務めた。 青森商業高校では1957年全日本高校選手権ライト級で優勝。 法政大学でも1961年、全日本大学ウェルター級優勝。 同年、三迫ジムに入門し、8月1日の奥山利夫戦でプロデビュー。 2戦目にKO負けを経験したが、その後は17連勝をマークする。 1963年3月9日、ウェルター級の世界ランク入り目指してアメリカの強豪ガーランド・ランドールと対決したが、2回KOに敗れた。