宇野 常寛(うの つねひろ、1978年11月17日 - )は… 宇野 常寛(うの つねひろ、1978年11月17日 - )は、日本の評論家、編集者。批評誌『PLANETS』『モノノメ』編集長。明治大学特別招聘教授。市民投稿型ニュースサイト「8bitnews」副代表。岩手県文化芸術アドバイザー。一般社団法人パブリックアフェアーズジャパン理事。 著作に『ゼロ年代の想像力』(2008年)、『リトル・ピープルの時代』(2011年)、『母性のディストピア』(2017年)、『遅いインターネット』(2020年)、『庭の話』(2024年)など。 2005年にインディーズで批評誌『PLANETS』を創刊、同誌を足がかりに活動の場を拡大し、2008年7月にデビュー作『ゼロ年代の想像力』(早川書房)を上梓した。
大谷 能生(おおたに よしお、1972年6月29日 - )は… 大谷 能生(おおたに よしお、1972年6月29日 - )は、日本の評論家、サックス奏者、ラッパーである。慶應義塾大学アート・センター訪問所員。 青森県八戸市出身。中学生の頃にジャズを好きになった。青森県立八戸高等学校卒業。18歳から演奏を始める。 横浜国立大学教育学部中退。大学ではモダンジャズ研究会(YNU MODERN JAZZ SOCIETY)に所属していた。1991年入学のOBであり、同期に安川一志がいた。 1996年から2002年にかけて大和田洋平、赤坂宙勇、臼田勤哉とともに「複製技術を前提とした音楽制作に対応する批評の確立」を目的とする音楽批評誌「EsPresso」を編集・執筆していた。
潮 匡人(うしお まさと、1960年〈昭和35年〉3月 - … 潮 匡人(うしお まさと、1960年〈昭和35年〉3月 - )は、日本の評論家、軍事ジャーナリスト、航空自衛官。帝京大学短期大学人間文化学科准教授、防衛庁広報誌「日本の風」(通巻6号で休刊)編集長。 京都府立鴨沂高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業(在学中は雄弁会幹事長を務める)。同大学院法学研究科修士課程修了、TBSテレビ報道制作部契約社員を経て、1983年、航空自衛隊に入隊(防衛大学校27期相当)。 航空教育隊区隊長、第8航空団修理隊計器小隊長、第304飛行隊付幹部、航空中央業務隊付(市ヶ谷駐屯地、航空幕僚監部法務課)、航空総隊司令部(総務課法務班兼防衛課防衛1班)、防衛庁長官官房広報課(広報誌「セキュリタリアン」編集長)等を歴任。
藤田 晴央(ふじた はるお、1951年- )は、日本の詩人、… 藤田 晴央(ふじた はるお、1951年- )は、日本の詩人、エッセイスト、評論家、児童文学研究者、(元)放送ディレクター。青森県弘前市出身・在住。日本大学ドイツ文学科卒業。 日本現代詩人会会員、青森県詩人連盟会長、弘前市立郷土文学館運営委員会委員長。 RAB青森放送のディレクターとして、 白神山地、三内丸山縄文遺跡、教育問題にまつわるテレビドキュメンタリーを多く企画・演出(2016年退職)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三浦 雅士(みうら まさし、1946年12月17日 - )は… 三浦 雅士(みうら まさし、1946年12月17日 - )は、日本の編集者、文芸評論家、舞踊研究者。日本芸術院会員。1978-80年は執筆時に今井裕康というペン・ネームを使用した。 「ユリイカ」「現代思想」の編集長を経て評論家に。文学、芸術、思想を中心に批評活動を展開する。著書に『メランコリーの水脈』(1984年)、『小説という植民地』(1991年)、『考える身体』(1999年)、『人生という作品』(2010年)など。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校卒業。 1969年、青土社創業とともに入社、『ユリイカ』創刊に参画。1972年より『ユリイカ』編集長。1975年より『現代思想』編集長。1982年退社。
長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年〈昭和9年〉9月3日… 長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年〈昭和9年〉9月3日 - 2018年〈平成30年〉10月18日)は、日本の小説家、評論家。ミュージシャンの大友康平は甥。 青森県弘前市出身。弘前市第一大成国民学校、弘前市立第三中学校、青森県立弘前高等学校卒業。早稲田大学第二文学部哲学科を中退し、読売新聞社に入社。1957年『週刊読売』記者となる。大島渚、永六輔、野坂昭如、筒井康隆、小林信彦らをいち早く評価し、彼らと交友する[要出典]。その後退職し、雑誌『映画評論』編集者、映画評論家・ルポライターを経て、作家となる。 1973年『津軽じょんから節』と『津軽世去れ節』により、第69回直木賞を受賞。1979年『鬼が来た-棟方志功伝』により、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
板垣 直子(いたがき なおこ、1896年11月18日 - 1… 板垣 直子(いたがき なおこ、1896年11月18日 - 1977年1月21日)は、日本の文芸評論家、日本近代文学研究家。 青森県北津軽郡栄村湊(現五所川原市)に平山兼吉の次女「なを」として生まれる。1914年青森県立弘前高等女学校(現・青森県立弘前中央高等学校、太宰治の姉トシが2学年上で寄宿舎で同室)、1918年日本女子大学校英文科卒、1921年、東京帝国大学の第一回女子聴講生となる。美学、哲学を聴講。美術評論家の板垣鷹穂と結婚。夏目漱石などについて多くの著述を行い、比較文学研究では島田謹二、吉田精一らと並ぶ存在とされる。長谷川時雨主宰の「女人芸術」の編集委員として林芙美子を見出した。また、国士舘大学等で教鞭をとっている。
陸 羯南(くが かつなん、安政4年丁巳10月14日(1857… 陸 羯南(くが かつなん、安政4年丁巳10月14日(1857年11月30日) - 明治40年(1907年)9月2日)は、日本の国民主義の政治評論家。日本新聞社長。正岡子規を育て、池辺三山、徳富蘇峰とともに明治の三大記者と称された。幼名は巳之太郎、のち実、号は羯南。 弘前藩の御茶坊主頭・中田謙斎と妻・なほ(旧姓、種市)の子として、陸奥国弘前(現・弘前市)在府町に生まれた。長男・次男 の両説がある。謙斎は微禄であった。 明治4年(1871年)頃から、藩校の教官・工藤他山の私塾・思斉堂に学び、明治6年(1873年)、旧藩校の後身・東奥義塾へ進み、明治7年(1874年)に宮城師範学校に転じたが、明治9年(1876年)に校長・松林義規(旧大村藩士)に逆らい退校処分を受けた。