丸山 ゴンザレス(まるやま ゴンザレス、1977年10月30… 丸山 ゴンザレス(まるやま ゴンザレス、1977年10月30日 - )は、日本のジャーナリスト、コメンテーター、編集者、考古学者、YouTuber、國學院大學学術資料センター共同研究員。宮城県仙台市出身。株式会社マルヤマ製作所所属。國學院大學大学院文学研究科史学修士号。愛称は「マルゴン(丸ゴン)」。 仙台育英学園高等学校、國學院大學文学部史学科卒業。同大学院文学研究科史学修士号を取得後、無職、日雇い労働、出版社勤務を経て独立。犯罪、人権、貧困、文化問題などへの知見がある。テレビ番組「クレイジージャーニー」(TBS)では、世界中のスラム街や犯罪多発地帯を渡り歩く「危険地帯ジャーナリスト」として出演。
村上 和巳(むらかみ かずみ、1969年 - )は、日本のフ… 村上 和巳(むらかみ かずみ、1969年 - )は、日本のフリージャーナリスト。宮城県亘理郡亘理町出身。宮城県仙台第一高等学校、中央大学理工学部卒業。1994年にじほう(旧・薬業時報社)入社、2001年に退社後フリージャーナリストとして活動。
後藤 健二(ごとう けんじ、1967年9月22日 - 201… 後藤 健二(ごとう けんじ、1967年9月22日 - 2015年1月30日)は、日本のフリージャーナリスト。『ダイヤモンドより平和がほしい』で第53回産経児童出版文化賞受賞。宮城県仙台市出身。 主に中東を中心に紛争地域の取材を続ける中、イスラーム過激派のISILにシリアで拘束され、2015年1月30日に殺害された。 1967年(昭和42年)9月22日、宮城県仙台市で末っ子として生まれた。8歳上の兄と、姉がいる。父親は日立製作所勤務で転勤が多く、2歳の時に名古屋市、5歳の頃に東京に引っ越した。この頃母親は離婚して家を出て、父親は多忙であったため中学時代からは兄や姉に面倒を見てもらっていた。世田谷区立砧小学校、世田谷区立砧中学校から法政大学第二高等学校に進み、アメリカンフットボール部に所属したが、腰痛のため退部。
生島 淳(いくしま じゅん、1967年8月7日 - )は、日… 生島 淳(いくしま じゅん、1967年8月7日 - )は、日本のスポーツライター、スポーツジャーナリスト。みなと気仙沼大使、みやぎ絆大使。宮城県気仙沼市出身。 宮城県気仙沼高等学校、早稲田大学社会科学部社会科学科卒業後、広告代理店博報堂勤務と並行してスポーツライターとして活動、1999年に独立。ラグビー、水泳、卓球、駅伝など国内スポーツの取材・執筆活動のほか、NBAなどアメリカスポーツ関連の翻訳や番組キャスターをつとめる。ジャーナリストとして雑誌や新聞のコラムを担当するほか、選手個人にスポットをあてた伝記的な著作、選手の家族との共著などの著書があり、元メジャーリーグベースボール選手の長谷川滋利や石井一久などの本では構成を務め、スポーツドキュメントの本の構成も担当している。
多田 文明(ただ ふみあき、1965年3月31日 - )は日… 多田 文明(ただ ふみあき、1965年3月31日 - )は日本のルポライター、ジャーナリスト。詐欺・悪質商法評論家、キャッチセールス評論家、悪質商法コラムニスト、潜入ルポライターなどの肩書で知られる。宮城県仙台市出身、日本大学法学部卒業。ウインドイン所属。 1987年から1996年まで世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の信者として活動した経験を持つ。この体験をもとに、教団問題や社会に広がる詐欺・悪質商法・カルトの手口を調査し、被害防止のための啓発活動や講演、執筆を行っている。街頭でのキャッチセールスやアポイントメントセールスなど100カ所以上の現場に自ら潜入取材した経験を持ち、2001年から2002年にかけて雑誌で潜入ルポを連載、2005年に著書『ついていったら、こうなった』を出版。
玉川 徹(たまかわ とおる、1963年7月 - )は、日本の… 玉川 徹(たまかわ とおる、1963年7月 - )は、日本のコメンテーター、ジャーナリスト。『羽鳥慎一モーニングショー』のレギュラーコメンテーター。かつてはテレビ朝日報道局の局員として後述する前身番組でリポーターやディレクターを務めていた。 宮城県柴田郡大河原町出身。1982年宮城県仙台第二高等学校卒業、1987年京都大学農学部農業工学科卒業。1989年同大学院農学研究科修士課程修了。高校時代まではバイオテクノロジーに興味があったが、大学受験で希望が叶わず、大学では農業土木分野を専攻した。 『ドラえもん』(テレビ朝日制作のアニメ版)、『木曜スペシャル』(日本テレビ制作)、特撮番組などをテレビで見るのが好きであったことから放送業界を目指し、京都大学大学院修了後の1989年にテレビ朝日へ入社。
一力 敦彦(いちりき あつひこ、1962年6月23日 - )… 一力 敦彦(いちりき あつひこ、1962年6月23日 - )は、日本の実業家、ジャーナリスト。東北放送代表取締役社長。宮城県仙台市出身。 河北新報社、東北放送の社主でもあった一力一夫の次男として生まれる。曾祖父は河北新報社創業者の一力健治郎、祖父は河北新報元社長の一力次郎。兄は河北新報社代表取締役社長の一力雅彦、甥は河北新報社取締役で囲碁棋士の一力遼。 宮城県仙台第一高等学校、中央大学理工学部卒業後に河北新報社へ入社。電通出向等を経て、2010年に東北放送代表取締役社長に就任した。 高校の同級生に映画監督の岩井俊二がいる。
片野 道郎(かたの みちお、1962年 - )は、日本のジャ… 片野 道郎(かたの みちお、1962年 - )は、日本のジャーナリスト、翻訳家。 宮城県仙台市出身。父は国文学者で東北大学教授の片野達郎。東京都立大学人文学部卒業。サッカー専門誌を中心に活動している。1995年よりイタリア、ピエモンテ州アレッサンドリア在住。
正籬 聡(まさがき さとる、1960年 - )は、日本のジャ… 正籬 聡(まさがき さとる、1960年 - )は、日本のジャーナリスト。日本放送協会政治部長等を経て2020年~2023年まで副会長を務めた。 熱血な性格からNHK内では青年将校と綽名される。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第一高等学校を経て1983年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、日本放送協会(NHK)に記者として入局した。 2010年6月 報道局政治部長 2012年6月 報道局テレビニュース部長 2013年6月 報道局編集主幹 2015年5月 NHK大阪放送局長 2016年4月 NHK報道局長 2017年4月 NHK広報局長 2019年4月 NHK理事 2020年2月12日、NHK副会長・放送総局長 副会長に就任した際には専務理事などを経験しておらず、10人いる理事の末席からの抜擢となった。
大沼 安史(おおぬま やすし、1949年2月14日 - 20… 大沼 安史(おおぬま やすし、1949年2月14日 - 2020年6月22日)は、日本のフリージャーナリスト。宮城県仙台市出身。東北大学法学部卒業。福島原発事故による影響、教育問題、国際問題等を専門とする。生前より電磁波攻撃を受けていると主張し、2020年の死去後も夫人が同様の電磁波被害を受けていると主張している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田中 良紹(たなか よしつぐ、1945年5月1日 - 202… 田中 良紹(たなか よしつぐ、1945年5月1日 - 2025年10月7日)は、日本のジャーナリスト。 宮城県仙台市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。 現在はジャーナリストらのブログサイト「THE JOURNAL」の『田中良紹の「国会探検」』で政治についての評論をしているほか、チームニッポンの連載『田中良紹のニッポン維新』も行っている。BS11デジタルの田中康夫の番組にっぽんサイコー!にも頻繁に出演している。2009年11月14日よりインターネット「コールイン」番組『政治ホットライン〜あなたの声が届きます』のナビゲーターを務める。
岩渕 勝好(いわぶち かつよし、1945年 -2018年)は… 岩渕 勝好(いわぶち かつよし、1945年 -2018年)は、日本のジャーナリスト、産経新聞論説委員。東北福祉大学教授、川崎医療福祉大学教授。
辺見 庸(へんみ よう、本名:辺見 秀逸、1944年(昭和1… 辺見 庸(へんみ よう、本名:辺見 秀逸、1944年(昭和19年)、9月27日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト、詩人。元共同通信社記者。1991年、『文學界』(文藝春秋)1991年5月号「自動起床装置」で第105回芥川賞受賞。『もの食う人びと』(1994年)などのルポルタージュでも異彩を放つ。ほかに『赤い橋の下のぬるい水』(1992年)、『水の透視画法』(2011年)など。 宮城県石巻市南浜町出身。宮城県石巻高等学校を経て、早稲田大学第二文学部社会専修卒業。共同通信社に入社し、外信部のエース記者として知られた。北京、ハノイ特派員などを務め、北京特派員時代の1979年(昭和54年)には福原亨一と共に『近代化を進める中国に関する報道』により日本新聞協会賞を受賞(共同受賞)。
藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 20… 藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 2025年10月17日)は、日本のジャーナリスト、エッセイスト、ノンフィクション作家。時事通信社解説委員長、日本銀行副総裁、日立総合計画研究所社長などを務めた。 宮城県仙台市生まれ。1942年、言語学者の父に従って朝鮮の清津へ移住する。1944年、満洲の興安街に転居するが、1945年ソ連軍による侵攻の9時間前に脱出。安東で生活した後、1946年11月に帰国。 宮城県仙台第一高等学校を経て、1962年東京外国語大学フランス語科卒、時事通信社に入社。経済部記者として大蔵省担当。1967年よりオタワ[要出典]、ワシントン特派員。以後、日本銀行、経団連、外務省などの担当を経て、編集委員[要出典]、解説委員、解説委員長を歴任。
細谷 洋一(ほそや よういち、1932年2月28日 - 19… 細谷 洋一(ほそや よういち、1932年2月28日 - 1996年2月14日)は、日本のジャーナリスト。 宮城県仙台市出身。父は生理学者の細谷雄二。慶應義塾大学文学部卒。産経新聞社会部記者を経て、夕刊フジ報道部長、同編集長、産経新聞編集局長、日本工業新聞社長を務める。1966年、産経新聞東京本社社会部記者時代に、先天性心臓病などに苦しむ子供たちを救うための基金である『あけみちゃん基金』の創設に尽力。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
扇谷 正造(おうぎや しょうぞう、1913年3月28日 - … 扇谷 正造(おうぎや しょうぞう、1913年3月28日 - 1992年4月10日)は日本の文筆家、編集者、ジャーナリスト。 "週刊誌の鬼"の綽名で知られた。 宮城県遠田郡涌谷町出身。旧制石巻中学、旧制二高を経て、1935年に東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、朝日新聞社に入社。青森支局、仙台支局を経て、1937年に社会部記者、1938年に従軍記者として第101師団に配属され、武漢作戦に参加。1941年12月、再度従軍記者となり、フィリピンのリンガエン湾に上陸。 1944年(昭和19年)3月に補充兵として召集され、歩兵第4連隊に入営。朝鮮の羅南で三カ月の訓練を受け、通信兵となる。湘桂作戦(ト号作戦)に参加。
小山 東助(おやま とうすけ、1879年(明治12年)11月… 小山 東助(おやま とうすけ、1879年(明治12年)11月24日 - 1919年(大正8年)8月25日)は、衆議院議員(公友倶楽部→憲政会)、ジャーナリスト、教育者。号は鼎浦。 宮城県本吉郡気仙沼本郷(気仙沼町を経て現気仙沼市)出身。宮城県立尋常中学校、第二高等学校を経て、東京帝国大学文科大学哲学科に入学した。尋常中学校では吉野作造と回覧雑誌を発行し、高等学校でも吉野・内ヶ崎作三郎らと雑誌を編集した。大学でキリスト教と政治に傾倒し、海老名弾正の本郷教会に関係したほか、島田三郎に私淑した。 1903年(明治36年)に大学を卒業すると、島田が経営する東京毎日新聞社に入社した。その後、東京日日新聞に移り、また早稲田大学講師として倫理学・新聞学を担当した。
神田 正雄(かんだ まさお、1879年(明治12年)3月18… 神田 正雄(かんだ まさお、1879年(明治12年)3月18日 - 1961年(昭和36年)8月2日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、ジャーナリスト。 栃木県那須郡芦野町(現在の那須町)出身。交代寄合旗本芦野家の家老の家に生まれる。父に芦野宿戸長・大田原宿戸長を歴任した神田貞、兄に経済学者の神田孝一がいる。 宮城農学校を経て、1901年(明治34年)に東京専門学校政治経済科(現在の早稲田大学)を卒業。同年、清国四川省学堂に教育顧問兼教習として招聘され、地理教科書を著した。1905年(明治38年)、アメリカ合衆国のコロンビア大学に留学し、さらにイギリスのオックスフォード大学にも留学した。
佐々木 恒美(ささき つねみ)は、日本のジャーナリスト。河北… 佐々木 恒美(ささき つねみ)は、日本のジャーナリスト。河北新報社論説委員長。
ムツミ・タカハシ(英語: Mutsumi Takahashi… ムツミ・タカハシ(英語: Mutsumi Takahashi)は、カナダ人のジャーナリスト、カナダ勲章(Order of Canada)受賞者。1986年から、カナダ・ケベック州モントリオールのCTVテレビジョンネットワーク直営局・CFCF-DTでニュースキャスターを務めている。 1963年に日本の宮城県白石市からアメリカ・ボストンを経由してカナダに移住した後、ケベック州のモントリオール郊外のコート・サン・リュックで育った。6歳の時、トロント音楽院(英語版)でピアノを勉強していた。モントリオールのノートルダム・ド・グラース(英語版)地区にあるウェスト・ヒル高等学校(英語版)を卒業した。1976年にバニエ・カレッジ(英語版)を卒業した後、1979年にコンコルディア大学を卒業し、心理学の学士号を取得した。