村田林藏(むらた りんぞう、1954年10月25日 - )は… 村田林藏(むらた りんぞう、1954年10月25日 - )は、日本画家。日本美術院特待。師・平山郁夫。主に、親子牛・羊などの家畜や古都の風景、日本の自然の四季などのモチーフを得意とする。
岩手県:14人
村田林藏(むらた りんぞう、1954年10月25日 - )は… 村田林藏(むらた りんぞう、1954年10月25日 - )は、日本画家。日本美術院特待。師・平山郁夫。主に、親子牛・羊などの家畜や古都の風景、日本の自然の四季などのモチーフを得意とする。
松田 松雄(まつだ まつお、1937年4月26日 - 200… 松田 松雄(まつだ まつお、1937年4月26日 - 2001年4月25日)は、日本の洋画家。無所属。第10回昭和会展昭和50年度(1975年)林武賞受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
佐藤 晨(さとう しん、1935年 - )は、昭和期の日本画… 佐藤 晨(さとう しん、1935年 - )は、昭和期の日本画家。東京都荒川区日暮里に生まれる。
村上 善男(むらかみ よしお、1933年3月14日 - 20… 村上 善男(むらかみ よしお、1933年3月14日 - 2006年5月4日)は、日本の画家・現代美術家。岩手県盛岡市出身。岩手大学学芸学部卒業。弘前大学名誉教授。 岡本太郎に師事。1953年に二科展に初入選。1960年、第4回シェル美術賞展で佳作。東北を拠点に前衛美術家として活動した。また、詩人としての執筆活動もある。 2006年5月4日に心不全で死去。享年73。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
中居 清(なかい きよし、1925年4月6日 - 2017年… 中居 清(なかい きよし、1925年4月6日 - 2017年1月8日)は日本の杜氏、画家、陶芸家[要出典]。岩手県出身の南部杜氏である。 1925年(大正14年)4月6日、岩手県更木村(現在の北上市更木)の農家に生まれた。 1942年(昭和17年)11月5日、17歳のときから宮城県米谷町(現在の登米市)の酒蔵、佐藤酒造店で働き始めた。1943年(昭和18年)3月20日から徴用されて横浜の高射砲を製作する工場で働き、1944年(昭和19年)4月に徴兵検査を受けて甲種合格。終戦後は岩手に戻った後、宮城県石巻市の平孝酒造で平野佐五郎のもと働いた。1948年(昭和23年)から岩手県の喜久盛酒造で働いた後、1954年(昭和29年)11月から宮城県塩竈市の浦霞に移っていた平野佐五郎に再び入門した。
佐藤 圀夫(さとう くにお、1922年 <大正11年> 8月… 佐藤 圀夫(さとう くにお、1922年 <大正11年> 8月16日 - 2006年 <平成18年> 1月24日)は、日本画家、日本芸術院会員。岩手県出身。日展理事。名古屋芸術大学教授。主に風景を題材とし、重厚な色感ながら情感あふれる作品を描いた。位階は正五位。 岩手県九戸郡野田村出身。1946年東京美術学校日本画科首席卒業、同年第31回院展初入選。1948年に髙山辰雄らの日本画研究団体一采社に参加。1949年日展初入選。1951年から山口蓬春に師事。1954年、第10回日展で「冬」が特選・白寿賞を受賞。1959年第2回新日展「津軽の浜」が特選・白寿賞となり、1962年第5回新日展「夕凪」で菊華賞を受賞。
深沢 紅子(ふかざわ こうこ、1903年3月23日 - 19… 深沢 紅子(ふかざわ こうこ、1903年3月23日 - 1993年3月25日)は、日本の洋画家。岩手県盛岡市出身。夫深沢省三も洋画家・童画家。戦前戦後を通じ、堀辰雄や立原道造らの本の装幀のほか、童話の挿絵なども多く手がけた。深沢夫妻は作品を描き続ける一方、絵画指導を通じて児童教育にも熱心に携わった。
阿部 金剛(あべ こんごう、1900年6月26日 - 196… 阿部 金剛(あべ こんごう、1900年6月26日 - 1968年11月20日)は、日本の洋画家。 岩手県盛岡市出身。父は内務省官僚で、東京府知事でもあった阿部浩。東京府立第一中学校を経て、慶應義塾大学文学部予科中退。在学中から岡田三郎助に師事し、1926年渡仏。1929年東郷青児と共に油絵展覧会を開催。同年二科会展に初入選した。以後もメキシコやアメリカにて創作活動に励む。二科会会員。 超現実主義(シュルレアリスム)的な作品で脚光を浴び、また萩原朔太郎の「詩人の運命」の装丁もした。 1930年三宅艶子との結婚も当時の新聞紙上を賑わした。娘はエッセイストの三宅菊子、息子は彫刻家の阿部鷲丸。1968年11月20日、心筋梗塞のため東京逓信病院で死去。
深沢 省三(ふかざわ しょうぞう、1899年(明治32年)3… 深沢 省三(ふかざわ しょうぞう、1899年(明治32年)3月24日 - 1992年(平成4年)3月24日)は、日本の洋画家、童画家。岩手県内の美術教育にも尽力した。
及川 豪鳳(おいかわ ごうほう、1894年11月23日 - … 及川 豪鳳(おいかわ ごうほう、1894年11月23日 - 1970年4月29日)は、日本の画家。本名は一(はしめ)。 岩手県江刺郡岩谷堂町中町(江刺市を経て、現在の奥州市)生まれ。南画を得意とした父窟堂の影響を受け、幼少期から書画に親しんだ。1924年、川端画学校(日本画)に入学。師匠から一雪と名乗るように勧められたが、自ら豪鳳と称した。在学中、両親と支援者の伯父を失い、1918年の卒業と同時に江刺に帰った。江刺で数多くの作品を残し、病床で「筆一貫」の書を残して死去した。 豪鳳は画の展示販売を好まず、依頼主の要望に応じて何でも描いた。画風は精緻と評され、江刺地域を中心に200点以上の作品が現存する。
佐藤 耕方(さとう こうほう、1888年〈明治21年〉‐19… 佐藤 耕方(さとう こうほう、1888年〈明治21年〉‐1937年〈昭和12年〉5月28日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本画家。本名は藤太郎。水野年方および尾形月耕の門人であった。 1888年、岩手県水沢(現・奥州市)に、文化年間から繁栄してきた太物商の5代目当主として生まれる。藤太郎の出生直後に母ハツは19歳で死去、一関から来た父は実家に戻ってしまい、戸籍上で祖父弥一と祖母ミノの子となった。しかし、祖父は小学校在学中に死去。小学校卒業後は呉服修業のため上京、奉公先の子守をしながら近所に住む水野年方宅の庭先において年方が絵を描くのを見ることが日課となり、その熱心さを買われて年方に入門する。
五味 清吉(ごみ せいきち、1886年(明治19年)1月1日… 五味 清吉(ごみ せいきち、1886年(明治19年)1月1日 - 1954年(昭和29年)8月19日は、大正から昭和前期の洋画家。 岩手県南岩手郡仁王村四ツ家町(現在の盛岡市本町通2丁目)に、小原藤吉・タキ夫妻の7人兄弟の第5子(3男)として生まれる。藤吉は雫石町で古着・呉服屋を開業しており、一時は豆類や古道具、浮世絵なども扱っていた時期があり、幼い五味も浮世絵を見て絵に興味を持ったとも推測される。1892年(明治25年)盛岡第一尋常小学校、1896年(明治29年)盛岡高等小学校(現在の盛岡市立下橋中学校)、1901年(明治34年)盛岡中学校(現在の岩手県立盛岡第一高等学校)に進学する。同2年生の時、肋膜を患ったのがきっかけで、バプテスト派の盛岡浸礼教会に通い、E.H.ジョンズより受洗。
佐々木精治郎(ささき せいじろう、1885年〈明治18年〉1… 佐々木精治郎(ささき せいじろう、1885年〈明治18年〉12月8日 - 1971年〈昭和46年〉11月28日)は、日本の画家。岩手県江刺郡黒石村出身。 ロサンゼルス美術学校、ニューヨーク美術学院を卒業し、帰国。それ以降も渡欧などを経て、多くの展覧会出品や個展を開催する。 パステル画を中心とした作品が特徴である。 1885年12月8日、岩手県江刺郡黒石村長根(現:奥州市水沢黒石町字長根)の農家に7人兄弟の次男として生まれる。実家はかつて庄屋を務めるほど豪農である。1892年ごろ黒石村立博文尋常小学校(のちの奥州市立黒石小学校)に入学し、熊野神社神主より漢学を学んだ。卒業後、当時村内には高等小学校が無いため、胆沢郡前沢町の前沢尋常高等小学校へ進み、のちに七光社同人となる村上隆一と自炊生活を始めた。
萬 鉄五郎(よろず てつごろう、萬 鐵五郎、1885年11月… 萬 鉄五郎(よろず てつごろう、萬 鐵五郎、1885年11月17日 - 1927年5月1日)は大正~昭和初期の画家。