乾 健斗(いぬい けんと、2006年6月28日 - )は、茨… 乾 健斗(いぬい けんと、2006年6月28日 - )は、茨城県水戸市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。オリックス・バファローズ所属。 小学校時代は軟式野球の『水戸サムライボーイズ』、水戸市立見川中学校時代は硬式野球の『水戸リトルシニア』でプレーした。 霞ヶ浦高校へ進学し、3年夏の茨城大会で公式戦デビューを果たし、3試合・8回2/3を投げて防御率2.08を記録。甲子園大会でも背番号11でベンチ入りし、智弁和歌山との2回戦(初戦)では登板機会が無かったものの、続く滋賀学園との3回戦で5点ビハインドの9回表から登板し、1イニングを三者凡退に抑えた。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、オリックス・バファローズから育成6位指名を受けた。
木村 優人(きむら ゆうと、2005年6月1日 - )は、茨… 木村 優人(きむら ゆうと、2005年6月1日 - )は、茨城県土浦市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 土浦市立斗利出小学校1年生のときに斗利出ベアーズで野球を始め、6年時は藤沢イーグルスでプレー。霞ヶ浦高校附属中学校では霞ヶ浦高校附属ボーイズに所属した。 中高一貫の霞ヶ浦高校に進学すると、1年夏はベンチ入りし、2試合にリリーフ登板。1年秋以降は、マウンドに上がらない試合では「3番・右翼手」で出場し、2年秋からはエースを務め、3年春の茨城大会で自己最速の150km/hを計測した。3年夏の茨城大会では準決勝を突破し、土浦日大との決勝では8回まで無失点に抑えたが、3点リードの9回に5失点し、逆転負けを喫した。
陽 柏翔(よう ぼうしゃん、ウェード式:Yang Po-hs… 陽 柏翔(よう ぼうしゃん、ウェード式:Yang Po-hsiang(ヤン・ボーシャン)、2005年1月23日 - )は、台湾台東市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 台湾原住民族のアミ族の生まれ。2022年春に来日し、明秀学園日立高等学校に転入した。当初は2021年に来日予定であったが、新型コロナウイルスの流行により1年遅れることとなった。チームにはムードメーカーや、中軸として貢献した。 2023年のNPBドラフト会議では指名漏れするも、同年に行われたベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)のドラフト会議で、茨城アストロプラネッツから特別合格枠で指名された。
日渡 騰輝(ひわたり とうき、2004年9月20日 - )は… 日渡 騰輝(ひわたり とうき、2004年9月20日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 龍ケ崎市立城ノ内小学校で4年生の時に龍ヶ岡ヤンキースで野球を始める。龍ケ崎市立城ノ内中学校在学時は硬式野球のクラブチームである取手ヤングでプレーしていた。 霞ヶ浦高等学校に進学し、1年秋から正捕手を務める。2年秋からは4番、主将を務めた。甲子園大会出場はなく、3年夏は茨城大会準決勝で土浦日大に敗れた。同学年に赤羽蓮、1学年下に木村優人がいた。プロ志望届を提出したが、2022年のドラフト会議での指名はなかった。 大学進学の選択肢もあったが、「1年でも早くプロで勝負して、ダメなら、あきらめて違う道も考えたい」という意向から、ベースボール・チャレンジ・リーグの茨城アストロプラネッツに入団した。
赤羽 蓮(あかば れん、2004年4月9日 - )は、茨城県… 赤羽 蓮(あかば れん、2004年4月9日 - )は、茨城県稲敷郡河内町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 河内町立かわち学園中学校在学時は硬式野球のクラブチームである江戸崎ボーイズに所属し、全国大会でベスト4に進出した。 霞ヶ浦高等学校では3年夏の茨城県大会で初めて背番号1を背負った。同大会では水海道一との3回戦に救援登板して自己最速を7km/h更新する152km/hを計測し、注目を集めた。しかし、この試合も含めて救援で2試合、合計1回2/3の登板に留まり、チームは準決勝で敗退した。3年間で甲子園大会出場はなし。 2022年10月20日に開催されたドラフト会議にて、育成1位で福岡ソフトバンクホークスから指名され、11月26日に支度金300万円、年俸360万円で入団に合意した。
一條 力真(いちじょう りきま、2003年2月10日 - )… 一條 力真(いちじょう りきま、2003年2月10日 - )は、茨城県石岡市出身のプロ野球選手。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 幼稚園年長時に兄の影響で石岡オリオンズで野球を始め、内野手・外野手としてプレーした。この時について一條はのちに「厳しくて何度もやめたいと思ったことがある」と話した。厳しい監督に対し、泣きながら投げ続けたこともあるという。小学4年時に投手に転向した。石岡中学校時代は軟式野球部でプレーした。中学3年時に県選抜に選ばれ、Kボールの全国大会に出場した。高校は常総学院高校で、高校入学時の球速は130 km/h前後であった。高校入学後は、同学年で硬式の取手リトルシニア出身の菊地竜雅が先に台頭し、軟式野球部出身の一條は軟式と硬式の違いを感じた。
河井稀祐(かわい きすけ、2002年10月4日 - )は、東… 河井稀祐(かわい きすけ、2002年10月4日 - )は、東京都大田区出身の社会人野球選手。右投左打の外野手。 船橋市立法典小学校1年時に牡鹿台ディアーズで野球を始める。2010年8月1日より藤上ベアーズと合併し藤上ディアーズに所属することとなった。小学5年時に東京都大田区に転居する事となり大田区立東調布第一小学校へと転校し少年野球チームも調布大塚ファイターズへ移籍する事となった。最高成績は第34回高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会東京都予選ベスト16であった。 中学時代は大田区立東調布中学校に進学し世田谷南ボーイズに所属した。在籍時の最高成績は日本少年野球春季全国大会ベスト8であった。同大会で2本の本塁打を放ち最多本塁打のタイトルも獲得している。
野口 渉(のぐち わたる、2002年1月30日 - )は、茨… 野口 渉(のぐち わたる、2002年1月30日 - )は、茨城県出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校時代は坂東ヴィクトリーアローズで、中学校時代は常総リトルシニアでプレーしていた。 高校は茨城県立境高等学校に進学し主将を務め、高3の夏には143km/hを記録した。チームとしては甲子園に出場することはなかった。 大学は共栄大学に進学し本格右腕として大学1年時に148k/mを記録。2年次の全日本大学野球選手権大会で登板するなど成長を見せていたが3年春のリーグ戦前に右肘を痛めその後リーグ戦登板はなかった。 2024年1月24日、同年シーズンから日本野球機構のウエスタン・リーグに新規参加するくふうハヤテベンチャーズ静岡に入団することが発表された。
髙橋 隆慶(たかはし たかのり、2001年12月21日 - … 髙橋 隆慶(たかはし たかのり、2001年12月21日 - )は、茨城県古河市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学3年生の時に野球を始める。古河市立総和北中学校では軟式野球部に所属していた。 明秀学園日立高等学校では甲子園出場なし。 中央大学では2年春から公式戦に出場。通算70試合の出場で、打率.267、4本塁打を記録するも、確実性に欠く場面が目立った。4年時にはプロ志望届を提出するも、指名漏れする。1学年上に森下翔太、3学年上に牧秀悟がいる。 JR東日本では、確実性をあげることや、目的意識をもって練習することを重点的に置いた結果、公式戦打率が.350を上回った。
鶴見 凌也(つるみ りょうや、2001年11月22日 - )… 鶴見 凌也(つるみ りょうや、2001年11月22日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 古河市立三和東中学校時代は小山ボーイズに所属。 常磐大学高等学校では、捕手として出場する他、3年夏の県大会には投手としても出場し、チームの準優勝の原動力となった。 2019年10月17日に行われたドラフト会議において、オリックス・バファローズから育成5位指名を受け、11月19日に支度金330万円、年俸240万円で入団に合意した。背番号は005。 2020年は、一軍・二軍共に出場がなかった。 2021年は、3月26日の広島東洋カープ戦で、二軍公式戦に初出場し、9回裏の初打席で初安打となる2点適時打を放った。
鈴木 寛人(すずき ひろと、2001年10月7日 - )は、… 鈴木 寛人(すずき ひろと、2001年10月7日 - )は、茨城県筑西市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 中学時代は筑西田宮ボーイズの投手として活躍。 霞ヶ浦高校に進学。同高校に進学した理由は「挨拶や礼儀、気配り」などの指導がしっかりしており、人間的にも成長できるだろうと考えたためであった。霞ヶ浦高校では1年秋からベンチ入りするも、高卒プロ入りの夢を諦めていたが、監督の言葉で立ち直り、3年夏に急成長を遂げた。3年の夏に第101回全国高等学校野球選手権大会に出場。 2019年10月17日に行われたドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け、契約金4500万円、年俸600万円で入団に合意した。
菊田 拡和(きくた ひろかず、2001年7月23日 - )は… 菊田 拡和(きくた ひろかず、2001年7月23日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手。右投右打。 土浦市立真鍋小学校1年時に牛久リトルで野球を始め、U-12日本代表に投手で選出されW杯に出場。土浦市立土浦第二中学校では取手ファイトクラブに所属し全国大会に出場。 常総学院高等学校では1年夏からベンチ入りし、2年夏の県大会は3番打者を務め準優勝。常総のバレンティンの異名で注目されるも、3年夏は県大会ベスト8で敗退し甲子園出場はなかった。高校通算本塁打は58本。 2019年10月17日に行われた2019年のプロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから3巡目で指名され、契約金5000万円、年俸600万円で入団した(金額は推定)。
岡田 桃香(おかだ ももか、2000年3月29日 - )は、… 岡田 桃香(おかだ ももか、2000年3月29日 - )は、茨城県出身の女子野球選手。つくば国際大学東風高等学校卒業。ポジションは外野手。血液型はA型。 2017年11月9日、10日に開催された入団テストに合格しプロ入り。 2019年9月19日から10月6日まで期間限定で埼玉アストライアへ移籍することが発表された。 2019年11月1日、今季限りで女子プロ野球リーグを退団することが発表された。 2020年からは新たに創設されるGOOD・JOB女子硬式野球部に所属する。2024年からは茨城ゴールデンゴールズでプレーする。初年度から女子チームのキャプテンを務めている。 50走7秒60、遠投66m。 女子プロ野球が開催した「美女9総選挙」では2018年は7位、2019年は6位に選出された。
渡辺 明貴(わたなべ あき、2000年1月29日 - )は、… 渡辺 明貴(わたなべ あき、2000年1月29日 - )は、山梨県笛吹市一宮町出身の日本のプロ野球選手(投手)。NPBでは育成選手だった。 日本で初めて、高等学校に在学しながらプロの独立リーグ選手となった。 笛吹市立一宮西小学校1年の時に1歳上の兄に影響されて一宮スポーツ少年団で軟式野球を始め、笛吹市立一宮中学校入学後は笛吹ボーイズでプレーしていた。中学卒業後は静岡県内の高等学校に進学し、硬式野球部に入部するも環境に馴染めず3か月で退部。学校も中退して故郷に戻り、一旦は現役を引退していた。中退後はすき家やホテル、ヤマト運輸といったアルバイトを転々としていた。 2015年9月から通信制の第一学院高等学校甲府キャンパスに入学。
古田島 成龍(こたじま せいりゅう、1999年6月29日 -… 古田島 成龍(こたじま せいりゅう、1999年6月29日 - )は、茨城県稲敷郡河内町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 河内町立長竿小学校2年生のときに河内サイクロンズで野球を始め、河内町立河内中学校では軟式野球部に所属。部員は10人であり、古田島の球を捕れるキャッチャーがいないことから、背番号1を付けながらも捕手を務めていた。 取手松陽高校では最速146km/h右腕として注目を集めていたが、2年時の3月にティー打撃中のバットが右こめかみに直撃し、陥没骨折。1か月後に復帰したものの、5月末からは原因不明の右肩痛を発症し、3年夏の茨城大会は一塁手として出場した。
遠藤 淳志(えんどう あつし、1999年4月8日 - )は、… 遠藤 淳志(えんどう あつし、1999年4月8日 - )は、茨城県土浦市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 小学1年生から斗利出ベアーズ(当時)で野球を始め、4年生から投手として活躍。 土浦市立新治中学校を経て、霞ケ浦高校に入学。1年の夏にはチームが甲子園出場を果たしたものの、ベンチ入りできず、1年秋から念願のベンチ入りを果たした。2年の秋からエースとして活躍が期待されたが、夏休み中に右手の甲を縫うけがを負ったため調整が遅れて登板できなかった。しかしオフシーズンに練習を重ね3年春の関東大会にはベスト8の原動力となって注目を集め、第99回全国高等学校野球選手権大会・茨城大会2回戦では日米8球団20人のスカウトが視線を送る中、自身の最速に2キロ迫る140キロを計測。
山中 尭之(やまなか たかゆき、1999年3月10日 - )… 山中 尭之(やまなか たかゆき、1999年3月10日 - )は、茨城県結城市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 つくば秀英高校時代は全国大会出場は無かった。また同学年に長井良太、一学年上に野澤佑斗が在籍していた。 東京新大学野球連盟1部の共栄大学時代は2年秋に打率.364でベストナインに選出された。 2020年12月6日に行われたベースボール・チャレンジ・リーグのトライアウトに合格し、茨城アストロプラネッツへ入団。 2021年はリーグ3位となる11本塁打を打ち、読売ジャイアンツ三軍との練習試合では、同年一軍登板もある沼田翔平からレフトオーバーの二塁打を放った。
片山 皓心(かたやま ひろみ、1998年10月31日 - )… 片山 皓心(かたやま ひろみ、1998年10月31日 - )は、茨城県ひたちなか市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 勝田スポーツ少年団にて野球を始める。中学時代は軟式野球部で野球をしていた。 茨城県立日立第一高等学校では控え投手であった。甲子園出場経験はなし。この時の最速は133km/hにとどまっていた。 桐蔭横浜大学では4年時にようやくエースの座に君臨。4年秋のリーグ戦では6勝1敗、防御率1.39という成績を残して、優勝に貢献。秋の横浜市長杯では3試合連続完投をし、優勝に貢献した。同期に渡部健人がいる。 Hondaでは1年目に春の新人大会となる東京スポニチ大会で、2試合をいずれも完投して防御率1.00を記録し、新人賞を受賞した。
鈴木 昭汰(すずき しょうた、1998年9月7日 - )は、… 鈴木 昭汰(すずき しょうた、1998年9月7日 - )は、茨城県土浦市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 土浦市立東小学校1年時から美浦ブレーブスで野球を始め、3年時からは永国東ジャイアンツでプレー。 土浦市立土浦第四中学校に進学し、土浦霞ケ浦ボーイズに所属。チームメイトかつ同級生に佐野如一がいた。全国大会で準優勝を果たし、U-15の日本代表入りした。 常総学院高校進学後は、1年秋からエースを務め、2年春の第87回選抜高等学校野球大会に出場。初戦の米子北戦で7回6安打無失点で勝利を収めると、続く今治西戦でも7回と1/3を1安打無失点で勝利し、ベスト8進出を果たした。
佐野 如一(さの ゆきかず、1998年9月2日 - )は、茨… 佐野 如一(さの ゆきかず、1998年9月2日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 土浦市立土浦第四中学校時代は陸上部で、野球は土浦霞ヶ浦ボーイズでプレーした。同じチームに同学年の鈴木昭汰が在籍していた。 霞ヶ浦高等学校へ進学後、1年からベンチ入り。2年時には全国高等学校野球選手権大会に出場。3年時には主将としてチームを牽引した。同学年に根本薫、1学年上に綾部翔、1学年下に遠藤淳志が在籍していた。 仙台六大学野球連盟に所属する仙台大学体育学部に進学。硬式野球部では、1年から外野手として活躍。2018年春季リーグ戦と2019年春季リーグ戦では外野手としてベストナインを獲得した。
根本 薫(ねもと かおる、1998年7月29日 - )は、茨… 根本 薫(ねもと かおる、1998年7月29日 - )は、茨城県稲敷市出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 中学生時代には、取手リトルシニアに所属していた。 霞ヶ浦高等学校への進学後は、1年時から中堅手としてレギュラーの座を確保。2年生の夏にはチーム史上初めて選手権全国大会への出場を果たすと、代打として1打席ながら阪神甲子園球場の打席に立った。「4番・中堅手」として臨んだ3年夏の選手権茨城大会では、準決勝で細川成也を擁する明秀日立に敗れた。リトルシニア・高校時代のチームメイトに1歳年上の綾部翔、高校での1学年後輩に遠藤淳志がいる。 高校時代には、対外試合で主に外野手として起用されるとともに、通算で25本塁打を記録。
大関 友久(おおぜき ともひさ、1997年12月14日 - … 大関 友久(おおぜき ともひさ、1997年12月14日 - )は、茨城県土浦市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校1年生から野球を始め、土浦市立都和中学校時代は硬式野球のクラブチームである常総ドリームボーイズに所属。茨城県立土浦湖北高等学校では1年秋からチームのエースとなったが、3年夏は右手を疲労骨折していた影響もあって3回戦で敗退し、プロ志望届を提出したものの指名漏れとなった。甲子園出場経験は無し。 その後仙台大学に進学し、1年春からリーグ戦に出場。リーグ戦では通算19試合に登板して4勝3敗、54回1/3を投げて防御率3.15という成績を残し、2019年9月24日付でプロ志望届を提出したが、チームのエース格ではなく、ドラフト前の調査書が届いたのは福岡ソフトバンクホークスのみであった。
原 嵩(はら しゅう、1997年12月6日 - )は、茨城県… 原 嵩(はら しゅう、1997年12月6日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 龍ケ崎市立松葉小学校、龍ケ崎市立長山中学校卒業。中学生時代は竜ケ崎シニアに所属。 専修大学松戸高校に入学すると、1年春からベンチ入りを果たすなど早い時期から頭角を現し、1年秋の新チームから背番号1を背負う。投手のほか外野手としても起用され、投打の双方でチームの中心を担った。2年夏は千葉大会決勝で東海大望洋高校に敗戦。3年夏は4番投手としてチームを牽引し、千葉大会決勝の習志野高校戦では満塁ランニング本塁打を打ち、チームを初の甲子園出場に導いた。甲子園1回戦の花巻東高校戦は5回途中で4点を失い降板し、試合も敗戦した。
野澤 佑斗(のざわ ゆうと、1997年11月6日 - )は、… 野澤 佑斗(のざわ ゆうと、1997年11月6日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 古河第六小学校の1年生から古河プレーボールで捕手として野球を始め、古河第一中学校では投手に転向する。 つくば秀英高等学校に進学。1年生から背番号11番で起用され、3年生の夏の茨城県大会では、5回無安打7奪三振を記録し注目される。 2015年10月22日に行われたプロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから育成選手ドラフト1巡目で指名され、支度金300万円、年俸270万円(いずれも推定)で入団した。 2016年は、二軍公式戦での登板はなく、三軍戦では16試合に登板し、15回1/3を投げ、1勝1敗、防御率4.70でシーズンを終えた。
海老 悠(えび はるか、1997年7月12日 - )は、茨城… 海老 悠(えび はるか、1997年7月12日 - )は、茨城県神栖市出身の元女子プロ野球選手。血液型はA型。 小学校1年生で軟式野球を始め、神栖市立波崎第三中学校を経て、埼玉県にある埼玉栄高等学校に入学。 2015年に入団テストに合格。高校卒業後は2016年にレイアに入団。 2017年は最初の埼玉アストライアからシーズン途中レイアに戻り、2018年から2019年6月まで埼玉アストライアに復帰、2019年7月から愛知ディオーネでプレーした。 2019年11月に引退。2020年から佐川急便女子硬式野球部の選手になる。
綾部 翔(あやべ かける、1997年4月25日 - )は、茨… 綾部 翔(あやべ かける、1997年4月25日 - )は、茨城県取手市出身の元プロ野球選手(投手)、右投右打。 茨城県取手市出身。永山小学校1年時から新取手リトルメッツで野球を始め、永山中学校では取手シニアに所属していた。 霞ヶ浦高校進学後、1年の秋から野手としてベンチ入り。2年夏の茨城県大会は控え投手としてベンチ入りしたが、県大会決勝で藤代高校相手に3-12と大敗。綾部も2回2失点と打たれ、これで霞ヶ浦高校は2年連続5度目の県大会決勝敗退となった。その後2年の秋からエースとなる。3年の夏には茨城県大会3年連続で決勝に進出し、日立第一高校と対戦。綾部は2点リードの7回からリリーフし、3回をパーフェクトに抑えて胴上げ投手に。
柳町 達(やなぎまち たつる、1997年4月20日 - )は… 柳町 達(やなぎまち たつる、1997年4月20日 - )は、茨城県稲敷市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校1年から新利根エンゼルスで野球を始め、中学校では取手シニアに所属する。中学校では2年時に三塁手として全国大会優勝を経験する。 中学校卒業後は慶應義塾高等学校に進学し、1年春より三塁手のレギュラーを獲得する。甲子園出場経験はない。同期に津留﨑大成、植田将太がいる。 2016年の高校卒業後、津留﨑や植田ともに慶應義塾大学に進学。1年春の東京六大学リーグ開幕戦に出場し、2ランを放つなど活躍し、ベストナインを獲得する。2年の時にJR東日本との練習試合でソフトバンクが板東湧梧(2018年秋のドラフト4位で指名)を視察するために訪れていたスカウトの福山龍太郎の目の前で板東から右翼席へ本塁打を放った。
宇草 孔基(うぐさ こうき、1997年4月17日 - )は、… 宇草 孔基(うぐさ こうき、1997年4月17日 - )は、東京都墨田区出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。コトラーシュカ・プラハ(チェコ語版)所属 墨田区立向島中学校卒。墨田リトルリーグ、シニアを経て常総学院高等学校に入学。在学中の2015年には第87回選抜高等学校野球大会に出場し準々決勝に進出、2015 WBSC U-18ワールドカップに出場するU-18代表に選出された。法政大学進学後3年生の秋季にレギュラーとなり、4年生の春季にはベストナインに選出、第43回日米大学野球選手権大会にも選出されている。高校・大学の1年後輩に鈴木昭汰がいる。 2019年10月17日に行われたドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け、11月19日に契約金8000万円、年俸1200万円(金額は推定)で入団に合意した。
髙橋 優貴(たかはし ゆうき、1997年2月1日 - )は、… 髙橋 優貴(たかはし ゆうき、1997年2月1日 - )は、茨城県ひたちなか市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 ひたちなか市立田彦小学校3年から勝田スポーツ少年団で野球を始める。ひたちなか市立田彦中学校では友部リトルシニアでプレーした。東海大学菅生高等学校では1年夏からベンチ入りした。3年夏には西東京大会で決勝まで進み、日本大学鶴ヶ丘高等学校と対戦した。高橋はリリーフで登板したが9回にサヨナラ打を打たれ甲子園出場はならなかった。八戸学院大学に進学後は北東北大学リーグで通算50試合に登板し、20勝12敗、リーグ最多となる通算301奪三振の新記録を樹立し、それまで多和田真三郎が持っていた奪三振記録299を更新した。
渡邉 諒(わたなべ りょう、1995年4月30日 - )は、… 渡邉 諒(わたなべ りょう、1995年4月30日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手)。
生田目 翼(なばため つばさ、1995年2月19日 - )は… 生田目 翼(なばため つばさ、1995年2月19日 - )は、茨城県那珂郡大宮町(現:常陸大宮市)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 常陸大宮市立村田小学校3年から常陸大宮リトルで硬式野球を始め、投手兼捕手で4番を務めた。常陸大宮市立第二中学校では軟式野球部に所属し、内野手を経て、2年秋からはエースで3番を打っていた。 水戸工業高等学校では1年秋から「4番・遊撃手」、2年秋からはエースとして県8強、3年夏も県8強に進出したが甲子園出場はできなかった。 流通経済大学では1年春から救援でベンチ入り。 翌2年春のリーグ戦でエースの座を獲得し、4勝3敗、防御率2.59で投手十傑入りを果たす。
中塚 駿太(なかつか しゅんた、1994年12月26日 - … 中塚 駿太(なかつか しゅんた、1994年12月26日 - )は、茨城県つくば市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 小学校4年生から野球を始め、中学校までは捕手に就いていた。 つくば秀英高等学校で投手に転向したが、甲子園出場はなかった。 白鷗大学に進学し、3年秋から実戦に登板し始め、4年秋の新潟医療福祉大学戦で投手人生初の完投を完封で飾った。 2016年9月7日にプロ志望届を提出し、同年10月20日に行われたドラフトにて埼玉西武ライオンズから2位指名を受け、契約金7,000万円・年俸1,200万円(金額は推定)で契約した。背番号は22。なお同ドラフトにて阪神タイガースから1位指名された大山悠輔は、高校・大学を通じてのチームメイトである。
大山 悠輔(おおやま ゆうすけ、1994年12月19日 - … 大山 悠輔(おおやま ゆうすけ、1994年12月19日 - )は、茨城県下妻市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 下妻市立宗道小学校1年時に軟式野球チーム「宗道ニューモンキーズ」に入団、投手兼内野手として野球を始め、下妻市立千代川中学校では軟式野球部に所属。高校進学に際しては県内の強豪校からの誘いがあったが、憧れの存在であった2学年上の塚原頌平がいたことや、野球部監督の沢辺卓己の誘いもあり、つくば秀英高等学校へ進学。進学後は、1年時から投手兼遊撃手を務め、通算27本塁打を打った。2学年上に塚原、同学年に中塚駿太がいたが、在学中には春夏とも甲子園球場での全国大会に出場できなかった。
佐藤 拓也(さとう たくや、1994年8月12日 - )は、… 佐藤 拓也(さとう たくや、1994年8月12日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の野球選手。JR東日本硬式野球部所属、右投左打。 7歳で野球のキャリアをスタートさせ、小学校4年生から投手のポジションにつき、鹿島中学校時代には軟式野球部に所属していた。浦和学院高校時代には、1年生の春から内野手でベンチに入り、1年の秋から、背番号1番を背負い、投手として明治神宮大会でベスト4に入る。高校3年生の時には春の選抜高校野球において、ベスト8に入るなど、甲子園に3回出場した経験を持ち、その後、立教大学に入学。大学1年生の春から東京六大学野球リーグ戦に出場し、大学2年生から4年生には大学野球の日本代表に選ばれており、2015年には第28回ユニバーシアード競技大会に出場して金メダルを獲得した。
塚田 貴之(つかだ たかゆき、1993年9月26日 - )は… 塚田 貴之(つかだ たかゆき、1993年9月26日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校2年生から野球を始め、白鷗大学足利高等学校、白鷗大学では投手を務めた。高校1年生の頃にヘルニアと成長痛を併発し、1年時は全く練習できないままだったという。 2015年度ドラフト会議でオリックス・バファローズから育成ドラフト1位で指名され、11月下旬に支度金300万円、年俸250万円で仮契約。背番号は120に決まった。 2016年シーズン序盤、ウエスタン・リーグで11試合に救援登板して防御率1.35の好成績を残し、4月15日に支配下登録を勝ち取った。これに伴い、背番号が91に変更となった。
柿沼 友哉(かきぬま ともや、1993年5月12日 - )は… 柿沼 友哉(かきぬま ともや、1993年5月12日 - )は、茨城県つくば市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 市立松代小学校時代は「松代ブルーサンダース」、市立手代木中学校時代は「つくばリトルシニア」に所属していた。中学3年時点で身長が163cmと小柄で強豪校からは声が掛からず高校は知人の紹介で誠恵高校に進学する。 高校では4番で臨んだ3年夏の県大会3回戦で延長11回逆転サヨナラ負け。 日本大学国際関係学部では、2年の春に肘を痛めトミー・ジョン手術を受け、1年間試合に出場出来ない日々を送る。4年生の時の東海地区大学野球秋季選手権大会では敗者復活1回戦で完全試合を達成した嘉代誠をリード、続く第11回東海・北陸・愛知三連盟王座決定戦でも「4番・捕手」として先発出場した。
塚原 頌平(つかはら しょうへい、1992年7月8日 - )… 塚原 頌平(つかはら しょうへい、1992年7月8日 - )は、茨城県結城市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 絹川小学校時代から野球を始めるが、野球より空手に打ち込み、関東大会で優勝経験を持つ。結城南中学校時代からは軟式野球部に所属。 つくば秀英高等学校2年生時の秋以降、公式戦全6試合で58回2/3を投げて投球回を上回る60三振を奪い、一部では「茨城のドクターK」とも評された。3年生時の夏の甲子園・茨城大会では初戦に先発登板し、2回2/3を投げ6失点でチームも敗れた。高校生時に直球の最速は146km/hを記録。 2010年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズに4巡目で指名。契約金4,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。
黒沢 征治(くろさわ せいじ、1992年3月12日 - )は… 黒沢 征治(くろさわ せいじ、1992年3月12日 - )は、日本の競輪選手、元社会人野球選手(投手)。茨城県鉾田市出身。日本競輪選手会埼玉支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第113期生。妻は同じく競輪選手の黒沢夢姫(114期。旧姓、吉田)。 常磐大学高等学校では茨城県大会ベスト16が最高で甲子園出場経験はなし。 常磐大学時代は直球が最速152Km/hを記録し、プロ野球のスカウトから注目されるも、プロ志望届を提出せずに社会人野球のHondaに入社した。 Hondaではスピードが売りだった一方でコントロール不足を露呈し、チームは都市対抗野球大会や社会人野球日本選手権大会に連続出場したが、自身に活躍の機会はなくわずか2年で退部。
六角 彩子(ろっかく あやこ、1991年10月24日 - )… 六角 彩子(ろっかく あやこ、1991年10月24日 - )は、日本の女子野球選手(内野手)、女子野球・ベースボール5の日本代表。WBSC Baseball5公認インストラクター。茨城県出身。 小学4年生で兄の影響からリトルリーグで野球を始め、中学は軟式野球部でポジションは投手、遊撃手。 高校は埼玉栄高等学校に進学し、女子硬式野球部に入り、ポジションは投手、二塁手、三塁手。中学では唯一の女子部員だったが高校では全員女子部員になりプライベートも充実したという。 帝京平成大学に進学し、卒業と共に理学療法士の資格を取得する。 2010年のIBAF女子ワールドカップでは日本代表に選ばれ、大会ではMVPと首位打者に選出された。
西宮 悠介(にしみや ゆうすけ、1991年5月1日 - )は… 西宮 悠介(にしみや ゆうすけ、1991年5月1日 - )は、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校3年の時に荒川沖サニーズで野球を始めると、土浦市立土浦第三中学校時代は土浦シニアに在籍。佐野日本大学高等学校への進学後は、1年秋からのベンチ入りを経て、2年秋からダブルエースの1人として活躍した。3年夏の選手権栃木大会では、栃木県立鹿沼商工高等学校戦との準々決勝でダブルエースによる完封リレーを達成。救援で登板した西宮は、キレのあるスライダーとストレートで、鹿沼商工打線を寄せ付けなかった。しかし、栃木県立宇都宮工業高等学校との準決勝に敗れ、在学中には春夏とも甲子園球場の全国大会に出場できなかった。
飯田 大祐(いいだ だいすけ、1990年9月19日 - )は… 飯田 大祐(いいだ だいすけ、1990年9月19日 - )は、茨城県稲敷郡阿見町出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打で、現役引退後の2021年からオリックス・バファローズのコーチを務めている。 茨城県稲敷郡阿見町に生まれる。阿見小学校1年生から野球を始め、小学5年生から捕手を務める。阿見町立阿見中学校では軟式野球部に所属。 常総学院高校では1年夏からベンチ入りし、3年連続で夏の甲子園に出場。第88回全国高等学校野球選手権大会では試合出場はなかった。その後、1年秋からレギュラーとして活躍。第89回全国高等学校野球選手権大会では1学年先輩のエース清原大貴とバッテリーを組み、初戦の京都外大西高校戦では9回1安打無失点に抑えていたが、延長では点の取り合いになり、延長12回で3-5で敗れた。
石崎 剛(いしざき つよし、1990年9月9日 - )は、茨… 石崎 剛(いしざき つよし、1990年9月9日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(投手)。 古河市立諸川小学校時代に野球を始める。同市立三和北中学校では軟式野球部に所属。 茨城県立三和高校への進学後は、2年生の夏から3年生の春まで部員9人・指導者2人という環境下ながら、オーバースローから最速145km/hの速球を投げることで注目された。しかし、甲子園球場での全国大会とは無縁で、卒業後に社会人野球の住友金属鹿島へ入社した。 住友金属鹿島への入社後に腰痛を発症したことから、腰への負担が少ない投球フォームを模索。その結果、従来のオーバースローから右腕の位置を下げたスリークォーターへ転向した。
坂寄 晴一(さかより せいいち、1990年4月5日 - )は… 坂寄 晴一(さかより せいいち、1990年4月5日 - )は、茨城県鉾田市出身の元プロ野球選手(投手)、警察官。左投左打。 茨城県立鉾田第一高校から国士舘大学へ進学。2年生の時に東都大学野球リーグ・春季リーグでの国学院大戦(4月7日)で先発登板し、8回2/3を投げ無失点の成績で、チームに15年ぶりの同リーグ1部での勝利をもたらした。3年春の入替戦初戦で先発するも敗戦投手となり、結局降格。秋以降は2部リーグで4年秋は最下位となるが3部との入替戦では2戦とも先発して勝利投手で2戦目は完封。1部リーグ通算、17試合1勝5敗、防御率2.94。 JR東日本での2年目の2014年、5月10日に行われた巨人の二軍との交流戦に先発、5回を投げて1人のランナーも出さなかった(パーフェクトピッチング)。
菊池 保則(きくち やすのり、1989年9月18日 - )は… 菊池 保則(きくち やすのり、1989年9月18日 - )は、茨城県久慈郡大子町出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 小学生(大子町立矢田小学校)の時は、ドッジボールの全国大会に出場。大子町立大子中学校卒。常磐大学高等学校では1年時からベンチ入りし、2006年秋季茨城県大会で準優勝し、関東大会に出場した。初戦で唐川侑己擁する成田高校と対戦し、相手打線を6安打に抑えるも味方打線の援護なく敗れセンバツ出場を逃した。3年時にエース兼4番として活躍。夏の茨城県大会では準決勝の東洋大牛久高校戦では16奪三振で完封勝利を挙げる。しかし決勝戦で清原大貴擁する常総学院に敗戦、甲子園出場は叶わなかった。 2007年10月3日、高校生ドラフトにて東北楽天ゴールデンイーグルスから4巡目指名を受け、入団。
塚田 正義(つかだ まさよし、1989年7月23日 - )は… 塚田 正義(つかだ まさよし、1989年7月23日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手)。右投右打。 小学校2年時に地元の少年団で軟式野球を始めると、茨城県立古河第一高等学校へ進学。高校では、2年時の秋から主将を務めると、3年時の夏には「1番・遊撃手」として選手権茨城大会へ出場した。しかし、在学中は甲子園球場での全国大会と無縁で、卒業後に白鷗大学へ入学した。 白鷗大学では、1年時から主力選手として関甲新学生野球のリーグ戦で活躍。1年時の秋に打点王、4番打者を任された2年時の秋に打点王と首位打者、4年時には春秋連続で盗塁王のタイトルを獲得したほか、三塁手で1回、遊撃手で3回ベストナインに選ばれた。
清原 大貴(きよはら だいき、1989年6月11日 - )は… 清原 大貴(きよはら だいき、1989年6月11日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学校時代の同級生にはフリークライマーの野口啓代がいる。 小学校3年時に竜ケ崎リトルで野球を始める。 中学生(竜ヶ崎シニア)時代には投手として関東シニア三羽烏と呼ばれるまで成長し、卒業後は2学年上の兄を追い常総学院高校へ進学。下級生の時は主に三塁手として主軸を打ち、2年春に投手に転向。同年夏に投手兼内野手として第88回全国高等学校野球選手権大会に出場し、初戦の対今治西戦で代打として安打を放ちリリーフとして好投するも敗北。エースとなった3年時には部内暴力や野球特待生問題で約半年間の活動停止処分を受けながらも、処分明けの練習試合では強豪校相手に6試合連続完封勝利を収め、プロ注目の選手として名が挙がるようになる。
坂本 大空也(さかもと たくや、1989年5月7日 - )は… 坂本 大空也(さかもと たくや、1989年5月7日 - )は、茨城県稲敷市出身の元プロ野球選手(外野手)。 稲敷市立新東小学校3年から、あずま東部イーグルスで投手兼外野手として野球を始める。稲敷市立東中学校時代は軟式野球部に所属。 市立柏高へ進学すると、1年時の夏から外野手のレギュラーとして活躍。2007年、夏の千葉大会は準々決勝敗退。高校生としては群を抜く打球の飛距離で、高校通算55本塁打をマーク。100m11秒台の俊足であった。 2007年10月3日の高校生ドラフトで横浜ベイスターズに5巡目指名を受け、契約金3000万円、年俸460万円で入団。 1年目の2008年は二軍で8試合に出場したのみ。
會澤 翼(あいざわ つばさ、1988年4月13日 - )は、… 會澤 翼(あいざわ つばさ、1988年4月13日 - )は、茨城県日立市出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 旧字体の使用に制限がある一部報道などで、苗字を新字体の「会沢」と表記する場合もある。 小学校3年生の時に助川野球スポーツ少年団で野球を始め、4年生の時から捕手一筋。捕手を始めたきっかけは「誰もやろうとしなかったから」。本格的に捕手としての楽しさや奥深さを覚えたのは高校の頃だという。日立市立中里中学校では野球部員15人という少人数で活動していた。高校進学後、1年夏からベンチ入りし、秋には早くも正捕手となる。打線では先輩の春田剛と中軸を担った。高校3年春には早実・斎藤佑樹と練習試合で対戦し、二塁打を含む2安打を放ったこともあった。
春田 剛(はるた つよし、1987年5月31日 - )は、茨… 春田 剛(はるた つよし、1987年5月31日 - )は、茨城県水戸市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、高校野球指導者。 小学3年で野球を始める。 水戸短期大学附属高等学校(現・水戸啓明高等学校)に進学。甲子園には縁がなかったものの、地元では飛びぬけた存在だった。高校入学後の1年春から4番を任され、通算本塁打は44本。プロ8球団が注目した。また、140km近い速球を投げ、左腕クローザーとして投手も兼任した。 その後、2005年の高校生ドラフトで中日ドラゴンズから3巡目で指名され、入団。 2006年は高卒新人ながら二軍で打率.241、チーム最多の7本塁打と活躍した。 落合監督曰く「ライトには孝介が居るから」との理由で2007年から一塁手へコンバートされ、内野手登録となった。
美馬 学(みま まなぶ、1986年9月19日 - )は、茨城… 美馬 学(みま まなぶ、1986年9月19日 - )は、茨城県北相馬郡藤代町(現:取手市)出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。右投左打。 愛称は「ミマッチ」。 妻は女優の美馬アンナ。 藤代町立藤代中学校(現:取手市立藤代中学校)時代は軟式野球部に所属し、第23回全国中学校軟式野球大会ベスト8の成績を残した。同県出身の同い年で中学時代は野球部だった大相撲第72代横綱・稀勢の里寛と対戦経験がある。稀勢の里は美馬の才能を目の当たりにして野球に見切りを付けたという。 茨城県立藤代高等学校進学後は1年からレギュラーとして活躍。2年春にはセンバツに出場するも、夏からはケガを繰り返し、一塁手として起用されたこともあった。