土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日… 土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日 - 2014年(平成26年)7月30日 )は、日本の詩人・劇作家・社会運動家。本名:吉沢四郎(旧姓堀井)。 山形県鶴岡市出身。陸軍航空士官学校在校中に終戦を迎え、復員して、旧制新潟高等学校に編入、そこから東京大学法学部卒。1962年(昭和37年)、詩「十年たったら」でデビューした。この詩は、20歳代の日本共産党員を語り手とした詩だったので、それを読んだ壺井繁治が、作者も主人公と同じ境遇だと勘違いしたというエピソードがある。その後、詩人会議運営委員長、同顧問を歴任した。 1964(昭和39)年9月より1966(昭和41)年9月まで、中国 遼寧省大連市 大連日本語専科学校(現大連外国語大学)にて日本語教師を勤めた。
安宅 常彦(あんたく つねひこ、1920年〈大正9年〉8月3… 安宅 常彦(あんたく つねひこ、1920年〈大正9年〉8月31日 - 1998年〈平成10年〉10月18日)は、昭和期の労働運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。全電通東北地方本部委員長、山形県労働組合評議会議長、日朝国交正常化国民会議事務局長を務めた。 現在の山形県村山市で生まれる。1936年(昭和11年)仙台逓信講習所普通科を卒業。山形楯岡郵便局、山形電気通信部で勤務した。 1952年(昭和27年)全電通東北地方本部委員長、1955年(昭和30年)山形県労働組合総評議会議長に就任する。 1960年(昭和35年)第29回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。以来、旧山形2区から日本社会党の公認を受け立候補し、連続6回当選する。
寒河江 善秋(さがえ ぜんしゅう、1920年 - 1977年… 寒河江 善秋(さがえ ぜんしゅう、1920年 - 1977年)は、日本の社会活動家、作家。 山形県東置賜郡吉島村(現・川西町)生まれ。置賜農学校を卒業。18歳で満州拓殖公社に入社。訓練局訓練課に勤務し満蒙開拓青少年義勇軍の訓練等に従事した。太平洋戦争開戦に伴い1941年に軍属となり、愛知県豊橋市陸軍予備士官学校を経て、少尉としてハルマヘラで従軍し、当地で終戦を迎えた。1946年復員。 戦後、生地の吉島村にもどり、1947年に吉島村の青年団長となった。翌1948年にGHQの教育改革部門であるCIEが日本の教育指導者を対象として開催していたIFEL(The Institute for EducationalLeadership)講習会に参加し、グループワーク理論を学び、さらに満州での開拓経験を基に、1951年(昭和26年)深刻化していた農村の二・三男の失業対策として、かつ戦後の国土を青年の手で復興させるため、山形県産業開発青年隊運動を開始した。
日高 一輝(ひだか いっき、本名:鈴木 芳郎 すずきよしろう… 日高 一輝(ひだか いっき、本名:鈴木 芳郎 すずきよしろう、1912年(明治45年)1月6日 - 没年不明)は、日本の平和運動家、元世界連邦建設同盟理事長。元日本ラッセル協会常任理事。山形県鶴岡市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西村 力弥(にしむら りきや、1909年(明治42年)10月… 西村 力弥(にしむら りきや、1909年(明治42年)10月22日 - 1985年(昭和60年)5月6日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。衆議院議員。 山形市出身。1929年(昭和4年)山形県師範学校を卒業した。小学校訓導となり、農業、自由労働者、役場書記などを経て、再び小学校教員に就任。全教協最高闘争委員、全官公共闘委員会渉外部長、山形県教員組合執行委員長、山形県官公労働組合会議議長などを務めた。 1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙で山形県第1区から社会党左派公認で立候補して初当選し、以後、第29回総選挙まで連続して再選され、衆議院議員に連続5期在任した。この間、日本社会党出版部副部長、同軍事基地委員会事務局長、同軍事基地対策特別委員長、同社会主義理論委員会副委員長、同党両院議員総会副会長、原水爆禁止日本協議会顧問、日本平和委員会常任理事、山形県労農会議議長、山形日中貿易社長などを務めた。
横田 忠夫(よこた ただお、1900年(明治33年)5月15… 横田 忠夫(よこた ただお、1900年(明治33年)5月15日 - 1940年(昭和15年)10月3日)は、日本の社会運動家。 山形市出身。少年期に母の実家の盛岡市に移る。岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)に入るが、ストライキを指導したとして退学処分となる。のち、石川金次郎の「牧民会」に入るが、退会する。その後「下層民社」を設立する。1927年(昭和2年)、労働農民党の岩手県支部の結成に参画する。弾圧により同党が解散させられると、岩手無産党を組織し、書記長となり、県内各地の争議を指導した。1933年(昭和8年)、盛岡市議に当選する。1940年(昭和15年)、検挙され、盛岡市内の警察で剃刀で首を切って自殺した。
丸山 千代(まるやま ちよ、1887年5月28日 - 196… 丸山 千代(まるやま ちよ、1887年5月28日 - 1967年4月11日)は、日本の聾唖教育者、社会事業家、ソーシャルワークの実践者。丸山ちよと表記されることがある。 山形県米沢市で、丸山孝一郎の四女として生まれる。姉と妹が聾唖者であったことから聾唖教育を志し、山形県立米沢女学校(現在の山形県立米沢東高等学校)を経て日本女子大学校に進学した。1909年3月に同校を卒業した後は、教職に就くも病気のため郷里に戻った。その後、父親の死を契機に上京する。日本女子大学校の同窓会組織である桜楓会が運営を模索していた託児所経営に、1913年から主任保母として参加し、貧しい婦人の労働機会を確保するとともにその子弟が教育を受ける機会を広げた。
榊原 弥生(さかきばら やよい、1886年〈明治19年〉4月… 榊原 弥生(さかきばら やよい、1886年〈明治19年〉4月7日 - 1935年〈昭和10年〉4月19日)は、日本の婦人運動家。大正デモクラシーの時期の京都で、市民的な女性運動が盛んになった際に、その中心となって諸運動の連携に尽力した人物である。山形県鶴岡出身、明治女学校専攻科卒業。従兄弟に聖書学者の黒崎幸吉がいる。 1886年(明治19年)に誕生した。東京の明治女学校卒業を経て、熊本女学校や東京女子商業学校など、日本各地の女学校に教員として勤めた。兄の仕事の関係で、満州でも教鞭をとった。 1919年(大正8年)7月、当時の京都大学教授の厨川白村の勧めで、厨川の妻や中外日報記者ら女性たちと共に、知的階級女性による文化団体「京都PL会」を結成した。
田畑 染(たはた そめ、1875年 - 1952年)は、日本… 田畑 染(たはた そめ、1875年 - 1952年)は、日本の婦人運動家。旧姓:斎藤。 山形県八幡町(現在の酒田市)出身。1911年に草木尋常小学校の代用教員となり、1913年に夫の良吉とともに七滝尋常小学校に勤務した。1920年に良吉の転勤で秋田市に転居した。 1930年に婦選獲得同盟秋田支部を結成し、幹事を務めた(このときの幹部には和崎ハルなどがいた)。全日本婦選大会にも参加し、軍事予算反対などの発言を行った。 1952年、岩手県で死去した。
鈴木 信教(すずき しんきょう、1843年4月23日(天保1… 鈴木 信教(すずき しんきょう、1843年4月23日(天保14年3月24日) - 1892年(明治25年)10月2日)は幕末から明治初期の僧、社会事業家。孤児や貧しい子供たちの養育などで知られ、育てた子供の数は200人とも言われる。 1843年(天保14年)、出羽国村山郡(後の山形県東村山郡大郷村、現・山形市)生まれ。7歳で出家して陸奥国安達郡大玉村(現・福島県大玉村)の相応寺で修行、13歳からは京都の智積院で修行、その後は安達郡岩代町(現・二本松市)の東福寺、次いで息王寺の住職となり、1868年(明治元年)からは安積郡郡山町(現・福島県郡山市)の如宝寺の住職となる。 当時の郡山地域は戊辰戦争などで荒れ果てており、生まれたばかりの子供を育てられない家庭も多かったため、そうした子どもたちを引き取り、寺にて自費で育てて教育したり、「門前縞」という織物を教えたという。